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Start Ball Run-27 - (2007/11/25 (日) 22:35:54) の最新版との変更点

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話は二日前に遡る。 才人が魔法学院の生徒に追い掛け回され、ルイズが行った錬金の魔法が成功したと思われたその日――、学院長室と呼ばれる部屋で、誰かと誰かが話す声がした。 一人はこの魔法学院の学院長を務めるオールド・オスマンと呼ばれる老齢の大魔道士。 そして彼と、机を挟んで会話をする、一人の男。その姿は静かに、かつ毅然とした態度でオスマンと対峙していた。 「……王宮も、余程暇と見える。こんな内容に勅使をよこすとはのう」 オスマンは勅使として来た男の持っていた文書を受け取ると、ちらと眺めただけで、ひらひらと紙を振る。 「オールド・オスマン、内容がどうであれ、公文書をそのように扱ってもらっては困ります」 男は変わらずの直立姿勢で、オスマンの態度を諌める。 「……ふむ。“最近トリステイン城下を荒らしまわる怪盗あり。土くれと仇名されし盗賊に注意されよ”  ここをどこだと思っておるんじゃ」 オスマンが不満を隠さずに言う。 「仰るとおりです。ですが」 男はそれでも、然として姿勢を崩さない。 「わかっとるよ。注意は怠らんわい。……じゃがの。いくら世紀の大怪盗だろうが、貴族だらけの魔法学院にくる度胸があるかの。虎穴より恐ろしい場所じゃぞ、ここは」 「そのように考えた貴族は多いのです。貴族に牙を向く愚か者、身の程を知れと。……ですが結果として屋敷に侵入され、賊に財宝を奪われた者が後を絶えません」 メイジを敵に回すことの恐ろしさを、二人は良く知っている。それゆえにオスマンはメイジを敵に回す怪盗のことが信じられず、男はメイジを手玉にとる怪盗を恐れているかのような口ぶりだった。 「貴公のご忠告はよく賜った。痛み入るのう。……用件は以上かね」 オスマンはゆっくりと目を瞑ると、文書を机にしまった。 「いえ。実はもう一つございまして……」 勅使がさらに畏まって口を開こうとしたとき。 「失礼します」 学院長室のドアがコツ、コツと二回叩かれる。 ミス・ロングビルが、紅茶のポットとカップをトレイに載せて、部屋に入ってきた。 「おお、すまんの。ミス・ロングビル。それじゃ二人分、注いでくれんかのう」 「かしこまりました」 ミス・ロングビルが芳しい香りの紅茶を静かに注いでいく。 勅使の男も、ソファに腰を下ろし、彼女の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。 「すまんがミス・ロングビル。外してくれんか?」 深々と頭を下げたロングビルが、静かにドアを閉めて出て行くと、オスマンの表情はまた険しいものになった。 「さて、そのもう一つとは」 「美しい女性ですな。さすがはオールド・オスマン。見る目が違う」 真面目に聞いてやろうとしたのに、今度は勅使のほうがはぐらかしたので、オスマンの皺はますます深くなった。 「おぬし」 「いえ、申し訳ありません。美しい女性の姿はどうしても追ってしまいますので」 一口だけ飲んだ紅茶をテーブルに置くと、男は立ち上がる。 「アルビオンの情勢が、思わしくありません」 遠く窓の向こうを見るように、男は言った。 「あの国の内乱は末期か……。王家が潰れれば、また国を巻き込んで戦争が起こるのう」 曇った表情で、オスマンはまた一口、紅茶を含む。 「そうなれば国中の貴族が総力を挙げ、戦争に立ち向かわなければなりません。王宮貴族の一派はすでに、その準備を進めています」 その際には、と男は続けるが、オスマンがその先を口にする。 「この魔法学院も戦争に加われと、王宮の御達しかの?」 「場合によっては……ですが。王宮内に、そのような意見が犇いているのも、事実です」 ふむぅ、とオスマンは唸るように息を吐いた。 「そうならんことを、祈るだけじゃのう」 それは、老人の本音だったのだろう。 「王宮からの言づては、これで以上です」 男は窓に寄り、外の景色を眺めた。 「ところで、オールド・オスマン。ここからは、私個人のお願いなのですが」 窓の景色から目を離さず、男は言う。 「……なんじゃ。これ以上暗い話題じゃないじゃろうな」 彼は口元に笑みを浮かべながら、老人に言う。 「さすがは天下に名だたるトリステイン魔法学院。野に咲く花すら美しい」 オスマンは黙ったまま、彼をじっと見据えた。 「私の屋敷の女中が一人、行方知れずになりましてね。一人減っただけなのですが、これがどうにも不便で仕方がない。そこで、貴族の給仕に長けた学院のメイドを一人、私の屋敷に招き入れたいのですよ」 いかがでしょう? と彼は臆面も無く尋ねる。 「おぬし……」 男の突然の申し入れに、オスマンは訝しむ。 「モットです」 私の名前は、モットと申します。と、王宮の勅使――モット伯は、笑みを浮かべるのであった。 「……ん。んっ~~~~~~! あーよく寝た」 背伸びしながら大きく息を吸い込んで、まだ残る僅かな眠気を吹き飛ばす。 ルイズ達と庭先で派手な火遊びをやらかしたキュルケが、三日ぶりにお目覚めであった。 「あら、やだ……。あたしったらこんな格好して」 毛布一枚にくるまっただけのあられもない姿で彼女は今まで寝ていたのである。 ま、いっか。と彼女は杖を振ると、箪笥やクローゼットから、今日の気分に合った洋服が出てきた。 それをするすると着こなしながら、キュルケは自慢の長い赤髪をそろえていく。 さあ、今日はどんな方法で、彼らを誘惑しようかと考えを練りながら。 突然、くるるる、とお腹が鳴った。三日も何も食べてなかったのだから、仕方ない。 お腹の鳴る音を聞いてしまうと、不思議と何か食べたくなってしまった。 彼らに会う前に食堂に行って、何か作ってもらって小腹でも満たそうと、キュルケはいそいそと部屋を出る。 