森本稀哲


5 森本 稀哲【もりもと ひちょり】

【役職】選手
【生年月日】1981年1月31日【投/打】右/ 右【ポジション】外野手【プロ入り】1998年 4位【在籍期間】2011 -
【経歴】帝京高 - 北海道日本ハム - 横浜DeNA

心奮わす 君の情熱 掴めその手に 輝く星を


獲得受賞タイトル

  • ベストナイン 1回(2007年)
  • ゴールデングラブ賞 3回(2006年 - 2008年)



  • 日ハム時代は新庄剛志の弟分として打撃では主に1、2番打者として役割を果たし、守備では3度のゴールデングラブ賞に選ばれるなど活躍したムードメーカー。
  • 09年 糸井嘉男の台頭などもあり出場機会を減らすものの、2番としてリーグ最多となる43犠打を記録した。しかし8月には死球で左手小指を骨折するなどして戦線から離脱、規定打席到達はならなかった。シーズン途中にFA権を取得。
  • 10年 死球によって右手薬指を骨折するなどしたがこの年もリーグ最多となる55犠打を記録する。オフにはFA権を行使、横浜へ移籍する。横浜中華街で「ラーメンマン」の衣装を着ての入団会見など新聞紙面を賑わせた。
  • 11年 開幕から中堅手としてスタメン定着するも扁桃腺炎で5月に一時離脱。復帰後も打撃不振が続き7月6日の広島戦の自打球により左足を負傷、終盤まで戦線を離脱する事となった。最終的な打率も.187と苦い移籍デビューとなってしまった。
  • 12年 序盤は打撃絶好調で一時は首位打者にもなった。が、好調は長くは続かず、次第にスタメンから外れる機会が増えると、同時に頭角を現してきた荒波翔にセンターのポジションを奪われてしまう。以後は残ったライトのレギュラー争いに加わるもポジションを奪うには至らず、守備固めや代走要員が中心となった。


  • スキンヘッドがトレードマークの真面目で明るいムードメーカー。
  • 特徴的な名前からファンからも苗字より名前で呼ばれる事が多い。
  • 根っからのスター気質である兄貴分の新庄剛志とは違い、滑り気味の寒いギャグとどこか無理してる感のあるテンションでそれでも場を盛り上げようとする一生懸命さが魅力。
  • 俊足と強肩の持ち主で球界屈指の守備力を誇る。
  • バントの名手としても知られる、が横浜移籍後はちょっと成功率が低い。
  • 在日韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれ、名前の稀哲(ひちょり)も韓国語の読みにちなんでいる。
  • 中学まではサッカーもやっていて東京ヴェルディの入団テストを受けた事もある。
  • 小学生の頃に汎発性円形脱毛症にかかっている。現在はほぼ克服しているがその当時の苦労を忘れないよう、同じ病気に苦しむ人たちに勇気を与えられるようにと髪を剃ってスキンヘッドにしている。
  • 日ハム時代は緑、横浜移籍後は黄をイメージカラーにしていて、その色のリストバンドを着用してる。
  • ファンサービスの一環でコスプレをしてパフォーマンスを行う事があるが、成績が低迷している近年はあまり、特に球場内では大々的に行われる事はなくなった。
  • 雨天中断中は決まって何かしらのパフォーマンスを披露する。またホームランを打つと全力疾走で一周するなどムード作りとファンサービスに熱心。
  • 一行顔文字は〈`◇´〉

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年01月19日 00:53
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。
添付ファイル