【0】
死はままならなさである。
【1】
地獄のような道を歩んでいる。
正確には、走っているつもりでいる。
その足取りはカタツムリのように緩慢で、オノマトペをつけるならばヘロヘロ、もしくはフラフラだ。
アスファルトに照り返された日差しが身体を焦がす。
とめどなく流れる汗。ただの呼吸すら苦しい。朦朧とする意識。
こうなった原因は分かっている。明晰な頭脳は現状を的確に分析する。
今日はいつもに増して暑かった。ただそれだけだ。
たったそれだけの理由で、人はここまで衰弱できる。
たった数℃の気温差であっても、人のコンディションはここまで悪化する。
人は、特に自分という個体は、あまりにも弱い。
環境に振り回され、社会に揉まれ、他人に影響されて。
あまりにも、ままならない。自分の思ったようにいかない。
「……ふふ」
それがあまりにも楽しくて、笑った。
何をしても上手くいく。想定通りで、期待を受けて、神のように崇められる私は、ここにはいない。
何をしても上手くいかない。想定を外れ、期待をされず、ゴミのような扱いを受ける。
それが欲しくて、それがしたくて、それが経験したくて、私はこの世界に踏み込んだのだ。
ああ。なんて楽しい『趣味』なんだろう。
やって良かった、アイドル活動!
心はこの空のように晴れやかで、重たい足取りとは正反対に軽やかで。
キツイ。つらい。しんどい。それでも、止まる気はなかった。
自分には才能がない。だからこそ、そんな自分でも出来ることを止める気はない。
むしろ、出来ないからこそやる意味がある。牛歩の歩みは、決して停止ではないから。
荒く息を吐き、吸い、肺に酸素を取り入れる。足をなんとか一歩踏み出す。
どれだけ歩幅が小さくても、それで数十センチは前に進む。あとはその繰り返し。
たったそれだけの、誰でもできる動作。
ダンスを踊れなくても歌を歌えなくても、できること。
必要なのは、諦めないという意志だけだ。強い心だ。
だから私は前だけを向いて、おぼろげな視線でゴールとなっているレッスン室の建物を見据えて、たどたどしく地面を蹴り付けて。
「あっ」
その地面に落ちていた、ちっぽけな小石に躓いて。
こけた先の視界には、また別の小さな石が見えたような気がして。
反転。暗転。
黒が私の世界を覆い。
白が私の意識を奪い。
「………………うん」
気付いたら、私は保健室のベッドの上にいた。
何故すぐにここが保健室だと分かったかというと、私がいわゆる常連さんだからだ。
柔らかな枕の感触。ほのかに漂う消毒液の香り。天井のシミの数だって覚えている。
ここは、間違いなく私の知っている保健室で。
いつもどおり、無理をした私は倒れて保健室に担ぎ込まれたのだと理解して。
「よお」
いつもとは違う異物があった。異変があった。異常があった。
枕元に立つ誰かの気配。体を起こし、目線を上げると、いた。
ソイツは、ハゲだった。
髪の毛一本生えていない、いっそのこと潔いハゲだった。
ウェットスーツのような黄色い服で全身を覆い、申し訳程度に手袋とマントを着けて。
腰元につけてるベルトはバカのチャンピオンみたいなデザインで、極めつけに何故かマントを無駄にたなびかせている。
その格好は、まるで
「ふしんしゃ?」
「どこからどう見たってヒーローだろ」
「妄想癖、あり。不審者確定」
「待て待て待て良いから思い出せって」
思い出す。何を?