その時、小さく馬のいななきが聞こえてきた。 窓から外を見ると、遠目からでも分かる桃色の髪と、愛しの想い人達が、馬でどこかに去っていく途中だった。 「え~~。出かけちゃうの~~~~?」 彼女にとっては、これは予想もしていないことだった。 二人がルイズと出かけてしまったら、誘惑のしようが無いのだ。 「……そーねぇ。だったら、追いかけちゃいましょ」 お腹がすいていたことなどもう忘れて、キュルケは駆け足で女子寮の五階を目指す。 友達の助けを借りるために。 虚無の曜日は、この世界に住む者なら誰もが好きな日である。丸一日、自分の好きなことがしていられる日だからだ。 ……最も、平民からすれば一年働き通しという者も少なくないため、本当の意味でこの日を満喫できるのは、貴族だけということになるが。 魔法学院女子寮の五階に部屋を持つタバサは、この虚無の曜日が大好きな一人である。 自分が好きな読書を、一日中続けられるからだ。 そして、他の人間と関わらなくて済むというのも、好きな理由だった。 だが、今日はそのどちらも、破られることになる。 ドアが猛烈な勢いでノックされる。その音がうるさいので、タバサは『サイレント』の魔法をかけた。すると幾ら待ってもドアを開けてくれないことに業を煮やした相手は、『アンロック』を使って強引に部屋に入り込んできた。 普通ならもうここで、『ウィンド・ブレイク』の一つもお見舞いするところだが、入ってきた人間が彼女の友達――キュルケなら、そうはいかない。 こうやって彼女から話されるのは三日ぶりだが、どうやら無事に回復したらしいことを、彼女は自分の目で確認した。 ちなみに、三日前にキュルケを部屋まで連れて行ったのは、タバサとルイズだった。 『レビテーション』をかけるも、三階まで送り届ける力がなかったタバサに代わり、軽くなったキュルケをルイズが背負って運んだのであった。 部屋のベッドを見るなり、ルイズがポイッとキュルケを投げたのはどうかと彼女は思ったが。 さらにどうでもいいことだが、瀕死のギーシュは男二人に部屋まで連れて行かれたが、あとはどうなったか知らない。 あれ以来彼の姿は見ていないので、案外大変なことになっているかもしれない。どうでもいいが。 「タバサ! お願い助けてぇ!」 タバサが手にしていた本を取り上げるなり、キュルケが潤んだ目で懇願してきた。 「……と言うわけなのよ! お願いタバサ! 力を貸して!」 あのルイズの使い魔を追いかけるのに、タバサの使い魔の力が必要だと、キュルケは力説する。 本当は一日本読んで過ごしたいし、なにも自分が助けなくってもよさそうな気がしたが、友達のたっての頼みなので、タバサは断ることはしなかった。 もぞもぞとベッドの上から降りると、部屋の窓に近づく。 その際、キュルケが窓の近くにいたので、 「ちょっとそこ」 と言って、掌を突き出す。 次にピースサイン。 最後は親指と人差し指で丸を作った。 あっけにとられたキュルケが後ろに下がると、開けた窓の向こうに、タバサは口笛を吹いた。 そのまま窓の向こうに身を投げる。 これがタバサの外出の方法だと知っていたので、キュルケも窓枠に足をかけ、飛び降りようとした。そのとき、気付いた。 ……あれ? さっきのタバサのあれって……、もしかして、ギャグ? ちょっとそこ、指4本(し)、指2本(つ)、指で○(れい) ……ってことなの?! 「誰よそんなツマんねーの教えたの!」 そう怒鳴るように言って、キュルケも身を躍らせた。 彼女も背中でしっかりと受け止めたタバサの使い魔――シルフィードが、翼を大きく羽ばたかせる。 彼女達の姿は、すぐさま天空に小さく消えていった。 トリステイン城下町。その一番の大通りと呼ばれているブルドンネ街を、ルイズと使い魔達は歩いていく。 「あ! なあルイズ! あれ!」 「あれは酒場よ」 「じゃ、あれ!」 「衛士の詰め所ね」 「……衛士って何?」 「王宮と城下町を守護する兵隊のこと」 「へぇ」 才人にすれば、初めて見るものが多いのだ。興味を引くものが多いからあっちこっち行ってしまう。 「あんまり遠くに行くんじゃないのよーーーー!」 そうは行っても、もう才人の姿は豆粒と化していた。ったく……。と呆れたように、ルイズは零す。 「……ねえ、あんた」 ルイズが、並んで歩くジャイロに声をかけた。 「あ? なんだおチ……、いや、ルイズ」 「ご主人様」 「ああ?」 「ほら、言いなさいよ。あんたは私の使い魔なんだから」 「ルイズ」 「ご主人様」 「ルイズ」 「ご主人様」 「ル……」 「ちゃんといいなさいよぉ!」 げしっと蹴りが見舞われる。ルイズからすれば、ジャイロには一度もご主人様と呼ばれたことが無かった。 丁度いい機会なので、呼ばせてみようと企んだのだが。 「ふん! もういいわよ! あんたの忠誠はよっくわかったわ!」 「なにがわかったんだか……。おー痛てェ」 そっぽを向くルイズと、腹を押さえてうずくまるジャイロ。 「あんた……。どうして女王陛下に会いたかったの?」 それを聞いてみようと思った。 「別に」 と、彼は答えた。 「嘘よ」 「じゃあ逢わせてくれるか?」 「それは駄目」 それは出来ない。そんなことは彼だってわかっているはずなのに。 「そんじゃ言わねェ」 「意地っ張り。……もういいわよ」 お互いに、そっぽを向いて。 二人はそれから暫く、無言で街道を歩いていく。 ルイズがあたりを見渡す。お目当てを見つけたらしく、真っ直ぐ向かうと、そのうちに剣の絵が描かれた看板をぶら下げた店に辿り着く。どうやらそこが、武器屋のようだった。 「ここね。 ……ほーーら! サイトーー! すぐにこっちに戻って来なさーーーーい!」 大声で呼ばれ、才人が二人の元に戻ってくる。 「なにしてんのよ! 手間かけさせないでよ。もう」 「い、いや。なんかあるもん全部珍しくってさ」 楽しそうにそう声を弾ませる才人に対して、ルイズは呆れたように息を零した。 「はしゃぎすぎて、預けた財布落さないでよ」 「心配すんなって。