☆
(おかしい...)
駆け出してから数分、ほむらは攻撃に対する違和感に足を止める。
(あの攻撃には、まるで敵意を感じない)
ほむらを追うように開けられる壁の穴は、一定の間隔をもってあけられる。
右が開けられれば次は左に。その次は右。左。
まるで振り子のように穴は開けられる『だけ』で、一度も足元を狙うことがなければ天井を崩すようなこともしない。
(この攻撃は私を倒すためじゃなくて、私を追い立てるもの?だとしたら...)
ほむらから見て右の壁に穴が開いた。それから10秒ほどで、反対側の壁に、また10秒ほどでまた反対側の壁に穴が空けられた。
(私が立ち止まっていることにも気がついていない...だとしたら)
10秒ほど経過し、壁に穴が空く。その瞬間―――
カシャン。
時間停止―――ほむらを除く全てが静止した。
(ソウルジェムの浄化の安全な目処がついていない以上、あまり使いたくはなかったけれど...)
一番新しい穴を覗き込み中を確認する。
いた。
両掌を覆う大きな肉球の手袋に、頭部をすっぽりと覆う犬耳つきのフード...犬のような印象を受ける赤髪の少女がそこにいいた。
(この子が攻撃の正体...)
少女の足元を見れば、そこには通路のように掘られた跡がある。
それを見てほむらは理解した。
この少女は、自分の能力で壁に穴を空けては地面を掘り進み、壁に空けては掘り進みという行動をしていた。
攻撃ではなく、ただただほむらを追い立てるもの。
それが、10秒ほどのタイムラグの正体であり、ほむらが立ち止まったこともわからなかった原因だ。
「......」
本当ならば、この隙に銃でも撃って殺害、百歩譲っても再起不能くらいにはしておくべきなのだろう。
けれど、
暁美ほむらには未だ殺人への抵抗があった。
聖杯を手に入れて願いは叶えたい。殺人も、友達を通して経験してしまっている。
それでも尚、全てが不要だと割り切れる冷徹さはまだ持ち合わせていなかった。
なにより、少女の腫れた頬や首筋につけられた微かな傷跡、それになにかに怯えるように潤んだ目を見れば、否が応でもわかる。
この少女は、バーサーカーに脅迫染みたことをされて従っているのだろうと。
ほむらはゴルフクラブを取り出し、少女の頭にポスリと乗せた。
そして、時間は動き出す。
「え、わ、ひゃぁっ!」
いつの間にか乗せられていた異物に、少女は取り乱し慌てふためく。
その際に、彼女の爪で傷ついた瞬間、破裂したかのように四散したゴルフクラブを見て、下手に近づかなくてよかったとほむらは内心で安堵した。
「あの...」
「ひ、ひいっ!」
声をかけられた少女は、とっさに通路側へと飛び出し顔を抑えて蹲ってしまう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
涙声で、機械のように何度も謝り続ける少女を見て、ほむらは居た堪れない気持ちになる。
まるでかつての自分を見ているようだった。
病弱で、虚弱で、何にも出来ない、まどかに救われる前のあの自分を。
「...大丈夫です」
だから、ほむらは放っておけなかった。
「私はあなたを傷つけたりしません。ただ、少し話を聞きたいだけです」
例え、戦場において甘い判断だったとしても。
例え、いずれは戦うことになる相手だとしても。
悪の救世主も怪物もいない今だけは、彼女の味方でいてあげたかった。
いまのほむらには、まだ、かつての自分のような弱い人を簡単に切り捨てることはできなかった。
ほむらの言葉に、少女の顔は綻びかけるものの、瞬時に再び恐怖の色に塗りつぶされる。
「だ、駄目なんですっ。あ、あの人のことを話しちゃ...ごめんなさい、ごめんなさいっ」
口封じ―――あの男ならそれくらいはやっておくだろうとほむらは察した。
恐らく、彼女が下手に口走ればその時点でクビを斬られるくらいの脅迫はしているはずだ。
ほむらとしても、それを理解したうえでなおバーサーカーについて聞こうとまでは思えない。
(なら別のこと...この子のことから聞こう)
「あなた、名前は?」
「え、えっと、たまって呼んでください」
「たま...じゃあ、たまさんで。たまさんは、こういう壁とかに穴を空けられるんですね?」
「は、はいっ」
やっぱり、自分のことなら答えてもよさそうだとほむらは手ごたえを掴む。
「じゃあ、私が落ちてきた時にあったたくさんの穴も、たまさんが作ったんですね?」
「あ...」
言いよどんだたまに気がつき、ほむらは首を傾げる。
「あなたじゃないんですか?」
「半分くらいはそうなんだけど、他にあるやつは私じゃなくて...穴の大きさとかも違ってて」
大きさがどうとかは、一瞬だけしか見ていないほむらにはピンと来なかったが、言われてみれば、足元を崩落させるにしても数が多すぎたかもしれない。
なら、その半分は誰が...?
