「さっ、帰ろう。せつなっ!」
せつなはラブに手を引かれる。そして、圭太郎とあゆみに挟まれるようにして歩き出した。
全員と、おそるおそる顔を合わせる。その全てから返ってくる優しい微笑み。
せつなは安心してついていく。
これは夢なんじゃないかって疑いながら。
もしも夢なら、もう少しだけ覚めないでほしいと願いながら。
やがて一件の家の前に着く。優しい肌色の壁に、ピンクの屋根。赤い色のひさし。
手入れの行き届いた広めの庭。二階には植物を這わせてあるバルコニー。
決して大きくは無いけれど、温かみを感じさせる家だった。
「ここがあたしの家だよ、せつな」
「そして、今日から君の家でもある」
「ようこそ桃園家へ、せつなちゃん。ううん、せっちゃんね」
「えっ?」
それまで後ろを歩いていた圭太郎とあゆみが前に出る。
家の扉を開けて、せつなを迎え入れる。
そして、あゆみが満面の笑みでせっちゃんと呼んだ。せつなは意味がわからずキョトンとする。
「いいでしょ? だって、今日から家族になるんですもの」
「そうだな、家族だ。僕もせっちゃんと呼ぼう」
「だめかしら?」
不安そうな顔で、あゆみがせつなの様子をうかがう。
びっくりして、声が出せなかった。
せつなは住まいを与えてもらったつもりでいた。一緒に住むことを許してもらえる。そう思っていた。
家族として迎える? 自分に、家族ができる? 素性も知れないのに、どうして……。
たった一言が、せつなの心を激しく揺さぶる。大きすぎる愛情が、せつなの小さな体には収まりきらない。
笑顔すら作ることができなくて――――
ただ、大きく首を振った。
これじゃ駄目、これじゃ肯定か否定かすらわからない。ううん――――自分でもよくわかっていない。
何か言わなくちゃ。せつなは懸命に言葉を探すが、何も出てこない。
心は喜びに震える。理性は玄関から先に進むのを拒否する。ここは駄目だ。ここは温かすぎるって。
そんなせつなの手をラブが引いた。早く上がろうって。
つんのめるように、バランスを崩してせつなが家の中に上がりこむ。
転びそうになったせつなをあゆみが支えた。自然と抱き寄せるような格好になる。
上がってしまったことで、温もりを感じてしまったことで、せつなの最後の自制心が砕けてしまった。
必死に涙をこらえながら、たった一言だけ、やっとの思いで紡いだ。
「よろしくお願いします」
あゆみの――――腕の中で。
夜も遅い時間、もう起きている家庭は少ない。そんな中、居間とキッチンに煌々と照明が灯る。
決して大きくは無い部屋。木材をふんだんに使い、温かみのある色合いで整えられた生活空間。
ところどころに配置された観葉植物。
絨毯、カーテン、座布団、いくつもの装飾品。果ては食器に至るまで、工夫と遊び心に溢れていた。
各々が好きな形、好きな色合いで揃えてきたのだろう。
生活観のある温かい部屋。それは、せつなにとって初めて目にする世界だった。
決して美しくはない。なのに、どうしてだろう。
こんなにも――――心が惹かれるなんて。
こんなにも温かくて――――心が安らぐなんて。
「せっちゃん、もしかしてずっと食べてないの?」
「あ、はい……」
「そう、じゃあ急にしっかりした物を食べるのも良くないわね」
あゆみは冷蔵庫の中を思い出しながら思案する。
せつなは、その様子を不思議そうに見つめる。
あゆみ……おばさま。ラブの母親。病室で一回会ったらしい、それだけの関係。
怪我をしているはずだった。それなのに、当たり前のように、せつなのお腹の具合を最優先に考えている。
ラブも当然と受け止めている様子だった。救急箱を取り出して、テキパキとあゆみの手当てをしていった。
「何か作っておくから、もう少し我慢して先にお風呂を済ませていらっしゃい」
「それより、お怪我は大丈夫ですか?」
「大したこと無いわ。ラブ、ここはいいからせっちゃんを案内してあげて」
「うん。こっちだよ、せつな」
お風呂場に案内される。シャンプー、リンス、ソープ。お湯の出し方なんかを教えてもらう。
心細そうな表情をしていたのだろうか、ラブが一緒に入ろうかと申し出る。せつなはびっくりして断った。
「タオルはあたしのを使ってね。パジャマもサイズ一緒だと思うんだ」
「ありがとう」