こんなに重いもの、落せばすぐにわかるっての」 「盗まれるってこともあるの! とにかく用心してよね」 そう言って、ルイズは武器屋のほうへ、一人でずんずんと進んでいく。 「なあ……ジャイロ。ルイズとなんかあったのか?」 その後ろ姿を見て、なにか思うところがあったのか、才人がジャイロに尋ねた。 「あー? なんもねーよ」 「なんもねーわけねーだろ。あの態度は絶対にあいつ怒ってるんだって。……ったく。お前も今朝からおかしーぞ。いきなりルイズに突っかかるし」 さっきの勝負のことだ。 「突っかかったわけじゃねーよ。……忘れんな。オレ達には目的があるんだ。そのためにはよォ……」 「シエスタのことなんか、どーなったっていいってんだろ」 ジャイロが、才人を睨みつける。 「テメェ……。まだ根に持ってんのか」 才人も、見上げるように、睨み返す。 昨日聞いた話だ。……シエスタが、学院を去ったのだと。 彼女には、心残りがあった。 学院の給仕に不満など無い。 貴族達の時折見せる冷たい対応も、平民ならば誰もが受ける仕打ちであり、受け入れてしまえば存外、苦にはならなかった。 住み込みで食事付き。 衣食住足りている生活で、これ以上の望みは無かった。 それはこの場所に来ても――、いや、この場所の待遇の方が、学院より遥かに良い。 月に一度支払われる給金も、学院のときより破格であり、労働時間も短い。 屋敷の主は仕事用の制服のみならず、休日や非番日に来て歩けるように、私服まで拵えてくれた。 ここまでされて不満など、あるはずも無い。 なのに、心に残っている。 あの人の顔が、心に残っている。 それが、シエスタの心を、重く締めつけるのだった。 シエスタがこの館に来て、今日で二日目になる。 彼女は、ここに自分の足で赴いたわけではない。自らの意思でここに来たわけではない。 なのに……、今自分はここにいる。 望んだわけではないのに、ここにいる。 そして、ここから抜け出せずにいる。 窓の外を眺めて、時折飛び交う小鳥を見つめた。 私も――あのくらい自由なら。 「鳥のように、どこまでも行けたら、いいのに」 自分の運命は、こうなるのだと――受け入れたくないのに、私は、抗らえないでいる。 許されるのなら。もし、本当に許されるのなら。 「戻りたい……。助けて……、サイトさん。………………ジャイロさん」 小さく、本当に小さな一滴が、床に落ちた。 「……才人がよォ、ここの生徒共によってたかられてあのザマだ。シエスタ、わりーが薬箱を持ってきてくれ」 シエスタがジャイロの後ろを見ると、見るも無残なぼろ雑巾と化した才人が横たわっている。 「わ! わかりました! いまお持ちしますから!」 これは大変だと、シエスタは慌てて厨房の棚の奥にある薬箱を取りに行った。 「さって……。よォ。塩梅はどーだ才人?」 息も絶え絶えの才人が、あうあう言いながら答える。 「凄く、痛いDEATH」 「だろーな……。見えねーから気がつかねーと思うが、オメーの背中、ザックリいってんな。こりゃ痛てーはずだ」 「痛すぎてよくわかんねーけど……。もしかして、やばい?」 「かなりやべーな。こりゃ出血多量で失血死コースだ」 ますます才人の顔が青くなった。 「ま、心配すんな。これで縫えば傷はふさがるからよ」 そういって取り出したのは、えらく煤汚れた糸だった。 「……え? ……え? ちょ、なにすんの?」 「静かにしてろよー。余計なとこまで縫っちまうからよォ」 そう言うなりジャイロは、才人の傷を糸をつけた針を刺して縫い合わせていく。 麻酔も無く、太い糸をこれまたぶっとい針でぐりぐりと強引に突っ込まれて縫われる。 当然のことながら、もの凄く痛い。 「あ、あだだだだだだ!! いで! いでいでえ!! いでえっでの!!」 「暴れんな! 我慢しろこんぐれー。死ぬよりマシだろーが!」 「し、死んだほーがマシだこんなの! もっと! もっとやさしく! やさしくプリーズ!」 「ったく、注文多いなオメー」 仕方なく、気持ち分、優しくはしてやる。 「いやもうダメ! 許して! ほんとにダメだって! もっとやさしく! やさしくお願い!」 「気色悪りィ声だすんじゃねーよ!!」 「あ……。 あっ! ダメ! そこダメ! あっ! あっ!! アッ――――――ッ!!」 ジャイロが治療に奮闘し、才人は痛みを耐えている。 二人ともそれで手一杯で、他のことに気を回す余裕なんてなかった。 後ろから、おもいっきりシエスタが見ていたことも、……彼らは気付かなかった。 薬箱をどさっと落して、シエスタはその場から駆け出す。 その顔は、酷く蒼褪めていた。 「おう! 戻ったかシエスタ! 早速だが夕食の準備に――」 厨房から顔を出したマルトーが戻ってきたシエスタに声をかける。が、シエスタはふらふらとした足取りで奥に引っ込んでしまった。 大丈夫か、あいつ。とマルトーは心配そうに奥を覗くが、すぐに料理長と声をかけられ、厨房に戻って行った。 「……そんな」 バタン、と荒く閉めたドアにもたれかかるように、シエスタはうずくまる。 「まさ、か……。あの二人が、そんな」 蒼褪めたシエスタの唇は、ふるふると寒そうに奮え、その震えは全身を駆け巡った。 「……そんな、そんな関係だったなんて……っ!」 そういえば、と彼女は彼らのことを振り返る。 あの二人はよく一緒にいて、いつも仲が良さそうで。 ジャイロさんはまるでお兄さんのような人で。 サイトさんは同じ年頃の、明るい男の子だったと思っていた。 それでもまさか、二人はそんな間柄だったなんて、夢にも思わなかった。 「……ひどい」 裏切られたと、思った。 なぜそう思ったのか、わからない。 だけどこれで、あの二人の間に自分が入り込む余地はないんだと思えてしまう。 それがとても、悲しくて、シエスタの目には涙が溜まっていた。 ……いつのまにか、眠ってしまったのか。 「……スタ。…………エスタ。……シエスタや……起きなさい。起きなさいシエスタ」 誰かに呼ばれた声で、シエスタは目を醒ます。 「はっ……。す、すみません料理長! ただいま厨房に――」 「起きましたね、シエスタ」 そこにいたのは、料理長ではない。