ガ
オ
ン
ほむらの背後の壁が、そんな音と共に球形に穴を空けた。
たまの仕業ではない。ならばこれはいったい―――
ガオン
ガオン ガオン
壁が、地面が絶え間なく削られていく。
しかし、それはほむらとたまの周囲には触れず―――破壊も収まった。
緊張の面持ちで虚空を見つめるほむらとたま。
グ オ オ オ
突如、空間より、球形に丸まったなにかが這い出てくる。
丸まっていたソレは、口から己の下半身を出し、更にその中から茶髪の男が這い出て、ストン、空間から着地する。
額にハートのマークの装飾をつけ、ブルマー姿の筋骨隆々のその男は、ほむらたちを見下ろし静かに言葉を漏らした。
「貴様か...DIO様の御道を荒らす不届き者は...」
☆
「うおおおおおお!」
吼える。吼える。
気合と共に振るわれる薙刀は、並大抵の者ならば数十回は切り刻まれているほどの速さと力強さを有している。
だが、相手は人外中の人外。
篤の必死の猛攻も、かすり傷ひとつ負わせることすら敵わない。
「フンッ!」
篤の猛攻を潜り抜け放たれるは、
カーズの後ろ回し蹴り。
地上で篤が放ったものと同じだが、その威力は比べるべくもない。
まるでライフルにでも撃ち抜かれたかの如き衝撃が篤の腹部に走り吹き飛ばされる。
もうこのやり取りも何度目だろうか。
篤の身体は、もはや痛めつけられていない箇所などないと思わせるほどに汚れ、傷ついていた。
「英霊であることを差し引いても、波紋も使えぬ身にしてはよくやった方だ。ワムウがいれば歓喜していたことだろう」
だが、と言葉を切り、倒れ付す篤の頭を掴み身体ごと持ち上げる。
「貴様は私を化け物だと言ったな。ならば敢えてこう言ってやろう。人間よ、これが貴様の限界だ。貴様に護れるものなどなにもありはしない」
突きつけられた言葉が、自分を嘲り嗤うその顔が、篤の脳裏にひとつの像を浮かび上がらせる。
『お前に私は殺れない。これは運命だ。神が決めたことなんだよ』
像は瞬く間に変貌し姿を象っていく。
色白の肌に銀色の髪。篤の怨敵である男―――雅へと。
「ガ」
瞬間―――篤の両腕が、傷ついた身体からは考えられぬほどの速さで突き出される。
「ガアアアアアアア!!!」
篤を突き動かすものは、復讐心。生前の彼の戦士としての原動力であり、戦いの全てであったもの。
眼前の敵を、また自分から奪おうとする『雅』を殺す。その執念が、彼の身体に力を与える。
カーズの首を絞めようとした腕は、地面に叩き伏せられ届かない。
「喚くな下等生物。私がその気になれば貴様なぞいつでも殺せる...それは貴様もわかっているだろう」
ギリ、と歯軋りが鳴る。
篤もわかっている。自分がいま生かされているのは、カーズのマスターが傍におらず、万が一にも別のソウルジェムに篤の魂を吸われるのを防ぐためである。
(結局...俺には...なにもできないのか...)
