__一人。__二人。__三人。

鞍馬神流が頭領、柳生三巌の朝は、そう早くはない。午前八時、屋敷の者は既に朝の支度を済ませており、彼の床周りが片付けられた頃、ゆっくりと目覚める。寝巻きに剥き身の大太刀を1本佩いて。縁側から庭に出て、井戸の水を桶に一杯、頭からざぶりと浴びる。

__一人。

縁側に用意された着替えを着流し、簡単に髪を後ろで束ねる。大太刀は依然剥き身に佩かれている。
関の三番。名工が鍛えた最高の一本は、しかし尋常の刃物の域を超えない。三巌の特注で“両刃”に鍛えられたことを除き、それは関の市に並ぶ最高級品の刀剣となんらの遜色も無く、しかし彼はそれを気に入っていた。
大量生産が利き、品質の差も小さい。刀剣など、所詮は戦いの道具であり、使い捨てるも自由なこの一本こそが、彼にとって最優の道具である。

__同時に、二人。

裏手より屋敷を出て、広い敷地をぐるりと二周。道場と門下生の住まいを兼ねるそれは、彼の好みを超えて広大で、けれど彼は眠気覚ましのこの散歩が好きだった。

__屋根上と池の底から、二人。
__地中の三方から、三人。
__表門正面より、一機。
__朝食に向かう廊下の影に、一頭。

政敵。忍敵。妖敵。午前五時のデイリー更新から午前九時の朝食までに差し向けられたそのいずれもが、尋常の忍者幾余名による血盟を滅ぼして余りある上級戦力であり、そして三巌の日々の習慣を一瞬たりと崩すことなく死んだ。

絶速。
準光速の世界に身を投じる忍者の中でも、柳生三巌のそれは準光速における一瞬さえ征する。
如何なる速度帯においても精密機動を崩さぬそれは、忍者の戦闘において何より強力であるがしかし。

「手段に過ぎん。」

午前十時。三巌は道場にて門下生に語る。不定期に開催される、“稽古”前の挨拶である。
準光速での精密機動は彼だけのものでなく、一握の忍者はそれに到達し得ると、彼は自覚している。故に。

「如何なる技も、術も。それらは手段だ。勝つために使われる道具に過ぎん。そしてそれに、貴賤は無い。」
「以上。稽古を始める。待たせたな、奇腕殿。」

柳生三巌の“稽古”は、彼の敵にとって数少ない、“最も成功率の高い暗殺の機会”である。彼に挑もうとする武芸者との一騎打ち、そう銘打たれたそれは、彼を殺害する意図と実力を持った強者を面前まで堂々送り込む機会そのものであり、三巌もまた、それを承知で申し出を受けている。

大きく膨れ上がった左腕を持つその男は、名を奇腕という。柳生三巌を征伐するため、比良坂機関より送り込まれた“暗殺者”である。

「いヤ、お気に為さらズ」

“稽古”は奇腕の先制から戦端を発した。振りかぶった左腕はイミテーションである。巨怪で、奇腕の名を冠したその左腕を隠れ蓑に、右脚の背面全域から毒針が射出された。「妖魔化」が施されている。
続けて背側正中線から爆焔の噴霧。爆発の加速により瞬間的に光速に近づいた奇腕は、右手と頭部右半分を錐状に変形させ、間合いを詰めた。“左腕以外の全て”を、「妖魔化」している。

数瞬の前。三巌は剥き身に佩いた大太刀に手をかけて、動き始めた奇腕を見据えている。左腕の打撃と見せて、飛び道具。亜光速の急接近まで、読みの通り。しかし、錐状変形による相対的光速の超過は彼の推測の範囲外であり、“当然”、上段に跳ね上げた大太刀が刺突を弾いた。
そのまま、大太刀を上段より振り下ろす。両刃故、手首のひねりを介さないそれは、準光速の内に奇腕の左半身を断ち割った。

