闇夜の襲撃者


「おぉぉらぁッ!!!」


裂帛の気合と共に、巨剣が振り下ろされる。
それは鉄塊を削り出して作ったかのような無骨そのものの巨剣であり、その剣を軽々と操る怪力によって放たれる一撃は、文字通り岩をも砕くであろう威力を持っていた。
そんな一撃を防がんと、影が躍り出る。
彼の一撃の威力を知る者は「無謀」と思うだろう。
だが、その岩をも砕く、『破岩剣』と名付けられた一撃は激しい金属音をあげ、影が手にした「何か」に阻まれた。


「ッ…!!」


自分の一撃を持ってしても微動だにせずに防ぐ影に、ディプスの焦燥の色が濃くなる。







時は数分前に遡る。
魔物退治の任務を終えた傭兵フィーク・ディプスは自宅へ向けて移動している最中だった。
周囲は既に日が落ちていたが、自宅のある村まではあと4?5kmも歩けば着く距離まで来ていたので野営はせず、そのまま家に帰ることにした。
ディプス自身も既に幾度となく通った道。
最近では賊や魔物も殆ど出たことがない安全な道であり、万一賊や魔物の類に出会ったとしても並大抵の相手に遅れをとることはない。
故に警戒することなど何もない、はずだった。

最初に感じたのは怖気だった。
一気に気温が絶対零度にまで下がったような、そして全身を冷たい無数の針が貫いたような、そんな錯覚。
それを認識した瞬間、ディプスは荷物を放り捨てて愛用の大剣を構えていた。
次の瞬間ディプスの眼に映ったのは「何か」を振りかぶり、今まさに突き出さんとする影だった。
突き出される「何か」に殆ど反射的に剣を振り上げ、衝撃と共に高らかな金属音が響いた。
だが影は即座に「何か」を引っ込めると恐るべき速度で再びディプス目掛けて突きを見舞う。
その攻撃をディプスも大剣で打ち返すが、その瞬間影は既に引っ込めていた「何か」をディプスの脇腹目掛けて突き放っていた。
打ち返そうにも剣は既に振るった後で、大地呪文で防ごうにも、身を捩って避けようにも今からでは間に合うはずもない。
その逡巡が功を奏するはずはなく、ディプスは右脇腹に凄まじい熱さと、異物感、そして衝撃を受けて吹き飛んでいた。
ディプスが状況を理解するよりも早く、身体が街道の地面に叩きつけられ更なる激痛がディプスを打ちのめす。
同時に嘔吐にも似た不快な感覚が喉から込み上げ、それを堪え切れなかった口から大量の血と咳が溢れ出た。
だがそれ以上にディプスの身体に、脇腹からの激痛が襲いかかる。
見れば彼の脇腹は激しく穿たれ、傷口からは夥しい血が流れ出つつあった。
内臓も今の一撃で潰されたかどうかはわからないが、とりあえず傷口からはみ出ていなかったのは僥倖だろう。
それを確認したディプスは、大剣を握り視線を影のいる方へと向ける。

ディプスが攻撃を受けて吹き飛ばされ、地面に落ち、負傷を確認して「敵」を視認するまで1秒も経っていない。
だが、それでも少なくともこの場においてはディプスはあまりにも暢気だったと言えよう。
ディプスが視線を影に戻した時、影は既にディプスの至近の距離で「何か」を振るっていたのだ。
狙いは心臓、精度は必中、速度は神速、威力は即死。
「何か」の先端がディプスの心臓を串刺しにせんと迫る。


「『撃』!!」


ディプスの叫ぶと同時、影の足元で爆発が起きる。
直撃を受けた影は後方へと体制を崩し、それに伴って「何か」の軌道も逸れ、神速にして必中の一撃はディプスではなく何もない空を穿った。
その僅かな隙を見逃さず、ディプスは強烈な脚力で影の足元を蹴り払う。
固い感触と共に影の体勢は更に仰向けに傾くが影はそれを踏み耐え、眼前のディプス目掛けて「何か」を突き出す。
だがディプスは脇腹からの激痛を必死に無視しながらいち早く身体を左に転がして立ち上がり身構えており、「何か」が地面を突き穿つ。

ここに至って初めてディプスは相手の姿をハッキリと見ることができた。
闇夜よりも尚黒く、禍々しい甲冑で頭から足先まで覆われ、兜の額と頭頂部の左右から計3本、鈍い銀色の角が生えている。
バイザーの奥からは何の感情も宿さない、オレンジ色の双眸が明確な零下な殺意だけを投げかけていた。
背中からは緑色の蝙蝠のような翼が広がっている。
よくわからなかった、手にしていた「何か」は円錐状の穂先を持つ槍だ。
ディプスはその姿に心当たりがあった。
最近ステルディアを中心に活動を目撃されているという、「ニヴェルコス」という賊だった。

