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第三十一話 『湖畔ダイバー』 - (2007/11/21 (水) 06:17:30) のソース
第三十一話 『湖畔ダイバー』 ロンディニウムの城の一角にある鍛錬のための場所。そこに一人の男がいた。剣に酷似した杖を構えている。 ヒュッ、という風を切る音とともに鋭い突きが放たれる。最初は一突き一突き丁寧に、そして今は――― 「シッ!」 目にも留まらぬ高速の剣技となっている。しかし丁寧さが損なわれるわけではなく、より正確に、それでも流れるように、だ。その様はまるで――― 「まるで『閃光』だな子爵」 その声にワルドは手を止めて正面を向く。鍛錬のために裸になった上半身に汗が浮いている。 「これは閣下、お見苦しい恰好で申し訳ございません」 「いや、気にする必要などないよ子爵。君がそうして鍛練を積み力をつけることは、ひいては余の力となるのだからな」 相変わらずの笑いを浮かべるクロムウェルの傍らにはシェフィールドが控えていた。貴族として染みついた思考で、さすがに女性の前で裸は失礼かと思い、地面に置いたタオルを拾って体をさっと拭き服を身につけていく。当然、銀のロケットも。 「しかし、閣下には申し開きのしようもありませぬ。閣下より賜った竜騎士隊、それらを全て失うだけではなく先発隊までも守りきれず失う羽目になってしまったのは、ひとえにこのわたくしの力のなさであります・・・」 膝を突き深々と頭を垂れるワルドにクロムウェルは責めるでもなく言う。 「なに、君の失敗が原因ではないだろう」 頭を垂れているワルドは判断に困っていた。アルビオンの力の象徴でもある『レキシントン』号を筆頭とした強大な艦隊。圧倒的な数的有利。だが結果は大敗。 『勝利はこれ疑いなし』というクロムウェルの言葉通り、自軍でこの結末を予期できた者はだれもいないだろう。現に今アルビオン軍の中には動揺が縦横無尽に駆けめぐっているのだ。 だが、クロムウェルには動揺が一切見られない。本当の大物なのか、ただ単に現状が理解できぬド低脳なのか・・・・・・ その時、首から垂れ下がるロケットがワルドの目に入った。 そうだ。たとえ目の前の男が始祖だろうが神だろうが自分には関係ない。泥船だろうと構わない。途中で沈むのなら沈め。ならば俺は泳いでいくまでだ。 歴代の英雄達は皆こう言っている。『信奉すべきは神でも金でもない。最後にお前を救うのはお前の剛力唯一つ』だと。あくまで貴様は道先案内人だ、『閣下』。不案内だとわかればその瞬間に貴様の役目は終わるのだ。 『ガンダールヴ』を翻弄した事実が、ワルドの体に自信を漲らせている。ロケットの表面をなぞると、その冷たい感触が興奮する自らをなだめているように感じた。 「そう、失敗の原因は他にあるのだよ」 クロムウェルが片手を上げると、傍らのシェフィールドが報告書らしき巻物を要約して読み上げた。 「なにやら空にあらわれた光の球が膨れ上がり、我が艦隊を吹き飛ばしたとか」 「つまり、敵に未知の魔法を使われたのだ。これは計算違いだ。誰の責任でもない。しいてあげるなら・・・・・・、敵の戦力分析を怠った我ら指導部の問題だ。一兵士のきみたちの責任を問うつもりはない。是非とも鍛錬に励んでくれたまえ、子爵」 クロムウェルはワルドに手を差し出した。ワルドはそこに口をつける。 「閣下の慈悲のお心に感謝します」 上辺を取り繕いながらワルドは桃色の髪を思い出していた。思えば、あの飛行機械にはルイズも乗っていた。ならばあの魔法は、あの光は恐らく『虚無』だ。仔細は解らないがまず間違いないだろう。 そして、その使用者がルイズだとすればどうだろうか。ワルドの見込んだとおり、ルイズは素晴らしい才能を秘めていたのだ。 しかし、それではクロムウェルの『虚無』とはあまりにかけ離れすぎている。生命を操ったクロムウェルに対して、ルイズは謎の光だ。どちらも、個人が操るにはいささか強大すぎるとも思えるが・・・・・・ 「あの光に関して、余は一つの可能性を考えておる。恐らくは『虚無』ではないかというな・・・。あまり考えたくない事実だが、あれほどの魔力、スクウェアクラスでさえ持ち合わせているかどうか」 最後の部分は自分への皮肉かとワルドは眉をひそめた。 「もっとも、余とて『虚無』の全てを理解しているとは言い切れぬ。『虚無』には謎が多すぎるのだ」 シェフィールドがあとを引き取る。 「長い、歴史の闇の彼方に包まれておりますゆえ」 「歴史。そう、余は歴史に深い興味を抱いておる。たまに書を紐解くのだ。始祖の盾、と呼ばれた聖者エイジスの伝記の一章に、次のような言葉がある。数少ない『虚無』に冠する記述だ」 クロムウェルは詩を吟ずるような口調で、もったいぶって次の言葉を口にした。 「"始祖は太陽を作り出し、あまねく地を照らした"」 『ガンダールヴ』や『虚無』についてならば、ワルドとて歴史を調べているのだ。よっぽど知っていると言ってやろうかと思ったが、何とか抑えて相づちを打った。 「・・・なるほど、あの光は小型の太陽ともいえなくもない」 「謎が謎のままでは、気分が悪い。目覚めも悪い。そうだな、子爵」 「おっしゃるとおりです」 「トリステイン軍は、アンリエッタが率いていたと言うではないか。ただの世間知らずのママッ子かと思っていたが、どうしてどうして、やるではないか。あの姫君は『始祖の祈祷書』を用い王室に眠る秘密をかぎ当てたのかもしれぬ」 「王家に眠りし秘密とは?」 「アルビオン王家、トリステイン王家、そしてガリア王家・・・・・・、もとは一本の矢だ。そして、それぞれに始祖の秘密は分けられた。そうだな?ミス・シェフィールド」 「閣下のおっしゃるとおりですわ。アルビオン王家の秘宝は『風のルビー』ともう一つ・・・・・・。しかしいずこに消えたのか、風のルビーは見つからず、もう一つは未だ調査が済んでおりません」 ワルドは地味な感じのするその女性を見つめた。深いローブで顔を隠しているために表情が窺えない。働きぶりを見ればクロムウェルの秘書にも見えるが・・・、どうしてなかなか、ただの秘書ではなさそうだった。 強い魔力は感じない。しかし、クロムウェルにここまで重用されるからには何か特殊な能力があるのだろう。 「いまやアンリエッタは『聖女』、ウェールズは『勇者』として崇められ、アンリエッタに至っては女王に即位するとか」 「敵の士気は昂揚し、外の敵に対してはどこまでも強気で攻められるでしょう」 なんとも含みのある言い方だ。