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一章十五節~使い魔は空を見る 土くれは壁を見る~(前編)」(2010/01/04 (月) 02:05:00) の最新版変更点

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「全員、杖を遠くに投げなさい」  フーケの命令に、ルイズらはしぶる様子を見せた。  貴族、メイジといっても、杖なしではただの人間である。いま杖を捨てるということは、唯一の対抗手段を奪われるということだった。しかし『破壊の杖』を向けられていたのでは、結局どの道もない。皆大人しく杖を投げた。  それを見届けると、フーケは懐から杖を取り出して振った。するとひとの背丈ほどもある、さきほどのゴーレムを思わせるような土で出来た腕があらわれる。腕は地を滑るような気味の悪い動きをすると、ルイズたちの杖を掴み取って操り主の足元まで運んだ。わざわざそんなことまでするあたり、フーケも用心は怠っていないらしい。 「あんたも、その折れた剣を投げるのよ」  リキエルにも声がかかった。フーケにしてみれば、自慢のゴーレムの攻めをことごとく避けられ、挙句には受け止めまでされたのだから、当然といえばそうかも知れない。  ここでもリキエルは、まるで自失した人間のように口を半開きにして空を眺めていたが、やがて緩慢に視線を移して、手の中の剣の柄を見た。それから、これものんびりとした動きでフーケを見、瞬きふたつ分ほどの間が経ってから、その足元めがけて無造作に柄を放り投げた。  それから間もなく、リキエルの左手が輝きを失った。全身の傷の痛みが戻って来て、ひどい苦しみがあるはずだが、リキエルはそれをおくびにも出さなかった。悠然ともいえる態度で、フーケを見返している。  その視線を不気味に思ったか、フーケは一瞬リキエルから目を外したが、自身の有利を思い直したようにまた強い目を向けた。 「この、嘘つきッ」 「いったいどうして!」  少しでも時間を稼ごうという算段なのか、それとも単純に怒りがそうさせたものか、キュルケとルイズが前後して叫んだ。  それを受けたフーケは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、動じる様子もなく淡淡と言った。 「義理はないけど、まあいいわ。教えてあげる。私ね、この『破壊の杖』を奪ったのはいいけれど、使い方がわからなかったのよ。でも、わからなければひとに聞けばいいだけなのよね」 「学院関係者なら、それを知ってるだろうって?」 「そうよ。まさかあなたたちみたいな学生が出張るとは思わなかったし、あまり期待もしていなかったけど、たまたま偶然、アタリを引いたみたいでよかったわ」 「……わたしたちの誰も、知らなかったらどうするつもりだったの?」  眉をひそめながら、ルイズが聞いた。 「そのときは、全員ゴーレムで踏み潰して、次の連中を連れて来るだけよ。いい考えでしょ」  ま、その手間もこうして省けたわけだけど。フーケは酷薄に笑って、あらためてルイズ達に見せつけるように、『破壊の杖』を乗せた肩を揺すった。 「さ、質問タイムはもう終わり。そろそろお別れのお時間かしらね。全員、もう少し後ろに下がってちょうだい。こんなに近くで使うと、私まで巻き込まれてしまうわ」  なら自分が下がればいい。顔にそう書きながらも、ルイズたちはフーケの言いなりになって後退しはじめた。せめてもの抵抗というように、ひどく遅遅とした動きであった。  タバサなどはここに来てもフーケの隙をうかがって、反撃の糸口を探る様子だったが、賊もさる者で、喋っている間もそういったほころびを微塵も見せなかった。どうやら本当にお手上げである。  しかしそんな中で、やはり様子の違うやつがひとりいた。むろんリキエルである。こんなときだというのに、顔色ひとつ指一本たりとも動かさず、奇怪なほどの落ち着きを見せる姿は、体を這う蟻を気にしない牛といった風情である。あるいは純然たる馬鹿野郎にも見えなくはなかった。 