男はネットニュースを片っ端から漁り情報を集めていた。
この東京都を現在進行形で騒がせている連続焼殺事件。
積み重なる犠牲者の数と、それと並行して報告される青い炎の目撃談。
まだ。
まだ――そうと決まったわけではない。
だが単なる偶然にしては符号し過ぎている。
轟炎司はその符号を見逃せなかった。
他でもない自分自身が産み落としそして歪ませてしまった胤。
轟燈矢…かつて己が切り捨てた過去を。
見ないふりをしていた息子の存在を。
この事件は否応なしに想起させた。
「ふあぁ。ねぇ、まだ眠らないの?
昨晩からずっとじゃない。わたし、そろそろ眠くなってきたのだけど」
「…サーヴァントである貴様に睡眠など不要だろう。
それに――」
…それに。
万一にでもその可能性がある以上は見過ごせない。
ヒーローとしてそして父親として。
あの荼毘に――燈矢に。
これ以上の罪を重ねさせるわけにはいかない。
その程度の意識と使命感は炎司にもあった。
「まぁいいわ。仮に件の事件の下手人が燈矢くんだとするなら、わたしも父親であるあなたには逃げずに向き合ってほしいし」
「俺の前で気安くその名前を口にするな。貴様のつまらん同情意識のために俺の息子を――アイツを利用するんじゃない」
「同情してあげてるだけまだ救いがあるんじゃないかしら。
彼の父親なら覚えておいて、炎司? 子供が親にされて一番傷つくことは面と向かって罵倒されることでも命を奪われることでもないわ。
なかったことにされること。自分をつくってくれた親に無視されることよ」
「…もういい。貴様は……お前はもう黙っていろ」
「ふふ。はいはい」
轟炎司はこの少女のことが嫌いなわけではない。
嫌いというよりは苦手というのが正しかった。
戦力としては優れている。やや極端な手に走りがちなことを除けば優れたサーヴァントであると評価も下せる。
だが彼女は…
ヒノカグツチは。
轟炎司の"父親"としての部分を。
そこにある古傷を。
痛むと分かった上でなぞり、炎司の冒した罪を思い知らせてくる。
その痛みに耐えられるだけの覚悟をまだ炎司は抱けずにいた。
何しろ此処に居る彼は。
東京二十三区を舞台とした聖杯戦争に招かれたフレイムヒーローは…己がずっと目を背けてきた過去について家族と共有することすらしていない。
轟燈矢の真実を知った直後の最も精神的に不安定な時期から招かれているのだから。
「それにしても炎司はつまらない男なのね。
わたしとしては流行りの…なんだったかしら。たぴおか? とか飲んでみたかったのだけど」
「お前の体温では口に含んだ瞬間蒸発するだろう。金の無駄だ」
「…言われてみればそうね。はぁ、まったく不便な体に生まれてしまったものだわ」
カグツチのその全身は神代の炎で構成されている。
彼女が物理攻撃に対し非常に強力な耐性を有するのはこの為だったが、あくまでカグツチにとっては"不便な体質"止まりの認識らしい。
因みに実体化しても炎司の拠点が燃えていないのは彼女が床の表面から微かに浮かんだ状態で自身の体を実体化させているからだ。
神代の炎は触れた全てを焼き焦がすが、カグツチが自ら望みでもしない限りはその熱を伝播まではさせない。
何処ぞの漫画に出てくる猫型ロボットめいた理屈を駆使して日常生活に溶け込む火の神は。
しばらく退屈そうに足をバタバタさせていたが――…ふと。
足を動かすのを止め、その端正な顔を真剣な表情に変えた。
「少し外に出てくるわ」
「…どうした。敵か?」
「誰かが誘ってる。相当の手練ね。魔力の波長からしてわたしと同じ神代の英霊だと思うわ」
口の前に指を一本立てて少女らしい仕草を一つ。
しかしその口から次に出た言葉は、とてもではないが可愛げとは無縁の言葉。
「もしかしたら私より強いかも」
「こんな朝ぼらけから、そんな怪物が血気盛んに息巻いているという訳か…」
炎司の眉間に巌のような皺が寄る。
だがそれも致し方のないことだろう。
彼は自分のサーヴァントと絆を育んでいるとは到底言い難い身であったが、それでもその実力については一定の信用を置いている。
その彼女が自分より強いかもしれないと言うサーヴァントが。
社会がまだ起き始める前のこんな時間から戦う相手を欲して誘いをかけているというのだ。
「あなたは此処で待っていて。勝ち切るにしろ逃げるにしろ、そう長く時間はかけないわ」
「貴様らサーヴァントの戦いの余波が、市民に被害を出さないと断言できるのか?」
「勘違いしてはいけないわ」
カグツチはにたりと笑った。
揶揄うような笑顔だった。
炎司の眉がピクリと動く。
そのリアクションを見てまたくすくすと笑い、火産霊神はかつてヒーローと呼ばれた男に言う。
