カツン・カツンとヒールの音を響かせながら歩く。
窓の外に見える空はいくつもの紺色の布を重ねたようなグラデーションを作り上げ、星が瞬く。
いつもよりその色が明るく見えるのは、廊下の照明が極力落とされているからだろうか?
ぼんやりとそんなことを考えながら、シェリルは極力電源の落とされた廊下を転ばぬように気をつけながらゆっくりと歩いた。
時刻は23時を少し回ったくらい。
普段ならとっくに帰宅をしている時刻だ。
どうしてそんな時間にシェリルが社内にいるかといえば、その理由は簡単なものだった。
単に"忘れ物"を取りにきたのだ。
薄暗い廊下を歩きながら、シェリルは小さく唇を噛む。
普段ならば絶対にしないミスは、シェリルを少し不機嫌にしていた。
一直線に自室まで歩き、自分専用の机へと近寄る。
思ったとおり、愛用の携帯は机の上に置かれっぱなしになっていた。
とりあえず、無事に見つかったことにほっと安堵すると、シェリルはクルリと身を返す。
鍵をかけ、出口へ向かおうとした瞬間、何かをその瞳の端に捉えた。
よくよく見ると、廊下の先がぼんやりと明るくなっている。
まだ、誰か残っているのだろうかと不思議に思ったシェリルは迷うことなくその足を進めた。
「なんだ。アルトじゃない。」
「うわぁぁあぁぁ!!って、シェリルかよ・・・驚かすなよな」
見覚えのある後姿に、思わず声をかけると目の前の人物が飛び上がった。
別に気配を消して歩いたわけでもないのに、気付かなかったということは本当に集中していたのだ。
変わらないことを嬉しく思いつつも、シェリルは表情を崩さない。
にこりともせずに、淡々と言葉を続けた。
「あら、ずいぶんな言いようね?何?残業?」
「あぁ、まあな。・・・週明けにプレゼンあるからどうしても今日中に終わらしたいんだよ。」
「ふ〜ん。じゃあ、まだやるの?」
「あと1時間ぐらいで終わるしな。」
シェリルから目を離し、再び端末を操りだすアルトとくるくると変わる画面を静かに見つめながらシェリルが問うと、アルトが端末に目を向けたまま答える。
キーボードを打ち続ける手が止まり、机の上に置かれた缶コーヒーを掴むとすぐにまた離れる。
そしてそのまま興味を失ったように見えた。
きっと、面倒に思えたのだろう。
そう確信したシェリルはくすりと笑った。
「ちょっと待ってなさい。」
「ん?」
「コーヒー淹れてきてあげるって言ってんの!!」
「えっ、あぁ・・・悪いな。って、お前が優しいのも変だな・・・」
よほどびっくりしたのか、まんまるの目がシェリルを見つめる。
その反応にシェリルの肩眉がピクリッと震えた。
唇を少しだけ尖らせ、冷ややかな視線を送ってやると、途端にアルトがしまったというような顔をする。
「何?欲しくないわけ?」
「あっ、いや・・・ただ、珍しいなっと・・」
「めったにしないんだから、ありがたがりなさい?」
「はいはい。」
慌てて取り繕うアルトにそういってやると、アルトが少しだけ笑った。
少しだけ与えられた対価が徐々にシェリルにも感染する。
口角が上がるのを見られないようにくるりと後ろを向いたシェリルの心に、懐かしく、優しい感情が満ちた。
*******
自室の鍵を開け、部屋の電気を点けると、シェリルは手早く袖をまくる。
そして、使う道具を棚から次々に取り出した。
ドリッパーとポット、カップにお湯をはり、温めている間に豆をミルで挽く。
少し荒めに挽いてフィルターをドリッパーにはめてから、ゆっくりとお湯を注いだ。
数十秒の蒸らし時間を置いて、またゆっくりとお湯を注いでいくと、コーヒーのいい匂いが部屋中に広がる。
