斜歯忍軍・御釘衆が所蔵する神器「神鏡」の欠片、「黒の渾天儀」を狙う者がいるとの予言を受け、”渾天の守護者”が一人、”坎(かん)”の雪華(せっか)は宝物殿の奥深くで警備にあたっていた。

「予言を疑う訳ではないんだが、本当にこんな場所にまで侵入者が到達するのか?宝物殿はただでさえ幾重もの結界によって物理・忍術・魔術的に保護されてるっていうのに……」

あくびをかみ殺しつつ雪華にそう愚痴るのは彼女と同じく”渾天の守護者”の”巽(そん)”だ。彼の他にもこの場には雪華を含め守護者の実に半数である四人が集められており、「黒の渾天儀」の台座周辺は異質な空気に包まれている。

「そのような本来あり得ざる状況だからこそ、我々が呼ばれたのではないですか。それくらい巽ならば分かっているでしょう?」
「悪い悪い。今日はとっておきの酒を開けようとしていた日でな。招集が無ければ今頃家でのんびり飲んでたはずなんだよ。ちょっとの愚痴くらい許してくれ、坎。それにあんたの力があればいざという時に備える猶予はあるだろう?」

悪びれる素振りのない彼にため息をつきつつ、雪華は警備へと戻る。このような態度ではあるが、有事の際に巽が頼りになる戦力となるのは知っている。これも必要悪か、と考える彼女の瞳が宝物庫内の歪な影を捉えた。

いや、正確には「捉える予定なのが分かった」。雪華の持つ力とは未来予知の類だ。彼女が主観的に見えるものであれば、一体に限り数瞬後それがどこでどのような運動をしているかが分かる。彼女はその力を用いて、侵入者の訪れを予知したのだった。

「来ます!」

雪華の短い言葉と共に他の三人は瞬時に戦闘態勢に入る。そして彼女の予知の通り、巨大な塊が音もなく宝物庫内に出現した。肉と機械が入り混じるつぎはぎだらけのその塊は、ゆっくりとその巨体を雪華たちの方へと向けた。何をしてくるのか。その時雪華の瞳に映ったのは、怪物の抜いた刀が一本の刀が分裂し、全く別の三つの太刀筋を見せる光景だった。いずれの斬撃も実体があり、実体がない。その異様な景色を前に、彼女が言葉を失った一瞬―

三人の守護者たちが怪物に襲い掛かった。ある者は抜刀し、ある者は呪符を投げ、ある者は絡繰を起動させる。三者三様の攻撃を前にして、怪物はなお笑っていた。

瞬間、雪華の予知は現実のものとなる。ある者は腹を裂かれ、ある者は首を落とされ、ある者は胸を貫かれた。四人いた守護者は、瞬時にして彼女一人となったのだ。

予知など無くても分かる明確な終焉の気配を雪華が感じたその刹那、彼女の予知に映る怪物が振り向いた。釣られて目を向けた先にはいつの間に現れたのか、一人の人物が佇んでいた。

長く伸ばした髪は墨の黒。そこから覗く肌は陶磁の白。それに合わせるようなシンプルな服装。男性にも女性にも見える中性的なその瞳は、彼岸花の赤。

「やあ。冬馬さん、だったかな」

“それ”が語ると、怪物はその時初めて存在に気づいたかのように振り向いた。その隙を見て雪華は怪物に苦無を投擲するも、それは怪物の掲げた械腕に阻まれる。雪華に背を向けることなど、歯牙にも欠けていないようだ。

「ボクは……君に用がある人からの代理?みたいな感じ」

殺気を高める怪物に対し、“それ”はまるでここがくつろげる我が家であるかのような自然体だ。その気配は今にも消えてしまいそうで、この場に姿を見せているのはただの幻なのではないかという錯覚にすら陥らせる。

「ということで案内するからさ。ちょっと待ってて」

その言葉と共に“それ”の手に巨大な鎌が現れる。本来なら圧倒的な存在感を放つであろうその鎌もその持ち主と同様にどこか現実離れした印象であり、その気配のなさそのものが強烈な違和感となって見る者を襲う。

無言のまま、雪華の視界の怪物が居合いの構えを見せる。先ほど彼女の仲間3人を瞬時に殺した時と同じ構えだ。しかし―

「うん、準備できたよ」

その刀が抜かれることは無かった。一瞬消えたかと思った“それ”が再び姿を現した時、怪物の胸には鎌による痕が深々と残っていたのだから。

「こんなもんか。あ、そこのお姉さん。生きてる?」

目の前で起きた事象を把握できていない雪華に、“それ”は歩み寄ってきた。予言にあった襲撃者とは先ほどの怪物ではなく、この者なのかもしれない。しかし、あれほどの怪物に手出しさせることなく倒したこの存在相手に自分が敵うとは到底思えない。

彼女の力は一度1つの対象に“ピントを合わせて”しまうとその変更にしばし時間がかかるという弱点がある。従って謎の存在を前に、今の雪華は並の忍に等しい。全神経を使い状況を打開する案を考えていた雪華の瞳が、その時あり得ざる光景を映した。

明らかに致命傷を負ったはずの怪物が再び立ち上がる。怪物にはどういったことか宝物庫の防衛に使われていた結界が張り巡らされており、その全身は御釘衆の粋を集めた術式で輝いていた。更に怪物が手を軽く振るとそこには「黒の渾天儀」が出現している。渾天儀が演算を始め、凄まじいまでの力が宝物庫内を渦巻く。

「ちょっ……あなた……」

怪物のことを警告しようとする雪華。だが彼女の目の前の鎌を持つ存在はそちらの方を振り向こうともしない。予知と寸分たがわず進む景色―

そして演算が終わる。そこに顕現するのは一方のみからの無限。如何なる武器、如何なる忍術、如何なる存在といえどもその距離を越えることはできない。今この瞬間、雪華たちから怪物への攻撃は全て届かなくなったのだ。再び居合いの構えをとる怪物。どう考えても絶体絶命である状況の中で平静を保つ“それ”に、雪華が声をかけようとした時―

「あ、忘れてたよ」

まるで家の出る前に気づいた忘れ物を取りに行くかのように、“それ”が振り返り一歩を踏み出す。すると―

「君、こうしないと『死』なないんだったね」

無限の距離と、幾重もの防御を越え、“それ”の鎌は届く。振り下ろされた刃は怪物の腰に佩いていた刀を打ち砕き、中に宿る執念に終わりを与える。

「君、ちょっとくらい逃げても無駄だよ?あの人、どこにでも行けるんだから。後小細工も禁止」

ふっ、と鎌を消した“それ”は、最早もの言わぬ肉と機械の塊に語り掛ける。雪華はつい数瞬前まで繰り広げられていた常軌を逸した戦闘を前にただただ震えることしかできなかった。

「あ、あ、あ、あなたは……?」

雪華の問いに、“それ”は無垢な笑みで答える。

「僕は石蒜(せきさん)。死神さ」


それは何者にも縛られぬ、自在の象徴である。
それは語り得ぬ未知であり、生命の知り得ぬ果てである。
それは全ての抵抗を無視し、絶対的な終止をもたらす。
彼岸の存在、此岸に落ちた影である。

死神(リーパー)。ハグレモノ。

"死に近き"石蒜。
最終更新:2021年04月27日 00:17