「ユキ、大丈夫?」
ベッドに向かって、
ヴィダスタが話しかける。普段彼女が使っているそこはかけられた毛布と掛け布団とその下にいる人物によってこんもりと山型になっていた。
山から返事の代わりに電子音がし、顔を耳まで真っ赤にしたユキが布団から顔を出し、のろのろとした動作で体温計の結果を確かめる。
「1、……6の……E?」
「39.1度な。逆さまに読む人初めて見たわ」
ゆら〜っとユキの腕がベッドの外へと動き、ヴィダスタが体温計を受け取って今度は自分の体温を測り始める。
「39度は冗談抜きで大丈夫やないな〜……」
ベッドの傍らに座りこむヴィダスタもまた、赤くほてった顔にうるんだ目をしていた。その額には冷えピタが貼られているが、すでにぬるくなっている。
「そういうヴィダスタこそ、熱があるんでしょ?」
台所から
ティマフが氷枕を持って現れ、ユキに渡してやる。
「まあ、38度くらいやろな」
「それならお前も寝てなきゃ。 ああ、こら、枕をかじるんじゃないの!!」
「むぅ〜〜〜〜〜〜!」
ティマフがあわてて氷枕を取り上げ、ユキが布団の中からうめき声だけで抗議する。
今度は枕をかじらないように強く念を押し、ユキが力なく頷くのを確認してから、氷枕がユキに戻された。氷枕というよりは、抱き枕のように顔を押し付けているが、もうティマフもヴィダスタも指摘しない。
ティマフは一回ため息をつくと、今度はヴィダスタの額にあった冷えピタを強引にはがし、新しいものと取り換える。
冷えピタを貼ったりはがしたりするたびにヴィダスタが悲鳴をあげるが、ティマフはお構いなしだ。
今度はヴィダスタがため息をつく番だった。
「……もうちょっと優しくしてくれへんか?」
体温計から電子音が鳴り、ヴィダスタがさっと結果を見て体温計をリセットする。
「ティマフかて熱あるんやろ?」
「このくらいすぐに治るよ」
そう平然と言ってのけ、ティマフはまた台所に引っ込む。しかしそれが、ヴィダスタには逃げているようにしか見えない。
どちらにしろティマフの顔や腕は今や全体的にピンクがかっており、平熱でないのは明らかだった。
本当なら3人とも大人しく寝ているのが好ましいのだが、今ヴィダスタが住んでいるアパートの部屋にはベッドが一つしかなく、しかもティマフは自分の風邪そっちのけで動き回ろうとしている。
「今度簡易ベッドでええから買い足すか」
しかし目下の問題は……。ヴィダスタは自分の咳が収まるのを待って、ティマフを台所から呼び戻した。
ティマフもおそらく、ヴィダスタと同じことぐらい考えていたのではないだろうか。つつーっと台所から顔だけ出してきた。
「……なあ、ティマフ。3人ともこれやときついんとちゃう?」
「だからって、どうするの?」
やっぱりというように、ティマフの顔が苦々しいものになる。
当然だろう。今からヴィダスタが提案することは、ティマフにとって決して本意ではない。ヴィダスタにしても散々後回しにした選択肢だ。
ベッドから遠慮のない咳ばらいをして、一時的に声の通りを確保したユキが聞いてくる。
「誰かの家に転がり込むの?」
ヴィダスタが深く頷き、まだ苦い顔をしているティマフを見やる。
「さすがに3人いっぺんには無理やろうけど、こういう時はそれぞれ誰かに頼ってもええんとちゃうかな」
ティマフは苦い顔を崩さなかった。おそらく、自分の意地と体調を秤にかけているのだろうが、ヴィダスタは何も言わずにティマフから視線を外した。
傍らのユキが、ゆっくりと起き上がりだしたからだ。
「そーゆーことなら……」
ふらふらとおぼつかない足取りで、ユキは部屋の窓まで歩いて行った。
「まさか……っ!」
「あんた、それは!」
ティマフとヴィダスタが同時に呟き、ユキが思いっきり窓を開け放った。
開けた窓から流れてくる喧噪やまだ冷たい風も吸い込むように、ユキが深呼吸する。
そのまさかだった。
「フォーーールァぉおお?!」
ほとんど空に向かってユキが声を張り上げ、すんでのところでティマフがユキを窓から引き剥がした。
即座にヴィダスタが窓をしっかりと締める。
