芸能事務所の最上階、秘書室を抜けた先に目的の部屋はあった。社長室と書かれたプレートを確認し、ミユ
キは意を決してノックする。
格調高い内装に圧倒される。パールグレイの高級感のある絨毯、スノーホワイトの天井、落ち着いた木目調
の壁。
そして一際目を引く、重厚な机と豪華な応接セット。
雲の上の人物の領域に、自ら足を踏み入れる。気圧されないように表情を引き締める。
トリニティのリーダーと言えど、本来は気安く話せる相手ではない。
大切なお願いがあった。しかし、プロデューサーにはまともに取り合ってもらえず、オーナーとの直談判に
踏み切ったのだ。
「なるほど、話はわかった。だが活動休止などとても呑めない要求だ。トップである君たちが腰を引けば総崩
れになる」
「でしたら、大型コンサートだけでも中止を! 前回のドームのことをお忘れですか!」
「奴らの襲撃の基準はイベントの大小ではない。街がこんな状態だからこそ、興行は続けなければならない」
「大勢のファンを、危険に晒してもいいと仰るのですか?」
「次のコンサートは四つ葉競技場で行う。舞台は平地で出入り口も多いし、警備と誘導も十分に用意する」
「……一つ、お願いがあります」
みんな、恐怖を堪えて生活している。四つ葉町を愛しているから。何よりも大切な、日常を守りたいから。
だからこそ地元出身のトリニティは、この街にこだわってイベントを続けてきたのだ。人々に勇気を与える
ために。
そんなトリニティを応援しようと、ファンもまた恐れずにコンサートに参加した。もとより、確実に安全な
場所などありはしない。
少し前までのミユキなら、そのことに胸を張っていられただろう。
危険を顧みず、夢と希望の光を絶やすまいと、誇りを抱いてダンスを踊っていられただろう。
だけど――――知ってしまった。
大人たちが泣き叫び、恐怖に震える中で、歯を食いしばって戦っている少女たちがいることを。
誰からも理解されず、誰からも感謝されず、誰かにすがることもできないままに。
痛みを堪え、悲しみを胸に、小さな身体を倒れるほどに酷使して……。
それでも恨み言の一つも口にせず、ただ一心に、みんなの幸せを願って戦っていることを。
その子たちが言うのだ――――あたしは幸せだよって。
やっと掴んだチャンスすら、戦いで失いながら。
いつか、わたしたちのようになりたいって。トリニティのように踊りたいって。
だから――――わたしは……。
力に、なりたいと思った。
誰にも話すことができないのなら、ただ一人の理解者になろうと思った。
わたしのようになりたいと願うなら、教えてあげようと思った。
ダンスは、こんなに素晴らしいんだって。
あなたたちの夢は、必ず叶うんだって。この手で必ず叶えてあげるんだって。
退出を命じられた。話し合いを終えたミユキに徒労感が滲む。結局、わかってもらえなかった。
それも、当然なのだろう。事情を話すことができないのだから。もはや、強硬手段しかないのかもしれない。
悔しそうな表情で社長室から出てきたミユキに、レイカとナナが駆け寄った。
「ミユキ! 何があったの? 大丈夫だった?」
「もしかして、例の子たちのコーチの件で怒られたんじゃ?」
「そんなんじゃないわ。次の大型コンサートのことで発破かけられただけよ」
「そっか、今度は成功させたいよね」
「ミユキって、変なとこでニブいから心配だわ」
「ひどーい! そうだ、勝手に決めちゃって悪いんだけど報告があるの。あの子たちのことよ」
新生クローバー初のダンスレッスン。不安そうに開始を待つせつなの表情が、更なる緊張で硬直する。
そこに現れた人物は、ミユキ一人ではなかった。
中央のミユキを挟んで、金髪のショートカットの女性がレイカ、山吹色のウェーブのかかったロングヘアー
の女性はナナと名乗った。
それぞれが、あきらかに一般人とは異なるオーラを放つ。
