小さな揺らぎ1
【時期】武僧都2年生夏
【設定】久々津士郎死亡事故について
【場所】空手部活動場所
【登場人物】都、士郎、舞、元空手部の不良さん達(部員1&2)、しのぶ、リューさん
●校庭 空手部
それはとても暑い夏の出来事。
空は雲ひとつ無く晴れ渡り、真夏の太陽は容赦なく照りつけるが、
それは命を削り取る物ではなく、育みを与えてくれる厳しくも優しい日差しだったと思う。
けれど、生まれつき体が弱い私には、少々暑すぎる陽気だったのを覚えている。
夏休みに入り、部活にきている生徒以外が居ない学校は、
いつもの活気には程遠く、逆に夏の暑さと蝉の鳴き声が自己主張を強め、
人の姿を確認できるのにも関わらず、人の気配を消し去るような雰囲気に包まれていた。
それでも、全体としては静かな学校だったが、団体ごとにはそれなりの活気はあり、
それぞれの大会に向けて、各部ラストスパートをしていた。
自分たちの事以外は見えず、周りが背景となっているため、
静けさを一層際立たせていたのかも知れない。
空手部としても例外ではなく、大会にこそ出ないが、この暑さを紛らわすために
集中を余儀なくされて、周りの音など耳に入っていなかった。
そう、この頃の空手部はまだ活気あふれていた。
【士郎】「打ち込み、止め!」
声が響き渡り、打ち込みを延々と続けていた部員達が手を止め、
ため息とともに一斉にその場に座り込んだ。
声の主は、空手部主将の久々津士郎。私の兄だ。
他の空手部員に比べれば、体も小さく腕も細めで、優しい顔つきをした少年だった。
体の弱い私は、皆と一緒に体を動かすことが出来なかったため、
いつも一人で居ることが多かったが、
そんな私のために、このハンドパペットを作ってくれたのも、優しい兄ならではだ。
士郎は、座り込んでいる部員のもとに近づき、彼らを見下ろしている。
【士郎】「だらしないぞ、お前達!
武僧を見習え!」
士郎が指差した方向には、前髪を頭の上で束ねた少女が平然とした顔で立っている。
部員達が彼女を見ると、彼女は微妙に照れたのか「にゃは」っと笑い、両手を顔の前で振っていた。
【部員1】「あいつは特別だろう……。家が道場で、小さい頃から武道の英才教育受けてんだ。
俺達とは土台が全然違うじゃねぇか……」
何人かの部員が、手を団扇代わりにしながら、それに相槌を打っていた。
【部員2】「士郎にとっても、特別。なんちゃって~」
その台詞で部員達がにやけ顔で士郎を見ると、「お、お前達っ…もっとしごかれたいか!?」
と顔を赤らめながら部員達とはしゃいでいる。
そのやり取りを見ている彼女もまた、顔を赤らめ照れていた。
いつもの通りの
部活動、いつも通りの風景。
私にとっても見慣れた光景だが、それをこうして日陰から座って眺めているのが好きだった。
今は夏休みの間しか見ることが出来ないけれども、来年は私もこの学校に入学する。
私も、あの輪に加わる事が出来るだろうか。
部活に付いて行けるかという不安も、この時期ならではの将来への期待の一部だろう。
【舞】「…マトン君、うちにも出来るやろか…」
【マトン】「弱気にナッタら、何もデキナイぞ、舞ヨ」
弱気になったらダメか…。
私はいつも弱気だった。
体が弱いことを理由にして、辛いことから目を背けた事もあったかな。
マトン君は自分では喋れないから、私の腹話術で自問自答していることになるが、
それでもそれなりに励まされているかのような感覚になる。
一種の自己暗示というやつかもしれない。
私は、ハンドパペットのマトン君に軽く返事を返し、また空手部に視線を戻した。
しばらく休んでいる空手部をぼんやり眺めていると、