「お前、死んだらしいぞ」
瞬間、私の頭に様々な情報が雪崩れ込んで来た。
冥界。聖杯。戦争。英雄。葬者。東京。偽物。
炎天下。体力の限界。転倒。小石。頭部損傷。
そして、死。
「なるほど、理解した」
「こっちは助かるけど早すぎない?」
「恐らく死因はくも膜下出血。打ちどころが悪かったんだと思う」
「冷静に分析してるの、こわあ……」
なんかドン引きしてるハゲを横に、私はうーんと伸びをする。
凝り固まった身体をほぐすと、気持ちいい。死んだとは思えないくらい。
ご丁寧に用意されている上履きを履いて、立つ。
友達に教えてもらったように、アイドルとしての綺麗な所作を意識して、きちんと立ち上がる。
わたし、冥界に立つ。
そう言うとなんだかとても偉大なことのように感じるけれど、実際はいつもの保健室でふんぞりかえっているだけである。
このまま自分の身体がどうなっているのか探ってみたり、偽物の世界を散策してみたいという気持ちはあるけれど、その前に。
「はじめまして」
挨拶は重要だ。大きな声で……私の声は小さいけれど、それでも出来る限り大きな声で、元気に挨拶。
誰にでもできること。だからこそ、今の私には重要なこと。
「あなたが私のサーヴァント?」
ハゲのマント男も私に負けじとふんぞりかえる。
かるーく腕を組み、きりっとは程遠いぼんやりフェイスで、自然体のまま応じてくれる。
どう見たってサーヴァント……英雄とは思えないようないい加減な風体の頭上(ステータス)には、規格外を現すEXが並んでいる。
「ああ、俺はサイタマ」
「趣味でヒーローをやってるものだ」
ああ。なるほど。
そういうことか。
目の前の不審者……もといサーヴァント、ランサー。サイタマ。
彼がどうして私の相棒に選ばれたのか、理解して。
「なに笑ってんだ?」
彼の疑問には、こう答えよう。
ふにゃりと笑い、こう応えよう。
「私は篠澤広」
「趣味でアイドルをやっている」
3月のはじめ。
死んでしまった私は、こうして冥界で最強の男と人生を再スタートした。
なにもかも無くなってしまい、1からのスタートをするのはこれで2度目。慣れたもの。
前も後ろも分からない、戦争のせの字も知らない無力で虚弱な少女だけれど、だからといって生を諦める気は毛頭ない。
むしろ、自分という器には合っていない苦境だからこそ、頑張る気力がもりもり湧いてくる。
私は私の好きに、自由に、この世界の理に囚われることなく生きていく。死んでいく。
「ところでお前……ひょろっこいな~。もっと鍛えた方が良いぞ。筋トレしろ筋トレ」
「ふふん、聞いて驚け。私の腕立て伏せ記録、生涯で0回」
【2】
「なあ、広はさ。死ぬのが怖くねーの?」
3月15日。
サイタマと篠澤広が出会って2週間が経過していた。
その間、色々あった。
サイタマが学生寮にある広の部屋から出てきたところを目撃されて、あわや警察沙汰になりかけたり。
広がサイタマのパトロールについていきたいとせがみ、嫌々ながら同行させた先で悪党と出くわしたり。
そんな悪党に襲われている聖杯戦争の他参加者と出会い、協力し、仲良くなったり。
休日には2人で遠征パトロールと称して冥界の淵を見に行って、会場の外まで出た途端に広がばたんきゅーしたり。
ふらふらになった広を部屋に送り届ける道中で「この東京を焦土と化してやる!」みたいな物騒なことをほざくバカをワンパンしたり。
広が目を輝かせながら語り、サイタマはそれを見て溜息をつく、そんな日常の2週間。
いびつな2人がお互いのことを知り、少しずつ距離を縮める、そんな非日常の2週間。
慌ただしい日々だった。だけど、充実した日々だった。
そして3月15日、あの篠澤広が腕立て伏せを1回出来るようになったという記念すべき日を祝うため、近場のラーメン屋で麵をすすっている。
その最中の会話である。
「死ぬのが怖くない人なんていないよ」
「だよな~」
サイタマは醬油味がしみ込んだ煮卵をぱくりとたいらげながら、そう返す。
ちなみに広は期間限定の激辛マーボーラーメンを見て満面の笑みで手を出しそうになっていたのをサイタマが必死に阻止して、普通の味噌ラーメンを食している。
