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第三話 『平賀才人』」(2007/08/05 (日) 18:20:34) の最新版変更点

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ギーシュの奇妙な決闘 第三話 『平賀才人』  平賀才人に『貴族という生き物をどう思うか?』と問いかければ、こう応えるだろう。  ――最初は存在そのものに無関心だったけど、次にはた迷惑に感じて、その次に反吐が出るほど嫌いになった。  平賀才人の中の貴族像とは、そういうもので固まりつつあった。  ツンデレによるツンツン補正もお題目もなく言おう。ルイズは当初、才人のことを間違いなく恐れていた。  彼女にとって初めての使い魔であるリンゴォは自分をも超える魔法(少なくとも、彼女はそう認識していた)の使い手であり、自分を敬うどころか見下し、軽蔑しきっていた。  リンゴォがギーシュとの決闘に望もうとした時、彼女は止めた。『メイジが平民に負けるはずがない』と、彼女なりに必死に止めたのだ。  ……そんな彼女に対してリンゴォが無言で向けた軽蔑の視線を、彼女は忘れないだろう。  リンゴォ・ロードアゲインは、結局彼女の静止の言葉に対して、何の感想も残すことなく『消えた』。  彼女からすれば、好意を軽蔑で返されたのであり、不快感をぬぐう事はできなかった。この不快感がリンゴォの持っていた得体の知れない能力と、決闘に対する異常な姿勢が想反作用を起こし、彼女の中の『リンゴォ・ロードアゲイン』という虚像は、酷く得体の知れないものになりつつあった。  ここで余談を語ろう。ハルキゲニアにおける『決闘』という概念は、読者諸氏が連想するような決闘とも、リンゴォが至上とする決闘とも、大きくかけ離れたものになっている。  昔はリンゴォが目指したもののように、お互いの全てをかけた公平な果し合いだったのだが、貴族の本質が腐敗するにしたがって、決闘という神聖な行為も、形骸化して言ったのだ。  すなわち、『命をかけた決闘』から、『貴族同士のお遊び』のレベルにまで堕落して行き、今では杖を落としたほうが負けで、相手を傷つけないのが『粋』という、スポーツのようなルールが後付けされている始末である。  貴族全体が腐敗し始めたからといって、全ての貴族が腐りきっているわけではない。ルイズやキュルケなどは貴族の中でもかなり『マトモ』な部類に入っている……だからこそ、ルイズは今の形骸化した決闘に、命を賭ける意義を見出せなかった。  ルイズからすれば、お遊びに対して異常(と、少なくともルイズにはそう見えた)なまでの執念を燃やすリンゴォに対して、呆れより恐怖が先立った。  リンゴォのような『生き物』は、ルイズの世界にいなかった。  ゆえに、恐怖した。  ――ゼロのルイズが召還したのは人間ではなく古代の悪魔だ。  本来ならば彼女自身が真っ先に否定すべき馬鹿げた噂だった。証拠もヘッタクレも何もない噂話を、ルイズはすんなりと事実として認めてしまった。  ひとつは、時間を操作するなどという馬鹿げた能力を、人間が使えるはずはないという事実に基づいた先入観。ひとつは、彼女自身が『ゼロ』と呼ばれる度に傷つけられてきた彼女自身のプライドだ。  自分は悪魔を召還した。自分は悪魔を召還できる!  そう考えたほうがはるかに楽であったし、プライドも傷つけられない。彼女は、『楽』な道へと逃げる事を選んだのである。  コレは彼女の弱さだろうか? 否。  彼女は元来優しい人間である。彼女の優しい少女としての部分は、自分の使い魔が級友を殺そうとした事実が重すぎた。  血まみれのギーシュ、泣きながら自分をなじるモンモランシー。二つの光景は彼女の精神を強かに打ちのめした。そんな彼女の前に垂れ下がってきた一本の蜘蛛の糸。それにすがった彼女を誰が攻められるだろう。  使い魔が制御できなかった、という事実も、彼女の精神の『気高さ』を磨耗させる要因だった。『ゼロ』は所詮『ゼロ』なのではないか? ……普段ならば彼女自身が持つ『気高さ』で軽く耐えて見せるところだが、リンゴォの異常性や級友を殺そうとした事実に打ちのめされた彼女では、耐え切れるものではない。ならば、使い魔が制御できなくて当然のものならば?  ……事この一件に関して、彼女を攻める事ができるのは他ならぬ彼女自身だけだろう。  自分は悪魔を召還した。してしまった。  その事実だけでも重いというのに! 今日又再召喚を行う事になってしまった!  ルイズの内心の不安は只一つ。  『又、リンゴォのような使い魔を召還してしまったらどうしよう』  又、悪魔が級友を殺そうとしたら? 又、悪魔を制御できなかったら?  彼女の精神は、ボロボロだった。内心の恐怖に耐えるだけで、精一杯だった。  そして、召還に応じてこの世界へ降り立ったのは……人間だった。  平民の、『リンゴォと同じ人間』だった!  ギャラリーの誰かが上げた小さな悲鳴を、ルイズは確かに聞いて……その声の主に、感謝した。その声がなければ、自分が変わりに悲鳴を上げていただろうから。  ――簡潔に言ってしまおう。  平民が束になっても敵わないといわれるメイジたち――オールド・オスマンですら――は、召還された極々ふつーの、スタンド能力なんぞ持ってない、うろたえてるだけの才人に対して、ビビリまくっていたのだ!  滑稽通り越して、呆れるべき領域までぶっ飛んだ話である。  肝心の才人はといえば……目が冷めるなり目の前で泣きそうな顔をして怯える少女を見て、たいそうビビッた。  しかも、だ。 「…………」 「へ!?」  才人が必死で状況を把握しようとしている間に、少女のかわいらしい顔が眼前に迫り……  唇が、触れた。  いきなりの状況。いきなりの美少女。そして、いきなりのキス。そして、直後に訪れる全身を焼くような痛み。 (理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能っ!)  どこぞのハーヴェストな少年のように混乱する才人。その後、自分のおかれた状況をルイズに教えてもらうにつれて、彼の混乱の度合いは更に増していった。  ちなみに。  才人がリンゴォほどの凄さを持たない使い魔だと知った途端、ごくごく普通にこき使いだした事を、ここに記しておく。 「彼が、そうなのかい?」  一人の少年が洗濯板を使って原始的な、しかしこの世界では極一般的な洗濯にいそしんでいる。  