『…あると…』
うっとりと夢みる様な口調で紡がれる自分の名前さえ愛しくて、そっとその唇に自分の唇を重ねた。しっとりと濡れた感触が柔らかさと共に重ねた唇へと伝わって来て、ぞくりと背筋へと甘い焦燥が走る。
『あると…だめ………』
重なった唇が離れた瞬間に漏れた、弱い抗いの言葉を呑み込む様に、もう一度啄ばむ様な口付けを交わす。ちゅ、ちゅっと吸い上げる音が彼女の吐き出す吐息と共に俺の耳朶を擽った。
(―――シェリル…)
込み上げてくる想いがつんと胸を満たし、柔らかな春の花にも似た匂いが鼻腔を満たす。視界に映るストロベリーブロンドの豊かな髪は、見慣れた自室のシーツへふわりと広がって、彼女が身動ぎする度にふわふわと緩やかに波打った。
『…あると…アルト…だめ…』
「ダメなんて…言うなよ…」
弱い抗いを繰り返す唇を制する様に、開いた隙間からそっと舌先を差し入れる。温かなシェリルの口腔を探りながら蠢く舌は、すぐに奥の方で縮こまっていた彼女の舌を見つけ出した。そのまま、逃がすものかと言うかの様に自身の舌を絡め合わせて行く。
今も何とか逃れようとする細い腕をシーツに縫い付ける様に両手で組み敷くと、俺はシェリルの小さな唇を思うままに貪り始めた。
だめ、と云う言葉を繰り返す唇に噛み付く様に自分の唇を重ね、ゆっくりと吸い解す。割って入った舌先でぬめぬめと口内を味わいながら、何度も何度も彼女の舌の感触を楽しみ、甘い唾液を啜り上げる……。
そのまま存分に唇を味わい尽くした俺の唇は、ゆっくりと白い肌の上を這いまわり始めた。唇と舌で汗ばんだ肌の火照りを楽しむ様に蠢き、やがて豊かな膨らみの谷間に辿り着く。その極上の感触とふわりと鼻腔を満たした匂いに意識がくらりと蕩けるのが分かった。
あると…と、シェリルの綺麗な声が俺の名前を呼ぶ。その言葉を受けて、俺もシェリルと噛みしめる様に彼女の名前を呼んだ。
(―――ああ……)
そしてその瞬間に…漠然と、俺はその事を自覚した。これは夢だ…と。恐らくは俺が見ている自分勝手な夢なのだ…と。
そう。彼女が、シェリルがこんな風に自分にその身を委ねる筈が無い。そして俺自身も…こんな風に彼女を求める訳なんて無いのだ。
俺達はまだ出逢って数ヶ月で、今の自分と彼女の関係は厭くまでも護衛とその護衛対象に過ぎない。
いや…単にそれだけでは無い、と俺自身が思っていたとしても、同じ気持ちを彼女が抱いてくれている自信は無かった。
(そうだ、夢だ……)
こんなに甘く切なく…彼女の感触を感じられたとしても、これは『夢』なんだ。―――そうだ、夢だ…夢なら、このまま最後まで……。
今のこの関係が夢なのだと自覚したからこそ、自分の中に在る何かが俺にそっと囁きかけるのが分かった。
そして同時に、頭のもう片隅の何かが「やめろ」と必死に俺を止めようとしている事も。
だが、そんな妙に冷静な意識とは裏腹に、自制を失った俺の指先はゆっくりと動き出し…なだらかなシェリルの腹部を抜けて、濡れた部分を探り始める。
口付けに潤いを帯び始めたシェリルの大切な部分。やめて、だめ…と云う泣き声をもう一度自分の唇で封じ込めて、自分の肉体を埋めさせる準備をしようとした所で……
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そこで、悲鳴と共に飛び起きた。体が跳ね上がるのと同時に沈んでいた意識が駆け足で浮かび上がってくる。どくどくと脈を打つ鼓動は早い。
異様に乱れている自分の息遣いを整える為に、脱力しながら大きく息を吸い込んだ。
「なんだ!?一体何があった?」
「なななな何でもない!何でもないんだ!」
俺の上げた声に目を覚ましてしまったのだろう。ベッドの上で寝ていた筈のミシェルが慌てた様に此方を覗き込んで来る。
その本気で此方を心配しているらしい視線から逃れる様に、もう一度ベッドに顔を埋めた。
「…ふぅ~ん。―――ま、何でも無いんなら良いんだけどな。ゆっくりお休み、アルト姫」
「…………っ」
だが、そんな俺の態度に逆におおよその事を察してしまったのだろう。ミシェルは含み笑いを滲ませた声でそう告げると、そのままもう一度自分のベッドへと戻って行ってしまった。
翌朝、シェリルの護衛についた俺が、その顔をまともに見られずに…彼女のご機嫌を損ねてしまったのも、当然と言えば当然の事だった。
『……あると』
「っ…シェリル……」
そして今夜も…夢の中で、俺は彼女の柔らかな体を抱きしめていた。一糸まとわぬ生まれたままの姿のシェリルは、透き通る様に白い肌を恥じらいに赤く染めて本物の桜の精の様に見えた。
甘くて通る綺麗な声が切なさを孕んで俺の名前を紡ぎ出す。その度に胸を締め付ける罪悪感と腹部に込み上げる衝動の狭間で揺れながら…俺は結局自分を制する事が出来ないまま。
小刻みに震える彼女の肌に、紅潮した自分の肌を重ねていた。
どうしてこんな夢を見るのか―――…、それが自分でも分からない。だが、夢の中の自分は恐らく現実の自分よりもずっと欲しい物に対して正直に振る舞い…その甘い果実を貪っている。
銀河の妖精と云う凛とした美しさを持つシェリル。普通の女の子としての無邪気な笑顔を見せてくれるシェリル。
そして今腕の中で切ない吐息を紡ぐ…一人の女性としてのシェリル。
そんな「シェリル」と云う名の果実を、夢の中の俺は本能のままに味わい貪りたいと思っていた。
今も甘い泣き声を上げる唇を強引に唇で塞ぐ。とろりと蕩ける様に甘いシェリルの唇…。割って入った舌先で口腔を舐めると、びくんと組み敷いた体が跳ね上がる。
まるで誘うかの様なその反応に気を良くした俺は、ねっとりと彼女の唇を貪り続けた。
『ん…ふぅ…やぁ……っ』
そうして睦み合う唇の遥か下に在る濡れた入り口を見つけ出した指先は、その潤いを確かめる様に、閉じていたラインをじわじわと探り始める。
自分の猛った部分を収める為に、その頑なな入り口をゆっくりと解して行く。
少しずつ滲み始めた温かな雫が、蠢く指先をとりとろと濡らして行くのが分かった。
『いや…いや、あると…』
解放した唇から耐え切れずに漏れた、吐息の様なシェリルの泣き声。
その抗いには気付かぬ振りをして…温かな口内を貪っていた唇で、俺は今度は膨らみの先端を啄ばみ始めた。
白い膨らみの上にちょこんと座したピンク色の果実が小刻みに震えている様子は、いかにも「美味そう」に見える。
『あぁ……あると………』
そんな俺の動きに応じて、尖り始めていた胸の先端がぴくんと可愛らしく震える。
そのまま確かな弾力を持った桜色の蕾が俺の舌先を押し返してきた。
その反応が嬉しくて…しゃぶり付く様に、彼女の乳首を舌と唇で玩び続ける。
そうして唇が尖り始めた先端を吸い上げる度に、閉じられていた入り口が綻び始めるのが分かった。
愛しい。
欲しい。
何も考えられない……
全身を満たすシェリルの感触。今も泣きながら「あると、あると」と俺の名前を紡ぐ声。その声に誘われる様にして、俺の唇は下へ、下へと………。
指先に解され花開き始めたばかりの、彼女の濡れたもう一つの唇へと移動して行った―――……
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そして、昨夜と同じ様に。俺は其処で悲鳴と共に飛び起きた。
「ア~~ル~~~ト~~~~~………」
「あ…う……すま…ない……」