何日ぶりかのお湯の感覚に身をゆだねる。緊張がほぐれ、現実感が増してくる。
これは夢じゃない。夢に見ることすら、許されないと思うのに。
せつなはふと気が付く。やっと一人になれたことに。押し寄せる愛情に流されるようにここに来てしまった。
ラブだけじゃない。ほとんど面識の無いご両親までもが自分を愛そうとしている。
この世界に来て、人々の暮らしを学んで、ずいぶんわかったつもりになっていた。
ほんとうは、何もわかってなかったんだと気が付く。
信頼とは、一つ一つの積み重ねで築いていくものなんじゃないのか。
愛情とは、一日一日の積み重ねで育てていくものなんじゃないのか。
この家の人たちは、信じることから始めようとしている。愛することから始めようとしている。
何のために? それだけはわかる。東 せつなという少女の――――幸せのためにだ。
だけど――――どうして。
それだけは、いくら考えてもわからなかった。
お風呂から上がり、ラブのピンク色のパジャマに袖を通す。髪を梳いて鏡を見る。
嬉しそうな、でも、不安そうな顔をしていた。笑っているのか、泣いているのかわからないような表情だった。
何度か、笑顔の練習をする。今度は任務じゃなくて、自分自身のために。
自分を受け入れようとしてくれている、やさしい人を安心させるために。
「まあっ! すごく可愛いわ。見違えたわよ、せっちゃん。ラブのパジャマも似合ってるわね」
「でしょ~。せつなってすごく素敵なんだよ」
「私はそんなんじゃ……」
ラブはまるで自分が誉められたかのように、エッヘンと胸を張りながら自慢する。
あゆみが最初にせつなと出会ったのは病室だった。そして、次は暗い公園だった。
この家に来てからも、乱れた服装と髪ではさすがの美貌も大きく損ねられていた。
柔らかな黒髪が艶を帯びて輝く。透き通るような真っ白な肌が、お湯に温められてほんのり赤く染まる。
緊張していた硬い表情が、お風呂でリラックスすることによって柔らかく解ける。
今、目の前にいるせつなは、滅多に見かけないほどに美しく可愛らしい子だった。
せつなは容姿を誉められて赤くなる。自分は美しい。それを意識するようになったのはラブと出会ってからだった。
ラビリンスで容姿を誉められることはない。美しくて当然だから。個人差はあっても、全員がそうだから。
目立ちすぎるのは好ましくない。そう気がついてからは、わざと地味な服装を好んだ。
でも、美しく見せるのもその逆も、全ては任務のため。自分の容姿に関心を持ったことなんてなかった。
自分の胸に湧き上がる感覚に動揺する。
誉められて、嬉しい。そして、恥ずかしい。
相手に好かれたい。より好感を持ってもらいたい。そんな気持ちが働いているのだろうか?
それだけではないような気がした。相手が喜んでくれているのが嬉しい。自分の姿が相手に笑顔を与えているのが嬉しい。
相手の反応が嬉しい。これも、初めての体験だった。
「はい、できたわ。雑炊を作ってみたの。これなら消化もいいから」
「ありがとう。いただきます」
レンゲを持つ手が震える。手を付けるのが恐れ多くて――――
それは、これまで口にしてきた食事とは、全く違ったものだと思った。
栄養を補給し、命を繋ぐための配給品ではない。
せつなの空腹を満たすために、せつなを笑顔にするために、心を込めて作られたもの。
生まれて初めて口にする、せつなのためだけに作られた食事だった。
動かないせつなの手に、あゆみの手が添えられる。
見上げると、優しい微笑があった。
湯気の立ち昇る雑炊を、せつなは上品に口に運ぶ。
食べるのは初めてだが、作法は心得ている。潜入を得意とするせつなは、そういった術に長けていた。
しかし、それも始めの数口のこと。やがて急くように、夢中になって食べ始めた。
柔らかな味と香りが口の中で広がる。温かなスープが、疲労と空腹で弱った体に染み渡る。
「おいしい。すごく――――おいしいです」
「そう、よかった」
「あのっ!」
「お話は明日にしましょう。今夜は食べたら休みなさい」
食事を終えて、あゆみと圭太郎に挨拶をする。
ラブにつられるように、せつなもたどたどしく口にして、深々と頭を下げる。
「おやすみなさい」
知識はあった。ラビリンスにだってその習慣はあった。でも、それを実際に口にするのは初めてだった。