知っている。知らないはずがない。この三人で――――“トリニティ”なのだから。
せつなほどではないにしても、ラブたちの表情からも余裕が消える。新ユニット育成に挑む、ミユキの本気
が感じ取れたからだ。
「東 せつなです。よろしくお願いします」
『ミユキさん、ナナさん、レイカさん、よろしくお願いします!』
「さっそくだけど、せつなちゃんの素養を見せてもらおうかしら」
「私たちのことは気にしなくていいわ。のびのびやりなさい」
「始めは気楽に、楽しんでいきましょうね」
スタンドポジションからエクササイズ。アイソレーションからムーブメント。そして、ターン。
今度はミユキたちが顔色を変える番だった。
ラブ、美希、祈里。ミユキが基礎を叩き込んだ三人すら超える、正確無比なモーションだった。まるで、幼
い頃から磨き上げてきたかのように。
しかも、キレのある動きの中にも、しなやかさと可憐さが共存していた。
一言で表現するなら、ただ――――美しいのだ。
「なるほど、教えたのは美希ちゃんね」
「あ、はい! でも、ラブやブッキーも一緒でした」
「うーん、それだけかしら?」
「そうね、動きはむしろミユキに似ているわ」
「そうかもしれません。ミユキさんのレッスンは以前から覗いていました」
見ているだけで身に付けられるならコーチなんていらないわ、とミユキは舌を巻く。
ダンスに限らず、目視で得られる情報など真実の一端にすぎない。
動作ひとつひとつの意味を、目的を、“意識”として集約しなければ、形だけ真似たところで魂の篭ったダ
ンスにはならない。
(それを――――よくもここまで。それに……)
せつなの身体には、揺ぎなき心棒が備わっている。それは回転運動の多いダンサーにとって、一流とその他
を分ける境界線と言ってもいい。
ラブたちですら、ようやく形を成しつつあるばかりなのに……。
せつなの軸の安定感は、ミユキたちにも比肩するものだった。
(格闘家からダンサーに、あるいはその逆に転向して成功した例は聞いたことがあるけど……)
せつなの場合もそうなのかもしれない。一流は全てに通ずということなのだろう。
(だけど、動作が見事なだけに、返って自分の首を絞めることになるかもしれない)
ラブたちの目が誇らしげに輝く。飛び級で追いつかれつつあるのに、悔しそうな顔一つ見せはしない。
美希と祈里の手が、自然にせつなにかかる。優しく労わるように、大切な人を慈しむように。
眩しいほどの絆を感じる。やっぱり、この子たちを選んで良かったと思う。
この子たちなら、今から口にする大きすぎる課題すら、きっと乗り越えられるだろう。
せつなには試練となるかもしれない。本当はゆっくり育ててあげたかった。
時間が無いのだ。クローバーには、トリニティすら超えてもらわなくてはならない。そうでなければ、やり
きれないから。
(だから、今ここで、あなたたちの覚悟と可能性を見せてほしいの)
まだ早い。そう思いつつも、勇気を出して告げることにした。
「そこまでよ。初日から通しレッスンまでできるとは思わなかったわ」
「あはっ! ミユキさん、せつなって凄いですよね!」
「せつなちゃん、頑張ったもの」
「せつな、完璧!」
「残念だけど、完璧にはほど遠いわ。あなたたちは気が付かなかったの?」
「そうね。動きは綺麗なんだけど、気持ちが出ていないのよ」
「ミユキ! レイカも、始めたばかりの子にそんなこと言わなくたって」
「どこが、いけなかったのですか?」
「三位一体って言葉は知ってるわね。私たちのユニット名でもあるんだけど」
「三人の心を一つにして踊ることですよね?」
「それじゃせいぜい30点ね」
「あたしの英語の点だ……」
「真面目な話よ、ラブちゃん」
「ハイッ!」
“トリニティ”の謳う三位一体とは、多元的な意味を持つ“ユニットの在り方”そのものだ。