呆れた口調のミシェルの顔を見る事も出来ず、込み上げる自己嫌悪に頭を抱える。
「まぁ…姫もお年頃っちゃお年頃だからな。溜まってるんだろ、アルト姫。何なら俺が良い相手を……」
「うるせぇ!!んなもん必要ない!」
が、次の瞬間聞こえて来た言葉に、反射的に抱えていた枕を相棒の顔へと投げつける。
その枕を此方が悔しくなる位に華麗な動きでかわすと、やれやれと軽く肩を竦めてミシェルはもう一度自分のベッドへと戻って行く。
その姿を憎憎しく見送ってから溜息を一つ吐くと、俺は床に転がった枕を拾い上げてもう一度寝台へと身を沈めた。
ミシェルの言う様な器用な事が出来るのなら、そもそもこんなに悩みはしない。こんな夢をどうして見るのか…その理由が、今も俺には分からないのだ。
単なる肉欲を満たす為…なんて単純な理由では無いと思う。自分がそうしたタイプの人間だとは思わないし、今まで生きて来た中でもこんな気持ちに捕らわれた事は無かった。
シェリルの事を意識しているのだろうか…とは思う。確かに彼女は今まで自分が出会って来たどんな「女」とも違っていた。
今まで俺が出会って来た女の子達。過去の俺が演じて来た女達……。彼女はそのどの「女」とも同じ部分がある様で…それでいて、どの「女」ともまるで違う存在の様にも思えて来るのだ。
「っ…わかんねぇ……」
結局は考えれば考えるだけ、堂々巡りに陥ってしまうだけなのだ。初めて出会った時にはなんて傲慢な女なのだろうと思った。
だが舞台に掛けるその真摯さに彼女が本物の「歌姫」なのだと認めざるを得なかった。
それでいて普段の彼女は、それこそランカ達と変わらない普通の女の子の様な一面を持っていて……一方では、普通の女の子達よりもずっと傷付き易い一面も持っていた。
(そうだ、そして―――……)
あの、命の遣り取りをしている戦場の真ん中で響いたシェリルの歌声を聞いた時に。諦めかけていた自分を鼓舞する様に届いた彼女の歌声に……。戦場で一人歌い続ける彼女の姿に……。
俺は初めて感じたのだ。ああ、こんな女は多分他にはいないだろう―――…と。
だが、あの時感じた胸が痛い様な、全身が奮い立つ様な想いが。今も積み上げ続けられているこの想いが。どんな気持ちなのかが…それが、自分でも分からないのだ。
何時だって真っ直ぐに前を見つめているシェリルを、こんな風に夢で汚すと言う事への自己嫌悪と罪悪感が改めて込み上げて来る。
だが一方で…あの夢の中の様な、甘美な時間に酔いしれたいと願う気持ちも、心の何処かには存在していた。
「考えていても…仕方が無い…か…」
ふぅっと一つ溜息を吐き出すと、もうあの夢の続きが出て来ない事を願いつつ俺は瞳を閉じた。明日も彼女の護衛があるのだ。貴重な睡眠時間を無駄にする事は出来ない。
最初は俺をアマチュア扱いしていたシェリルがくれた「プロ」と云う言葉に恥じない為にも…そして、あの生意気な妖精さんに、その言葉を撤回されない為にも、今は少しでも眠っておく必要があった。
「―――…どうしたのよ、アルト。何かあったの?」
「っ…いや…何でもない……」
翌朝。あの後浅い眠りに何とか身を委ねることの出来た俺は、何時も通りに彼女が滞在するホテルの最上階を訪れていた。
ふわりと流れるストロベリーブロンド。真っ白な肌と桜色の頬。蒼い空色の瞳と…赤く濡れた唇……。
夢の中と同じで、けれどリアルな存在であるシェリルは、不自然に逸らされた俺の視線に、存在感があるその眉をきゅっと潜めた。
彼女が俺の態度を怪訝に感じている事には、昨日から気付いていた。今日はその態度が更にはっきりとしていて…怪訝な表情が、次第に不快なものへと変わっていく事さえ分かる。
だが、それでも本当に、今はシェリルの顔を見る事が出来ない。あの蒼い瞳に自分の姿が映っている事を確かめてしまうと、一気に封じた筈の昨夜の夢の記憶が蘇る事が分かっていたから。
だから…彼女から伝わる不安な気配には気づかぬ振りをして、俺はその視線から目を逸らした。
「何でも無いって……昨日から変よ?少し顔も赤いみたいだし、あっ……まさか体調が悪いのに無理でもして来てるんじゃ…」
「本当に何でもない!何でもないから…あんまり近付くな」
「な……っ?」
俺の体調が良くないのだと勘違いしたらしい、シェリルが不意に心配そうな表情を浮かべて此方を覗き込んで来る。彼女が近付くと同時に、ふわりと香る甘い匂いが鼻腔を擽って、俺を落ち着かない気分にさせた。
咄嗟に身を引いて彼女を制すると、シェリルの頬に怒りで朱の色が上るのが分かる。…そして、それは当然の事だった。
「バッカじゃないの?あんたはあたしの護衛でしょ!なのに、あたしに近付かないでどうするって言うのよ!」
「だからちゃんと何かあれば届く場所にいるだろう。これ以上…必要以上に近付くな、って言ってるだけだ」
「何よそれ……あたしが傍にいたら不愉快だってワケ?」
「別にそうは言ってないだろ!ただ……」
「ただ、何よ?」
「―――っ…何でもない」
「何でもない…ね。分かったわ、コレからはあんたには必要以上には近付かない。
そうよね、特に理由もなく何か原因がある訳でも無いのに…あたしに近付かれるのは気に入らない、って。ただソレだけの事なのよね?」
「…ち、ちが…っ!」
「だったら、何よ?」
「っ!別に…お前には関係の無い事だ……」
曖昧な理由のまま避けられる事には、納得がいかないのだろう。普段のシェリルなら、俺が何らかの事情があって聞かれたくないのなら、その領域までは決して立ち入って来ようとはしない。
だが、今日は違う。今日の事に関しては…全面的に俺に責任があるのだ。
だからと言って、当の本人を目の前にして「昨夜お前に淫猥な事をする夢を見たから緊張している、その夢を思い出すから今日は近付かないで下さい」等といえる程、俺の神経は図太くは無かった。
だからこそ―――シェリルは納得が行かない。一方の俺もまた彼女を納得させられるだけの理由を見つける事が出来ずに…ただただ素っ気無い態度で彼女を振り払う事しか出来なかった。
言葉を無くしたシェリルが、傷付いた顔をしているのは分かっていた。だからこそ彼女の方を見ることが出来ずに…俺はその視線から目を逸らすしか無かったのだった。
あの後、何度かシェリルは此方に物問いた気な瞳を向けたものの、結局は何も言わないまま…。
赤い唇を噛み締める様にして、時折此方を見ているだけだった。
狭いSMS室内では、明日に備えて早めに休んでいるらしいミシェルの寝息が自室の空気を僅かに震わせている。
その落ち着いた寝息を羨ましく思いながら…俺はもう一度、ベッドの上で軽く寝返りを打った。
眠るのが怖い…と正直に思う。今夜あの夢の続きを見てしまえば、その中の自分がシェリルに何をするのかが分からない。
どうしてこんな夢を見るのか…。その事を考える度に、昼に目にしたシェリルの傷付いた表情が脳裏に蘇った。
そうだ…。どうして、こんな夢を見るのか―――。昨夜から何度も自問している言葉を、もう一度自分に投げかけてみる。
その理由が分かっている様で分からない。その理由に気付きたくないだけなのかもしれない。
(それに…こんな夢を見たところでどうなるって云うんだ…)
彼女は…シェリルは『銀河の妖精』だ。例え手に入れたいと願っても…
どんなにその存在を切望しても、この手が届く筈なんて無いのだ。
「―――っ…!?」
そして、その事に漸く思い至る。
(だから…なのか…?)