その光景を遠くに眺めながら、ギーシュは傍らに立つルイズに問いかけた。その声色の成分は、半分が意外さだ。  汗だくになりながら小さなパンツをごしごし洗い、労働の汗を輝かせているその姿から、彼がメイジに勝つほどの使い魔だとは到底思えないのだが。  汗を拭いてすがすがしそうにいかにも『いい労働したぜ!』的な笑顔を浮かべられると……はっきり言って、貴族の下男だといわれても違和感がない。  どーでもいいが才人よ。お前が今汗を拭いたそれは、自分で洗ってたパンティーだぞ。 「というか、ミスヴァリエールは使い魔に洗濯をさせてるのか」 「ルイズ……あなた、いくらなんでも怠けすぎよ」  個人の洗濯物は、個人で片付けるのがこのトリステイン魔法学校では普通だ。ギーシュや、退学になった『黒土のボーンナム』でさえ、自分の洗濯物は自分でしていたというのに。 「し、仕方ないでしょ! あいつ、普段は本当に普通の平民なんだから!」  ギーシュとモンモランシー、二人いっせいに呆れ交じりの目線を送られて、ルイズは顔を間かにして反論した。 「いきなり強くなったのだって、自分の力じゃ使えないみたいだし、あのくらいしか役に立たないのよ!」 「だからって普通、女の子が男に下着洗わせる? 慎みってものがたりないんじゃなくて?」 「……ふん。二股かけられた相手とずるずる続いてるような女に、慎みなんていわれたくないわ」  刹那、モンモランシーとルイズの間に火花が散る。それも、実体化したら付近一帯火の海になるような、特大の奴が。  元々この二人は相性がいいとは決していえない間柄だったのだが、先日の決闘によってギーシュが負傷した事で、二人の間に漂う空気は、激烈に悪くなっていった。  モンモランシーが一方的に難癖をつけてるだけで、、ルイズのほうから喧嘩を売ったことはないのだが。それでも毎回火花が散るのは、彼女の性格上やり返ささずにはいられず、それに又モンモランシーが言い返して……という、悪循環のなせる業であった。 (こ、ここは『沈黙』していたほうがよさそうだっ! よくわからないが、僕が口を出したら間違いなくあの視線が僕に向けられる! 僕は無事じゃあすまない!)  会話の中に、『二股』の単語が混ざっていたのを耳ざとく見つけ、ギーシュは二人をあえて止めず、沈黙を守った!  賢い選択ではあるのだが……旗から見てると、喧嘩する女二人を前にしてだまる男いう、とてつもなく情けない光景である。とてもじゃあないが、先日リンゴォを打ち破った男と同一人物とは思えない。 「大体、今日の一時限目は使い魔同伴でしょう? あれだけの量の洗濯物を一人で制限時間以内片付けるなんて無理に決まってるじゃない。そんな事も分からないの?」 「いつもは一人じゃなくてあの時のメイドが手伝ってるのよ! あー、もう! 何で今日に限っていないのよ!」 「……あの時のメイド?」  ルイズの使用した『あの時』という表現が、ギーシュの脳裏で小さな化学反応を起こし、一人の少女の像を映し出す。  手のひらに巻かれた包帯が痛々しいその少女は、確かに自分とリンゴォの決闘のきっかけとなった、あのメイド…… 「……そのメイドって言うのは、僕とリンゴォの時に香水を拾った?」 「え? ……ええ、そうよ。  才人に助けられてから、何かにつけてよく会ってるらしいのよ」  ポツリともらしたギーシュのつぶやきに気付き、ルイズが己の知りうる知識を口に出す。 「確か、名前はシエスタだったかしら。あの手じゃあ洗濯物も出来ないから、才人が手伝うとか言い出して、最近じゃメイドの洗濯物も一緒にやってるのよ! 全く! 使い魔の癖にご主人様に何の相談もなしに!」  そういう関わりならば納得だ。  敗れたとはいえ貴族に善戦し、半死半生の傷を負わせたリンゴォの存在が、学園に勤める平民達の間で神格化されていることは、ギーシュもモンモランシーから聞き知っていた。  その後釜として召還された才人がボーンナムを倒したことで、『我らが剣』ともてはやされている事も。 「へえ。彼女はシエスタというのか……ミス・ヴァリエール。彼女と少し話したいのだけど、取り持ってくれないかな?」 「それはいいけど…… ゲ 」  ここで、彼の名誉のために告げておこう。  彼がシエスタを見て声を上げたのは、自分が彼女というレディを必要以上に怖がらせた現実と、それに対する謝罪がまだだった事を思い出したからだ。それだけなのだ。イヤホント。  決して、シエスタの巨乳が気になったとか、彼女を口説こうとしたとか、そんな事は全ッ然考えていなかったのである。 (とはいったものの、どうやって彼女に謝罪すればいいのやら……ん? …… ゲ ? ? )  思考の只中において、ギーシュはようやくルイズがあげた紳士淑女にあるまじき奇声に気が付き、彼女のほうを振り向いた。  そして、 「 ゲ 」  彼も奇声を上げた。  視線の先には、モンモランシーが一人でたたずんでいた。ルイズはいない……どーやらスタコラさっさと逃げたらしい。  さて、そのモンモランシーであるが……その姿勢を、たたずんでいると表現するのは、誤謬というものだろう。仁王立ちのほうが正しい表現だ。  ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨という重すぎる音が鼓膜を震わし、髪はゆらゆらと揺らめいて……ギーシュを見つめるその瞳は、屠所の豚を見るかのよう。 「ギーシュ……? 二股に飽き足らず、今度はメイドに手をつけるつもり……?」  まあ、彼自身にどんな思惑があろうと、彼が二股云々の会話の途中に、他の女性の話題を出したというのは確かであり。  モンモランシーがギーシュを疑ってかかるのも、無理なからぬことで。 「も、もんもらんしー!? 一寸待ってくれたまへ……ぼ、僕は病み上がりであって……あの、その、なんでそこで棍棒を取り出すのかな!? ってか、君その棍棒何処から……  ギ ャ ー ッ ! ? 」 「……?」  なんかカエルが踏み潰されたよーな不細工な悲鳴なんだけど、どことなく親近感が沸く悲鳴が聞こえたような気がして、才人はふと顔を上げてあたりを見回す。  ――どうかしたんですか? 才人さん。  いつもならそう聞き返してくれる相手の不在を今更ながらに思い出し、嘆息すると選択に戻った。  手を動かしながら、先日はなった冗談にくすくす笑うシエスタを思い出し、才人はその表情を和らげた。まだどこかに影があるが、出会った当初に比べれば、かなり明るくなった…… (そうだよな。