一つは心・技・体、この三つを一つにすること。心とは情熱、技とはテクニック、体はスタミナやパワーを
意味する。
せつなの場合は、この技と体が勝ち過ぎてダンスとしてのバランスを崩している。
例えば、如何に美しく踊ったところで、ロボットやコンピュータープログラムのダンスで人を感動させるこ
とはできない。
もう一つは、音楽とダンスと空間を一つにすること。この場合のダンスとは、仲間との一体感を含む。空間
とは観客の意味でもある。
「みんな、どうしてダンスに音楽を使うのか考えたことある?」
「う~ん、楽しい音楽をかけたら、自然に体が弾みますよね!」
「アタシもラブと同じかな。表現力を高める手段だと思います」
「音楽にあわせて、身体を動かすのがダンスだと思ってました」
「音楽によって、時間の経過を掴んで動きを合わせるんじゃ?」
「まあどれも、外れてはいないわね」
もともと、ダンスと音楽は一つであったとミユキたちは考えている。
楽器を奏でる動きがダンスに発展したのか、あるいは踊りが何らかの音を奏でて音楽に発展したのか。
だから、ダンスを突き詰めていくことは、起源を遡って再び音楽と一つになることだと思う。
そして、その起源には必ず目的がある。それは大地に捧げる祈りであったり、喜びの表現であったり。
それが、空間だ。音楽と一つになり、仲間と一つになり、観客と一つになり、それぞれが与え合う関係を築
く。
それが“トリニティ”の謳う三位一体であった。
「難しくって、よくわからないです」
「哲学的なお話で、具体的にどうしたらいいのか……」
「つまり、自分が演奏してるつもりで踊れってことですよね?」
「理解できなくても、頭に入れておくだけで違ってくるわ。美希ちゃんの考えで大体正解よ」
「私は、感情の表現が足りないってことですか?」
「そうよ。だから、せっかくのパワーも活かしきれてないわ。本当にダンスがやりたいって思ってる?」
「ずっと、ラブたちと一緒に踊りたいと思っていました」
「一緒にやれるんなら、ダンスじゃなくても良かったんじゃない?」
「それは……そうかもしれません」
「自分が幸せを感じられないダンスで、他人を幸せにできるわけがないわ」
何かを言いかけるラブを美希が止める。
打ちひしがれたせつなを後に、ミユキは本日のレッスンの終了を宣言した。
せつなの小さな肩が、力なく落ちる。普段は凛と張った真っ直ぐな背筋が、心なしか丸くなる。
昨日まで自信に満ちていた表情も、今は見る影も無かった。
(夢では、誉めてもらえたのにね)
わかっている、これは夢ではないのだから。
決して覚めない代わりに、都合よく思い通りになるわけでもない。
モデルの撮影に巻き込まれた時の記憶が甦る。彼らもせつなの容姿を誉めつつも、被写体として認めること
はなかった。
「君の笑顔からは喜びが感じられない」だったっけ。
「作り笑いでは誤魔化されない」そうも言っていたように思う。
暗澹たる気持ちになる。
気落ちしてるのはみんなも同じだった。
絶対に、ミユキさんもびっくりするはず。そう期待して望んだレッスンだったのに。
「心配ないわよ、成り行きで始めたのはアタシもブッキーも同じよ」
「うん、ダンスはやっていくうちに好きになればいいと思う」
「ミユキさんも、もうちょっと誉めてくれてもいいのに……」
「本当のことを言うとね、私には楽しむってことが何なのかすら、よくわかってないの」
ラビリンスには、音楽もダンスも無かったから……と続けた。
ダンスに限らず、全ての娯楽は必要ないとの理由で歴史ごと失われてしまっていた。
わからないから、憧れた。
わからないから、嫌悪した。
わからないから、壊すことができた。
そして――――
わからないから、手に入れることができないのだろう。
それだけのことではないか、と自嘲する。
そこで、せつなはふと気が付く。
じゃあ、知ることができたら、守ることもできるんじゃないのか?
