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み-349

 四ツ葉町の森の奥――占い館。

 巨大なモニターに映し出されるイースとキュアピーチの一騎打ち。
 そうだ! そこだ! いけ! 届くわけの無い声援を送るウエスターをサウラーは鼻で笑う。


「何がおかしい、サウラー!」
「何もかもさ。こんな茶番は見てられないね」

「なんだと!」
「じゃれあいを茶番と言って何が悪いんだい。どちらも本気で相手を倒す気は無いようじゃないか」

「俺には――――イースは本気で戦っているように見える」


 そう言ったウエスターの言葉には、しかし勢いがなかった。彼も格闘の達人で生粋の戦士、気がつい
 てはいたのだ。
 これは戦闘ではなく喧嘩、意地と意地のぶつかり合いであることに。


「イース――――お前は、一体どうしてしまったんだ」
「さじ加減を覚えてしまったのさ。君もこの世界にはあまり深入りしないほうがいい」

「ええい! お前の言ってることはさっぱりわからん! 街に出て人の不幸を学べと言ったのもお前で
 はないか」
「だから僕は本を読むのさ。不味いコーヒーを飲みながらね」


 そう言いながら、サウラーはカップに入りきるだけの角砂糖を入れてコーヒーを注いだ。相変わらず
 甘くて不味い。
 だが、この砂糖とコーヒーの分量を自分で思いのままに決められるとしたら――――
 もっと飲みやすくなるだろう。もっと美味しくもなるだろう。もっと――――もっと――――
 その味を知ってしまったら。その工夫を楽しいと感じてしまったら。きっと……もう、戻れなくなる
 だろう。
 だから、不味いコーヒーを飲み続けるのだ。この世界はつまらなく、愚かで、不味いものでなくては
 ならない。

(それが――――なぜわからない? イース!)


「待て! 暢気にコーヒーなど飲んでる場合じゃないぞ。他の二人のプリキュアが来たようだ」
「見ているよ、それで?」

「ふざけるな! イースはナケワメーケを呼び出せないんだぞ」
「それで僕たちが助けに駆けつけると? イースはそんなことは望まないよ」
「では、見殺しにすると言うのか!」
「彼女たちにイースが殺せるのならばね。僕には、どうしてイースにだけ支給されなかったのかわかる
 気がするよ」


 スクリーンの中では、二人の死闘が激しさを増していた。殺意があろうと無かろうと、死力を尽くし
 た戦いであるのも事実だった。
 もともとボロボロのイースの身体。それがキュアピーチと接触するたびに傷つき、壊れていく。
 仲間の二人はすぐには参戦しない様子だったが、それも戦況しだいだろう。イースに勝ち目など全く
 無いに等しかった。


「もういい!」
「どこに行くんだい?」

「トイレだ!」


 苛立ちをぶつけるように、拳をスクリーンを叩きつけてウエスターが部屋を出る。
 その衝撃でスクリーンにノイズが走り、すぐに全ての機能を失った。
 しぶしぶ修理に取り掛かるべく、サウラーは立ち上がり本を置いた。その本は上下が逆さまだった。







 『翼をもがれた鳥(第二話)――――飛べない鳥は大地を駆ける――――』







 フラフラとよろめきながら、イースは館を目指し歩き続ける。
 たった数百メートルの距離が、今の少女には果てしなく遠い道のりに思えた。

 その表情は苦悶の色を浮かべ――唇をきつくかみ締めて。
 その足取りは重く、膝は震え――時折、全身を戦慄かせて。


(せつなっ――せつな――せつなさん)

 一度もイースとは呼ばれなかった。ラブだけでなく――――その仲間にまで。
 彼女たちは消えて欲しいのだろう。少女の本当の姿に――――イースに。

 当然だと思う。イースは街を破壊してきた――奴らを傷付けてきた――憎むべき敵。

 だけど、少女が消したかったのは偽りの自分。ラブが親友と信じる普通の女の子――――東 せつな。


 始めは任務のために近づいた。
 いや――――それも嘘だ。初めて会ったあの日から、ラブの笑顔を見たあの瞬間から――――ずっと
 気になっていた。なぜ気になるのかが知りたかった。

 ラブに惹かれ、ラブに合わせてせつなを演じた日々。

 楽しいと――――感じるようになった。
 苦しいと――――感じるようになった。

 徐々に少女の中にせつなの部分が大きくなり、イースの心が押しやられていった。

 だけど――――それでも、せつななんて子は居ない。それは少女自身が一番よくわかっていた。
 せつなは――――夢。孤独な少女が描いた――――悲しい妄想。

 荒い息の合間に、苦しげに呟く。


「我が名はイース。ラビリンス総統メビウス様が――僕」


 その言葉も――もう少女を励ましてはくれなかった。

 ラブたちはイースをである自分を受け入れてはくれない。
 そして――――ラビリンスにも――――
 メビウス様の元にも――――

 もう――――自分の居場所はなくなりつつあるのを感じていた。

 腰に手を当てる。
 何も無い――――もう――――何も無かった。

 忠誠と信頼の証であったナキサケーベのカードは、全て無駄にしてしまった。
 ナケワメーケの源であるパワーストーンも、支給が切られてしまった。

 仕えるべき主から見放され
 倒すべき敵から、情けをかけられ
 出し抜いたはずのウエスターとサウラーすら
 もう――――手の届かない存在になってしまった。


 こんなはずじゃなかった。
 こんなはずじゃ……なかった。


 どうして世界はこんなにも――――自分に冷たいのだろうと思った。


 小石に足を取られて地面に叩きつけられる。
 無様――――
 情けなさ――そして、悔しさ――――
 浮かんできそうになる涙を懸命に堪える。
 この上泣くなんて――あまりにも自分が惨めだったから。


