備中高松城の戦い

【用語名】 備中高松城の戦い
【読み方】 びっちゅうたかまつじょうのたたかい

【詳細】

M.H.R.R.毛利家に対して仕掛けた歴史再現

1582年起きた戦いで、史実では織田信長に命じられ羽柴・藤吉郎が毛利家の配下、清水宗治のいる備中高松城を攻略するというもの。
水攻めによって包囲したことから高松城の水攻めとも称される。

この戦いの後本能寺の変が発生、秀吉は毛利軍と速攻で講話を結び俗に言う"大返し"で帰還。
明智光秀山崎の合戦を戦いこれを破ることで天下人への道を突き進む。

この戦いはP.A.Odaにとっても信長というビッグネームを失う前フリに当たる戦いであり、
羽柴としても今後の天下への道がつけられる重要な一戦。さらには明智にとっては山崎の合戦に繋がる戦いであり、
戦国三英傑の今後に関わる重要な戦いである。

元から毛利攻めを行っていた羽柴は、六護式仏蘭西の首都である巴里を包囲、資材を使って水を引き込み「水攻め」の再現を行うことで首都を陥落させようとしていた。
しかしそれに対し六護式仏蘭西側は、毛利家の代表である毛利・輝元北条・氏直と共に天正壬午の乱及び、神流川の戦い及び、小田原征伐の歴史再現を纏めて行うため関東に派遣しており、
巴里にいるのは毛利家ではなく仏蘭西側であると主張、歴史再現に対する違反行為だと羽柴を避難する。

しかし第一次上田合戦の再現を終え、北条に向かう武蔵を放っては置けないM.H.R.R.十本槍達は、
無理矢理にでも巴里を水攻めで陥落させ、しかる後武蔵に対し介入を行うとして歴史再現を強行する。

だが結局巴里を落としきれず撤退することになってしまった。

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最終更新:2017年11月01日 01:35