整備されていない真暗闇の小道、そこをランプの優しい灯りが照らす。
その灯りはやがて緩やかな坂を上ると、草花が絡み合う鉄格子の門が現れた。ぴったりと閉ざされているが、手をかけるとあっさりとそれは開いた。
自分が帰ってくるので、その為に鍵を開けたままにしてくれていたのだろう。出来るだけ音を立てぬようにゆっくりと門を閉めて、玄関まで向かう。
そうして玄関の扉に手をかけようとしたとき、独りでに扉が開いた。
びっくりして肩を跳ね上がらせると、扉の向こうには自分と同じようにランプを持った金の長髪の美男子がいた。琥珀の瞳が天然パーマの小柄な男を映すと、細められる。

「・・・笑うなよ、びびったじゃねぇか」
「すみませんね」

それでも微笑を崩さない男が押さえてくれる扉をくぐり、建物の中にはいると、今は明かりのない大きなロビーが出迎える。
そのまま階段を上って寝室に戻ろうとしたら・・・。

「おなか、すいていませんか?」

自分の心を見透かしたような質問、しかしそれは同時に男が待ち望んでいた質問でもあった。何せ腹がぺこぺこだった。

「すいてる。何か食いたい」

小柄の男が疲れた表情から一気にスカイブルーの目を輝かせるのをみて、琥珀の眼がもう一度笑った。
ロビーをまっすぐに過ぎて奥に向かうと食堂から明かりが漏れている。そこに入ると明かりはキッチンからで、そこからもっとも近い席には、飲みかけのミルクティーと書物がおいてあった。

ムヴァ、もしかして今まで起きてた?」
「ええ、ウィアットがおなかをすかせて帰ってくると思いまして。・・・すぐに軽いものを用意いたしますね」

そういってそそくさとキッチンに入るムヴァを横目に、ウィアットはムヴァが座っていただろう席の向かいに腰掛けた。
そうして少しまどろんでいると、優しい出汁の匂いとともにムヴァが現れた。お盆に載せられたお茶と大きな器。半熟卵を落とし葱をちりばめて、出汁と醤油だけのシンプルな味付けの煮込み素麺だった。
さも暖かげに湯気を立てるそれに喰らいつくと、口内から伝わるあまりの熱さに思わず噴出しかけた。
ちゃんとふーふーしなさい、と苦笑するムヴァに、オレは子供じゃねぇ、と言い返したが、熱さのせいでうまく発音できなかった。





鼻をくすぐるカツオ出汁の匂い。素麺に吹きかける吐息。そして啜る音。
ムヴァはそれらを横に書物を読み、たまにミルクティーを口に運ぶ。灯りから離れるとすぐに真っ暗な狭い空間だったが、非常にゆったりとした時間だった。

「うんめぇ〜・・・」

ふとそうもらして幸せそうな顔で食むウィアットに眼を向けると、自然と笑みがこぼれた。やはりこういう顔をしてくれる人には食べさせがいがある。
一口、また一口と素麺を啜るウィアットに、ムヴァは話しかける。

「今日はどういったご用事でお出かけに?」
「むぐ、ふぉへは」
「口の中のものを片付けてからでいいですから」
「んぐっ・・・昔のダチに会いにいったんだよ。ローイアに足運んでたから・・・あ、一応仕事だぞ!」
「はいはい。それは重々解っておりますとも。」

まるで子供をなだめるように言うと、ウィアットを口を尖らせていかにも不服そうな顔をした。
それでも出汁の匂いが鼻に働きかけてくると、すぐ食欲に負けて箸と口を動かし始める。その様子があまりにも可愛くてまたちょっかいを出しかけたがやめた。何回も食事の邪魔をするのはあまりにも不躾だ。
本当に腹が減っていたのか、ウィアットはすぐに素麺を食べ終わってしまった。どんぶりの中は汁一滴も残ってない。
ごちそうさまでした。おそまつさまでした。そんなやりとりをしてからムヴァはそれらを片付けにかかろうと立ち上がると、キシ、と床が軋む音が聞こえた。ムヴァが立ち上がった際の音ではない。それは廊下から聞こえてきて、こちらに向かってきていた。
二人で入り口の方を見ると、ちょうどハークスが食堂に入ってきたところだった。