ワルドはシェフィールドに注意を向けるようにした。 「真に失礼ながら、今の我が軍にトリステインを再び攻める力はありません。力を蓄えなければなりませんが、かといってその間攻め手を緩めては敵もまた身を休めてしまうでしょう。ですから、今度はトリステインの中から攻めるのです」 「理想的ではありますな。しかしながら、当てはあるので?」 「以前よりトリステインの中枢に位置する人物とコンタクトをとり続けておりますわ。すでに彼者は我らの同士」 「手の早いことだ。それで、そのものに何をさせるつもりだ」 「新型の銃と、流れのヒットマンを紹介して差し上げましたわ。そのヒットマンは世を儚んでおり、命を惜しまない人物でしたので・・・」 それは恐らく凱旋パレードでの暗殺未遂事件のことだろう。ワルドにも情報は入ってきていたが、この女が一枚噛んでいるとは思わなかった。 「しかしながらミス。その者を使った作戦はすでに失敗に終わっていると聞き及んでいるが?」 「それはあくまで敵の目を中に向けさせるためのものですわ、子爵。自分の体の中に病気があると知れば、人は不安になりますでしょう?本命ならばかねてよりトリステインに忍ばせておりますわ。そう、この『白の国』アルビオンを破滅へと導いた悪魔―――」 そこで、シェフィールドの口元が妖しく歪んで見えた。 「『白の粉』がトリステインを覆い尽くすでしょう・・・」 「うむうむ!そう言うわけだ子爵。トリステインは病魔に冒された患者も同然。我々は力を蓄え、その間トリステインには存分に弱って貰おうではないか」 はっはっは、と笑いながらクロムウェルたちは城に消えていった。しかしワルドは鍛錬を再会する気にはなれなかった。先ほどのシェフィールドの妖しげな笑みが脳裏にこびりついて離れないのだ。 あの笑みはただ妖艶なだけではない。あれは裏切り者の笑みだ。そう、自分と同じ。クロムウェル以外に信じ崇拝しているものがある奴の笑みだ。 「クッ・・・面白くなってきたな」 思わず口元が歪んだ。だが奴が誰であろうと、何に仕えていようと関係ない。自分と母の邪魔さえしなければ興味の欠片も沸きはしない。 「しかし、クロムウェルも暢気なものだな、どうも。トリステインは体内に病気を持った患者と言っていたが・・・・・・貴様の腹の中には爆弾が二つはあるというのに・・・」 杖を振るうと旋風が起き、地面に置かれた帽子が巻き上がった。それを掴んで頭に乗せる。 「死が友人だというのならば、この俺が一生遊んで暮らせるようにしてやろう。クロムウェルも、『ガンダールヴ』もな」 「っくしょい!」 「なんだ、風邪かいウェザー?」 「なに!なら私が暖めて・・・」 「いや、大丈夫ですから結構です」 ウェザーはアニエスの申し出をキッパリと断った。そもそも本当に風邪ではないのだ。大方、誰ぞが噂でもしているのだろう。 「だが、四十度の熱出してても見にくる価値があるぜ。この光景はよォ」 今一同が立っている丘から見下ろすラグドリアン湖は青く眩しく、陽光を受けて湖面がガラスの粉を塗したように瞬いているのだ。波打ち際まで下りてみると、水中が透き通って見える。話では、夜中でも月光に照らされて水中が透けて見えるとか。 「ヘンね」 その湖面を見つめながらモンモランシーが小首を傾げた。 「うした?」 「水位が上がってるわ。昔、ラグドリアン湖の岸辺は、ずっと向こうだったはずよ」 「ホントか?」 「ええ。ほら見て。あそこに屋根が出てる。村が飲まれてしまったみたいね」 モンモランシーの指差す先に、藁葺きの屋根が見えた。一同はそこで、澄んだ水面の下に黒々と家が沈んでいることに気付いた。モンモランシーは波打ち際に腰を下ろすと、水に指をかざして目を瞑った。 そしてしばらくの後に立ち上がると、困ったような顔をした。 「水の精霊はどうやら怒っているようね」 「それでわかるのか?」 「舐めないでよね。わたしは『水』の使い手、香水のモンモランシーよ。このラグドリアン湖に住む水の精霊とトリステイン王家は旧い盟約で結ばれているの。その際の交渉役を、『水』のモンモランシ家は何代もつとめてきたわ」 今は色々あって他の貴族が務めているけどね、と付け加えた。 「その水の精霊に会ったことはあるのか?」 「小さい頃に一度だけ。領地の干拓を行うときに水の精霊の協力を仰いだのよ。大きなガラスの容器を用意して、その中にはいってもらって領地まで来てもらったわ。 水の精霊はプライドが高いから、機嫌を損ねたら大変なのよ。実際機嫌を損ねて、実家の干拓は失敗したわ。父上ってば、水の精霊に向かって『歩くな。床が濡れる』なんて言ったもんだから・・・・・・」 「水の精霊ね・・・どんな形なんだ?」 精霊というと、どうしても『あのピノキオ』を思い出してしまうために何だかいい印象が持てないウェザーだった。 「そう言えばわたしも話しに聞いただけで知らないわね」 「ぼくもだ」 「私も」 ルイズたちも気になるようだった。『水』のイメージとして綺麗な感じはするが、どうなのだろうか、と。 「ものすごーく、綺麗だったわ。そう、美しい!スゴイ美しいのッ!百万倍も美しい・・・・・・」 恍惚とするモンモランシー。その時、木陰から老農夫が一人、一行の元へとやってきた。 「もし、旦那様。貴族の旦那様」 「どうしたの?」 モンモランシーが尋ねると、農夫は拝むように手を組んだ。 「旦那様がたは、水の精霊との交渉に参られた方々で?でしたら助かった!はやいとこ、この水を何とかして欲しいもんで」 一行は顔を見合わせた。どうやらこの農夫は湖に沈んでしまった村の住人らしい。 「わたしたちは、ただ、その・・・・・・湖を見に来ただけよ」 まさか水の精霊の涙を取りに来た、ということもできず、モンモランシーは当たり障りのないセリフを口にした。 「さようですか・・・・・・。まったく、領主様も女王様も、今はアルビオンとの戦争にかかりっきりで、こんな辺境の村など相手にもしてくれませんわい。畑を取られたわしらが、どんなに苦しいのか想像もつかんのでしょうな・・・・・・」 はぁ、と農夫は深いため息を漏らした。 「いったいラグドリアン湖になにがあったの?」 「増水が始まったのは、二年ほど前でさ。ゆっくりと水は増え、まずは船着き場が沈み、寺院が沈み、畑が沈み・・・・・・。ごらんなせぇ。