夏の朝の息吹。半開きのカーテンが、風にたなびいて揺らぐ。
緩やかな日差しが、部屋を澄んだ光で満たす。
街の木々は緑濃く輝き、花々は目覚め、美しく咲き誇る。
小鳥はさえずり、命の輝きを歌いだす。
爽やかな朝の訪れ。せつなはゆっくりとまぶたを開く。
素敵な夢を見たような気がした。はっきりと思い出すことはできないけれど。
そして、目を覚ました現実は、その夢よりももっと素敵だった。
気持ちが落ち着く不思議なベッド。柔らかくて、いい匂いのする布団。
せつなの腕に、しがみつくようにして眠っているラブ。
耳元をくすぐる寝息と、ほどいた髪から伝わる甘い香り。寝ぼけて抱きついてきたのだろう。
起こさないように、慎重に腕をほどきながら身を起こした。
こんな風に、人の体温を感じながら眠る日が来るなんて考えたこともなかった。
睡眠には、最も警戒を払うべき。そこに他人を招き入れることは、命を渡すも同然だと思っていた。
いなくなったせつなを、無意識に探しているのだろうか。
ラブがむにゃむにゃ言いながら、ベッドの中をごそごそと動き回る。
せつなはクスッと笑って、自分の枕をラブの腕に預けた。抱きしめたラブは、再び安心して眠りに付いた。
せつなは足音を立てないように、ゆっくりとベランダに向かう。
気のせいかもしれないが、小さな動物の気配を感じたのだ。
「あなたは――――」
カーテンを開いた先から見えたのは、人間のようにちょこんと座ったフェレットの姿だった。
その姿には見覚えがあった。せつなは窓を大きく開けて部屋の中に招き入れる。
その後を付いてくるように、空を飛ぶぬいぐるみも部屋に入る。
フェレットの姿をした生き物は、部屋に入るなり大声で話し始めた。
ラブはまだ寝ているのに……。この生き物はデリカシーがないのかしら? とちょっとだけ眉をしかめる。
「お久しぶりやなあ、せつなはん。ピーチはんから話は聞いてるで!」
「タルトと言ったわね、そちらはシフォンだったかしら。お久しぶり」
「キュアキュア」
ラブもさすがに目を覚まして、慌てて会話に加わった。
一昨日の夜まではラブと同じ部屋で寝ていたのだが、昨日は隣の空き部屋で寝てもらっていた。
せつなが桃園家に来て最初の夜ということで、ラブが気を回したのだった。
ラブはあらためて、せつなにタルトとシフォンを紹介していった。
「タルトとシフォンはね、本当はフェレットやぬいぐるみなんかじゃなくて」
「知ってるわ、タルトはスイーツ王国の妖精ね。シフォンは、ちょっとよくわからないけど」
「シフォンも一応スイーツ王国の妖精やで。の……はずなんやけどなあ」
「せつな、知ってたんだ」
「ええ、スイーツ王国には手を出すな。って諺があるくらい有名よ」
科学の力に頼らず、不思議な能力で発展してきた国。
体一つで異世界を渡り歩く力を持ち、伝説の戦士に護られていると伝えられてきた。
今思えば、それがプリキュアだったのかもしれない。
「せつな、この事はおとうさんとおかあさんには」
「わかってる。内緒にしておけばいいのね」
「よろしく頼むで、せつなはん」
「キュアキュア、せつな~」
「よろしくね、シフォン。としゃべるフェレットさん」
「わいはフェレットちゃうわ! 可愛い可愛いって……今話したばっかやないか!」
「きゃあ! ラブ、怖い」
「タルト、せつなをいじめちゃダメ!」
「いじめられてるんは、わいやがな……」
せつなの顔に浮かぶ悪戯っぽい表情と、そして笑顔。
昨夜から一転して明るいせつなの様子に、ラブも嬉しそうに笑った。
「おばさま、おはようございます」
「おかあさん、おはよう」
せつなの着ていた服はあゆみが洗濯していた。
ラブの洋服の一つを借りて、洗面台に向かったところであゆみと鉢合わせした。