全く知らない、白髪のおばあさんだった。しかもふよふよ浮いている。後ろから後光が射している。怪しさ大爆発である。 「……え。……あの、どちら様でしょう」 「シエスタ、貴方が私を知らないのも無理はありません。ですが、私は貴方をよく知っていますよ」 知らない人からそう言われても、ますます怪しさが募るだけである。 でも……、シエスタは心の中で、この人は自分にとって、重要な意味を持つ人だと気付く。 「あ……。ま、まさか。まさか貴方は!? 私の?!」 「ええ。あなたの曾お祖母ちゃんですよ」 まさかの曾祖母光臨であった。 「え、ええ?! 曾お祖母ちゃんが、どうしてここに!?」 「可愛い曾孫の悩みだもの。いても経ってもいられず、応援に来たのよ」 なんというご都合展開だろう。 「な、悩みって……」 「シエスタ、貴方はいま恋をしているのね」 どきん、と心臓が高鳴った。 「こ、恋?! 恋って!?」 「曾お祖母ちゃんはなんでもお見通しなのよ、シエスタ。……でも、その男の子は」 そうなのだ。それを思い返して、シエスタは顔を伏せる。 「シエスタ。そんなに悲しい顔をしないで。その男の子は、別にシエスタのことが嫌いなわけじゃないわ」 「でも……。でも曾お祖母ちゃん。その人は……」 「諦めちゃダメよシエスタ。逆に考えるのよ。あの子は男の子が好きなんじゃない」 曾祖母の優しい語りかけに、シエスタは顔を上げる。 「あの子は本当の愛に気がついていないだけなの」 「本当の、愛……?」 「そうよシエスタ。本当の、真実の愛(ラヴ)というものはね、男と女の間にしか存在しえないの。今のあの子は、それが見えないゆえに一時の気の迷いと欲望の捌け口を求めているだけ」 「……じゃ、じゃあ曾お祖母ちゃん! もし、もしもその真実の愛を教えることができれば!?」 「ええ。彼は貴方の元に還ってくるわ」 シエスタの顔に笑顔と、希望が戻ってくる。 「本当! 本当なのね曾お祖母ちゃん!」 その問いかけに、曾祖母はにっこりと笑った。 「だけど気をつけてねシエスタ。彼は移り気よ。正しい道を指し示しても、それを貴方と歩んでくれるとは限らないわ」 ゆっくりと天上の光に吸い込まれるように、曾祖母は光の彼方へ消えていく。 「うん! うん! わかったわ曾お祖母ちゃん! 私、頑張るから!」 その明るい彼女の笑顔に安心したのか、曾祖母の姿が消えた。 「頑張ってねシエスタ……。曾お祖父ちゃんもかなりの奥手だったけど、真実の愛でゲットできたのよ……。貴方も、幸せに……おなりなさい」 「見てて! 見ててね曾お祖母ちゃん! 私、頑張るからーーーー!」 シエスタは、光り輝く天上にいつまでも、いつまでも手を振っているのであった。 「おい! おいシエスタ! 大丈夫か! しっかりしろい!」 肩を揺らされて、目を醒ます。 目を開けると、マルトーの大きな顔が目に飛び込んできた。 「お、おば……。 ひぃゃやあああああ!」 びっくりして思わず大声を上げてしまうと、マルトーはシエスタが目覚めたことを確認し、立ち上がる。 「おい大丈夫かシエスタ。いきなり奥に引っ込んだと思えば、気絶してたんでびっくりしたぜ。どっか具合でも悪いのか?」 「い、いえ。そういうわけじゃ……」 「まあいいや、体が動くなら手伝ってくれ、夕食の準備が間に合わねえ」 は、はい。わかりましたと、マルトーの後を、シエスタはついていく。 このときから、シエスタには希望という名の目標ができた。 彼に真実の愛(ラヴ)を教えるのだ。それがいつか、自分の幸せになるのだと、彼女は固く心に信じた。 そしていつものように夕食の準備に取り掛かろうとしたとき。 「シエスタ君だね?」 誰かに後ろから呼び止められ、振り向いた。 彼女の視界が、暗転する。         *** 「なあ親父さん! 本当のことを言ってくれよ!」 「すまねえ『我らの剣』よ……。俺にも、詳しいことは話されちゃいねえんだ」 「そんな……。配置換えだか栄転だか知らないけどさ! 急すぎるだろ!」 才人が憤りを隠さず言い放つ。 それをマルトーは、黙って受け止める。 「止せ才人。親父さんが悪いわけじゃねぇ」 ジャイロが才人を諌める。 「だけどよ! シエスタは本当にそれを望んだのか!? 貴族の屋敷に行くなんて、本当に!?」 「世話になった親父さんに黙ってまで行ったんだ。望んで行ったんだろ」 ジャイロの言い草に、才人は腹が立った。 「勝手なこと言うなよ! シエスタがそんなことするわけないだろ! 世話になった親父さんなら、必ず挨拶ぐらいしていくさ!」 「どうだかな」 「ジャイロ……。なんだよその言い草。冷たすぎるんじゃないのか!」 「止してくれ『我らの剣』! 『我らの銃』! 俺達の身内のことで、お前らに揉めて欲しくねえ……」 項垂れるマルトーが、また一杯、酒をコップに注いだ。才人はそれが空になるのを見ていたが……、ジャイロは黙って、外に出る。 「ま、待てよジャイロ!」 才人がその後ろを追いかける。 「才人、オメー何勘違いしてやがる」 苛立った声で、ジャイロが言う。 「何ぃ……?」 「オレ達はこの世界の人間じゃねえ。いずれは……、去らなくちゃならないんだ。別れが少し、早くなっただけだ。それを、忘れてんじゃねえのか」 ジャイロの鋭い視線が、その言葉と共に、才人の胸に刺さる。 「だからってよ……。だからって! 納得できんのかよ!」 「オレ達がでしゃばってどうにかなるもんじゃねえだろ! この世界にはこの世界の決まりってのがあるんだ! シエスタは、それに従っただけなのかもしれねえ」 才人は黙った。ジャイロの背中を睨みつけたまま。 「そのどこぞの貴族のところに行った方が、あいつにとっては幸せなのかもしれねえ。……受け入れろ。あいつは……自分の意思で、ここから去ったんだ」 それだけ言って、ジャイロは夜の闇へ進んでいく。 「なあジャイロ!」 その背中に、才人が叫んだ。 「そうじゃなかったら、どうするつもりなんだよ!?」 答えること無く――彼は才人の前から、姿を消した。 「なにしてんのよあんた達。ほら、入るわよ」 石段を登り、羽扉に手をかけながら、ルイズは二人に声をかける。 彼らの上空で、一羽の鳥がゆっくりと、旋回していた。