元々あんな風に明るい表情をする娘だったんだよなあ)  しみじみと思いながら、才人はシエスタに始めてであった、5日前の事を思い出していた。  ――あの、どうかしました?  ルイズに洗濯物を言いつけられ、途方にくれていた才人に、やさしく声をかけられたのがシエスタファーストコンタクトだった。その時の表情は、今浮かべているような陽光を浴びた笑顔ではなく、常に陰影を引きずっているかのような悲しみと憂いに満ちた代物。  リンゴォの死で最も衝撃を受け、悲しんだのは間違いなくシエスタだった。そもそもの原因が、彼女が香水のビンを拾い上げ、ギーシュに責められているところを、リンゴォがかばったことにあるのだから。  彼女は、こう思っていた。『リンゴォを殺したのは自分だ』と。リンゴォが死んだと聞いた直後は、人目を憚らずすすり泣き、丸一日部屋から出てこなかったほどである。彼女は、リンゴォとギーシュが決闘をすると聞いた時、恐ろしさから逃げ出してしまった。今の彼女には、そのことを誤る事すらできない!  実際、彼女の考えをリンゴォが知ったら、『余計なお世話だ』と呆れることだろう。彼はあくまで彼自身の魂の成長のために決闘をし、その命を散らしたのであり、シエスタのために決闘をしたのではない。シエスタをかばった事とて、メイジを脅威と認識していなかったリンゴォにとっては、人が落としたものを拾ってやったという程度の親切でしかなかった。  本人がこの場にいたら、笑うこともせずに『決闘を侮辱するな』と怒っただろう。『アレは俺の意思だ』とも。  だが、この場にリンゴォはいない。死体も言葉も何も残さずに消えてしまった。  シエスタの抱く罪悪感は膨らんでいくばかりだった……平賀才人に出会い、助けられるまでは。  それは、才人が召還された翌日……シエスタと才人が始めてであった日の昼食の席での事。  罪悪感を初めとした負の感情は、どんなものであっても悪い形で抱いている本人に影響を与えるものだ。シエスタは、普段の彼女ならばやらないような致命的なミスをしてしまう。  ――ドレッシングの配膳の最中に転んでしまい、食事をしている貴族にそれをぶちまけてしまったのである。  その時シエスタが連想したのは、リンゴォ……自分が死に追いやった男、彼が決闘に赴く事になったきっかけだった。  まさか、自分のせいで又人が死ぬ……!?  精神的に追い詰められていたシエスタは、妄想じみた強迫観念に襲われた。リンゴォの見てもいない死に様がフラッシュバックし、彼女を軽い恐慌状態に陥れたのである。  彼女は必死で、自分がドレッシングをぶっ掛けた貴族に謝った。もう人を死なせたくない、殺させたくないという一心だった。  恐怖に震え、顔を青くして許しを請うシエスタの有様は、ギーシュに粗相を働いた時の比ではなく、それを見ていた貴族達の同情を買うには十分すぎるほどに、痛々しいものだった。もしギーシュがこうして謝られたなら、バラの花でも片手にして、慌ててシエスタを励ましただろう。  不幸な事に、相手はギーシュではなく、『黒土』の二つ名を持つ、ボーンナムだった。彼にとってシエスタが蒼白になって詫びる姿は、同情心ではなく性的興奮を駆り立てる類のものだったのである。  何のためらいもなく。  ボーンナムは地面に付いたシエスタの手のひらに向かって、食事用のナイフを振り下ろした。  簡潔に記そう。  悲鳴をかみ締めるシエスタと、その有様を見て笑っているボーンナムの姿に、才人はプッツンした。  ――ボーンナムとの決闘のくだりは、特筆する事もないだろう。  皆さんおなじみの話の流れであり、本編ギーシュと同じように、挑み、得意になり、ルイズに庇われてから勝利した。  まあ、才人自身プッツンしていたので、勢い余ってずんばらさと叩き切ってしまった訳だが、そのことに関して後悔はなかった。  ――あれが、貴族だってのか!?  後悔の代わりに才人の胸に残ったのは、『貴族』というカテゴリに対する激しい嫌悪感である。  ボーンナムという男が、貴族社会でも爪弾きにされるほどに稀有な例なのだが、謝罪するシエスタの手のひらにナイフを突き刺し、踏みにじるという人でなしの所業を行う姿は、才人の中の『貴族像』を歪んだ形で固めるには十分すぎるインパクトがあった。たとえ事実を知ったとしても、『貴族』というカテゴリそのものに対する感情は変わらないだろう。  極め付けに、決闘の直後、自分を『我らの剣』とよぶマルトー料理長からこう言われたのである。  シエスタを元の明るい娘に戻すのを手伝ってくれ、と。  彼は多くを語らなかったが、そういった直後に貴族を睨んだ料理長の目つきや、貴族に対して異常に怯えていたシエスタの態度が、彼女の心に傷があり、それが貴族によるものなのだと才人に確信を抱かせてしまった。  この決闘以降、才人の貴族を見る目には、かなりネガティブな成分で構成されたサングラスがかけられる事となった。  例外といえば、自分にダイレクトな好意を寄せてくるキュルケと、次点で主であるルイズの二人ぐらいである。  キュルケは言わずもがな、色気にほだらされてる。情けないが野郎のサガというものだ。  自分自身で目にした、召還直後に浮かべた涙と、シエスタから聞いた、『ケガをした自分を看病してくれた』という事実……自分で見た光景と人聞きのエピソードの二つの影響で、どうしてもルイズを嫌いきる事ができない才人であった。  扱いだけなら犬扱いやらなにやらで最悪に近いのだが。 「ふぅ」  洗濯を一通り終えて、才人は再び、汗をぬぐう。今度使ったのはパンティじゃなくて、ご主人様のスカートだったが、スルー。  洗濯の終わった衣類を入れた籠を持ち上げ、その場を去ろうとして……嘆息した。  結局。  洗濯をしながら待っていたのだが、結局シエスタは現れなかった。  毎朝、話しかけるだけでいい。それだけで、あの子は明るくなっている……  マルトーからそういわれて、才人は毎日欠かさずにシエスタと積極的に会話した。道ですれ違えば仕事を手伝ってやり、炊事場でかちあえば荒いものをしながら談笑し……  才人自身がシエスタを明るくしたいと願い、彼女との会話を楽しみにしていたので、いざいないとなると、胸に穴が開いたようだった。 (シエスタ、どうしたんだろう)  首を傾げて、才人は籠をヨイショと持ち直す。彼女のことは気になったが、この洗濯物を早く干さなければ、匂いが篭ってしまう。  たった一週間足らずの使い魔生活だというのに、早くも主夫ッ振りが板についてきた才人であった。 (そういえば、昨日の晩様子が可笑しかったな)  とりあえず、洗濯物が終わったら顔を出しに行こう。  