339 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の一投稿日:2006/12/23(土) 14:13:58 ID:???
数日後。
「そうか… ジレがな…」
「心中、お察しします」
シローは
カロッゾパンに来ていた。もう店じまいの時間なのだが、仕事ということで特別にいる。
カロッゾと一対一で話したことは今までなかったが、話してみれば存外普通の人だとシローは思った。
表情は確かに分からないが、仕草や声色で十分感情が判断できる。
「バグなど、過ち以外の何物でもないというのに」
低い声。
店の奥からそれを覗くシーブックは、常に不可解な自信に満ちたカロッゾの別の面を見たような気がした。
「バグ…対人小型殺傷兵器、でしたね」
シローは署で見た資料を思い出しながら言った。
各種センサーで人間か否かを判別し、チェーンソーとレーザートーチとグレネードで人を殺す機械。
先日のあれは、まだ未完成品だったのだ。レーザートーチもグレネードも実装されていなかった。
だからこそ自分は今こうして、
ミンチにならずに五体満足でここにいられるのだ。
「絆を見失った男の行き着いた先だ。もっと早く朝パン主義に目覚めていれば、私も人類に絶望することなどなかったろうに」
「朝パン主義?」
「
シーブック君から聞いておらんかね?
世界の人々はパンによって結ばれているという思想だ。パンを焼き、パンを食べる。それだけで一つのつながりが出来ている。
職人は食べる人のことを考え、食べる人は職人のことを考える。美味い物を分かち合うことで喜びを分かち合う」
「……パンに限定していることを除けば、素晴らしい思想ですね」
「そうだろうそうだろう! どうだ、君も…」
「あ、思想は結構です。前にうちの兄弟が宗教にやられたことがありますから」
「……そうか」
「で、話を戻したいんですが」
「ああ、バグの話だったな」
カロッゾは遠くを見るような目をした。
言いたくないことなのだろう。シローは心が痛んだ。だが、話は聞いておかなければならない。
あの屋敷の宝物庫で見つかった資料の真偽を確かめなければ。
「私はあの頃、妻に逃げられ、自暴自棄になっておった。私は妻を愛していたのに、ナディアは私を愛してはおらんかった…」
「そんな、お子さんが二人もいるじゃないですか」
「夫婦仲というものは、常に燃え上がるだけではないのだよ。君も肝に銘じておくといい」
(そんな…だが、アイナは違うはずだ!)
「あれが一緒になった男は、貧相な貧乏作家だった。売れない作品を書き続け、放浪し… そんな男に、私は妻を寝取られた」
「…………」
340 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の二投稿日:2006/12/23(土) 14:16:03 ID:???
「何故かと悩んだ。私のどこがあの男に劣っているのかと。私は悩み…仮面をつけた。私の欠点を隠すためにな」
「趣味じゃなかったんですね…」
「だが私の行動を理解してくれる者は誰もいなかった。息子も、娘もな」
(そりゃそうでしょうよ)
「私は追い詰められた。私はこの世で一人なのかと。誰も私を理解する者はいないのかと。
…だが、一人だけいた。私についてきてくれる者がな。それが」
「ジレ=クリューガー…ですか」
「そう、奴は私の唯一無二の親友だった。私が人類の削減を企てたときも、止めようとはせずについてきた。
当時の私には唯一の味方に見えたのだ…」
「どうして人類の削減なんて危ないことを考えたんです?」
「劣った者がいなくなれば、ナディアも帰ってきてくれるのではないかと思ったのだ」
カロッゾは溜息をついた。
「なんとも自己中心的で身勝手で視野の狭い考えだ。
どこを
どうすればそんな思想に結びつくのか、今となっては私自身にも分からん。
だが、その頃の私にはそれが真実だったのだ。ジレはそんな私を止めることなく…」
「協力したんですね…バグ製作に…」
シローの脳裏に、先日の戦いがよぎる。
「幸いバグは完成前に止められた。マフティーと名乗るテロリストどもに」
「は? マフティー?」
「テロリストが全て同じ目的で動いているわけではないということだ。
政府は自分たちに逆らうものを全てテロと一括しているがな」
「…………」
「その頃はプリベンターも立ち上がっていなかったからな…裏を察知して止めるのは主にマフティーだった。
そのマフティーも迷走しだして、昨今ではプリベンターがその役目を引き継いでいる」
「お詳しいですね」
「昔取った何とやら、だ」
また一つ、カロッゾが溜息をつく。
341 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の三投稿日:2006/12/23(土) 14:17:46 ID:???