その匂いにうまくいったことを実感し、満足そうに笑いながらシェリルは温めていたカップへと手を伸ばした。
温めていたカップのお湯を捨てて、コーヒーを注ぐと、使った食器類を軽く水ですすぎ、洗浄機へと放り込む。
片付けをあっという間に済ませると、シェリルはコーヒーを乗せたトレーを持って、再び部屋を出た。
*******
「懐かしいよな。」
「・・・そうね。3年前かしら?」
「だな。」
淹れてもらったコーヒーをおいしそうに飲みながらアルトがそう言うとシェリルが静かに同意する。
入社したときのことはついこの間のことのように思い出せるのに、あれからずいぶんと時間が経っているのだ。
そう思うと、ひどく懐かしかった。
「覚えてるか?一番最初にやった花見」
「忘れるわけないでしょ?あんなにタイヘンだったんだから」
「だよな〜」
「・・・・ほんと、懐かしい。」
入社して始めて任された仕事は会社の年行事の幹事を新入社員全員でやることだった。
ついこの間まで学生をやっていた人間からすれば、未知なことばかりだったから、経験のあるものやリーダーシップを取れそうなものが必然的にまとめ役をやらされることになる。
そして、その対象となったのがアルトとシェリルそしてミシェルだった。
アルトは実家の関係で、大所帯を取り仕切ることには慣れていたし、シェリルもコンサートなどで人を動かすことには長けていた。
ミシェルは対人関係が広かったから、飲食物の手配や小道具などの受注を全般的に取り扱ってくれた。
人材的には最高の3人だった。
けれど、それが災いした。
いつの間にかこの3人に任せていれば大丈夫だと思い込んだ同期の連中は、雑用のみをこなすようになり表立った仕事にはあまり関りたがらなくなったのだ。
渋る仲間を懸命に説き伏せつつ、通常の業務を行い、さらに花見の準備をするというハードスケジュールを入社したばかりの新人がこなせるはずもなく、連日連夜、会社に残って話し合いを繰り広げることになっていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
二人の間に静かな沈黙が降りる。
穏やかな視線と視線がぶつかると、二人同時に苦笑した。
両手で抱え込むようにして持っていたカップを机に置くと、長い髪に手をやり、ゆっくりと耳横へかける。
その様子をじっと見つめるアルトにシェリルが笑った。
「何?」
「いや、お前のふわふわだよな。」
「まぁね。でも、アンタのもまっすぐで綺麗じゃない。」
「まぁな。母さん譲りだから・・・・」
「そう。・・・でも、本当に綺麗よね」
右手で頬杖をするシェリルが左手を伸ばすと、すぐにさらさらとした感触が手に触れた。
一房取って手から少しずつ流すと、軽やかな音を立て、滑り落ちてゆく。
その様子が、純粋に美しいと思った。
「・・・キレイ」
そう言って微笑み、ふと、顔を上げると目の前にアルトまっすぐな視線とぶつかる。
不思議な沈黙が落ちたと思ったら、何かが唇に触れていた。
かすかに余韻として残るコーヒーの香り。
重なったのはほんの数秒だった。
「・・・・何?」
「・・・悪、かった・・・」
零れた言葉は疑問だった。
通常ならばされた行為に怒るところなのに、怒りは生まれなかった。
感触は確かに身近に感じたのに、ひどく遠いことのように思えた。
うまくこころが繋がっていないような気がした。
「どうして謝るの?」
次いで出た言葉はまた疑問。
でも、答えたアルトもよく、自分の感情を理解できていないようだった。
「いや、急にそんなことして悪かったっ・・・」
「別に、イヤじゃなかったわよ?」
アレ?っと思った。
何を言っているのだと思った。
