※注意書き
鬱です。長いです。またところどころ残虐描写有。
【2014/11/30 夜】 加筆、修正。
我らが、呪いを思い出せッ!!!我らが苦痛を記憶せよ!!!! 死を想い、死と踊れ!!!!! 明日は我が身と記憶せ ――――
目が覚めて、この世界に生まれ落ちて初めて聞いた言葉だった。
脳内、否、魂そのものに響くような、外界に届くことのない声なき声。
なけなしの力を振り絞るような声変わりをしていない少年の声。
それにしては威厳に満ちた、そんなような声だった。
僕の両手両足に値する部分にはまだ乾いていない血液が流れて丘に滴り落ちていた。
丘には僕と同じ十字架が幾つも並んでいて、その上に縛られたニンゲンが叫び、呻き、懺悔し怨嗟が木霊する。
よく見れば、この異常な光景に例外は無く、僕にもニンゲンが縛られている。
12、3ほどのまだ、幼い子供だった。その四肢は夥しい血液を流していて、両目を剥いて酷く、恐ろしい形相で息絶えていた。
彼と触れている面から生暖かい温もりを感じるから、きっと息絶えて間もないのだろうと悟る。
彼が僕を呼んだのか。それともこの場に渦巻く怨嗟が僕を目覚めさせたのか。
死人は二度と口を開かないから、もう解らない。
ニンゲンの真似をして息を吸うように体を動かして声を発してみようとしたけども、重苦しく禍々しくてすぐに言葉が詰まる。口が、開けない。
それ程にこの場の空気は重たく、淀んで、ただただ負の感情だけが生死の淵に立たされ、すぐには死ねず極限まで苦しめられる者たちの慟哭と共に渦巻いて。
常人ならば、霊気にあてられ気が狂うほどのものだろう。だけども僕はそれなりに冷静な思考を保っていられた。
僕はニンゲンではない。意思を持つなんてことのない十字架である。だから、きっと大丈夫なのだろう。
そんな中、一人の男が丘に立っているのが見える。
赤く、長い髪の片目を隠した眼鏡をかけたまだ20台前半ほどの若い男だった。
何故この空気に犯されない?彼は、目の前の光景を嘆くわけでもなく、寧ろ喜ばしいと感じているように思えた。
背筋が震える、急激に体温を奪われる感覚。生まれて初めて自身の糧となる恐怖を自覚する。他人のものではない、自分のものだ。
この異常な光景が怖い、慟哭が怖い、目の前の男が怖い。それだけで永遠にこの地で生きていけそうなくらいの恐怖だった。
男は喪服のような漆黒で、死を具現したような不吉な装束を身につけていた。
だけども不思議と神聖で神の使いのようにも思えた。しかし、僕の目にはその姿が当初抱いたように酷く恐ろしく不吉な悪魔のように映る。
重苦しい風が、男の纏う漆黒の装束を弄ぶが彼は微動だにしないのがまた恐怖を駆り立てる。
ふと、男と目があった。綺麗な碧の色をしていたが、濁ったように淀んでいる。
そんなことを考えていると僕は、その澱んだ瞳に射抜かれた。
きゅっと一瞬時が止まった感覚と共に身がすくみ、魂の奥底から震えを覚える。
彼がねっとりと見つめるのは僕か、息絶えた子供か、それともその両者かは解らない。
そんなことを考えていると、赤く染まった槌を持ったままの男が恍惚を湛え、笑う。
