【用語名】 |
信康の研究所 |
【読み方】 |
のぶやすのけんきゅうじょ |
【登場巻】 |
5巻下 |
【詳細】
内部は爆心地を
術式で固定した加護がぎりぎり届いているためかある程度形を保っており、四方を本棚に囲まれた大部屋の中には巨大な燃料槽、これは1m級が3本あれば
武蔵での祭りが成立するものの5倍クラスのものが8本、中央にも1本、計9本存在していた。
他に
三河や
IZUMOや
旧派、
三征西班牙の技術が用いられた謎の装置が置かれていた。
直径は1mほどで鳥居形の調整素子が16もついている。
また、この基部はプラグの"受け"の形で、浅間はこれを
島原の乱関係と推察した。
元信が二年の期限で三十年前どこにもあってどこにもない
教導院に各国の優秀なものを集め、真田の遺跡が元信の管理下だったという情報はあったが、ここにあった部品の中に時期がおかしいものがあり、三十年前信康にここを明け渡されているという事から、元信は島原残党とここで何かを為したあと研究施設の大半を
地脈炉で吹き飛ばし、信康に預けた上でどこか別の地で教導院を作ったと考えられている。
左側の壁には
ニ境紋と「おいていかないよ」というメッセージがあり、信康の「自害」とは
公主隠しだった事が判明。
なお、血文字は現場保存のために後から墨で忠次が描いたもの。
なお、信康の自害が「エロゲの修正忘れを流通に乗せて切腹…」と
マルガ・ナルゼが茶化したが、実際に室町時代の"愚感症"というエロゲがあった。
最終更新:2012年12月13日 17:46