それくらいするりと出た答えはシェリルにとって意外なものだった。
けれど、それは同じくらい本当のことだった。
「んっ・・・・」
答えが返って来ない代わりにもう一度唇が重なる。
両頬が大きな手に包まれ、ほんの少しだけ少し引かれる。
少しだけ舌に苦い感触が走ったけれど、それは二人が離れる理由にはならない。
二度目の口付けは、先ほどより少しだけ長かった。
「ね・・・っん」
頬に添えられていた手が優しく髪を梳き、手が頭を撫ぜながら後ろへと移動する。
次第に深くなる口付けに、シェリルはゆっくりと溺れていった。
舌を絡ませるとジンッと身体の芯が痺れる。
くちゅりと音を立てる唾液を飲み込むと、もっと、もっとというようにアルトの舌が中へと押し入ってくる。
ぼんやりとする思考と同じで、抜けていく力をどうすることもできず、シェリルがアルトの肩辺りにあるシャツを掴む。
少しだけ冷たいその感覚がとても気持ちよかった。
頭に触れているのとは違う手が優しく身体を抱きこむと、もう片方の手が離れる。
重ねた唇は離さぬまま、器用な手つきでシャツのボタンを外される。
一つ外れる度に突っ張る布の感触は現実のものなのに、なんだか信じられなくて不思議に思えた。
やがて、アルトの唇がシェリルの唇を開放すると、そのまま首筋を辿って胸元へと降りてきた。
下着から覗く部分の柔らかい肉を吸い上げられると、小さな痛みが走る。
目を開いて見て見ると、赤いうっ血の痕が見えた。
「ヤバイ・・・な。」
「?」
「止まれそうにない」
アルトの言葉にシェリルが小首を傾げると、アルトが苦く笑った。
けれど、そういうアルトの頬は淡く染まり、瞳には熱に浮かされたような色が宿る。
その瞳が切なそうに歪められるのが見えた瞬間、シェリルはそっとアルトの両頬を覆うと、自ら口付けた。
もちろん、そんなことをすればその後どういうことになるのか分かっていた。
それでも嫌だというような感情は浮かんでこなかった。
「ねぇ・・・スキ、よ?」
「!!・・・っ・・はん、そくッ・・・・」
顔を歪めてそう言うアルトに腕を引かれたと思ったら、そこは腕の中だった。
膝の上に座らされ、苦しいほどに抱きしめられて、少し息が詰まった。
「なぁ、もう一度。」
「何を?」
「キス。」
甘えるように言われるの可笑しくて、でも、そう言うアルトが可愛くてたまらない。
戯れるように軽いキスを送れば、不満そうな顔で軟く唇を噛まれた。
音を立てたバードキスを繰り返す。
一つ鳴る度に、心の中で何かが弾けて心に満ちた。
肌の上を滑る唇の熱い感触。
かかる吐息がくすぐったい。
けれど、優しいソレとは別で下着を押し上げる手は少し乱暴だった。
「あッ・・・・ふっ・・」
先端にキスをされて僅かに身体が跳ねると、いたずらっ子のような瞳が下から自分を見上げていた。
先ほどとは違う濡れた感触が熱を上げていく。
触れられてるところが、熱くて、でも、それが心地よくて、離れがたい。
もっと、もっとアルトに触れてほしかった。
大きな手が乳房を抱き、やわやわと揉む。
時々先端を甘く噛まれ、舐められ、吸い上げられる。
ピクンッ、ピクンッと勝手に身体が震えた。
優しい愛撫は時々腹を擽ってはまた首筋を緩やかになぞった。
身体を抱いたままの左手の代わりに、右手がスカートの中へと入ってくる。
下着の上から秘部を2,3度撫でられ、再び、身体が震えた。
隙間から押し入ってきた指が触れると、濡れた感触がシェリルに伝わる。
自分がどれほどアルトを求めていたのかを実感させられる。
先ほど見つめたアルトの瞳と同じような色を自分もしているのだと思うと、一気に熱が上がった。