「リキエル、あんたはずいぶんと落ち着いてるのね」  揶揄するようにフーケが言うのに、リキエルは少し首を傾けた。 「存外に勇気があるのかしら」 「さあなァ。それほどでもねーと思うがな、自分では。ただ、必要ないと思ってはいるな。お前の言うことに唯々諾々と従う必要はな」 「この状況がわかってないわけじゃないわよね」 「ちゃあんと、わかってるぜ。たぶんこの場にいる誰よりもなぁああ」  リキエルは腰に手を当て、挑むような口調で言った。口は笑っている。皮肉っぽさはなく、代わりにぎらぎらするようなものがあらわれていた。  対してフーケは、つかの間目を細めたものの、こちらも艶の乗った笑顔で返した。  ルイズたち三人は、ほとんど蚊帳の外といった体だった。特にルイズはまだ混乱が収まっていないようで、まったくもってちんぷんかんぷんという顔をしている。他のふたりが厳しい顔で成り行きを見守るのと対照して、どこか間の抜けた顔で、フーケとリキエルとの間に視線を彷徨わせるばかりである。  フーケが言った。 「そうでしょうね。……そしてそんな余裕のあんたは、いまこう思ってるんじゃないかしら。『こいつには破壊の杖が使えない』なんてふうにね」 「……ムッ」  リキエルは笑みを消して、射るような視線をフーケに向けた。  肩から『破壊の杖』を下ろしながら、フーケは続けた。 「あまり、私を甘く見ないで欲しいわね。この『破壊の杖』を最初に手に取ったとき、見た目や感触より全然軽いんで驚いたわ。でもね、いまこうして持った感覚は、それよりまた少し軽い。これはどういうことなのかしら」 「…………」 「さっき、あんたがわたしのゴーレムを吹き飛ばすのを見ていて、ひとつ気づいたことがあったわ。ゴーレムに向かって飛んで行ったものは、あれは魔法とかじゃないわね?」  聞くというより、確かめる口調でフーケは言った。もう種は明けているとでも言うような、不敵な物言いである。リキエルが驚いたように軽く目を見張っているために、フーケはごく上機嫌なようでもあった。 「それを併せて考えてみたらね、わかったのよ。威力は二段も三段も違うけど、この『破壊の杖』は、きっと平民の使う銃みたいなものなんでしょう。しち面倒に弾を仕込まなきゃならない、あの銃」 「いや、本当に……甘く見ていたぜ」  仏頂面でそれまで黙っていたリキエルが、唐突に言った。 「その通りだ、確かに一発。そいつが撃てるのはそれだけなんだと」 「何よりあんたの態度が腑に落ちなかったわ。こんな物騒なもの向けられてるのに、あんたは顔色ひとつ変えなかったわね。欠点を知ってたら、怖いわけもないわ」 「鉄くずと同じだからなァ、銃と違ってよォ~~。怖くもなんともねーってのは、その通りだな」  フーケは渋い顔をした。薄々気付いてはいたが、改めて手に入れた宝がゴミになっていると言われ、気落ちを抑えられなかったようである。 「ええと、なんだっけな。いま思い出したんだが、そういや最近なんかで見たんだ。いや、読んだんだっけ? 確か、ずいぶん昔から使われてる兵器とかで――」  失望のまま軽くため息をつきながら、フーケは胸のうちに、もやもやと腑に落ちないものを感じていた。さっきから、リキエルがやたらとよくしゃべっている。  フーケはいま、自分はリキエルよりも一段上にいると思っている。『破壊の杖』が使えないのを看破したことで、裏の裏をかいたと確信している。念を入れて、小娘たちの杖もリキエルの剣も奪ってあるわけだから、実質的な立ち位置から何から、たしかにすべて上と言ってよかった。 「Mなんとかかんとかって名前でよお、使い捨て目的で製造されたんだと。……どうしてだろうな、使い捨てとか聞くとよォォォオ、無性に勿体なく思えてくるぜ。貧乏性なのか?」  だがリキエルは、まったく焦りを見せていなかった。『破壊の杖』のことを言っても、多少驚いた様子を見せはしたが、ことさら動じたふうではない。そしてまた、観念したようでもない。 「そうだ、M72 LA……W軽ロケットランチャーだ。所詮は付け焼刃だしなァ、抜け落ちて行ってるようだぜ、脳みそから。正直なところ、どうでもいいことだしなァ~~」 「ちょっとリキエル! さっきからなんの話してるのよ!」 