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マ リ ン


○超短編。ちょっと切ない物語です。ちょちほのぼの。





 ずっと飼っていたマリンが死んだ。
 一週間前のことだった。五時を回り、学校から帰ってくると、マリンはケージの布団の中で横たわって動かなかった。
 マリンに何度も呼びかけたけど反応は無くって、私はだんだんと冷めたくなってゆくマリンに何も出来ないまま、寄り添ってあげるしか出来なかった。
 秋も深まった十六歳の昼下がりのときだった。
 マリンはラブラドールレトリバーだ。
 私が生まれたとき、マリンも家に来た。
 散歩のときはいっつもぐいぐいリードを引っ張っていく。フリスビーが大好きで、私が投げると取ってきた。たまに無くてしまって、結局私が探すことになるんだけど……
 私の心の中から大きなものが無くなってしまった。
 マリンはもう居ない。
 それから七日間、私は耐えた。学校にも普通に行ったし、家に行っても普通にするようにして、泣かないようにした。泣いたら止められなくなってしまうような気がしたから、絶対泣かなかった。
 それでも耐えられなくなって、七日目、私は学校を抜け出した。昼下がりの五時間目までは耐えたんだけど、それ以上は無理だった。マリンが死んでしまったことを考えると、悲しみが込み上げてきてクラスで泣いてしまいそうだったからだ。でも考えないようにすればするほど、なぜか頭の中はマリンのこと満たされていった。それでまた哀しくて泣きそうになった。
 いつまでも絶望感は抜けそうに無かった。まるでずっとあったはずの身体のパーツがひとつ無くなった感じだった。さほど意識はしなかったけれど、でも重要なパーツだったのに、今は無くてしまってくぼみになっている。
 抜け出した私は特にあてもなくさまよった。サボりかたが分からない私は、学校からすぐのアーケードの商店街を回って時間をつぶそうと考えた。
 そこはいろいろな人でごった返していた。晩御飯の買い物をする人。お店でお茶をする人。お店の人と雑談している人。みんなそれぞれの生活がありそうだ。その中に私だけが当ても無くポツンと立っていた。まるで周りの人たちと見えない壁があるみたいに。
 やっぱり帰ろうかな…今からだったら遅刻でも授業はうけられる。
 そんなときだった。ふと手を引かれた。手は人ごみから伸びていて、小さな少年につながっていた。
 まだあどけなさを残したようにみえる子だった。大きなベージュのキャスケットを目深にかぶっている。大きすぎてかぼちゃをかぶっているみたいに見えた。一見すると十歳前後に見える。
 なにを思ったのだろうか。私はきっとマリンのことで疲れていたのかもしれない。いや、もしかしたらある種の逃げ場を探していたのかもしれない。
 少年は再度強く引き、私はこくりとうなずいた。
 ただそれだけだった。
 それだけで私と名前も知らない子との旅は始まった。

 とはいっても特別なことをしたというわけじゃなかった。
 私はただ少年の後に付いて行っただけだった。彼はと言うと私なんかお構いなしにぐいぐいと手を引っ張って行ってしまう。
 もうちょっとゆっくりって言いたかったけど、彼の耳には届き沿うには無い。
 回ったお店を言うと、商店街を回って、食べたいものを食べて、雑貨屋さんや文具屋さんを見て、本屋さんを見た。
 その間私はただただ引っ張りまわされるだけだった。ハーネスでも付けたい気分ね。
 一通り回ってからゲームセンターにはいって遊んだ。
 ゲームセンターの一番端っこにレトロなゲーム機がひとつ忘れ去られていた。全体的にホコリをかぶったようにあせていて、何年もそこにあることが見て取れた。それに、誰も遊んで居ないことも。
 私はコインを入れる。機械がレトロな音楽と照明をがんばってぴこぴこさせていた。内容はフリスビーのゲームで、グラウンドに投げられるフリスビーを取ってくるというものだった。なんだかとても楽しくて、何回も、何回も、コインを入れた。
 結局惨敗だったけれど、なぜかとっても満たされた気分になった。