そして――――
手にすることもできるんじゃないかって。
「それにしても、今日のミユキさんの様子はおかしかったよ」
「そうね、突然ナナさんとレイカさんを連れてきたり」
「もっと明るい口調で話す人だと思う。なんかピリピリしてたね」
「何か焦っているような……。もしかして悩みがあるのかも?」
「せつなはどう思う? って、わからないわよね。――――せつな?」
「あっ、ええ、ごめんなさい。ちょっと考え事してたの」
せつなは、ふと可笑しくなった。考えてみれば、落ち込むようなことは何も起きていない。
得られない、叶わない、届かない。そんなこと、今日に始まったことじゃない。
今、ここにこうしていられること自体が奇跡なのだ。だったら、気落ちしてる余裕なんてあるはずがない。
精一杯がんばるって。そう――――誓ったのだから。
「せつな、いるよね? ちょっといいかな?」
不安そうな表情で、ラブがせつなの部屋の扉を叩く。待ち続けても、返事はなかった。
隙間からも光が漏れてこない。疲れて寝ているのだろうか? おやすなさい。そう、小さくつぶやいた。
せつなの様子は、家に帰ってからもずっとおかしかった。
悩んだり、落ち込んだりしてると言うよりも、ずっと考え事をしてる感じだった。
食事も早々に済ませて、部屋に戻ってしまった。
ラブはしばらく考えた末に、あゆみに相談してみることにした。
何かの答えを出してもらえることを期待していたわけではない。ただ――――
せつなのことを、自分と同じくらい心配してくれる人だから、伝えておくべきだと思えた。
「――――と言うことがあったの」
「そう。せっちゃん、気持ちを抑えちゃうようなところがあるから」
「あたしに、何がしてあげられるんだろう……」
「自分で答えを出すことも時には必要だから、ミユキさんは問いかけをしたんじゃないかしら?」
「でも! やっと、一緒にダンスできるようになったのに」
「ラブ、信じて見守ってあげるのも愛情よ」
ゴロリ、と、またラブが寝返りを打つ。そろそろ日付も変わる時間、普段ならとっくに熟睡してるのに……。
早朝から自主練の約束があった。早く寝なくちゃと思うものの、せつなが気になって眠れない。
(疲れて眠ってるんだろうけど……)
ラブは静かにベランダに出る。今夜も暑いし、きっと窓は開けて寝ているはず。
勘の鋭いせつなを起こさないように、慎重に部屋の中の様子をうかがった。そして、息を呑んだ。
(せつなが――――いない!!)
ラブは慌ててせつなの部屋に飛び込む。パジャマは丁寧にたたまれて、ベッドの上に乗せてあった。
急いで階段を駆け下りる。居間に飛び込んだところで、あゆみと鉢合わせた。
「おかあさん! せつながいないの!!」
「しぃ~、こんな遅くに大きな声を出さないの」
あゆみが、そっと庭の方を指差す。そこには、ジャージ姿で一人ダンスを続けるせつなの姿があった。
耳にはイヤホーンを挿している。携帯性に優れるダンシングポッドの、もう一つの使い方だった。
「おかあさん、いつから?」
「もう三時間にはなるわね。すっかり時間を忘れちゃってるみたいよ」
「せつな、なんだか笑ってるみたい」
「わたしには、ラブやせっちゃんみたいな夢が持てなかったから、ちょっと妬けちゃう」
口元に微かな笑みを浮かべて踊るせつなを、そう言いながらもあゆみも嬉しそうに見守った。
「もしかしたら、ミユキさんは何もかもわかってるのかもしれないわね」
「うん……。せつな、精一杯がんばってね!」
三桁にも及ぶ回数の視聴、そして反復練習。
いや、練習とは言わないだろう、せつなが目指しているのは上達ではないのだから。
音楽――――音の性質を利用した組み合わせ。
リズム(律動)、メロディー(旋律)、ハーモニー(和声)
無意味な音に、意味を持たせるもの。時間というキャンパスに描く、不可視の芸術。
調べることができたのは、こんなところだろうか。リズムで時間の把握をしていたこと自体は間違っていな
い。
足りないのは、受け入れる感情の働き。
みんなの言う、音楽に乗るという感覚はわからない。だけど、音の連なりには必ず意味があるはず。
まずはそれを――――掴む!