「痛っ……痛い……つっ……くっ……」


 打ち付けた体が痛かった。
 ピーチを殴った拳が痛かった。
 彼女に殴られた身体が痛かった。
 そして――――何より心が痛かった。


 言葉にして――――気が付く。

 痛いということ。それはまだ、生きているんだってこと。


 残った力の全てを振り絞って立ち上がる。
 まだ――――だ。
 まだ――――完全に見放されたわけではない。
 自分がまだ、生きていられることがその証し。
 きっと、見ているんだ。メビウス様は――――今、この時も。
 ならば見せなくてはならない。イースの忠誠を――――戦う姿を。
 例え――――この身が砕け散ろうとも。身体一つで戦わなくてはならないのだとしても。


「我が名は……イース。ラビリンス総統メビウス様が……」


 改めて誓いを口にする。その言葉を言い切らぬうちに視界が暗転する。
 意識が闇に落ちる。身体が崩れ落ちる。
 だが、そんなイースを受け止めたのは固く冷たい地面ではなく――――太く、力強い腕だった。







 キュアピーチは地面に転んだ後、そのまま一歩も動けずにいた。
 疲れていた。傷付いていた。だが――――それはイースも同じだったはず。

 追いかければ、手が届いたはずだった。でも――できなかった。

(どうして……どうして……どうして……)

 ピーチの――――ラブの胸にかつて経験したことのない感情が沸き上がる。

 それは怒りでもなく、悲しみでもなく。悔しさでもなく。後悔ですらない。
 強いていうなら虚無感。目の前で失ってしまったものを受け入れることができない。
 できないのに――――体が、心が、それ以上何かをすることを拒むかのようだった。

 全てを賭けて戦った。全身全霊で想いを伝えた。だって――――友達だから! 何物にも代えられな
 い大切な人だから!
 伝わったはず――伝えられたはずだった。
 この身に刻まれたのと同じくらいに――――イースの、せつなの身にも刻めたはずだった。

 でも――――返ってきたのは明確な拒絶。
 怒りにまかせて言い放った言葉なら良かった。それは虚勢だと、意地でしかないと跳ね除けることも
 できた。
 穏やかな表情。静かに伝えてきた意思。想いの全てを込めて伝えた――――それをしっかりと受け止
 めた上での返事だった。

 どうして……どうしてわかってもらえないのだろう。
 自分の……何がいけなかったのだろう。


「ラブ……もう、帰りましょう」
「お疲れ様、ラブちゃん。力に――なれなくてごめんなさい」

「美希たん、ブッキー……いたの……せつなはちゃんと……せつなだった……なのに」

 それは二人も十分に感じていた。ただ――見ていたわけではない。
 彼女たちも一緒に戦っていた。ラブと――心を一つにして。
 信じて見守るという、最も苦しい手段で一緒に戦っていた。そして――一緒に傷を受けていた。

 変身を解除したラブを二人は家に送り届けた。
 ラブはその後、一言も話すことはなかった。美希も祈里もまた、何も話しかけることができなかった。
 今、ラブの頭の中にあるのはせつなのことだけ。

 今も語りかけているのだろう。そして――――その度に拒絶されているのだろう。その度に――――
 絶望しているのだろう。

 心配して部屋に上がろうと持ちかけた美希と祈里に、首を振って拒否の意思を伝える。しばらく一人
 になりたいと。

 もう――――美希も声をかけることができなかった。
 美希もまた――見てしまったから。イースの――――せつなの葛藤を。悩み、苦しみながら、精一杯
 に生きているんだってことを。
 溢れんばかりの想いをぶつけあっていた。姑息な手段で騙していたんじゃない。せつなもまた――
 ――ラブと真剣に向かい合っていたんだ。

 どうせ戦うなら――――悪が良かった。テレビや漫画に出てくるような、邪悪で救いの無い怪人が良
 かった。
 同じくらいの女の子。友達として知り合ってしまった女の子。立場が違うだけの女の子。そんなのは
 ――――あんまりだ。