主人に無断で本日の予定を決めて、  一方その頃。 「……と、というわけで。僕はあのメイドに謝りたかっただけなのサ」 「そ、そういう事は早く言いなさいよね」 (いや、言おうとしてたけど、あんた真っ先に喉攻撃して声潰したでしょ)  ギーシュがようやくモンモラシーを説き伏せていた。真っ赤になって反応する香水のメイジに、ゼロのメイジは思いっきり突込みを入れたい欲求にかられたが……自重した。  いや、なんか突っ込むとあの棍棒がこっちにも飛んできそうだったので。  ギーシュ・ザ・残虐フルボッコショーを眼前で見せられた身としては、あれに巻き込まれるのは勘弁して欲しかった。 「そ、そういうわけだから……その、シエスタというメイドのところへ、案内してくれないかな?」  バラを片手にふっとキザったらしいポーズをとるギーシュ……まだダメージが残っているのか、足が蟹股上にガクガクブルブル振動していたが。 「それはいいけど……授業はどうするのよ」 「ふむ」  学園に所属するメイジにとって、授業を放棄する事はちょっとした問題だ。学園に在籍するのには問題がなく、厳しいペナルティがあるわけではなく、そういう点では普通の学校と同じなのだが。  問題は、そのメイジの『家』のほうだった。早い話、この学園ではサボった生徒の実家に、その事実を理由から何まで調べ上げてダイレクトに知らせるのである。  そういった事実に対して寛容な家ならばいいのだが……ギーシュの生まれたグラモン家は『命より名を惜しめ』などという家訓があるくらいにそういう事にうるさい。ましてや理由がメイドに会うため。  ギーシュは末弟であり実力もなく、授業をサボったりしようものならかなり厳しい雷が落ちることは明白……だったのだが。 「気にしなくていいよ」  意外! ギーシュは躊躇わず授業を放棄する道を選んだ! 「事は僕自身だけではなく、そのシエスタというレディの『名誉』がかかっているんだからね……まあ、小遣い全面カットくらいは覚悟してるさ」  意外に肝の据わった発言をするギーシュに、ルイズは面白そうに、モンモランシーは面白くなさそう(自分以外の女性にいい顔をして欲しくないらしい)に頷いた。 「おお! 我らの剣よ! 元気か!?」 「うわっ!?」  シエスタを探してメイドの宿舎に向かっていた才人の背中に、声と共に衝撃が走った。  前のめりになって振り向けば、そこには大柄な男が腕組みをして豪快に笑っていた。  この学園の食堂を一手に任せられているコック長、マルトーである。貴族嫌いな平民の代表のような存在であり、才人は彼にたいそう気に入られていた。 「ま、マルトーさん! いきなり叩かないでくださいよ」 「おお、悪い悪い」  せきこむ才人に、全然罪悪感を感じさせない口調で笑い返すマルトー。その笑顔には陰湿的なところは何一つ泣く、からりとした爽快感を感じさせる。 「朝飯は食ったのか? 我らが剣よ。賄いで良かったら、たっぷりあるぜ」 「え!? 本当ですか!」  毎朝ルイズが自分に出す残飯が如き食事を思い出し、才人の表情は明るくなった。脳裏に浮かぶ、暖かそうな湯気を上げるシチューや焼きたてのパン……思わず、唾液があふれ出そうになるが、ふと思いなおした。  脳裏に浮かぶ食事の光景を、シエスタの陰鬱な表情がかき消したのだ。 「そ、そうじゃなくて! マルトーさん、シエスタが何処に行ったか、知りませんか!?」 「?」  慌てて言い直した才人は、マルトーの表情が変化したのに気が付かなかった。  まず、大きく目を見開き、眉をひそめて……痛々しそうに、目をそらしたのである。 「……マルトーさん?」 「そうか……シエスタは、オメーにだけは知られたくなかったんだろうなあ」 「知られたくなかったって」 「我等の剣よ」  マルトーは視線を才人に戻し、戸惑う彼の相貌を見つめて……迷った。数瞬だけ。  シエスタが隠そうとした事実を、自分が明かしていいものか……いやしかし……こいつなら何とかしてくれるかも。  迷ったのは、先述したように数瞬のみ。彼はすぐさま決断し、『事実』を告げた。 「シエスタは……モット伯って奴のところに……」 「ふ、ふふふふふふふふ」 「ぎ、ギーシュ!? 大丈夫なの……」 「だ、大丈夫さモンモランシー。この青銅のギーシュ、これしきのケガ……」 (自分で散々どついといて、何言ってるのよこの金髪ドリル)  ふらふらよろめきながら歩くギーシュを必死で支えながら付き添うモンモランシー……その姿を一歩後ろから眺めながら、ルイズは心の中で突っ込んだ。突っ込んでから……ふと、気付く。  ひょっとしてこの女(アマ)、こうやってギーシュを支える事を最初から狙って、過剰なまでのフルボッコを演じたのではないか?  だとしたら、まさに外道! である。あるが、 (まいっか)  気付きはしたものの、ルイズはその事実を気にも留めなかった。誤解とはいえぼこぼこにされるようなギーシュの日頃の行動にも問題があるのだし。ギーシュ自身その事を知ったとしても、この男独特の妙な懐の深さで、許してしまうだろうし。  思いながら歩き、目的地……調理場の入り口で立ち止まる類図。 「ここのコック長なら、あのメイドの事も知ってる筈よ」 「ああ、ありがとう……」 「けど、あの男確か貴族嫌いなんじゃ」  例を言うギーシュの横で、モンモランシーは学院でも有名な事実を思い出した。  コック長とメイジたちが直接接する機会がないので、さして重要な事柄ではないのだが、今からギーシュがしようとしている事を考えると、避けられない問題だろう。  コック長の立場からすれば、ギーシュはシエスタに絡んでリンゴォを殺した敵であり、情報など教えてもらえるはずがない。 「才人を使って聞き出すわよ」 「いや、僕が自分で聞くさ」  が、ルイズとギーシュは問題にもしていないらしく、ギーシュが震える手で扉を開こうとし、  バ ギ ャ ン ッ ! 「ヤ ッ ダ バ ァ ッ ! !」  飛んだ。  勢いよく開けられた扉に吹っ飛ばされて、景気よく。  ギーシュの体が真後ろに吹っ飛んだ。  本来ならそこまでの衝撃を持たないはずのそれも、ボロボロのギーシュでは耐え切れなかったらしい。 『へ?』  いきなり巻き起こったデンジャーな事故を前に、目を点にする二人。某海賊漫画のコックに蹴られたエイの魚人みたく滑空してったギーシュの行方を、点になった目で見送って。  故に、気付かなかった。  傍らを思いつめた表情の才人が駆け抜けていった事に。  ちなみに、ギーシュであるが。 「うーん……うーん……」  メイドに謝る事もできず、医務室に直行し、夜まで目を覚まさなかったそうな。  なんだかとっても不幸な奴である。
