木塚敦志


73 木塚 敦志【きづか あつし】

※本名 木塚 敦士(きづか あつし)
【役職】2軍投手コーチ
【生年月日】1977年7月19日【投/打】右投右打【ポジション】投手【プロ入り】1999年 ドラフト2位【在籍期間】2000 - 2010, (2011 - )
【経歴】浦和学院 - 明治大 - 横浜DeNA

牙をむくバッターに サイドスロースライダー ねじふせろよアツシ 自分を信じて


通算成績 490試合 防御率3.35 投球回462 1/3 35勝 25敗 24S 88H 勝率.583 367奪三振 WHIP1.14


獲得受賞タイトル

  • 最優秀中継ぎ投手 1回(2001年)


炎のセットアッパー

2007年には球団新記録となる年間76試合に登板するなど、現役11年間で通算490試合に登板した鉄腕。
490登板全てが救援登板の00年代横浜リリーフ陣を代表する中継ぎ投手で、その気迫を全面に押し出した姿から「炎のセットアッパー」とも呼ばれ幾度となくチームを救った。
駆け足でマウンドへやってきてジャンプ・股割・穴掘りのルーチンをこなしてから投球練習に入るのがお馴染み。特に穴掘りはこれでもかってくらい掘って掘って掘りまくるため穴掘りキャラとして定着。
身体ごとのめり込むような独特の態勢でサインを確認してから、躍動感溢れるフォームでキレッキレの球を投げ込んでいくサイドハンド。

2006年からは鉄壁の中継ぎ陣「クワトロK」川村丈夫加藤武治M.クルーンと共に結成。
カッコいいPVを流しながらの登場で阪神のJFKに対抗した。

熱血漢臭漂う見た目通り、人一倍の努力家でチームメイトからの人望もあり首脳陣からの信頼も厚い。
リリーフ投手の宿命でもある酷使により幾度も故障を繰り返しているが、その都度復活を遂げる鉄腕で「酷使されようが何があろうが泣きごとをいうことはない」と言い切る漢。
またファンサービスやチャリティ活動にも嫌な顔一つ見せず熱心に行うぐう聖でもある。

2010年に引退、翌年からは投手コーチを務めブルペンで喝を入れ選手を送り出している。


その他エピソード

  • チームメイトである金城龍彦のファン。
  • 名前は「きづか」だがユニフォームのローマ字は「KIZUKA」になっている。

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最終更新:2012年11月08日 12:49
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