今ではわしの屋敷まで沈んじまった。 この辺りの領主様はご領地の経営などより、宮廷でのお付き合いに夢中でわしらの頼みなど聞かずじまい」 よよよ、と農夫は泣き崩れた。 「長年住み慣れた土地が無くなっちまったのもありますが、このままじゃわしら村民は全滅してしまいます・・・・・・」 かすれそうな声で絞り出した農夫に、アニエスが進み出て助け起こした。 「ご老人、私は見ての通り騎士だ。この村の現状を女王陛下にお伝えしてみよう」 アニエスの言葉に老人はハッと目を見開き、再び泣き崩れてしまった。 「ありがとうごぜぇます・・・ありがとうごぜぇます・・・」 その様子を見ていた一行は、感心したように眺めていた。 「ふうん・・・惚れ薬を飲んでいても、困った人は捨て置けないって騎士道精神は忘れないのか?」 「え?う~ん、どうかしら・・・基本は惚れてしまった者を第一優先に行動するハズなんだけど・・・」 ウェザーに話を振られたモンモランシーは考え込むように腕を組んだ。 「鋼の精神力ってやつじゃないかな」 「ギーシュあなたってそういうの好きそうだものね」 ルイズのからかいにギーシュは頭をかいた。 農夫が愚痴を言いたいだけ言って去ったあと、モンモランシーは腰に下げた袋からなにかを取り出した。それは一匹の小さなカエルであった。鮮やかな黄色に、黒い斑点がいくつも散っている。 カエルはモンモランシーの手のひらの上にちょこんとのっかって、忠実な下僕のようにまっすぐにモンモランシーを見つめた。 「カエルッ!」 カエル嫌いなルイズが悲鳴をあげてウェザーの背に隠れた。しがみつきながら毛を逆立てて威嚇する様はまるで猫である。 「自己主張の激しいカエルだな・・・・・・ド派手で毒々しい。ヤドクガエルか?」 「毒々しいなんて言わないで!わたしの大事な使い魔なんだから!」 どうやらその小さなカエルがモンモランシーの使い魔らしい。モンモランシーは指を立てて使い魔に命令した。 「いいことロビン?あなたたちの古いお友達と、連絡が取りたいの」 モンモランシーはポケットから針を取り出すと、それで指の先をついた。赤い血の玉が膨れ上がる。その血をカエルに一滴垂らした。 それからすぐに、モンモランシーは魔法を唱え、指先の治療をする。ぺろっと舐めると、再びカエルに顔を近づける。 「これで相手はわたしのことがわかるわ。もっとも、覚えていればの話しだけれど。じゃあお願いね、ロビン。水の精霊に盟約の持ち主の一人が話をしに来たと伝えてちょうだい」 ロビンはそれに頷くと、ぴょんと跳ねて水中に消えていった。 「さ、あとは待つだけよ」 「そんなもんなのか。じゃ、さっきの百万倍も美しい水の精霊についての続きを聞かせてくれよ」 「そうねえ・・・まず、水の精霊は人間なんかより遙かに長く生きている存在なのよ。始祖ブリミルが光臨した六千年前よりも昔から、ね。 その体に既存の形は無いわ・・・自在に姿形を変え・・・・・・そう、まるで水ね。そしてその体は陽光を受けてキラキラと七色に・・・・・・」 そこまでモンモランシーが口にした瞬間、離れた水面が光り出した。 「おでましね。百聞は一見に如かず。見た方が早いわ」 岸辺より三十メイルほど離れた湖面の下が眩く光り、まるでそれ自体が意思を持っているかのように水面が蠢いた。それから餅が膨らむようにして、水面が盛り上がり、まるで見えない手にこねられているようにして、盛り上がった水が様々に形を変える。 湖からロビンが這い上がり、跳ねながら主人のもとに帰ってきた。そのロビンの頭を撫でたモンモランシーは、水の精霊に向けて両手を広げ、口を開いた。 「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。水の使い手で、旧き盟約の一員の家系よ。カエルにつけた血に覚えはおありかしら。覚えていたらわたしたちにわかるやりかたと言葉で返事をして頂戴」 すると、ぐもぐもと蠢いていた水の精霊が、モンモランシーそっくりの形をつくり、微笑んだのだ。ただ、そのサイズは一回りほど大きいのだが。 なるほど、確かに美しい。宝石が塊となって動いて見えるのだ。 しばし様々な表情を作り出していた水の精霊だったが、それから無表情になりモンモランシーの問いに答えた。 「覚えている。単なる者よ。貴様の体を流れる液体を、我は覚えている。貴様に最後に会ってから、月が五十二回交差した」 「そう、よかった。水の精霊よ、お願いがあるの。厚かましいとは思うけど、あなたの一部をわけて欲しいの」 一部という単語に一同は怪訝な顔をして見せたが、モンモランシーはそれらを無視して前を向いたままだ。そして、しばらくしないで水の精霊がにこりと笑みを見せた。 「やった!OKみたいだ!」 しかし、ギーシュの喜びも虚しく、向こうから出てきたセリフは真逆のものであった。 「断る。単なる者よ」 「そりゃあそうよね。残念でしたー。さ、帰ろ」 あっさりとモンモランシーは背を向けたが、すぐに踵を返して水の精霊に向き直った。 「ってな具合にいけたら楽なんだけど、今回ばかりはそうもいかないのよね。わたしが捕まっちゃうってのもあるけど、それ以上にわたしのせいで他人様に迷惑かけてるかと思うと、寝覚めが悪くてしようがないわ!」 少し語調を強めて言ってみるが水の精霊は無反応だ。腰に手を当てて指まで立てているモンモランシーにまったく反応を示さない。 気まずい沈黙の中、ウェザーが口を開いた。 「盟約とか、一部とかよくわからんが・・・・・・タダで貰おうとするのがいけないんじゃないのか?」 「う~~ん・・・・・・ねえ、水の精霊。あなたがあなたの一部をくれると言うのなら、わたしたちもあなたのために何でもするわ」 すると再び水の精霊は蠢き、ふるふると震えたかと思うとピタリと止まり、 「よかろう」 と言った。 「世の理を知らぬ単なる者よ。貴様は何でもすると申したな?」 「ああ、言った」 う、と尻込みするモンモランシーに代わってウェザーが答えた。 「ならば、我に仇なす貴様らの同胞を、退治してみせよ」 一行は顔を見合わせた。 「退治?」 「さよう。我は今、水を増やすことに精一杯で襲撃者の対処にまで手が回らぬ。よって、その者どもの退治ができれば、望み通り我の一部を進呈しよう」 「ああ、やっぱり厄介事だわ・・・・・・」 「豚箱にはいるのとどっちが厄介かなんてことは・・・・・・」 「言われなくてもわかってるわよッ!もう!