「ルイズゥ~、……ひとの薀蓄は黙って聞くものだぜ、どんなにうざったらしくてもな。そうしてやるのが、人間の優しさってものだぜ」  また、たまりかねたというように怒鳴ったルイズに、リキエルは肩をすくめて、いなすような口をきいた。場の逼迫した空気から、このふたりだけが奇妙にズレている。 「と言うよりもだな、お前には緊張感ってものがないのか? 見ろよ、キュルケにタバサを」 「あんたってばッ! 緊張感ですって? どの口がそれを言うのよ!」 「落ち着けってよオオ――ォ。それなら、倒すか? そろそろ捕まえるんだな? これからこの、『土くれ』のフーケをよおおお」  耳を疑ったのはフーケである。そして彼女は次に、リキエルの正気を疑った。 『破壊の杖』が役に立たなくとも、依然フーケには魔法がある。対してリキエルは丸腰であって、ために使い魔の能力がなく、まして軽くない負傷までしているのだから、いまはただの人間以下と言えた。よしんばフーケに魔法がなくとも、勝てる見込みは薄い。ひっくり返しようがない。それにつけても、リキエルの自信に満ちた言動は異様だった。 「聞き捨てならないわね。あんたは満身創痍じゃないの。まして武器も持たずに、どうやって私を捕まえるって……倒すって言うのかしら」  鋭くフーケが言った。声には苛立った響きがある。  ルイズとどこか滑稽なやりとりをするリキエルだったが、再びフーケと向き合ったときには、その弛緩した感じは消えていた。  リキエルは、フーケに向かって軽く指さした。 「オレにはいま、奇妙なことだが……『確信』がある。お前が魔法を使う前に、杖を落とせるという『確信』だ。得意科目のテストを受けるときのように、出来て当然だという感覚があるのだッ。……お前は自らの手で、その杖を落とすことになるだろうッ!」  だらりと両腕を下げると、リキエルは無造作に歩き出した。大した意気も見られない動きだったが、フーケはわずかに飛びのくように足を引いて、杖を構え直した。リキエルは意に介さない。ただ視線だけを、まっすぐにフーケの手元に向けている。初めのうちはそれなりに開いていた距離が、見る間に縮まって行く。  末広がりの厚い雲がゆったりと流れて来て、その端が傾きを大きくしはじめた日にかかり、一帯に濃い影を落とした。影はすぐに過ぎて行って、またさらりとした春の陽射しが地面に降り注いだ。既にリキエル、フーケのどちらもが、相手の間合いに誤魔化しようもないほど入り込んでいる。  追い詰められたような形で、フーケは杖を振り上げた。と、胸元まで引き上げたところでその動きが唐突に止まった。ルイズたちは、何事かというように半端な格好で固まってしまったフーケを注視したが、フーケ自身、なぜ腕が止まったのかわからないような、唖然とした顔になっている。 「一本!」  そう呟きながら、リキエルが右手の人差し指を伸ばした。すると何がどうなったのか、まるで歯車の噛み合った機械どうしのように、フーケの右人差し指が同じようにまっすぐに伸びる。 「えッ」 「あ…ゼロ本……。あ…ゼロ本」  言葉に合わせて、リキエルは拳を握りこんだり、考え直したように開いたりする。フーケの拳も、またそれと同じに動いた。小振りな杖が、その手からあっけなく滑り落ちた。  意に沿わない動きをする自分の指に、息を詰めて瞠目するフーケだったが、つぎの動きは素早かった。大きく跳びすさってしゃがみ込むと、左手にいくつか小石を握りこんで、リキエルに投げつける。 フーケは、それでリキエルをどうにかしようなどとは思っていなかった。何がどうなっているのかは見当もつけられないが、どうやらまずい状況になりつつあるのを理解しているだけである。ともかくいまは、リキエルから離れなければならない。注意を逸らさなければならない。ただそれだけを考えていた。  小石たりとはいえ、半ば力任せに投げられたものだから、その速さはなかなか避けられるものではない。そういうものが五、六個ほどまとめて、リキエルめがけて思い切りよく飛ぶ。そのうちでも一番大きな礫は、まさにその顔面を襲おうとしていた。  リキエルを除いた四人が、いよいよ目を見張ったのはそのときである。リキエルの鼻柱に叩きつけられるかに見えた小石が、急に軌道を変えて、あらぬ方向へと吹っ飛んで行ったのだ。