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カズヤ氏について語る前にこの出来事を整理しておきたい。
現地時間、2018年3月2日。
ガチムチパンツレスリングの兄貴ことビリー・ヘリントン氏は地元カリフォルニアにて、 車両同士の交通事故によって亡くなった。 この情報は妖精王チ・チ・ラルー氏によって訃報として伝えられた。 筆者もそうだが、現地のニュース映像がYoutubeに上げられたものを観た人も居たと思う。
この直前の兄貴はカズヤ氏の死去説について弁明を行った後、
中国のファンとの交流イベントに意欲的に参加していた。 前年の2017年頃から中国各地のイベントに招かれ、 事故直前には中国徐州の空港で行われたイベントに出演。 また事故がなければその後の3月のイベントにも参加が決定していた。
騒動が一段落した直後の死に界隈は悲しみに包まれた。
ファンが望んだ木吉カズヤ氏との対面も叶わず、 ガチムチパンツレスリングにおけるあらゆる可能性が潰えたのだった。 2人がもしもう一度再会できていたら、 深刻になったこの話は笑い話で済んでいたとも考えられる。 オーライ、大目にみるニダ♂と言い合う2人を観てみたかった。
そして兄貴の死去から3年と2か月の月日を経て、
突如、木吉カズヤ=ダニー・レスコ氏のYoutubeアカウントが再起動♂する。 Youtubeアカウントは判明していたものの、2019年にスーパーカーイベントの動画を投稿して以来、 特に動きもなく、アカウントを使用しなくなったものと考えられていた。 ところが今年の4月末から2週間ほどの間、カズヤ氏はYoutube内の気に入ったMAD動画をマイリストへ入れ始め、 各動画のコメント欄でファンと交流をし始めた。
最初は「lol」や「Thanks」などだったのだが、詳しいやりとりをしてくれるようになり、
チャンネルの乗っ取りか!?と不安になった哲学者たちを安心させた。
またカズヤ氏のコメントツリーにて、
本人から海外ガチムチストリップ集団「Chippendales」に参加していたことが明かされた! さらに、この日本にもカズヤ氏はしばらく滞在していたというのだ!
コメントを見つけてくれたのは6年前に兄貴にもコンタクトを取ってくれた
全正日ことすべまさ兄貴である。
この「Chippendales」とは1979年に創業、
ラスベガス、ニューヨーク、ロンドン、ハンブルクに自社で劇場を持ち さらには各国を股♂にかけて公演を行う世界的男性♂ストリップ集団だったのである。 彼らの人気は熱狂的なものがあり、女性たちにガチムチな男たちが本格的♂サービスを行っている。
独自調査によってカズヤ氏の参加時期についてもある程度の推測がついた。
1968年生まれとされる彼は10年前にはすでにレース業界に居たことがFacebookからわかる。 年齢から逆算すると1990年には22歳になっているので、1990年代から2000年代前半?の間に参加していたようだ。 また海外wikiにもこの情報はあり、こちらを読解し各情報で肉づけして時系列を組み立てたのが以下である。
1968年のカナダ、オンタリオ州に生まれる
↓ 1984年から1989年までオンタリオホッケーリーグに在籍し、5チームを渡り歩く ↓ 友人のダンサーが「アマチュアナイト(=素人のダンスショー?)」を始めたが、彼もその魅力に憑りつかれる この出来事がカズヤ氏19歳のときと言われているので、まだホッケーリーグ在籍中だったと思われる ↓ ホッケーリーグを引退し、ダンスの道を究めようと考えた彼は武者♂修行のため南カリフォルニアに居を移す 「カリフォルニアハードボディズ」というダンスグループへ所属し、 1992年以降は「Playgirl」,「All-Man」,「Unzipped」.「Men's Workout」などの雑誌で取り上げられるようになる ↓ この頃から「Chippendales」にも所属し、ダンスで生計を立てていく 彼は魅力的なダンスやストリップを武器に多くの人々を魅了した 「1試合目」や「ツヨシ工業」といったすべての映像作品は引退までの長く見積もって10年間ほどの間のものである ↓ 2003年に各媒体から引退をしたが、最後の出演となったのは「木吉カズヤの日常 テレビゲーム編」とされる
もう少し、カズヤ氏の作品と「Chippendales」との関わりについて迫ってみたい。
近年カズヤ氏の作品で有名になった「木吉提督シリーズ」であるが、
「Chippendales」の演目に同じ衣装のものがあり、そのソロバージョンとして披露したものであると推測できる。 (Youtubeに公演の動画が多くアップロードされているので容易に見つかるだろう)
「 木吉カズヤ インタビュー2」では冒頭、「イイゾー!」という片言の日本語が聞ける。
これは以前まで空耳だとされており、聞き取りは難しいが映像内で日本について述べていたため、 やはりなにか日本と関連がある映像ではないかというあやふやな理解だった。 一方、この映像は海外wikiで「カズヤ氏が日本で働いていた」というソースとして挙げられている。 2002年11月6日発売「Hunk O' Rama 2」に収録されているインタビューとのことで、時期的にも合致♂する。 (上記の発売日は海外ポルノ批評サイトで照会)