「私はジレを逃がすことには成功したが、私自身は捕まってしまった。
その後刑務所で服役し、朝パン主義に触れ、今に至るというわけだ」
「……じゃあ、どうしてジレに恨まれているんです?」
「逃がすとき、私は言ったのだよ。『来るべき時のために、バグをいつでも作れるように』と」
「…………」
「奴はそれを真に受けた。社会的な地位を勝ち取り、上り詰め、裏に手を回して金も蓄えていった。
そうしていつでも製作できるというときになって、私は出所し、ジレに会った」
「…………」
「そのときの奴の顔は、おそらく生涯忘れることはないだろうな…」
カロッゾは黙り込んだ。かつてのことを思い出しているのだろう、シローも黙ってカロッゾの言葉を待った。
奥でこっそりと聞いているシーブックも、加わったセシリーも、「盗み聞きなど貴族のやることではない」とか言いつつ参加しているザビーネも、皆黙っていた。
ゴォゴォゴォゴォ……
ストーブの炎が揺れる。赤い光が鉄仮面を照らし揺らめく。
ややあって、カロッゾは再び語りだした。
「私に裏切られたと思ったのだろう。滅茶苦茶に罵られた。
『どんな思いで自分がここまで上り詰めたか、好きでもない色目を使い、屈辱に耐え、裏世界に手を染め、ここまで来たのに』と。
私には謝ることしか出来なかった。奴の生き方に私が影響を与えたのは事実だからな」
「…………」
「その日、私とジレは完全に袂を分った。
私はジレを君ら警察に突き出すには忍びなかったし、ジレもコネはあってもカリスマはなかった。
十分なバグを製作できるほどの人材を集められなかったのだな」
「じゃあ、それで終わりになるんじゃ…」
「キンケドゥだ」
『!!』
342 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の四投稿日:2006/12/23(土) 14:19:28 ID:???
驚いた。シローも、シーブック達も。何故ここでその名が出てくる。
「キンケドゥの最初の標的はジレの屋敷だった」
「あ、ああ… 俺もそこで奴と相対した」
「キンケドゥの狙いは単に宝石であり、裏金の暴露だったのだろう。だが、ジレはそこでキンケドゥの素顔を見た」
「…………」
シローはあの男の顔を思い出した。シーブックによく似た男。決定的に違うのは、鋭い目つきと歴戦の風格。
「
シーブック君と勘違いしたのだろうな」
確かに、ちらりと見ただけなら、自分だって弟と見間違えてしまうだろう。それほど似ていた。
「よく似ているのだろう?」
「ええ。兄貴の俺が見間違うくらいに」
「その頃には
シーブック君はうちのバイトに入っていた。
カロッゾパンのバイトが自分の屋敷に忍び込み、裏金の情報を警察に漏らしたとなれば…単純に考えれば、私が怪しい」
「酷い短絡思考ですよ、それじゃ」
「そうだ。だが、疑心に取り付かれた者が何をするか、君はよく知っているのではないか?
完全に納得の出来る動機で行動を起こす人間の方が珍しいのだよ」
「……よく…分かります」
シローが搾り出すように言葉を紡ぐ。
物陰でシーブックは真っ青になっていた。あのときジレが呆けていた理由がやっと分かったのだ。
柱を掴んだ手が震えている。だが、セシリーがそっと手を重ねてきた。見れば彼女も震えていた。
震える二人の肩にザビーネが手を置く。落ち着け、という声を聞いた気がした。
「それで、ジレはカロッゾさんを逆恨みして…地位を取り戻したと同時に復讐を…」
「逆恨みと言えるのかどうかは分からんがな」
三度目の溜息。
ゴォゴォゴォ…パチンッ
炎が揺れる。薪が爆ぜる。
「ありがとうございました。辛いお話をしていただいて、すみません」
「いや、私もいつかはケリをつけねばならんことだった」
343 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の五投稿日:2006/12/23(土) 14:21:28 ID:???
シローが帰っていく。
ドアが閉まったのを確認し、シーブックは――大きく、大きく息をついた。
人を理解するとはどういうことなのだ?
先日のドゥガチの話を思い出す。ドゥガチは誰にも『理解』されず、捻じ曲がった心のままだった。
カロッゾは、ジレに『理解』され…テロに走った。
眩暈がする。セシリーとザビーネの手が触れていなかったら、その場に崩れ落ちているだろう。
ジレはカロッゾを逆恨みしているのだと思っていた。
共にテロを企んでおきながら一人社会に復帰したカロッゾを妬んでいるのだと。
だが、まさか自分が最後の一押しになっていたとは…。
視界が黒くなる。世界がぐるりと回る。
「シーブック、あなた大丈夫?」
「ああ、セシリー、大丈夫だよ…僕は…ウッ!」
「……! この場で吐くな、店やベラ様を汚す気か! トイレはこっちだ!」
「す、みま、せん…」
吐いた。今までたまっていた全てを出し尽くすように吐いた。
熱などない。風邪でもない。食中毒なんてありえない。
分かっている。これは罪の意識だ。
リィズを救う、それだけのためによくもここまで人々を引っかき回したものだ。
何があろうとリィズを救うと決めた。偽善も独善も関係ない、と割り切っていたつもりだった。なのにこの体たらくはなんだ。
結局自分は、自分が犯罪者であることを認めようとせず、正義の盗賊だと考えていたのか。
「その程度の覚悟で盗賊をしていたのか、キンケドゥ?」
「ごほっ…う…る、さいっ…」
背中をさすり…いや、叩きながらザビーネが問いかけてくる。
こいつ、わざとやってるな、と思いつつも、ろくな抵抗はできなかった。
セシリーがこの場にいないのが救いだ。おそらくザビーネが『見るものではありません』とか言ったんだろうが…
シーブックも同意見だ。こんな情けない姿を見せたくはない。
344 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の六投稿日:2006/12/23(土) 14:23:09 ID:???