……そうだ。僕はこの時に見た光のない澱んだ碧の瞳を、狂気を湛えたような瞳をよく覚えている。
『ある十字架の追憶』
あれから、ひと月ほどだろうか。僕が生まれて、それくらいの時間が経った。
既に、この場に命あるものは僕と、目の前に寂しく広がる空と、海。そして静寂に包まれた街とそれを囲むように広がる森くらいだ。
このひと月何があったかって?次々と連行された何人ものニンゲンが、僕と同じ十字架に縛りつけられその生を慈悲なく奪われるだけだ。
目が覚めて最初の頃は怖くて仕方が無かったけども、僕はこの異常な光景に慣れてしまった。いや、麻痺したというべきか。
呻く亡者の声にも、大量の死体にももう動じることはなく、こうして哀れみすら感じることができるようになっている。
ほとぼりが冷めたのか、最後の一人が息絶えて亡者になったのを見届けた連中は、物言わぬ骸を埋葬することもなく放置し、丘を離れていった。
取り残された僕の気持ちにもなって欲しいものである。生まれてすぐに生き物が生き物じゃなくなっていく光景を見せつけなくてもいいじゃないか。
まあ、ずっと恨み言を叫ばれていても困るけども。お陰でこのひと月、寝不足で仕方がない。
そうそう、僕に縛り付けられた子供は遂には真っ白で酷く痩せた骨だけの姿となってしまった。
こんな無残な姿をずっと雨風の下に晒しておくのが趣味なのか。ニンゲンって悪趣味な生物なんだな、そう思った。
しかし、周囲に静寂はなく風は相変わらず重苦しい。今でも、あの慟哭と嘆きが風に乗って、周囲に吹き荒れているようだった。
行き場を無くした無念、理不尽な終焉に対する怒り、処刑と拷問の痛みに狂う無数の魂。
瘴気にも似た腐毒が渦巻くこの凄惨な処刑場には、ただでもそういったものに敏感な獣は寄り付かないのだろう。
そりゃあそうだ。僕だって幾ら慣れたとはいえ、逃げられるなら今にでも逃げてしまいたい。
考えているうちに、ふとどうしようもない感情が浮かび上がる。
――――― 寂しいなぁ。
周囲は少しは静かにしろと言わんばかりに喧しいのに。なんでだろうか。
そうこうしているうちに3月が経った。来訪者はなく、僕の置かれた環境はずっと変わらないままだった。
相変わらず亡者達は元気なもので、煩い癖に人の話は全く聞かないから話し相手にもならない。
僕と同じように目覚める仲間もおらず、僕は常にひとりぼっち。即ち、孤独であった。
意識ある限り、囁く怨嗟と逃げられない現実、そしてこの亡者の塊と重苦しい風が吹き荒れる孤独な空間が僕を歪めて犯していく。
彼らの思念を受けるだけで新たな記憶が蓄積され、島のこと、彼らのこと、世界のこと。僕は彼らが持っていたいろいろなヒトの知識を得た。
同時に発達し始めた自我を憎しみと恨みという全ての色を混ぜ合わせたような漆黒に染め上げていく。
どろどろに崩れた泥の中に押し込まれて汚されるようなそんな感覚。
こんなの、いらないのになぁ。だけども、亡者達は誰かに自分たちの身の上を知ってほしいのか、思念の干渉は止まることはない。
そうそう。どうして彼らがこんなにも凄惨な死を経て亡者になったかって?