音に合わせて身体を動かす。
上手くやる必要は無い。誰も見ていない。誰にも迷惑をかけることがない。
額から、首筋から、身体のいたるところから汗が噴き出す。華麗な動作を決めるたびに、美しく飛び散る。
こんなに、何かに打ち込んだことがあっただろうか。何でも、やろうと思ったことは人並み以上にこなすこ
とができた。
思うようにいかない。そんな不自由すら、愛しく感じられる。
無論、戦闘訓練は必死に励んできた。しかし、それすら義務だった。メビウス様のためだった。
今、生まれて初めて自分自身のために、自分の限界に挑んでいるのだ。ならば、これが自分の命を生きると
いうことなのかもしれない。
「一緒にやれるんなら、ダンスじゃなくても良かったんじゃない?」
ミユキの言葉が思い返される。一緒にやれるから楽しい。その気持ちが間違っているとは思わない。
同時に、それだけじゃいけないことも理解できる。その喜びは、自分にしか感じ取れないものだから。誰に
も、何も与えられないから。
一人で踊って、その上で何かを感じ取ることができれば――――
自分のダンスだって、きっと誰かの心に届くはず。
他人の服装に似たものを着た。他人の仕草を真似た。他人の笑顔を見て笑い方を知った。
ダンスもそう。優れた動作を真似て踊った。カタチだけ整えれば、それで、みんなと同じものが手に入ると
信じて。
何一つとして、自分から生まれたものがない。全ては借り物だった。激しく焦がれたが故に、うらやましい
と思ったが故に。
モデルでも、ダンスでも、きっとそこを見透かされたのだろう。
だから、ささやかでいい、自分だけの幸せを感じ取る! これは仲間も観客もいない、たった一人のコンサ
ート。
ここから始めようと思った。自分というものが無いのに、他人と一つになんてなれるはずがないのだから。
何時間経過しただろう。自然と動作を覚え、意識して動かす必要が無くなった。
音に反応して、音に溶け込んでいく。身体が意思から離れて、感情の波に乗る。脳を介さずに、直接心が動
かしてるような感覚。
それまで感じ取れなかった景色が飛び込んでくる。
夜空に星が美しく輝く。心地良い風が頬を撫で、柔らかい土が優しく衝撃を受け止める。
(そうね、一人じゃなかった。世界はこんなにも優しくて――――)
気持ちがいい。すがすがしい。心が弾む。もっと、もっと踊っていたい。
これが――――楽しいって気持ち?
