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避2-580

「さっ、帰ろう。せつなっ!」


 せつなはラブに手を引かれる。そして、圭太郎とあゆみに挟まれるようにして歩き出した。
 全員と、おそるおそる顔を合わせる。その全てから返ってくる優しい微笑み。
 せつなは安心してついていく。
 これは夢なんじゃないかって疑いながら。
 もしも夢なら、もう少しだけ覚めないでほしいと願いながら。

 やがて一件の家の前に着く。優しい肌色の壁に、ピンクの屋根。赤い色のひさし。
 手入れの行き届いた広めの庭。二階には植物を這わせてあるバルコニー。
 決して大きくは無いけれど、温かみを感じさせる家だった。


「ここがあたしの家だよ、せつな」
「そして、今日から君の家でもある」
「ようこそ桃園家へ、せつなちゃん。ううん、せっちゃんね」

「えっ?」


 それまで後ろを歩いていた圭太郎とあゆみが前に出る。
 家の扉を開けて、せつなを迎え入れる。
 そして、あゆみが満面の笑みでせっちゃんと呼んだ。せつなは意味がわからずキョトンとする。


「いいでしょ? だって、今日から家族になるんですもの」
「そうだな、家族だ。僕もせっちゃんと呼ぼう」

「だめかしら?」


 不安そうな顔で、あゆみがせつなの様子をうかがう。
 びっくりして、声が出せなかった。
 せつなは住まいを与えてもらったつもりでいた。一緒に住むことを許してもらえる。そう思っていた。
 家族として迎える? 自分に、家族ができる? 素性も知れないのに、どうして……。

 たった一言が、せつなの心を激しく揺さぶる。大きすぎる愛情が、せつなの小さな体には収まりきらない。
 笑顔すら作ることができなくて――――
 ただ、大きく首を振った。

 これじゃ駄目、これじゃ肯定か否定かすらわからない。ううん――――自分でもよくわかっていない。

 何か言わなくちゃ。せつなは懸命に言葉を探すが、何も出てこない。
 心は喜びに震える。理性は玄関から先に進むのを拒否する。ここは駄目だ。ここは温かすぎるって。

 そんなせつなの手をラブが引いた。早く上がろうって。
 つんのめるように、バランスを崩してせつなが家の中に上がりこむ。
 転びそうになったせつなをあゆみが支えた。自然と抱き寄せるような格好になる。
 上がってしまったことで、温もりを感じてしまったことで、せつなの最後の自制心が砕けてしまった。
 必死に涙をこらえながら、たった一言だけ、やっとの思いで紡いだ。

「よろしくお願いします」


 あゆみの――――腕の中で。







 『翼をもがれた鳥(第十二話)――――帰るべき場所――――』







 夜も遅い時間、もう起きている家庭は少ない。そんな中、居間とキッチンに煌々と照明が灯る。
 決して大きくは無い部屋。木材をふんだんに使い、温かみのある色合いで整えられた生活空間。
 ところどころに配置された観葉植物。
 絨毯、カーテン、座布団、いくつもの装飾品。果ては食器に至るまで、工夫と遊び心に溢れていた。
 各々が好きな形、好きな色合いで揃えてきたのだろう。
 生活観のある温かい部屋。それは、せつなにとって初めて目にする世界だった。
 決して美しくはない。なのに、どうしてだろう。
 こんなにも――――心が惹かれるなんて。
 こんなにも温かくて――――心が安らぐなんて。


「せっちゃん、もしかしてずっと食べてないの?」
「あ、はい……」

「そう、じゃあ急にしっかりした物を食べるのも良くないわね」


 あゆみは冷蔵庫の中を思い出しながら思案する。
 せつなは、その様子を不思議そうに見つめる。
 あゆみ……おばさま。ラブの母親。病室で一回会ったらしい、それだけの関係。
 怪我をしているはずだった。それなのに、当たり前のように、せつなのお腹の具合を最優先に考えている。
 ラブも当然と受け止めている様子だった。救急箱を取り出して、テキパキとあゆみの手当てをしていった。


「何か作っておくから、もう少し我慢して先にお風呂を済ませていらっしゃい」
「それより、お怪我は大丈夫ですか?」

「大したこと無いわ。ラブ、ここはいいからせっちゃんを案内してあげて」
「うん。こっちだよ、せつな」


 お風呂場に案内される。シャンプー、リンス、ソープ。お湯の出し方なんかを教えてもらう。
 心細そうな表情をしていたのだろうか、ラブが一緒に入ろうかと申し出る。せつなはびっくりして断った。


