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あれ、なんだろうこれ。




ガ オ ン

 ガ オ ン

  ガ オ ン

そんな音と共に下水道の壁や床、至る箇所がコルク形に削り取られていく。
魂喰いを終え、沸騰しかけていた思考が幾らか落ち着きクールダウンした彼は、いざという時の非常口をせっせと作り上げていた。
非常口になぜ下水道を選んだのか。それは、彼や彼の主(あるじ)に共通する性質のひとつ、『吸血鬼』が理由である。
本来の伝承通り、吸血鬼は、日光を浴びることができない。我慢すればどうにかなるものではなく、数秒浴びせられただけで身体は灰と化し消え去ってしまう。
そのため、彼はこうして敬愛する主、セイヴァーことDIOの為に道を作っているのだ。

グ オ オ オ

己のスタンド、クリームの口内から顔を出し、狂信者ヴァニラ・アイスはキョロキョロとあたりを見回し削り取った成果を観察する。

「ふむ...まだ足りんな」

クリームの中にいる間、彼は外からの情報の一切を知ることが出来ない。
そのため、道ひとつ作るのにも、こうして逐一顔を出し、己の頭の中のイメージ図と照らし合わせなければならないのだ。

(こんなものではDIO様を迎え入れることなどできん。次はあの道を空けて...)

己が主、DIOが歩む可能性がある道は魂を込めて快適にしなければならない。
ヴァニラ・アイスは再びクリームに潜り込み道を作る為に進む。

彼は気づかなかった。

己が削り作った穴とは別の、おおよそ一メートル程度の穴が密かに口を開けていたことに。



明らかに人工的なものだな。辿れば何者かには会えるだろう。

ふーん。で、どうするの?

そうだな...




「あ、あれ、おかしいなぁ」

犬吠埼珠は首をかしげていた。
記憶が戻りサーヴァントが召還される以前に、『下水道ならきっと大丈夫』と気晴らしで作った穴。
彼女が家族や家康に内緒でこっそりこれを見に来たのは、彼女なりの考えがあってのことだった。
自分は馬鹿だ。学がなければ大した信念も覚悟も持ち合わせていない駄目な子だ。
そんな自分を、あの血みどろの惨劇なんて知らない頃の自分を見ればなにか腹を決められるかもしれない。
あるいはこれからの参考になるかもしれない。
家康に内緒でやってきたのは、彼が内心であまり信用していないというのもあるが、それ以上に、こういったことは自分ひとりでやらないといけないと思ったから。
そんな浅はかながらも自分なりに考えた結果、今までの自分を見つめなおすことを思いついたのだ。

尤も、彼女でなくても、思い出の場所などへと訪れれば、過去にふけりそれだけで満足し終わってしまう可能性は非常に高いのだが。

まあなんにせよ、彼女なりに自分を見つめなおそうと頑張ろうとしたその矢先に見つけたのが、下水道の至るところに穿たれた無数の穴なのだから、冒頭の困惑も生じてしまったのだが。

(わたし、ここに穴を作ったっけ?)

記憶力にはあまり自信がないほうだが、しかしそれでもどの程度の穴を作ったかくらいは漠然と覚えている。

(もしかして、わたし以外にも穴を掘れる人がいるのかな)

いくら自分に学がないとはいえ、こんな綺麗な穴が自然に空くとは思わないし、自分が掘れるなら他に掘れる人もいるだろうと考えも及ぶ。
実際、よくよく見れば自分の力で開けるものとは削り方も違う。となれば、誰かが空けたのだと結論に至ることはさすがの自分でも可能だ。

(だとしたら、早く離れないと)

振り向き駆け出すたま。
しかし慌てて逃げようとしたものだから、濡れた足場に足をとられ、つるりと滑り額を床にぶつけてしまう。

「...きゅう」

変身前ならいざ知らず、いまの彼女は未熟ながらも魔法少女である。
一昔前の漫画のように足を滑らせ転倒、そのまま気絶なんてことはありえない。
とはいえ無防備な姿で転倒し顔を打てば、当然痛みはある。

