その男は鞍馬神流の分家に生まれた、凡庸な忍者であった。
男は凡庸な肉体と凡庸な才能をもち、凡庸なままに訓練を積んだ。
何処にでもいる忍者だ。下忍で終わる程無能でもなく、さりとて上忍になれる程の器もない。
男は自らの実力を認め、堅実に忍務をこなしていた。

その日、男は斜歯忍軍の研究所に潜入していた。鞍馬の宝物殿より奪われた、妖刀を取り戻す忍務だ。
男は順当に妖刀を見つけ、順当に脱出を図り、順当に追い詰められた。
男を追い詰めた者は三人。その誰もが、身体の殆どを機械化していた。
一人は三メートルはあろうかという巨体を有し、その重装甲は男の刀を飴細工のようにへし折った。
一人は超超遠距離から戦場を見渡し、反撃不可能の位置から男の退路を断った。
一人は影もかたちも見せず、視界の外意識の外から男の左腕を切断した。
高度な機械化を施された鍔鑿組の機械忍者集団によって、その凡夫は当然のように死に体となった。
武器を失い、腕を失った男に残ったのは、取り戻した妖刀の一振りのみであった。

「死にたく、ない」

男が破れかぶれでその柄に手を掛けたのは、当然の帰結であった。
そしてそれを手練れの忍者たちが見逃す筈もないこともまた、当然の帰結であった。

銃声。
風切り。
肉を断つ音。
男が手に持った刀を抜き放つ前に、三度の衝撃が奔る。
いずれも必殺。心の臓を撃ち、斬り、穿つ、重ね三合の連携攻撃。
凡夫は死に、死に、死んだ。しかし、それでも男は立ち上がる。
男の持つ唯一の奥義こそは、周囲の物品を体内に収め無理やり命を繋ぎ止める不死身の法。
しかし、それをもってしても男の命は幾ばくもなく。対する機械忍者たちは、未だ余力を残していた。

一閃。

死に体のまま静止していた男は刀を抜き、対峙する機械忍者を薙いだ。
居合。凡夫の凡庸な努力の果てに出来るのは、ただそれだけであった。
その一撃は、忍者としては然程のこともないものだ。威力が高いだけの、ただの一撃。
男が刀を鞘に収めたと同時。一拍遅れて三方から音が響いた。
機械忍者たちが、一様に倒れた音。彼らは十分な余力を残しながら、ただの一撃によって殺害された。

男はただ一合、剣を振るったに過ぎない。
ただ、それが四合同時に。
それも、全ての距離に届いていただけだ。

ゆらりと立ち上がった男の姿は、異形そのものであった。
散乱していた機械を吸収した男の身体は、機械とも生身ともとれぬ歪なものに変じていた。
切断された腕は異形の腕に成り代わり、背には同じく異形の腕が二本生えていた。
唯一残った生身の腕はいつの間にか、刀を鞘に収めていた。

その妖刀こそは、数多の死者の想念を寄り集め力とする魔なる剣。
周囲の物品を吸収し命を得る男の奥義と合わさったその業は、男に魔なる腕を与えた。
その腕は、妖刀を振るうための腕。まったく同時に刀を抜き、まったく同時に刀を振るい、まったく同時に鞘へと収める。
その一撃は同時であるが故に、どの腕もが刀をもち、刀をもたぬ。どの腕もが間合の中であり、外である。
虚ろなる刃は、空気すら断ち切らず、されど遥か彼方の肉を断つ。
そうして男は凡夫から、一人の剣士へと姿を変えた。
生への渇望。動物のごときその原初の想念が、妖刀の想念を我が物とした。
男の名は、冬馬(とうま)といった。

それは高速移動を常とする忍者の中にあって、静止した時間にて座す。
それは四合の斬撃を一合の内に内包し、必殺の連撃を一撃にて放つ。
それは時間と想念の中に佇み、あらゆる距離を自身の間合の内とする。
凡庸なる身体、才能、想念をもって、非凡と成れ果てた異形の剣士。時に偏在し時に遍在する、事象改変者である。
魔王流。“居合道(デュエリスト)”。
静寂の冬馬。
最終更新:2021年04月27日 00:13