「あっ、あっ、あッ・・・・・っん―――」
下着の下へ潜り込んだ指がひだを擦り上げて熱を煽る。
擽られる度に声が漏れ、身体は勝手に震えた。
身体が熱くてたまらなくて、でも、駆け巡るなんとも形容しがたい気持ちよさにもっと、もっとと貪欲になる。
強請るように唇を合わせれば、すぐに舌が絡んだ。
入り口で遊んでいた指がぐっと中に入ってくる。
咄嗟に息をつめてその感触を押し込めていると、強張った背中をアルトがゆっくりと撫でてくれた。
ぎゅっと閉じていた目を開くと、少し視界が滲んでいた。
「痛かったか?」っと目で問うアルトに笑い、ゆるく首を振るとほっとしたように笑う。
つられて笑った瞬間、埋められた指が動き出した。
「アッ・・・・はっ・・ん・・・ぁ・・」
指がナカを動き回る。
動く手つきは優しいけれど、"触れてくれない"ことを思うと、少し意地が悪い。
熱い息を宙に向かって吐いた後で、アルトを見下ろすと、やっぱり口の端が上がっていた。
途端に憎らしくなる。
頬を摘んでやりたい衝動にも駆られたけれど、結局シェリルはそうしなかった。
代わりに自分が知っている一番艶やかなキスで迫った。
「・・ッ・・バッ、か・・野郎っ・・」
甘い余韻をたっぷり含ませた後で、開放してやるとそう言われた。
熱に浮かされ、欲望に翻弄され、本能に押され、頭がはちきれそうになる。
けれど、それもアルトと一緒だった。
アルトが指を抜くと、愛液に塗れたソレが淫乱な光を返す。
ソレを正視できるはずもなく、アルトの肩に額を当てて目を閉じていると、少しだけ焦ったようなカチャカチャと金属がぶつかる音と"引きおろされる"音がした。
目を開いて、静かに見つめあう。
どちらからともなく唇を合わせるとシェリルはそっと膝で立つ。
イスにそんなにスペースがあるはずもなかったから、ちょっとだけ怖かった。
「ん・・・・あぁっ・・・・・は、ぁっ・・・」
埋まっていく感覚に身体が震える。
ゾクゾクとする波が背筋をなぞり、肌が粟立ちそうになる。
音叉の音が空間に響いていくように、幾重にもなる快楽の粒子が身体の隅々にまで広がっていく。
最高に気持ちがよかった。
「あっ・・・・アル・・ト・・」
耳を擽る甘い声にまた別のジンッとした感覚が走る。
もっともっと、聞きたいと思わせる声だ。
もっともっと、強請らせたいと思わせる声だ。
快楽の波に翻弄される顔が見たくて、その時に零れそうになるくらいまで潤む瞳が見たくてたまらなくなった。
「・・・動くぞ?」
短くそう言うなり、腰を突き上げる。
ヒュッと小さく喉がなったのが聞こえた。
トン・トン・トンっとリズム良く突き上げてやると、イヤイヤとシェリルが緩く頭を揺らす。
瞳の端に映るストロベリーブロンドの髪の先が連なって揺れるのがなんだか無性に愛しくて可愛かった。
「あっ、あっ、あっ・・・ん・・・」
肩に必死にすがってくるシェリルの片腕で抱きしめながらなおもアルトは突き上げる。
抱きしめる腕は優しいのだけど、逃がさないと言われているような気もした。
与えられる全てを受け止め、極限までこの腕の中で乱れろといわれているようなそんな感じがした。
アルト自身も徐々に蕩けていく思考を引きとめようと必死だった。
次第に何も考えられなくなっていくことが、シェリルと行為に溺れていくことが少しだけ怖く思えて、必死に抗いはしたのだけれど誘う声の艶やかさは、すぐにアルトを攫う。
突く度に漏れてくる嬌声と香る髪と肌の匂いそして何よりアルト自身に絡みついてくる内壁がアルトを更なる高みへと率いて行く。
それに追いすがろうと、アルトは必死にナカを穿った。
