雪の国の猛者 ~3の付く日の幸運~
某月某日、家内と息子が交通事故で死んだ。
今になっても、あれが俺の人生最大の転機だったと思う。
俺が軍に入隊したのは単に貧乏だったからだ。
配属は陸軍歩兵科。
他の同期の連中と共に、上官殿にどやされながら訓練や実戦をこなした。
そうしている内にダチの紹介で知り合った女と出会い、なんだかんだと意気投合するうちに結婚してもう何年かしたら子供も出来た。
多分この辺が一番幸せだった時期だと思う。
けどそれも長くは続かなかった。
さっきも言ったように、家内と息子は交通事故で死んじまった。
車同士が正面衝突したようで、向こうの車に乗っていたヤツも即死だったらしい。
心に決して埋まらない深い溝ができた気がした。
それからというもの、俺は今まで以上に苛烈に任務に打ち込むようになった。
班の仲間の誰よりも早く敵を倒し、班の仲間の誰よりも多く敵を倒した。
あんまり任務に打ち込んでたせいか、仲間が「あいつは正気じゃない」と噂しているのを聞いたが、俺自身も正気かどうかは定かじゃなかった。
任務に打ち込むのはあの絶対に埋まらない溝を埋めたいからだ。
任務中は、家族がいない寂しさを忘れられる。兎に角仕事だけが心の拠り所だった。
そうして任務をこなし続ける内に、とうとう「その日」はやってきた。
「その日」の午前、突然少佐殿に部屋に呼び出された。
小奇麗に片づけられた部屋に行くと、中では少佐の他にもう一人、見慣れない男がソファに腰かけていた。
左側頭部に大きな爪で裂かれたような傷跡があり、上着は膝の上に乗せていた。
その男は観察するような視線をこっちに向けていたが、すぐに口を開いた。
「お前がベロフ伍長か?」
「はっ!陸軍第二師団第三連隊第二中隊第三十小隊第二分隊伍長スピリドーン・ベロフであります!」
傷の男の問いに、敬礼しつつ威勢よく名乗りをあげる。
上着を膝の上に乗せているせいで、階級は分からないがぞんざいな口調を使ったということは上官に間違いないだろう。
「極地及び特殊軍事作戦遂行部隊大佐カーネルだ。早速だけどベロフ伍長。お前ウチに配属決まったから」
開口二番、目の前の
カーネル大佐はとんでもないことを言った。
極地及び特殊軍事作戦遂行部隊。一般的には「
スペシャルフォース」の通称で知られる、オルカ軍の超エリート部隊だ。
その大佐にいきなり呼び出され、いきなり転属、しかも栄転宣告である。
「は、ははっ!!!ありがとうございます!!」
兎に角、敬礼して光栄の意を表しておく。
それを見たカーネル大佐は上着を羽織って立ち上がった。
「諸々の手続きとかは追々やっとくから、異動の準備だけしとくように。以上、下がっていーよ」
それだけ言うとカーネル大佐は出て行った。
少佐が何やら若干嫌味が入った労いの言葉をよこしていたが、この時の俺の内心はそれどころじゃなかった。
正直、何かのドッキリの類と言われた方が遥かに現実味があった。
ふと、気になって腕時計で日付を確認すると30日だった。
余談になるが俺は3月3日に生まれで、昔から3のつく日は何かといいことがある「ラッキーデイ」だった。
今回もそれは変わらなかったらしい。
それから、転属の手続きや栄転祝いの飲み会、スペシャルフォースで使うらしい装備の為の身体測定などで矢のように日が過ぎ去っていった。
俺が正式にスペシャルフォースに配属されたのは翌月の13日のことだった。
「極地及び特殊軍事作戦遂行部隊第三小隊長カルロスだ。以後、貴様は俺の指揮下に入ることになる」
スペシャルフォースの本部にいくと、カーネル大佐は挨拶もそこそこに、俺は早速小隊長に引き合われた。
どうやらカーネル大佐は気安い半面、こういった形式ばったことはなるたけ省きたがるようだ。
それは兎も角として、このカルロスという男が俺の小隊長らしい。
如何にもエリート軍人らしい、鋭い目つきの男だったがあちこちにうっすら見える傷を見れば士官上がりでなく、俺と同じ兵卒出身だということが伺えた。
「我が部隊は貴様が今までいた、通常の陸軍とはワケが違う。これまで以上の使命と誇りを胸に任務にあたれ!!」
「ははっ!」
敬礼を返す俺に対し、カルロス小隊長が頷く。
その時、背後のドアからノックの音が響いた。
ドアの向こうにから聞こえて来たのは男の声だった。
声からして俺と同年代ぐらいだろうか。
「入れ」
カルロス小隊長の短い返事と共に、ドアが開くとそこには男と女が一人ずついた。
男の方は顔に大きな傷痕がある黒人系の男で、女の方はそこそこの金髪美人だった。
名前からして、男がスパンクマイヤ、女がマルグリットだろう。