「タオルはあたしのを使ってね。パジャマもサイズ一緒だと思うんだ」
「ありがとう」


 何日ぶりかのお湯の感覚に身をゆだねる。緊張がほぐれ、現実感が増してくる。
 これは夢じゃない。夢に見ることすら、許されないと思うのに。

 せつなはふと気が付く。やっと一人になれたことに。押し寄せる愛情に流されるようにここに来てしまった。
 ラブだけじゃない。ほとんど面識の無いご両親までもが自分を愛そうとしている。
 この世界に来て、人々の暮らしを学んで、ずいぶんわかったつもりになっていた。
 ほんとうは、何もわかってなかったんだと気が付く。
 信頼とは、一つ一つの積み重ねで築いていくものなんじゃないのか。
 愛情とは、一日一日の積み重ねで育てていくものなんじゃないのか。
 この家の人たちは、信じることから始めようとしている。愛することから始めようとしている。
 何のために? それだけはわかる。東 せつなという少女の――――幸せのためにだ。

 だけど――――どうして。
 それだけは、いくら考えてもわからなかった。

 お風呂から上がり、ラブのピンク色のパジャマに袖を通す。髪を梳いて鏡を見る。
 嬉しそうな、でも、不安そうな顔をしていた。笑っているのか、泣いているのかわからないような表情だった。
 何度か、笑顔の練習をする。今度は任務じゃなくて、自分自身のために。
 自分を受け入れようとしてくれている、やさしい人を安心させるために。


「まあっ! すごく可愛いわ。見違えたわよ、せっちゃん。ラブのパジャマも似合ってるわね」
「でしょ~。せつなってすごく素敵なんだよ」
「私はそんなんじゃ……」


 ラブはまるで自分が誉められたかのように、エッヘンと胸を張りながら自慢する。
 あゆみが最初にせつなと出会ったのは病室だった。そして、次は暗い公園だった。
 この家に来てからも、乱れた服装と髪ではさすがの美貌も大きく損ねられていた。

 柔らかな黒髪が艶を帯びて輝く。透き通るような真っ白な肌が、お湯に温められてほんのり赤く染まる。
 緊張していた硬い表情が、お風呂でリラックスすることによって柔らかく解ける。
 今、目の前にいるせつなは、滅多に見かけないほどに美しく可愛らしい子だった。

 せつなは容姿を誉められて赤くなる。自分は美しい。それを意識するようになったのはラブと出会ってからだった。
 ラビリンスで容姿を誉められることはない。美しくて当然だから。個人差はあっても、全員がそうだから。
 目立ちすぎるのは好ましくない。そう気がついてからは、わざと地味な服装を好んだ。
 でも、美しく見せるのもその逆も、全ては任務のため。自分の容姿に関心を持ったことなんてなかった。

 自分の胸に湧き上がる感覚に動揺する。
 誉められて、嬉しい。そして、恥ずかしい。
 相手に好かれたい。より好感を持ってもらいたい。そんな気持ちが働いているのだろうか?
 それだけではないような気がした。相手が喜んでくれているのが嬉しい。自分の姿が相手に笑顔を与えているのが嬉しい。
 相手の反応が嬉しい。これも、初めての体験だった。


「はい、できたわ。雑炊を作ってみたの。これなら消化もいいから」
「ありがとう。いただきます」


 レンゲを持つ手が震える。手を付けるのが恐れ多くて――――
 それは、これまで口にしてきた食事とは、全く違ったものだと思った。
 栄養を補給し、命を繋ぐための配給品ではない。
 せつなの空腹を満たすために、せつなを笑顔にするために、心を込めて作られたもの。
 生まれて初めて口にする、せつなのためだけに作られた食事だった。

 動かないせつなの手に、あゆみの手が添えられる。
 見上げると、優しい微笑があった。

 湯気の立ち昇る雑炊を、せつなは上品に口に運ぶ。
 食べるのは初めてだが、作法は心得ている。潜入を得意とするせつなは、そういった術に長けていた。
 しかし、それも始めの数口のこと。やがて急くように、夢中になって食べ始めた。
 柔らかな味と香りが口の中で広がる。温かなスープが、疲労と空腹で弱った体に染み渡る。


「おいしい。すごく――――おいしいです」
「そう、よかった」

「あのっ!」
「お話は明日にしましょう。今夜は食べたら休みなさい」


 食事を終えて、あゆみと圭太郎に挨拶をする。
 ラブにつられるように、せつなもたどたどしく口にして、深々と頭を下げる。


「おやすみなさい」


 知識はあった。ラビリンスにだってその習慣はあった。でも、それを実際に口にするのは初めてだった。
 嬉しくて、恥ずかしくて、くすぐったくて、温かな気持ちになる。
 家族ができた。そんな実感があらためて胸に湧き上がる。
 そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。