ギーシュの奇妙な決闘 第三話 『平賀才人』  平賀才人に『貴族という生き物をどう思うか?』と問いかければ、こう応えるだろう。  ――最初は存在そのものに無関心だったけど、次にはた迷惑に感じて、その次に反吐が出るほど嫌いになった。  平賀才人の中の貴族像とは、そういうもので固まりつつあった。  ツンデレによるツンツン補正もお題目もなく言おう。ルイズは当初、才人のことを間違いなく恐れていた。  彼女にとって初めての使い魔であるリンゴォは自分をも超える魔法(少なくとも、彼女はそう認識していた)の使い手であり、自分を敬うどころか見下し、軽蔑しきっていた。  リンゴォがギーシュとの決闘に望もうとした時、彼女は止めた。『メイジが平民に負けるはずがない』と、彼女なりに必死に止めたのだ。  ……そんな彼女に対してリンゴォが無言で向けた軽蔑の視線を、彼女は忘れないだろう。  リンゴォ・ロードアゲインは、結局彼女の静止の言葉に対して、何の感想も残すことなく『消えた』。  彼女からすれば、好意を軽蔑で返されたのであり、不快感をぬぐう事はできなかった。この不快感がリンゴォの持っていた得体の知れない能力と、決闘に対する異常な姿勢が想反作用を起こし、彼女の中の『リンゴォ・ロードアゲイン』という虚像は、酷く得体の知れないものになりつつあった。  ここで余談を語ろう。ハルキゲニアにおける『決闘』という概念は、読者諸氏が連想するような決闘とも、リンゴォが至上とする決闘とも、大きくかけ離れたものになっている。  昔はリンゴォが目指したもののように、お互いの全てをかけた公平な果し合いだったのだが、貴族の本質が腐敗するにしたがって、決闘という神聖な行為も、形骸化して言ったのだ。  すなわち、『命をかけた決闘』から、『貴族同士のお遊び』のレベルにまで堕落して行き、今では杖を落としたほうが負けで、相手を傷つけないのが『粋』という、スポーツのようなルールが後付けされている始末である。  貴族全体が腐敗し始めたからといって、全ての貴族が腐りきっているわけではない。ルイズやキュルケなどは貴族の中でもかなり『マトモ』な部類に入っている……だからこそ、ルイズは今の形骸化した決闘に、命を賭ける意義を見出せなかった。  ルイズからすれば、お遊びに対して異常(と、少なくともルイズにはそう見えた)なまでの執念を燃やすリンゴォに対して、呆れより恐怖が先立った。  リンゴォのような『生き物』は、ルイズの世界にいなかった。  ゆえに、恐怖した。  ――ゼロのルイズが召還したのは人間ではなく古代の悪魔だ。  本来ならば彼女自身が真っ先に否定すべき馬鹿げた噂だった。証拠もヘッタクレも何もない噂話を、ルイズはすんなりと事実として認めてしまった。  ひとつは、時間を操作するなどという馬鹿げた能力を、人間が使えるはずはないという事実に基づいた先入観。ひとつは、彼女自身が『ゼロ』と呼ばれる度に傷つけられてきた彼女自身のプライドだ。  自分は悪魔を召還した。自分は悪魔を召還できる!  そう考えたほうがはるかに楽であったし、プライドも傷つけられない。彼女は、『楽』な道へと逃げる事を選んだのである。  コレは彼女の弱さだろうか? 否。  彼女は元来優しい人間である。彼女の優しい少女としての部分は、自分の使い魔が級友を殺そうとした事実が重すぎた。  血まみれのギーシュ、泣きながら自分をなじるモンモランシー。二つの光景は彼女の精神を強かに打ちのめした。そんな彼女の前に垂れ下がってきた一本の蜘蛛の糸。それにすがった彼女を誰が攻められるだろう。  使い魔が制御できなかった、という事実も、彼女の精神の『気高さ』を磨耗させる要因だった。『ゼロ』は所詮『ゼロ』なのではないか? ……普段ならば彼女自身が持つ『気高さ』で軽く耐えて見せるところだが、リンゴォの異常性や級友を殺そうとした事実に打ちのめされた彼女では、耐え切れるものではない。ならば、使い魔が制御できなくて当然のものならば?  ……事この一件に関して、彼女を攻める事ができるのは他ならぬ彼女自身だけだろう。  自分は悪魔を召還した。してしまった。  その事実だけでも重いというのに! 今日又再召喚を行う事になってしまった!  ルイズの内心の不安は只一つ。  『又、リンゴォのような使い魔を召還してしまったらどうしよう』  又、悪魔が級友を殺そうとしたら? 又、悪魔を制御できなかったら?  彼女の精神は、ボロボロだった。内心の恐怖に耐えるだけで、精一杯だった。  そして、召還に応じてこの世界へ降り立ったのは……人間だった。  平民の、『リンゴォと同じ人間』だった!  ギャラリーの誰かが上げた小さな悲鳴を、ルイズは確かに聞いて……その声の主に、感謝した。その声がなければ、自分が変わりに悲鳴を上げていただろうから。  ――簡潔に言ってしまおう。  平民が束になっても敵わないといわれるメイジたち――オールド・オスマンですら――は、召還された極々ふつーの、スタンド能力なんぞ持ってない、うろたえてるだけの才人に対して、ビビリまくっていたのだ!  滑稽通り越して、呆れるべき領域までぶっ飛んだ話である。  肝心の才人はといえば……目が覚めるなり目の前で泣きそうな顔をして怯える少女を見て、たいそうビビッた。  しかも、だ。 「…………」 「へ!?」  才人が必死で状況を把握しようとしている間に、少女のかわいらしい顔が眼前に迫り……  唇が、触れた。  いきなりの状況。いきなりの美少女。そして、いきなりのキス。そして、直後に訪れる全身を焼くような痛み。 (理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能っ!)  どこぞのハーヴェストな少年のように混乱する才人。その後、自分のおかれた状況をルイズに教えてもらうにつれて、彼の混乱の度合いは更に増していった。  ちなみに。  才人がリンゴォほどの凄さを持たない使い魔だと知った途端、ごくごく普通にこき使いだした事を、ここに記しておく。 「彼が、そうなのかい?」  一人の少年が洗濯板を使って原始的な、しかしこの世界では極一般的な洗濯にいそしんでいる。  その光景を遠くに眺めながら、ギーシュは傍らに立つルイズに問いかけた。その声色の成分は、半分が意外さだ。  汗だくになりながら小さなパンツをごしごし洗い、労働の汗を輝かせているその姿から、彼がメイジに勝つほどの使い魔だとは到底思えないのだが。  