風に巻かれてというような動きでは――そもそもから大風もない小春日和である――なかった。石はリキエルを避けるように、不自然な反発を見せたのである。  この奇怪な現象に際しても、リキエルは指一本動かさないどころか、小揺るぎもしない。目の奥に灯火して、ほとんど無思慮に見える格好のまま、前に前にと出て行くばかりである。  他方フーケは、立て続けに起きる奇妙を目の当たりにし、転がるように優勢の体を失って、いまや頬を赤く染めて額に汗している。目はせわしなく動いた。右へ左へ、リキエルの顔へ、ルイズらの方へ、またリキエルの顔へ。なんでもいい。状況を打開するものを探した。 「やめたほうがいいな、それは。逃げようってのはな」  静かにリキエルが言った。 「もう一度、杖をとってみるか? お前の方が杖には近いからな。オレがお前にたどり着くのより、多分だが、お前の方が早いだろう。やってみなよ。オレは足を怪我してもいるしな」 「…………」 「だが無駄になる。きっとだ。大人しくしたほうがいいな、水の中のスッポンみたいにだ」  フーケは一瞬身体を震わせたが、すぐに意を決したように、自分の杖に飛びついた。どうせ一八の賭けである。残された道はなかった。  そしてそれは、リキエルの言ったように実を結ばなかった。つぎに地面を踏んだとき、フーケの足首から先は、これもどういったわけかは知れないが、痺れたように力が伝わらなくなっている。重心の置き所を見失ったフーケの身体は、見えない力に抑え込まれたように前のめった。  なんとか踏みとどまって顔を上げたフーケの視線の先に、剣の柄を拾うリキエルの姿があった。 「いらないだろうと思ったんだが、やっぱりよぉ、あんまりちゃんと動けなかったな。これを手放してしまってはな。時にフーケ、腹の中に子供なんかいないよな? お前いま、妊娠しているか?」  一瞬、フーケは言葉を失った。言われた内容が唐突に過ぎて、呆気に取られている。 「どうなんだ? ン? 妊娠、懐胎、出来ちゃってるのか?」 「何よ、その質問は。この期に及んでハラスメント? 舐めくさってくれて!」 「ちょっとした確認をしているのだ。オレはいまから、『土くれ』のフーケ、お前の腹を殴って昏倒させるつもりでいる。もし胎児がいるのを知らずにそんなことをしてしまえばだ、それはすごく心苦しいことだからな」  フーケはからかわれているのかと思った。しかしリキエルの顔を見れば、ふざけているようでもなかった。他意がないことは、それもおかしなことだが、わかった。  肩口から、力が抜けていくようだった。 「……身重で泥棒が務まるもんか。それにわたしは、こう見えて身持ちは固いのよ」  あまり抑揚のない声で、フーケは言った。 「そうか。なら問題ないな」 「ええ、ひと思いにやってほしいわね」 「その前にだ。悪いんだがな、もうひとつ聞いておきたいことがある。これもオレにとっては重要なことだ。質問させてもらうぜ」 「もうこっちは腹を決めてるってのに。まあいいわ。で、何かしら」  リキエルは無造作にフーケに近寄り、つかの間、世間話のように言葉を交わした。距離があって、ルイズたちにはその会話は聞き取れなかった。  やがてリキエルは、得心したように頷いた。そしてまた二言三言すると、やおら息を詰めて、フーケの腹に剣の柄を打ち込んだ。声もなく、フーケの全身から力が失われた。 ◆ ◆ ◆ 「盗人を、捕らえてみれば、美人秘書、だったのじゃな。ミス・ロングビル、彼女がのう」  いかめしい顔で、オスマン氏は言った。横にはコルベールがいて、前にはルイズ以下、フーケ討伐から帰った四人の顔が並んでいる。  オスマン氏は、さりげなくリキエルの方に目をやった。三人娘がけろりとしている一方で、リキエルだけはいくつもの手傷を負っている。応急処置はきちと済ませてあるようだが、それでも見過ごし出来ない傷は多い。無茶をしたらしいのと、オスマン氏は心うちで唸った。  実際、フーケを倒した後にリキエルが立っていられたのは、ひとえに使い魔の能力によるところであった。そしてそれがありながらも、勝利に沸いたルイズらが抱きついた途端に、その身体は朽木のように傾いだのである。  