現実で彼女が手に入ることは無いから。だから夢を見るのか。夢を見て、せめてその世界の中でだけでも…自分の望みを満たそうとしているのか、俺は…?
その事に気付いてしまえば、今までよりも一層強い自己嫌悪に苛まれるのは当然の事だった。自分の中にある卑怯な男の部分を自覚して、その事への嫌悪を抱えながらもどうする事も出来ない。
シェリルに触れる度に。身近で息遣いを感じる度に。鼻先を擽る甘い匂いに気付く度に…。何かを渇望していた自分に、今更気付いてしまう。
だが、それは決して自分の物にはならないと云う事も分かっているから…。だから夢の中で、手の届かぬその全てを、俺は自分の物にしようとしているんだろうか……?
「―――っ…最低、だな…」
今夜は眠れそうになかった。否、このまま眠れば欲求に正直な俺の夢は…またあの続きを見てしまうだろう。柔らかく温かなシェリルの体を貪る夢。彼女の意思なんて関係なく、ただ自分勝手な欲求のままに振舞っては彼女を汚す夢……。
俺は大きな溜息を吐き出すと上着を羽織り、眠っているミシェルを起こさない様に注意しながら部屋を出た。
今のまま眠れば、目覚めた時にまた自己嫌悪に陥ることになるだろう。
幸い明日明後日は非番になっていて、シェリルの護衛にはミシェルが付いてくれる事になっている。
だから…せめて夢を見ないで済む様に……。部屋を出てこっそりとSMS内のトレーニングルームで体を酷使した後に、更に普段は自分からは進んで口にする事は無いアルコールの力を借りてから、俺は再びベッドにその身を沈めたのだった。
翌朝、無事に夢を見る事無く目覚めた物の、久しぶりに与えられた休暇を俺は持て余していた。彼女に―――シェリルに会えない一日が長い。
護衛として傍にいる時には、あんなにすぐに「今日」と云う一日が終わると言うのに。
それは勿論、シェリルのスケジュールが「銀河の妖精」と云うその名に相応しく多忙な事もあるのだろう。
だが、それだけじゃない。彼女と共に過ごして、何気ない会話を交わしたり…時折口喧嘩をしたり、シェリルのワガママに振り回されたり…逆にそんな彼女を諌めたり。
そうして共に過ごしている時間を、俺が純粋に楽しく感じているからなんだと。その事を、共に過ごした時間の間に流石に認めざるを得なかった。
毅然とした態度で自分に与えられた仕事に臨む態度も。その合間に見せる子供の様に無邪気な笑顔も…。
そして、何処かふわりとした柔らかさを滲ませて「アルト」と俺を呼ぶ声も。「シェリル」と云う少女の存在を感じられる全てが、何故だか妙に懐かしい物に思えてしまう。
買い物をしに外出した筈の足は、気付けば自然と彼女のスケジュールを追って、アイランド1の市街地にあるフロンティアTV局の近くに向いていた。
午後の少しだけ涼やかな風が結い上げた髪の毛を擽っては遠くへ駆け去って行く。
こんな所にいてもどうにもなる訳でも無いのに…と。その事は痛い位に分かり切っていた。彼女に逢えない時間が寂しい。だが、逢うとあの夢の幻に捕らわれて苦しい。
今日明日は良い。逢えない時間が寂しくても…それでもこうして自分を納得させながら過ごす事も出来るだろう。
だが…非番が明ければ、また彼女の護衛として傍にいなければならない日々が訪れるのだ。
今のこんな自分が、無事にその任務を続けられるのか?そう自身に問いかけると、戻ってくる答えは当然「否」だった。
(それでも…俺は……)
さわさわと流れる風が、またふわりと黒髪をかき上げる。そして、背後から屈託の無い明るく元気な声が聞こえて来たのはそんな時だった。
「アルト君?」
「え…ラ、ランカ?」
「やだ、やっぱりアルト君だ!デカルチャー!ね、どうしたの?こんな所で?」
にっこりと零れ落ちる様な笑顔を浮かべて駆け寄ってくる姿に、自然と心が温かな気持ちで満たされて行く。
緑の若草の様な髪の毛を嬉しそうにピコピコと動かしながら、ランカは小走りに俺の隣へとやって来た。
「どうしたの…って。それはこっちの台詞だ。お前こそどうしたんだ?こんな所で」
「うん、今日はね、これからここでお仕事なんだよ。歌番組の収録と、対談」
「ああ、そうか…そうだよな」
「うん。でもね、共演者の人が事故渋滞に巻き込まれちゃったみたいで…
それで、少しだけ外に出て気分転換してるんだ」
今日はこんなに良いお天気なんだし、と小首を傾げて笑うランカの言葉に、
自分が何とも間の抜けた問いをしてしまった事に思い至る。
バジュラ襲撃の際にシェリルと共にフロンティアの為に歌ったランカは、
今や「超時空シンデレラ」の名でその階段を駆け上がり始めていた。
そう言えば、こうして直接会うのは本当に久しぶりだった事を思い出す。
「なんか…元気そうで安心したよ。頑張ってるみたいだな」
「うん、一杯やらないといけない事があるけど…
でも、エルモさん達がいつだって力になってくれるから、だから大丈夫だよ」
そうして背後を見ると、確かに彼女のマネージャーであり所属事務所の社長でもある
エルモ・クリダニクが此方を見つめていて、俺に気付いて軽く頭を下げた。
大切にして貰ってるんだな…と感じて、胸がほっこりと温かい気持ちになる。
「そうか…。でもあんまり無理をし過ぎるなよ?」
「うん、もうっ!アルト君ったら心配性なんだから」
何時だって前向きに元気に笑う彼女の姿が微笑ましくて、思わずその頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
それは特に意識をする事も無い自然な仕草だ。そう…ランカにこうして触れる事は、全然平気なのに。
むしろこうして触れ合う事で、優しい温かな気分にさえなると言うのに…
(なのに…どうして……)
シェリルに触れようとすると、あんなに彼女を意識してしまうのか。
胸につきりとした刺す様な痛みが走るのか。
触れ合うただそれだけの事で…それだけの事なのに……、
どうしてあんなに苦しくて切ない気持ちになってしまうのだろうか……
「あっ…!」
そんな風に、また先日からの悩みの渦に沈みそうになった俺の意識を引き戻したのは、
僅かな緊張と多大な嬉しさに満たされたランカの声だった。
俺の背後に何かを見つけたらしいランカの頬が見る間に薄紅色に染まる。
「シェリルさん!!」
「え………」
その視線とランカの唇から紡がれた言葉を追う様に、ゆっくりと背後を振り返る。