話は二日前に遡る。 才人が魔法学院の生徒に追い掛け回され、ルイズが行った錬金の魔法が成功したと思われたその日――、学院長室と呼ばれる部屋で、誰かと誰かが話す声がした。 一人はこの魔法学院の学院長を務めるオールド・オスマンと呼ばれる老齢の大魔道士。 そして彼と、机を挟んで会話をする、一人の男。その姿は静かに、かつ毅然とした態度でオスマンと対峙していた。 「……王宮も、余程暇と見える。こんな内容に勅使をよこすとはのう」 オスマンは勅使として来た男の持っていた文書を受け取ると、ちらと眺めただけで、ひらひらと紙を振る。 「オールド・オスマン、内容がどうであれ、公文書をそのように扱ってもらっては困ります」 男は変わらずの直立姿勢で、オスマンの態度を諌める。 「……ふむ。“最近トリステイン城下を荒らしまわる怪盗あり。土くれと仇名されし盗賊に注意されよ”  ここをどこだと思っておるんじゃ」 オスマンが不満を隠さずに言う。 「仰るとおりです。ですが」 男はそれでも、然として姿勢を崩さない。 「わかっとるよ。注意は怠らんわい。……じゃがの。いくら世紀の大怪盗だろうが、貴族だらけの魔法学院にくる度胸があるかの。虎穴より恐ろしい場所じゃぞ、ここは」 「そのように考えた貴族は多いのです。貴族に牙を向く愚か者、身の程を知れと。……ですが結果として屋敷に侵入され、賊に財宝を奪われた者が後を絶えません」 メイジを敵に回すことの恐ろしさを、二人は良く知っている。それゆえにオスマンはメイジを敵に回す怪盗のことが信じられず、男はメイジを手玉にとる怪盗を恐れているかのような口ぶりだった。 「貴公のご忠告はよく賜った。痛み入るのう。……用件は以上かね」 オスマンはゆっくりと目を瞑ると、文書を机にしまった。 「いえ。実はもう一つございまして……」 勅使がさらに畏まって口を開こうとしたとき。 「失礼します」 学院長室のドアがコツ、コツと二回叩かれる。 ミス・ロングビルが、紅茶のポットとカップをトレイに載せて、部屋に入ってきた。 「おお、すまんの。ミス・ロングビル。それじゃ二人分、注いでくれんかのう」 「かしこまりました」 ミス・ロングビルが芳しい香りの紅茶を静かに注いでいく。 勅使の男も、ソファに腰を下ろし、彼女の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。 「すまんがミス・ロングビル。外してくれんか?」 深々と頭を下げたロングビルが、静かにドアを閉めて出て行くと、オスマンの表情はまた険しいものになった。 「さて、そのもう一つとは」 「美しい女性ですな。さすがはオールド・オスマン。見る目が違う」 真面目に聞いてやろうとしたのに、今度は勅使のほうがはぐらかしたので、オスマンの皺はますます深くなった。 「おぬし」 「いえ、申し訳ありません。美しい女性の姿はどうしても追ってしまいますので」 一口だけ飲んだ紅茶をテーブルに置くと、男は立ち上がる。 「アルビオンの情勢が、思わしくありません」 遠く窓の向こうを見るように、男は言った。 「あの国の内乱は末期か……。王家が潰れれば、また国を巻き込んで戦争が起こるのう」 曇った表情で、オスマンはまた一口、紅茶を含む。 「そうなれば国中の貴族が総力を挙げ、戦争に立ち向かわなければなりません。王宮貴族の一派はすでに、その準備を進めています」 その際には、と男は続けるが、オスマンがその先を口にする。 「この魔法学院も戦争に加われと、王宮の御達しかの?」 「場合によっては……ですが。王宮内に、そのような意見が犇いているのも、事実です」 ふむぅ、とオスマンは唸るように息を吐いた。 「そうならんことを、祈るだけじゃのう」 それは、老人の本音だったのだろう。 「王宮からの言づては、これで以上です」 男は窓に寄り、外の景色を眺めた。 「ところで、オールド・オスマン。ここからは、私個人のお願いなのですが」 窓の景色から目を離さず、男は言う。 「……なんじゃ。これ以上暗い話題じゃないじゃろうな」 彼は口元に笑みを浮かべながら、老人に言う。 「さすがは天下に名だたるトリステイン魔法学院。野に咲く花すら美しい」 オスマンは黙ったまま、彼をじっと見据えた。 「私の屋敷の女中が一人、行方知れずになりましてね。一人減っただけなのですが、これがどうにも不便で仕方がない。そこで、貴族の給仕に長けた学院のメイドを一人、私の屋敷に招き入れたいのですよ」 いかがでしょう? と彼は臆面も無く尋ねる。 「おぬし……」 男の突然の申し入れに、オスマンは訝しむ。 「モットです」 私の名前は、モットと申します。と、王宮の勅使――モット伯は、笑みを浮かべるのであった。 「……ん。んっ~~~~~~! あーよく寝た」 背伸びしながら大きく息を吸い込んで、まだ残る僅かな眠気を吹き飛ばす。 ルイズ達と庭先で派手な火遊びをやらかしたキュルケが、三日ぶりにお目覚めであった。 「あら、やだ……。あたしったらこんな格好して」 毛布一枚にくるまっただけのあられもない姿で彼女は今まで寝ていたのである。 ま、いっか。と彼女は杖を振ると、箪笥やクローゼットから、今日の気分に合った洋服が出てきた。 それをするすると着こなしながら、キュルケは自慢の長い赤髪をそろえていく。 さあ、今日はどんな方法で、彼らを誘惑しようかと考えを練りながら。 突然、くるるる、とお腹が鳴った。三日も何も食べてなかったのだから、仕方ない。 お腹の鳴る音を聞いてしまうと、不思議と何か食べたくなってしまった。 彼らに会う前に食堂に行って、何か作ってもらって小腹でも満たそうと、キュルケはいそいそと部屋を出る。 その時、小さく馬のいななきが聞こえてきた。 窓から外を見ると、遠目からでも分かる桃色の髪と、愛しの想い人達が、馬でどこかに去っていく途中だった。 「え~~。出かけちゃうの~~~~?」 彼女にとっては、これは予想もしていないことだった。 