「今のあなたは轟炎司であってエンデヴァーじゃない。
人命救助と息巻いて出て行ったとしたらあなたを見た社会はこう判断するわ。
火事場に突然現れた謎の火吹き人間。もしかしたら連続焼死事件の真犯人、なんて思われてしまうかも」
「……」
「この世界にヒーローはいないのよ。
またヒーローを名乗って喝采を浴びたかったら元の世界に帰らないと。
それともあなたに憧れてくれる鳥さんがいないと冷静な判断ひとつできないの?」
「――アヴェンジャー!」
ボッ、と炎司の目元に火の粉が散った。
憤怒の形相を浮かべる炎司にしかしカグツチは笑みを崩さない。
はいはい、とあやすように返事するばかりだった。
「なるべくご期待に添うよう頑張るわ。
火力は絞るし可能な範囲で人里への被害も抑えてあげる。
それでもどうしようもなさそうだったら退くし、いち早くあなたに伝えるわ。これでもまだ不安?」
一瞬の沈黙が流れる。
炎司は赫怒の色を消した。
顔に手を当て、小さく息づく。
熱くなったことを恥じているように見えた。
何度同じことを繰り返すのだと自分に言い聞かせている風でもあった。
「…分かった。餅は餅屋だ、怪物退治はお前に任せる」
「ありがとう。信じてくれて嬉しいわ」
「くれぐれも深追いはするな。いざとなれば令呪を使うことも視野に入れる」
「大丈夫よ。強いことは間違いないだろうけど、この匂いは多分…」
後ろ手を組んで腰を曲げる。
まるで娘が父親に対しいたずらを打ち明けるように。
あるいは自分の特技を自慢気に語るように。
ヒノカグツチは――日本最古の"神殺し"は告げた。
「わたしの得意分野。だから安心して待っていて? うまくできたら抱き締めてほしいな」
◆ ◆ ◆
炎が像を結ぶ。
そこに胡座を掻いて座り込んでいた大蛇(オロチ)はハッと八重歯を見せて笑った。
それは一見すると童子のような背格好をしていた。
烏の濡羽か摺りたての墨を思わす黒髪は艶やかながらも深く。
それを一本に結って朝風にそよがせる様は男児とも女児とも取れる。
目付きは悪いが元の顔立ちの良さがそれを帳消しにしていて。
そのフォローをも、明らかな人外の証である蛇尾が台無しにする。
そんな出で立ちの英霊はしかし、対面したなら誰もが背筋を粟立たせるだろう凶悪な気配を四方に惜しみなく放っていた。
「おう、釣れた釣れた。オレは探知だの感知だの細々したことは性に合わなくてなぁ。
そない女の腐ったみてぇな真似するくらいなら、いっそ餌チラつかして誘い出せばええやろがと思ったんけど…大正解だったみたいやな。
あーあ、最初からこうしてれば良かったわ」
これはヒトではない。
間違ってもそんな矮小な生物ではない。
ならば化物か。
否々違う。
そんな月並みで陳腐な言葉ではこれを語れない。
これは蛇だ。
これは竜だ。
これは――竜(カミ)だ。
「話し合いとかそんなクソおもんない事期待すんなよ。
まぁその殺気(ナリ)見てりゃ、そっちもその気で来たってのは分かるけどよ」
その真名、
八岐大蛇。
日ノ本に。
日本国に暮らす者ならば知らぬ者のない大化生。
悠久の時を越えて令和時代の都に再臨したそれの前に立つは、奇しくも此方も童子の姿をした炎(カミ)であった。
「品がないわね。折角可愛いのに、そんな言葉遣いじゃお嫁さんに行けないわよ」
背丈は
八岐大蛇(オロチ)よりも頭一つ程上になる。
灰の長髪を靡かせ火の粉を散らす少女。
オロチは即座にその正しい像を見破った。
これはヒトの形をしているだけだ。
実体などない。
ヒトの形を模した炎の化身。
炎の神。
そこまで看破してオロチはその戯言を鼻で笑う。
「なら勝手に茶でも淹れてろや。あぁいや、その炎(カラダ)で淹れた茶なんぞ呑めたもんじゃないか」
そして同時に内心ではこう思う。
大物が釣れたと。
心の牙をさらけ出して戦意を高めていた。
八岐大蛇はその名に違わぬ強力、そして凶悪なサーヴァントだ。
その全力に耐えられる存在などそうは居らず。
だからこそオロチは愉快愉快と目前に現れた命知らずを歓迎していた。
最後に勝つのは。
生き残るのは己であるという自負こそ変わらないものの。
此奴が相手ならば、多少のスリルは味わえそうであると。
そう思いながら挑発にどう反応してくれるものか期待していたオロチに。
炎の神…
ヒノカグツチはむっと頬を膨らませて言った。
「こら、駄目でしょう。お姉ちゃんに向かってそんなことを言ったら」
「は?」
本気の困惑にオロチは眉を顰める。
「…何言うとんねんお前。頭に虫でも湧いてんのか?」
「? だってあなたも日ノ本生まれの神でしょう?