回数を重ねるたびに強さを増していく突き上げ
繋がった部分は、二人分の愛液で濡れそぼる。
それが潤滑剤となり、二人をさらに深い場所で繋げようと奥へ奥へと誘った。
「あ・・・・ぁ、あぁ・・・ッ―――」
シェリルの下肢が打ち震える。
弾け散ってしまいそうな思考をいっそのこと自分で飛ばしてみたいとも思った。
分かっているくせにこの時間を少しでも延ばしたいのかアルトはソコを攻めない。
何か言ってやりたいのに、何もいえなくて、言葉さえ浮かばなかった。
浮かぶ言葉は全て解放を懇願するものだった。
「アルッ・・・・・もっ・・・おね、・がぁ・い・」
切れ切れになりながらそう言った。
滲む涙をアルトのシャツが吸い取る。
背中に回した手で、アルトシャツの裾を何度も引く。
きっと、背中はぐちゃぐちゃになっているだろう。
そう思ったら、少し困った顔のアルトがまぶたの裏に浮かんだ。
それを可愛いと思った瞬間、アルトが内を擦り上げ最奥へと入り込む。
そして、熱塊を弾けさせた。
トクトクトクと注がれる懐かしい感覚にシェリルの意識がすぅっと引っ張られる。
浜に寄せた波が砂をいくつか握って帰っていくようなそんな穏やかな感覚で、シェリルも螺旋を上り詰めた。
ふわふわという不思議な浮遊感から、現実に引き戻してくれたのはすぐ側で聞こえた荒い息。
すぐに身体を起こすべきだと思ったけれど、もう少しだけこの腕の中に、記憶の中と同じ腕に抱かれていたかった。
「ねっ、覚えてる?」
「・・・昔のこと・・か?」
「うん。」
小さい、耳に届くか届かないかくらいの声で囁く。
それはシェリルにとっての賭けだった。
もし、アルトが答えてくれないのならば、自分も忘れたふりをしてしまおうと思っていた。
愛しさに満ちていた心が、少しだけ苦しくなる。
ずっと奥底に沈めていた記憶。
もう忘れたのだと思っていた。
関係ないと思っていた。
友達として付き合えると思っていた。
けれど、現実は違った。
途中まではうまくいっていたのに。
気まぐれにコーヒーを出したりしなければ、思い出したり、こんなに感傷的な気分にならずにすんだのに。
急に心が苦しくなって涙が溢れそうになっていることに、シェリルは泣き出しそうになった。
堪えてみるけれど目頭は熱くなるばかりで止まってはくれない。
一度歪みだした視界はその景色を滲ませるばかりで、透明な世界には戻ってくれなかった。
「・・・シェリル?」
優しい、気遣うような声。
アルトのことだから、気付いたりしないと思っていたのに。
そう思った瞬間、シェリルは小さく笑った。
自分が知っているアルトは3年前のアルトだ。
知らないことがたくさんあって当たり前なのだ。
変わっていて当たり前なのだ。
"あの子"がきっと変えたのだから。
肩に顔を埋めたまま、言葉を紡げなくなったシェリルの脳裏に可愛らしい女の子の笑顔が浮かぶ。
そばにいるだけで安らげる女の子。
いつも側にいてくれる笑顔のやさしい女の子。
アルトが選んでしまうのも分かる。
たった数週間、一緒に仕事をしただけだ。
身体を重ねたのも数えるほどしかない。
付き合おうとも、愛してるとも言われていない。
自分が勝手に舞い上がっただけだ。
だからアルトを問い詰めたりする理由など、ありはしないのだ。
何度も、何度もそう繰り返した。
何度も、何度もそう自分に言い聞かせてきた。
でも、ダメだった。
どんなに理由をつけても忘れられなくて、思い出も気持ちも色あせてはくれなかった。
ずっと、ずっと同じだった。
「・・・・ね・・・すき・・・すき、なの・・」
この期に及んで何をいうのだろう?
自分はどうしてアルトを縛る言葉しか紡げないのだろう?