己の頭部を踏みつける足へと抵抗しつつも、彼の脳裏には諦観の念が過ぎりつつあった。
生前においても、自分になにが出来た。
敵を斬って、斬って、斬って。その果てにあったものは、ただの屍の山だけだ。
雅を殺すことも、明や涼子を救うことも。成し遂げられたことはなにひとつありはしない。
そんな男が英霊になったところでなにも変わりはしないのか。
(俺は...)
「篤さん!!」
響く叫びが篤の意識を呼び戻す。
パシュッ
頭上より桃色の光がカーズへと飛来する。
「ムッ!?」
突然の衝撃に、カーズの足の力が緩み、その隙を突き篤は身体を捩り拘束から離脱した。
瞬間、カーズ目掛けて白煙が噴出しその視界を塞いだ。
カーズが煙に惑う隙を突き、矢の主、
鹿目まどかは篤の下へと舞い降りた。
「掴まって、篤さん!」
「ま、まどかか...?なんでここに...」
「細かい説明は後です。とにかくここから離れて」
「たかが煙幕で撒けるとでも思ったか!」
煙を掻き分け、カーズが瞬く間に二人へと肉薄する。
迫る膝蹴りに、篤は薙刀を盾にすることで対抗するも、威力を抑えきれず二人揃って吹き飛ばされてしまう。
「消火器か...フン、くだらん。貴様がその男のマスターか」
まどかの持っていたものを見て、カーズは苛立ち混じりに吐き捨て睨み付ける。
その威圧に気圧されつつも、まどかは篤を気にかける。
「俺のことは気にするな。いまはあいつをどうにかすることが先決だ」
「は、はいっ!」
傷ついた身体に無理を押して、篤はまどかと共に並び対峙する。
「二人揃えば勝てると思っているのか?くだらん。教えてやろう。カスが集まったところで所詮はカスに過ぎんことを」
カーズから放たれる殺気に、まどかの膝が震え始める。
(恐い...これが聖杯戦争...他の人との『殺し合い』...)
今まで使い魔や魔女と戦ってきたことはある。
だが、傍にはいつも
巴マミという最高の先輩がいたし、魔女たちは知性も言葉も発さなかったし明確な意思も感じられなかった。
カーズは違う。確かな己の意思と言葉を持ち、知性もあれば感情もある。
そんな生物と敵対することがこれほど恐ろしいことだとまどかは想像だにしていなかった。
(でも、止めなくちゃ...この町にはママとパパ、タツヤだけじゃない。さやかちゃんもマミさんもほむらちゃんも杏子ちゃんも、篤さんもいる)
戦いはとても恐い。だからこそ、他の人が危険に晒されない為にも戦わなければならない。
(私がみんなを護るんだ。私は魔法少女だから。みんなのことが大好きだから!)
「...気に入らんな、その眼」
己を見据えるまどかの眼に、カーズは内心で苛立つ。
似ている。
性別や雰囲気はまるで違う。常に飄々としているわけではなく、激しく激昂したりもしない。
けれど、その奥に秘める光は。
メラメラと燃える火のような正義の心は、嫌が応にもあの怨敵、ジョセフ・ジョースターを想起させた。
「小娘。貴様を殺したところでヤツの代わりになる筈もないが、その光を閉ざしてやろう」
ザワリ、とまどかと篤の肌が粟立つ。
篤とまどかが身構えた瞬間、カーズのこめかみが微かに動いた。
くる―――!