神って呼び名は厳密には違うのかもしれないけれど。
でもあなたの体からはそういう匂いがするわ」
その指摘は正鵠を射ている。
かと言ってそれを馬鹿正直に認めるサーヴァントなど居る筈もない。
オロチは沈黙しながらも内心でこう思っていた。
“チッ。此奴同郷の輩か…”
日ノ本は八百万に連なる神。
それが目前の娘の正体であると悟りオロチは辟易に近い念を覚えた。
わざわざ聖杯戦争などという舞台に出てきて。
そうしてまで同郷の神と行き当たるとはどういう偶然か。
「…あれ、もしかして違う? そんな筈はないと思うのだけど。ちょっと待ってね、すんすん……」
「近くで嗅ぎに来んなや、気色悪いわ殺すぞ!」
警戒の一つもせず鼻をすんすん言わせながら近寄ってきたカグツチから反射的に飛び退きながらオロチは叫んだ。
とはいえその反応は、真実がカグツチの見立て通りだと自白しているようなものである。
カグツチはふふふと何処か自慢気な笑みを浮かべ。
それが癪に障ったオロチはもはや勿体つけることもなくカグツチの横顔へ回し蹴りを放った。
「わっと」
端正な顔面が弾ける。
ぴょんと跳んで距離にして数歩分後退。
再生した顔には青痣一つない。
しかし痛みはあるのか頬を擦りながら、今度はカグツチが眉を顰めた。
「乱暴ね。いきなり蹴っ飛ばしたら痛いじゃない」
「初対面の相手に姉ヅラしてくる奴のことはな、この時代じゃ不審者って言うんよ」
堂々悪態をつきながらもオロチの内心は至って沈着としていた。
己が本気の殺意を込めて繰り出した蹴りだ。
それに直撃しておいて大した損害もなく再生された事実は無視できない。
総身が炎で編まれていると気付いた時点で自動再生(リジェネ)持ちである可能性には行き当たっていたが。
それでもこの次元の再生が可能となれば、話は大分変わってくる。
“面倒臭ぇな。殺し切る方法を考えなあかんのか”
黒蟻のようにただ踏み潰して終わりというのは確かに詰まらない。
だが、こと"不滅"という性質はそんな驕りが吹き飛ぶ程面倒だ。
何しろ殴っても蹴っても死なないのだから必然頭を使う必要が出てくる。
マスターがマスターだ。
魔力リソースの方面はまず心配ないだろうが…創意工夫を凝らして殺し方を模索するというのはどうにもオロチの性分には合わなかった。
だから面倒臭いという思いを隠そうともせず顔を歪める。
神剣をくるりと弄びカグツチへ向き直るオロチ。
そんなオロチの得物を見たカグツチは「あら」と驚いたような顔をした。
「草薙剣じゃない。するとあなた、あれ?」
「なんや」
「スサノオ君の縁者か何か?」
「おいおい節穴か? 挑発もええ加減にしとき。でないと…」
小首を傾げて放たれたその言葉。
カグツチがそれを言い終えるよりも前に、オロチは動いていた。
神剣、草薙剣…透き通る水晶を思わす刀身は紛うことなき真作の証だ。
そう、真作なのだ。
水底へ消えた幼君の献身と共に完成した完全なる神剣。
それを指してカグツチは今なんと言った。
この木っ端は今なんと侮辱したのか。
オロチが放つ殺意は先刻彼女の戯れに対し見せたそれとは明らかに一線を画していた。
「――殺すぞボケ」
スサノオ。
カグツチが口にしたその名がオロチにとって特大の地雷であることは言わずもがなとして。
だがそれ以上にオロチを激怒させたのは、カグツチが草薙剣(これ)の正しき担い手として彼の者の名前を挙げたことだった。
時に無知はどんな悪意よりも強い怒りを呼ぶ。
まさに今がその局面であった。
「あら、怒らせちゃった? ごめんなさいね。そんなつもりはなかったの」
悪意を以って嬲ったならオロチも笑って殺意を返しただろう。
必ず殺すと決めはしたろうが表情から色を消すことはなかった筈。
にも関わらず今オロチの顔に色はなかった。
それはひとえに、目前の神が己の逆鱗に触れたのは何の悪意も伴わない天然の無知故の行動だったと分かっていたからだ。
草薙剣の大上段からの振り下ろしを受け止めるのは炎の剣であった。
刀身も柄も炎で構成された美醜も糞もない無形の剣。
しかしその刀身(なり)を見たオロチの眉は小さく動いた。
「…お前、誰や?」
不恰好もいい所のその剣を見た時。
オロチが覚えたのは既視感だった。
己を騙し討ちにして滅ぼした憎き素戔嗚命。
彼が振るっていた天羽々斬剣に、何故か似ていると感じてしまう。
その理由はすぐに分かった。
刀の大きさと幅だ。
長さは十束、幅は拳一つ分。
この規格に収まる刀を指して、日本神話ではこう称する。
十拳剣(とつかのつるぎ)と。
伊達や酔狂でこの形は真似られない。
故にこそオロチは漲る殺意の海に身を浸しながらも、こうして問わずにはいられなかった。
スサノオか? 有り得ない。
アヂスキタカヒコネ。
彦火火出見命。
ヤマトタケル。
まさかイザナギだなんて冗談はあるまいし、ならば目前で燃え盛る十拳を担うこれは何処の誰なのだとオロチは訝る。
そんなオロチにカグツチはやはり微笑って言った。
「あなたのお姉ちゃんよ」
「そうかよ。なら疾く死ねや気違い女」
神剣一閃。
炎剣応閃。
両剣――相克。
剣が互いに触れ合う前に激突が開始するという不条理を前にして驚く者は此処には居ない。
剛力で以って競り勝ったオロチがその足でカグツチの腹を蹴り抜きたたらを踏ませた。
「唐竹割りなら死ぬか? 試してみよか」
そのまま頭頂部より一閃。
カグツチの矮躯が真っ二つに割れる。
しかし肉は地面へ落ちることなくその場で渦を巻いた。
炎神、つつがなく再生。
だがオロチの一閃は決して無意味ではない。
「…成程なぁ。神が炎に化けてるんなら兎も角、その逆ってのはなかなかどうして面倒臭いわ」
これは真実、炎こそが本体なのだ。
始まりからそうだったのかは知らないし興味もない。
だが今のカグツチは霊核から髪先に至るまで全てが炎。
英霊というよりも自立活動する炎と呼んだ方が相応しいような在り方で此処に立っているのだと改めてそう理解する。
形なき故の不滅。
しかしそれは皮肉にも。
八岐大蛇というサーヴァントにとって鴨と呼べる性質であった。
「どうや? 痛いやろ、オレの草薙は」
「…ええ、思ったよりずっと痛かったわ。
先刻は失礼なことを言っちゃったわね、改めて謝らせて?