今度はせつなから、おずおずと朝の挨拶をした。
深々と頭を下げてから、そっとあゆみの様子をうかがう。
あゆみは嬉しそうに微笑んだ。せつなも安心して緊張を解く。
「おはよう、せっちゃん、ラブ。それと、せっちゃん。挨拶はおはようでいいのよ」
「――――はい」
何気ない会話の中にも、深い愛情を感じてせつなは瞳を潤ませる。
本当に、家族としてせつなを迎えている。それが感じられるから。ラブも嬉しくなってあゆみに甘えた。
だから、一瞬せつなの表情によぎった苦しげな影に――――誰も気が付くことはなかった。
「今日はせっちゃんのお部屋作りね。せっちゃんにも手伝ってもらうわよ」
「はい!」
「えぇ~! せつなは休ませてあげようよ」
「一緒にするから楽しいのよ。ラブはせっちゃんとお部屋作りしたくないの?」
「あ……やっぱり一緒にやりたい!」
「それじゃあ朝ご飯をすませたらお掃除、そしてお買い物ね」
「はい」
「は~い」
朝食は簡単なメニューだった。それでも、せつなにはどんなご馳走よりも美味しく感じられた。
あゆみとラブとせつなの三人で頂いた。圭太郎は何か探しに行くとかで、朝早くから出かけていた。
せつなの部屋はラブの隣に決まった。
昨夜、タルトとシフォンが寝ていた場所。空き部屋で物置に使われていた。
一度空っぽにしてから、綺麗に掃除する。
といっても、普段から綺麗好きなあゆみの手入れのおかげで、そんなに汚れてはいなかった。
自分の部屋ができる。あるはずのない居場所ができる。
浮かれてはいけないと思いつつも、せつなの胸は期待に膨らんでいく。自然と顔もほころんでいく。
あゆみも、そしてラブも、そんなせつなの様子を嬉しそうに見守った。
「さて、どんなお部屋にしようかしら。せっちゃんは何の色が好き?」
「私は――――」
イメージカラー、その言葉はせつなも知っていた。
部屋のコーディネイトもそう。ファッションもそう。テーマを決めて統一感を持たせる。
ラブはピンク色、美希は青色、祈里は黄色。カラーが個性を与え、また個性がカラーに反映する。
だけど、それは自分には関係のない世界の話だと思っていた。
ラビリンスでは、支給されたものを身に付けるだけだった。与えられた部屋に住むだけだった。
好み? 選択? そんなことが、自分に許されるなんて思ってもいなかった。
そんなものに気を取られるこの世界の住人が、愚かだとすら思っていた。思うしかなかった……。
ラビリンスの暮らしを思い出す。そこは色彩のない世界。白と黒の濃淡だけのモノクロの世界。
実際には、そんなことはないのだろう。それが必要な場所には、複数の色だって使用されていたはずだ。
でも、せつなの脳裏に浮かぶ風景に、色彩なんて存在しなかった。
興味が――――なかったから。関心を持つことに、意味が見出せなかったから。
「好きな色、ないの? せっちゃんなら、清潔そうな白も似合いそうだけど」
「遠慮しなくていいんだよ。どうせ一揃え買いに行くんだから」
「赤……。赤い色がいいです」
言ってから、自分で驚く。それは美希の青と並んで、一番強い色だったから。
でも、きっと思いつきじゃないんだろうと思った。
黒と白と灰色。濃淡だけのイースの衣装において、唯一許された有彩色。
暖色。もっとも温かみを感じる色。情熱を連想させる色。
心のどこかでずっと温もりを求めていたイースが、無意識に身に付けていた色だった。
「そうね。ラブのピンクのパジャマも似合ってたし、いいかも!」
「うん! じゃあ買いに行こうよ!」
これだけいろんなものを買うんだからと、大きなデパートに足を運んだ。
お布団、カーテン、椅子に本棚。姿見と小さな鏡。時計にスタンドに筆記用具。
下着にパジャマに、部屋着に靴にスリッパ。おしゃれポイントにルーレット模様のカーペット。