カーズが跳躍し、これから始まるであろう襲撃を予感し、二人は息を呑んだ。
ガ オ ン
彼らの予想は、明後日の方向に破られた。
「うぐっ!」
突如右足にはしった苦痛にカーズは顔を歪める。
消えていた。
彼の踵からつま先にかけて、その足は消え去っていた。
彼は、まどか達へと殺気を放つ直前、地面より迫る音に気がついていた。
足の裏から伝わる、地面を掘り進めるような振動音―――人間ならば気づかぬだろうが、カーズは厚い壁の向こう側の様子を掌で温度差を正確に感じ取ることができる男。
その優れた五感で、その音を聞き取っていたカーズは思っていた。「果たしてあの駄犬は命令を素直にこなせたのだろうか」と。
だが、近づくに連れて不審に思う。
たまの能力は『爪で傷つけたものに穴を開ける』ものだ。
そのためには手を振りかぶり、おろすという動作が必要になる、
だが、この音はまるで障害物を飲み込むように絶え間なく削り突き進んでいる。
空けていた穴をそのまま使うのではなく、何故か一回り大きく削りながらだ。
音が足元で止まったとき、カーズは万が一の裏切りに備え跳躍した。その結果、右足を食われるだけの被害で済んだのだ。
「チィッ」
舌打ちをしつつ、右手と左足を支点に着地し虚空を睨み付ける。
グ オ オ オ
空間より、異形の像(ヴィジョン)が這い出てくる。
「外したか...」
「貴様、何者だ」
「答える必要はない。DIO様の障害に為り得る男...貴様は暗黒空間にバラ撒いてやる」
亜空の瘴気、ヴァニラアイス。
かつてドス黒いクレバスと称された狂信者は、夜よりも深い闇に生きてきた男を殺すためにはせ参じた。
☆
暁美ほむらは走っていた。
自分のしでかしてしまったことが手遅れになる前に。
また間に合わなくなることがないように。
―――時間は僅か数分前に遡る。
ヴァニラ・アイスと対峙した時、彼は早速たまを殺そうとしていた。それも、『自分が作った道を壊された』という酷く子供染みた理由でだ。
慌てて間に入り、止めようとしたほむらだが、ヴァニラ・アイスは殺すと聞き入れず。
幾度か言葉を交わしているうちに、ほむらは疑問を抱いた。
なんでこの人は自分を殺そうとしないのかと。
そこで、彼が先ほど口走ったDIOの名を出すと、彼の興味はたまから失せ、今度はDIOのことばかり聞き出そうとする始末になった。
曰く、かつての彼はDIO...つまりほむらのサーヴァント、セイヴァーの従者であり、この聖杯戦争においてもDIOの為に行動していたらしい。
つまり、彼がほむらを殺そうとしなかったのは、彼女がDIOのマスターであると討伐令で知っていたからなのだ。
そこでほむらは一計を案じる。
彼の忠誠心は確かに本物だ。
ならば、彼もカーズとの戦いに協力してくれるのでは、と。
ほむらは語った。この先にいる強力なサーヴァント、カーズの存在を。純粋なパワーだけならDIOにも勝るかもしれないことも付け加えて。
それを聞いた瞬間―――ヴァニラ・アイスはキレた。
「あり得ん...なにをおいてもDIO様に勝り得るものなど存在してはならん...!」
くるりと振り返り、カーズのいる方角へと向き直るヴァニラに、ほむらもまた続こうとする。
が、気を緩めた瞬間、再びヴァニラは振り返り、間髪いれずにたまへと向けて拳を突き出した。
その唐突であまりの速さの奇襲に、たまもほむらもなにも抵抗が出来ず。
たまの顔面に拳がめり込み吹き飛ばされた。
「あ、あなたなにを」
「ヤツは貴様のいうサーヴァントの仲間なのだろう。情報を引き出すにせよ、行動不能にはしておくべきだ」
慌ててたまにかけよるほむら。
眼を回し気絶したたまの身体が淡く光り、衣装もまた制服に変わった。
「―――ッ!?」
ほむらはこの現象に見覚えがあった。
魔法少女。そう、自分と同じくキュゥべえと契約をした者。
けれど、たまの身体にはどこにもソウルジェムはない。
魔法少女ではない?では、彼女は一体?
疑問が頭をぐるぐると渦巻くが、いまはそれどころではない。
ヴァニラの方へと振り返るが、そこにはもう彼の姿はなかった。
たまを殴り飛ばした直後に姿を消したのだろう。
(気が早すぎる...急いで追わなくちゃ!)