やっぱり何事も実際に経験してみるのが一番ね。おかげでよく分かったもの。あなたのそれはスサノオ君の剣じゃない」
草薙剣こと天叢雲剣。
オロチが担うはその真作であり完成形。
そこに宿る性質は衰退。
平家の恩讐と彼らが逆らえなかったこの世の理を封じ込めた衰滅剣。
不死不滅の存在に対しては言わずもがな効果覿面であり、事実カグツチは真名解放を行わない状態での一太刀からでさえそれを悟った。
スサノオという英傑が持つにしては不吉すぎる性質だ。
よってカグツチは此処で改めて、目前のサーヴァントが彼の者とは全く異なる神剣使いであるのだと理解した。
「お詫びにちょっと本気でいくわ。あまり暴れないって言って来ちゃった身だけど」
ほざいとけやクソ女。
その台詞を吐くよりもオロチの行動は速かった。
と言ってもそれをオロチが起こした"行動"の結果だと認識できる者はきっと限られよう。
突如カグツチの足元から間欠泉のように噴き上がった、非常に高いアルコール度数の液体。
その超常現象を誰か個人の仕業と判断できる者となれば必然、そこには思考の柔軟さとスケールの広さが求められるのだから。
『八塩折之酒』。
サーヴァントにはしばしば己の死因を逸話として昇華させ、転じて自らの得物に変える者が居る。
これもその一例だ。
八岐大蛇を昏倒させた伝説の銘酒…または神代の霊薬。
いわばオロチが憎きスサノオに不覚を取った原因そのもの。
しかしサーヴァントとして現界するに辺り"死の要因"はオロチの新たな手札と化した。
今ややしおりの酒はオロチの手足の一部と化し、故にこうして魔力を手繰るように自在に操り――攻撃の手段としてすら用いることができる。
「手前が死ぬまでぶった斬り続けたるわ。膾切りにされたら流石に死ぬやろ?」
とはいえ酒は液体。
全身が炎で構成されているカグツチに対しては通用する筈もない。
この行動の意味は初見限定の目眩まし。
これで面食らった所を再び斬り、盛者必衰の理で刻一刻と目前の炎神を弱らせる。
それがオロチの狙いであったが…
「それは困るわ。わたし、痛いのは好きじゃないのよ」
逆に吹き飛ばされたのはオロチの側であった。
酒の目眩ましを突き破る形で発生した水蒸気爆発。
魔力を含んだ水という性質が、励起した炎神の肉体に触れたことで科学反応を引き起こしたのだ。
想定外の衝撃に舌打ちしながら粉塵を払い除けたオロチに殺到するのはカグツチ。
燃え盛り猛る十拳剣を振り上げ迫る彼女と刃を交わし、文字通りの火花を散らす。
剣としての格ならば草薙剣が一段上を行く。
得物が熱に充てられ溶解する心配こそないが、しかしオロチの表情は芳しくない。
カグツチはオロチの剛力を上回る出力で剣を振るっていたからだ。
“此奴…剣を振るう動作そのものを、手前の炎で強化(ぶぅすと)してんのか”
魔力放出。
正しくは彼女自身の肉体を構成する炎でのブースト。
種を明かせば単純なものだがしかし厄介さの程度は変わらない。
一撃一撃がジェットエンジンを遥かに凌駕したブーストを背負って繰り出されるのだ、普通なら打ち合うだけでも至難の筈。
にも関わらずオロチがそれを可能としているのは、ひとえにオロチが神話の大化生。
構造からしてヒトとも神とも異なる獣…生ける災害の類であるから。
「洒落臭いわ。神風情が化生(オレ)らの真似事か」
オロチは鼻で笑う。
次の瞬間、攻守の趨勢が逆転した。
オロチの一挙一投足がカグツチを圧す。
速度においてもそこに乗せられた力においてもだ。
宝具の限定解放。
いわば"つまみ食い"の賜物だ。
八岐大蛇の権能を自我の損耗及び霊基の変化に繋がらない程度に引き出し、猛り狂う神を一瞬にして下座へ追いやった。
「うぅん」
何十度目かの激突で吹き飛ばされたカグツチ。
尻餅をついてから唇を尖らせ立ち上がると、刀は片手に握ったままで腕組みをした。
「スサノオ君って、あなたがお酒を呑まなかったらどうやって殺すつもりだったのかしら」
「…ま、流石に気付くわな。せやで? 如何にもそうや。オレはオマエの思ってる通りの竜(モン)よ」
「これだけめちゃくちゃされたら流石に気付くわよ。よく見たら尻尾も蛇だし」
「そこは流石に最初から気付いとけよ」
真名を声高に明かす程オロチは阿呆ではないが。
しかし最初から日ノ本由来の存在、それも神性を宿す何某かであるという所まで割れてしまっているのだ。
得物然り常軌を逸した身体能力然り、真名を絞る材料は幾らでもある。
遅かれ早かれこうなるだろうなとオロチは既に悟っていた。
「あなたは強いわね、オロチ。わたしもお姉ちゃんとして鼻が高いわ」
微笑みながらカグツチは己が剣を消した。
比喩ではなく本当に、消したのだ。
真夏の陽炎のように大気へ溶けて消える炎剣。
撤退の予兆かとオロチは眉を顰めたが。
しかしそうではない。
そしてその事を、オロチは次の瞬間有無を言わさず理解させられる。
「だから。わたしも此処からは形振り構わず行かせて貰うわね」
炎剣の代わりに手へ渦巻かせたのは劫火。