つまりこの映像は「Chippendales」日本公演関連のインタビューとなり、
DVD発売から逆算して2001~2002年頃にカズヤ氏が日本へ訪れていたことになる。
*注訳として、2000年代の映像やカレンダーに
カズヤ氏にそっくりな男性が映し出されていることがあるが ケビン・コーネル氏というダンサーである場合が多い。 彼はロン毛のガチムチイケメンでカズヤ氏の別名義かと思うほどそっくりなのだが、 カズヤ氏は「Hunk O' Rama 2」にもDanny名義で出演しているのでどうも別人らしい。
またカズヤ氏の日本公演の映像は筆者もかなり探したものの、現在見つかっていない。
2000年代前半と考えると日本では初のカメラ付き携帯電話が販売開始したところで、 動画を撮影することやYoutubeにアップロードすることは普及しておらず、 日本の観劇者のマナーからも撮影を行った人は居なかったと思われる。
このようなカズヤ氏の新たな歪みねぇ一面を垣間見つつ、ぜひこのビデオレターを観て欲しい。
以下に動画の内容についての画像を添付する。
公開当時に筆者の方で英文の書きだしを行い、機械翻訳をしたあともう一度文意を整えたものになる。 ![]() ![]() ![]()
短いビデオレターではあるものの、カズヤ氏の真心が詰まったものである。
我々ガチムチパンツレスリングの哲学者が良く言えばリスペクト、
悪く言えばおもちゃにしてしまったことに対して「サポート」と言ってくれた カズヤ氏の器の大きさにこちらからも深い感謝しかなかった。
翻訳中にもある通り、カズヤ氏は自分の使ってきた名義を検索中に
偶然ガチムチパンツレスリングの世界に触れたようで、 自分の映像作品を観た人々と交流するのはほとんどなかったらしい。
また薬物の過剰摂取による死去説についても公式に否定した。
自分が南カリフォルニアで元気にしていると朗らかな笑顔で話してくれたのだった。
このビデオレターをきっかけにカズヤ氏とガチムチ界隈が交流を始める。
まず初めに行動を起こしたのはVAN様だった。 ビデオレターのコメント欄にてダーク♂コラボのお誘いをしたようなのだが、 カズヤ氏からはいいねの返信のみとなっている。
関連して、海外配信者のStanpai氏とカズヤ氏の対談動画が投稿された。
(Stanpai氏は映像製作や声優を生業とするパフォーマー、また熱狂的な哲学者でもある)
この中でも視聴者から「VAN様とコラボしないんですか!?」と質問が飛んだが
現状考えていないようだ。 今後の動きに括目、いやケツ♂目してほしい。
動画は37分ほどの長さで、全編英語ではあるが内容は理解しやすいと感じる。
冒頭では自分の名義を調べていたら「え?このカズヤってもしかして...自分のコト!?」と驚いたと語ったり、 Stanpai氏から1試合目の「アッー!」や「にゃんにゃん!」のシーンが人気であることを教えてもらったり、 楽しそうなカズヤ氏をぜひご覧いただきたい。 (全編翻訳にはかなり時間がかかるので、いつか追記するかもしれません)
一方で再生時間21分からの会話では、兄貴とカズヤ氏はFacebookで交流があり、
兄貴が亡くなったときには親族からカズヤ氏への連絡があったことなどが語られている。 当wikiのこのページが追ってきた「何故、カズヤ氏の死去説が流れたのか」について、 やはりまた疑問符がついてしまった結果となった。 終盤、35分付近でも「(ビリーが)クレイジーって言ってたの!?」と驚いていることから カズヤ氏にも心当たりはなく、これ以上は迫れないだろう。
そんなニュースの中、今月10日になって特大のスペシャル動画が投稿された!
国際的男尻祭の開催PV、まさかの冒頭に流れる陽気なあの音楽。
あのジャンクヤードで、あのときと同じように車で現れかっこよくキメる……。 我々が見惚れた彼、木吉カズヤその人である。 各部にカズヤ専用カスタムされたシコレー♂コルベットスティングレイで現れたあとは まさかの兄貴figmaを手渡されたり、男尻祭2010のビオネッタvsVANキッシュのシーンを眺めたり、 変わらない「おっほっほ~(^ω^ )」な笑い声まで聞こえる。 我々にとってこんな幸福な未来が待っていると誰が想像しただろうか。 ぜひ彼にはこれからもガチムチ界隈と円満な関係を築いてほしい。
以上をもって、木吉カズヤ氏の死去騒動についての最終報告とします。
今まで6年間、この話題について追跡調査と記録を行ってきましたが、 結果としてカズヤ氏がガチムチパンツレスリングシリーズとの出逢いを果たすまでの軌跡となりました。
筆者としてガチムチ界隈と密接に過ごしてきた6年間でしたが、今年は追いきれない状態が続き、
この時期のページ更新となってしまいました。 ビデオレターの項目編集の際、情報整理をして戴いた哲学者の多幸定理さんに謝辞を申し上げます。 また全ての情報提供元、および当wiki管理者様と利用者様にこのページを留置頂いたことに感謝します。 ありがとうございました。
2021年12月26日 ビオリニスト @CYPHER_Yuk
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