もしもここにたまの初めての友達がいれば、ドジだのノロマだの散々罵倒した後に、額を見せろと言って、大したことがないとわかると「それくらいでいちいち落ち込むな、馬鹿」と額を小突かれて終わりだっただろう。

だが、いまの彼女の隣にはその友も他の友達も誰もいない。
なんのかんのいって世話を焼き、手を貸してくれた者たちがいない以上、たまのミスをフォローできる者など居はしない。

故に。

「ねえ、どうしたのこんなところで」

痛みに蹲っていた為にやってきた災厄から逃れる術など犬吠埼珠にありはしない。



ふむ。これが能力だとしたら...なるほど。

なにぶつぶつ言ってるのさ。まだ駄目なの?




(ようやく着いた...!)

暁美ほむらは、目的地である鹿目まどかの家に辿り着くなりホッと胸を撫で下ろした。
家を出て、道中に遭遇したホル・ホースと別れてからさほど時間は経過していない。
だが、ここまでの道のりは、まるで、自分の一挙一動が全てスローモーションになったかのようにひどく長く感じた。。
焦がれるものほど待ち遠しい感覚とはこういうものなのだろうか。

(なんでもいい。いまは鹿目さんの安否を確認しなくちゃ...)

ほむらはインターホンに指を突きつけ―――止まる。

(...押しても、いいのかな)

いまは既に0時をまわっている。家中の電気が消えていることから、既にまどかと彼女の家族は寝静まっているようだ。
こんな時間帯にいきなり人様の家へと訪ねるのはどうだろうかとか、家族に迷惑はかけないだろうかとか、そもそも門前払いを食らうのではとか、そもそも彼女に会ってなにを言えばいいのかとか、今更になって様々な不安と疑問が押し寄せてくる。

(そもそも、鹿目さんがマスターじゃなかったら、聖杯戦争のことを伝えてもどうしようもない。マスターだったら話は早いけど、彼女にはマスターであってほしくない)

今更ながら自分の迂闊さにため息が出てしまう。まどかのもとに向かうことで頭がいっぱいで、自分のすべきことすら曖昧だった。
こんなことでは彼女を護ることなど夢のまた夢。
パン、パン、と己の頬を叩き、思考を冷静にするよう努める。

その、集中力が乱れた刹那。

ヌッ。

ほむらの背後より現れた腕がほむらの口元を押さえ込み。

グイッ。

左腕を捻りあげられ。

ドンッ。

ほむらの身体は壁に押し付けられてしまった。

「!?」

瞬く間の奇襲に、ほむらの思考は驚愕と得たいの知れない者への恐怖に包まれる。

壁に押し付けられつつも目線だけは背後へと向け、襲撃者の姿をどうにか確認する。
下手人は、レインコートに丸めがね、そして口元を覆う日用マスクと明らかに不審者の出で立ちだった。

(いつの間に...気配もなく...!)
「動くな。言葉も発するな」

男―――ランサーのサーヴァント、宮本篤の囁きにほむらは抗えず、彼の言いなりに言葉すら発せず、ただただ篤を凝視することしかできない。
ハァ、ハァ、と互いの呼吸音が空気中で交じり合う。

「......」

やがて動いたのは、篤。ほむらの口元を塞ぎつつ、拘束したまま鹿目家の玄関から距離をとる。

それほど遠くない距離―――五十メートルほど離れたあたりの路地裏で、篤はほむらを突き飛ばした。
仰向けに転がるほむらは、その隙に変身しようとするも一手及ばず。
篤はほむらの腹部に跨り動きを拘束し、丸太を顔へと突きつけていた。

(駄目...この男、隙がない...!)