何を象る事もない火が、カグツチの腕を薙ぎ払う動作に追随して放射されオロチへ迫る。
これをオロチは舌打ちしながら神剣の連閃で迎撃。
たかだか三振り分の動きで十重二十重の軌跡を描きながら、寄せ来る炎の波を切り刻んだ。
切り刻んだ、が――
「…あ?」
確かに切り裂いた筈の炎が。
まるで水飴のように粘性を持ってその場に残留。
それどころか主に与えられた指向性を維持したままオロチの矮躯へ降り掛かった。
「ちッ……!」
カグツチの炎が只の火であるなら到底起こり得ない現象だ。
しかしながらオロチは既に自分が見誤ったのだと悟っている。
目前の彼女は火産霊命(ほむすび)、神代の炎で編まれた肉体を持つサーヴァント。
であれば当然。
自らの体の延長線として繰り出す放出炎の性質を改変し、随意に操ることも可能なのだろう。
理解するなりオロチは地を蹴り跳躍して後退。
カグツチは球体状にした炎を自らの肉体から予備動作無しで目算百数十程創生。
それを放ちながらオロチへ猛追する。
追われる側となったオロチの眉間には厳しく皺が刻まれていた。
“浴びた言うても掠った程度の筈。なのにこのオレが腹立てさせられる程痛いってのはどういう訳や”
それもその筈。
オロチの総身は今尋常ならざる激痛に苛まれていた。
細胞の一つ一つが鋭利な棘を生やして筋肉や血管を内側から破壊しているような痛み。
日ノ本に名高き大化生、
八岐大蛇が明確に"痛い"と感じているのだ。
たったあの程度掠めただけでこんな様を晒すなど普通ならばまず有り得ない。
“このイカれ女、まさか――”
考えられる可能性は一つだった。
腸を煮えくり返らせる前にやるべきことがある。
この推測が正しいのならば次は絶対に喰らえない。
何しろどうなるか分からないのだ、オロチをしても。
掠めただけでこの次元の消耗を押し付けられるなら、直撃すれば果たしてどうなる?
水の魔力操作による迎撃と誘爆。
性質変化を予期し軌道を目測から計算しての多重斬撃。
オロチはそれを以って見事全弾の迎撃に成功するが…
「そりゃそう来るやろな」
「当たり前でしょう? 下の子にやられっぱなしじゃお姉ちゃんとして立つ瀬がないもの」
爆裂と四散を繰り返す炎に紛れカグツチは上へ跳躍。
その片腕は既にヒトの形から離れ、炎そのものへ回帰している。
化けの皮を剥がしたということは即ち。
そうせねば放てぬだけの火力が来ることの証左。
「来いや気違い女ァ! 血も通っとらんカタワが思い上がんなや!」
受けて立ちその上で殺すとオロチの凶笑は告げていた。
その眼窩に収まる眼球…直視の魔眼はカグツチの体に死の線が存在しないことをオロチへ証言している。
だがオロチには勝算があった。
衰亡の理を宿す神剣にとっては不滅の炎など葱を背負った鴨。
霊核に直接草薙剣を突き刺しでもすれば確実に殺せるとオロチは確信している。
危ない橋を渡る事など百も承知、しかしてそれに臆する
八岐大蛇ではない。
カグツチの放つ一撃を捌き切り……否それごと貫き殺してやると。
獰猛な殺意を滾らせ地に立ったまま炎神の放つ熱を迎え撃つ構えを取ったそこで。
「なるほどね。スサノオ君はやっぱりお利口さんだわ。
ちゃんと自分が挑む相手の性格を弁えていたのね」
カグツチが吐いた言葉にオロチの思考が一瞬止まる。
平時ならば安い挑発だと笑ってから殺す所だが。
それは果たしてこの局面で仕掛ける手なのか?
そう考え至った所でオロチは気付いた。
空で右腕を炎に変え、今にも振り下ろさんとしているカグツチ。
彼女の左腕の指が欠けている。
左腕の小指。
全身単位で見れば軽微な欠損だが、それでも確かに欠けていて。
そしてオロチには彼女のそんな部位を刻んだ覚えがない。
この不可解な齟齬がオロチに不吉な予感を抱かせる。
カッと目を見開いたオロチは己の足元へ視線を落とした。
そこにあるのは。
オロチが切り落とした覚えのない、
ヒノカグツチの小指だった。
何故これが此処にある。
いや、そもそも――何のために?
思考が仮説を導き出すよりも遥かに早く。
カグツチは地で待つ弟(妹)を見下ろしながら王手を宣言した。
「燔(ぼん)」
…英霊
ヒノカグツチの体は炎で構成されている。
神代、まだ地上が神秘で満ちていた時代の劫火。
彼女はそれを手足以上の自在さで操る事ができるのは既にオロチも知る所の事実。
しかし彼女の肉体には、ひいては彼女が操る炎にはもう一つ絡繰りがある。
カグツチは常日頃。
脆い現代の地上で生活するのに合わせて自身が放つ熱量をセーブしているのだ。
多少体を浮かせれば家屋を燃やさぬよう。
周りの人間を焼かぬよう。
本来の何百分の一かの規模にまで熱の規模を抑えている。
だがそれは逆に言えば。
その枷を取っ払いさえすれば、カグツチは肉体そのものを神代水準の超灼熱源へと変えるもとい"戻す"事ができるという事であり。
たとえ肉体の一部…指の一本分程度であろうとも。
現代の神秘薄き脆い大地で解き放てばどうなるか?