すると其処には、車から降りたまま立ち尽くしているシェリルの姿が在った。
ふわり…とさっきから結い髪を擽っていた風が、ふわふわとした彼女の髪の毛を揺らしている。
それだけで…あの艶やかなストロベリーブロンドから香る甘い匂いが届いた様な錯覚に襲われた。
蒼い瞳が呆然と此方を見つめている事に気付いて、ランカの頭を撫でていた掌を思わず引っ込める。
そんな俺達の姿に、あちらも気付いたのだろう。
軽く右手を上げながらゆっくりと歩み寄ってくるシェリルの表情が
一瞬だけ固いものを見せたのは、俺の気のせいだろうか。
次の瞬間にはシェリルは、何時もの大輪の花の様な微笑を浮かべて、優しくランカの名前を呼んだ。
「はぁい、ランカちゃん」
「シェリルさん!どうしたんですか?…ってどうしたんですか、じゃないですよね。
シェリルさんも今から此処でお仕事ですか?」
「ええ。そうなの…本当はもっと早くに入る予定だったんだけど…事故に巻き込まれちゃってね。
それでこんな時間になっちゃったのよ」
シェリルの言葉を聞いたランカが、ぱちぱちとその赤い瞳を瞬かせる。
「あ…!じゃあ、今日のシークレットの共演者って…!」
「ふふふ。どうかお手柔らかに頼むわね…なんて言わないわよ?全力でぶつかって来なさい」
「ハイ!!…えへへ、シェリルさんと共演だなんて、やっぱり嬉しいです…」
頬を染めて嬉しそうに笑うランカを、シェリルはまるで妹を見るかの様な優しい表情で見守っている。
温かくて見ているこちらまで幸せになれそうな…そんな表情だった。
だが、その温もりはどうやらランカだけに向けられた物だったらしい。
こちらにチラリと視線を向けたシェリルからは、その柔らかな表情は消え去っていた。
代わりに少しだけ不機嫌そうな…けれどそれを押し隠した様な、眉根を寄せた表情でこちらを見上げて来る。
「な…なんだよ…」
「別に。案外マメな男ね…って思っただけよ。休みの日にあんたが何をしようと…あたしには関係ないわ」
「…ああ、そうだ。俺が何処で何をしてようと…お前には関係の無いことだろ?」
「―――当たり前じゃない」
さっきまでのランカへの態度とは打って変わった冷ややかな声。
その声に反発する様に、俺の対応も自然ととげとげしい物になる。
そうして自分から突き放す様な言葉を口にした癖に…。
目の前のシェリルが、一瞬だけ泣きそうな表情に見えたのは、俺の気のせいだろうか…?
思わず彼女へと手を差し伸べかけて…その手を留める。今は矢張り、彼女に触れるのが怖いのだ。
触れてしまえば現実と夢の境界を見失って、何かが溢れてしまいそうな気がした。
今の…こうして毎晩夢に悩まされる前の、彼女との心地良い距離感を壊してしまう気がして。
今の時点で既に壊れかけている、彼女との関係を失ってしまう何かが溢れるのが怖くて…。
俺は、結局その手を引き留める事しか出来なかった。
「―――シェリル様」
そんな、二人の間に流れる空気を破ったのは、彼女の名前を呼ぶ…
俺でもシェリルでもランカでもない4人目の声だった。
今も影の様に、当然と云った顔でシェリルに付き添うブレラが、
そうして名を呼ぶことで静かにシェリルを促す。
確かに元々事故に巻き込まれたことで時間が押しているのだろう。
その事に思い至ったシェリル自身にも、ほんの僅かな焦りの色が浮かんだ。
もう一人の護衛…ミシェルの姿が見えないと云う事は、今はグレイスさんの方と一緒にいるのかもしれない。
「ええ、分かってるわ。ランカちゃん、行きましょ」
「あ…?は、はい。アルト君、またメールするね」
そうしてシェリルは、再び俺の方を見ることも無く……。
微かな戸惑いを見せるランカを伴って俺の前から姿を消したのだった。
帰宅したSMSの部屋のベッドの脇に座り込んで、俺はシェリルのイヤリングを見つめていた。
紫色の石がキラリと光を放つ度に、胸にじくりとした痛みが走る。
…どうして、こうなってしまったのだろう…と、そう思う。
ほんの数日前まではこんな風では無かった筈なのに。
毎日の様にシェリルの傍にいて…ただ彼女と共に過ごせる時間が楽しかった。
自分が必要以上に自惚れているとは思わない。
だが、あの時…彼女にとっても大切な物であるイヤリングの片方を、シェリルが俺にくれたから。
そして、その後の護衛として一緒に過ごす事を許されていたから―――…
自分は、彼女にとって、多少なりとも『特別』な人間なのではないか…と。そう云う想いが俺にはあった。
そして、その想いがあったからこそ、決して彼女を
「シェリル・ノーム」と云う商品として扱う事はするまいと思っていた。
彼女を一人の女の子として…銀河の妖精としての部分も含めた一人の女の子として、
俺だけはシェリルに接して行きたいと思っていたのだ。
なのに結局…彼女を「シェリル」と云う商品として扱っている男達と同じ様に。
俺も結局は、夢の中で嫌がるシェリルを思いのままに貪っている。
いや、その結果シェリル本人を傷つけてしまっていると云う点では―――
恐らくは俺の方が、他の男たちよりもずっと罪深いのかもしれない……。
目の前で揺れているイヤリングが、またキラリと淡い光を放つ。
『あれは想いを伝える石…。あたしのお守りなの』
『見こそなったわ、アルト』
『この戦いが終わったら返しに来なさい。勿論、無傷で』
シェリルと交わしたあの時の言葉が脳裏に蘇る。…そう、あの時もそうだった。
自分の感情の整理が付かないままに、その衝動に駆られる様にして彼女を突き飛ばして…
シェリルの心と体の両方を深く傷付けた。
結局シェリルはその事を許してくれたけれど…それでも、この石を通じて伝わって来た
彼女の悲しみは、今も俺の胸の中に深い後悔と共に残っている。
(なんで…なんだろうな……)
シェリルが絡むと、何故だか俺は取り乱してしまう。
自分でも恥ずかしくなる位に調子に乗ってしまったり…。
女の子相手に本気でムキになって言い返してしまったり…。
自己嫌悪してどうし様もないあんな夢を見たり、その事で何の非も無い彼女を避けて傷付けてしまったり…。
そんな風に、自分で自分の感情を上手く制することが出来なくなってしまうのだ。
そんな自分が彼女の傍にして良いのか、と思う。
SMSから受けた任務を言い訳に彼女の傍にいようとして、その公私混同の末に、
また彼女を傷付けてはしまわないだろうか?