二人がルイズと出かけてしまったら、誘惑のしようが無いのだ。 「……そーねぇ。だったら、追いかけちゃいましょ」 お腹がすいていたことなどもう忘れて、キュルケは駆け足で女子寮の五階を目指す。 友達の助けを借りるために。 虚無の曜日は、この世界に住む者なら誰もが好きな日である。丸一日、自分の好きなことがしていられる日だからだ。 ……最も、平民からすれば一年働き通しという者も少なくないため、本当の意味でこの日を満喫できるのは、貴族だけということになるが。 魔法学院女子寮の五階に部屋を持つタバサは、この虚無の曜日が大好きな一人である。 自分が好きな読書を、一日中続けられるからだ。 そして、他の人間と関わらなくて済むというのも、好きな理由だった。 だが、今日はそのどちらも、破られることになる。 ドアが猛烈な勢いでノックされる。その音がうるさいので、タバサは『サイレント』の魔法をかけた。すると幾ら待ってもドアを開けてくれないことに業を煮やした相手は、『アンロック』を使って強引に部屋に入り込んできた。 普通ならもうここで、『ウィンド・ブレイク』の一つもお見舞いするところだが、入ってきた人間が彼女の友達――キュルケなら、そうはいかない。 こうやって彼女から話されるのは三日ぶりだが、どうやら無事に回復したらしいことを、彼女は自分の目で確認した。 ちなみに、三日前にキュルケを部屋まで連れて行ったのは、タバサとルイズだった。 『レビテーション』をかけるも、三階まで送り届ける力がなかったタバサに代わり、軽くなったキュルケをルイズが背負って運んだのであった。 部屋のベッドを見るなり、ルイズがポイッとキュルケを投げたのはどうかと彼女は思ったが。 さらにどうでもいいことだが、瀕死のギーシュは男二人に部屋まで連れて行かれたが、あとはどうなったか知らない。 あれ以来彼の姿は見ていないので、案外大変なことになっているかもしれない。どうでもいいが。 「タバサ! お願い助けてぇ!」 タバサが手にしていた本を取り上げるなり、キュルケが潤んだ目で懇願してきた。 「……と言うわけなのよ! お願いタバサ! 力を貸して!」 あのルイズの使い魔を追いかけるのに、タバサの使い魔の力が必要だと、キュルケは力説する。 本当は一日本読んで過ごしたいし、なにも自分が助けなくってもよさそうな気がしたが、友達のたっての頼みなので、タバサは断ることはしなかった。 もぞもぞとベッドの上から降りると、部屋の窓に近づく。 その際、キュルケが窓の近くにいたので、 「ちょっとそこ」 と言って、掌を突き出す。 次にピースサイン。 最後は親指と人差し指で丸を作った。 あっけにとられたキュルケが後ろに下がると、開けた窓の向こうに、タバサは口笛を吹いた。 そのまま窓の向こうに身を投げる。 これがタバサの外出の方法だと知っていたので、キュルケも窓枠に足をかけ、飛び降りようとした。そのとき、気付いた。 ……あれ? さっきのタバサのあれって……、もしかして、ギャグ? ちょっとそこ、指4本(し)、指2本(つ)、指で○(れい) ……ってことなの?! 「誰よそんなツマんねーの教えたの!」 そう怒鳴るように言って、キュルケも身を躍らせた。 彼女も背中でしっかりと受け止めたタバサの使い魔――シルフィードが、翼を大きく羽ばたかせる。 彼女達の姿は、すぐさま天空に小さく消えていった。 トリステイン城下町。その一番の大通りと呼ばれているブルドンネ街を、ルイズと使い魔達は歩いていく。 「あ! なあルイズ! あれ!」 「あれは酒場よ」 「じゃ、あれ!」 「衛士の詰め所ね」 「……衛士って何?」 「王宮と城下町を守護する兵隊のこと」 「へぇ」 才人にすれば、初めて見るものが多いのだ。興味を引くものが多いからあっちこっち行ってしまう。 「あんまり遠くに行くんじゃないのよーーーー!」 そうは行っても、もう才人の姿は豆粒と化していた。ったく……。と呆れたように、ルイズは零す。 「……ねえ、あんた」 ルイズが、並んで歩くジャイロに声をかけた。 「あ? なんだおチ……、いや、ルイズ」 「ご主人様」 「ああ?」 「ほら、言いなさいよ。あんたは私の使い魔なんだから」 「ルイズ」 「ご主人様」 「ルイズ」 「ご主人様」 「ル……」 「ちゃんといいなさいよぉ!」 げしっと蹴りが見舞われる。ルイズからすれば、ジャイロには一度もご主人様と呼ばれたことが無かった。 丁度いい機会なので、呼ばせてみようと企んだのだが。 「ふん! もういいわよ! あんたの忠誠はよっくわかったわ!」 「なにがわかったんだか……。おー痛てェ」 そっぽを向くルイズと、腹を押さえてうずくまるジャイロ。 「あんた……。どうして太后陛下に会いたかったの?」 それを聞いてみようと思った。 「別に」 と、彼は答えた。 「嘘よ」 「じゃあ逢わせてくれるか?」 「それは駄目」 それは出来ない。そんなことは彼だってわかっているはずなのに。 「そんじゃ言わねェ」 「意地っ張り。……もういいわよ」 お互いに、そっぽを向いて。 二人はそれから暫く、無言で街道を歩いていく。 ルイズがあたりを見渡す。お目当てを見つけたらしく、真っ直ぐ向かうと、そのうちに剣の絵が描かれた看板をぶら下げた店に辿り着く。どうやらそこが、武器屋のようだった。 「ここね。 ……ほーーら! サイトーー! すぐにこっちに戻って来なさーーーーい!」 大声で呼ばれ、才人が二人の元に戻ってくる。 「なにしてんのよ! 手間かけさせないでよ。もう」 「い、いや。なんかあるもん全部珍しくってさ」 楽しそうにそう声を弾ませる才人に対して、ルイズは呆れたように息を零した。 「はしゃぎすぎて、預けた財布落さないでよ」 「心配すんなって。こんなに重いもの、落せばすぐにわかるっての」 「盗まれるってこともあるの! とにかく用心してよね」 そう言って、ルイズは武器屋のほうへ、一人でずんずんと進んでいく。 「なあ……ジャイロ。ルイズとなんかあったのか?」 その後ろ姿を見て、なにか思うところがあったのか、才人がジャイロに尋ねた。 