コップやお茶碗、歯ブラシにその他色々な小物なんかも買い揃える。とても持てないから、家に配達してもらうことにした。
ひとつひとつ、ラブやあゆみに相談しながらせつなが選んでいった。
自分で好きなものを選ぶ。自分の居場所を、好みの部屋を作っていく。それが凄くわくわくして、楽しかった。
迷って、考え抜いて、なんとか一通り選ぶことができた。
嬉しすぎて現実感が持てなくて、夢見心地で家に戻った。
「ただいまー! あれ、おとうさん何作ってるの?」
「これはな、せっちゃんの勉強机だ」
「私の? 勉強って?」
「そうよ。夏休みが終わったら、せっちゃんもラブと同じ学校に通ってもらいます」
「私が――――学校に? ラブと一緒に?」
「ほんと! やったね!」
キョトンとするせつなと、大喜びするラブ。想像してみるが、イメージすら湧かなかった。
ラブと一緒に中学校に通う。同じ歳の子たちと勉強をする。
居場所が広がっていくようで嬉しかった。でも、少し不安に思えた。そんなことが、許されるのかって。
「それで机は買わなかったんだ。でも、どうして手作りなの?」
「それはだな――――」
圭太郎が、手を止めてラブとせつなに語りだす。
源じいさんから教わった、手作りに真心を込めるということ。
自身が仕事から学んだ。使う者の気持ちになって作り上げること。
せつなに自作の机を使ってもらうことで、心だけでも一緒にいる時間を持ちたかったんだって。
「僕は仕事があって、帰りも遅い。だから、せめて一番使って欲しい家具を自分の手で作ると決めたんだ」
「わぁ~、おとうさんカッコイイ!」
「おじさま。――――ありがとう」
その机作りに、せつなも手伝いを申し出た。
圭太郎の腕前は素人とは思えないものだった。鉛筆で描かれた机のデッサン。細かい寸法が描かれた図面。
その通りに正確に木材を切断し、組み立てていく。夕方には、素朴ではあるがしっかりとした勉強机が完成した。
その間に、ラブはせつなのネームプレートを作って扉に飾った。
この部屋が、せつなに幸せを与えてくれますようにって願いながら。
そして、荷物が配達される。全員で部屋に運んで配置していく。女の子らしい、可愛らしい部屋に仕上がった。
「よーし、せつなのお部屋の完成だよ! じっくり見たいけど、あたし先に夕ご飯作ってくるね!」
「待って、ラブ。私にも何か手伝わせて」
「今夜はラブが特製ハンバーグを披露するのよね。時間も遅いし、わたしも手伝おうかしら」
ラブの自慢のハンバーグ。付け合せにフライドポテト。インゲンとニンジンのグラッセ。バターで炒めたコーン。
茹でたブロッコリーにコンソメスープ。
せつなも、ラブやあゆみの手先を真似ながら、アドバイスを受けながら手伝った。
『いただきます!』
「今日は一段と美味しいなあ」
「せつながたくさん手伝ってくれたんだよ」
「せっちゃん、とても上手で驚いちゃった」
「そんな……。教えてもらった通りにやっただけです」
みんなで手を合わせて、四人一緒に食べる夕ご飯。一緒に作ったからか、より一層に美味しく感じられて。
自分がこれまで食事と思ってきたものは、一体、何だったんだろうと思う。
美味しいって――――口にした、楽しいって――――笑顔で応えた。
味覚だけでなく、まるで全身で味わっているみたいに感じられた。
お腹だけじゃなく、心の中まで満たされていくように思えた。
「ごめんなさいね、せっちゃん。お行儀悪くって。ラブったら、はしゃぎすぎよねぇ」
「だって……。せつなと一緒で嬉しいんだもの。せつなも楽しいよね?」
「うん、凄く楽しい。食べ終わるのが惜しいくらい――――」
終わるのが――――惜しい?
いつまでも――――感じていたい?