少なくとも、ここ数日の間に…また彼女に辛い思いを強いてはいないか?
それにこんな風に心乱れる自分が彼女の傍にいる事が、致命的な失敗に繋がりはしないだろうか。
もしも今度――…彼女の身が危険に晒された時に。今胸に抱えている揺らぎが、
シェリルを守る為の致命的な失敗に繋がってしまったら…。
その事を思うと、胸の中に急速な不安が暗雲の様に広がって来る。
果たして今の自分が、銀河の妖精の護衛と云う役割をきちんと全うする事が出来るのだろうか…と。
「あれ?なんだよ、まだ起きてたのか?」
ベッドに腰を下ろしたまま沈んでいた俺の意識を引き上げたのは、見慣れたルームメイトの声だった。
はっとして顔を上げると、少しだけ不思議そうな表情を浮かべたミシェルが此方を覗き込んでいた。
気付いて時計に目をやると、その針は既に日付を跨いでいる。
本当に…どれだけ長い間、物思いに沈んでいたんだろうか。
そして、その長い時間の葛藤の末にも、未だに自分がどうしたいのかと云う答えすら出ていない。
そんな自分が滑稽で、少しだけ情けなかった。
「ランカちゃんに聞いたぞ?TV局の方に来てたんだって?」
「ああ」
「まさか、わざわざランカちゃんに会いに来てたのか?」
「うん?―――いや、そう云う訳じゃない。ランカにはたまたま会ったんだ」
「ランカちゃんには…たまたま、ね…」
「なんだよ…」
「―――別に」
思わせぶりなミシェルの視線に、居た堪れなくなった様に目を逸らす。
それでも食い入る様なミシェルの視線を感じて、俺は小さく嘆息した。
今日一日…俺が付き添えなかった一日に、彼女はどんな風に過ごしたのか。
俺と別れたあの後もランカと一緒だったのか。
何か辛い想いをする事は無かったのか、コイツにも普段俺に見せている様な無邪気な笑顔を見せたのだろうか…。
気を抜けば、自然とそんな事ばかりが頭に浮かぶ。
だがそれを口にすれば、ミシェルに何を言われる事になるのか分からない。
そして訪れた沈黙の後で…俺の唇が紡いだのは、
さっきまで堂々巡りの様に頭の中に浮かんでは消えていたある事だった。
「なぁ…ミシェル…」
「ん?」
一瞬の逡巡の後に、ゆっくりとゆっくりと…自分自身を納得させる様にして、言葉を唇に載せる。
自分がどうしたいのか、その答えは今も分からない。ただ今の俺に分かるのは…ただ一つだけ。
こんな状態の自分がいる事で、シェリルに何らかの危険が及ぶ可能性があるんじゃないかと云う事だけだった。
ならば…俺はいない方が良いんじゃないか。
俺が彼女の前から消えた方が、シェリルの為にはなるんじゃないか。
昼に目にした泣き出しそうなシェリルの表情を思い出す度に、そんな考えが頭に浮かんでは消えていた。
だから俺は躊躇いながらも…静かにミシェルに申し出ていた。
シェリルの護衛を、明日からも俺の代わりに頼めないだろうか―――と。
その言葉を耳にした瞬間、眼鏡の奥にあるミシェルの瞳が険しさを伴って細められた気がした。
その瞳に無言で責められている様な気持ちになってしまうのは…俺の中にある後ろめたさのせいなんだろうか。
全てを見透かす様な親友の視線から顔を逸らすと、俺はそっと瞳を伏せた。
コイツには何もかもお見通しなのかもしれない。
だが今は、自分の中にある卑怯な部分を見透かして指摘されたくは無かった……
「―――ま、オレは別に構わないけどな。お前の方からオズマ隊長にでも申し出て、
正式にシフト変更をして貰えば良いだけの話だ。今日明日には難しいかもしれなくても、
来月のシフトが決まる時には融通して貰えるだろ。
それに、あの美人の傍に四六時中付いてるって云うのも、悪くは無いし?」
「っ……」
意地悪く言葉を続けるミシェルに対して、もやもやとした気持ちが込み上げて来る。
そうだ。簡単な話では無くても…決して無理ではない話なのだ。
そもそも俺が彼女の護衛に付いたのは、俺がSMSの中でも一番の下っ端だったと云う事。
それから俺がイヤリングを返しに行った時に居合わせたオズマ隊長の個人的な配慮から来た結果に過ぎない。
だから―――……依頼主から受けた正式な名指しで無い限り。
俺がシェリルの護衛を続ける理由は何一つ存在しないのだ。
ただ一つ。俺が彼女の傍にいたいと思っているその事を除いてしまえば。
まぁ、その気になったら明日にでも隊長に話しておくんだな、と。
そう云い残してミシェルは2段ベッドの上へと潜り込む。
その姿を見上げながら、俺もまた半分自棄になった様に…ベッドのシーツへ、とすりとその身を沈めたのだった。
『あると…あぁ、いや…あると……だめ…だめ…』
そしてまた訪れた甘美な夢に、俺はその身を委ねていた。
僅かに残った理性の隅で、昨夜の様にまた体を痛めつけてから眠ってしまえば良かったのにと思う。
それでも…それでも矢張り、もう片隅では思うのだ。夢の中でもシェリルに逢えることが俺はこんなに嬉しいんだと。
例えどんな卑怯な事だとしても、彼女に触れられる事が幸せなんだと……
「っ…嫌なんて、ダメなんて言うな…!」
『ああ…やぁ…っ…』
儚く響く抗いの言葉を無視して、そっと彼女の大切な部分へと唇を寄せる。
甘く意識を蕩けさせる濃厚な女の匂い。弄っていた指先と入れ替わる様にして蕩けた内部を舌先で探る。
くちゅり、くちゅりと水音を立てながら入り込んだ舌先で襞をかき回すと、
組み敷いた体がびくりと跳ね上がった。
弱い抵抗を示すかの様に、滑々とした感触の太ももが俺の頭を挟み込む。
黒髪に埋められる細い指の感触……。
彼女の唇から漏れる哀しげな泣き声を聞きながら、俺は溢れた雫を夢中で啜り続けた。
他の誰も知らない、俺だけが知っているその場所に、自分の物なのだと言う証を刻んでしまいたい。
舌先で唇で彼女の濡れた部分を貪る度に、そんな想いが強烈な衝動になって体内に込み上げて来る。
「シェリル…良いな…?」
最後に、ぷっくりと膨らんだ花芽に軽く口付けてから、俺は彼女の足の間から顔を上げた。