お前が残した分をいつも誰が食ってると思ってんだ!とはサイタマ(保護者)の言である。
私のお金で食べてるくせに……とは広の言ではある。サーヴァントのサイタマは、いわば彼女のヒモであった。
閑話休題。
「じゃあ、もっとやりようあんだろ」
「確かに、あなたをその気にさせれば私は優勝できると思う」
サイタマはこの地に来てから好きにやらせてもらっている。
広から何かを命じられたことなどないし、進んでサーヴァントとしての責務を果たそうとしたこともない。
ただいつもどおり、ヒーローとして街中をパトロールし、悪いヤツがいたらとっちめ、困ってる人がいたら助けている。
だからこそ、今更ながらの疑問である。
2週間も一緒にいれば、サイタマにだって流石に分かる。
篠澤広は、バカじゃない。
無鉄砲で、不規則で、危なっかしいことを平然とする困ったやつではあるものの。
ただ、今のまま好きにしていても、先はないことだって分かっているはずなのだ。
それでも、広は広で自由に、サイタマはサイタマで自由にやることを、彼女は否定しない。
生き返るために他参加者を打倒し、優勝を目指そうという気概がほんの少しも見えはしない。
「サイタマがどんなやつもワンパンして、私は部屋のすみでガタガタ震えながらずっと隠れてて、気付いたら全部終わってて」
「私は何もしないまま生き返って、願いが叶って、それで終わり」
一拍、間が空く。
ぷはーっと汁をすする。
小動物のように小さな口元がスープで汚れたけれど、サイタマはそれを指摘しない。
そういうことを言う時じゃないと、思った。
「それは、すごくつまらない」
「つまらないって、お前」
「すごく、すごくつまらない」
「じゃあ死んでも良いのかよ」
「死ぬのは嫌」
「ワガママか」
サイタマだって、別に好き好んで悪くもないやつを殴りたいわけじゃない。
広が生き返る、つまりこの聖杯戦争に優勝するとはそういうことだ。
サイタマも広も、この会場で色んな参加者と出会って来た。
中には悪いヤツだっていた。人殺しだってなんとも思わない人でなしだっていた。
だけど、そうじゃないやつらだって、確かに存在していたのだ。
わけがわからないまま戦争に巻き込まれ、泣きそうな顔を隠せない少女がいた。
殺し合いを強制するこの催しそのものに憤慨し、断固として己が正義を貫こうとする男がいた。
なんとかしてこの戦争を止められないか、この会場から抜け出せないか考えている頭の良いやつもいた。
みんな、みんな、良いやつだった。殴っていいはずがない。死んでいいはずがない。
だけど、ふと、ガラにもなく不安になったのだ。
狭まっていく東京を見て。減っていく参加者を見て。広のために何もしてやれていない自分を鑑みて。
先行きの見えない、どうすればいいのか分からない暗い未来を想像して。
少しずつ、だけど確かに減っていく彼女の余命、終わりの時を慮って。
このままで、本当に良いのかと。
「でも、何も努力しなくても何もかも上手くいきながら生きてくのって」
「そんなの、死んでるのと同じだよ」
「そっか」
だから広の言葉を聞いて、胸のつかえがとれた気がした。
彼女は強い。サイタマの思っている以上に、心が強い。芯がある。そんな気がした。
例え星の生み出した人類抹殺の使徒に、宇宙から飛来した超文明の異星人に敵うことがなかろうと。
例え、どんな敵だろうとワンパン出来るような圧倒的な力を持っていなくても。
彼女が折れることはない。サイタマという力に溺れることもない。
どこまでも自由に、不自由なこの世界を闊歩していくのだと、彼女は言う。
「だから私は好きにする。私のやりたいようにする」
「困ってる人がいたら助けるし、悪い人がいたらやっつける。サイタマが」
「俺がかよ」
「当然。私がサイタマの戦いに突っ込んだら0.01秒で粉砕される自信がある」
「そこで胸を張るな、胸を」
「この聖杯戦争で一番弱いマスター、それが私。えっへん」
「……まあ安心しろよ」
あまりに遅くとも、迷走であっても、確かに彼女は前に進んでいる。
今日だって、腕立て伏せを1回も出来るようになったじゃないか。
「お前みてーな弱っちいやつは俺が守ってやるから」
ならば、そんな少女の精いっぱいの背伸びを支えてやるのが、ヒーローってもんじゃないか。