「……ちゃん、美希ちゃん。聞いてる?」
「あ……ごめんなさい、ブッキー」


 気が付くと祈里が心配そうに覗き込んでいた。彼女もまた、顔色が悪かった。きっと同じことを考え
 ていたのだろう。


「せつなさんも、泣いてるみたいだったね」
「うん……」


 直接、ラブのように涙を流していたわけではない。でも、戦いの中であげた叫び声は悲痛だった。
 ラブに語りかけた声には、思いつめたような苦しみが感じられた。
 脅えているように――――見えた。
 震えているように――――見えた。
 繰り出す攻撃は激しいのに――――それすら、まるで子供が駄々をこねているように見えた。


「ラブ……大丈夫かな」
「わからない……」

「アタシたちは……戦えるのかな」
「わからない……」

「美希ちゃんがそんなこと言うなんて――――わからない!」
「ごめん……」


 祈里の我慢してた涙腺が一気に崩壊する。美希は己の迂闊さを恥じた。もともとこの娘は、ナケワメ
 ーケと戦うことにすら躊躇するような大人しい子だったのに。
 ごめん、ごめん、ごめん。何度も謝りながら祈里を抱き寄せた。

 出会えば、ラブはまた同じことをしようとするだろう。
 でも美希にも祈里にも、もうせつなの説得が無理なのはわかっていた。
 きっとまた、自分たちの前にせつなが立ちはだかってくるのもわかっていた。


「アタシたちで止めよう、ブッキー。ラブのためにも、これ以上せつなに罪を重ねさせるわけにはいか
 ない」
「うん――美希ちゃん。わたしも――頑張るから」


 説得できないのなら――――倒すこともできないのなら――――
 力づくで止める! 無理やりにでも止めさせる! 無駄だと諦めさせる!
 長い戦いにはならないだろう。せつなもまた、追い詰められているようだったから。
 厳しい戦いにはなるだろう。でも、参加できるだけ今日よりはマシだと思えた。二人は静かに勝利を
 誓い合った。







「ここは……」


 大きな洋風の部屋。豪華だが温かみの感じられない調度品の数々。
 小さく調整された灯り。真っ白なカーテンから覗く暗い景色と、ゆるやかに吹き付けるひんやりとし
 た風。
 豊富な空間にありながら、ほとんど何も置かれていない私物。まるで生活観の感じられないその部屋
 は、確かに彼女の私室だった。

 イース――――戦闘服を解かれてせつなと呼ばれる姿に戻った少女は、混乱した頭を整理していく。

 ここは……ベッド――――なぜ?
 体中に巻かれた包帯。不器用で、下手糞な手当ての跡。

 何気なく伸ばした手が固いものに触れる。
 黄色いパワーストーン。

 やっと理解する。自分はウエスターに助けられたのだと。
 恥ずかしさと共に、怒りがこみ上げてくる。

 余計な事を! 奴の手など借りなくても、少し休めば自力で帰還できた。
 見ていたのか――――あの無様な負けっぷりを!
 自分が見ていろと言って出かけたことなど、すっかり記憶から抜け落ちていた。

 またしても惨めな気持ちがこみ上げてくる。
 プリキュアに――――敵に破れ、情けをかけられてきたばかりなのに。
 ウエスターなどに――――蹴落とすべきライバルにまで施しを受ける体たらく。


 枕元に置かれたパワーストーンを手に取る。
 しびれが来るほどの強烈な力を感じる。

 これが――――ウエスターのパワーストーン。彼の力で強化されたナケワメーケの源。
 特殊能力ならサウラー。破壊力ならウエスター。それぞれの生み出すナケワメーケは強力だった。

 彼女の力で生み出すナケワメーケでは――――既にプリキュアには通用しなくなっていた。
 だからこそ――――せつなとして近づくしかなかったのだ。
 命を削る覚悟で、ナキサケーベを召還するしかなかったのだ。

 悔しさに目の前が真っ暗になる。
 手にしたソレを床に叩きつけようとして――――思いとどまった。

 もう――――自分には支給されなくなった物。
 これが――――最後のチャンスかもしれないと。


“スイッチ・オーバー”


 イースに戻り、ウエスターのパワーストーンに念を送り込む。
 徐々に黄色から赤色に染まっていき、やがて真紅の輝きを放つ。

 イースを新しい主として受け入れたパワーストーン。その強烈な力に反応して、持つ手に震えが走る。

(今は貸しを作ったつもりでいるがいい。これほどの力を持ちながら、成果を得られなかった無能さを
 思い知らせてやる)

 次が本当に最後のチャンスとなるはず。迫る戦いに必勝を誓う。

 もう、イースに迷いはなかった。もともと選択肢などないのだ。無いものねだりしたところで、無か
 ら何かが生まれるはずもない。出来ることを精一杯やるだけではないか。
 忠実なる僕として、己が使命を全うする。それでどのような結果になろうとも、それが自分の人生な
 のだろう。

 心を決めたら疲労が押し寄せてきた。わずかに回復した力も、今ので使い果たしてしまった。
 今は――――休息が必要だった。
 お腹は空いていたが、食事を取る気力は湧いてこなかった。
 イースはパワーストーンを握ったままベッドに倒れこんだ。そして、深い眠りについた。



み-382
最終更新:2010年11月12日 21:39