汗を拭いてすがすがしそうにいかにも『いい労働したぜ!』的な笑顔を浮かべられると……はっきり言って、貴族の下男だといわれても違和感がない。  どーでもいいが才人よ。お前が今汗を拭いたそれは、自分で洗ってたパンティーだぞ。 「というか、ミスヴァリエールは使い魔に洗濯をさせてるのか」 「ルイズ……あなた、いくらなんでも怠けすぎよ」  個人の洗濯物は、個人で片付けるのがこのトリステイン魔法学校では普通だ。ギーシュや、退学になった『黒土のボーンナム』でさえ、自分の洗濯物は自分でしていたというのに。 「し、仕方ないでしょ! あいつ、普段は本当に普通の平民なんだから!」  ギーシュとモンモランシー、二人いっせいに呆れ交じりの目線を送られて、ルイズは顔を間かにして反論した。 「いきなり強くなったのだって、自分の力じゃ使えないみたいだし、あのくらいしか役に立たないのよ!」 「だからって普通、女の子が男に下着洗わせる? 慎みってものがたりないんじゃなくて?」 「……ふん。二股かけられた相手とずるずる続いてるような女に、慎みなんていわれたくないわ」  刹那、モンモランシーとルイズの間に火花が散る。それも、実体化したら付近一帯火の海になるような、特大の奴が。  元々この二人は相性がいいとは決していえない間柄だったのだが、先日の決闘によってギーシュが負傷した事で、二人の間に漂う空気は、激烈に悪くなっていった。  モンモランシーが一方的に難癖をつけてるだけで、ルイズのほうから喧嘩を売ったことはないのだが。それでも毎回火花が散るのは、彼女の性格上やり返ささずにはいられず、それに又モンモランシーが言い返して……という、悪循環のなせる業であった。 (こ、ここは『沈黙』していたほうがよさそうだっ! よくわからないが、僕が口を出したら間違いなくあの視線が僕に向けられる! 僕は無事じゃあすまない!)  会話の中に、『二股』の単語が混ざっていたのを耳ざとく見つけ、ギーシュは二人をあえて止めず、沈黙を守った!  賢い選択ではあるのだが……傍から見てると、喧嘩する女二人を前にしてだまる男いう、とてつもなく情けない光景である。とてもじゃあないが、先日リンゴォを打ち破った男と同一人物とは思えない。 「大体、今日の一時限目は使い魔同伴でしょう? あれだけの量の洗濯物を一人で制限時間以内片付けるなんて無理に決まってるじゃない。そんな事も分からないの?」 「いつもは一人じゃなくてあの時のメイドが手伝ってるのよ! あー、もう! 何で今日に限っていないのよ!」 「……あの時のメイド?」  ルイズの使用した『あの時』という表現が、ギーシュの脳裏で小さな化学反応を起こし、一人の少女の像を映し出す。  手のひらに巻かれた包帯が痛々しいその少女は、確かに自分とリンゴォの決闘のきっかけとなった、あのメイド…… 「……そのメイドって言うのは、僕とリンゴォの時に香水を拾った?」 「え? ……ええ、そうよ。  才人に助けられてから、何かにつけてよく会ってるらしいのよ」  ポツリともらしたギーシュのつぶやきに気付き、ルイズが己の知りうる知識を口に出す。 「確か、名前はシエスタだったかしら。あの手じゃあ洗濯物も出来ないから、才人が手伝うとか言い出して、最近じゃメイドの洗濯物も一緒にやってるのよ! 全く! 使い魔の癖にご主人様に何の相談もなしに!」  そういう関わりならば納得だ。  敗れたとはいえ貴族に善戦し、半死半生の傷を負わせたリンゴォの存在が、学園に勤める平民達の間で神格化されていることは、ギーシュもモンモランシーから聞き知っていた。  その後釜として召還された才人がボーンナムを倒したことで、『我らが剣』ともてはやされている事も。 「へえ。彼女はシエスタというのか……ミス・ヴァリエール。彼女と少し話したいのだけど、取り持ってくれないかな?」 「それはいいけど…… ゲ 」  ここで、彼の名誉のために告げておこう。  彼がシエスタを見て声を上げたのは、自分が彼女というレディを必要以上に怖がらせた現実と、それに対する謝罪がまだだった事を思い出したからだ。それだけなのだ。イヤホント。  決して、シエスタの巨乳が気になったとか、彼女を口説こうとしたとか、そんな事は全ッ然考えていなかったのである。 (とはいったものの、どうやって彼女に謝罪すればいいのやら……ん? …… ゲ ? ? )  思考の只中において、ギーシュはようやくルイズがあげた紳士淑女にあるまじき奇声に気が付き、彼女のほうを振り向いた。  そして、 「 ゲ 」  彼も奇声を上げた。  視線の先には、モンモランシーが一人でたたずんでいた。ルイズはいない……どーやらスタコラさっさと逃げたらしい。  さて、そのモンモランシーであるが……その姿勢を、たたずんでいると表現するのは、誤謬というものだろう。仁王立ちのほうが正しい表現だ。  ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨という重すぎる音が鼓膜を震わし、髪はゆらゆらと揺らめいて……ギーシュを見つめるその瞳は、屠所の豚を見るかのよう。 「ギーシュ……? 二股に飽き足らず、今度はメイドに手をつけるつもり……?」  まあ、彼自身にどんな思惑があろうと、彼が二股云々の会話の途中に、他の女性の話題を出したというのは確かであり。  モンモランシーがギーシュを疑ってかかるのも、無理なからぬことで。 「も、もんもらんしー!? 一寸待ってくれたまへ……ぼ、僕は病み上がりであって……あの、その、なんでそこで棍棒を取り出すのかな!? ってか、君その棍棒何処から……  ギ ャ ー ッ ! ? 」 「……?」  なんかカエルが踏み潰されたよーな不細工な悲鳴なんだけど、どことなく親近感が沸く悲鳴が聞こえたような気がして、才人はふと顔を上げてあたりを見回す。  ――どうかしたんですか? 才人さん。  いつもならそう聞き返してくれる相手の不在を今更ながらに思い出し、嘆息すると選択に戻った。  手を動かしながら、先日はなった冗談にくすくす笑うシエスタを思い出し、才人はその表情を和らげた。まだどこかに影があるが、出会った当初に比べれば、かなり明るくなった…… (そうだよな。元々あんな風に明るい表情をする娘だったんだよなあ)  しみじみと思いながら、才人はシエスタに始めてであった、5日前の事を思い出していた。  ――あの、どうかしました?  ルイズに洗濯物を言いつけられ、途方にくれていた才人に、やさしく声をかけられたのがシエスタファーストコンタクトだった。