彼らは元はこの丘を持つ小島の住人であった。島の近くには大きな大陸があって、ここよりもっと多くの人々が暮らしている。
この島は、その中でも大きな西の国の管轄ギリギリの位置にあって、住人たちは船で大陸に行くこともあったらしい。
彼らは大陸に伝わる古の闇の神霊を信じ、その教え通り人間らしく奔放に振る舞い、そしてあらゆる欲望に身を預け続けた。
でも、自然と島は独自のルールでまとまっていたし、あくまでニンゲンの世界で言う一般常識なるものが大いに欠けていただけだ。
島の外部には一切手出しをしなかったし、生贄だって外のニンゲンを使うわけでもなく自分達の島の中で選んでいた。
そうだ、彼らは余所から見れば墜落を極めていたものの自分たちのテリトリーで全てを完結していた。
外部に一切の迷惑はかけていなかったし、彼らは一般的な常識から外れようとも満足していたし幸福であったのだ。
なのに、なのに。彼らの平穏は秩序の名の元に突如破壊されてしまった。
『あいつら』は、彼らを邪教の使いと断じて僕が生まれる僅か前にこの島に攻め込んだ。
そして、当時の島民のほぼ全てを巻き込む一方的な拷問と処刑という虐殺を神の救済と浄化を掲げて行った。
それも、ニンゲンの世界で言う一番残酷で、禁止する国家も多い方法をわざわざ用いて行ったのである。
年老いた老人も僕に縛り付けられた子よりも小さな子も見えたから、邪教徒である島民ならば対象は問わなかったのだろう。
特に島の中心者であった教団幹部や教祖一家に対してはその仕打ちは思い返したくないほどに酷いものであった。
最後の晩餐たる美酒も、骨砕きの慈悲も授けず、ただただ見せしめとして長く苦しむように仕向けたのである。
僕に縛り付けられた少年もその一人である。僅か10と少ししか生きていない子供にさえ、痛みのあまりに精神が崩壊することも稀ではない無慈悲な死を連中は強いたのだ。
……邪教徒なのはどちらだと連中かもしくは連中の信じる神とやらに声を高らかにして問いたいものだ。
全ての亡者の思念に触れた僕は、すっかり彼らの思想に染め上げられてしまっていたのだろう。
理不尽な死を与えた聖人が憎い、凄惨な虐殺を虐殺と気づかない神が憎い、それを言われるがままに実行するヒトが憎い。
そんな人々を生み出す宗教がただただ憎く、恐ろしく、狂ったものと思うようになっていた。
僕を取り巻く亡者のように、激情が次々に湧き出しては心に溜められていく。いつか盛大に吐き出せと言わんばかりだ。
この燻る感情を吐き出す相手は誰もいない。ここから脱兎の如く逃げ出したくても十字架である僕はどこにもいけない。
まだ生まれて3月。死と怨念と触れ続け、恐怖と孤独に磨り減った心はもはや限界に達し、今にも音を立てて壊れてしまいそうだった。
不安定なココロ、終わらない孤独。吐き出せない痛みと苦しみ。
しかして、沈黙はいつかは途絶える。止まった時計はいつかは動き出す。
そうだ。あれは、白い雪の降るある寒い日のことだった。僕を取り囲むこの環境は、一変した。
仲間たちに縛り付けられた白骨が、ふるい落とされ、仲間たちが引き倒される。
3月にも渡る処刑は此処に終了した。邪教徒の成れの果てを埋葬することもなく、仲間たちがかつて教団として使われた建物に運ばれていく。
次は僕の番だった。乱暴に引き倒され、あの少年ともこれで別れることとなる。少々寂しい気もするが、これであの亡者たちから解放されるのだろうと思うと少しだけ安堵できた。
しかし、その認識が甘かった。役目を終えた道具は、処分される。
この環境からの解放は即ち僕の死を意味するのだ。僅かに抱いた希望さえも砕くあまりにも巨大な絶望、それを強く叩き込まれる。
建物に入った瞬間、目に飛び込んできた景色に背筋が凍り、まるで高いところから突き落とされたような感覚を覚えた。
先に運ばれた仲間が無残な姿で『処分』されていたのだ。
そう、これは救いなどではなかった。ただ、冷酷な死を与えられるだけだった。
あの邪教徒たちと同じように無残に、そして凄惨に。