「フォルアをギャグキャラにするのはやめようね〜!」
「だって今日リナウェスタの近く通るって言ってたし絶対聞こえるって!」
「アホぬかせ、聞こえる距離におるわけないやろ?!」
直後に、玄関から聞こえるノック。
ヴィダスタが頭を抱えるのは、頭痛のせいだけではなかった。
「……冗談きついわほんま」
ヴィダスタが玄関を開けると、目の前には予想した通りの人物が立って……
「えっと…その…歩いていたらユキさんの声が…。…ヴィダスタさん、風邪ですか?」
「レオン?!」
……いなかった。
「……まあ、ちょうどええわ。入って?」
「あ…はい?」
そして肝心の(?)フォルアはというと、
「……なんでおるねん」
「直線距離で来ただけだが?」
さも当然というように窓から入っていた。そしてさっきまで元気よくティマフと口喧嘩をしていたはずのユキは、ちゃっかりフォルアの腕に収まっている。
今度こそヴィダスタは頭痛に頭を抱えた。
「まあでも、そういうことだから。ユキの方よろしく」
いつ事情を説明したのか。ティマフがユキの分の荷物を渡す。
「事情は分かったが……、お前たちは大丈夫なのか?」
毛布にくるまれたユキ(お泊りセット付)を抱きかかえ、フォルアが聞いてくる。なぜかティマフだけ部屋中を動き回って忙しそうに荷造りを続けていた。
「まあ、うちらは実家を頼るし。気にせんでええよ」
「そー、そー。3人いっぺんに世話になるわけにはいかないしね」
ヴィダスタがひらひらとフォルアに手を振る。そこにやたらと大きく膨らんだかばんを抱えたティマフが、ヴィダスタの隣に戻ってきた。
「で、はいこれ。ヴィダスタの分」
「うちは実家行くねんで? 荷物とかいらんやん。しかも重……」
荷物の重さに辟易したヴィダスタの額に、今度は紙が押し付けられた。
「
転移行!
」
「ひ……っ!」
レオンはその一瞬何を見たのか、転移されるヴィダスタの顔を見て小さく悲鳴を上げた。
「どこに、送ったんですか……?」
「ディプスのとこ」
ティマフはなんら悪びれた様子もなかった。フォルアが呆れて溜め息をつく。
「せいぜい、殺されないようにな」
「うん、がんばる」
アパートを去るフォルアを、いたずらっ子よりもたちの悪いティマフの明るい声が見送った。
「さて」
仕事も済んだとばかりに、ティマフは部屋を見回す。
レオンと目が合った。
「あの、ティマフさんはどうするんですか?」
「寝る」
「はい?」
レオンは一瞬あっけに取られたが、すぐに気を取り直した。
「そうじゃなくって! ティマフさんも誰かのところに行くんでしょう? よければ」
魔界に来ても構いませんと言いかけたレオンを、ティマフは笑顔のまま遮った。
「ただの風邪だよ。いや、ユキしか医者に行ってないけど。それでもたいてい寝てれば治るものだよ」
「でも……」
「レオン、気をつけ!」
それでも食い下がろうとしたレオンに、ティマフが号令をかけた。
「はい?!」
「回れ右! そのまま前進!」
号令されるがまま、いや、実際はティマフが背中を押したりしているのだが、レオンは玄関先にまで追いやられた。
「レオン、せっかくきてくれたのに悪いんだけど」
ティマフはそのまま、レオンを玄関の外に押し出した。
「ごめん、また治ったら遊びに行くから!」
「ちょっと、ティマフさん!」
大きめな音を立てて、レオンの前でドアが閉められた。
「ふぅ……」
レオンがアパートの階段を降りていく音を聞きながら、ティマフは今度こそ仕事は終了とばかりに服を脱いだ。
「うぁ、やばっ」
そのまま何度も転びそうになりながらトレーナーとジャージに着替え、さっきまでユキが寝ていたベッドに倒れこむ。ティマフだって自分の容態がわからないほどバカではない。ああやっていつも通り動き回るのもよくないことはわかっているし、むしろ部屋中が回っているような気がしてほとんど勘で動いていた。
「まあ、寝てれば治るさ」
ほとんど言い訳のように呟いて、ティマフは掛け布団もしないまま寝返りを打った。
最終更新:2012年03月27日 18:56