「読み切ラレッ・・・」

「いいや。読み切ってはおらん。」
「予想以上の速度に対する剣があった。それだけだ。」

続き、断ち切られた左腕が爆ぜる。イミテーションにして、その巨腕一杯に爆薬を仕込んだ渾身の暗器。斜歯謹製と推測される特別製の爆薬は、左腕による奇襲までは想定していた三巌にとってもその域を超える爆発範囲であり、左腹部と左脚はその血を三本の鎖刃へと変異させて三巌に迫った。

“当然”、対応している。振り下ろした大太刀を、刃を寝かせる事なく横薙ぎに振るう。振るわれた大太刀は鎖の一本を弾き飛ばすと同時、爆風と爆片を上方へ扇ぎ上げる。爆片は鎖の一本を巻き込んで観客席の奥へと逸れた。
当然、柳生三巌の“稽古”に参列を許された門下生に、騒ぎ立てる者は居ない。

残りの一本の鎖は、振り切った大太刀の柄が受け止めている。絡め取った鎖が未だ変異を続ける左半身を引き寄せ、変異の核を断つ。ここまで、流れるような単一の剣術であり、
“彼の選択肢の一つに過ぎない”。

絶技。
無限に近い剣戟の選択肢。あらゆる戦局に対応可能なそれらは、その広範さとは逆説的に、一つ一つが剣術の深みへと到達している。そして、そのいずれも三巌にとって、闘いの手段に過ぎない。

大太刀を振り返して奇腕の右半身を薙ぐ。準光速の剣戟に、隠し手の尽きた奇腕は対応あたわず。

決まり手。

強大な刺客を面前に通すこの“稽古”は、当然三巌にとっても全力の迎撃となり、その敗着は有り得ない。
しかし、それを当然とするのは襲撃側も同じこと。奇腕は策謀を生業とする比良坂機関が送り込んだ刺客である。

背中の爆焔と、左腕の爆塵。その影から、四方十方に配置された御斎仕込みの野戦術が、そしてその中で三巌の迎撃を外れたたった一撃の毒苦無が、鞍馬神流頭領、柳生三巌の心の臓へと至るに叶った。

決まり手。

凖光速の精密機動は遂に崩れ、逆凪に伏した三巌は地に膝をつく。

“無理をした。”

凖光速の精密機動を維持できないだけの“無理”を通したその結果として、致命の毒苦無、その投擲主だった男は、“投擲の前に絶命していた”。
凖光速下の一瞬、その僅かな敗着手さえ取り戻す、時間の流れさえ捻じ曲げる真の光速機動。柳生三巌の絶速は、他に及ぶものの無い絶対の戦闘手段である。

決まり手。午前十時三分。本日の“稽古”の勝者は、柳生三巌。

「悪くない闘いだった!また“挑戦者”を探しておいてくれ!」
正午、昼食をとりながら、満足気に三巌は笑う。

「次は、オレの奥義を使わせるに足る相手だといいな!」

______

午後一時、屋敷の裏手にて、密かに通信を行う影がある。
「本部へ報告。作戦は失敗した。」
「続けて分析。隠忍の変異能力は一定の効果が見込まれる。」
「斜歯の技術は寄与不明。御斎の手による隠密と奇襲は有効手になり得るものと判断される。」

「一方、ハグレの遊撃部隊は戦闘参加の様子無し。理由は不明ながら作戦失敗の一因と推測されます。以上。」

______

午後一時三十分。柳生の稽古場、爆片と血鎖が撃ち込まれた観客席。的確に頸部を切断された三人のハグレモノたちの死体が、柳生の門下生により片づけられていた。

______

それは凖光速の精密機動の内にあって、なお数瞬前の不可能を可能へと変える俊さをもつ。
それは自在の剣戟を選択肢に持ち、逆説的に単一剣術への深到を可能にする。
それは正統な日本剣術への叛逆にして、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓。
絶殺の剣にして、絶致の手。深みに至る絶対の戦闘者である。
鞍馬神流。剣闘士“ブレードバトラー”。
深剣、柳生三巌。
最終更新:2021年04月25日 17:09