そうこうしている間にも、『処分』は開始される。まず、その『右腕』を取られる。離せよ、という僕の呟きは連中には届かない。
鋭いノコギリが腕の付け根に当たる部分に宛てがわれ、ゆっくりと引き下ろされ、切断される。
刃が動くたび激痛が、走る。痛い、痛い。
「……ん?おかしいな、そんな硬かった覚えはないんだが……」
「おーい、 。団長が呼んでんぞ。お前帳簿書き忘れただろ」
「あ、いけね。今行くよ」
大きな音を立てて、僕の腕が床に転がる。
刻々と近づく死の吐息。しかし、腕を切り落としたニンゲンは己の得物を見て小首を傾げた。
痛みに声をあげそうになるが、普通十字架は喋らないものだ。痛みを抱え込んで、押さえ込む。
微かな声。僕を殺そうとするニンゲンのものではなかったが、多分その仲間の声なのだろう。
ニンゲンはノコギリを傍らに置くと、僕をほっといてその場を後にした。
ニンゲンが置いていったノコギリは、まるで鉄にでもぶつけたかのように刃がぼろぼろになっていた。
思えば、これが奇跡のひとかけらだったのだろう。
―――― 逃げるなら、今しかない。
僕は、切り落とされた右腕の痛みを堪え、ここからの脱走を決意した。
目を閉じて、霊力を解き放つ。まずは自由に動けるよう“化ける”ことを優先する。
化けることは器物の化身たる付喪神としての能力の一つで謂わば擬人化のようなものだ。ほら、昔からよくあるじゃないか。武器とか……そうそう、最近だと船が有名だったな。
化ける方法は至って簡単だ。なりたい自分をイメージし、姿を作り上げることで化けることができる。
しかし、今は緊急事態だからかつて僕に縛り付けられていた少年の姿をそのまま借りた。
この数ヶ月の生の中で僕にはこの島で無残な死を遂げた邪教徒の記憶が備わっている。そこから「なりたい自分」のイメージを起こしたわけだ。
あの亡者達の記憶がこんな所で役に立つなんて。そう思えばあの経験もただの苦痛ではなかったのかもしれない。
さて、ニンゲンに近い体を手に入れた。これがあれば自由に動き回れるだろう。
激痛に悲鳴をあげそうになるのを俯いて必死に殺して、解体人が他のニンゲンに呼び止められた一瞬の隙をつき、僕は一目散に建物の外に逃げ出した。
「苦しい、痛い、助けて!!!」
追いかけてくる僧衣のニンゲン達を振り切って、喚き散らしながら森に向かって走る。
生まれて初めて声を出した。それは助けを求める悲鳴に似た叫び。僅か3月で吹き消されそうな生を渇望する慟哭である。
「なんだ、あの子供は!?」
「おいおい、幽霊騒ぎとか勘弁してくれよッ!!」
「嘘だろ……あいつ、確かに殺した筈だぜ?死亡確認も取ってる」
「……ともかく、追いましょう。もう一度処刑されねば気が済まぬようで」
「ウルスラ、俺はお前のほうが怖い」
僧衣のニンゲン達は、僕を見るや驚くものもいたし、どうして生きているとのたまう者もいたし、まだ残党が残っていたのかと叫ぶ者もいた。
あの邪教徒の少年の姿を借りたから、自分たちが粛清した邪教徒の残党か幽霊か何かと思っているのかもしれない。
だけどそんなことを気にしている暇などない。逃げなくては。遠くへ、より遠くへと。
片腕に持続する鋭い痛みと疲弊しきった精神。足が止まりそうになるけども、ここで足を止めてしまったら僕はバラバラにされて殺されてしまうのだ。
誰にも祝福されない、誰にも愛されないもはや用済みの道具で、生まれてから教えられたのは亡者の記憶と強い悪感情だけ。
……それでも、僕は死にたくないし、あのただ騒ぎ散らすだけの亡者の群れになんて混ざりたくない。
繰り返すが生きるためには捕まってはならない。足を止める猶予は残されていなかった。
幸い、ニンゲン達は僕から比べればずっとのろまであったからすぐに彼らのいる建物から出て、建物の裏に広がる森の中に転がり込むことができたのだ。
「もう大丈夫、怖くないよ」
「だれ……?」
森の中に入って、闇雲に走って自分のいる場所が解らなくなったその時、弱々しい若い男の人の声を聞いた。
落ち着きを払っているけど、声は震えているし早口だし小声だ。