これが――――幸せ。
力ずくで――――終わらせてきたもの。
この手で――――奪ってきたものなんだ。
カラン
せつながフォークを落としてしまう。急いで拾って、少しだけ汚れた絨毯を拭く。
そして、そのまま動きを止めて震えだした。
「せつな、どうしたの?」
「大丈夫よ、せっちゃん。掃除は後でしておくから、冷めないうちに食べなさい」
「ごめん――――なさい」
せつなは顔を伏せたまま謝って、そして走り去った。
パタパタと勢いよく階段を駆け上がる。
部屋に入ってドアを閉めて、そのまま座り込んだ。両手を口に当てて、嗚咽を押し殺す。
涙は流れるにままにした。それは――――誰にも見られることがないから。
ここの暮らしが嬉しくて楽しいほどに、胸は苦しみを訴える。幸せを噛みしめるほどに、罪の重さを知る。
もっと、もっと幸せを感じたいって欲望と、自分の体を八つ裂きにしてやりたいような自責の念。
相反する感情が、せつなを責め立てる。
ここで暮らすと決めたのなら、せめてみんなに心配だけはかけたくなかった。
だから、明るく振舞っていたつもりだった。
でも――――本当は違うんじゃないのか?
それを言い訳にして、自分が幸せになりたいだけなんじゃないかって。
そんな気もしていた。
もう、気が付いていた。
本当は、自分こそが、誰よりも強く幸せを渇望していることに。
そんな資格が無いことを知りながら、それでも狂おしいほどに求めてやまない欲望があることに。
ふと、顔を上げる。
今日、みんなで作ってくれた私の部屋。あたたかい居場所。
手作りの机から薫る、優しい木の匂い。
赤を基調に可愛らしく揃えられた、調度品の数々。
ひとつひとつがせつなに語りかけてくる。幸せに、なりなさいって。
いっそ――――夢ならいいと思った。どちらかが――――夢ならいいと思った。
今この瞬間か、それとも過去か。どちらかが、嘘ならいいのにと思った。
そうしたら、自分を殺すことも、生かすこともできるのにと。
コンコン、部屋がノックされる。ラブが心配して様子を見に来た。
せめて――――今だけは、そっとしておいてほしかった。
「せつな、どうしたの? 何かあったの?」
「ごめんなさい。少しだけ、一人にしてほしいの」
ラブに返事は無い。立ち去る気配も無い。
そして、しばらくしてから、くぐもった声が聞こえてきた。
「せつな――――痛いの……。なんか、苦しいの……」
「ラブっ! どうかしたの?」
びっくりしてせつながドアを開ける。その瞬間に、ラブに抱きしめられた。
「ごめん、嘘……。やっぱり――――泣いてるじゃない」
「離して――――お願い、私を……」
「一人になんてしないよっ!」
怒った声でラブが叱り付ける。そして、更に腕に力を入れる。
「あたしが守るって、言ったじゃない。悲しいこと考えるのはやめようって、言ったじゃない……」
「ラブ――――ごめんなさい……」
ラブの身体が、とても小さく感じられた。震える声から、大きな悲しみが伝わってくる。
心配で――――せつなが不安になるほどに。
どちらが慰めているか、わからないほどに。
受け入れようって、決めたのに。ラブの笑顔と幸せを守ろうと誓ったのに。
舌の根も乾かないうちに、逆のことばかりしている。
それが悔しくて、情けなくて、悲しかった。
落ち着いてから、一緒に食卓に戻った。突然抜け出したことを丁寧に謝る。
あゆみは何も聞かずに、冷めたご飯を温めなおしてくれた。
その優しい表情は、何かを察しているようにも見えた。
「今夜は、あたしがせつなのお部屋に泊まるね」
「えっ? でも、せっかくベッドもお布団も用意してもらったのに」
「だから、あたしが泊めてもらうの。これでおあいこだよ!」
本当は、心配で一人で寝かせたくないのだろう。
せつなは、その好意に素直に甘えることにした。
昨夜の繰り返し。穏やかなラブの寝顔を見つめながら思う。
もう、迷うのはこれで終わりにしよう。
自分が成すべきことを果たすまで、その間だけでもいい。
辛くても、幸せと向き合おうと思った。
自分が幸せを求めていることも、認めようと思った。
それに溺れて、誘惑に負けて、目的を見失なわないようにすればいいだけだ。
今度は自分から、そっとラブを抱き寄せた。そして、せつなも目を閉じて眠りに付いた。
その温もりに、誓いを新たにしながら――――
最終更新:2011年03月04日 01:14