『トヨシゲ・モウリー』
【生涯】
第一次文明戦争以前の時代から
久平軍に身を置いていた軍人。
ソレグレイユの高名な軍人『アルフ・モーリー』の孫で、祖父の才能を受け継ぎ非凡な軍事の才能を持っていた。
その優秀な才を活かして劣勢の久平軍を指揮し、大勢の住民を死地から救出した。
第一次文明戦争の50年程前、五将動乱時代の中期に久平領は
ヤマト自治区北西部にて生を受ける。
戦乱により軍人である父を、流行り病によって母を早くに亡くしており、幼少期は主に祖父の手によって育てられた。
祖父はかのフリードリヒ・イェーガーに「我が生涯最大の好敵手にして戦友」と呼ばれた名軍人であったが、
当時の彼は軍との関わりを一切断って趣味である久平史の執筆に取り掛かっており、
そのためトヨシゲは幼少期までは祖父を歴史家か何かと思っていたようである。
しかし、青年期ごろに軍人を志したのと同時に祖父の経歴を知り、渋る彼を説得して直接に教授を受けた。
(だが、祖父は海軍の出身でありトヨシゲは内地の軍を希望していたため、あまり参考にならない教えもあったという)
祖父の死後、家を出て19歳でオオタニ将軍の軍に志願して入隊すると卓抜した才能を見せて成り上がり、
32歳の時に一兵卒の出としては最高峰の大尉に出世する。
ヤマト雪原の合戦の中で死亡した上官に代わって中隊の指揮をとり、
そこで隊を独自に動かして五将軍の一人ツクダ将軍の首級をあげる大殊勲をあげたことでオオタニ将軍の目に留まり、
五将動乱の後期に取り立てられて転戦し、50歳半ばで久平軍の中将にまで出世してヤマト方面軍を預かるまでになる。
その後、第一次文明戦争が勃発するとソレグレイユ軍と久平軍との圧倒的な戦力差を即座に見抜き、
正攻法での対決を早々と諦めソレグレイユ軍の補給線を狙って地の利を生かしたゲリラ戦術を指揮し、
ひたすらに敵の侵攻を遅らせることで避難民の逃亡を助けた。
戦後は軍を離れ、故郷であるヤマト北西部に戻り地元の名士として隠遁生活を送っていたが
それでも時折地下に逃れて独立運動に身を投じていたかつての部下たちと接触し、支援を行っていた。
また、そういった地下組織との接触の中で若き叛逆者
エラミーに出会い、
彼女に乞われてゲリラ戦をはじめとする軍略の教授を行ったこともあったという。
その縁から彼女が組織した
リユニオンに旧久平軍の戦士を紹介し、
また
第二次文明戦争勃発前に地下活動を当局に嗅ぎ付けられたこともあり、
自身もリユニオンに合流、戦略面における助言や組織作りのサポートなどを行った。
第二次文明戦争中、ソレグレイユ軍の暗殺者の凶弾に倒れる。享年72歳。
【人物】
現場からの叩き上げの軍人だが、そういった経歴から連想されるような厳ついイメージは薄く、
書生風の線の細い容姿をしている。
実際、青年期には軍人になるか学者の道を目指すかで悩んでいた時期があったらしく、
自伝では「平和な時代ならば、歴史家にでもなっていた」と回顧している。
その未練からか、余暇には書物を読んで過ごし、また何作か戦史に関した著作を発表もしている。
……とはいえ、そちら方面での才能は芳しくなかったらしく、あまり評価は高くないようである。
同じく軍人で歴史家を志望し、尚且つ専門家からの受けもいい祖父の評によれば、
「歴史書と呼ぶには物語風に過ぎ、物語と呼ぶにはあまりに無味乾燥である」とのことである、
その性格は戦場での苛烈な指揮ぶりが信じられないような穏やかなものだったが、
どこか強かなところもあり、人によっては油断ならない印象を受けることもある。
年齢を重ねてからもやはり軍人に見えない容姿は変わらないが、
頼りないはにかみ顔から独特の威厳を感じせる迫力を身に着けている。
ちなみに、彼が身に着けている軍服は五将動乱時代よりもさらに以前の時代の制服であり、
歴史趣味の彼が祖父から貰ったもので、普段も好んで身に着けているものである。
とはいえ、それを任務中も着用するようになったのは将官時代からであり、
現場指揮官時代は冒頭の画像のように一般的な軍服を身にまとっていた。
リユニオンでは最年長かつ最高階級の持ち主だったが、
あくまで自身の立場はアドバイサー程度と考えており、若い戦士たちの教育に当たる傍ら
そのコネクションを利用し、久平軍内部との交渉なども行っていた。
ちなみに「中将」と呼ぶ周囲に対しては、あくまで一般人であるとして「トヨシゲさん」と呼ぶように頼んでいた。
最終更新:2016年09月13日 11:39