その答えをオロチは、己の窮地という形で実感させられる事になった。
「このッ――糞女がアアアアア!」
カグツチが切り落とした自身の小指。
その周囲の地面凡そ十数メートルの地面が融けた。
アスファルトを通り越しその下の地面までもを融解させ地獄の門に変え。
足場が種明かしからコンマ一秒未満の速度でそう変わったオロチは対応し切れず、融け落ちる地の奥へと身を投げ出される。
とはいえオロチ程の怪物ならば地上へ復帰することは容易だろう。
復帰するだけならば、だが。
満悦の笑みを浮かべ拳を振り上げたカグツチ。
その炎拳は今、地に落ちていく弟妹(きょうだい)へと振り下ろされ――
「赫灼熱拳」
超局地的な戦術核の炸裂が起こったのかと見紛うような大爆発を引き起こした。
◆ ◆ ◆
サーヴァントとマスターは時に夢で繋がる。
そこで垣間見た轟炎司…エンデヴァーの勇姿。
そこから拝借した技、それこそが赫灼熱拳。
体内温度の上昇という欠点を考えなくていいカグツチが放つこの技は彼の夢見た完成形そのものだ。
それを神代基準の火力で撃ち込むのだから威力の程は推して知るべし。
だが彼女の炎拳が炸裂し生じた大爆発の内側から飛び出したのは、オロチの草薙剣による天地神明すら斬り裂く鋭撃だった。
カグツチの右腕を半ばで寸断し雲間を抉じ開けた一閃。
それが轟いた後にオロチの声が響く。
「おう、ようやってくれたな糞女」
「…びっくり。てっきり勝ったと思っていたのに」
往生際悪く地面に纏わりつく爆炎を切り裂いて立ち上がるオロチ。
地の底から這い上がったその半身は見るも無残に焦げ炭化していた。
とはいえ見た目程致命的な損壊ではない。
オロチもまたカグツチとは別な意味で丈夫なのだ。
命さえ残っていれば素の回復力で大概の損傷はねじ伏せられる。
それが物理的な手傷の範疇で収まる内は。
「散々灼いてくれたお陰でよう分かったわ。
なんやオマエ、とんだ生まれぞこないやないか」
くつくつと嘲笑うオロチ。
しかしその嘲笑には牙を剥いた獣のように獰猛な殺意が同居していた。
オロチの傷はこうしている今も回復しつつある。
炭に変わった肌は刻一刻と活力を取り戻し、焼け焦げた皮膚や肉は邪魔だとばかりに削げていく。
まるで蛇の脱皮のように回復していくオロチだったが。
さりとてその肉体の内側では今もカグツチに浴びせられた"熱"が色濃く蝕んでいた。
「神殺しの炎…ああいやちゃうな。
神を殺すしか能のない炎って言うべきか?
日ノ本広し八百万広しっつっても、こんだけ救いようのない生まれぞこないは一人しか居らんわな」
危なかった。
オロチをしてそう思わされた。
あと少し反応が遅れていれば。
もしもあの時使われていたのが肉体由来の炎ではなく、燃え盛る十拳剣によるものだったならば。
最悪
八岐大蛇(おのれ)はあの場で聖杯へ焚べる最初の薪木として退場していたかもしれない。
それに足る熱があった。
オロチの予感は当たっていた。
この炎は、目前の神が遣う炎は只の火ではない。
これは――神殺しの火だ。
古今東西、古いも新しいも関係なく。
神とそれに連なるものを見境なく焼き焦がし滅ぼす炎。
日ノ本は八百万。
そこに数えられる神がどれ程多くとも、この類稀な特徴に合致する名は一つしか存在すまい。
「いやぁ同情するわ
ヒノカグツチの姉貴。オレは何のかんの言って色々あれこれ愉しんでから死んだからよ。
生まれてこの方実のオヤジにぶった斬られて死ぬとか悲惨すぎてよ、お悔やみ申し上げますってしか言い様ないわ」
ヒノカグツチ。
国産みの母を殺し。
国産みの父に過ちを犯させた忌み子。
神を滅ぼす以外の逸話を何一つ持たない彼女は毒だ。
父恋しと願い祈りながら同族(カミ)を殺す矛盾の猛毒。
「初めてまともに生きれて調子乗っとんのやね。ならオレが水子の姉貴に"身の程"教えたるわ」
まさしくオロチの言う通り。
彼女は不具の蛭子とはまた別の"生まれぞこない"だった。
神を殺す以外の物語を何一つ持たない忌み子。
それに、そんなものに不覚を取らされ身を焼かれた事実がオロチのこめかみに青筋を浮かばせる。
立て板に水を流すように淀みなく紡がれる嘲笑の言葉にカグツチは怒るでも哀しむでもなく。
何処か納得を含ませた表情で笑って。
「そうよ。だから羨ましいの、あなたが」
その手に彼女の、彼女だけの十拳剣を顕現させる。
それは真作に非ず。
しかし真作すら滅ぼす熱を秘める。
日ノ本最古の神殺し。
千死の呪いと千五百生の加護が生まれるに至った要因の熱は。
怒りとも哀しみとも異なるもっと純粋な気持ちで煌々と燃え上がった。
「もっとおはなししましょうオロチ。
あなたはわたしを嫌いかもしれないけれど。わたしはあなたが好きよ、お姉ちゃんだもの」
「ほざいてろや、精々な――!」
神魔激突。
十拳剣と草薙剣が奏でる戦慄の雅楽。
余波で地面は融け落ち雲は割れる。
観戦者が居たならそれごと両断ないし焼殺するだろう乱舞の交錯。
それは誰も介在することの能わない極限の戦闘であり。
同時に時代も起源も遥か離れた両者が行うある種の対話でもあった。
特にカグツチにとっては。
たとえ己に向ける感情が激しい敵意であろうとも、オロチの一挙一投足並びにその口から出る言葉の一つ一つが得難い祝福だった。
心胆からの楽しさに口元は自然弧を描く。
「楽しいわ――もっとあなたのおはなしを聞かせて、オロチ!」
十拳剣が熱を増す。
歴史に刻まれない十拳剣。
神殺しのためだけに瞬く炎が竜神死すべしと猛りをあげ。
