杏「呆れた。貴方たち、呑気に会話してる場合じゃないでしょ?」
漆黒の両手剣を重たそうに引きずりつつ、俺たちの横に走ってくる杏。
中島「わかってるよ! あーくそぅ! この中島蔵人、転んでもただじゃ起きねえぞ!」
だっ、とバスターソードを振りかぶって駆け出した。
杏「まったく……さぁ、私たちも行きましょう」
三年生「死ねやぁぁ――――!」
杏が振り返った瞬間、俺の目の前にいた彼女に一太刀あびせようとする男の巨漢がうつる。
杏の、驚いた表情が飛び込んでくる。
その瞬間、俺の脳から体に雷鳴のような命令がほとばしった!
『アンヲ、スクイダセッ!』
遊佐「杏ッ!」
ほとんど無意識だった。
疾駆するチーターのようなスピードで身を投げ出すと同時に、俺は杏の肩を抱える。
俺にはその瞬間だけがスロー再生されているようにすら見えた。
ブンッ!
男の空気を切る斬撃。
しかし、すでにその場所には杏も俺もいない!
俺は男の一撃から、杏を救い出した。
だが、次に俺を待ち受けていたのは迫りくる地面だった。
(くそっ。こいつを傷つけるわけにはいかねえんだよ!)
とっさの判断が俺を最善の挙にいざなう。
いつか柔道の授業で習った受身の態勢をとった。
首を引っ込め、肩を丸めると、うまく地面を転がり始めるという手応え。
地面に激突した肩に痛みが走る。
顔を歪めながらもそのまま半回転したが、俺は途中でバランスを崩してしまった。
杏を抱いたまま、寝転がるような形で土の上をごろごろと転がる。
空と土が交互にぐるぐると踊る視界の中で、杏の怯えるように目を瞑った顔だけが俺についてきた。
ちっ! 受身が成功だとは言いがたいが、衝撃は何とか抑えられた!
杏を抱き、寝転がったまま三回転ほどしたところで仰向けになり回転を止める。
その時にはすでに俺の手のハンドガンはピタリと相手の風船を捉えていた。
たった二,三メートルの近距離にゆらめく男の無防備な風船。
寸分の違いもなく狙いをつけた俺の銃口。
今の俺には……外しようのないシチューションだ。
俺は勝利を確信した。
パァン!
デザートイーグルの銃口が、まるで
予定調和のように火を噴き――もとい、水を吹き男の風船を一直線に貫いた。
男の顔が唖然のそれに変わる。
まさか俺みたいなひょろい男がこんな身軽な動きをするとは思わなかったんだろう。
当然だ。
俺だって驚いているんだからな。
杏「……
ありがとう。驚いたわ。やるわね」
遊佐「……いや、自分でもびっくりしてる」
俺の腕の中で、杏も唖然とする。
もしかして……
愛の力!?
愛があればご都合主義も許されるってこと!?
杏「……で、貴方はいつまで私を抱いてるの?」
遊佐「うおっ」
俺は自分がとても恥ずかしい格好をしていることに気づいた。
杏「……」
杏は立ち上がると、静かに俺を見下ろす。
杏「……ほら。立って。みっともない格好よ」
目の前に聖の白い指が伸びてくる。
遊佐「あ、ああ」
杏「ふふ。何? その顔」
手を握って立ち上がると、杏はまさにほんの少しだけ微笑んだ。
遊佐「やっぱり、杏って本当に優しいんだなと思ってさ」
杏「……ばかね。貴方だけよ。そんなこと言うのは」
三年生「おらぁぁぁ――!」
ボーっとしていた俺は絶好のカモだったのだろう。
俺めがけて、三年生が怒号とともに馬鹿でかい両手剣を振り下ろしてくる。
突然の一撃に驚いた俺が出来ることといえば、悪あがきで頭をかばうことぐらいだった。
杏「貴方に手を出させはしない」
ブォン! ガンっ!
鈍く空気を切る轟音。
たて続けに何かが何かを強打した音が響いた。
俺は顔を上げた。
俺を襲ってきた三年生が吹っ飛ぶ。
杏が相手の剣を、両手剣で強打してなぎ払っていたということに気づいたのは、頭を抱えていた両手をはがしたときだった。
杏「貴方は優しいわ。だからこそ、貴方には私と同じ道を歩んでほしくない」
杏は両手剣を脇に構え、刀身を斜め下に向ける。
彼女の細身にとってはかなりのアンバランスな、その重たすぎる両手剣の先端が少し地面をえぐっていた。
杏がなぜ、あんな禍々しい漆黒の両手剣を選んだかは知らない。
しかし彼女を見ていると、両手剣を『振り回す』というよりは、その暗黒の剣自体に『振り回されている』ようにさえ見えてくる。
その姿は、彼女が背負う業の重さを表しているような……そんな気さえする。
だとしたら、彼女があまりに可愛そうじゃないか。
あんなに重たくてどす黒い暗黒の業……その小さな体の、一体どこに受け止められるというんだ?
杏「世の中には『謝っても許されない罪』がある――」
杏「けど『謝りさえすれば許される罪』もまた、存在するのよ」
何を言っているのか、俺にはよくわからなかった。
心当たりはある。
しかし、少なくとも「今」の時点では確証はない。
杏の両足が地面を蹴った。
吹っ飛ばした三年生に、杏の両手剣――カオスブリンガーが襲いかかる。
パァン!
風船が破裂する音。
遊佐「終わった……」
そしてその音が、この戦いの終わりを告げる狼煙となった。