ほむらの魔法、時間停止はその性質上、触れている者には効果を及ぼさない。
仮に止めたところで、篤が触れている限り彼を止めることはできないのだ。

もしもこれがセイヴァーならば、単純に力に訴えることができたかもしれない。
が、彼女自身、上に乗る篤を振り払う技術も力もないのは自覚している。

魔法も力も通用しないとなれば、もはや打つ手はない。
この体勢になった時点で、ほむらの敗北は決していた。

(そんな...こんなにも簡単に...)

まどかの為に命をかける覚悟はできているつもりだった。
もしも最初のまどかや巴マミのように、まどかを護って命を燃やし尽くすのならまだ納得できていたはずだ。
けれど、不審者染みた敵にこんなにもあっさりと捕まり命を散らすことになるとは思っていなかった。

(嫌...死にたくないよ...!)

目から涙が滲み始める。このままなにもできずに息絶えるのは嫌だ。
けれど状況はどう足掻いても変えられない。変わろうともしてくれない。
セイヴァーだって、元から信用している訳ではないが、こんな情けないマスターなんて放っておくに決まっている。
自分はこのまま死ぬしかないのだ。情けなく。惨めに。ゴミのように。
嫌だ。嫌だ。嫌だ―――

「...あそこのガキの魂は上物の匂いがした」

篤の囁きに、ほむらの目が見開かれる。

「あいつの魂を食らえば、俺は更に強くなれるはずだ。お前を片付けたら、たらふく食らってやる」
「ッ!」

まどかの魂を食らう。
その言葉を聞いた瞬間、ほむらは跳ねるように上体を起こそうとして額を丸太にぶつけた。

「~~~~~~~!」
「お、おい」

痛みで悶絶するほむらに、篤は思わず労わりの声をかけそうになる。
が、そんなことをほむらが気にかける余裕などあるはずもなく。
ただただ感情を言葉に乗せる。

「か、鹿目さんに手を出さないでください!魂なら、わ、私のをあげます。だから、あの子をこれ以上傷つけないで!」

涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらほむらは訴える。
あの娘を傷つけるな。見逃してと。
そんな訴えを聞き、篤はマスクの下で口元をフッと緩めた。

「お願いだから、もうあの子を...」
「ああ。傷つけなんてしない」

その返答に、ほむらは思わずポカンと呆けてしまう。

「手荒な真似をしてすまなかった。立てるか?」

ほむらの身体から離れ、篤は手を差し伸べる。

「えっと...」
「俺はまどかのサーヴァントだ。お前のことはあいつから聞いているよ、ほむらちゃん」
「あなたがサーヴァント...なら、鹿目さんはやっぱり」
「ああ。あいつもマスターだ。ただし、聖杯は狙っていないがな」

差し出された手をとりながらも、やはり理解が追いつかず、ほむらはまだ呆けた顔を浮かべていた。

「あの、どうしてあんなことを?」
「こんな夜分遅くに家に来るなんて流石に不審に思ってな。もしかしたらあいつを殺そうと狙ってきたんじゃないかと疑ったんだ」
「......」
「本当に悪かったと思ってるよ。ただ、本音を知るにはあれくらいはやらないといけなかったし...」
「あ、いえ、別に怒ってる訳じゃなくて...ちょっとホッとしたというか」

まどかがマスターだった。予想はしていたものの、やはり実際に判明すると心地はよくない。
しかし、彼女のサーヴァントはこんな真似をしてまで彼女を護ろうとしてくれた。
自分のサーヴァント、セイヴァーでは絶対にありえない行いだ。

なによりこの警戒心の高さはまどかの弱点を補ってくれているので頼もしい限りだ。
まどかは誰よりも優しい娘だ。こんな状況でも聖杯を狙っていないのは彼女らしいというべきだが、それが弱点でもある。
誰にでも手を差し伸べてしまいがちなまどかだが、篤が共にいれば危険な者を見抜いてくれる。