「丁度いいところにきたな。こいつが本日付で我が小隊に配属されたスピリドーン・ベロフだ」
「元陸軍第二師団第三連隊第二中隊第三十小隊第二分隊伍長のベロフであります」
カルロス小隊長に紹介され、敬礼で先輩2人に挨拶をした。
だが、それを見たスパンクマイヤは面白そうに顔をゆがめた。
なんというか、悪戯小僧をそのまま加齢させたような表情だ。
「肩の力抜けや、えーっとスピ…あぁ、名前長いからドーンでいいよな。俺はスパンクマイヤだ。呼び易いように呼んでくれや」
「マルグリットだ。今日からお前の同僚になる。宜しく頼む」
「はっ、宜しくお願い致します!」
2人の挨拶に返事をすると、マルグリットは怪訝そうな顔を、スパンクマイヤの方は今にも吹きだしそうな顔になった。
何か妙なことを言っただろうか。
「だからそういう畏まった喋りはやめようや。俺達ゃお前の上官でも先輩でもねぇんだからよ」
「はっ?」
事態を飲み込めず、自分でもマヌケと思える声を出した俺に見かねたカルロス小隊長が苦笑いしながら口を開いた。
「ベロフ、こいつらも貴様と同期だ。本日付で我が小隊に配属された」
その発言に耳が熱くなるのを感じた。
配属初日は、そんな弛緩した空気のまま終わることになった。
配属2日目は、早速今までいた通常の部隊の訓練がまだラクな部類であったことを思い知らされた。
「遅い遅過ぎる!!!寝ぼけてるのか貴様ら!!!!」
「もっと気合を入れて打ち込め!!さもなきゃ義手にでもしてこい!!!!」
教育役でもある上官に檄を飛ばされるのは通常部隊と同じだ。
だが格闘、射撃、移動、通信、その他云々。求められるスキルのハードルが、通常の部隊のそれとは比較にならない程高い。
訓練の内容も歴戦の兵士である俺でも音をあげそうになるものだ。
だが正直、これだけならまだよかった。訓練が比較にならないほどキツいのはある程度予想がついていた。
問題はもっと別の個所に潜んでいた。
俺は訓練中、それをうっすらと感じていたがこの時点ではまだそれがハッキリしなかった。
俺がそれをハッキリと認識したのは、俺とスパンとマギー(スパンクマイヤとマルグリットをこう呼ぶことにした。また、スペシャルフォースではファーストネームで呼び合うのが通例らしい)で演習をした時のことだ。
俺は、陸軍で鍛えた潜伏でスパンを捕捉していた。
銃口をこちらの正確な位置を把握していないであろうスパンの頭部に向ける。
マギーは既にスパンに撃たれて負けたらしく、後は俺とスパンの一騎討ちだ。
スパンは丁度岩陰から別の岩陰に警戒しつつ移動しようとしているところだった。
頭部に照準が定まる。その瞬間、スパンの顔が俺の方に向く。スパンも俺を捕捉したのだ。
だが、俺のスナイパーライフルの銃口は既にスパンの頭を狙っている。
勝ちを確信し、トリガーに力を込める――――――その瞬間、ヘルメットの中に被弾を知らせるブザーと、カルロス小隊長の声が響いた。
「演習終了、スパンクマイヤの勝ちだ」
俺は何が起こったのか理解できず、数瞬の間ではあるが呆けていた。
答えは実に単純明快、俺はスパンに撃たれて負けた。ただそれだけのことだ。
尤も、俺を発見したその刹那の間に俺に照準を合わせて正確に俺の頭を撃ち抜いた、という補足が必要になるが。
呆ける俺に対し、スパンは余裕たっぷりにニヤけた声でこう言った。
スパンの驚くべき能力はそれだけではなかった。
正直なところ、俺は格闘術はあまり得意ではない。
もといた部隊の中でなら並の上くらいの腕前はあるのだがそれよりは銃の扱いの方が、遥かにいい成績を残せた。
だが、スパンは格闘戦の技量も俺以上だった。
俺の繰り出す拳や蹴りを、まるで未来予知で知っていたかのように実に的確に捌き、俺をねじ伏せる。
空軍出身だというマギーは小型のジェットブースターを使った戦闘では恐るべき戦闘能力を発揮した。
この小型のジェットブースターは俺も何度も使ったことがあるし、そんじょそこらの奴に負けない自信があった。
だが、マギーは俺よりも遥かに圧倒的だった。
何といっても位置取りが抜群に上手い。俺が攻撃・反応し難いような角度に即座に回り込み一撃離脱を行う。
俺だって来る方向は大体読めるのだが、マギーはその反応の限界を超えて攻撃を仕掛けてくるのだ。
勝ち目など、あろうはずもなかった。
「天狗の鼻を折る」、「井の中の蛙」という諺があるが俺はまさにそんな気分を味わっていた。
俺がいた隊では俺より優秀なヤツはそうそういなかった。
格闘が突出して上手い、隠密行動が突出して上手いなど個々のスキルで俺を上回る奴ならいたが、総合力なら俺が最強だった。
だが、ここでは違った。