その時の表情は、今浮かべているような陽光を浴びた笑顔ではなく、常に陰影を引きずっているかのような悲しみと憂いに満ちた代物。  リンゴォの死で最も衝撃を受け、悲しんだのは間違いなくシエスタだった。そもそもの原因が、彼女が香水のビンを拾い上げ、ギーシュに責められているところを、リンゴォがかばったことにあるのだから。  彼女は、こう思っていた。『リンゴォを殺したのは自分だ』と。リンゴォが死んだと聞いた直後は、人目を憚らずすすり泣き、丸一日部屋から出てこなかったほどである。彼女は、リンゴォとギーシュが決闘をすると聞いた時、恐ろしさから逃げ出してしまった。今の彼女には、そのことを謝る事すらできない!  実際、彼女の考えをリンゴォが知ったら、『余計なお世話だ』と呆れることだろう。彼はあくまで彼自身の魂の成長のために決闘をし、その命を散らしたのであり、シエスタのために決闘をしたのではない。シエスタをかばった事とて、メイジを脅威と認識していなかったリンゴォにとっては、人が落としたものを拾ってやったという程度の親切でしかなかった。  本人がこの場にいたら、笑うこともせずに『決闘を侮辱するな』と怒っただろう。『アレは俺の意思だ』とも。  だが、この場にリンゴォはいない。死体も言葉も何も残さずに消えてしまった。  シエスタの抱く罪悪感は膨らんでいくばかりだった……平賀才人に出会い、助けられるまでは。  それは、才人が召還された翌日……シエスタと才人が始めてであった日の昼食の席での事。  罪悪感を初めとした負の感情は、どんなものであっても悪い形で抱いている本人に影響を与えるものだ。シエスタは、普段の彼女ならばやらないような致命的なミスをしてしまう。  ――ドレッシングの配膳の最中に転んでしまい、食事をしている貴族にそれをぶちまけてしまったのである。  その時シエスタが連想したのは、リンゴォ……自分が死に追いやった男、彼が決闘に赴く事になったきっかけだった。  まさか、自分のせいで又人が死ぬ……!?  精神的に追い詰められていたシエスタは、妄想じみた強迫観念に襲われた。リンゴォの見てもいない死に様がフラッシュバックし、彼女を軽い恐慌状態に陥れたのである。  彼女は必死で、自分がドレッシングをぶっ掛けた貴族に謝った。もう人を死なせたくない、殺させたくないという一心だった。  恐怖に震え、顔を青くして許しを請うシエスタの有様は、ギーシュに粗相を働いた時の比ではなく、それを見ていた貴族達の同情を買うには十分すぎるほどに、痛々しいものだった。もしギーシュがこうして謝られたなら、バラの花でも片手にして、慌ててシエスタを励ましただろう。  不幸な事に、相手はギーシュではなく、『黒土』の二つ名を持つ、ボーンナムだった。彼にとってシエスタが蒼白になって詫びる姿は、同情心ではなく性的興奮を駆り立てる類のものだったのである。  何のためらいもなく。  ボーンナムは地面に付いたシエスタの手のひらに向かって、食事用のナイフを振り下ろした。  簡潔に記そう。  悲鳴をかみ締めるシエスタと、その有様を見て笑っているボーンナムの姿に、才人はプッツンした。  ――ボーンナムとの決闘のくだりは、特筆する事もないだろう。  皆さんおなじみの話の流れであり、本編ギーシュと同じように、挑み、得意になり、ルイズに庇われてから勝利した。  まあ、才人自身プッツンしていたので、勢い余ってずんばらさと叩き切ってしまった訳だが、そのことに関して後悔はなかった。  ――あれが、貴族だってのか!?  後悔の代わりに才人の胸に残ったのは、『貴族』というカテゴリに対する激しい嫌悪感である。  ボーンナムという男が、貴族社会でも爪弾きにされるほどに稀有な例なのだが、謝罪するシエスタの手のひらにナイフを突き刺し、踏みにじるという人でなしの所業を行う姿は、才人の中の『貴族像』を歪んだ形で固めるには十分すぎるインパクトがあった。たとえ事実を知ったとしても、『貴族』というカテゴリそのものに対する感情は変わらないだろう。  極め付けに、決闘の直後、自分を『我らの剣』とよぶマルトー料理長からこう言われたのである。  シエスタを元の明るい娘に戻すのを手伝ってくれ、と。  彼は多くを語らなかったが、そういった直後に貴族を睨んだ料理長の目つきや、貴族に対して異常に怯えていたシエスタの態度が、彼女の心に傷があり、それが貴族によるものなのだと才人に確信を抱かせてしまった。  この決闘以降、才人の貴族を見る目には、かなりネガティブな成分で構成されたサングラスがかけられる事となった。  例外といえば、自分にダイレクトな好意を寄せてくるキュルケと、次点で主であるルイズの二人ぐらいである。  キュルケは言わずもがな、色気にほだされてる。情けないが野郎のサガというものだ。  自分自身で目にした、召還直後に浮かべた涙と、シエスタから聞いた、『ケガをした自分を看病してくれた』という事実……自分で見た光景と人聞きのエピソードの二つの影響で、どうしてもルイズを嫌いきる事ができない才人であった。  扱いだけなら犬扱いやらなにやらで最悪に近いのだが。 「ふぅ」  洗濯を一通り終えて、才人は再び、汗をぬぐう。今度使ったのはパンティじゃなくて、ご主人様のスカートだったが、スルー。  洗濯の終わった衣類を入れた籠を持ち上げ、その場を去ろうとして……嘆息した。  結局。  洗濯をしながら待っていたのだが、結局シエスタは現れなかった。  毎朝、話しかけるだけでいい。それだけで、あの子は明るくなっている……  マルトーからそういわれて、才人は毎日欠かさずにシエスタと積極的に会話した。道ですれ違えば仕事を手伝ってやり、炊事場でかちあえば洗い物をしながら談笑し……  才人自身がシエスタを明るくしたいと願い、彼女との会話を楽しみにしていたので、いざいないとなると、胸に穴が開いたようだった。 (シエスタ、どうしたんだろう)  首を傾げて、才人は籠をヨイショと持ち直す。彼女のことは気になったが、この洗濯物を早く干さなければ、匂いが篭ってしまう。  たった一週間足らずの使い魔生活だというのに、早くも主夫ッ振りが板についてきた才人であった。 (そういえば、昨日の晩様子が可笑しかったな)  とりあえず、洗濯物が終わったら顔を出しに行こう。  主人に無断で本日の予定を決めて、  一方その頃。 「……と、というわけで。僕はあのメイドに謝りたかっただけなのサ」 「そ、そういう事は早く言いなさいよね」 (いや、言おうとしてたけど、あんた真っ先に喉攻撃して声潰したでしょ)  ギーシュがようやくモンモラシーを説き伏せていた。