そのままもう一度柔らかな体を組み敷いて、猛り狂った肉体を塗れそぼった場所へとじわじわと擦り合わせる。
全身に吸い付く様な、汗ばんだシェリルの感触。濡れた唇から切なげに漏れる吐息と泣き声。
ダメだという答を聞いてやる事なんて出来る筈が無い。
「シェリル……挿れる…ぞ…」
『あぁ…っ!』
そうして擦り合わせていた部分に力を込めると、俺の物はゆっくりと彼女の中へと呑み込まれて行った………。
締め上げてきつい抵抗を繰り返す部分を抜けると、柔らかくたわんで俺の肉体に絡み付いて来る。
蕩ける様な感触に溺れながら俺はすぐにシェリルの中で動き始めた。
「く…っ、はぁ…シェリル、シェリル…!」
『いや…いや、許して…お願い、許してアルト……』
「ごめん…、許してやれない…っ!」
『いやぁ…!』
組み敷いた体の下では今もシェリルが弱弱しい抵抗を繰り返す。甘さと悲しみに掠れた綺麗な声。
俺の体がその中を突き上げる度に、益々高く切ない響きを伴った声が俺の名前を呼ぶ。
許してと俺を制する言葉。その哀れな懇願からは意識を逸らして、
俺は何度も何度も彼女の細い体を突き上げ、願いのままにかき抱き…
嫌がる彼女を力で押さえつける様にして、一番深いその中に欲望を注ぎ込んだのだった。
目覚めた後に訪れる嫌悪感にはもう慣れてしまっていた。昨夜の夢……。
もう自分で自分を擁護する事も出来ない。……最後まで彼女を抱いてしまった。
彼女の淡い抵抗を制する様にして最後まで彼女を奪い尽くしてしまった。
夢の中の生々しい感触が、耳朶を甘く震わせた泣き声と共に、今も残っている気がする。
「最低…だよな……本当に…」
そのまま何をする気にも何処かに出かける気にもなれぬままベッドに横たわっている間に、
気付けは室内にはゆうるりとした夕暮れの影が伸び始めていた。差し込む朱色の光が暮れ掛けた部屋を照らし出す。
結局今日は一日こうしたままで…ミシェルに言われた様に、隊長の下へ行く事も出来ないままでいた。
そんな自分を女々しいと思う。いっそ彼女の方から自分の事を切り捨ててくれれば。
…そうすれば、いっその事楽になれるのに。
自分から、触れ合ったあの手を離すだけの踏ん切りをつける事が出来ない。
それが例え、シェリル自身の為になる事なのだとしても。
だが…もしも彼女が俺を「切り捨てる」時が来たら?その事を思うと、また胸の奥がつきりと鈍く痛んだ。
彼女の身を危険に晒したくないと思う。だが一方で…
彼女と結んだ今の関係を手放したくないと願う自分がいる。
そんな煩悶とした気持ちを抱えたまま、結局気付けば周囲は
夕暮れを過ぎ去り既に夕闇に包まれ様としていた。
『オレは別に構わないけどな。お前の方からオズマ隊長にでも申し出て、
正式にシフト変更をして貰えば良いだけの話だ』
そんな昨夜のミシェルの言葉が耳に蘇える。そう、それだけの事なのだ。
隊長の所へ行ってそう申し出るだけ。でも、結局俺はオズマ隊長の所へは行かなかった。
行かなかったのか、それとも行けなかったのかは分からない。自分がどうしたいのかが…分からない……
様々な事への答を出せないままの頭を抱えて、くるりと一つ寝返りを打った俺の耳に、
部屋の入り口が開く音が届いた。少し早い時間だが、もうミシェルが帰って来たのだろうか?
今日のシェリルのスケジュールは、確かに予定に変更が無ければ普段よりも早めに終わりを告げるものだった筈だ。
部屋に入ってきたミシェルは、入り口付近に佇んだまま身動ぎをしようとも、
普段の様な軽口を叩こうともしない。今の俺がミシェルに顔をあわせ辛い様に、
あちらも俺の反応を待っているのかもしれなかった。少しの間だけぴりりとした沈黙の時が流れる。
俺はふぅっと小さく溜息を漏らすと、ゆっくりとベッドに沈んでいた上体を起こした。
「早かったな。今日はもう終わったのか…?」
「―――……」
押し出す様に紡いだ何気ない言葉にも、返事は返って来ない。
「ミシェル?」
不思議に思ってベッドを抜け出して入り口に目を向ける。
そして其処で…俺は、此処にいる筈の無い人の姿を見た。
「な―――……」
「…アルト」
「ばっ…!なんでお前がこんな所にいるんだよ!?」
視線の先に佇んでいたのはミシェルではなく、その護衛対象の方だった。
白く透き通った肌。何処か物問いた気に揺れる蒼い瞳。
ふわふわと揺れるストロベリーブロンドと…僅かに濡れた肉感的な唇。
その唇から、ふぅっと不機嫌そうに一つ息を漏らすと、シェリルはゆっくりと喋り始めた。
「ミシェルに話を聞いて…此処まで連れて来て貰ったのよ…」
「ミシェルに?」
その言葉の意味と、シェリルが何時の間にか口にする様になっている彼の愛称に、
二重の意味で問いただす様な口調になってしまう。
その俺の口調を責めていると勘違いしたのか、シェリルは慌てて言葉を繋いだ。
「怒らないで頂戴。あたしが無理を言って彼に頼んだのよ。アルトに…あんたに会いたくて…」
「お…俺に…?」
「そうよ。アルトがあたしの護衛を止めたがっている…って言う話を聞いて、それで…
どうしてもその前に、アルトに会いたくなったの。あたしが無理を言ってミシェルを困らせたのよ。
だから後でミシェルを責めたりしないで」
そう云ってシェリルはゆっくりと俺の方へと歩み寄って来た。
その動きに揺れる空気が、彼女の甘い匂いを運んで俺の鼻腔を微かに擽る。
その匂いに、また夢の記憶を呼び覚まされそうで―――…俺はそんなシェリルからそっと視線を逸らした。
何気なく行ったその仕草に、シェリルが一瞬息を呑むのが分かる。
それでも其処で怯む事無く、俺の前まで歩み寄ってきたシェリルは、その蒼い瞳で俺の顔を覗き込んだ。
「ねぇアルト、あんたが本当にあたしの護衛を嫌だって言うのなら…仕方が無いと思ってるのよ。
でも、このままじゃ嫌だわ。どうして?どうして急にミハエルに交代して欲しいなんて言うの?