セシリーがシローを呼び戻したので、シーブックはシローに連れられて帰った。
いるならいると言ってくれれば、と言われたが、シーブックにしてみればあんな話を聞いた後に出られるわけもない。
「救急車を呼んだ方がいいんじゃないか? テクス先生とかに…」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
「お前、最近無理しすぎだろ。ジュピターに話し合いに行って、こないだのパントーナメントに出て。
そういや
キースが、トーナメントのときにお前が風邪っぽかったって言ってたぞ」
「(トビアの声だな…)もう治ってるはずだよ…熱もないんだから」
「やっぱり風邪引いてたんじゃないか! 明日は学校もバイトも休め!」
「え……」
「え、じゃない! そんなに派手に吐いておいて、健康だなんて言うなよ!?」
「はい…」
「まったく」
千鳥足のような弟を支え、兄は夜道を行く。
「ごめん、兄さん。ごめん」
「遠慮するなよ、こんなときに。兄弟なんだから、もうちょっと頼れ」
「うん…」
もちろん、シーブックはシローが考えたような意味だけで謝ったのではない。
「シロー兄さんはさ…どうして警察になったんだ…?」
意表を突かれたように、シローはシーブックを見た。弟は苦しげに顔を伏せながら歩いている。
シローはふうっと夜空を見上げた。粉雪が舞い降りてくる。
345 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の七投稿日:2006/12/23(土) 14:24:28 ID:???
「どうして、か。最初は学費のためだったな。警察学校なら学費は即払いしなくてすむから」
「じゃあ、今は?」
「正義のためさ。俺は町の平和を守りたいんだ」
「正義…」
「正義って言うと大げさかな。俺はみんなに安全に生活してほしい。それだけだよ」
「……苦しい時って、ない?」
「苦しい? 何でだよ」
「自分で、これが正しいことだって思って行動して… 本当は全然違ったり…」
「ああ、そういうことか」
シローは小さく息をついた。
「今回は確かに、俺も苦しかったよ。お前をキンケドゥと疑ったりしてな」
「……!」
「キンケドゥの素顔、な」
「…うん」
「お前に似ていた」
「えっ」
「だからお前が疑われたんだ。俺も…ぱっと見だけなら見間違えたかもしれない」
「そ…そう…」
「しかもな、『なんとー』なんてかけ声かけるんだぜ。あんな言葉使うの、お前だけかと思ってたらさ」
「ははは……」
冷や汗をかく。年かさに見せる変装術、通称『エイジング』をマスターしたのはつい最近なのだ。
ジレの屋敷に最初に盗みに入ったときは、覆面の下は完全に素顔だった。
「だが、似ていただけだ。お前とは違う」
「…………」
「お前は非行に走るような奴じゃないってのに…悪かった、疑って」
「いいよ…」
正直、今の自分にこの話は辛い。
胃の奥から何かがこみ上げてくる。さっき全て吐き出したのに。
「あんなコソドロと一緒にして…」
「いいってば!」
激しく遮る。シローは驚いて、だがすぐに思い直した。
「……すまない」
「もう…いいからさ、そのことは…」
「ああ…」
346 名前:怪盗キンケドゥ・クリスマス決戦編 十六の八投稿日:2006/12/23(土) 14:26:01 ID:???
雪がちらつく。積もらずに、触れた先から溶けていく。
闇の中、白い粉雪の中を、兄弟は二人、歩いていく。
「警察やってて苦しいことってのは、そりゃ、あるよ。
だけど、俺には警察のプライドがあるし、平和を守らなきゃっていう使命感もある。それに…」
「うん」
「…特に意識してないんだよ。自然なことなんじゃないのかな、譲れないもののために戦うってのは」
「…………」
家に着いた。
ロランが血相を変え、おかゆを作ってくれた。
カミーユが妙に悟った顔をして、背中をさすってくれた。
曰く「悲しみを一人で背負い込むな。自分も他人も苦しくなるぞ」
涙が出た。
最終更新:2019年03月22日 22:20