馬車を繋いだところまで戻ってきたときには、リキエルは隠れもなく身体をがたつかせていた。それを見かねたタバサによる『水』の魔法で、一応の処置がなされたのであった。ちなみに、昏倒したフーケを手際よく縛り上げたのもタバサである。  そのフーケは、今は学院の門脇に設けられた詰め所に押し込められている。明日の昼か、早ければ朝のうちに、王宮の魔法衛士に引き渡されることになっている。  目線を宙に放って、髭をなぜながら、オスマン氏は先の言葉に繋げて言った。 「なんの疑いもせずに秘書にしてしまったが……ふむ」 「いったい、どこで採用したのですか?」 「んん。彼女と出会ったのは、そう、街の居酒屋じゃった」  コルベールが聞くのに、オスマン氏は目を細めて応じた。 「は、居酒屋?」 「私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」  そのときのことを思い出して、威厳を保つのも忘れてだらしなく鼻の下をのばすオスマン氏に、コルベールは冷たい目を向けた。 「で?」 「それでも怒らないので、秘書にならないかと、言ってしまった」 「すみません、学院長。よく飲み込めませんで、いま少し詳しくお願いします」 「いやあ彼女、美人じゃったし、おまけに魔法も使えるというもんでな。で、採用」  呆れた話だった。身辺怪しからずや否やの調べもなしに、ろくに話したこともない人間を酔った勢いで秘書になどとは、学院の長を担う身にあってあるまじき失態といえた。それまで相槌をうっていたコルベールも、聞いて損したというように顔をしかめている。  はっきりと軽蔑した口調で、コルベールは吐き捨てた。 「話はわかりました。オールド・オスマン、さしあたって死んだほうがいいのでは?」 「そう怒らんでもよかろう。それに、そうじゃ。今になって思うに、あれも学院に潜り込むためのフーケの手じゃった。愛想を振りまき、世辞を言い、媚を売って来る。しかも、尻を触ってもけろりとして、いやむしろ照れたように微笑んどった。いや、もう、老い先短い耄碌ジジイを騙すのには十分じゃろ? あ、こりゃ惚れてる? とか思っても仕方なかろ?」 「耄碌しきる前にさっさと辞職しては?」 「そう冷たい目で見てくれるなよ、コルトパイソン君。私は悲しい。それに君も男ならわかるじゃろう? 美人というものは、ただそれだけでいけない魔法なのじゃ。な、そうじゃろうッ! カァーッ!」 「異論はありませんが聞く耳も持ちません。それと私はコルベールです。いやさ、そんなことよりオールド・オスマン。そろそろ話を戻しましょう」  言ってコルベールは、ルイズたちを示した。そちらに向き直ったオスマン氏は、憤まんや呆れ、軽蔑に満ちた四つの顔にぶつかった。  沈黙して二、三度髭をいじると、オスマン氏は次第にいかめしい面構えに戻って行った。十秒前の醜態は、幻にでもするつもりらしい。 「さてさて、よくも『破壊の杖』を取り戻してくれたの、諸君。ならびに盗賊フーケの捕縛、まことにご苦労じゃった。ありがとうの、めでたく一件落着じゃ」  オスマン氏はもう一度、ありがとうと言った。リキエル以外の三人は、それだけでさっきとうって変わって明るい顔を見せ、頭を下げた。ルイズなどは感極まったように顔を赤くして、口元を震わせている。  そんな彼女たちを見てオスマン氏は微笑んだ。それから、いま思い出したといったふうに、ルイズとキュルケに対する『シュヴァリエ』の爵位申請を、既に同位を持つタバサへは『精霊勲章』の授与申請を、それぞれ宮廷に申し入れした旨を話した。ルイズらはよりいっそうの喜びに顔を輝かせた。  ――甲斐があったな、この様子なら。  それまでつまらなそうに突っ立っていたリキエルも、オスマン氏のように微かに笑った。喜びに沸く彼女たちを、特にルイズを眺めていると、全身の傷の痛みも悪くなく思われて来るようだった。  ただ、当の本人はそうでもないらしかった。自分たちに向いたリキエルの視線に気づくと、ルイズは少し鼻白んだようになり、そのままオスマン氏に向き直って言った。 「オールド・オスマン。リキエルには、何もないんですか?」 