悪いヤツを殴らなくても、世界の危機を救わなくても。
彼女と一緒に好きに生きて、自由にやって。危ない時は守ってやって。
上手いこと、どこかの天才サマが打開策を見つけてくれる時を待つ。
当然、有り余っている自分の力が必要となれば、喜んで手を貸そう。
ラスボスが高らかな笑い声と共に現れたのならば、全身全霊で戦ってやろう。
それでいいんじゃないか。あれやこれや考えたり悩んだりしなくても、いいんじゃないか。
「それはヒーローとしての使命?」
「いーや」
「俺がそうしたいから、だ」
「なんだ、私と同じだね」
篠澤広は、ふにゃりと笑う。
今にも崩れそうな弱弱しい身体を、今にも消えてしまいそうな儚げな趣きを、それでも精いっぱい、元気いっぱいに輝かせて。
アイドル活動も、この戦争からの脱出も、目標100回の腕立て伏せ(サイタマ考案)も、何もかも上手くいかないまま、それでも何一つ諦めずに笑い続ける。
ラーメンの汁は口元を汚したままだし、ねぎはほっぺについてるし、なんかもう食べきれないみたいな雰囲気をこちらに醸し出してるけど。
またかよ。だから無理に大盛りに挑戦するのやめろって言ってるじゃん。
守ってやらなきゃな、と改めて思う。
強くなり過ぎた弊害で薄れていた感情が、篠澤広という問題児の面倒を見ることで少しずつ戻って来ているのを感じる。
充実感。今はただ、この感情に浸っていたい。
「それで良いと思う」
「約束。サイタマは、サイタマの──」
夜は静かに更けていく。六等星が、小さく煌めく。
最強の男と、最弱の少女を包み込みながら。
真っ暗闇の中に、2人を誘いながら。
冥奥領域は、確かに東京を侵食していく。
悲鳴を上げる沢山の人々の魂を余すことなく吸い上げながら。
悲鳴も上げられない幾つもの街を白地(じごく)に変えながら。
終わりの時は、刻一刻と迫ってくる。
【3】
3月31日。
その日はとても忙しかった。異常なほどに忙しかった。
悪いヤツはひっきりなしに湧いてくるし、困っている人もそこそこいたし。
ひいこら言いながら趣味のヒーロー業をせっせとこなしている間に、いつのまにか夕方になっていた。
『全広未踏の腕立て伏せ2回、達成』
そんな中で広が短く送ってきた念話に心躍らせ、しかしそれを悟られるのもシャクなので『じゃあラーメンな』と短く返しながら、襲ってきたやつをワンパンし。
その後もウキウキなのを必死に隠しながら、鼻歌は隠せずに、夜遅くようやく広の住む学校の前までやってきて。
このへんで深夜までやってるラーメン屋はどこだったかなーと呑気に考えている道中、急に身体が引っ張られた。
令呪によるサーヴァントの強制転移。いったいどうしたんだ。明日から新学期だし、待ちきれなくなっちゃったのか?
まあ確かに夜更かしは美容の大敵だって聞くからなー。
広もアイドルやるってんだから、ついにそのあたりを意識するようになってきたのかもしれないな~。
そうなると、夜分に連れ回すのはこれからなくなっていくのかな。少し寂しいような気も
篠澤広が死んでいた。
「は?」
開け放たれた窓。荒らされた部屋。抵抗のあとは、ほとんどない。
あるはずがない。篠澤広にそんな力はない。何も出来ず、即座に致命傷を受け、最後の力を振り絞って令呪を用いて。
サイタマが転移された時には、全てが終わっていた。手遅れである。
敵(ヴィラン)は去り被害者が倒れているだけの現場に、ヒーローは遅れてやってきた。
「なんだよ、それ」
終わりの光景を前に、サイタマは短く呟く。そうすることしかできなかった。
サイタマにはヒーローとしての才能がない。
地球そのものを砕ける無敵の拳を持っていても。
山より硬い超規格外の肉体を持っていても。
光速を捉え切る神速の敏捷性を持っていても。
精神世界に勝手に這入りこみ、亜空間さえも掴み取る理不尽な力があっても、なお。
サイタマは、肝心な場面に間に合わない。運が悪く、勘が悪い。
ヒーローにとって、救済する者にとって、その才能の無さは致命的である。
だから彼は、どうやってもセイヴァーにはなり得ない。
どこまでいってもランサー止まりの、出来損ないの救世主。
「またかよ」