こうなったらトコトンやってやるわよ!」 こうして、ウェザーたちは水の精霊を襲う連中の退治をする羽目になったのだった。 襲撃者たちは夜になると、魔法を使い水中に侵入し、遙か湖底の奥深くにいる水の精霊を襲うというのだ。一行は水の精霊が示したガリア側の岸辺の木陰に隠れ、作戦を立てていた。 「水中か・・・・・・」 「たぶん風の使い手ね。空気の球をつくって、その中に入って湖底を歩くんじゃないかしら。水の使い手なら水中でも呼吸が出来るけど、水の精霊相手に水を使うなんてのは自殺行為だわ。だから、風ね。空気を操り、水に触れずにやってくるに違いないわ」 「でも、水の精霊って傷つけられるのかしら?水に手を突っ込んでも水は痛がらないと思うんだけど・・・・・・」 ルイズの疑問はもっともだった。規格の違うものを相手にするときは未知だらけなのだ。 「水の精霊は動きが鈍いし・・・・・・それにメイジならただの水と精霊の見分けはつくわ。水の精霊は魔力を帯びてるからね。近づいて、強力な炎で体を炙る。徐々に蒸発して・・・・・・、気体になったらさすがにもとの液体として繋がることは出来なくなっちゃうわ」 「繋がる・・・?」 「水の精霊は、まるでコケのような存在なのよ。千切れても繋がってても、その意思は一つ。個にして全。全にして個。わたしたちとは全く違う存在なのよ」 「ふーん・・・」 「そして相手が水に触れていなければ、水の精霊の攻撃は相手に届かない」 「偉そうな割りには制限の多い奴なんだな」 「まったく・・・・・・。水の精霊の怖さをちっとも知らないのね。いい?少しでも精神の集中が乱れて、空気の球が破れ、一瞬でも水に触れたら心を奪われるのよ。他の生物の生命と精神を操る事なんて、あの水の精霊には呼吸と大差ないわ。 それと、水の精霊にとっては襲撃者とわたしたちの区別なんてついてないと思うから、水に落ちたらお終いね」 「なかなか肝の据わった奴らみたいだな。それじゃあ水に入られる前に勝負をつけるしかないか。こっちはまあ、そこそこの数だが・・・」 「あ、そのことなんだけど」 モンモランシーが挙手した。 「わたしは戦いの方は無理だから、戦力には数えないでね」 その代わり後方で回復の援護ができるわ、とフォローした。 「となると、モンモランシーを抜いた四人か・・・・・・、アニエスお前戦えるか?」 くっつきそうなくらい近い隣でアニエスはずっとウェザーを見ていたのだが、話を振られて視線が合ってもそらすことはなかった。 「ウェザーが必要だと言うのなら、水の精霊とでさえ戦って見せよう」 「バカ、そいつを守るのが俺達の役目だぞ」 ウェザーは手頃な枝と石を数個手元に集める。それから空を見て、湖を見た。と、ギーシュが少し不安そうに尋ねてきた。 「大丈夫かな、ウェザー。もし敵が大人数だとしたら・・・・・・」 「心配するな。当方に迎撃の用意ありってな」 そう言って枝で地面に円を描いた。どうやら湖のようらしい。 「これから言う作戦はお前の魔法が火蓋を切るんだ。最初でこけたら全部こける・・・・・・いけるな?」 「・・・・・・ああ」 ギーシュは目に力を込めて返した。それに満足そうに頷いて、ウェザーは描いた湖の周りに石を置き始めた。 「まずはギーシュが・・・・・・」 作戦会議も終え、あとは見張りを交代で行いながら夜を待つのみとなった。時刻はまもなく夕方に入る頃だろう。 現在の見張りはアニエス。一緒にいてくれとぐずられたが、作戦のために休養は必要だと言うと、職業柄理屈に納得できてしまったのか名残惜しそうに離れていった。 見張りの順番を上手いこといじり、少しの間とはいえ自由を手に入れたウェザーはしばし近くをぶらついたあと、湖畔の林の木に背を預けて座るルイズを見つけて歩み寄った。 「はあああああ~~~~、ため息出るなあ。こういう湖って・・・・・・。ほっとする・・・美しい・・・こーゆー湖のある湖畔に家を持って日向ぼっこしながら子供時代のこと思い出してノスタルジイにひたりてえなあ~~~」 「・・・・・・ぷっ、なーにジジ臭いこと言ってんのよ」 何やら近寄りがたい雰囲気を出して祈祷書を開いていたルイズだったが、ウェザーのセリフに思わず吹きだしてしまった。木にもたれてウェザーはルイズにリンゴを差し出した。 「そろそろ腹がへる頃だと思ってな、みんなの分も買ってきたんだ」 「へえ、気が利くわね」 ルイズが受け取るのを見ると、ウェザーはもう片方に持った真っ赤なリンゴに豪快にかじりついた。それを見てルイズもマネしてかじりつくが、ルイズの小さな口ではかみ切れずに歯形だけが残ってしまう。 「ガハハハ、へたっぴだなあ。無理せずにチビチビ食えばいいじゃねえか」 「う、うるさいわねえ、言われなくたってそうするわよ!」 頬を赤く染めて浅くかじりつくルイズ。その様子を笑ってみていたウェザーだったが、軽い調子でルイズに尋ねた。 「なんか今日は元気がないが・・・・・・どうかしたのか?」 その言葉に、ルイズは口に運んでいたリンゴを下ろした。手元のそれをしばらく眺めていたが、ゆっくり訥々と話し始めた。 「実はね、『虚無』のことなんだけど・・・・・・がっかりさせたくなくて、姫さまにも言えなかったことなんだけどね・・・・・・」 本当はウェザーとアニエスのことが気になりすぎてだなんて口が裂けても言えないルイズだが、しかしそのもったいぶった言い方にウェザーは先を促す。 「なんだよ。言やいいじゃねーか」 「実は・・・・・・・・・『虚無』の魔法、『エクスプロージョン』があれ以来唱えられなくなっちゃったのよ・・・」 驚愕の事実にウェザーは目を見開いた。 「それはもう『虚無』が使えないってことか・・・・・・?」 「そういうわけじゃないみたい。唱えられないって言うのは、最後までって事なの。練習していたときも、何度唱えようとしても途中で気絶しちゃうのよ。一応爆発はするんだけど」 「気絶?どういうことだ」 「たぶん・・・精神力が足りないんだと思うの」 「精神力ゥ?」 「そ。魔法は精神力を消費して唱えていることは知ってるわよね?」 ウェザーは頷いた。それは初期の授業で聞いていることだった。そして精神力を使い、どれだけの系統を足せるかでクラスが決まるということも。 「で、精神力が最後まで持たずに切れちゃったのに無理して唱えようとすると気絶しちゃうわけ。伝説の『虚無』の系統だもの。