頬に哀しみを刻め




題名:頬に哀しみを刻め
原題:Razorblade Tears (2021)
著者:S・A・コスビー S.A.Cosby
訳者:加賀山卓朗
発行:ハーパーBOOKS 2023.2.16 初版
価格:¥1,320

 昨年『黒き荒野の果て』で国内外の賞を総嘗めにした作家が、二年連続のキングをほぼ射止めたであろう、そう確信させる作品が早々に登場した。ぼくは前作にも際立つものを感じたのだが、新作では、そのスケールアップぶりに震えた。まさに現代のキングと呼ぶに相応しい非凡の才が、世界の影の部分に鉈を振るう。

 人種間分断や同性愛差別と言えば、最初に頭に浮かぶのがアメリカ南部。作家コスビーは、まさにその南部ヴァージニア州居住。ヴァージニア州と言えば、パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズが州都リッチモンドを中心に展開するシリーズだし、南部を舞台としたリーガル・スリラーの第一人者ジョン・グリシャムは、この州を舞台にしたいくつかの傑作で記憶に残る。

 さて、昨年来、翻訳ミステリー界に一石を投じた感じのあるS・A・コスビー。写真ではタフな面構えをした黒人である。まさに本書の主人公の一人を思わせる味のある風貌なので、興味のある方はネットで検索してみて頂きたい。

 無残な死を遂げた二人の青年を見下ろすそれぞれの父親の姿で、本書は幕を開ける。あまりにショッキングな、あまりに強烈過ぎるスターティング・シーンである。無残に横たわる二人は、黒人と白人の男性同士の夫婦で、代理母を使って一人娘をもうけていたと言う。日本ではなかなか想像できないことだが、アメリカ南部でこんなにも勇気のあるケースがあるというだけで眼が覚める想いである。

 異人種間ヘイト。同性婚ヘイト。別にアメリカ南部に始まったことではない。日本人の我々ならば、この国が同性婚はまだまだ手をつけられていないヘイトの温床であることはつい昨日今日の首相秘書官の更迭問題のニュースでもお馴染みかと思う。G7議長国でありながらG7中唯一同性婚の認められていない国であることも。邦訳されたこの作品が、日本に読書文化という側面からショック療法を与えてくれれば良いと深刻に思う。

 さて、作中では二人の父親は息子たちのしてきた決意や行動を理解してやれないでいたようである。二人の無残な死は凄まじいショック療法として息子たちへの理解を推進するエネルギーとなる一方、これまでの親としての責務のあり方についてはどちらもそれぞれのやり方で激しく後悔する。息子たちの生前は互いに距離を取ってきた二人でありながら、この事件を機に徐々に行動を共にし始める。父親としての哀しみの上に、積み重なるのは、息子への理解を示せなかったことへの悔恨の雨。二人は、境遇や人種の違いを互いに理解しながらも、徐々に心を一つにして息子たちの復讐を誓い、事件のディープな真相を探り始める。

 秀逸なのは二人の言葉少なだが心をずんと突いてくる会話だ。辛さを隠し、人種間の壁を貫き、ためらいながら、互いに徐々に起動させてゆくのは、確固たる復讐心である。

 本書はダブル主人公の傑作である。現代の『手錠のままの脱獄』である。私的制裁を目的とするバイオレンスな主人公たちは、二人ともまっとうな生き方をしてこなかったか、改心してはいても十分ではなかったとの不安定な心境下での日常に、元々置かれてきた男たちだった。自分の面倒もろくすっぽ見られずに生きて来た男たちが、歳を取ってそろそろまともになろうかと見える世代。二人を取り巻く家族、隣人、などとの関係も丁寧に描かれているのは前作同様である。この作家の深みはどこから来るのか? 不思議になるくらい洞察力に満ちた物語。触れれば折れそうなくらい、デリケートな作品なのである。

 野太く暴力的な男たちの荒っぽいやりとり。容疑者と思われる組織の思わぬ巨大さ。そのバックにいる者の意外な正体と、やはり意外過ぎる殺人の動機。驚くべき真相。アクションと疾走感。ミステリーとしての仕掛けも、文句なし。心の熱さも。哀しみの深さも。

 是非ともコスビーという作家の熱波のような作品ワールドを体感して頂きたい。ちなみにぼくの今年の一押しはこの作品に決定しました。早すぎ、ではないと思う。

(2023.02.06)
最終更新:2023年02月06日 17:09