(彼が護ってくれるなら、きっと鹿目さんは大丈夫)


本当ならば、このまままどかと合流し、これからも共に行動していたい。
けれど、セイヴァーとまどかは決して相容れない。
セイヴァーは悪の救世主であり、まどかはまかり間違っても悪ではないからだ。
もしもセイヴァーの前に自分に反する者が現れればどうなるか...少なくとも、まどかはロクな目に遭わないだろう。
ならばこそ、セイヴァーとまどかを会わせる訳にはいかない。

まどかの安否とサーヴァントは確認できたのだ。再びセイヴァーが自分のもとに現れる前に退散しておくべきだろう。

「...鹿目さんには、よろしく伝えておいてください」

まどかの家へと戻りかけていた篤の足がピタリと止まる。

「ほむらちゃん?」
「たぶん、あなたたちも知ってますよね?私とセイヴァーが指名手配されていること」
「....ああ。まどかもそのことで心配していたよ」
「あれがある限り、きっと私たちは狙われ続けることになる。私の問題で、鹿目さんを巻き込むことはできませんから」

そう。セイヴァーのことを差し引いてもだ。自分とセイヴァーは指名手配されており、もしもまどかが共にいれば、確実に彼女にも被害が及んでしまう。
まどかの安全を願うなら、やはり離れることが最善手なのだ。

「...そうか。そいつは仕方ないな」

篤もまたほむらの考えを理解し了承の言葉を返す。
篤の目的は、なるべくまどかを傷つけないことだ。
如何にほむらが友達であれど、討伐令が出ている以上、関われば敵を増やすことは自明の理だ。
そして、まどかがそんなほむらを見過ごすことができないことも。

ならば、ここは彼女の望み通り別行動をとるべきだろう。

「彼女をどうかよろしくお願いします」
「ああ。任せておけ」

そして二人はくるりと踵を返す。
ここにまどかの味方は『二人』いる。二人の間には、それで充分だ。
たとえどちらかが力尽きようとも、残った片方が彼女を護る。
無言の約束は、確かに彼らの間に交わされていた。

(私は私のできることをやらなくちゃ)

ほむらは決意を新たに、物陰に身を隠しつつ慎重に周囲を見回す。
ここまでで面と向かって遭遇したのがセイヴァーの知り合いホル・ホースだったからよかったものの、もしも好戦的な主従に見つかれば目も当てられない。
今更遅いかもしれないが、せめて周囲からの奇襲くらいには気を配らなければならない。

壁に手をつきつつ、そろそろと進み周囲へと気をまわす。




―――ゾリ。
ふと、指先に違和感を覚えた。
なにかの溝のような、小さな違和感を。

ほむらの意識は、何気なくその違和感へと向けられる。

袖についた埃を取るときのように、無意識的に。

「......」

違和感の正体は、壁に刻まれた文字だった。

『この ラクガキを見て』

まるで鋭利な刃物か彫刻刀で彫ったような文字は確かにそう刻まれていた。

『うしろをふり向いた時 おまえは』

文章はそこで途切れていた。

否―――その先は、ほむらの指先に未だ残る違和感が解になる。


 ゴ
  ゴ
   ゴ
    ゴ


「......」

いま、隠している指をどければ答えは見られる。


それはある種の欲と言い換えてもいいだろう。
全体の3/4ほど流したロック・ミュージックのように。やり掛けの仕事の終わりの目処がついた時のように。
『この先を完成させたい』。
その無意識下の欲が、ほむらの指を動かした。


『死ぬ』


ぇ、と小さく声が漏れる。

周囲には気配はない。魔力もソウルジェムに反応するものはない。
なのに、背後を見れば、死ぬ?
背後にいるのは―――


顔を傾け、視線だけを背後に向ける。


視界に映るは、一っ跳びでほむらとの距離を詰め、丸太を振り上げていた篤。

なにか声を出す間も、恐怖する間もなく。


グチャリ。

丸太は、血に濡れた。


まあ待て。こいつを観察したところでお前の中身が解る筈もない。

なんで?