対面しているだけで肌が焦げ落ちる熱を醸しながらも、しかしそれでいて対話の意思は決して捨てない。
そんな矛盾を地で行きながらカグツチは一切不変。
爆熱の中でそれを受け止め時に返しの斬り込みを行いながらヒトの形を保つオロチは、しかしカグツチよりも早く千日手の訪れを感じていた。
“あかんな。キリないわ、此奴とやり合ってたら”
殴る蹴る、切った張ったの勝負では日が暮れるまで終わらないだろう。
実力の拮抗以前に相手の真髄が異質すぎる。
霊核を特効の衰滅剣で貫けば終わると語るのは容易い。
だが実際にそれを可能にできるかどうかは別問題だ。
無理を押して実行すれば逆に此方が焼き切れる羽目になる。
その次元の火力を有しているのだ、カグツチは。
であればどうするか。
オロチの答えは最早決まっていた。
「あ~あ。こんな序盤で使いたくなんてなかったんやけどな…」
即ち己が神剣。
スサノオですら辿り着き得なかった、真作の天叢雲剣。
その全権能解放。
万象衰滅の理を解き放ち、目前の炎神を斬殺するという決定だった。
不死? 不滅? 笑わせる。
あの時代で隆盛を誇った奴らは皆そう思っていた。
だからこそオロチはこれがカグツチを滅ぼす必滅になると確信した上で封を解かんとし。
その予兆を嗅ぎ付けたカグツチは――
「――や~めた。もう帰るわ」
「は? おい手前、この状況で逃がすと思っとんのか?」
「だってずるいじゃないそれ。わたしは双六で勝負してるのに、いきなり煮えた油を引っ掛けられる気分よ」
呆気なく戦闘を放り捨てた。
逃げることを公言し炎剣を消す。
その身勝手な決定に思わず青筋を立てるオロチだが。
そんなオロチをよそに、ひらひらと手を振りながらカグツチは続けた。
「まだ聖杯戦争は始まったばかりでしょう。
こんな序盤(ところ)で本気を出してたら、わたしもマスターに怒られてしまうもの」
「なぁ」
その言葉にオロチはふうと溜息を一つ吐いて。
それから絶対零度の殺気を放ちつつ、顔はそれとは正反対の美麗な笑みを浮かべてみせる。
「オマエ、オレの事誰だと思っとるん?」
語るまでもない。
これは
八岐大蛇。
日ノ本に知らぬ者のない大化生。
高天原すら恐れぬ素戔嗚命が騙し討ちに打って出ざるを得なかった怪物の中の怪物。
一度殺すと決めた竜(カミ)を前に吐くにはその言葉はあまりに傲岸不遜すぎて。
それを己でも理解しているからこそ、カグツチは煽るでも怯えるでもなくただ笑ってみせた。
「わたしのかけがえのない弟であり妹よ。それ以外の言葉が必要かしら」
聖杯戦争に列席した全ての英霊は。
英霊の座を通じ与えられた、人類史に関する一通りの知識を持つ。
なればこそカグツチはオロチの表の逸話は知り尽くしていた。
スサノオに嵌められ神剣を遺し斬首された恐るべき怪物。
だが目前のオロチはどうだ?
その姿は八岐の大蛇には非ず。
己よりも頭一つ程背丈の低い童女の姿を象っている。
「オロチ。わたしね、あなたが好きよ。
あなたのことをもっと知りたいの。
あなたの言う通りわたしは何も知らないから。
だからあなたともおはなしがしたいの、わたし」
「オマエと話す事なんざ何も無いわ」
カグツチはそこに物語を見出した。
それは彼女の持っていないものだった。
だから羨ましいと思う。
知りたいと願う。
オロチは目前の神の、救いようのない生涯を辿った忌み神を一蹴する。
誰が貴様になぞオレの物語を話してやるものかと。
「次は殺すぞ糞女。無知は無知のまま斬り殺してやるよ」
「こっちの台詞よオロチ。あなたのすべてを知ってから…わたしがこの火で、あなたを滅ぼしてあげる」
わたしはそれしか出来ないモノだから。
そう微笑うカグツチにオロチも好戦的な嘲笑いを返した。
カグツチが踵を返す。
超高熱のその体が陽炎のように大気へ溶ける瀬戸際。
ふと忌み神は怪物の方を振り返って。
「それはそうと。お姉ちゃんに対する言葉遣いはもうちょっと改めた方がいいと思うわよオロチ。
普通にちょっと泣きそうになったし、もうちょっと礼節と思いやりというものを…」
「そんなんええから早よ帰れや気違い女!」
◆ ◆ ◆
「危なかったわ。あと少しで死ぬ所よ」
帰ってくるなりそう言った己がサーヴァントに轟炎司は言葉もなかった。
彼女の戦った場所がどの地域であったかは既にネットニュースの速報を経て把握している。
突如溶岩宛らに融解した地盤。
撒き散らされた破壊の痕跡。
サーヴァント同士の交戦でしか有り得ない惨状である上、そこにはカグツチという炎の化身が関与していなければ不可解と断ぜられるだけの証拠が山のように残されていた。
「次は宝具の真名解放が無いと駄目ね。出し惜しんでいたら勝てないわ、あの子には。
かわいそうなオロチ。真面目に戦っていたなら、きっとスサノオ君なんか目じゃないでしょうに」
「…貴様が何と戦い何を見てきたのかは後で聞く」
民間人の死傷者は零。
だが現場に残された痕跡は、カグツチが結局後先考える事なく暴れ散らしてきたことを如実に物語っていた。
恐らく最初の内はそれも頭の中にあったのだろうが。
同郷の後輩(きょうだい)と事を構えている内に色々吹き飛んでしまったのだろう。
現に今も声は熱を帯び興奮の色合いを隠そうともしていない。
炎司は深く…心底深く溜息を吐き出してからカグツチを睥睨して言った。
「だがそれよりも、貴様には改めて市街戦の何たるかを懇々と説いておく必要があるようだな」