(ううん、きっと、もっと先がある。でも、それは――――)
曲が終わり、身体が痺れるような感覚が降りてくる。膝が震え、立っていられなくなる。
常人離れした体力を誇るせつなに、ようやく訪れた限界だった。
仰向けに倒れこんだ。草の匂い、土の匂いが鼻をくすぐる。
イヤホンを外して、そっと風のささやきに耳を澄ませた。
「せつなっ! 大丈夫!」
背中ごしに、地面から伝わってくるラブの足音。見られていたことに気が付いて、恥ずかしさを覚える。
手を引いて起こされて、そのまま抱き寄せられる。汗で汚してしまうと躊躇したが、抵抗する体力も残って
いない。
「ラブ、ほんの少しだけど、ダンスの喜びがわかったような気がするの」
「うん、見てたよ。せつな、笑ってた」
「その気持ちでみんなと一緒に踊ったら、もっと楽しいと思うよ」
「ええ、この先は一緒に知りたい」
だから、明日が楽しみね。そう言って、せつなは笑った。ラブがこれまで見た中で、一番の笑顔だった。
せつなにとって、二度目のミユキのコーチによるレッスンが始まる。準備運動と基礎練習の後、通しで一曲
踊り終える。
この数日で、せつなのダンスに変化があったのだろうか? ラブたちには何の違いも見つけられなかった。
しかし、せつなの表情には迷いが消えていた。自信――――でもない。
しいて言えば、強い意志。決意のようなものが感じられた。
「ギリギリだけど、合格ってところね」
「やった! せつなっ!」
「やっぱり、せつなって完璧!」
「おめでとう、せつなちゃん!」
「こ~ら、はしゃぐのは早い! もう一週間しかないのよ。ビシバシしごくから覚悟しなさい」
「一週間しかって、何までにです?」
「そっか、言ってなかったわね。来週のコンサートで、クローバーにはトリニティのバックダンサーをやって
もらうわ」
『えぇ~~~~!!』
と言っても一曲だけだけど、それでも数千人単位のファンの前で踊るのは良い経験になるはずよ。
そう続けるミユキの言葉をちゃんと聞いていたのは、事の重大さが理解できなかったせつな一人だけだった。
真っ白になった頭から回復したクローバーは、これまで以上に必死になって練習を続けた。
そんなクローバーの姿を見ながら、ミユキは寂しそうにつぶやいた。
(頑張りなさい。あなたたちにとって最初の晴れ舞台。そして、わたしの最後の舞台になるのだから)
ささやきのような小さい声。
もちろん、みんなの耳に届くはずはなかった。ただ一人の、例外を除いて――――
先日と打って変わって、テンションの高いミユキのレッスンが終了した。
期待と興奮の入り混じる熱気の中、せつなのざわつくような不安が膨らんでいく。
聞き違いかもしれない。違う意味かもしれない。盛り上がっているみんなに、ここで話すのは躊躇われた。
でも、本当に想像の通りならば、ミユキの不安定とも取れる様子にも納得がいく。
ラブにだけでも相談しないと! 遅れると取り返しのつかないことになるかもしれない。
しかし、帰り道も、食事の時にも、舞い上がるように嬉しそうなラブを見ていると……。
とても――――口にすることができなかった。
せつなは机から一束のトランプを引っ張り出した。ラビリンスの占い館から、ただ一つ持ち出せた私物。
なんとなく、ポケットに入れたままにしてあっただけだけど。
(もう、占いなんて二度としないつもりだったけど……)
トランプとはジョーカー(切り札)の意味で、本来の名はプレイングカードという。タロットの源流にして、
カード占いの生みの親だ。
僧侶のハートをラブに。貴族のスペードを美希に。商人のダイヤを祈里に。農民のクラブをミユキに配置す
る。
トランプの数の合計は九十一。四スイート分にJを加えて三百六十五。太陽の周期、一年を意味している。
四スイートは季節も表現する。スペードは春、クラブは夏、ハートは秋、ダイアは冬。
せつなの集中力が極限まで高まる。いよいよ運命の一日を導き出す。
シャッフルされた五十二枚のカードから、一つの季節の単位の十三枚のカードを抜き出す。
更に三枚を選び、表に向けて並べる。残り一枚、運命のカードはクラブのクイーン。四枚を足した数は二十
三だ!