ヴァニラがたまを気絶させたのも一理ある。
幾らか情報を聞き出したとはいえ、たまは現状ではカーズの僕に等しい。
下手に連れ歩けば、土壇場でカーズの命令により裏切る可能性もなくはない。
だから、殺さないのであれば気絶させておくというのもあながち間違いではない。
それにしてもだ。なんの相談もなくこんな無茶苦茶をやるあたり、同じくDIOの部下を称する
ホル・ホースとはとても同種の人間とは思えない。
むしろ、邪悪の化身であるセイヴァーの方がまだ話が通じるあたりマシなのではとすら思える有様だ。
そんな彼が、激昂したままカーズと戦い始めれば、その傍にいるまどかのサーヴァント、篤も巻き添えを食らってしまうだろう。
(ごめんなさい、たまさん)
気絶しているたまをそっと地面に横たえ、ほむらは走り出した。
☆
ヴァニラ・アイスの姿が消える。
己のスタンドに身を隠した彼の気配は、カーズの五感をもってしても探知することはできない。
(だが、避けるのは簡単だ)
カーズは瓦礫を砕き、手で握りつぶし、空へと放り投げる。
すると、砂塵の1部が飲み込まれたかのようにポツポツと穴を開けていった。
「やはり障害物を飲み込まなければ進めんようだな。そして!」
カーズは残る片足で天井まで跳躍し、ピタリと張り付く。
そして、ヴァニラが外の様子を伺うために外へと顔を出しかけたそのとき、カーズは地面を蹴り輝彩滑刀を振り抜いた。
「その特性上、篭ったままでは外の情報を知ることが出来ない。身体の一部でも出ていれば攻撃は可能ということだ」
「グ、ク...」
ヴァニラ・アイスが割れた額から流れる血を押さえながら、暗黒空間より脱する。
(なるほど...暁美ほむらの言ったこともあながち間違いではなさそうだ)
ヴァニラは冷静にカーズというサーヴァントを分析する。
称賛すべきは、片足を奪ったにも関わらずあそこまで俊敏に動ける高い身体能力だけではない。
即座にクリームの弱点を見抜き、あまつさえこちらに手傷を負わせたのは見事としか言いようがない。
(だからこそ滅さねばならない...DIO様の害に為り得る者は排除するのみだ)
怨念染みた殺気を飛ばしてくるヴァニラ・アイスを他所に、カーズは冷静にこれからのことを考えていた。
(こいつらを纏めて殺すことは可能だ)
仮に、ヴァニラ・アイスと篤、まどかが三人でかかってこようとも勝利への算段はもうついている。
篤には純粋に身体能力で勝っており、ヴァニラのクリームはさきほどの方法で距離と場所を測れる。サーヴァントではないまどかは論外だ。
彼らの中で有効といえるであろう策は、篤の捨て身の攻撃くらいだ。
まどかが令呪で篤に押さえ込むように命じ、ヴァニラが篤ごと殺す。その後はヴァニラがまどかと再契約すればマスターの1人勝ちとなる。
が、篤のパワーでは自分を押さえ込むことなどできず、羽交い絞めにでもしようものなら、力でクリームの前に投げ飛ばし身代わりにすればいい。
まともに戦えば、自分が負けるはずなどないのだ。
(問題はこのサーヴァントと時間だ。恐らく、直に日が昇り始める。もしもこのサーヴァントが天井を全て削るようなことをすれば流石に身がもたん)
他二人はともかく、ヴァニラの能力はカーズをしても厄介だと断じざるをえない。
戦闘になれば確実に勝てる。だが、もしもヴァニラが勝ち目がないと暗黒空間に引きこもれば、手出しが出来ない最強の盾と化す。
それだけでも時間稼ぎには最適であるうえ、なにかの間違いでそこに触れるようなことがあれば眼もあてられない。
(チィッ...マスターと合流しておきたかったが仕方ない。ここは退くとするか)
暁美ほむらの確認及びセイヴァーの有無。
鹿目まどかがマスターであるか否か及びサーヴァントの確認。
たまという下僕の確保。
資料を通して手に入れた、姫河小雪のものと思われるサーヴァント(破壊痕からヴァニラだと判断)の認識。
今回の接触を通して、目的はほとんど達している。
魔力も確保したい現状、無理に戦う必要はない。
カーズは、まどか達に背を向け跳躍を繰り返し瞬く間に去っていった。
「逃げるか貴様ッ!」
