77 高木豊【たかぎ ゆたか】
【役職】1軍チーフコーチ兼打撃コーチ
【生年月日】1958年10月22日【投/打】右投左打【ポジション】二塁手, 遊撃手【プロ入り】1980年 ドラフト3位【在籍期間】1981 - 1993, (2001, 2012 - )
【経歴】多々良学園 - 中央大 - 横浜 - 日本ハム - 横浜DeNA
波間に渋く光る ダイヤモンドの主役 勝利へ走れ ユタカGo Go
通算成績 1628試合 打率.297 5782打数 1716安打 88本塁打 545打点 321盗塁 出塁率.378 OPS.789
獲得受賞タイトル
- 盗塁王 1回(1984年)
- ベストナイン 3回(1985年, 1990年 - 1991年)
- ダイヤモンドグラブ賞 1回 (1983年)
スーパーカートリオ
80年代から90年代半ば頃まで10年以上に渡り横浜の主力であり続けた看板選手。基本的に二塁手だったが一時期遊撃手にコンバートしていた事もあり85年には遊撃手としてベストナインにも選ばれている。
打率・出塁率共非常に優秀で球団史上屈指のアベレージヒッター。シーズン打率3割8回は球団記録。
二塁守備でも名手として知られ83年にはダイヤモンドグラブ賞を受賞、87年には二塁守備史上最高となる守備率.997を記録した。
走力に関しても盗塁を荒稼ぎし通算でも300を超える盗塁数を記録している俊足の持ち主。
正に走攻守と3拍子揃った理想的なリードオフマンである。
1985年には
近藤貞雄監督の元
加藤博一、
屋鋪要と共に後の彼らの代名詞ともなる
「スーパーカートリオ」を結成。俊足3人で計148盗塁は他球団バッテリーにとって大変な脅威となり、横浜大洋時代を語る上で絶対に欠かせない物となった。
生え抜きスターとして活躍し続けた豊だったが、93年オフに突然の解雇となる。チームの若返り、
駒田徳広の獲得資金捻出のため、前年の年俸調停による球団との確執などがその原因と言われている。
結局その後は日本ハムで1年プレーした後1994年に現役引退した。
ヘッドコーチ
2012年には
中畑清監督の元、新生横浜DeNAベイスターズのヘッドコーチを務める。
監督が内野手出身の場合は投手もしくは捕手出身をヘッドに置くのが定石のため、はませんでもこの人事には疑問が持たれた。
高田を信じろ!
試合中は大体いつもベンチの隅っこに座ってニヤニヤしている。
その他エピソード
- 長男・俊幸、二男・善朗、三男・大輔と息子3人はいずれもサッカー選手。「高木三兄弟」で知られる。
- 俊足で有名だが通算盗塁成功率は.643と上手い訳ではなく、通算300盗塁以上記録した選手の中ではワーストの成功率。
- 年俸調停の申請で初めて年俸の上積みが認められた選手。
最終更新:2024年03月09日 17:06