最強の忍びとは、何であろうか。
技術を極めた者であろうか。
剣技を極めた者であろうか。
忍技を極めた者であろうか。
策謀を極めた者であろうか。
実戦を極めた者であろうか。
外道を極めた者であろうか。
それとも、戦いで負けることのないことこそが、最強ということであろうか。
その男は、大柄な体格にして、それに似つかわしい剛健な雰囲気のする男である。
不釣り合いなのは、巨怪に肥大した左腕。一目で、尋常の世界の者でないと分かる。
名を、奇腕という。
比良坂機関に所属する、トップエージェントである。
斜歯忍軍大槌群第二研究所。千葉県の海岸線沿いの崖上に構えられ、バイオ治療忍具を開発すると銘打って昨年大規模な改修が行われた。
その実の目的がバイオ忍器の開発であるとは、一定以上、忍びの世の闇に踏み入った者にとっては公然の秘密である。
比良坂機関上層部にとっても、“国益”のため、長らく対処すべき案件であった。
長らく対処すべき、というのは、単純な話である。
斜歯忍軍が頭領、黒潮一人の手も関わったこの最先端研究所は、同時に最先端の軍事要塞でもあった。
侵入者が秘密裏に排除されるその過程においては、如何なる非人道的忍器及び実験過程の忍器の使用も許容される。
改修以来、比良坂機関に限らず、第二研究所を突破する忍者は現れていない。
奇腕は今、第二研究所の三階、最重要区画にいる。
極まった潜伏術ゆえか、その巨怪な左腕を伴ってなお、最重要区画に至るまでその侵入を咎められていない。
研究成果を収めた資料室は、試製頭領型と銘される特別性の機忍が3機で守っている。
人格と燃費を設計段階から切り捨てることで、頭領クラスの戦闘力を保持させた実験機である。
その2機が、音も無く崩れ落ちた。1機は鋭利な切断面により両断され、もう1機は的確にその伝達系を苦無により狙撃されている。
そして、もう1機はその左腕により拘束された。
拘束と同時に、ハッキングが完了している。研究所の防衛システムは、そのネットワークをダウンさせた。
ディスクを回収し、割れた窓から離脱する。防衛システムは、検知したそれを伝えることが出来ない。
完全任務となる、はずであった。
最強の忍びとは、何であろうか。
技術を極めたものであろうか。
技術を極めたその忍びは、それを以って拠点の防衛を極めたその忍びは、研究所の防衛システム、その全てを同時に知覚出来た。
ネットワークによる伝達が不要な、直接の情報知覚。“三階に侵入者が出現してから”その離脱まで、全て彼の知覚のうちであり、窓から離脱した奇腕は電子製の縄に捕らえられた。
「そこまでだ。侵入者よ。」
「侵入経路は隠忍の外法に依るものか?無力化の後、その経路と触媒について確認させて貰うぞ。」
「お好キニ、どうゾ。」
肉体改造を繰り返した奇腕の声帯は、もはや通常の発声になってはいない。代わりに、その音域は土中の蟲獣を使役し、捕縛者を襲撃した。
注意が緩んだように見えた一瞬、遠隔より苦無の連続狙撃。不規則なブーメラン型の特殊軌道を描くそれは、極まった野戦術の使い手によるものである。しかし、捕縛者もまた、その全てを検知し、最適化された回避行動に移っている。
「悪あがきはよせ。林中の協力者はすぐに排除される。その鳥獣術は、私を倒すには力不足だ。」
「気遣イ、不要」
再び、蟲獣の襲撃。続けて、闇と同化した刃が捕縛者の側面から迫る。「妖魔化が施された」奇腕の足裏である。
妖的な力さえ封じ込める電子の縄から、既に脱出している。
距離を詰めた奇腕の、その巨怪な左腕の一撃が、捕縛者の正中を捉えた。
「があっ。先程の狙撃は、目くらましであり、縄を断つためのものでもあったか。」
「だが、斜歯の研究所に忍びこみ、生きて帰れると思わないことだ。」
捕縛者の切り札。
研究所の東区画が鳴動する。それは、研究所にして防衛の極み。斜歯随一の超巨大絡繰でもあるその区画は、巨大に見合わぬ速度で起動し、奇腕を薙いだ。
巨大さが鈍重さを意味しないことを知る奇腕は、鳴動と開始と同時に研究所西側へ飛び退いている。
西側の区画を盾にし、超巨大絡繰の動きを抑えようとした狙いであったが。
東の区画は、その電力の全てを熱線として浴びせかけたのだった。
回避し得る全ての先は、電子の縄で先読みされている。より戦闘に極まるは、捕縛者の側であった。右半身をディスクごと貫かれた奇腕は、崖の下、海の底へと転落して消えた。
「はあ、はあっ。ディスク状況のスキャンを実施。」
「0秒前、周囲にディスク無し。」
「3秒前、奇腕右胸にてディスク破損。熱による完全消失。これによりこの場の残ディスク無し。」
「・・・消失したディスクのIDが、一致しない。」
「5秒前、やつが解放されたこの時点で、ディスクは既に偽物だ。」
「6秒前、やつが反撃に出るこの瞬間は、ディスクIDが一致している。」
「5.104秒前、ここだ。狙撃された苦無に、ディスクが付随している。」
「ブーメラン状の軌道に沿って、ディスクのすり替えと回収。やられた。」
「林中の協力者を捕らえた部隊からの報告に、ディスクの件は無し。完全に回収されたと考えるのが妥当か。急ぎ、黒潮一人様に報告せねば。」
戦いで負けることのないことこそが、最強ということであろうか。
否。
たとえ戦いで負けようとも、必ず使命を達成する忍びこそが、最強である。
そして、妖魔化の恩恵を受ける奇腕にとって、半身の消失と海底への落下程度は、敗北ですらない。
それは、戦力と策謀の複合を単一戦力へと見せかける狡知の詐術を極める。
それは、全身に施された戦闘強化と、常時随伴する戦闘補助を受ける。
それは、戦闘の過程と結果さえも、使命の達成の材料とする。
究極の忍務達成装置であり、“最強の忍び”である。
比良坂機関。工作員(エージェント)。
確実なる、奇腕。
最終更新:2021年04月25日 15:42