単純にスパンとマギーと俺を比較すると、一番優秀なのは間違いなくスパンだ。
あれから何度もスパンと演習を重ねたが、苦手な格闘はおろか得意の射撃ですら一度も白星をもぎ取れなかった。
そしてスパンはその度にこう言うのだ。
「遅ぇってんだよ、ドーン」
悔しかった。凄まじい屈辱だった。
せめて得意の射撃だけでもスパンから勝ち星をとりたかった。
このままで終わってなるか、とスパンやマギーに負けないよう、訓練に打ち込んだ。
俺だってスペシャルフォースの一員なんだ、自分にそう言い聞かせ続けた。
いつしか、スパンは俺の中での目標になっていた。
そんな訓練の甲斐あってか目標に狙いを定めるまでの時間もどんどん縮み、脳が認識したと同時に7割がたの狙いをつけられるようになった。
だがそれでも結果は相変わらずだった。
転機が訪れたのは、俺達がスペシャルフォースに配属されて1年ほど経過した時のことだった。
国境近くの森の中に、軍の機密を盗んだ間諜が逃げ込んだらしい。
相手は隠密行動のスペシャリストで、軍用犬ですら煙に巻いてしまうほどらしい。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺達カルロス小隊だった。
俺達はカルロス小隊長の指揮のもと、特殊スーツに身を包んで雪深い森に入った。
軍用犬をも欺くだけあって、捜索は困難を極めると思われた。
目標は訓練された歩法でもってほぼ完璧に痕跡を消しながら森の奥へ奥へと逃走していた。
だが、対するこちらの人員も只者ではなかった。
カルロス小隊長はほんの僅かな痕跡をも目ざとく見つけ、次第次第に目標へ追いついていった。
見つかってからはなし崩し的に事が進んだ。
追いつかれた間諜とその護衛は携行していた火器で攻撃するが俺達の敵ではなかった。
俺から見れば、相手の動きが面白いほどスローに感じる。訓練の効果が如実に出ていた。
それはスパンやマギーも同様だったようで赤子の手をひねるように、次々敵を無力化していく。
やがて、間諜と護衛が全て無力化される。
まず一段落、俺だけでなく他の3人もそう思っただろう。
だが、その瞬間バイザー越しにとんでもないものを見た。
離れた木の影に、男が狙撃銃を構えて潜んでいる。
既に銃口は俺達、否、スパンに向けられ今まさに引き金がひかれようとしていた。
今からスパンに知らせても銃弾がスパンの頭を貫く方が間違いなく早い。
瞬きにも満たない時間で事態を把握した俺はほぼ反射的に銃口を男に向け、照準を合わせる。
与えられた猶予時間は秒未満、失敗すればスパンは死ぬ。
―――充分だった。充分過ぎると言ってもよかった。
俺は俺自身が驚くほど、刹那の内に冷静に正確に、寸分の狂いなく狙撃手の頭に狙いを定め、引き金を引いていた。
サイレンサー付きの発砲音が聞こえるよりも早く、狙撃手の男は銃弾に頭を貫かれて事切れていた。
僅かに遅れて、スパン達も事態に気付いた。
スパンは豆鉄砲を食らったような顔で俺に尋ねた。
「俺、狙われてたのか」
「ああ」
俺の返事は短く、あっさりしたものだった。
別に嫌味でもなんでもなく、単に自分自身がここまで成長したことに驚いてそれ以上言葉が出なかったのだ。
それを聞いたスパンはすぐにその顔をニヤリ、と歪ませた。
俺を小馬鹿にする時のあの表情だった。
「助かったぜ。これからも援護頼むわ」
だがその言葉に、一点の邪気もなかった。
言葉からはスパンの信頼がありありと読みとれた。
目標としていたスパンから信頼される。これほど嬉しいことはなかった。
ふと日付を見ると23日だった。
といっても、それから何かが大きく変わったわけではなかった。
空戦ではマギーには勝てないし、射撃でも格闘でもスパンには勝てない。
だが、今まで見下したような色しかなかったスパンの軽口の中に俺への信頼が混ざるようになっていた。
俺の勝手な思い込みかも知れないが、少なくとも俺はそう感じていた。
「どうしたぁ、ドーン」
そのスパンの一言で俺は過去から現在に引き戻される。
気がつくと、目の前に特殊スーツで身を包んだスパンの姿があった。
窓を見れば外は一面のブリザード。
俺達は
ギュスターブ研究所に侵入した連中を排除に向かう途中だった。
敵は少数ではあるものの、相当な強敵らしい。
「いや、なんでもない」
だが、負ける気はしなかった。
スパン、マギー、カルロス小隊長、ヴァルケ、ショルキー、ジョン、俺。
何も問題はない勝てる。
例えどんな強敵が相手でも、俺たちなら―――
俺達を乗せた輸送機は、間もなくギュスターブ研究所に到着しようとしていた。
最終更新:2012年03月28日 01:28