逆に聞くが、こいつがお前の求める中身だとして、それで納得できるか?私ならご免蒙るな。

そ。あんたの気持ちもわからないでもないけど、俺はそれでも構わないよ。なんであれ、俺は俺の正体がわかればそれでいい。
...まあ、闇の一族とかいう『個』を持ってるあんたには無縁の気持ちかもしれないけどね。

そうかもしれんな。だが、ここでこいつを殺すのは止めておけ。

なんで?

利用価値は大いにあるということだ。



鹿目まどかの覚醒は突然だった。

微かに父の声が聞こえた気がして、うすぼんやりと瞼が開いて。

うとうととしつつも、耳を澄ましてみると、とん、とん、と階段を昇る音が耳に届いた。

コン、コン、とドアを叩く音がする。

「まどか、起きているかい?」

父・知久はそう尋ねつつ部屋に入ってくる。

「おっと、起こしちゃったかな?」
「ううん、大丈夫。どうしたの?」
「さっき、まどかの友達が落し物を届けに来てくれてね。なにか慌てていたのかすぐに帰っちゃったけど」
「友達...?さやかちゃん?」
「たまって名前の女の子だよ。僕は知らないけど、まどかのクラスメイトかい?」

たま。そんな名前かあだ名の子はいただろうかと考え、思い当たらず首を小さく傾げる。

「おや、知り合いじゃなかったかい。まあ、今度会えたらちゃんとお礼を言っておくんだよ」

ハイ、と知久から手渡されるのは、ポケットサイズの小冊子。学生証だった。

「こういうものは無くさないようにちゃんと管理しておくんだよ」
「うん、わかった」

「パパ~?」

寝ぼけ眼を擦りながら、弟・タツヤが部屋に訪れる。

「ろーしたのー、パパ~、ねーちゃ~」
「どうやらこの子も起こしちゃったみたいだね」
「なんでもないよ、タツヤ」
「ん~」

むにゃむにゃと欠伸をした途端、タツヤの頭がカクリとうな垂れる。
お子様にとってこの時間の起床は辛いものがあるのだ。

知久は、タツヤを抱きかかえまどかへと背を向ける。

「お休みパパ」
「...お休み」
「パパ~?」
「はいはい。パパはここにいるよ」

未だ寝ぼけているのか、何度も『パパ』と『ねーちゃ』の単語を呟くタツヤと共に、知久は部屋をあとにする。
彼らを見送ったあと、まどかはふうとため息をついた。

(こんな調子じゃ、篤さんに怒られちゃうな)

まどかは自分の迂闊さに呆れていた。
学生証を落としていたことにではない。それに気がつかなかったことに対してだ。
いくら怪盗Xの事件にショックを受けていたのを差し引いてもなお迂闊といえる。
学生証には自分の住所が書いてある。聖杯戦争において個人情報を知られることがどれだけ恐ろしいか、考えずともわかる。
自分だけでなく家族までもが危険に晒される可能性があるからだ。

自分が眠りについている間に始まってしまった聖杯戦争だが、他のマスターに拾われる前に手元に戻ってきたのは幸運としか言いようがない。

それにしてもだ。こんな夜遅くに学生証を届けてに来てくれた『たま』とは何者だろうか。

(もしかしたら、『たま』ちゃんもマスター...?だとしても、なんで学生証を返してくれたんだろう?)