「待てあんたっ!」
ヴァニラもまた、呼び止める篤を無視して、カーズのあとを追うために暗黒空間に潜り始める。
もはや、彼には篤もまどかも眼中になかった。
先ほどまでの戦闘が嘘のようにあたりは静まりかえり、あっという間に残されたのは二人だけになってしまった。
「...はああぁぁ~」
数分後、まどかは、変身を解除すると共に全身の力を抜き、ため息と共にへとへとと座り込む。
「大丈夫か」
「ご、ごめんなさい。安心したら力が抜けちゃって...」
「悪いがそうも言ってられないぞ。お袋さんたちに気づかれるかもしれないからな」
「そ、そうだった...」
まどかに手を貸しつつ、篤は思う。
(俺は少々過保護が過ぎたかもしれない)
篤は、まどかを明達の代わりに見立てていた。
内心では、明に似ている優しい少女を守ることで、生前の無念を漱ごうとしていたのかもしれない。
そのために、カーズを1人で相手にするなんて無茶なこともしてしまった。
けれど、結局のところ助けられたのは篤だった。
恐怖を認めつつもカーズと対峙したのは彼女自身の力だ。
まどかは子供ではあるが、曲がりなりにも魔女という異形と戦ってきた戦士なのであると認識を改めた。
「悪いな、まどか。勝手なことばかりして」
「謝らないでください。家族や友達に大切にされて、篤さんにも大切にされて、いまのわたしがあるんですから...でも、これからは勝手に無茶をするのはやめてくださいね?」
「...ああ、そうだな」
まどかがニコリと微笑むと、篤もつられて笑みが零れた。
パチャパチャと水を蹴る音が響く。
「だ、大丈夫ですか!?」
息を切らしながら、ほむらは膝に手をやり安否を確認した。
「ほむらちゃん!」
「えっ、か、鹿目さん?ど、どうしてここに」
「あっ...えっとね、たまちゃんって子を探してたらたまたま地面が崩れてるのを見つけて、篤さんが変なおじさんと戦ってるのが見えたから...」
「見えたからって、だ、駄目ですよ!」
ほむらはまどかの肩を掴み必死の形相で詰め寄る。
「聖杯戦争は遊びじゃないんです!そんな、簡単に近づいてたら、いつ命を落とすことになるか...」
「...心配してくれるんだね。ありがとう、ほむらちゃん」
「当たり前です。だって鹿目さんは...私の...」
そこまで言いかけて、ほむらの顔は赤く染まっていく。
『なによりも大切な友達だから』。そう言いたかったのだが、改めて正面から言おうと思うと中々に照れくさく、つい赤面して俯いてしまった。
そんなほむらの様子を疑問に思ったものの、ひとまず置いておき。まどかはほむらの格好をまじまじと見つめていた。
「ほむらちゃん、その格好...」
「あ、あの、その、これは...」
「ほむらちゃんも魔法少女になったんだね」
「えっ」
ほむらの顔から火照りが一気に冷めていく。
いま、彼女はなんといった。
「ほむらちゃんもって...」
「?その格好、魔法少女じゃないの?」
「いや、その、それはそうですけど、そうじゃなくて...」
ほむらの脳内で同じ言葉が反芻される。
――ほむらちゃん"も"魔法少女になったんだね』
『も』という単語は二人以上が魔法少女でなければ出ては来ない。
なら、ここにいる魔法少女は自分と、もう1人は―――
「鹿目さん...まほうしょうじょに、なったんですか?」
「えっ?」
「違うんですか?違うんですよね?」
「ちょ、ちょっと待って。この前ほむらちゃんとマミさんと一緒にケーキ食べた時に教えたよね?もしかして忘れちゃった?」
「ケーキ...?」
ほむらの困惑はますます加速していく。
覚えている。忘れるはずがない。
魔女に魅入られ殺されかけたところを、まどかは救ってくれた。
颯爽とヒーローのように現れ、コンビであるマミと共に魔女を撃ち砕いたその大きな背中は今でも鮮明に覚えている。
初めて三人で友達のように楽しんだ紅茶とケーキの味もしっかりと覚えている。
けれど、それはまだ自分が魔法少女になる前だ。
魔法少女になってからどれだけそんなことがあった?魔法少女でないまどかとマミと自分が一緒の時間がどれほどあった?