強力すぎてわたしの精神力が足りないんだわ」 「でも、この前は唱えられた」 「そこなのよね・・・・・・どうしてかしら・・・・・・」 ドットがスクウェアクラスの呪文を唱えられないように、精神力の絶対量に上限がある以上はルイズも『虚無』の詠唱が不可能なはずなのだ。だが、事実ルイズは一度唱えている。 「精神力は寝れば回復するから、睡眠もちゃんととってるんだけどなぁ・・・・・・」 「そうだな・・・例えば、お前が実はもの凄い精神力の持ち主だったとかはどうだ?今まで魔法が成功することのなかったお前の精神力は、家から出られない犬のフラストレーションのように溜まり膨らみ、しかしそれを全てあの一回で使ってしまった・・・とか」 確かにこれなら一晩寝れば元に戻るはずの精神力の回復の遅さの説明にはなる。他のメイジの精神力がエリー湖くらいだとするならば、ルイズの精神力プールはカスピ海並なのかも知れない。だとすれば、そこに再び水を満たすことはかなりの時間を要するというものだった。 「そうね・・・そうかもしれないわ・・・・・・」 「だとすれば、次最後まで唱えられるのはいつくらいかね・・・・・・」 「一月かかるか・・・・・・一年かかるか・・・・・・」 「十年とかな」 「冗談言わないで!」 「だが、魔法は一応成功してはいるんだろ?その、爆発が」 「そうね。規模は小さいけど、爆発はする。『虚無』は本当に未知のことばかり。呪文詠唱の途中でも効力を発揮する呪文なんて、聞いたことないもの」 さすがは伝説、右も左も解らないとはこのことだろうかとウェザーは湖面を見ながら思った。リンゴをかじる音だけが響いた。 「・・・・・・なんにせよ、今晩にそなえて寝ておくべきだな。お前は後方支援だが、切り札的な位置でもある。少しでも精神力を回復しておけ」 そう言うとルイズの隣に腰を下ろした。 「あんたいいの?アニエスの所にいなくて・・・・・・」 「俺はご主人様の使い魔でありますから、ハイ」 ふざけた調子でそう言ったウェザーは、肩に何かが触れるのを感じてそちらを向いた。ルイズの桃色の髪と、心なしか赤くなっている顔が見える。 「これはあくまで最近その使い魔の仕事もサボりぎみの使い魔に、わたしがわざわざ仕事を作ってあげるだけなんだからね」 「感謝の極みに恐悦至極」 「ちゃ、ちゃんと時間になったら起こしなさいよ!」 「了解」 「へ、変なことしないでよ!」 「しねーよ」 しばらくはもぞもぞと動いていたルイズだったが、そのうちに大人しくなった。ウェザーも作戦でかなり使うであろう力のために仮眠に入った。 二つの月が天の頂点を挟むようにして光っている。一日の内でもっとも闇が深くなる時刻がやってきたのだ。 そんな時刻にこのラグドリアン湖の岸辺に人影が現れた。人数は二人、大と小と区別はしやすいが、漆黒のローブを纏っているために素顔はおろか性別もわからない。 その二人組は水辺に立つと杖を掲げた。呪文を唱える小さな声が歌うように湖に染み渡りだしたのと同時に二人組の足下の土が隆起し、大きな手が二人の足を固定した。それに合わせて背後の木陰から影が飛び出してくる。 槍らしき武器を持ったその影は、三十メイルの距離を凄まじい勢いで五秒とかからずに縮めた。 しかし、二人組の反応はさらにすばやかった。迫りくる数瞬の間に、大影が足下の戒めを炎で焼き払い、それが終わるか終わらないかという絶妙のタイミングで小影が横に飛んだ。同時に風の魔法で大影を柔らかく飛ばし、距離を取ったのだ。 その間わずか三秒。結果突撃してきた影は二人の間を通過してそのまま湖に落ちていく。 「うわあああああッ!」 しかしこの叫びはその影のものではなかった。横に跳んだ二人は突っ込んできた影を見ていたためにお互いが向き合う形になっていたのだが、そこへ別の二つの影が剣を振り上げて背後から襲いかかったのだ。 一瞬。一瞬だけローブの二人組は驚いたようだったが、すぐに対処した。大小の影は自分の背後の敵ではなく、相方の背後の敵に照準を合わせたのだ。振り向く時間が無くなる分、行動は迅速になる。 ローブの二人の顔面を避けて進んだ火球と風は、正確に襲いかかる者達に向かった。その二人は何とか攻撃を避けるが、その間にローブの二人は再び合流して詠唱に入りだした。 先の魔法は状況から脱するための威嚇だったが、今度のは本気だ。片方が詠唱をずらしているのはお互いが隙を作らないための作戦だろう。 だが、二人の集中力は再び途切れることとなってしまった。またも何かが足を掴んでいるのだ。だが、今度は土ではない。別の何かだ。 二人組が足元を見ると、どうやら手らしいのだが、それは湖から伸びている。そして、何かを考える暇もなく、二人組は湖の中に飲まれていった。 水飛沫の上がった湖面の波紋も静まった頃、木陰からルイズとモンモランシーが顔を出した。 「作戦は上手くいったのね」 「うん。一応ね」 それに答えたのはギーシュだった。ローブの二人組を背後から襲ったのはギーシュとアニエスである。 「作戦通りウェザーが水中に引きずり込んだよ」 ウェザーの作戦はこうだった。ギーシュの『ワルキューレ:ブリュンヒルデ』の突貫によって敵を分断し、背後から強襲する。それで決着が付くのならばそれでいいが、もしもの保険にとウェザーが水中に身をひそめていたのだ。 しかし夜でも浅い場所なら透けて見えるラグドリアン湖でなぜ接近に気付かれなかったかというと、『全反射』を利用したのだ。 ウェザーの話では、『オゾン層を操作してこの湖畔に降る光の角度と空気の屈折率を変える。『ヘビー・ウェザー』の応用だ。カップに入れたコインが見る角度によっては消えて見えるの知らないか?『全反射』っていうんだよ。 エネルギーはバカみたいに食うから、範囲も狭くて長持ちしないがな』ということなのだが、この中の誰もが曖昧な顔をしたものだ。コルベールがここにいたのならば食いついてきたのだろうが。 実際に月を映し出すだけで湖の様子は窺えない。だが、それも徐々に薄れ、やがて中の様子が少し見え始めた。 「ウェザーだ!」 ギーシュの指差す場所には、雲の潜水服を纏ったウェザーの姿と、向き合うように構えている大小ローブの姿があった。しかしそれもすぐに見えなくなる。暗くてよくは見えなかったが、全反射を解いたのはどうやらそちらに回す余裕がないからのようだ。 「あの咄嗟で風の呪文を唱えていたのか・・・」 「この策は失敗だな。奴らはかなりの手練れだぞ、二対一はキツイ・・・・・・よし!」 やおら湖に飛び込もうとするアニエスをギーシュが慌てて取り押さえた。 