「あー? なんもねーよ」 「なんもねーわけねーだろ。あの態度は絶対にあいつ怒ってるんだって。……ったく。お前も今朝からおかしーぞ。いきなりルイズに突っかかるし」 さっきの勝負のことだ。 「突っかかったわけじゃねーよ。……忘れんな。オレ達には目的があるんだ。そのためにはよォ……」 「シエスタのことなんか、どーなったっていいってんだろ」 ジャイロが、才人を睨みつける。 「テメェ……。まだ根に持ってんのか」 才人も、見上げるように、睨み返す。 昨日聞いた話だ。……シエスタが、学院を去ったのだと。 彼女には、心残りがあった。 学院の給仕に不満など無い。 貴族達の時折見せる冷たい対応も、平民ならば誰もが受ける仕打ちであり、受け入れてしまえば存外、苦にはならなかった。 住み込みで食事付き。 衣食住足りている生活で、これ以上の望みは無かった。 それはこの場所に来ても――、いや、この場所の待遇の方が、学院より遥かに良い。 月に一度支払われる給金も、学院のときより破格であり、労働時間も短い。 屋敷の主は仕事用の制服のみならず、休日や非番日に来て歩けるように、私服まで拵えてくれた。 ここまでされて不満など、あるはずも無い。 なのに、心に残っている。 あの人の顔が、心に残っている。 それが、シエスタの心を、重く締めつけるのだった。 シエスタがこの館に来て、今日で二日目になる。 彼女は、ここに自分の足で赴いたわけではない。自らの意思でここに来たわけではない。 なのに……、今自分はここにいる。 望んだわけではないのに、ここにいる。 そして、ここから抜け出せずにいる。 窓の外を眺めて、時折飛び交う小鳥を見つめた。 私も――あのくらい自由なら。 「鳥のように、どこまでも行けたら、いいのに」 自分の運命は、こうなるのだと――受け入れたくないのに、私は、抗らえないでいる。 許されるのなら。もし、本当に許されるのなら。 「戻りたい……。助けて……、サイトさん。………………ジャイロさん」 小さく、本当に小さな一滴が、床に落ちた。 「……才人がよォ、ここの生徒共によってたかられてあのザマだ。シエスタ、わりーが薬箱を持ってきてくれ」 シエスタがジャイロの後ろを見ると、見るも無残なぼろ雑巾と化した才人が横たわっている。 「わ! わかりました! いまお持ちしますから!」 これは大変だと、シエスタは慌てて厨房の棚の奥にある薬箱を取りに行った。 「さって……。よォ。塩梅はどーだ才人?」 息も絶え絶えの才人が、あうあう言いながら答える。 「凄く、痛いDEATH」 「だろーな……。見えねーから気がつかねーと思うが、オメーの背中、ザックリいってんな。こりゃ痛てーはずだ」 「痛すぎてよくわかんねーけど……。もしかして、やばい?」 「かなりやべーな。こりゃ出血多量で失血死コースだ」 ますます才人の顔が青くなった。 「ま、心配すんな。これで縫えば傷はふさがるからよ」 そういって取り出したのは、えらく煤汚れた糸だった。 「……え? ……え? ちょ、なにすんの?」 「静かにしてろよー。余計なとこまで縫っちまうからよォ」 そう言うなりジャイロは、才人の傷を糸をつけた針を刺して縫い合わせていく。 麻酔も無く、太い糸をこれまたぶっとい針でぐりぐりと強引に突っ込まれて縫われる。 当然のことながら、もの凄く痛い。 「あ、あだだだだだだ!! いで! いでいでえ!! いでえっでの!!」 「暴れんな! 我慢しろこんぐれー。死ぬよりマシだろーが!」 「し、死んだほーがマシだこんなの! もっと! もっとやさしく! やさしくプリーズ!」 「ったく、注文多いなオメー」 仕方なく、気持ち分、優しくはしてやる。 「いやもうダメ! 許して! ほんとにダメだって! もっとやさしく! やさしくお願い!」 「気色悪りィ声だすんじゃねーよ!!」 「あ……。 あっ! ダメ! そこダメ! あっ! あっ!! アッ――――――ッ!!」 ジャイロが治療に奮闘し、才人は痛みを耐えている。 二人ともそれで手一杯で、他のことに気を回す余裕なんてなかった。 後ろから、おもいっきりシエスタが見ていたことも、……彼らは気付かなかった。 薬箱をどさっと落して、シエスタはその場から駆け出す。 その顔は、酷く蒼褪めていた。 「おう! 戻ったかシエスタ! 早速だが夕食の準備に――」 厨房から顔を出したマルトーが戻ってきたシエスタに声をかける。が、シエスタはふらふらとした足取りで奥に引っ込んでしまった。 大丈夫か、あいつ。とマルトーは心配そうに奥を覗くが、すぐにコック長と声をかけられ、厨房に戻って行った。 「……そんな」 バタン、と荒く閉めたドアにもたれかかるように、シエスタはうずくまる。 「まさ、か……。あの二人が、そんな」 蒼褪めたシエスタの唇は、ふるふると寒そうに奮え、その震えは全身を駆け巡った。 「……そんな、そんな関係だったなんて……っ!」 そういえば、と彼女は彼らのことを振り返る。 あの二人はよく一緒にいて、いつも仲が良さそうで。 ジャイロさんはまるでお兄さんのような人で。 サイトさんは同じ年頃の、明るい男の子だったと思っていた。 それでもまさか、二人はそんな間柄だったなんて、夢にも思わなかった。 「……ひどい」 裏切られたと、思った。 なぜそう思ったのか、わからない。 だけどこれで、あの二人の間に自分が入り込む余地はないんだと思えてしまう。 それがとても、悲しくて、シエスタの目には涙が溜まっていた。 ……いつのまにか、眠ってしまったのか。 「……スタ。…………エスタ。……シエスタや……起きなさい。起きなさいシエスタ」 誰かに呼ばれた声で、シエスタは目を醒ます。 「はっ……。す、すみませんコック長! ただいま厨房に――」 「起きましたね、シエスタ」 そこにいたのは、料理長ではない。全く知らない、白髪のおばあさんだった。しかもふよふよ浮いている。後ろから後光が射している。怪しさ大爆発である。 「……え。……あの、どちら様でしょう」 「シエスタ、貴方が私を知らないのも無理はありません。