なら、三人でケーキを食べたこのまどかは一体―――。
「...ほむらちゃん。とにかくいまは状況を整理しよう。お互い話が噛み合っていないようだ」
篤の言葉にほむらはハッと我に帰る。
そうだ。話がかみ合わないならまずは情報を交し合う。こんな基本的なことを失念していた。
「ご、ごめんなさい。...あの、こっちの方にブルマを穿いたサーヴァントが来ませんでしたか?」
「ああ、あの姿を消すヤツか。あいつならさっきあの褌のサーヴァントを追いかけていったよ。なんなんだあいつは?」
「セイヴァーの元部下だったそうです。いまも、セイヴァーの為に戦っていると言ってました」
「そうか。ただものではないし味方なら心強いと思っていたが、できればあまり関わりたくないヤツのようだ。ほむらちゃんこそさっきの穴空けるヤツはどうなったんだ?」
「あっ、たまちゃんですね。さっき、ブルマのサーヴァントに気絶させられて...」
「たまちゃんって...もしかして、わたしが探してたたまちゃんはその子かもしれない」
「えっ、そうなんですか?じゃあ、私、迎えに行ってきます。二人は自宅に向かっていてください」
「1人で大丈夫か?」
「はい。逃げることに限れば、この中では一番だと思いますから」
ほむらは、たまを迎えに行くため来た道を駆け出した。
彼女は内心で情報交換がスムーズにいったことに驚いていた。
今までは、ホルホースとのそれのように、なにを話せばいいのかも迷っていたりしたものだが、今回に限ってはスラスラと話すべき情報が絞り込めた。
(もしかして、まどかが魔法少女になっていた現実から私は目を背けたかったのかもしれない)
如何な理由であれ、まどかが既に魔法少女になっている現実には変わりない。
それこそ聖杯を手に入れなければいずれくる魔女化という運命からは逃れられないだろう。
つまり、この時点で、この世界のまどかが救われることはなくなったのだ。
だから、そんな現実から眼を逸らす為に、質疑応答で気を紛らわせていたのかもしれない。
「......」
ほむらは自分の気持ちすら理解できぬまま、か弱き少女、たまのもとへと向かった。
「さて。俺たちもそろそろ戻らないとな」
「はい。わたしは変身すればあそこまで跳べますけど...篤さんは?」
「この身体では少し厳しいかもしれないな」
「じゃあわたしが背負いますね」
まどかは変身し、篤を背負い軽やかに地上へと跳びだした。
「ハッ、相変わらず便利な力だな」
篤の褒め言葉が照れくさく、まどかはえへへと笑みを零しながら頬を掻いた。
「そういえば、さっき言ってた、たまだったか。なんでお前はその子を探していたんだ?」
「...その、さっきパパから、わたしが落とした学生証をたまちゃんが拾ってくれたって聞いて、でも学生証はわたしの鞄にあって...」
「...?再発行でもして、前のヤツを落としたのか?」
「いいえ。たぶん、たまちゃんが持ってきたものは偽者だと思うんです。それで、なんでたまちゃんがわたしの学生証の偽者を持ってきたのか気になって...」
「......」
篤の頭に疑問が渦巻く。
『たま』は、わざわざまどかの家を訪ね、偽者の学生証を渡した。
しかも、それを口実にまどかと会う訳でもなくすぐに姿を暗ませた。
何故だ?何故ここまで手間をかけてまでそんなことをした?