ハークスが食堂に入ると、先客とがっちり眼が合った。自分が来たことで二人の邪魔をしてしまったのだろうかと戸惑いを隠せない。
そんなハークスの心中を察してか、ムヴァが微笑んで話しかけてくる。対してウィアットは、申し訳なさそうに頭を掻いて。

「ハークスさん。どうかなさいましたか?」
「もしかして起こしちまった?」
「・・・いいえ。その、すみません。咽喉が渇いて眼が覚めたので水を、と思いまして・・・」

慌てて弁解する。二人の邪魔をした上に誤解をさせるのも申し訳なかった。ちなみに言ったことはすべて真実だ。
そのやけに慌てふためいた姿が滑稽だったのか、ウィアットはくつくつと笑いだした。なら良かった、とすぐに付け足すと、ハークスの席をすばやく設けてやる。
すみません、と素直にそこに座ると目の前にコップを置かれ、ムヴァがピッチャーから水を注いでくれた。透明なガラスの中に透明な水が満たされていく。
ムヴァはすぐにキッチンへと姿を消す。恐らく洗い物でもするのだろう。
そう思いながらハークスは水を・・・飲もうとしたがウィアットが興味深げにこっちを見ていた。
好奇心に満ちた目。この男はたまに子供のようになる。
この姿でどのようにして水を飲むのかが気になるのだろう。ちょっと気まずかったが、指摘するわけにも行かず結局そのままいつもしてるようにして水を飲んだ。
そうして一杯目を飲み干すと、ことり、とテーブルの上に皿が置かれた。
チーズ、プチトマト、生ハム、きゅうりをそれぞれ組み合わせたのをピックでとめただけの簡単おつまみがでてきたのだ。

「実は良いワインが手に入りまして。・・・30分だけ付き合ってくださいよ?」

微笑んだムヴァの手には、ワインボトルが握られていた。
それをみたウィアットはさも嬉しそうにする。自分にも断る理由はなかったので、素直に相伴にあずかることにした。





琉球硝子のワイングラスを傾け、大人三人はこの空間を楽しんでいた。
こういう空間は好きだ。いつもの賑やかで何かに巻き込まれて大騒ぎになるのも、刺激があって楽しいけれど。
少人数で、ゆっくりと、語らう。それは今日の些細な出来事のことだったり、ふと思ったことをしゃべって、それについて賛成したり自分の意見を述べることだったり、はたまた過去にあった出来事だったり。
灯りは一つのランプと、窓から入ってくる月明かりだけ。その静かで閉鎖的な空間。
誰に秘密にするわけでもないが、ひっそりと。
そうして、三人が夢中になって顰めた笑いを浮かべたときだった。



「あーっ!ずるーい!」

突如飛び込んできた幼い声。二人同時に食堂の入り口の方へ顔をむけると、パジャマ姿のジュニアとテトがいた。

「なんでナイショで美味しそうなもの食べてるのー!ずーるーいー!」
「ご、ごめんなさい・・・二人で眼が覚めてしまって・・・それで・・・・」

申し訳なさそうにする姉に対し、妹はさも不満そうな顔で近づいてくる。
大人三人は苦笑するしかなかった。バレてしまってはしょうがない。

「子供ってこういうことにはすぐに気づいちゃうんですよねぇ」

三人はすぐに二つ分の椅子を追加する。そうして五人でささやかな夜食タイム。
静かな笑いがそれぞれからこぼれる。きらりきらりと、星月夜の下。

少しだけ特別な夜が過ぎていった。







最終更新:2012年03月27日 18:58