不意に自分の場所だけ一際影が濃くなった気がした。
後ろを振り返ると、そこには両手を腰に当て、私を見下ろしている甲賀しのぶの姿があった。
【しのぶ】「やっほー、久しぶり」
【舞】「しのぶ先輩!おひさしゅうどす~」
甲賀しのぶは、私の横に腰を下ろしながら「な~に?その言葉遣い」と言い、続けて
【しのぶ】「ああ、そっか。もうすぐ高校生だもんねぇ。
御家の跡取りとして、そろそろ考えなきゃいけない頃合か。
でも、こんな時くらいは、いつも通りで良いんじゃない?」
と言った。
【舞】「なら、お言葉に甘えて。しぃネェ、お久しぶり~」
しぃネェとは、幼少の頃からの付き合いだ。
私と兄としぃネェ、そしてみぃネェはいつも一緒だった。
兄はみぃネェの家の道場の門下生で、体の弱い私は二人の稽古を眺めているだけ。
けど、私の隣にはしぃネェが居てくれて、寂しくは無かった。
しぃネェが忙しくなって、遊びにこれなくなった時から、
私の相方はマトン君になっちゃったけどね。
でも、こうしてたまに私に会いに来てくれるのは、素直に嬉しかった。
そして、最近このグループに新しいメンバーも加わった。
???「暑い中、可愛い妹が見に来ているというのに、気の利かない奴だな」
陸上部のユニフォームを着た、すらりとした長身の女性が、
長いポニーテールを揺らし優雅に歩いてくる。
その手には、布袋に入った魔法瓶が握られていた。
【舞】「お疲れ様です、村崎先輩。それと、お久しぶりです」
立とうとした私を、そのままで良いと手で制止し、私の隣に座って、
「うむ。久しぶりだな」と答えた。
続けて、持っていた魔法瓶の蓋を開け、中のお茶をコップ代わりの蓋に注ぎ始め、
それを私に差し出し、
【村崎】「冷たい麦茶だ。今日は暑い、良かったら飲まないか?」
と、にこやかな笑顔をともに勧めてくれた。
なにやらいつもは難しい顔をしている先輩だったが、気配りの良く利く先輩だった。
村崎先輩は、しぃネェとみぃネェのクラスメイトで、
○○高校陸上部棒高跳びのエースだった。
ネェ達とは高校からの友達で、普段はいつも一緒に話をしたりお弁当を食べたりしているそうだ。
兄は、その輪に加われなくてちょっと寂しいなんて事を言ってたことがあったかも。
それくらい仲が良いようだ。
久しぶりの再開で、話に花を咲かせていると、
どうやら村崎先輩は棒高跳びでインターハイ出場を果たしたそうだ。
今は、そのインターハイに向けて最終調整の真っ最中で、
暫しの休憩のついでに私に会いに来てくれたのだった。
【舞】「おめでとう御座います、先輩!」
【村崎】「
ありがとう、舞」
【しのぶ】「流石、陸上部のエース。巷じゃ天才あらわるって、もっぱらの噂だよ」
村崎先輩は少し照れた風に俯き、そしてすぐに真顔に戻って顔を上げた。
【村崎】「天才か……、天才とは何であろうな」
【舞】「……えっ?」
【しのぶ】「生まれ付いて備わっている、優れた才能。あるいは、その持ち主」
【村崎】「相変わらずだな。私はそういうことを聞いているわけじゃない」
しぃネェは、村崎先輩ににやりと笑いかける。
村崎先輩もしぃネェの笑いに、にやりと返した。
私は要領を得ないまま、二人のやり取りを不思議に見守るしかなかった。
そして村崎先輩は私を見つめ、私に言った。
【村崎】「舞よ。私は天才では無いし、天才にもなれない。
常人は努力し秀才になる。けれど、天才には届かない。
それでも、高みを目指すのは何故だろう」
【舞】「……?」
村崎先輩は私に何かを問いかけている。
けれど、その答えは私には思いつかなかった。