「放せ!私が援護に行くッ!」 「だから、生身で入ったら水の精霊に心を奪われるんだってば!」 つまり、ルイズたちはただ指をくわえて見ているしかないのだ。ギャーギャーと暴れるアニエスたちをよそに、ルイズは自分がどうすべきかを考えていた。 (指をくわえてみているだけなんてイヤ!ここでなにもできなかったら、わたしは・・・わたしは何のためにこの力を持ったのか・・・・・・) ぎりっ、と歯がゆさに拳を握るが、そこで祈祷書を持っていることに気がついた。そして、まるで本が開けと囁いているかのような声が聞こえてきたのだ。誘われるままにページをめくっていくと、『エクスプロージョン』以外のページが読めるようになっているのに気がついた。 だが、そこに書かれた古代ルーン文字を見て力が抜けそうになった。 「・・・・・・ディスペル・マジック?これでどうしろっていうのよ・・・」 「ああ!水面が揺れているッ!」 水中の戦いは熾烈を極めているのかも知れない。考えている暇はない。この魔法が今出たのには何か意味があるのだ。 そう信じてルイズは詠唱を始めた。 水中に潜ったウェザーは舌を巻いていた。引きずり込んだはいいが、まさかあの咄嗟に魔法で水の精霊の干渉を防ぐとは思わなかった。 水面を通ってきた揺らめく月光をバックに、体勢を立て直した二人は潜水服を着たウェザーを見ると、何かを話し、杖を構えた。ウェザーも身構える。 先に動いたのは大きい方だった。一直線に湖底目指して潜り出す。どうやら水の精霊を先に攻撃しようとしているらしい。そうはさせじとウェザーも潜る。 潜水服は取り込んでおいた空気を排出することで加速して進めるが、ウェザーが吸う分の空気の残量もあるので無駄遣いは出来ない。 すぐに追いつくかと思われたが、回り込むウェザーの目の前を水を切って進む風が通りすぎた。視線を向けると、小さい方が杖をウェザーに向けているのだ。先にこちらを片づけないといけないらしい。 「かかってこいってか?」 ウェザーが接近を試みると、それを阻止するように風を飛ばしてくる。それをスタンドで弾きながら進む。あと少しで射程距離だが、何か違和感を感じる。 あれほどの反応を見せていた手練れが、なぜか大人しすぎる。水中だからといえばそれまでだが、その部分が小骨のように引っかかりだしたのだ。 (何かがあるッ!) その瞬間、後から気配を感じ慌てて振り向くと、湖底に向かったと思っていた大きい方がいつの間にか背後に戻ってきていたのだ。恐らくはこれが狙いだったのだろう。すでに向こうの射程距離だったのだろう、杖の先から炎球が放たれた。 ウェザーは咄嗟に潜水服の空気を排出してそれをギリギリでかわす。水中だからだろうか、炎球はすぐに萎んで消えてしまったが、ウェザーは挟まれる形になってしまった。しかも今回は少しでも傷を負えば、水の精霊の餌食になってしまうという条件付きなのだった。 だが、それ以上にウェザーを焦らせているのは空気残量がなくなりつつあることだった。敵もここが正念場と腹をくくったのか強力な魔法を唱え始めた。 (く・・・これしかない!) 二つの杖の先から強烈な風と巨大な炎球が放たれるのと同時に、ウェザーは残りの空気を使い体を上方に持っていく。そして自分がいた場所に向けて風圧の拳を放った。 三つの力はその地点でぶつかり、圧縮し合う。そして逃げ場を求めて力が一気に外に向けて炸裂したのだ。もの凄い力で押し上げられたウェザーとローブの二人は巨大な水柱とともに空中に投げ出された。 最初にルイズの異変に気付いたのはギーシュだった。謳うような声が耳に入り、振り向けばルイズが詩を諳んじているのだ。いや、詩ではない。これは・・・詠唱? 続いて気がついたモンモランシーが声をかけようとしたが、それをギーシュが制した。 「彼女には・・・今のルイズには何も届きはしないよ」 魔法を扱うものであれば一目見ただけでこのルイズの凄まじい集中力に驚くことだろう。 いったい彼女は何をしようとしているのか。かすかな期待が胸の内に生まれ始めたとき、背後で轟音がした。 「何が起きたんだ!」 「上だ!ウェザーたちが出てきたんだ!」 事態を見まもっていたアニエスが空を指差すと、確かにウェザーとローブの二人が見えた。しかもウェザーの雲の潜水服は背中が大きく裂けてしまっている。あれで落ちたのでは間違いなく水の精霊の餌食だ。 そして待ってましたとばかりに水の精霊が水面に現れる。もごもごと蠢くと、次の瞬間には湖が波打ち、何かの形を作り出したらしい。 横からでは見えないが、真上――ウェザーたちから見ると、湖が悪魔の顔のようになり、口を開いて落ちてくるのを待っている、とでも言ったところだろうか。 さらに悪いことに、ここで二対一の差が出た。大きい方が小さい方にレビテーションをかけたのだ。体制を立て直し、ウェザーの方を向かせると、小さい方が杖から魔法を放つ。 スタンドでガードしても下に押されてしまい水の精霊に捕まることは必至。ギーシュたちも魔法での援護をしたいがいささか遠すぎる。 誰もが最悪を想像したとき、眩い光が辺りを包んだ。 「ウェザァァ――――ッ!」 飛びそうな意識の中、敵の杖が自分に向くのをウェザーは人ごとのように感じていた。意識を繋ぐのに必至で体が動かない。 「くっそ・・・」 搾るような声が漏れたが、それだけだった。しかし、魔法をスタンドで防ごうとしたその瞬間に辺りが眩い光に包まれた。 「ウェザァァ――――ッ!」 ルイズの声がする。光に包まれると、不思議と心が落ち着いた。あの時と同じだ。タルブと、同じだ。 光は敵を包み込むと、放った風をかき消し、レビテーションまで無効化させてしまったらしい。真っ逆様に湖に落ちていった。しかしそれはウェザーも同じだった。どうする間もなく着水する。 「プハッ!」 すぐさま顔を出すが、水の精霊の攻撃らしきものは感じない。顔も消えてしまっている。ルイズの放った光に目でも眩んだのかと思っていると、二人組も湖から空気を求めて顔を出してきたのだ。攻撃しようかと腕を振り上げたが―― 「まってウェザー!あたしたちよ!キュルケとタバサ!」 ローブの下から現れたのは学校を休んで出かけていたハズの二人だった。 「お、お前ら何やって・・・・・・」 「それはあとよダーリン!下から水の精霊が来てるわ!」 ウェザーには見えないが、メイジであるキュルケたちには今まさに迫る水の精霊が見えるのだろう。