真っ赤になって反応する香水のメイジに、ゼロのメイジは思いっきり突込みを入れたい欲求にかられたが……自重した。  いや、なんか突っ込むとあの棍棒がこっちにも飛んできそうだったので。  ギーシュ・ザ・残虐フルボッコショーを眼前で見せられた身としては、あれに巻き込まれるのは勘弁して欲しかった。 「そ、そういうわけだから……その、シエスタというメイドのところへ、案内してくれないかな?」  バラを片手にふっとキザったらしいポーズをとるギーシュ……まだダメージが残っているのか、足が蟹股上にガクガクブルブル振動していたが。 「それはいいけど……授業はどうするのよ」 「ふむ」  学園に所属するメイジにとって、授業を放棄する事はちょっとした問題だ。学園に在籍するのには問題がなく、厳しいペナルティがあるわけではなく、そういう点では普通の学校と同じなのだが。  問題は、そのメイジの『家』のほうだった。早い話、この学園ではサボった生徒の実家に、その事実を理由から何まで調べ上げてダイレクトに知らせるのである。  そういった事実に対して寛容な家ならばいいのだが……ギーシュの生まれたグラモン家は『命より名を惜しめ』などという家訓があるくらいにそういう事にうるさい。ましてや理由がメイドに会うため。  ギーシュは末弟であり実力もなく、授業をサボったりしようものならかなり厳しい雷が落ちることは明白……だったのだが。 「気にしなくていいよ」  意外! ギーシュは躊躇わず授業を放棄する道を選んだ! 「事は僕自身だけではなく、そのシエスタというレディの『名誉』がかかっているんだからね……まあ、小遣い全面カットくらいは覚悟してるさ」  意外に肝の据わった発言をするギーシュに、ルイズは面白そうに、モンモランシーは面白くなさそう(自分以外の女性にいい顔をして欲しくないらしい)に頷いた。 「おお! 我らの剣よ! 元気か!?」 「うわっ!?」  シエスタを探してメイドの宿舎に向かっていた才人の背中に、声と共に衝撃が走った。  前のめりになって振り向けば、そこには大柄な男が腕組みをして豪快に笑っていた。  この学園の食堂を一手に任せられているコック長、マルトーである。貴族嫌いな平民の代表のような存在であり、才人は彼にたいそう気に入られていた。 「ま、マルトーさん! いきなり叩かないでくださいよ」 「おお、悪い悪い」  せきこむ才人に、全然罪悪感を感じさせない口調で笑い返すマルトー。その笑顔には陰湿的なところは何一つ泣く、からりとした爽快感を感じさせる。 「朝飯は食ったのか? 我らが剣よ。賄いで良かったら、たっぷりあるぜ」 「え!? 本当ですか!」  毎朝ルイズが自分に出す残飯が如き食事を思い出し、才人の表情は明るくなった。脳裏に浮かぶ、暖かそうな湯気を上げるシチューや焼きたてのパン……思わず、唾液があふれ出そうになるが、ふと思いなおした。  脳裏に浮かぶ食事の光景を、シエスタの陰鬱な表情がかき消したのだ。 「そ、そうじゃなくて! マルトーさん、シエスタが何処に行ったか、知りませんか!?」 「?」  慌てて言い直した才人は、マルトーの表情が変化したのに気が付かなかった。  まず、大きく目を見開き、眉をひそめて……痛々しそうに、目をそらしたのである。 「……マルトーさん?」 「そうか……シエスタは、オメーにだけは知られたくなかったんだろうなあ」 「知られたくなかったって」 「我等の剣よ」  マルトーは視線を才人に戻し、戸惑う彼の相貌を見つめて……迷った。数瞬だけ。  シエスタが隠そうとした事実を、自分が明かしていいものか……いやしかし……こいつなら何とかしてくれるかも。  迷ったのは、先述したように数瞬のみ。彼はすぐさま決断し、『事実』を告げた。 「シエスタは……モット伯って奴のところに……」 「ふ、ふふふふふふふふ」 「ぎ、ギーシュ!? 大丈夫なの……」 「だ、大丈夫さモンモランシー。この青銅のギーシュ、これしきのケガ……」 (自分で散々どついといて、何言ってるのよこの金髪ドリル)  ふらふらよろめきながら歩くギーシュを必死で支えながら付き添うモンモランシー……その姿を一歩後ろから眺めながら、ルイズは心の中で突っ込んだ。突っ込んでから……ふと、気付く。  ひょっとしてこの女(アマ)、こうやってギーシュを支える事を最初から狙って、過剰なまでのフルボッコを演じたのではないか?  だとしたら、まさに外道! である。あるが、 (まいっか)  気付きはしたものの、ルイズはその事実を気にも留めなかった。誤解とはいえぼこぼこにされるようなギーシュの日頃の行動にも問題があるのだし。ギーシュ自身その事を知ったとしても、この男独特の妙な懐の深さで、許してしまうだろうし。  思いながら歩き、目的地……調理場の入り口で立ち止まるルイズ。 「ここのコック長なら、あのメイドの事も知ってる筈よ」 「ああ、ありがとう……」 「けど、あの男確か貴族嫌いなんじゃ」  例を言うギーシュの横で、モンモランシーは学院でも有名な事実を思い出した。  コック長とメイジたちが直接接する機会がないので、さして重要な事柄ではないのだが、今からギーシュがしようとしている事を考えると、避けられない問題だろう。  コック長の立場からすれば、ギーシュはシエスタに絡んでリンゴォを殺した敵であり、情報など教えてもらえるはずがない。 「才人を使って聞き出すわよ」 「いや、僕が自分で聞くさ」  が、ルイズとギーシュは問題にもしていないらしく、ギーシュが震える手で扉を開こうとし、  バ ギ ャ ン ッ ! 「ヤ ッ ダ バ ァ ッ ! !」  飛んだ。  勢いよく開けられた扉に吹っ飛ばされて、景気よく。  ギーシュの体が真後ろに吹っ飛んだ。  本来ならそこまでの衝撃を持たないはずのそれも、ボロボロのギーシュでは耐え切れなかったらしい。 『へ?』  いきなり巻き起こったデンジャーな事故を前に、目を点にする二人。某海賊漫画のコックに蹴られたエイの魚人みたく滑空してったギーシュの行方を、点になった目で見送って。  故に、気付かなかった。  傍らを思いつめた表情の才人が駆け抜けていった事に。  ちなみに、ギーシュであるが。 「うーん……うーん……」  メイドに謝る事もできず、医務室に直行し、夜まで目を覚まさなかったそうな。  なんだかとっても不幸な奴である。

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