相手が何であるかを認識したと同時に、ディプスは己の命運を悟った。
ディプスとて数々の視線を潜り抜け、数々の強敵難敵を下してきた猛者である。
だからこそディプスは先ほどの攻防だけでニヴェルコスの力量を正しく理解していた。
例えディプスが任務に赴く前の万全の状態で、仲間たちの援護を得て死力を振り絞って尚勝てるかどうか――それほどまでにニヴェルコスの力量は圧倒的だった。
ましてや今は周囲に仲間はおらず、任務の帰りで体力は大きく失われ、脇腹には深く穿たれた傷を負い、激痛が身体を苛み、出血により視界は霞み、意識も遠のきつつある。
勝てる道理などどこにもなかった。

だがディプスとしてもここでむざむざ殺されるわけにはいかない。
悲鳴をあげる身体に家族達の顔を思い浮かべて喝を入れ、ニヴェルコス目掛け、大剣を振り上げた。


「おぉぉらぁッ!!!」


裂帛の気合と共に、巨剣が振り下ろされる。
それは鉄塊を削り出して作ったかのような無骨そのものの巨剣であり、その剣を軽々と操る怪力によって放たれる一撃は、文字通り岩をも砕くであろう威力を持っていた。
そんな一撃を防がんと、ニヴェルコスが躍り出る。
彼の一撃の威力を知る者は「無謀」と思うだろう。
だが、その岩をも砕く、『破岩剣』と名付けられた一撃は激しい金属音をあげ、ニヴェルコスが手にした槍に阻まれた。


「ッ…!!」


自分の一撃を持ってしても微動だにせずに防ぐニヴェルコスに、ディプスの焦燥の色が濃くなる。
否、それだけではない。
剣と槍が激突した衝撃はディプスの身体にも伝わり、ぽっかりと穴を開けた傷口から想像を絶する激痛が走る。
対するニヴェルコスは素早く槍を引き、怪力のディプスに比肩する膂力で突きを放つ。
ディプスはその槍の穂先を大剣で弾いて軌道を反らして防ぐが、ニヴェルコスは信じ難い超速度でもって弾かれた槍を引き戻し、ディプスが剣を振りかぶらんとする前には既に次の突きを放つ。
咄嗟にその突きを大剣の腹で受け止めて辛くもそれを防ぐ。
だが矢張りその次の瞬間にはニヴェルコスは槍を引き戻し、更なる突きを放っている。
その突きを再び大剣の腹で受け止めるも既に次の突きが放たれている。
ニヴェルコスの圧倒的なまでの技量の前にディプスは防戦一方を余儀なくされていた。
ディプスが懸命に攻撃を防いだところで「防いだ」手応えがディプスに伝わる前に、ニヴェルコスは既に突きを放っているのだ。
反撃しようにも隙などなく、隙を作る隙も、それを突破する糸口を思考する刹那すら与えない猛攻。
ディプスが反撃に思考を費やそうとすれば、痛みに怯めば、その瞬間ニヴェルコスの槍は自分の身体に大穴を開けるだろう。
思考ではなく本能でそのことを理解したディプスは、激痛を噛み殺し必死にニヴェルコスの猛攻を捌いていた。
一合、二合、三合、槍と大剣が激突する度にけたましい剣戟の音が周囲に響き渡り、その度にディプスの身体を耐え難い激痛が襲う。
そして七合打ち合うとニヴェルコスはこれまでよりも大きく槍を振りかぶった。
それを見てとったディプスは本能的に剣で防御の体勢を取りつつ、来るであろう衝撃を逃がすべく後方へと跳んだ。
それに対しニヴェルコスは槍を突くのではなく、横薙ぎに槍を振るう。
後方への跳躍が功を奏したか、穂先はディプスを捉えることなくディプスの前を素通りする。
だがその瞬間、槍の薙ぎ払いによって衝撃波が放たれディプスを捉える。
防御の体勢をとりつつ後方に飛び退らんとしていたディプスに衝撃波が直撃し、ディプスの身体は凄まじい衝撃と共に後方へと大きく吹き飛ばされる。
それによりディプスの体勢が崩れたのをニヴェルコスが見逃す筈もなく、ニヴェルコスは背の蝙蝠のような翼を広げて飛び立ち、槍を振りかぶりつつディプスを追う。
程なくしてディプスは地面に落下するが、空中でニヴェルコスの衝撃波を受け止めたことで全く踏ん張れなかったために何度も地面をバウンドして再び宙に浮きながら更に後方へと転がっていく。
ニヴェルコスはトップスピードで飛行してディプスにの真上に躍り出ると体勢を整える隙を与えず急降下してディプスの頭部目掛けて突きを繰り出す。
先ほどは倒れたディプスを攻撃しようとした際に大地呪文で不意を突かれたため、同じ過ちを犯さない為の行動だったのだろう。