あたし…あなたに何かしたかしら…?」
でも残念だけど心当たりが無いのよ…と、哀しげな声色で俺に問いかけるシェリルが微かに顔を伏せる。
そう…シェリルには心当たりなんて無いだろう。それは当然の事なのだ。
彼女には何の非もなくて…問題があるのは、一方的に俺の方なのだから。
だからこそシェリルの疑問は当然の事だろうし、彼女が納得が行かない事も分かる。
そしてその納得が行かない事に対して―――彼女がこうして無茶をしてでも、
俺に逢いに来てくれた事は、やっぱり少しだけ嬉しくもあった。
「別に、お前に何か問題があった訳じゃあない…」
「じゃあどうしてよ?そりゃ、SMSとしては誰を遣しても対して問題は無いのかもしれないけど…
でも、やっぱりこんなの嫌だわ」
「シェリル……」
その声にじわじわと滲み始める、今にも泣き出しそうな気配が伝わって来て、俺の胸を切なく締め付けた。
いっそ全てをぶち撒けてしまいたい。そうして何かが変わるのだとしても…
それでも、今胸の中にあるこのもやもやとした感情をシェリルにぶつけて…気持ちの整理を付けてしまいたい。
そんな気持ちが込み上げてきて、俺の息遣いを詰まらせる。息が苦しい。胸が苦しい。
その重苦しさをシェリルも感じているのだろう。俺が視線を逸らすと彼女も沈黙したまま…。
そのまま室内を重苦しい静寂が包み込んだ。
「ダメよ…やっぱり納得出来ないわ」
「っ…お前が納得出来なくても、俺には俺の事情があるんだよ」
「あんたの事情…って…。それを聞かせてはくれないの?」
「其処まで立ち入る事は、護衛の依頼内容には入ってないんじゃないのか?」
「っ!」
彼女を遠ざけようと発した言葉に、予想通りにシェリルが息を呑む。
このままいっそ俺を嫌いになってくれれば…。そう願っていた俺の顔にシェリルがそっと指を伸ばす。
「そんな―――…!そんな理由で納得しろだなんて…、
せめてこっちを向いてあたしの目を見ながら話してみなさいよ…!」
「っ!触るな…!」
そして伸ばされた細い指先を、殆ど意識せずに身を引いて遠ざける。
自分の行動にハッとして顔を上げると、びくっと怯えた表情のまま、
今にも毀れそうな涙を称えた蒼い瞳と目が合った。その顔に見る間に傷付いた色が広がっていく。
ああ…やっぱりやってしまった、と思った。こんな顔を見たかった訳じゃないのに。
こんな風にシェリルを傷つけて泣かせたかった訳じゃないのに…
結局俺はまた、こうしてシェリルを泣かせてしまう。
「…きな子、が…」
「え?」
「好きな子でも…出来た…?」
「な……!」
「だからもう、あたしには触れられたくもないって云う訳…?」
「…」
そして、シェリルの口から続けて紡がれた言葉は俺が想像もしていなかった物だった。
一瞬頭が真っ白になって、彼女が何を言っているのかが分からない。
だが、その沈黙を肯定と誤解したのだろう。さっきから泣き出しそうだった表情に益々傷付いた色を広げて…
それでもシェリルは俺に向かって小さな微笑を浮かべた。彼女が目の前で笑顔を「作った」のが分かる。
「そう…。そうだったの、良かったじゃない」
「あ…ち、違う。そう云う訳じゃ…!」
「良いのよ。分かったから…明日、あたしの方からグレイスに伝えておくわ。
彼女からSMSに連絡して、次からはミシェルに来て貰える様に言うから…」
ちゃんとあんたの失点にはならない様に上手く伝えてあげるから、安心しなさい…と。
そんな言葉を笑顔と共に投げかけながら。おろおろとどう対応すれば良いのかが
分からないままの俺に背を向けて、シェリルがゆっくりとその身を翻す。
「違う!待てよシェリル、お前…!」
どうしてそんな誤解をするんだ、と言いかけてその言葉を呑み込んだ。
そんな誤解をさせたのも俺自身なのだ…と。それすら気付けない程にはまだ自分を見失っていないつもりだった。
「っ…触らないで!」
走り出しそうな彼女を引き止める為に、肩へと伸ばされた俺の腕を、咄嗟にシェリルが跳ね除ける。
その仕草に胸にズキリとした痛みが走った。…そんな痛みを感じてしまった身勝手な自分が本当に嫌になる。
さっき同じ様に彼女に触れられる事を拒んだのは俺の方なのに……。
それなのに、自分が伸ばした手を拒まれた事に傷付くのは、とても自分勝手な事だと…そう強く感じた。
「ごめん…。お前を傷付けるつもりじゃなかった…」
「分かってるわよ…っ、だから良いじゃない。もう明日からは…」
「だから違う、違うんだシェリル」
「もう良いって言ってるじゃない!」
そのまま立ち去ろうとするシェリルの肩に、もう一度手を伸ばす。
その手を振り払おうとシェリルが大きく腕を上げた所で…そのままぐらりと体が傾いた。
「きゃ…」
「あぶない…っ」
バランスを取り損なって傾いてしまったシェリルの体。
咄嗟に細い腰を抱え込んで支えようとするが、上手く受け止めきる事が出来ない。
せめて床は避ける様にと重心を取って、その隣にある自分のベッドの上へと二人してふわりと倒れこんだ。
「っ…び、ビックリした…」
「バカ!本当に何やってるんだ!倒れこんで怪我でもしたら大変だろ!?」
驚きの後に込み上げてきた安堵から、思わず荒い声が漏れる。
その声にびくりと肩を竦ませたシェリルの怯えた瞳に…ぎりぎりまで近付いた俺の顔が映り込んでいた……。
「―――っ!!」
昨夜まで見ていた夢と同じ様なシチュエーション。俺の部屋のベッドの上で…。
気付けばすぐ其処に彼女の蒼い瞳とふっくらとした唇があって…。
息を吸い込む度に甘い匂いが胸を満たして、喉元に柔らかなシェリルの吐息が掛かる。
その距離の近さに、シェリルも気付いたのだろう。
くらくらとする意識をかき集めながら見つめる俺の瞳にも、少し戸惑った様なシェリルの姿が映っていた。
暫くお互いにどうする事も出来ない様に…視線と視線を絡み合わせる……。
くらくらとする様なシェリルの匂い。触れ合った部分からは、夢には無いリアルな彼女の温もりが伝わって来る。
(そうだ…あの、夢の中の様に……)
唇に唇を重ねたい。白い肌の至る所に赤い証を刻みたい。
指先を這わせてその柔らかさを確かめたい…
誰も知らない大切な場所を吸い解したい…その中に自分を埋めたい……
「あ…アルト…?」
「―――ぁ…」