脳裏に蘇るのは、いつかの終末。
座による召喚だからこそ記憶に持ち得ている、なかったことになった未来。
廃棄未来で、彼は一度大切な弟子を失った。
絶対悪に成り果てたとある男に、大切な存在を奪われた。
現在、零れた臓器が。過去、剝き出しになったコアと被る。
現在、ぐちゃぐちゃになった生身が。過去、バラバラになった機体と被る。
被らないのは、終わりを引き起こした元凶。倒すべき相手。拳を向けるべき仇。
敵がいない空間で、殴ることしかできない男は一人、立ち尽くすしかない。
「…………ぁ」
だから、
「広……?」
「おい、今の、広だよな」
「広、しっかりしろ!広!」
死にゆく少女が見せたほんの少しの生気に、彼はがぶりと齧り付いた。
サイタマの転移を感じた下手人がトドメまでは刺せなかったのか。
それとも、こうなることを見越した上で、サイタマをこの場に留まらせるべくわざと即死させなかったのか。
どうでもよかった。そんなことを考える余裕など、サイタマにあるはずもない。
「待ってろ、今すぐ救急車呼んでやるからさ!」
どう見ても間に合わない。致命傷である。今、生きているのが不思議なくらいだ。
そんなことは素人のサイタマにだって分かっている。
「俺が運んでやるってのはどうだ!?」
そんなことをしたら、それこそ広の身体はバラバラになってしまう。
強すぎる力に、弱すぎる少女は耐えられるはずもない。
「じゃあさ、じゃあ、さ……」
そもそも、どんな名医が今この場にいたとしても。
診断は定まっている。死は確定している。
魔法や奇跡にでも頼らない限り、結末が覆ることなどない。
「なあ、広。なあ、なあ……」
治癒の力もなく、時を戻すことも出来ず、奇跡を起こすことなど、無理に決まっていて。
それでも、篠澤広にやってやれることが一つでもないか、探す。必死に、探す。
何か出来ることはないか。俺が出来ることはないか。
分からない。分からないまま、がむしゃらに言葉を紡いで。
「誰にやられた?」
不意に、一つの感情が鎌首をもたげた。
それは何も出来ない無力感をかき消すための、絞り出した悲鳴のような感情。
自分自身の心を守るための、攻撃衝動。誰にだって発生しうる、ありきたりな心の働き。
「ぶっとばしてやる」
害意である。殺意である。
ヒーローにあるまじき、恩讐の炎である。
血管が浮き出る。目が血走る。感情が沸騰する。
埋めようがない悲しみを、晴らすことのできる怒りに置換する。
殴ることしかできない男は、殴る対象こそを求める。
いったい誰だ。
広は色んな奴らと開けっぴろげに交流していた。危ういくらいに。
大人しそうな見た目と裏腹にぐいぐいと来る彼女は所謂コミュ力が高く、この会場に来てから新しい友人を何人もこさえている。
彼女がこの学園の寮に住んでいることも、知ってるやつは何人もいるだろう。
そいつらのうちの誰かが、隠していた殺意を遂に露わにしたのか?
もしくは、俺がぶっ飛ばした後に消滅しなかった悪党という線もある。
悪党の末路などいちいち確認などしていなかったし、恨みを買っていた可能性も大いにある。
そいつが俺たちの根城、この学園の寮を突き止め、俺がいない間にこの凶行に及んだのか?
じゃあ、トドメを刺さなかった俺のせいか。俺がもっとしっかりしていれば、広は死なずに済んだのか。
ああ、頭を使うのは苦手だ。そういうのは弟子の領分だ。
分かりやすい黒幕がいて、そいつをぶん殴ればすべて終わりくらい簡単な世界だったらよほどよかったのに。
悪党はとっちめられて、善人はみんな助かって、俺はヒーローとして称賛される。そんな都合の良い未来だったらよかったのに。
実際の世界は理不尽だらけで、何の罪もない広は死んで、悪いヤツらは未だにこの地でのさばり続けてる。
全部、全部、壊したくなる。それが出来る力が、サイタマにはある。
「…………さいた、ま」
鬼のように、復讐鬼のように恐ろしい形相をぎらつかせながら。
それでも、溢れんばかりの力を抑えて篠沢広の傍らに座り込むサイタマを見て。
かすれ、薄れゆく視界の中で、広のために怒ってくれているヒーローを見て。
篠澤広は、この世界でただ一人サイタマの相棒(サイドキック)を務め切った少女は。