だが、再び風を纏う精神力はなく、岸まで泳ぐには距離がある。 絶体絶命には変わりはなかった。だが二人は慌てず、タバサが指笛を吹く。そして間をおかずに羽ばたきの音が。 「きゅいきゅい!」 どこからやってきたのか、シルフィードが最大速力で湖面を駆け、すれ違いざまに三人は首や翼にしがみついた。手の形を作り出し捕まえに来た水の精霊は、しかし紙一重で取り逃すこととなった。 モンモランシーの『水』の魔法で治療を受けながら、ウェザーたちはキュルケたちの話を聞いていた。焚き火に焼かれる肉の匂いが鼻をくすぐる。 「しかし、お前らがあそこまで出来るとは・・・正直侮ってたぜ」 「まあね。これでも修羅場はくぐってきたつもりよ。あなた達の作戦も分断とか奇襲とかよかったけれど、連携は心の繋がりだからね。その点あたしとタバサは以心伝心、ハート・トゥー・ハートってやつ?」 「でも、なぜ君たちは水の精霊を襲っていたんだい?」 「何であなた達は水の精霊を守っていたの?」 肉をつつきながら尋ねたギーシュに、キュルケがそっくり返してきた。と、その話しそっちのけでアニエスが焼けた肉をウェザーの口に持っていく。 「さあ焼けたぞ!私が捕ってきた肉だ、存分に味わえ!あ~ん」 「いえ、前回十分堪能させていただきましたので結構です!」 「遠慮することはない。貴様のために捕ってきたのだからな。ほら、あ~ん」 アニエスはついにはウェザーを押し倒して実力行使に出始める。ドタバタと暴れる二人を苦笑いしながら見てギーシュがキュルケに答えた。 「あれをなんとかしにね。『水の精霊の涙』が必要なんだけど、そのための条件が君たちを倒すことだったとは」 「『水の精霊の涙』?じゃあやっぱり惚れ薬のせいだったのね」 惚れ薬の単語にモンモランシーが反応してしまい、当然それを見逃すキュルケでもなかった。 「作ったのあなただったのね。大方ギーシュにでも飲ませるつもりだったんでしょうけど、ギーシュの手綱くらい握れなきゃあ自分に自信がないって言ってるようなものよ」 「うっさいわね!そのギーシュが浮気ばっかりするからいけないんじゃない!あの浮気性はもはや重病よ?悪性腫瘍なのよ!」 「もとを辿ればぼくのせいなのかもしれないけど、それにしたって二人とも酷くない?」 ガックリと肩を落とすギーシュだった。そしてキュルケも困ったように隣のタバサを見つめる。彼女はただじっと、焚き火の炎を見ているだけだ。 「参っちゃったわねー。あなたたちと戦うわけにもいかないし、かといってここで退いちゃうとタバサの立つ瀬がないし・・・・・・」 「タバサが?何かあるのか?」 「え?あ、そ、その、タバサのご実家に頼まれたのよ。ほら、水の精霊のせいで水かさが増して、おかげでタバサの実家の領地が被害に遭ってるらしいの。それであたしたちが退治を頼まれたってわけ」 となれば手ぶらで帰すわけにも行かない。しばし考え込んでから、ウェザーは結論を出した。 「ようは水が引いて土地が戻ればいいんだろ?だったら交渉して決着つけりゃあいい。幸いこっちにゃ『水』の使い手がいるんだからな」 視線が一気に自分に集まったモンモランシーは「え?あ、あたし?」と狼狽えていたが、ウェザーに促されて水際に立ち、水の精霊の呼び出しを開始した。しばらくしないで水の精霊がモンモランシーの姿で現れる。 「・・・・・・・・・・・・お前たちか。不思議な光のせいで襲撃者を逃したようだが、何用だ?」 思い出すのにタイムラグがかなりあった辺り、ウェザーごと飲み込もうとしたのは覚えていないのだろう。さすがは悠久を生きる存在。 「逃がしてはいないわ。もうあなたを襲うものはいなくなったのよ。約束通り体の一部をちょうだい」 モンモランシーがそう言うと、水の精霊は細かく震え、体から水滴を飛ばした。それをギーシュが持っていたビンで慌てて受けとめる。そして、もう用はないとばかりに沈みだした水の精霊をウェザーが呼び止めた。 「もう一つお願いだ。水かさを増やすのをやめることは出来ないのか?もちろんタダとは言わん。理由があるなら聞くし、力になれるならなる」 そのセリフに水の精霊は様々な仕草を見せたが、やがてしゃべり出した。 「お前たちに任せてよいものか我は悩む。しかし、お前たちは我との約束を守った。ならば信用してもよいと思う」 回りくどい言い方で切り出すと、水の精霊は唄うように語りだした。要約すると、古より守ってきた秘宝が二年くらい前に人間が盗んだ。水かさを増やすのはそれを探すためであって、見つけるまでは底なしに増えるらしい。 「よーするにだ、その秘宝を取り返せばオールオッケーなんだろ。秘宝の名前はなんだ?」 「『アンドバリ』の指輪。我が共に、時を過ごした指輪」 聞いたことがあるわと言ったのはモンモランシーだ。 「『水』系統伝説のマジックアイテム。たしか、偽りの生命を死者に与え、傀儡の如くに扱えるという・・・・・・」 モンモランシーの説明にギーシュ、キュルケ、タバサ、そしてさすがのアニエスも互いに顔を見合わせた。 「そりゃまたけったいなモンをパクッたもんだな。誰が欲しがるんだか・・・・・・」 「恐らくはクロムウェルね・・・聞き間違いじゃなければ、アルビオンの新皇帝よ。間違いないわ・・・タルブ村での戦闘の時、レコン・キスタはアルビオンで死んだウェールズ皇太子の部下たちの死体を操って襲ってきたわ」 ウェザーとルイズが目を見開いた。短い間では合ったが、同じ城の中で過ごした時もあった仲だ。やるせなさと同時に、吐き気を催すようなやり口に怒りが沸いてきた。 「いいだろう。その『アンドバリ』の指輪は必ず取り返してやる。彼らの魂の安らぎのためにもな」 「わかった。ならば約束通り水を増やすのをやめよう。我はお前たちの寿命が尽きるまで待とう。明日も未来も、我には変わらぬ・・・・・・」 水の中に姿を沈めながらそう言い残した。しかし、いざ消えようとしたところでタバサに呼び止められた。タバサが他人を呼び止める事に全員が驚いていた。 「待って水の精霊。あなたはわたしたちの間で『誓約』の精霊と呼ばれている。その理由が聞きたい」 「単なる者よ。我とお前たちでは存在の根底が違うゆえ、理解ができかねる質問だ。が、おそらくは我の変わらぬ存在に、お前たちは変わらぬ何かを結びつけ祈るのだろう」 タバサは頷き、目を瞑って手を合わせた。いったい誰に何を誓っているのか。キュルケだけがその肩を優しく抱いた。 