それはまるで木々が風に流されながらざわめき、囁くような声だ。こんな状態じゃなければ聞き過ごしてしまう程の。
「さあ、こちらにおいで。私は君の敵ではない」
「……っ!あ!?」
言葉が発せられる位置など解らない。どうせ僕を捕まえようとする連中の罠だろうと思っていた。
声から逃げなければ。でも、もう足が動かない。走ることなんて出来ない。
足を動かそうとした刹那、小石に躓いてバランスを崩した僕の体は地面に向かって仰向けに投げ出された。
「…つぁ!?う、ぁ……。あ”あぁぁッッ!!!!!」
地面に体が叩きつけられる。体が軋む、必死に殺していた右腕の痛みが一際強くなって僕を蝕む。
森の中に鋭い悲鳴が響く。それと共に、鳥たちがざわめいてその場から飛び立っていく。
――――― 苦しい、苦しい、苦しい。痛い、誰か……。
痛みで意識が朦朧とする。ニンゲンと違う僕は、ニンゲンと同じ方法で傷を治すことはできない。
本体である道具が壊されてしまったら修復して貰うまで痛みは延々と僕を苦しめるのだ。
だから、どれだけ堪えても、どれだけ痛みを訴えても切り落とされてしまった右腕から痛みは消えない。
この島にいるニンゲンは僕を殺すために追いかけてくる連中だけ。あとは獣と喧しい亡者だけだ。助けを求めても、無駄なのは解りきったことなのだ。
「……あぐ……っうぁ……、あぁ、あぁ……」
体を引きずり、這ったままで森の奥へ向かおうとする。
今の悲鳴で、場所が解ったのかどうかは解らないが、遠くで足音が聞こえたから誰か森へ入ってきたのだろう。
しかし、僕はこの通り満身創痍の状態だ。満足に逃げることも隠れることも出来ず、連中に見つかるのも時間の問題と言えた。
「嫌だ……来るな……来ないで……」
「怖がることはない。ニンゲンに生み出され、好き勝手に消費される宿命を背負った哀れな付喪神。即ち、君を救いに来たんだ。さぁ―――」
声を振り切ろうと、なんとか体を動かして救済という甘い誘惑を拒絶する。
しかし、逃げ回っているにも関わらず返答は僕の背後から響いた。同時に背後で強い霊気の奔流が蠢く。
摩耗しきった心身で恐る恐る振り返る。黄昏時を過ぎていたのか、木々が生い茂る森の中だったからかは解らないが、それは摩耗しきった僕の眼にもはっきりと見えた。
霊気の奔流の正体は、あまりにも鮮明に映る光だった。眩しすぎる陽光でもない。丘の上から見つめ続けた遠くを行く帆船の光でもない綺麗な光だった。
懐中電灯の明かりにしては眩しすぎるなと思いつつ光を見上げたその瞬間だった。
あっと声を上げる間もなくこの不可思議な光は僕を飲み込むように覆い尽くした。
ああ、捕まってしまったのか。この後どうなるかは、解っている。僕は、僕は……。
光の中から出ようにも見えるものは真っ白で、眩しくて目がくらむ。目がくらむと同時に、今までなんとか保てていた意識が薄れていく。
意識が朧げになる中、ふと誰かに抱かれるような触感と浮遊感を覚えた。幼い子供を抱き上げ、あやすように暖かくて優しくて、恨みから生まれた僕には不釣合いだった。
だけどももし、命の終わりがこんなに優しくて暖かいものなら、それでもいいかなと思えるくらいこの光は暖かなものだったのだ。
「目が、覚めた?よかた、よかた、ね」
意識が覚醒する。桃色の髪の褐色の肌、極めて中性的な容姿をしたニンゲンが僕を見下ろす。
「今度は付喪神?
メリアス様、ホント節操ねえなぁ」
「それは言ってやるなよ。彼がいなければ私達の大半は死んでるんだし」
「違いねえな。さて、水でも持ってきてやっかね……ずっと魘されてたみたいだし」
「……この前みたいに暴れないわよね……?この、ガキ……大人しそうに見えて、とんだ怪物なんだから……」
「あのさぁ、チャンダナの様子は?うきゅーとかいいながら目ぇ回して倒れてたじゃない?」
「あぁ、ガワがだいぶやられたが大丈夫みたいだ。あいつ、死気は苦手だからな」
ここは、どこだ。
ただ一つ言えることは予想に反し、僕はまだ生きているということだ。
あの時、僕は何者かに捕らえられた筈では。……否、救われたのか?連中が慈悲を下すとは思えない。では、誰が、どうやって?