「こんこん? あまり馬鹿にしないで、炎司。いくらわたしが世間知らずと言っても、狐の鳴き声くらいは知っているのよ」
「…いい度胸だ……」
聖杯戦争、その初戦。
八岐大蛇というこの戦でも間違いなく上位に食い込むだろうサーヴァントと事を構え帰還した事実。
それは間違いなくカグツチというサーヴァントの有望さを物語っていた。
十拳剣の真の出力を解禁すればオロチが振るう衰退の神剣とすら張り合えよう神殺しの火産霊命。
だがしかし忘れるなかれ。
彼女が如何に熱くとも。
その火が並び立つ神々の全てを焼き尽くそうとも…。
――過去は消えない。
そしてその過去だけは。
カグツチの火を振るえば済むというものではない。
轟炎司という男が…父親が。
それを自覚し覚悟するまで。
彼らの…否。
彼の物語は一歩たりとも前には進まないのだ。
【足立区/轟炎司の自宅/一日目・早朝】
【
轟炎司(エンデヴァー)@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、胃痛
[令呪]:残り三画
[装備]:無し
[道具]:無し
[所持金]:とりあえず裕福には暮らせる程度の金額
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界へ帰還する。
1:ヒーローとしてのあり方に背く気はない。
2:連続焼死事件の犯人が荼毘…燈矢であったなら――。
[備考]
※カグツチから交戦したサーヴァント(
八岐大蛇)の概要について聞きました。
【アヴェンジャー(
ヒノカグツチ)@日本神話】
[状態]:疲労(小)、体内にダメージ(中)
[装備]:無し
[道具]:無し
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:お父さまとおはなしがしたい
1:炎司といいオロチといい、皆なんでそんなに怒るのかしら?
2:オロチとはまた会いたい。次は本気で。
◆ ◆ ◆
「やられたわ。想像以上に面倒い輩釣り上げてもうた」
己の主たる女神の元へ帰還したオロチ。
その体は表面上は火傷の一つも残らない綺麗なものだ。
だがカグツチに浴びせられた神殺しの炎は今も尚オロチの内側を蝕み続けていた。
これが神よりも怪物に近しい存在であるオロチでなければ。
優れた再生力を秘める竜でなければ、恐らくこの程度では済まなかったろう。
アレは毒だ。
神の因子を持つ者が触れれば放射能のように体内へ滲み込み蝕む死の凶熱を秘めている。
神祖滅殺の火産霊命。
神殺しの十拳剣を担う者。
そして彼女の持つ力はオロチのみならず、その主にとっても他人事ではなかった。
「…炎か。不吉だな」
スカサハ=スカディ。
彼女は零落れた神霊である。
終わり逝く世界から溢れた女神。
もしも彼女がカグツチの炎に触れればその影響はオロチと同等ではまず済むまい。
しかしスカディが口にした言葉は。
神殺しの性質そのものを憂いた故のものではなかった。
「熱いのは、好かぬ」
歯車を違えた神話体系。
大狼を喰らい道化を引き裂き。
神々も同族も等しく焼き尽くした炎。
三千年に渡り愛する世界を蝕み続けた呪い。
女神にとって決して拭い去れぬ傷(トラウマ)がじぐりと疼く。
「オレにしても同じや。
よりによって十拳剣なんて、悪い冗談やと思いたいわ」
からからと笑うオロチだったが。
その眼までは笑っていなかった。
全く不吉にも程がある。
本番の開幕戦でこれとは、まるで未来の暗澹を暗示されたようではないか。
「けどまぁ…だからどうしたって話よ。姫さんもそうやろ?」
「ああ」
だが。
それでも進む道も、辿り着く未来も。
何も変わりはしない。
世界の終わりでは死にきれなかった女神はオロチの問いに確と頷いた。
「わが道に再び炎が立ち塞がるというのなら」
彼女は単に死を待つのみの弱者ではない。
闇雲に生を希求するばかりの獣でもない。
スカサハ=スカディは"歩む者"だ。
あるべき未来に背を向けて。
願いの残骸と無数の屍で橋を架け、あるべきでない未来に歩むのだととうにそう決めている。
「――此度も乗り越えるまでだ。私は既に、炎(ほろび)の敗亡(おわり)を識っている」
神は言葉を違えない。
母であるなら尚のことだ。
何かを失う度に心を痛め。
それでも何かを守ろうと時を重ね。
そして全てを失った孤独の女王は玉座を追われても、這い蹲ってでも明日を探す。
全ては愛する、我が子らのために。
【板橋区・郊外/廃教会/一日目・早朝】
【
スカサハ=スカディ@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:無し
[道具]:無し
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本行動方針:勝ち残り聖杯を手にする。
1:…炎か。
[備考]
※オロチから交戦したサーヴァント(
ヒノカグツチ)の概要について聞きました。
【バーサーカー(
八岐大蛇)@日本神話】
[状態]:体内に神殺しの熱が残留(中程度。時間経過により改善されます)
[装備]:天叢雲剣
[道具]:無し
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:聖杯を獲る。
1:当分は遭遇戦で敵を削っていく
2:アヴェンジャー(
ヒノカグツチ)は次は必ず殺す
3:殺せないのなら二度と会いたくはない。心がふたつある
最終更新:2022年06月11日 22:04