ですが、私は貴方をよく知っていますよ」 知らない人からそう言われても、ますます怪しさが募るだけである。 でも……、シエスタは心の中で、この人は自分にとって、重要な意味を持つ人だと気付く。 「あ……。ま、まさか。まさか貴方は!? 私の?!」 「ええ。あなたの曾お祖母ちゃんですよ」 まさかの曾祖母光臨であった。 「え、ええ?! 曾お祖母ちゃんが、どうしてここに!?」 「可愛い曾孫の悩みだもの。いても経ってもいられず、応援に来たのよ」 なんというご都合展開だろう。 「な、悩みって……」 「シエスタ、貴方はいま恋をしているのね」 どきん、と心臓が高鳴った。 「こ、恋?! 恋って!?」 「曾お祖母ちゃんはなんでもお見通しなのよ、シエスタ。……でも、その男の子は」 そうなのだ。それを思い返して、シエスタは顔を伏せる。 「シエスタ。そんなに悲しい顔をしないで。その男の子は、別にシエスタのことが嫌いなわけじゃないわ」 「でも……。でも曾お祖母ちゃん。その人は……」 「諦めちゃダメよシエスタ。逆に考えるのよ。あの子は男の子が好きなんじゃない」 曾祖母の優しい語りかけに、シエスタは顔を上げる。 「あの子は本当の愛に気がついていないだけなの」 「本当の、愛……?」 「そうよシエスタ。本当の、真実の愛(ラヴ)というものはね、男と女の間にしか存在しえないの。今のあの子は、それが見えないゆえに一時の気の迷いと欲望の捌け口を求めているだけ」 「……じゃ、じゃあ曾お祖母ちゃん! もし、もしもその真実の愛を教えることができれば!?」 「ええ。彼は貴方の元に還ってくるわ」 シエスタの顔に笑顔と、希望が戻ってくる。 「本当! 本当なのね曾お祖母ちゃん!」 その問いかけに、曾祖母はにっこりと笑った。 「だけど気をつけてねシエスタ。彼は移り気よ。正しい道を指し示しても、それを貴方と歩んでくれるとは限らないわ」 ゆっくりと天上の光に吸い込まれるように、曾祖母は光の彼方へ消えていく。 「うん! うん! わかったわ曾お祖母ちゃん! 私、頑張るから!」 その明るい彼女の笑顔に安心したのか、曾祖母の姿が消えた。 「頑張ってねシエスタ……。曾お祖父ちゃんもかなりの奥手だったけど、真実の愛でゲットできたのよ……。貴方も、幸せに……おなりなさい」 「見てて! 見ててね曾お祖母ちゃん! 私、頑張るからーーーー!」 シエスタは、光り輝く天上にいつまでも、いつまでも手を振っているのであった。 「おい! おいシエスタ! 大丈夫か! しっかりしろい!」 肩を揺らされて、目を醒ます。 目を開けると、マルトーの大きな顔が目に飛び込んできた。 「お、おば……。 ひぃゃやあああああ!」 びっくりして思わず大声を上げてしまうと、マルトーはシエスタが目覚めたことを確認し、立ち上がる。 「おい大丈夫かシエスタ。いきなり奥に引っ込んだと思えば、気絶してたんでびっくりしたぜ。どっか具合でも悪いのか?」 「い、いえ。そういうわけじゃ……」 「まあいいや、体が動くなら手伝ってくれ、夕食の準備が間に合わねえ」 は、はい。わかりましたと、マルトーの後を、シエスタはついていく。 このときから、シエスタには希望という名の目標ができた。 彼に真実の愛(ラヴ)を教えるのだ。それがいつか、自分の幸せになるのだと、彼女は固く心に信じた。 そしていつものように夕食の準備に取り掛かろうとしたとき。 「シエスタ君だね?」 誰かに後ろから呼び止められ、振り向いた。 彼女の視界が、暗転する。         *** 「なあ親父さん! 本当のことを言ってくれよ!」 「すまねえ『我らの剣』よ……。俺にも、詳しいことは話されちゃいねえんだ」 「そんな……。配置換えだか栄転だか知らないけどさ! 急すぎるだろ!」 才人が憤りを隠さず言い放つ。 それをマルトーは、黙って受け止める。 「止せ才人。親父さんが悪いわけじゃねぇ」 ジャイロが才人を諌める。 「だけどよ! シエスタは本当にそれを望んだのか!? 貴族の屋敷に行くなんて、本当に!?」 「世話になった親父さんに黙ってまで行ったんだ。望んで行ったんだろ」 ジャイロの言い草に、才人は腹が立った。 「勝手なこと言うなよ! シエスタがそんなことするわけないだろ! 世話になった親父さんなら、必ず挨拶ぐらいしていくさ!」 「どうだかな」 「ジャイロ……。なんだよその言い草。冷たすぎるんじゃないのか!」 「止してくれ『我らの剣』! 『我らの銃』! 俺達の身内のことで、お前らに揉めて欲しくねえ……」 項垂れるマルトーが、また一杯、酒をコップに注いだ。才人はそれが空になるのを見ていたが……、ジャイロは黙って、外に出る。 「ま、待てよジャイロ!」 才人がその後ろを追いかける。 「才人、オメー何勘違いしてやがる」 苛立った声で、ジャイロが言う。 「何ぃ……?」 「オレ達はこの世界の人間じゃねえ。いずれは……、去らなくちゃならないんだ。別れが少し、早くなっただけだ。それを、忘れてんじゃねえのか」 ジャイロの鋭い視線が、その言葉と共に、才人の胸に刺さる。 「だからってよ……。だからって! 納得できんのかよ!」 「オレ達がでしゃばってどうにかなるもんじゃねえだろ! この世界にはこの世界の決まりってのがあるんだ! シエスタは、それに従っただけなのかもしれねえ」 才人は黙った。ジャイロの背中を睨みつけたまま。 「そのどこぞの貴族のところに行った方が、あいつにとっては幸せなのかもしれねえ。……受け入れろ。あいつは……自分の意思で、ここから去ったんだ」 それだけ言って、ジャイロは夜の闇へ進んでいく。 「なあジャイロ!」 その背中に、才人が叫んだ。 「そうじゃなかったら、どうするつもりなんだよ!?」 答えること無く――彼は才人の前から、姿を消した。 「なにしてんのよあんた達。ほら、入るわよ」 石段を登り、羽扉に手をかけながら、ルイズは二人に声をかける。 彼らの上空で、一羽の鳥がゆっくりと、旋回していた。

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