村崎先輩は、私の答えをただじっと待っている。
私は俯き、その答えを搾り出すのに勤めたが、結局ろくな答えは見つからず、
【舞】「……んっと、天才に近づくため?」
と答えた。
自分の答えの幼稚さに厭きれ、苦笑いが自然と出てしまった。
しぃネェはそんな私を見て、フォローを入れてくれた。
【しのぶ】「確かに、そういう人もいるかもしれないね。
それも間違いじゃないよ。
けどリューコの場合……、いやリューコの聞きたい答えとは違うかな」
そして村崎先輩が、またにこやかな笑みを浮かべ答えた。
【村崎】「ポールを使ってだが、飛ぶのが楽しいんだ。
私は天才では無いから、何度も挫折したし、飛ぶのを諦めようともしたが、
それでもやはり楽しい物は楽しい」
村崎先輩は顔を正面にもどし、どこか遠いところを見つめている。
なにか過去を懐かしむような顔になり、話を続けた。
【村崎】「初めは、ハイジャンプ、つまり走り高跳びをやっていたのだが、
いつの日かもっと高く飛んでみたいと思ったことがあった。
私は、ハイジャンプの才能はあったようなのだが、
棒高跳びの才能は、残念ながら持ち合わせてはいなかった。
どちらも似たような物だと思っていたのだが、これがまた……全然勝手が違う物でな。
私が、棒高跳びをやりたいと言った時は、コーチにえらく説得されたものだ。
だが、私は諦めなかったぞ?
コーチの説得を振り切り、無理やり棒高跳びに移行した。
そして、グングニル製のポールを手にし、私は飛んだ。
何度も失敗したが、楽しかった」
村崎先輩の過去。
いつも、涼しい顔をして何かをこなしているイメージとは裏腹に、
実は人一倍努力をしているようだった。
でも、私は村崎先輩が何を言いたいのか、その言葉の意味を汲み取ることが出来ないでいた。
それを察知したのか、村崎先輩がまた続けて言う。
【村崎】「少しずつで良い。
無理をしない程度に頑張れば、あの輪に加わることが出来る。
初めから諦めては、何も出来ないぞ?」
【しのぶ】「相変わらず、回りくどいねぇ~。単刀直入に言えばいいものを」
しぃネェは、何かが可笑しかったようで、腕を組み必死に笑いを堪えているように見えた。
それを村崎先輩が睨み付けている。
【村崎】「むっ!私はただ、舞に自分なりに答えを見つけて、自信を持って欲しかっただけだっ!
いつも寂しそうに、空手部を眺めているから……。
そんなに笑うことはないだろっ、失礼な奴め!」
ふんっとそっぽを向いた村崎先輩の顔は少し赤らんでいる。
しぃネェは、結局笑いを堪えることが出来ず、「あっはっはっは!」とお腹を抱えて笑い出した。
目には薄っすら涙まで浮かべている。
【しのぶ】「まあ、舞も体が弱かったから、少なからず不安を抱いてるんだろうけどさ、
リューコの鉄心石腸な心構えは見習うべきだね」
と、笑い混じりに言うと、またお腹を抱えて笑い出し、
それをまた村崎先輩が、目を吊り上げ睨み付けていた。
村崎先輩に背中を押され、私は未来に希望を抱いて、歩みだす決意を固めることが出来た気がした。
何事もやってみなければ分からないよね、と心に言い聞かせ、
【舞】「私も頑張ります。だから、村崎先輩もインターハイ頑張ってください!」
と答えた。
村崎先輩は、その答えに満足したのか、大きく一度頷いた。
けれど……
その時はまだ、私の中に眠る小さな揺らぎに気が付く者は居なかった。
そう、私自身ですらも、それに気が付くことが出来なかった。
日が傾き、空が茜色に染まる。
蝉達の鳴き声は止まず、今思えばそれはまるで、これから起きる事への警笛のようだった。
最終更新:2007年09月14日 18:54