「……ふむん」  オスマン氏は困惑したようにうなり、眉間の皺を深めた。 「残念ながら、彼は貴族ではない」 「でも、リキエルは――」 「いや、いいんスよ。オレは別に」  何か言いかけようとするルイズをさえぎって、リキエルはそう言った。本音では、ちょっとくらい何がしかの褒美を貰っても罰当たるまい、と思ったりもした。しかし、爵位とか勲章はあんまり大袈裟で、金品では大っぴらにそう言うのもはばかられる。実際に受け取ることを考えても気が引けた。  ルイズはまだ何か言いたげだったが、リキエルが顔と手を横に振ると、ようやく引き下がった。  それを見届けると、オスマン氏は手を叩いて仕切りなおしにかかった。 「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃな。フーケの件も収まったしの、祝勝も兼ねて、予定どおり執り行うこととする。当然、主役は君たちじゃ」  キュルケが叫んだ。 「そうでしたわ! すっかり忘れておりました!」 「うむ。ここはもうよいから、部屋に戻って用意したまえ。せいぜい着飾るとよいじゃろう。なにせ主役じゃよ、主役。より取り見取りもいいところじゃよ、主役」  キュルケは礼もそこそこに、タバサの襟首を引っ掴んで部屋を飛び出して行った。  それに続いて、ルイズとリキエルも部屋を出ようとする体だったが、オスマン氏に引き止められた。 「ミス・ヴァリエール、すまんがリキエル君をお借り出来るかの」  主従二人は一瞬目を交し合ったが、リキエルが扉のほうを示して、ルイズを促した。訝しげにしながらも、ルイズは深い礼を残して学院長室を後にした。 「コルベール君、君も席を外してくれんか」 「はあ、私もですか」 「うむ。そのむかし、私が東方の地で修めたパズス流柔術の奥義を、彼に授けようと思うのじゃ。門外不出なのでな、君にも見せられん。わかってくれ」  コルベールは苦笑とも呆れともつかない顔をして、しょうがないですなとこぼしつつ、出て行った。 「さて、君に残ってもらったのは他でもない。ちょいと聞きたいことがあるでな。それと、話したいこともじゃ」  悪いの、と言ってオスマン氏は笑い、腕を組んで考える姿になった。話したいこととやらを、頭の中で整理している様子である。それから間もなく、オスマン氏は静かに語り始めた。  いまから三十年ほども前、オスマン氏はある森を散策しているとき、ワイバーンに襲われた。見たこともないほど巨大な、雌の個体だったという。折も折で体調を崩していたオスマン氏は、逃げるのがやっとだった。  あっという間に追いつかれ、オスマン氏はやむなく杖を抜いた。あるいは軽くない手傷を負うだろうが、倒せる自信はあった。だがそうなれば、付近に人里の気配も見えない深い森であったから、後は野垂れ死ぬに任せる他にない状態だった。  ここで死ぬや否やと腹をくくりながら、オスマン氏はワイバーンと正対する機をうかがった。勝機があるとすれば、それは不意討ちだった。  そしてワイバーンが、オスマン氏にそのひとの腕ほどもある牙を剥いたときだった。オスマン氏は耳を飛ばすような大音を背に受けた。振り返ったオスマン氏は、逆に射す陽の光の中に二つの筒――『破壊の杖』を抱えた、大柄なひとの形を認めた。そしてそうかと思う間に、その人影はゆらりと傾いで倒れた。  彼は傷を負っていた。オスマン氏は直ぐに彼を学院に連れ帰り、手厚い看護を施したのだが、手遅れだった。傷はそう深くもかったのだが、ずいぶんと前に、そこから悪いものが入り込んでいたらしかった。三日して、彼は死んだ。 「そのときの『杖』は、彼の墓に一緒に埋めた。そしてもう一本は、恩人の形見っちゅうことで、勝手に拝借させてもらった。それが今回、君らの取り戻してくれたものじゃ」  オスマン氏は、懐かしむようにしばし目を閉じてから、リキエルに目を向けた。穏やかだが、どこか刺すようなものも孕む視線だった。 「ところでじゃ。つかぬことを聞かせてもらうがの」 「はあ」 「君は、どこから来たのだね? 包み隠さずに言うてほしい」 「オレは――」  そこで言葉を切って、リキエルはしばし考えたが、結局は正直に言うことにした。隠すことでもないと思った。