FLASH★BOMB
FLASH★BOMB(FLASH★Baka's Offline Meeting Banquetの略)は2003年~2005年の夏にFLA板で行われたオファー制のオフライン
イベント。
第三回目にあたるFLASH★BOMB'06を持って終了、
slashupへとリニューアルした。
さらに略してF★B、FBと呼ばれる事もある。
概要
帰ってきた2ちゃんねるナイト
FLASH作品が4つ程放映されるものの、罵声とともに上映中止にされる。
2ちゃんねるナイト2003
これにより
FLASH50氏はFLASH★BOMBの開催を決意すると、FLASH★BOMB'06会場配布誌「ボムロイド」で記している。
FLASH★BOMB~クリエイティブなバカ、揃ってます!!~
FLASH NIGHT2003企画時に書き込まれた妄想そのままのオープニングや、
ひろゆき氏制作のFlash、
青池良輔氏自身によるCAT★MANのパロディ等々が発表。基本メンバーは、まだフラ板は発展途上の段階のため、第一回紅白からの人選がメインとなっており、必ずしも「出品者=実力者」というわけではなく、あくまで「やってみたかった
イベント」程度のものであるという側面もあった。しかし、当時の板住人及び出展者の中には、この
イベントに選ばれたことを「出品者=実力者」と誤認した者も数多くいたのも否めない。
また、この
イベントの運営方針に対して、異議を唱える数名のFLASH職人への個人攻撃がエスカレートしたという事実もあり、FLASH板において、当
イベントと
FLASH50氏、そして作品出展者達がが聖域と化していくようになる。(それは、05のFLASH★BOMB終了宣言まで続くことになる)
そういった背景から、「第一のフラ板崩壊の亀裂」と呼ばれる事もある。
FLASH★BOMB'04~演ッチマイナー!~
2003年1月、FLASH★BOMB'04をやる、と仮定した上での参加して欲しいと思う職人のアンケートを実施し、出展者選考の透明性をアピール。
また、出場権をかけた
モナ倉主催の
FLASHダービー(実際にはFB運営陣とは無関係)が、批判の的になった。
東京・大阪会場での二会場での開催が発表された。
東京会場のチケットは発売後12分、大阪会場のチケットも即日で完売。
ただし、運営の身内が両方の会場に多数詰め掛けているという事実もあり、一見さんに対する処遇が疑問視される。
アンチF★Bのネタとして開催された
イベント糞フラダービーが派生し、オフライン
イベントとしてFCE(Flash Community Event)の話が立ち上がる。
しかし主催者の個人攻撃が発生。その為、事実上運営が潰された形となる。結果的に
まっつん氏が主催者として立ち上がり、F★Bの二次会として
映夜祭が企画された。
映夜祭はF★Bが終了した後も2007年まで開催された。現在は休止状態。
FLASH★BOB~裏ボム~
FLASH★BOMB'05のプレイベント。
今回からFLASH★BOMB運営陣を中心に制作された
MUZO(
PZBLOCK)により開催される。
過去FLASH★BOMBで発表された作品の内から上映され、一部にはリメイクや追加要素も見られた。
FLASH★BOMB'05~THE THIRD IMPACT 三度目の、ショウゲキ~
前回の開催でチケットが入手困難になった問題が発生したため、今回は1000人規模の会場で開催。
のまネコ問題の真っ最中に発表されたこの
イベントは、たびたび議論の的となった。
2ちゃんねるトップに貼られた宣伝ゲームのパクり疑惑、
わた氏の参加・辞退宣言、
MONOCHROME氏の辞退等数々の問題を起こし、高いチケットの売れ行きは伸びにくく、また空席も目立ったらしい。
2007年4月、突如
slashup04のサイト上で、仮
イベント名を「FLASH★BOMB07 under ground live」とする旨が発表された。
今更戻すのか、等の批判もあったが、結局「fb Re:birth」に決定した。
功罪
評価への正当性
FLASH★BOMBの企画が出た当時FLASH板は任意IDだったため、当時の書き込みによる当
イベントへの評価の正当性に疑問は残る。少なくとも、
自作自演や
工作で、いくらでも評価をゆがめることが出来るからである。また、当
イベントがブランド化していくとともに、
イベントに対する批判に対して、「非出展者の「嫉妬」である」などといった決め付け等、そういった執拗な叩きは根強く残り、それが最悪板におけるアンチ
スレッド成立のきっかけであるという説もある。
二回目以降は、FLA板が
強制IDになり(皮肉にも、イベント最中の
ひろゆき氏への懇願がきっかけとなったのだが)、更には、後述の通り出展者選考の不透明さが徐々に批判されるようにもなり、前回のような非出展者への叩きもある程度少なくなった。
三回目で当
イベントは結果的に終了することになるものの、実際には
FLASH50氏が、更なるFLASHイベントの商業化を目指したのが終了の理由である。ただし、当時の空気は、その責任を
わた氏や同様に出場辞退した
MONOCHROME氏、更には
イベントに対して批判の声を上げていた人間に押し付ける空気が支配していたようである。
出展者選考の不透明性
当
イベントの出展者は、基本的には
FLASH50をはじめとする、FLASH★BOMBの運営者による選出となっている。
選出の傾向は、03・04の傾向を見る限りでは「アマチュアアニメ界を代表する大物+昨年末の
紅白FLASH合戦で活躍した人物」という、一応の基準があるようである。(ただし当時のアンチ統一スレによると、03の
Pinbaniのように、紅白以外のイベントで活躍した人物が選ばれるという事もあるらしい。)また、
青池良輔氏や
塚原重義氏のように、あらかじめ大物クリエイターを
身内化してからオファーを出すという事もあるらしい。
しかしながら、前年の
紅白FLASH合戦で高い評価を得たにも関わらず選出されない、逆にそれほど高い評価を得なかったにも関わらず選出される等といった事も少なからず発生し、更には選ばれる根拠が「
FLASH50やその身内の知り合いだから」以外見つからない者が選出されることも度々発生している。また、度々「枕営業」などといった問題も取りざたされている。
そのため、出展者選考の不透明性がたびたび問題になるものの、必ずといって「
本人乙」等といった火消しが登場し、まともな議論が行われることも無く、また自浄作用が働くことも殆どなかったといっても過言ではなかった。
04における「
FLASHダービー」に批判が集中したのは、そういった背景があるとも思われる。
FLASH板衰退の原因?
FLASH★BOMBという
イベントに関しては、以上のような問題点があったものの、前述の通り殆ど改善されること無く終了した。
イベントの体制に対する批判は、殆ど「選出されなかった職人の嫉妬によるもの」という事にされ、逆にFLASH★BOMBと同
イベント出展者、更には
FLASH50に対する聖域化が強化されていく事になったわけである。
また、前述の通りFCE(Flash Community Event)が成立しそうになったものの、主催者に対する熾烈極まる個人攻撃が行われた。FLASH★BOMBとは、FLASH板における聖域と、それに異議を唱える者への個人攻撃の歴史でもある。その事実も決して忘れてはならない。
当時の状況などを客観的に考察してみれば、一部勢力が
自作自演や工作活動で巧妙にFLASH板を私物化し、その結果FLASH板を衰退に導いてしまったともいえる。それは同時に、swfファイルのアニメーション文化とアマチュアアニメーションの文化が大きく衰退する事も意味している。そういう意味では、FLASH★BOMB運営と
FLASH50のの責任は、本人や周囲が思っている以上に大きいと思われる。
リンク
関連項目
外部リンク
最終更新:2024年08月10日 21:38