どうやら、僕が意識を失って再び覚醒するまで数日が経過しているようだ。
その間、意識を取り戻しても訳のわからない言葉を呟き、酷く怯えて時には我を失ったように暴れることもあったらしい。
意識を失えばこれまた譫言を繰り返し、酷く悪夢に魘され苦しんでいたという。
……おかしいな、僕にはまるで記憶がないのだが。
何があったのかは知らないが、ある原因において精神の均衡が崩れ去り、正気を失っていたのだろうと告げられ、納得がいった。
それ程までの極限状態であったことは覚えているし、そんな中それなりの冷静さを保てていた自分に驚く程だ。
しかしながら、数日意識を失っていたというのになんともだるい。眠れるのなら、まだ少し寝ていたくなるほどに。
といっても、あの丘にいた頃は殆ど眠っていたことなどなかったのだが。
だるさと痛みの残る体を揺り起こして周囲を見渡す。ずきんと右腕が痛むが、唇を噛んで声を殺した。
くぐもった微かな悲鳴にさえ反応したのか、僕の周りにはヒトが集まっていて、彼らの隙間から島の景色とは違う、全く別の世界が覗く。
どこまでも続く作り物のような空と、見たこともないような広大な平原と、青々とした木々が集う森だった。
空気はとても澄んでいて、今まで重々しい空気しか吸ってこなかった身としては空気ってこんな綺麗だったんだと思うほどだ。
「ああ、良かった。気はしっかりしているかい?どこか、具合が悪いところは」
「だ、だ、だだ大丈夫です……あの……」
僕を取り囲む集団をかき分け、月桂冠を頭に乗せた女性のように華奢で真っ白な肌をしたヒトが近寄ってくる。
ああ、この声だ。あの森で聞いた声は、この人の声だったのだ。
「よしよし、なんだい言ってご覧。ほーら痛くない」
「た、たたたすけ……うあぁぁぁぁ!!!?い、痛くなんてないです大丈夫ですほんとなんですしんじてくだしあ…!!」
彼は僕の体に細い腕を回すとそっと抱きしめてくれた。まさかこうくるとは。
びっくりしたあまり自分でも何を喋っているか解らないほどに、思考を吐き出す。ただびっくりしただけなのだ。信じて欲しい。
彼は何度も、咳き込んで、痛みに悲鳴をあげながら病人のような顔を歪めて、僕に触れて痛くて辛いはずなのに、それでもずっと僕のことを抱きしめ、撫でてくれた。
自分が害され、殺されそうであってもだ。いつしか切り落とされた右腕の痛みは止まっていて、心もすっと静かになっていく。
自覚してしまった。僕には触れたものに対し、被害を与える能力が備わっているのだと。
思えばあの時のノコギリも、きっとその能力で蝕まれたからあんなにボロボロになっていたのだろうと。
今まで、亡者とくらいしか触れ合っていなかったから、気付かなかったのだ。亡者はモノに触れることはできないから。
「あ……ぐ………ッ」
「……ッ!! ご、ごめんなさい……!!!」
そう思うも束の間だった。短い呻き声、それを残して僕に体を委ね、ヒトが糸が切れたよう倒れる。
口端からは真紅の血を流し、僕を抱いていた腕には微かなひび割れが走っているのが見えた。
謝罪の言葉を呟くや、僕は彼の腕から逃れようとした。悪意はなかったが、触れただけでヒトをここまで蝕む怪物である自分が酷く恐ろしく映る。
彼から離れると、側近らしきが人物達が彼を囲んで、僕を睨む。そして、その筆頭らしきガタイのよい少年が僕をがっちりと掴み、束縛する。
少年は背も高く、筋肉質だったがそれにしても凄まじい腕力だ。僕に触れた瞬間だけ僅かに怯み、その肌を溶かされようにも僕の身体を決して離さない。