 夕方が近づく。
 だんだんと日光が緋色の輝線を帯び始めて来る頃、私たちは手をつないで、自然と近くの海浜公園へと足を向けた。
 一番の海が見える場所に行った。
 海の風を身体に受ける。髪がなびいて、スカートが揺らめいた。漣だけが支配する静かな夕暮れ。とっても風がやわらかかった。ここからだと海全体が見渡せて、水平線がまあるく見えるんだ。
 来るたびに地球が丸いことを確認する私。そして、この向こうにも、誰かが住んでいて、誰かが私のように海を見ていることも考えた。
 少年と出合ってから、やったことは少なかったけれど、でもすごく心の中が満たされていた。つながれていた暖かかい手もあるし、別にも、なんだか心の中から暖められているような、じんわりと満たしてくれるような気分になっていた。
 なんだか心の中に会った硬い大きな岩が溶けていくような感じがした。
 ふと、唐突に暖かな手が離れた。いままでギュッと握っていたのに、するりと私から抜けてしまった。
 あわてて私は振り向くと、少年は走り去ろうとしていた。
 だから私はふいに……
 ―――ありがとう
 少年はパタッと足を止める。振り向き。キャスケットを取って、笑った。万面の笑みだった。とっても満足そうに、とっても楽しそうに。すごく幸せそうに。
 すべてのしがらみを完全に溶かし尽くしてしまうような、そんな笑顔だった。凍っていた私の心が溶けてゆく。
 それからすっとどこかへ走り去った。まるではじめから居なかったかのように、自然に溶け込むように。
 残った私はぽつりと佇み、吹き付ける海風に当たった。
 私は何が出来るわけでもなく、追いかけることも出来なくて、ただただ立ちすくんでいるしかなかった。
 急にマリンを亡くしてしまった感じに襲われて、涙があふれてくる。
 どうして……?
 私はあわててぬぐったけれど、それでも取りとめもなくあふれる。
 何度ぬぐっても抑えられなくて、私は止めることをあきらめて、静かに声も出さないで涙を流した。
 頭の中ではマリンと少年がぼやけてかぶっていた。マリンがしっぽを振っていた気さえする。
 ふと、私の心はマリンとは一緒じゃないんだ。そう、涙の中思う。
 一緒のことを考えて、同じように成長していったのに、マリンと私は違うんだ。同じように遊んでいたのに、同じように寝ていたのに、同じように感じていたのに、いったい何処から違ってきたのだろう。
 そう、今のことも、マリンが言っていたさよならのことも、本当に彼のことを考えていたのなら、簡単に分かったはずなのに。マリンの言いたかったことをなんで分かって上げなかったの?
 ……どうして、私は、こうも鈍いのだろう。
 あたりまえなんだ、私が考えていること、見ていること、思っていることが、他の人と同じはずは無い。それがもし同じように、双子のように育った仲だったとしても―――
 それにありえないことじゃないか。なんでマリンがでてくるのよ?
 でも、いまさら無視は出来ない。だから受け入れなさい私。マリンが言っていた事実を、その真実を。

 ―――マリンは自分の死を受け入れていたじゃないか。

 マリンは私に悲しんでと言って、逝ったわけじゃない。なのになんで私はこうも泣いているのだろう。
 だから私は海を後にするんだ。もう振り向かないように、絶対悔やまないように。
 夕日が弱くなって、空が鉄黒に包まれようとしている頃のことだった。
 遠くで五時を告げるチャイムが哀しく鳴く。今日の終わりをひっそりと諭している。鐘はどこまでも、どこまでも響いて、きっと天の彼方まで届いていた。

 だから、私は大丈夫だ。きっと。
 ―――マリン。さようなら。
 その声は漣に打ち消されてしまった。
 そんな秋も深まった頃の話だ。
 この秋一番きれいな一番星が空に輝いていた。


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最終更新:2008年06月08日 03:41