ただ、自分でも与太話に思えるような出来事を、目の前の学院長が信じるかはわからないとも思った。 「オレが来たのは、こことは違う世界なんスよ。あるときちょっとしたことがあって、気を失っちまったんスけど、次に目が覚めたら、ルイズに召喚されてたってわけです」 「ふむ、そうか。そうなのじゃな」  リキエルの案に反して、オスマン氏は得心したように頷いた。 「信じるんですか? オレは確かに事実を言ったつもりだが、冗談みたいな話だ」 「おお、信じるとも。というよりもな、わかった気がしたのじゃよ。……いま話した彼のことじゃが、死ぬ間際まで、うわ言のように言っておった。元の世界に帰りたいとな」 「…………」 「何のことだか、私には見当もつかんかった。じゃが、君が召喚されて来た後でな、あのコルベール君が興奮して語ってくれたのじゃ。君と一緒に召喚された奇妙な形をした物体を、君から借り受けたとな。それで、死んだ彼と彼の持っていた『破壊の杖』が思い起こされた。もしやと思うた。彼や君は、このハルケギニアとはまったく別の場所から来たのでは、と」  問いかけて来るようなオスマン氏の視線を受けて、リキエルは答えた。 「オレの住んでたところは、アメリカって国のフロリダって州です。話を聞く限りじゃ、その恩人もアメリカ人なんじゃねーッスかね。そして、ロケットランチャーいくつも抱えてるなんてよォー、尋常じゃあないぜ。どこかで、紛争だか戦争やってたんだ、きっと」 「戦争か。それで彼は傷を負ったか。まだ若い身空でのぉ、さぞ国に帰りたかったじゃろう」  改めて悼むように、オスマン氏は深く息をついた。それから顔を上げると、リキエルに笑いかけた。 「すまんかったな。老いぼれのために時間を割かせてしまったの」 「いや、いい時間を過ごせたんじゃねーかと思いますよ。たぶん、互いに」 「重畳じゃな。よければこの後のパーティーも、楽しんでくれたまえ。君も主役の一人じゃ」 「せいぜいそうさせてもらうかな。料理なんかは期待大だ。……ああ、そうだ。こっちからもよォ~、一つ聞きたいんスけど、いいですか?」  踵を返しかけてとどまり、リキエルがたずねた。オスマン氏は鷹揚に頷いた。 「確認みたいなもんなんスすけどね。オレのこの左手の、これ。武器なんかを持つと光って、体が軽くなったりするんスけど、使い魔の能力ってやつなんですか?」 「いかにもそうじゃ。そのルーンをつける者は『ガンダールヴ』といってな、強力な使い魔じゃ。そして、ここだけの話――」  オスマン氏はそこで区切りをつけた。そしてリキエルに、もっと近くに来るよう手真似した。さらにリキエルが側に来ると、机の上に身を乗り出して、必要もないのに声をひそめて続けた。 「伝説の使い魔の証でもある」  リキエルは眉を上げた。オスマン氏の大仰な態度からして、話半分で聞くべきことかも知れなかったが、それ以上に興味をひかれた。 「伝説? それじゃあ、オレは伝説の使い魔か」 「うむ。なぜそのルーンが君についたのか、それは皆目わからんがな」  無責任に言って、オスマン氏は元のように椅子に納まった。それから何事か思いついたように、そうじゃそうじゃと呟き手を叩いた。 「何も褒美が出せん代わり、と言ってはあれじゃが、これを受け取ってくれんか」  言いながらオスマン氏は、机の引き出しを開けた。 「これも、彼の形見の品じゃ。『固定化』があるとはいえ、さすがに土の下に埋めるのもはばかられたのでな」  オスマン氏が差し出して来たものを、リキエルは反射的に受け取った。  手のひらに余るくらいの、一冊の本だった。別段、読書家というわけでもないリキエルにとっても、その題名はある種の馴染み深さを感じさせるものだった。版はかなり古く、ところどころがよれてしまっているが、聖書である。オスマン氏の恩人とやらは、よほど信心深い人間だったのだろう。  しげしげと書を眺めるリキエルに、オスマン氏は言った。 「どうやらそれも、君の世界のものらしいの。私には読めんかったよ。まあ、本は読める人間の手元にあった方がよいじゃろうて」 ----

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