それが悔しくて悔しくてたまらない。
心は思い通りに動いてくれなかった。
ずっとずっと閉じ込めてきていた想いは簡単にその堰を壊していった。
「・・・・・・俺、も・・・だ。」
静かな、静かな沈黙の後に聞こえた言葉。
一瞬夢か現実か分からなくなったシェリルは、優しく背中を撫ぜてくれた手にそれが幻想でないことを教えられた。
「・・・え?」
「えって、言うなよ。・・・俺だって、・・同じ、だ。」
「でも・・アルト・・・えっ?あの子・・は?」
「・・・はぁ?って、お前こそアイツは?」
「アイツ?」
噛みあわない会話。
慌ててシェリルが顔を上げると、少し気まずそうな顔をしたアルトが見えた。
じっと見つめるシェリルの視線に耐え切れなくなったのか、すぐに視線を床へとそらすと、アルトがゆっくりと口を開いた。
「だから・・その、雑誌で・・・」
「・・・・・えっ?」
「お前が男と手繋いで載ってたヤツだよ!!」
「あっ・・えっ?!アレは、他の事務所が仕掛けたゴシップ・・・って訂正が・・」
「なっ?!・・・えっ・・じゃあ・・」
「なんでもないわよ。」
「・・・・マジかよ」
シェリルの言葉にアルトから気の抜けたような声が答えた。
力が抜けたのかへなへなとしながらアルトの頭がシェリルの胸元へと被さる。
ちょうど先ほどと逆になる。
その頭をシェリルはおそるおそる抱いた。
「・・・アルト?」
「・・・振られたんだと思ってた。」
「えっ?!」
「あんな記事出たのにお前何も言わないし、連絡つかないし・・・思い出してみれば付き合うとかの話もなかったし・・・だから、振られたんだと思ってた・・・・」
「だって、訂正すぐに入れたし、アルトがあんな週刊誌のゴシップ読んでるなんて思わなかったし・・・」
「たしかにな。アレ、同じ部署の奴らが見つけて見せてきたんだよ。」
だんだんと小さくなるアルトの声にシェリルが慌てる。
「・・・・・でも、アルトだって・・・女の子・・・」
「ソレ、いつ?」
「3年前・・」
「あぁ・・。アレは新年会の段取りを教えてたんだよ。分かるの俺かお前か、ミシェルしかいないのに、お前コンサートでいなかったし、ミシェルとは・・・会いたくなかったらしい・・・その、・・・な。だから、俺のとこに聞きに来てたんだよ。」
「でもあんなに遅くに・・・」
「俺たちもやっただろ?連日連夜・・・」
「・・・・・」
思いもよらないアルトの言葉にシェリルが息を呑んだ。
「勘違い、だった・・の?」
「どうやら・・・な。」
おそるおそる言葉を紡ぐシェリルにアルトが苦々しく息を吐く。
あまりのあっけなさに、シェリルの身体からも力が一気に抜けていった。
「・・・・バカ、ね。私たち・・・」
「だな。・・・2年近く勘違いかよ・・ほんっと、バカ。」
笑ったのはどちらからだっただろうか。
可笑しそうに笑っていた声はだんだん小さくなり、それは次第に涙へと変わっていった。
バカという以外にどういえばよかったのだろう。
会おうと思えば会える。そんな距離にいながら、怖くて会うことができなかった。
終わったのだと告げられることが怖くて、どうしてもあの廊下の先に行くことができなかった。
どちらかがもう少しはやく勇気をだしていたならば、もっと早くに自分たちの勘違いに気付けたのに。
「あぁ・・・もうっ・・・あんなに近くにいたのにね。」
「ほんと、たった数メートルのとこにいたんだよな。」
「バカね。」
「バカだな。」
零れる涙は止まらない。
笑っても涙は次から次へとぽろぽろ零れていった。
幾筋にもなるその後をアルトが何度も何度も優しく拭う。
視界が滲んでよくは見えなかったけれど、アルトの目も少し潤んでいたように思えた。
「なぁ、シェリル。」
「何?」
「・・俺と、付き合ってくれないか?」
「・・・しょうがないわね、付き合ったげる・・・・・バカ同士だもの」
答えるシェリルの言葉にも苦笑が混ざる。
まだ目に涙を浮かべるシェリルの唇をアルトはそっと啄ばんだ。
甘い、甘いバードキス。
3年越しの告白がこの日ようやく実を結んだ。
END