(わざわざバレる嘘をついたのは、注意をひきつけたかったからか?)
確かにこんな嘘をつけば、否が応にも注意せざるをえないだろう。
ならば、尚更まどかに目撃されなければ意味がない。
もしもまどかがマスターあるいは魔法少女でなければ、家から出ることすら叶わず、単に『たまという子が怪しい』としか思わせられない。
たまの名を騙ったミスリードもありえないこともないが、それも父親に姿を見せた以上考えにくい。
(仮に『たま』がまどかをマスターあるいは魔法少女であり、深夜にも出歩くことができると知っていたとしよう)
まどかを呼び出した上で、彼女への奇襲がないのなら、狙いはまどかではないのではないか。
では、まどかが家からいなくなることで生じることは―――
「ねーちゃ~...」
鼻を啜りつつ、涙交じりの声が響く。
とこ、とこ、と小さな歩幅で動く影がひとつ。
それは紛れもなく、まどかの弟、タツヤのものだった。
「タツヤ...?どうしたの、こんな時間にお外に出たらパパやママに心配されちゃうよ」
「ねーちゃ~...」
「よしよし、大丈夫だよ。どうしたのそんなに泣いて」
ずっと泣き続けるタツヤに、さすがに不安を覚えたまどかは、しゃがみ込み顔を伺う。
やがてえづきが収まると、タツヤはようやく言葉を発した。
「パパとママ...いなくなっちゃった...」
「え?」
「どこにもいないのぉ...」
両親がいなくなった。
徐に告げられた事実に理解が追いつかず、まどかは思わず首を傾げる。
その一方、篤は眼鏡の奥の瞳を見開き、瞬時に駆け出した。
「あ、篤さん!?」
突如走り出した篤に驚愕するも、その様子からただごとではないと判断し、まどかもつられて走り出す。
(ようやくわかった。『たま』の目的が)
篤の息遣いがハァハァと荒くなる。
『たま』の目的は、まどかを引き付けること。それは間違いではなかった。
だが、狙いはまどか本人ではなく彼女の家族。
家族を人質にとれば、その縁者は迂闊に逆らえなくなる。
彼岸島で雅が好んで使った手段だ。
(チクショウ、なんで俺はすぐに気がつけなかったんだ!)
後手にまわってしまったのはわかっている。それでも、篤は一心不乱に駆け抜ける。
門を開け、ドアを開き、玄関から居間を駆け抜け―――止まる。
急遽停止した篤にまどかは対応できず、思わず背中にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさ」
ぶつかってしまった謝罪は、鼻腔を擽る血の匂いに止められる。
ハァ、ハァ、と漏れる呼吸音は、ドキドキと高鳴る鼓動は、篤とまどかのどちらのものかもわからない。
ただ呆然と眺めている床には、夥しいほどの血が伝っていた。
――わかりたくない。嘘だと思いたい。
けれど、充満する血の匂いがこれは現実だとまどかに訴えかける。
――嫌だ。誰か止めて。
止められない。己の意思に反し、その血の出所を見定めるため、まどかの視線は伝う血を追ってしまう。
その果てに。
見つけた。彼女は見つけてしまった。
「ママ...?」
部屋の中央で立ち尽くす母の背中を。
その大部分を、両腕を赤で彩った寝巻き姿を。
彼女の足元に並ぶ―――小さな二つの赤い箱を。
アラもう聞いた? 誰から聞いた?
赤い箱のそのウワサ
人のいる場所にいつの間にか置かれている真っ赤な箱。
中には【人間一人分】その全てが敷き詰め入っている。
学校に置かれていたら、生徒か先生か誰かヒトリいなくなっている。
病院に置かれていたら、患者か医者か誰かヒトリいなくなっている。
ヒトリで居たら、恐ろしい怪物がその人間を箱に詰め込んで鑑賞するって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ!!
チョーサイコ!
最終更新:2019年03月28日 23:49