いつものようにゆっくりと、だけどしっかりと、最後の力を振り絞り。
「……て」
「おう、なんだ!言ってみ……」
「すきに、いきて」
それっきり。
篠澤広は、何の言葉も発さなくなった。
加害者の顔も名前も特徴も、何一つ残さなかった。
最期まで、彼女は呪いの言葉を遺さなかった。
代わりにあの日、ラーメン屋でサイタマに与えた祝福を、死の間際に再び灯らせて。
少女は、星すら渡るサイタマでさえ手が届かぬところにいってしまった。
宙の上で小さく懸命に光っていた六等星は、戦の炎光に紛れて消えた。
「…………………………………ああ、分かったよ」
ならばこそ。
怒りはある。憎しみはある。消えない。消えるわけがない。
それでも、広が望むのならば、俺は俺の好きに生きてやる。
彼女の死に囚われることなく生きてやる。
『ヒーロー・サイタマ』として、消える瞬間まで自分の趣味(いきざま)を貫いてやる。
困っている人がいたら助ける。悪いヤツがいたらぶっ飛ばす。俺は、それだけでいい。
遍く存在を救いうる『セイヴァー』様にはなれなくたって。
憎しみで胸を焦がす『アヴェンジャー』にはなることなく。
広との、大切な友達との約束を貫く『ランサー』として。
最後までいつも通り生きてやろうと、そう決めた。
「……ん?」
そんなサイタマを、光が包み込む。霊基が粒子に返還される。
マスターを失ったことによる座への強制帰還。退場措置。
弟子を持ち、友を持ち、並び立つ仲間たちを持ったサイタマは単独行動、それに準ずるスキルを持たない。
だから、並外れた力を持っていようとも、聖杯戦争の
ルールには逆らえない。
どれだけ良い感じの決意を顕わにしたところで、彼がこの地に留まれる道理など
「ふんっ!!!」
光の奔流が、止まった。
止まってしまった。
「おお、気合で何とかなるもんだな」
サイタマ。ワンパンマン。最強の男。超越者。リミッター(人類種限界到達地点)を外した者。
いわゆる外れ値である彼は、彼の世界で様々な理不尽を行使してきた。
巨大怪獣をワンパンし、神からの祝福を得た人類悪に殴り勝ち、宇宙最大の爆発であるガンマ線バーストさえも防ぎ切り。
搦め手であっても、毒も、精神攻撃も、放射能汚染も、亜空間追放さえも通用しない。
ありとあらゆる全てが規格外(EX)の男は、まぎれもなくこの聖杯戦争における最強の存在は。
この領域の道理さえも捻じ曲げる。
「んー……もって1日ってところか。気ぃ抜いたらまーたキラキラしそうだし」
そんな男であっても、残り滞在時間はたったの1日。捻じ曲げられるのは24時間程度。
4月1日の間に、彼は消える。2日を迎えることなく消滅する。
もしも本気(マジ)を出したら、猶予はさらに目減りするだろう。
それでもよかった。広が必死に生きたこの世界を、あとほんの少しの間だけでも目に焼き付けていたかった。
彼女の遺した「祝福」を、遺された自分は大事にしないといけないと思った。
サイタマは走り出す。夜更けだ。悪いヤツらが闇に潜みながら悪事を行う時間帯だ。
ならば、休んでいる暇などない。
嘘だ。ちょっとだけラーメンは食べたいかも。仕方ないじゃん、好きに生きるんだから。
まずは街に繰り出そう。闇の中に飛び込むのはそのあと。沈んだ気持ちのままでは、広だって浮かばれない。
誰かが通報したのだろう、サイレンの音が遠くから聞こえる。
きっと4月1日の朝にはニュースになっている。広の知り合いは彼女の死を悲しんでくれるだろうか。
もしも消える前に出会ったら、警告くらいはしてやってもいいかもしれない。幼気な女の子を狙う暴漢が出るぞ、と。
「よし、やるか」
4月1日。0時0分。エイプリルフールにして、広の命日。
1人の少女が死んだことなど嘘のように賑やかな街の光に照らされて。
余命1日の光景を前に、ままならなさを受け入れながら、サイタマは往く。
六等星のごとき小光の少女と、超新星のごとき超光を放つ男の旅路。
その果ての景色を定める、葬送の日が始まりを告げた。
【CLASS】ランサー
【真名】サイタマ@ワンパンマン
【ステータス】
筋力EX→A+ 耐久EX→A+ 敏捷EX→A+ 魔力E 幸運E 宝具EX
【属性】秩序・善