嬉しくて、恥ずかしくて、くすぐったくて、温かな気持ちになる。
家族ができた。そんな実感があらためて胸に湧き上がる。
そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。
「せつなの部屋は明日みんなで作ろうね。今夜はあたしの部屋でいいよね」
「うん、ありがとう」
「あ、タル! じゃなくて、ちょっと待ってて。少し部屋片付けてくるから」
「うん、わかった」
「おまたせ、入って!」
「お邪魔します」
ラブの部屋に入れてもらう。ミユキという女性のポスターが貼ってあることに気がつく。
ダンスユニット、トリニティのリーダー。ラブの憧れの人で、ダンスのコーチ。
そして、四人目のプリキュアとおぼしき人物。
せつなが何度も襲い――――傷付けた人。
ラブとの仲を裂こうと企んだこともあった。
ズキン! と胸が痛む。
自分はどうしてここにいるんだろう? そんな資格なんてあるはずがないのに。
手に持った幸せの素の欠片を握りしめる。それを砕いたのも自分なのに。
ラブにすがる資格なんて、あるはずがないのに。
言わなくちゃ! 苦しくても、辛くても、これ以上ラブを欺くなんて許されない。
自分が――――許さない!
「ラブ、聞いて。ミユキ……さんとの占いは嘘だったの。あなたたちを別れさせるために、私は!」
「もう……いいよ。もう、いいから泣かないで。あたしまで悲しくなっちゃうよ」
「よくないわっ! 私は他にも――――」
「守るからっ! せつなは、あたしが守るから。どんなことからも守るから……」
だから、もう悲しいお話はやめようよ。ラブはそう言ってせつなに抱きついた。
その体が、ラブの体が震えていることに気がついた。
ラブも傷付いていたんだって、今さらながらにやっと気がついた。明るく振舞っていたからわからなかった。
ラブだってこの二日間、不休で自分を探し続けていたんだって。
いつだってそう。自分はラブを傷付けてばかりいる。自分と出会ってから、ラブは悲しい顔ばかりするようになった。
私は泣いてなんかいないわ。せつなはそう言おうとして、本当に涙が出てきた。
懺悔するように、きつく欠片を握りしめる。それに、ラブが気がついて尋ねた。
「せつな、何を持っているの?」
「これは――――」
とっさに隠そうとして、思いとどまる。これも、自分の罪。
何より、ここまで尽くしてくれているラブに、隠し事なんて許されるはずが無かった。
そっと、手を開いて差し出す。
「ごめんなさい。これしか――――見つからなかったの」
「探してくれたんだ……。ありがとう、せつな」
両手に乗せて、差し出そうとした。その手の上からラブは自分の手を被せて握らせる。
「きっと、見つかるよ。見つけようよ、せつなの幸せ」
「私は、私には――――」
ラブは幸せの素の欠片を一緒に握ったまま、優しく語りかける。
きっと、砕け散った欠片の、その残った一つがせつなの分だったんだと。
だから、大丈夫だって。砕けた部分は、自分と美希と祈里で埋めるからって。
その夜は、ラブのベッドで一緒に眠ることになった。
布団は他にもあるけど、バタバタしてて干すのも忘れてたからって。
ラブは嬉しそうに体を寄せてくる。これからは、毎日一緒だねって。
いくらもしないうちに寝息を立てはじめる。
あまりにも無防備で、信頼しきっていて、それだけに愛しかった。
ラブの鼓動を聞きながら、その温かな体温を感じながら、せつなは想いにふける。
ラブにも、ご両親にも言えなかった。違う、口に出してはいけない気持ち。
幸せはとっくに見つかっている。そして、浸っている。
でも、自分にはそれを手に入れる資格はないんだって。
この素敵な家も、優しい家族も、温かな食事やおふとんも、自分には過ぎたもの。
だから、こうしている間も自分は罪を重ねているんだって。
それでも、今はこの優しさに甘えよう。この温もりに、身をゆだねよう。
自分には、やらなければならないことがあるのだから。
その時がきたら、きっと全てを清算しよう。
その時がきたら、この命を正しく使おう。
そして――――必ず守ってみせるから。
ラブの幸せそうな笑みを浮かべた寝顔に、せつなはそっと、そう誓うのだった。
最終更新:2011年02月19日 01:58