「せつなの部屋は明日みんなで作ろうね。今夜はあたしの部屋でいいよね」
「うん、ありがとう」

「あ、タル! じゃなくて、ちょっと待ってて。少し部屋片付けてくるから」
「うん、わかった」

「おまたせ、入って!」
「お邪魔します」


 ラブの部屋に入れてもらう。ミユキという女性のポスターが貼ってあることに気がつく。
 ダンスユニット、トリニティのリーダー。ラブの憧れの人で、ダンスのコーチ。
 そして、四人目のプリキュアとおぼしき人物。
 せつなが何度も襲い――――傷付けた人。
 ラブとの仲を裂こうと企んだこともあった。

 ズキン! と胸が痛む。

 自分はどうしてここにいるんだろう? そんな資格なんてあるはずがないのに。
 手に持った幸せの素の欠片を握りしめる。それを砕いたのも自分なのに。
 ラブにすがる資格なんて、あるはずがないのに。

 言わなくちゃ! 苦しくても、辛くても、これ以上ラブを欺くなんて許されない。
 自分が――――許さない!


「ラブ、聞いて。ミユキ……さんとの占いは嘘だったの。あなたたちを別れさせるために、私は!」
「もう……いいよ。もう、いいから泣かないで。あたしまで悲しくなっちゃうよ」

「よくないわっ! 私は他にも――――」
「守るからっ! せつなは、あたしが守るから。どんなことからも守るから……」


 だから、もう悲しいお話はやめようよ。ラブはそう言ってせつなに抱きついた。
 その体が、ラブの体が震えていることに気がついた。
 ラブも傷付いていたんだって、今さらながらにやっと気がついた。明るく振舞っていたからわからなかった。
 ラブだってこの二日間、不休で自分を探し続けていたんだって。
 いつだってそう。自分はラブを傷付けてばかりいる。自分と出会ってから、ラブは悲しい顔ばかりするようになった。

 私は泣いてなんかいないわ。せつなはそう言おうとして、本当に涙が出てきた。
 懺悔するように、きつく欠片を握りしめる。それに、ラブが気がついて尋ねた。


「せつな、何を持っているの?」
「これは――――」


 とっさに隠そうとして、思いとどまる。これも、自分の罪。
 何より、ここまで尽くしてくれているラブに、隠し事なんて許されるはずが無かった。
 そっと、手を開いて差し出す。


「ごめんなさい。これしか――――見つからなかったの」
「探してくれたんだ……。ありがとう、せつな」


 両手に乗せて、差し出そうとした。その手の上からラブは自分の手を被せて握らせる。


「きっと、見つかるよ。見つけようよ、せつなの幸せ」
「私は、私には――――」


 ラブは幸せの素の欠片を一緒に握ったまま、優しく語りかける。
 きっと、砕け散った欠片の、その残った一つがせつなの分だったんだと。
 だから、大丈夫だって。砕けた部分は、自分と美希と祈里で埋めるからって。

 その夜は、ラブのベッドで一緒に眠ることになった。
 布団は他にもあるけど、バタバタしてて干すのも忘れてたからって。
 ラブは嬉しそうに体を寄せてくる。これからは、毎日一緒だねって。
 いくらもしないうちに寝息を立てはじめる。

 あまりにも無防備で、信頼しきっていて、それだけに愛しかった。
 ラブの鼓動を聞きながら、その温かな体温を感じながら、せつなは想いにふける。

 ラブにも、ご両親にも言えなかった。違う、口に出してはいけない気持ち。
 幸せはとっくに見つかっている。そして、浸っている。
 でも、自分にはそれを手に入れる資格はないんだって。
 この素敵な家も、優しい家族も、温かな食事やおふとんも、自分には過ぎたもの。
 だから、こうしている間も自分は罪を重ねているんだって。

 それでも、今はこの優しさに甘えよう。この温もりに、身をゆだねよう。
 自分には、やらなければならないことがあるのだから。
 その時がきたら、きっと全てを清算しよう。
 その時がきたら、この命を正しく使おう。
 そして――――必ず守ってみせるから。

 ラブの幸せそうな笑みを浮かべた寝顔に、せつなはそっと、そう誓うのだった。



最終更新:2011年02月19日 01:58