彼女をマスターだと仮定してもだ。わざわざ学生証なんて返しにくる必要性はないし、ああして家族が無事である謂れもない。
あるとすれば、単純な善意としてくらいのものだろう。

(もしもたまちゃんが善い子なら、きっと聖杯戦争も拒んでいるはず...なら、わたしはたまちゃんに会いたい)

もしもたまがマスターであるならば、共に力を合わせて聖杯戦争を止めたい。
まだ彼女が迷っているとしても、聖杯戦争を拒む自分がここにいることを伝えたい。

とにもかくにも、いまは彼女に会うべきだ。

知久が言うには、家に訪れたのは先ほどのようなので、今から追いかければまだ間に合うだろう。
変身し、窓から身を乗り出そうとした矢先、また学生証を落としてはいけないと鞄を掴み寄せ、普段入れている外側のミニポケットに手を入れる。

(あれ?)

指先に触れた違和感に気がつき、ソレを掴み取り出した。

「私の学生証...あるよ?」




(まどかの家に残っていて正解だった)

篤は、丸太で押し付けたその先を見据えて思う。
もしも自分が偵察に出ていれば、全ては最悪の方向に進んでいた。
思いとどまらせてくれたのは、かつての恋人、涼子の存在だ。

かつて、雅に騙され1人病院に向かった涼子は、そこで雅にレイプされ吸血鬼にされた。
時間にしておよそ一時間。それまでは、家族と共に笑い合っていたというのに、自分が目を離してたった一時間で彼女の運命は潰えてしまった。
その経験から、彼は偵察へ向かうのを躊躇い見張りに徹することにしたのだ。

(危うく俺はまた同じ間違いを犯すところだった。あいつを守るのを運になど任せてはいられない)

そう。
運命だとか天におわす神様だとか、そんなものに縋ったところで現実にはなんら意味を齎さない。
まどかを守る。それは、自分の力で為さなければならないのだ。

だから


「逃げろほむらちゃん。こいつの相手は俺がする!」


ここで退くわけにはいかない。


ほむらの鼓動がドキドキと高鳴る。

(なに...なんなのこいつは!?)

未だ状況が読み込めていない。
わかっているのは、篤が丸太を振り下ろしたのは自分にではなく地面から生えた腕に向けてということだけ。

先のラクガキも、この腕の仕業なのだろうか。


「フン...微かな気配に反応するとは。中々の腕前だな、ランサーのサーヴァントよ」


抑え付けていた丸太を跳ね除け、ズルリ、と地面から男が這い出て、その全身が地上に露になる。
筋骨隆々のその男の名はカーズ。頂上生物『闇の一族』の生まれのサーヴァントである。

カーズの姿を見た篤は、その存在感に圧倒され言葉も失っていた。

(この邪悪な圧力は雅―――いや、俺の肌が正しければ、あいつ以上だ)

篤の背中に冷や汗が伝う。震える手は武者震いかそれとも緊張や恐怖からか、自分でもわからない。

「ハッ。腕に自信があるようだが、壁の落書きに気を逸らして不意打ちなんてずいぶんセコイ真似をするんだな」

だからこそ、表面上だけでも余裕を見せ、敵に呑まれぬように軽口を叩いた。

「なんとでも言うがいい。私にとっての戦いとは如何に合理的に進め勝利を納めるか。ただそれだけのことよ」

ギラリ、と輝くカーズの眼光に、篤は思わずたじろぎかける。

(雅と違い大きな慢心はないか...なるほど、手ごわい)
「...あんたの言うとおりだ。戦いに卑怯もクソもあったものじゃない。勝てば官軍、負ければそれまでのことだ」

言いながら、篤はとてつもない不安と焦燥に駆られる。果たして自分はこの男に勝てるのかと。


「やあああああ――――!!!」


篤の背後より響く叫び声。
それは紛れもなく逃がしたはずのほむらのものであり、篤は思わず動きを止めてしまう。

直後、頭上をゴルフクラブが回転しながら通り過ぎ、そのままカーズへと飛んでいく。

「くだらん」

中々の速さを伴う剛速球にも構わず、カーズは手を伸ばし止めようとした。

が。

ゴッ


鈍い音と共にカーズの後頭部に走る振動。
眼前にまで迫っていたはずのゴルフクラブは既に其処にはなく、いつの間にかカーズの背後にまわっていた暁美ほむらの手中にあった。