夏の二十三日、今月ならばコンサートの日と一致する。
審判の一枚を引き、数の強さで運を知る。
息を呑む。引いたカードは、四スイートのいずれでもないジョーカー。
切り札、そして、計ることのできない運勢。関わる中心人物は、占い師――――せつな自身だ。
せつなの占いとて、百発百中ではない。それにしても出来すぎだった。ただの偶然と考える方が不自然だ。
この日に、間違いなく何かが起こる。きっと、良くない事が――――
(ミユキさんの住所、聞いておいて正解だったわね)
もう夜も遅い、訪ねて行くのは非常識だろう。しかし、普通に望んで会える相手でもない。
確実に自宅にいると思える、今こそがチャンスだった。
コツン――――コツン――――コツン
二階の灯りがミユキの部屋だろうと見当をつける。柱の影に隠れるようにしながら、窓に小石を投げつける。
こんな事なら、携帯を買ってもらえばよかったと思う。通話する相手がほとんどいないとの理由で断ったの
はせつなだった。
幸いにも予想は的中し、ミユキが窓を開ける。手を振って、会いたい意思を伝えた。
パジャマの上からカーディガンを羽織った格好でミユキが姿を見せた。
「どうしたの? せつなちゃん。こんな夜遅くに」
「非常識なのはわかっています。お休みのところすみません」
「それはいいわ。話したいことがあるんでしょ?」
「ラブたちから、プリキュアになることを拒んでいたと聞きました。その考えが、変わったんじゃないかと思
って」
「はっきり言ってくれていいわ」
「次のコンサートで、トリニティを引退するつもりじゃないかと疑っています」
ミユキが驚愕して息を呑む。その一瞬をせつなは見逃さなかった。鋭い眼光でミユキを見据える。
「どうして、そう思ったの?」
「私は占い師です」
「そう。なら、その占いはハズレよ。もう帰って寝なさい」
「私の目を見て、もう一度言ってください」
「プロのダンサーはね、掛け持ちでプリキュアやれるほど甘くはないのよ」
「私も、ラブに言ったことがあります。二兎を追うものは一兎も得ずと」
「そうね、両方できると信じているラブちゃんたちの夢を壊したくは無いけれど」
「ダンスを選んでください! これ以上……誰かが不幸にならなくてもいいはずです!」
「プリキュアは四人、そうでなくてはこの先の戦いは切り抜けられない。あなたが一番わかってるんでしょ」
「私がいます! イースが四人目の代わりに! 一対一なら、ラブたちの誰にも負けない自信があるわ!」
熱くなって、せつなの丁寧語が乱れる。拳は硬く握られ、瞳は睨みつけるほどに強くミユキを射抜く。
しかし、ミユキはしばらくせつなを見つめた後に、大きく首を振った。
「イースの戦い方では、誰の幸せも守れないわ」
「っ――――戦いなら、私の方が経験は上です。どうしてそう言えるんですか!」
「守るために戦っていないからよ。あなたには、大切な人たちの顔が見えていない」
「ミユキさんの言うことはよくわからない。だけど、私は命に代えてもラビリンスを倒してみせます」
「やっぱり、イースには任せられない。あなたこそダンスに専念して戦いから身を引きなさい」
「私は、戦うために生きることを許されていると思っています」
「もう、お話は終わりよ。この事はラブちゃんたちには秘密にしておくこと。いいわね?」
「約束――――できません」
「バックダンサーの件は、またと無い贈り物なの。邪魔はさせないわ。せつなちゃんは、わたしに従う義理が
あるはずよ」
「――――わかりました」
「せつなちゃんにとっても、きっと大きな意味を持つわ。練習、頑張りなさい」
ミユキはそう言って背を向けて歩み去った。もう話すことは無いといわんばかりに、一度も振り返らずに家
に入る。
せつなは悔しさのあまり、血が出るほどに唇を噛みしめた。
侮辱されたから――――ではない。止めることが、できなかったから。
(イースの戦い方では、誰の幸せも守れない)
その通りだと思った。結局、自分に出来ることは、不幸を撒き散らすことだけなのかもしれない。
打ちひしがれて帰路に着くせつなの姿を、上空からそっとアカルンが見つめていた。
最終更新:2011年05月03日 01:08