残りの面々も僕を睨み、口々に言葉を交わす。多分危害を加えるものと認識されたのだろう。
僕は、ただ抱かれただけなのに。
もしや、この能力は身に纏うこの死の記憶が原因なのだろうか?自分でもよくわからない。
「………ッ 大人しくしろ、うちの神様に手を出したんだ。すぐに切り殺されないだけマシだと思いな」
少年が低い声で告げる。あぁ、また希望はこうも儚く砕かれるのか。
「い、いえ……僕は、わる、ぎ……は……」
「結果としてこうなった以上、ちと窮屈な思いをしてもらうぜ。まあ、最終判断は今お前が引っ倒したヘタレでお人好しで甘ったれな神様次第だけどな!」
少年に拘束されたまま思考を巡らせる。少年の腕は筋肉がついていて、ごつごつしている。
でも、生き物のものに思えないのはなぜだろう?幽霊なら、そもそも触れることもできないだろうし、解らない。
神様と呼ばれるヒトに抱かれた時も同じ感覚を感じた。しかし、この少年とは対照的で真っ白で細くて今にも折れそうだったけど、それでもその体は暖かかった。
そう、確かに温もりを感じたのだ。あの光にも似た暖かい温もりを。
ああ、何を渇望しているのだ、何を求めているのだろうか。
あの島から僕を連れ出して助けてくれたが、希望なんてすぐに砕かれるだけじゃないか。
期待するだけムダなんだ。この望まれぬ生命に意味など、あったのだろうか。絶望と希望が心の中でせめぎあう。
「取り敢えず、部屋んなかいこか。そろそろ夜になっちまうしな」
「……はい」
僕の思考は現実に戻される。少年の言葉に頷くと、少年に拘束されたまま連行される。
鋭い視線は未だ降り注ぎ、敵意すら感じた。特に白い目をした少女のものはおぞましいという度合いのものではなかった。
魔女の少女は舌をだし、あかんべーをし、東洋の僧侶のようないでだちのおじさんは彼女たちをやれやれといった様子で一瞥し、頭を掻いていた。
「あのヒトが目ェ覚ますまでは、じっとしてな。なに、部屋の中でなんもしなきゃ俺らも目くじら立てねえよ」
こんなことさえなけりゃ、盛大に歓迎の宴を催してやったんだけどな。と少年は僕を部屋の中に押し込めて去っていく。
そうだ、僕はこんな優しい人をこうして害してしまった。部屋に備えられた簡素な寝台にそっと身を預ける。
僕の中に巣くう記憶(もうじゃ)がいいぞとせせら笑う。
神は無慈悲で残忍、冷酷なる存在だ。だから、こうしていい。もっとしていいと僕を急かすのだ。
僕だって神は嫌いだ、あんな目に合わされたのだ。あの場で僧衣のニンゲンが帳簿をしっかりつけていたなら、こうして思考することすら出来なかったのだから。
だけども彼はそう呼ばれているだけで実は神様ではないのではないかと期待してしまう。
亡者達が神を害せと合唱する中、ようやく平穏が手に入るのかも知れないと思えば胸の高鳴りが止まらない。
そうだ、僕は多くの生き物がごく当たり前のように得られる安堵と温もりと平穏を確かに渇望していた。
死と生の狭間でまだ生き続けるという救済を望み、都合の良い希望を抱いてしまうのだ。
神様なんか、信じたくないのに。
憎くて、憎くて、絶望して、反吐を吐きそうになるほどなのに。
あんな存在になんて祈りたくも縋りたくもないのに、神という万能な存在により与えられる救済に身を預けてしまいそうになる。
「………変なの」
涙は流れない。しかし、そう呟く僕の顔は泣き顔だった。
最終更新:2014年11月30日 23:32