「小癪なっ!」

サーヴァントたる、いや、それ以前に、人間とは比べ物にならないほどの頑強さと身体能力を有するカーズにその程度の打撃ではダメージなど通らず。
ほむらが背後にまわっていた術がわからずとも関係ない。ただただその理不尽なまでの暴力をもってして、目的を達すればそれでよいのだ。

バリバリ バリ

カーズの腕が裂け、鋭利な刃が表出する。カーズの能力のひとつ、輝彩滑刀(きさいかっとう)の流法である。

その異様さに、ほむらはとっさに後退するも、速度はカーズのほうが上。ほどなくして、刃は彼女の身体に届くだろう。
それを防ぐのは、カーズの背後へと迫る篤。彼は、ゴルフクラブの殴打により微かに動きが止まったカーズの隙をつき、既に接近を開始していた。

無論、彼の存在を失念していたカーズではない。敢えて背を向けることで彼の接近を誘発していたのだ。
振り向き様に刃を振るうカーズ。丸太ごと篤の身体を切りつけるはずだったそれは、しかし丸太を両断することなく食い込み止る。
瞬間、篤は丸太を地面に立て、それを軸に身体を回転させ、後ろ回し蹴りを頬にお見舞いした。

数歩後退するも、カーズへのダメージは微量。
追撃は不可能だと悟った篤は、丸太を軸に高飛びの要領でカーズの頭上を飛び越え、ほむらの隣に着地する。

「なんで逃げなかった」
「私が逃げて、あなたが斃されればあの子が狙われるかもしれない...そう考えたら、ここであの人をどうにかしないとって思ったんです」
「...それもそうだな」

篤は、改めてほむらをまどかの味方だと認識を改める。
彼女を守るために、こんな死地にまで踏み込もうというのだ。そんじょそこらの『友達』では収まらないだろう。

「作戦を立てている暇はない。いまはとにかくあいつに近寄りすぎるな」
「はいっ!」

知らなければならないことは山ほどある。
ほむらの能力のタネや、自分の能力を互いに伝達しあえば、有効な作戦も立てられるだろう。
だが、いまここで必要以上に言葉を交わせば、カーズにも気取られてしまう。
2対1と、数だけでみれば勝っているが、元来の主従ではない上に、能力は二人を足してもカーズが上。
状況は依然絶望的である。

(まどかを念話で呼ぶことはできない。あいつが、こいつ相手にまともに立ち回れるとは思えない)

まどかは確かに人外の力を持った魔法少女である。また、篤とも本来の主従であり、組めば存分に主従としての力を発揮できる。
しかし、篤からみてもまだ未熟であり、なによりその温和な性格からしてカーズのようなアクティブプレイヤーとは相性が非常に悪い。
ただでさえ誰も死なせたくないと願う彼女が、英霊とはいえ人格も持ち合わせるカーズを果たして殺すことができるのだろうか。
そもそも、まどか1人が加わったところでこの戦況が覆るとも思えないが。

「マスターが一匹にサーヴァントが一体...個々では大したことはないが組まれればチト面倒だ」

カーズは、己がまだ優位に立ちつつも冷静に現状を分析する。
そう。能力的には勝っているし、まともに戦っていれば、最終的には勝利を収めることはできるだろう。
だが、カーズには太陽というタイムリミットがある。