知らずに乱れる俺の息遣いに気付いたのだろう。シェリルが緊張に掠れた声で、戸惑った様に俺の名前を呼んだ。
その声に理性を引き戻されて、彼女の顔を覗き込むとそこには何処か怯えた様な表情があった。
ああ、そうだ…と。その顔を見て漸く気付く。俺は彼女のこんな顔を見たい訳じゃない。
昨日の様に痛みを堪える表情でも、今日この部屋を訪れた時の辛そうな表情でもない。あの時に。
アイランド3で過ごした時間や、護衛として傍に居る期間に見た様な…嬉しそうな笑顔を見ていたいんだ。
そうだ―――…。欲しいのは、彼女の体じゃない。ただ彼女の笑顔を、誰よりも近くで見ていたい…。
そうして何時だって傍にいられる事を許されたい。ただ、それだけの事なんだ。
今更気付いたその事に苦笑しながら、俺は彼女から体を離す。
それからゆっくりと手を差し伸べて、同じ様に倒れ込んでいたシェリルを起こしてやった。
「安心しろよ」
「え?」
「俺はお前の護衛を止めたりしない。明日からはちゃんとミシェルじゃなくて俺がお前の護衛に着くから」
「だって……」
自然と毀れた笑みを浮かべながらシェリルに告げると、
それでも何処か戸惑った様な申し訳なさそうな色を滲ませて彼女が応じる。
声色に混ざる…困惑と期待。それを察した俺は、彼女を安心させる為にも、
普段通りの苦笑を浮かべてひらひらと目の前で手を振った。
お前は誤解しているだけだから気にするな…と云う意図を持って繰り返されてきた仕草。
「だから勘違いだって言ってるだろう。別に…す、好きな子が出来たとか、
そう云う理由で護衛を止めようと思った訳じゃない」
「本当に…?」
「ああ」
「その理由は教えて貰えないの?」
「……ああ」
―――そう、その理由は恐らくシェリルには永遠に言えない。
だが、それでも普段通りの俺の態度に、漸く得心が行ったのだろう。
困った様に眉を潜めて、それでもシェリルは心底嬉しそうな笑顔を、俺に見せてくれた。
じわり…と。曇り続けていた空から光が差し込む様に、温かな幸福感が胸を満たして行くのが分かった。
そのまま、グレイスさんにナイショで抜け出して来たというシェリルを滞在しているホテルまで送る。
恐らく戻ればこっ酷く叱られる事になるのだろう。
子供の様にはらはらとした表情を見せるシェリルに「俺も一緒に謝ってやるよ」と口にすると、
その小さな手を強引に引いて、俺はSMSを抜け出した。
柔らかくてほっそりとしたシェリルの掌。
繋いだ手から伝わる温もりが幸せだ…と、素直にそう思う事が出来た。
―――それから、様々な事があって。
この時に感じていたシェリルへの気持ちが、一体何だったのかを自覚したのは、
彼女を失った後になってからだった。薄いヴェールの様な夜闇の中で、そっと自分の掌を見つめる。
指先に今も残っている気がする…あの時に触れ合った掌の感触。
そして何度も伸ばして必死に繋ぎ止めようとしても繋げなかった…指先の感触。
この手に触れるシェリルの温もりを失った時に、俺は強烈に自覚したのだ。
ああ…これが恋なんだと。一人の人間として人を、異性を愛すると言う事なのかと。
夢に見る程彼女に焦がれて焦がれて仕方なかったのは…
もうあの時に、自分はシェリルに恋をしていたからなんだろう。
そう自覚すると、ふっと唇に苦い笑みが浮かぶ。
この時の俺は、きっとそんな事にも気付けない位にガキだったんだろうな…と。
「…なにをさっきから一人で百面相してるのよ?」
「うん?なんだ、起きてたのか」
そして、そんな俺の動きに目を醒ましてしまったのだろうか?
胸元を擽っていたストロベリーブロンドがふわりと揺れて、
柔らかな体を俺に重ね合わせたまま眠っていたシェリルがくすくすと可愛い笑い声をあげた。
小首を傾げる様にして此方を覗き込んで来る蒼い瞳には、何処か悪戯な光が浮かんでいる。
「だって…さっきからアルトが声を出して笑ってみたり眉間にしわを寄せてみたりして可笑しいんだもの。
なぁに?変な夢でも見たの?えっちな夢?」
「ばっ…!ち、違う!…少し昔の事を思い出していただけだ」
「―――むかし?」
「ああ…」
ある意味では「的を得た」発言に、後ろめたさを隠してわざと声を荒げて応える。
そんな俺の態度を特に疑問に思うでもなく、シェリルはきょとんとした表情で不思議そうにその小首を傾げた。
子供の様に無防備な表情。俺の事を心から信頼して、その心と体を委ねてくれているのだろう。
一つに結ばれて解け合った幸福に満たされて、穏やかに此方を見上げてくるシェリルの姿に、
俺の胸にもじわりと染み込む様な幸せが込み上げて来る。
「何でもないんだよ…。ただ…さ」
「ただ?」
「やっぱり…ただ手を繋ぐよりも、お前にこう出来る方が幸せだな…って思ったんだ」
「えっ?ちょ、やだアルト!な、何を…ん、んふ…」
そして、その幸福感に背中を押される様にして、俺はシェリルの温かな唇を奪った。
すかさず舌先を滑り込ませながら体を反転させて…既に寝乱れたシーツへと彼女を押し倒す。
驚いたシェリルが俺の腕の中でむきになって抵抗するのが分かったが、抱きしめた腕の力を緩める気は無かった。
そのまま…舌で舌を絡め取りながら、掌と指先で滑らかな肌を伝っていく。
「あんっ…もう……アルト…っ!」
「シェリル、良いな…?」
「ばか……」
『良いか』じゃなく敢えて『良いな』と聞いた言葉に、シェリルは一瞬だけぷぅっと膨れながら、
それでもすぐに首筋へと細い腕を絡ませて来てくれた。
そのまま彼女の指先が俺の髪の毛をさらりと玩ぶ。伝わる温もり。鼻腔を満たす甘い匂い。
全身に伝わるシェリルの存在に次第に溺れて行く自分が分かってしまう……
ああ…やっぱり、こっちの方が良いよな…?と。
夢では感じられない、手を繋ぐだけじゃ分からない好きな女の子の感触に全身を包まれながら。
俺は今夜もシェリルと一つになれる喜びに改めて溺れて行ったのだった。
…以上になります。一応以前表に書いた2分59秒のSSと同じ微妙にヘタレなアルトさんです。
少しでもアルト誕生日のお祝いになります様に。表で教えてくださった方、此方で支援してくださった方。
本当に本当に有難うございました。凄く嬉しくて有り難かったです。
最終更新:2011年07月27日 10:19