【クラススキル】
対魔力:D
【保有スキル】
理の超越者:EX
サイタマの力の芯となっているスキル。現在の人類では解明できない領域の能力としてEX(規格外)の扱いを受けている。
星の開拓者と同じくあらゆる難行が「不可能なまま実現可能な出来事」として扱われ、例外的に行うことが可能とされる。
ただし、こちらは「人類史におけるターニングポイント」ではなく「人類種におけるターニングポイント」を持つ存在に与えられる。
いわば、このスキルの発生は新人類の誕生と同義。ただし、再現性がないため人類史全体で見るとあまり意味がない。
このスキルで可能なことは挙げていけばキリがないため割愛するが、簡単に言うと「どんな敵でもワンパンし、どんな攻撃も効かない」と考えれば分かりやすい。
ただし、サイタマと同じくEXクラスのステータスやスキルや宝具による影響は受けるものとする。
サイタマが4月1日現在、マスターを失っても冥奥領域に留まれているのもこのスキルによるものだが、かなりの無理を言わせているため
- 滞在期間はおおよそ1日が限度。
- 座への帰還自体は確定事項のため、他マスターとの再契約は不可能。
- 筋力、耐久、敏捷のステータスがEX→A+程度にまで減少。
- 下記宝具などを用いた規格外の戦闘を行った場合、滞在期間が更に減少する。
といった縛りが発生している。
また、いわゆる人理世界の聖杯によって「型にはめられた」からか、その世界における「魔法」と定められた行為は実現不可能となっている。
よって、ガロウ戦ラストで見せた時間遡行もしくは平行世界への転移は現状不可能とする。
ヒーロー:C~A
ヒーローとしての資質。サイタマはヒーロー協会所属当初、協会から公式に「Cランクヒーロー」として認識された。
混沌、もしくは悪属性を持つサーヴァントとの戦闘で筋力、耐久、敏捷の値にプラス補正がかかる。
冥奥領域において現在はCランク程度の効果しかないが、多くの人々に「ヒーロー」として認識されればランクが最大Aまで上昇する。
実力偽装:D
サイタマはそのふざけた見た目でありとあらゆる存在に対してナメられる。
相対した者は初見、初撃においてのみ彼への警戒心が薄れてしまうため、防御、回避値にマイナス補正がかかる。
天性の逆運:E
サイタマにはヒーローとしての運がない。勘がない。
肝心な場面に間に合わず、本当に大切なものは守れない。霊基に刻まれた一種の呪い。
このスキルが発動した場合、サイタマの持つありとあらゆる能力を無視して「サイタマの望まない光景」が彼の前に広がることとなる。
【宝具】
『必殺・マジ殴り』
ランク:E~EX 種別:対人~対星宝具 レンジ:1~計測不能 最大捕捉:1~計測不能
サイタマの放つ渾身の拳が宝具となったもの。ランクは威力によって変動する。
本来はただのパンチでしかないが「理の超越者」によって規格外の肉体を手にしたサイタマが振るえばそれは星さえ壊す一撃となる。
派生技として『マジ反復横跳び』『マジ水鉄砲』『マジちゃぶ台返し』などが存在する。
この宝具を用いた場合、サイタマの冥奥領域における滞在時間が減少する。
【weapon】
拳、足。他全て。
【人物背景】
最強の男。
ヒーローには向いていないが、それはヒーローをやらない理由にはならない。
【サーヴァントとしての願い】
好きに自由に生きる。困っている人がいたら助けて、悪いヤツがいたらぶっ飛ばす。
……それはそうと、広を襲ったやつが判明したら絶対に一発殴る。それくらいは良いよな?
【マスターへの態度】
広、見てろよ。
【マスター】
篠澤広@学園アイドルマスター
【マスターとしての願い】
死者は願いを抱かない。
【能力・技能】
死者が振るえる力はない。
【人物背景】
輝かしい未来を捨て、向いていないアイドルを目指した少女。
辛くとも苦しくとも、最後まで好きに生きた。故人。
【サーヴァントへの態度】
サイタマ、応援してるね。
【備考】
篠澤広を殺害した下手人、並びに彼女の友人は本企画において明かされる必要はありません。
どちらも既に死亡しているというケースでもOKです。
最終更新:2024年05月26日 19:03