「それではぼくも」 そう言ってギーシュが胸を張り高らかに宣言した。 「ギーシュ・ド・グラモンはこれから先、如何なる時もモンモランシーを愛し守ることを誓います!」 「ギーシュ・・・・・・ふ、ふん。ちっとも嬉しくなんか無いんだから。あんたの事だから、どうせ三日坊主でしょうからね」 素直でないモンモランシーに一同は苦笑した。その時、アニエスがウェザーの裾を引いた。 「私たちも誓おう」 「・・・できかねるな」 ウェザーの言葉にアニエスは眉をひそめた。もしかしたら泣きそうなのを必至で堪えているのかも知れない。 「なぜだ?やはりこんな筋肉女ではダメなのか?女らしさが足りなかったのか?」 「そうじゃあねーよ。ただ、今のお前じゃ話にならないってことさ。この件に片がついて、それでも誓って欲しいって言うなら考えてやらないでもないがな」 そしてアンリエッタの頭を優しく撫でた。 「オメーはキレイだよ。そこんところは自信持っていいぜ」 アニエスは俯いてしまったまま動かない。しばらくの沈黙の後にキュルケが切り出した。 「そう言えばダーリン、あたしたち付近で悪事を働いていたスタンド使いを一人捕まえたのよ!」 「何ッ!大丈夫だったのか?」 「ふふーん、あたしとタバサにかかったらちょちょいのちょいよ。ねータバサ」 「それでも全滅間際だった」 「あん!バラしちゃやーよ、せっかくのお手柄なんだから脚色して褒めて貰おうと思ったのに」 タバサが言うからには本当なのだろう。スタンド使い対メイジならば、先制攻撃がとりやすいスタンド使いにアドバンテージがあるものだ。ましてメイジはスタンドに干渉できても視認できない。そのハンデを覆しての勝利となればこれは大殊勲ものだった。 「ふぁあぁあ・・・何か眠くなって来ちゃったよ」 ギーシュのあくびが伝染したのか、急に眠気が全員の瞼にのしかかってきた。 「あたしたちは報告に戻るわ。ダーリンたちはどうするの?」 「せっかく来たんだし、湖畔で野宿も悪くないさ」 翌朝スタンド使いの身柄を引き渡すことにして、キュルケたちはシルフィードに跨り深夜の空に飛び立っていった。 ウェザーたちも持ってきた毛布を纏い、疲れに引きずられるように眠りに落ちていった。対面の木には仲良く頭を預け合って寝ているギーシュとモンモランシーの姿が。ウェザーも木にもたれて寝ようとすると、右にルイズ、左にアニエスが寄りかかってきた。 「ものすっごく寝にくいんだが」 「がまんしなさい」「耐えてくれ」 問答無用で同時にそう言われて、反論する間もなく二人は睡眠に入ってしまった。 「ったく・・・・・・」 ため息を漏らしながらもそれほどイヤな感じがしないのはどうしてだろうか。 空と湖。四つの月が見える湖畔に吹く風は初夏にしては冷えるが、五人の体は温かかった。 「で、本当に治るんだろうな?」 「大丈夫。これで失敗でまた同じ苦労するのはわたしもイヤよ」 翌日、件のスタンド使いを引き取り一行は学園に帰ってきた。スタンド使いは火傷などの重傷を負っており、処置はしたが意識不明のままだった。もっとも、犯した罪の重さから死罪は免れないとのことである。 帰ってきてまずモンモランシーの部屋に駆け込み、突貫作業で調合を済ませて解除薬を完成させたのだ。モンモランシーは額の汗を拭いながら、椅子の背もたれにどっかと体を預けて疲れたようにそう言ったのだった。 「よし、これを飲めアニエス」 「うっ・・・!く、臭いぞ、これ」 何を混ぜたらこうなるのかと言うような臭いがるつぼから立ちこめている。アニエスが拒むのも当然と言えるが、ここは無理にでも飲んで貰わなければならない。 「これは・・・そう、特訓だ。毒に対する耐性をつけるために用意した特訓なんだ」 「特訓・・・ウェザーが私のために用意してくれたのか!ならばどんなものであろうと飲み干してみせよう!」 言い放つとウェザーの手からるつぼを奪い取り、一気に飲み干した。さすがに一気はまずくないかと一同が心配そうに見守る。と、そんな中でモンモランシーがウェザーの脇をつついた。 「取り敢えず覚悟しといた方がいいわよ」 「覚悟?」 「だって、惚れ薬の効果でメロメロになってた時間の記憶はまるまる覚えてるわよ。アニエスって人がどういう性格かは知らないけど、自分の意志とは無関係にあれだけのことやってればねえ・・・」 だったらお前の方が危険なんじゃないかと言いかけたところで、ひっく、としゃっくりが一つ聞こえてきた。 「ふぁ?」 間の抜けた声を出したあと、憑き物が取れたように表情がハッキリとしてきた。そしてみるみる顔を紅潮させ、額に血管を浮かばせて引きつった笑みを見せた。 「あー・・・まず殴る?」 一撃くらいは覚悟してやるかと奥歯を食いしばったが、アニエスは引きつった笑みのままそれを辞退した。 「私はこのあともスタンド使いの取り調べがあるんでな。これで失礼する」 指の関節をごきごきと鳴らしながらそう言ってのける。この時ウェザーは心の底からスタンド使いを捕まえたキュルケとタバサに感謝したという。あとは質問が拷問に変わらないことを祈るのみだ。 アニエスは出ていくときにルイズとすれ違った。 「治ってよかったわね」 「ああ、そうだな。君の使い魔を借り受けて君にも迷惑をかけたな。だから―――」 最後の部分はルイズにもよく聞き取れなかったが、アニエスは歩みを止めることなく去っていった。 罪人を運ぶ護送馬車に乗りながらアニエスは空を見ていた。 「キレイ・・・・・・か」 力が物言う職場上、腕を磨くことのみを考えて生きてきた。それが自分の目的のためにもなることは解っていたからだ。だから、面と向かって『キレイ』だなんて言われたことはない。 アニエスが最後に言った言葉は「また迷惑をかける」だった。それがどういう意味を持つのかは言った本人でさえよくわからなかったが、少し興味が湧いてきた。 「なにか良いことでもおありでしたか?」 隣の御者の声に我に返った。顔を触ってみれば、なるほど、確かに笑んでいたようだ。 「そうだな。疲れたけれど、いいことだったよ」 空は夏らしく高く、入道雲が昼寝をするかのように横たわっていた。 後日談として。 誰が流したのか『アニエスがウェザーに惚れている』という噂が王宮に広まり、その後の二人の様子から『アニエスはウェザーに捨てられた』に発展し、アニエスを隊長に据えた新組織の銃士隊の面々から、ウェザーはしばらく刺すような視線を浴び続けたとか。 To Be Continued… ----