時間的にそろそろ始めの朝日が差し込む頃合だ。
それまでに、このままの距離を保って戦い続ける篤とほむらを仕留め切れるかは五分五分といったところだろう。

「ならば簡単なことだ。...やれ」

ボコッ

カーズが、二人には聞こえないほどの小声でぼそぼそと呟くのと同時、二人の足元が崩落した。

「えっ!?」
「なっ!?」

あまりに唐突な現象に、二人は思わず反射的な対応になる。
篤はバランスを崩しながらも、咄嗟に落ちつつある地面を蹴り逃れ、ほむらは為すすべもなく底へと落ちていく。

「くっ」

篤は落ちていくほむらへと手を伸ばそうとする―――が、迫るカーズの膝に妨害された。

「これで振り出しだな。...どうする、サーヴァントよ」
「そこをどけっ!」

丸太の代わりに日本刀を手にし、篤はカーズへと振りかぶる。
カーズの刃と交叉しキンッ、と金属音が鳴り響く。
篤は剣を幾度も振るうも、全て防がれカーズにはかすり傷ひとつつかない。
その堅固なまでの守りに、篤は巨大な鉄塊へと剣を振るっているような錯覚に陥る。

ギンッ、と一際大きな音を立てて始まる鍔迫り合い。
篤は呼吸が荒くなり汗を掻いているのに対し、カーズは呼吸ひとつ乱さぬほど平静だ。

「ここを通りたいか?あの小娘が気がかりか?...ならば追わせてやろう」

鍔迫り合いで均衡して数秒。パワーで勝る筈のカーズは―――脱力し仰け反った。それも、背後の穴に身を投げ出すように!

「し、しまっ...!」

拮抗する可能性も押し返される可能性も考慮していたが、肝心のカーズが自ら穴に身を晒すとは思っていなかった篤は、体重をかけていた勢いで前のめりとなり、カーズ諸共穴へと落下した。


ねえ、そこまでやるのってめんどくさくない?

必要だ。あの女はマスターだからな。


(なんなんだろう、あの穴の数...)

下水道に落ちたほむらは眼前の光景に困惑していた。
この下水道というコンクリートジャングルにおいて、異様なほどポッカリと口を開けていたたくさんの穴。
明らかに人工のものではあるが、まさかあれが原因で足元が崩落したのだろうか。
ほむらはひとまず『ここに留まるべきではない』と判断する。
ひとまずは離れなければ―――その直後、カーズと篤もまた下水道へと落下してきた。

「やれ、マスター!」

篤との離れ際、カーズの叫びと同時、ほむらの傍にあった壁が破壊され穴が作られた。
その下手人の姿は―――確認できない。

(これがあのサーヴァントのマスターの能力...!)

篤もほむらも、マスターが特殊能力者という例を知っているため、その思考に辿り着くのは早かった。
そして、この能力の持ち主がカーズと組んで戦うことの恐ろしさも。

「逃げろほむらちゃん!」

再びの逃走指示に、今度はほむらも素直に従い駆け出す。
その後を追うように、ほむらが走り去った壁から順に破壊されていく。

「貴様ひとりで私の相手をするつもりか」
「よく言うじゃないか。そう誘導したのはお前だろう。その証拠に、あの穴を空ける奴はほむらちゃんを追うことだけに専念している」
「ほう。気づいていたか。ならばなぜみすみすと従った」
「お前の誘導に従うということは、逆に言えばお前の計画が達成されるまであの子の命が保証されるということだからだ。加えて」

篤は立ち上がり武器をとる。
日本刀でも丸太でもない、正真正銘の本気の武器。
ランサーの称号を与えられた真の武器、『薙刀』を。

「ここで俺がお前を倒せばその計画自体も台無しになるというわけだ」

篤は薙刀を握る力を強める。

(劣勢の状況なんていつものことだ)

今までの彼岸島でもそうだった。1対多数なんて当たり前、時には邪鬼に襲われ、格上である雅とも直接戦った。
あのイカれた島において自分が有利な状況など数えるほどしかない。
それでも生き残るために、守るためには戦うしかなかった。
そんな状況を、幾度も乗り越えてきた。

「さあ来い化け物。俺が殺してやる!」

腹は決まった。後はやるだけだ。

命ノゼンマイ(中編)

最終更新:2018年09月08日 15:35