「『壁』+『壁』+『壁』+『壁』=『羅生門(ラショウモン)』!!!」


結果としては皮肉にもその用心が仇となった。
薄れゆく意識と全身を襲う激痛を必死に抑え込み、何度も地面をバウンドしながらも発動した渾身の術。
ディプスの声と共に大地が壁状に隆起し、全ての敵を睨み殺さんばかりの形相の鬼面と呪詛と見紛う呪紋の浮かぶ岩壁となりディプスを守った。
繰り出すニヴェルコスの一撃は鉄塊ですら打ち砕くであろう無双の威力であり、岩など豆腐を貫くがごとくである。
だが、鬼面は「何者も通さぬ」という鬼の如き執念を体現するかのように、『羅生門(ラショウモン)』の名を持つ岩壁は僅かも欠けることなくニヴェルコスの無双の一撃を完全に防いだ。
防がれた一瞬で『羅生門(ラショウモン)』の破壊が不可能であることを悟ったニヴェルコスは反撃を避けるべく上方へと飛翔し眼下を見据える。
対するディプスは鬼の形相を浮かべる『羅生門(ラショウモン)』の陰に潜んだまま、姿を見せない。
ニヴェルコスは少しの間、ディプスの出方を伺っていたが矢張りディプスは『羅生門(ラショウモン)』の陰から出て来ない。
そもそもディプスの攻撃では上空のニヴェルコスには届かないため、必然的にニヴェルコスが降りてきたところを迎え撃つことになる。
それを理解したニヴェルコスは『羅生門(ラショウモン)』を迂回してディプス目掛け急降下する。
だが、トップスピードではなく不意打ちを懸念して急停止が可能な域の速度である。
そもそも近接戦での技量は圧倒的にニヴェルコスに分がある。
精神も肉体も摩耗したディプスでは、今度こそニヴェルコスに対して勝ち目などない。

――――――――――――その筈だった。
眼前に映る光景にニヴェルコスの動きが止まる。
突撃を見越していたディプスが飛び込んできたわけでもなく、既に準備を終えていた大地呪文による攻撃が飛来したわけでもない。
『羅生門(ラショウモン)』の陰から、ディプスの姿が忽然と消失していたのだ。
ディプスはつい今の今まで『羅生門(ラショウモン)』の陰に潜んでいた。
証拠に、『羅生門(ラショウモン)』の陰にはディプスから流れ出たであろう血が水溜りのように広がっている。
だが、その血の主の姿だけがない。
無論、ニヴェルコスが『羅生門(ラショウモン)』の陰から躍り出るディプスの姿を見逃すことなど有り得ない。
周囲を見回してもこの闇夜のどこにも、ディプスの姿はない。

結論から言うとニヴェルコスはフィーク・ディプスと言う傭兵を見誤っていた。
ニヴェルコスはディプスが死の間際まで生きようとあがき、諦めず反撃を試みるだろうと踏んでいた。
あの負傷を負った状態で何度も攻撃を防ぐ力量も正しく評価していた。
だからこそ反撃を警戒して少しの間様子を見、不意の反撃にも対処できるよう敢えてトップスピードではなく多少余裕を持たせたスピードで急降下を行ったのだ。
だが、フィーク・ディプスはニヴェルコスが想定しているよりも臆病で、何よりも「逃げる」ことができる男だった。
ニヴェルコスは知る由もないが、ディプスは『羅生門(ラショウモン)』でニヴェルコスの攻撃を防いだ瞬間、もう一つ別の大地呪文を発動していた。
その呪文とは地中に潜る効果を持つ『土竜(モグラ)』。
勝ち目が皆無であると悟ったディプスは『羅生門(ラショウモン)』でニヴェルコスの攻撃をやり過ごして隙を作り、その隙をついて『土竜(モグラ)』で地中に潜り見事ニヴェルコスから逃げ遂せて見せたのだ。
『土竜』を発動したということは知らずとも、幾ら周囲を見回してもディプスの姿はなく、少なくとも取り逃がしたことを悟ったニヴェルコスは追撃を断念し、翼を広げてその場から飛び去っていった。

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小説 短編
最終更新:2012年03月28日 02:07