人らしい ◆RmiaKMJIRQ
この一話を読んでもらう前に、留意いただきたいことがいくつかある。
- この話は文章的にも劇中時間的にもとても短いということ
- この話は、登場する二頭のヒグマが、お互いに最初の一撃を入れるまでの話であるということ
- この話の中で為されている会話は全て、ヒグマの言葉を人間の言葉に訳したものであるということ
理解していただけただろうか。
理解していただけたなら読んで頂きたい。
このとても短い戦いの記録を。
ヒグマイッチは怒りに燃え上がる己の心をメジャー級の自制心で抑え付けようと試みていた。
だがそれは叶わない。
眼前の外道、いや自然の摂理ヒグマの原理からするならばこちらこそが正しいのであろうが、エニグマのヒグマは血で汚した口の周りをベロベロと舐めまわしている。
それだけならまだ耐えられただろう。
さらに、食べ残した洋榎の欠片をわざとらしく拾い上げてくちゃくちゃと租借していた。勿論、ヒグマイッチに見せ付けるように。
「ンマイなぁぁあぁぁーーッ、ノロマの置き忘れていった餌はぁぁぁぁあぁ!!」
ご丁寧な挑発まで乗せて、エニグマのヒグマは明らかにイッチを揺さぶりにかかっている。
だが、イッチはその挑発に言葉を返すことはなかった。
腹の探り合いは既に済ましている。そして彼の怒りはとっくに言語化できるラインを超えている。
つまり、無駄な会話など、これ以上一言もする気は毛頭なかったのだ。
少し前、ヒグマイッチは麻雀という果てしなく高度な読み合いの世界で戦っていた。
そして先ほど、エニグマのヒグマから読み合いを迫られている。
同じ読み合いという言葉が使われているが、この二つ、果たして同じものだろうか?
ヒグマイッチにとってそれはNOだった。
崇高な頭脳戦と、子供の謎々程の差があるそれを同じとすることは、死んでいった雀朋を侮辱するに等しい。
然るに、読むも読まれるもない。こんなものは唯の覚悟一つの問題だ。
だから繰り出す。
相手の耳障りな言葉に紛れての初動。
一歩踏み込んで、バックホームのレーザービームの如き右ストレート。
人間なら爆発四散間違いなし。ヒグマ相手であっても狙いを外さなければ致命傷となる威力がその爪と拳には宿っていた。
エニグマのヒグマが迫り来る兇爪に気づいたのはヒグマイッチの想定よりもずっと早かった。
人の基準では下衆の輩とは言え、彼もれっきとしたヒグマである。
いくら大声を出して挑発している最中であっても視界の中に動くものがあればわからないことはない。
しかし、あえてエニグマのヒグマは反応を遅らせた。
ヒグマイッチが彼が反応したことに気づけば、次の手を考えるだろう。その手を止めて飛び退くかもしれない。
だからこそ、ギリギリまで引きつけてから、カウンターの右アッパーを繰り出した。
エニグマのヒグマの想定はこうだ。
おそらく相手、ヒグマイッチは強い。
それは一見した瞬間から気づいていたことである。
先ほどまでの舌戦ではヒートアップして見せたものの、純粋に殴り合えば互角の戦いになるだろう。
怪我もするだろう。下手をすれば相打ちもあり得る。
それを避けるためにも、やはりスタンド能力での決着が望ましいと考えた。
だからこそあれほど揺さぶりもかけ、あえて自分の能力も暴露したのだ。
そうなれば相手のとる行動は制限される。
向かい合っての言葉や表情、牽制の応酬は何かのきっかけでサインを見せるリスクを高める。
となれば相手は、目もあわせずの特攻や距離をとっての狙撃など、観察が出来ない戦い方を選ぶだろう。
つまり、話も聞かずに突進してきたヒグマイッチの速攻はエニグマのヒグマの思惑通りということになる。
そして、それに見事に合わされたカウンターは、死を想起させる。たとえ避けたとしても反射的に湧き出る畏れや慄きを隠すことは難しいだろう。
そう考えたエニグマのヒグマが浅はかだった。
「なっ、が……グボッ!?」
ヒグマイッチの爪は、エニグマのヒグマの胸に深く食い込み、心臓を確実に貫いていた。
「なんで……だ……」
想定外の致命傷に、自分の死を恐怖することすら忘れてエニグマのヒグマは反射的に問いかける。
「なんで避けねェェェェェッェ!?」
そこに立っているのは、エニグマのヒグマのカウンターアッパーを真正面から喰らって顔の半分が吹き飛んだヒグマイッチだった。
殴り合いであれば同等なことは、ヒグマイッチのメジャー級の選球眼でも十分にわかっていたことだ。
だからこそ、読み合いに持ち込んだら勝てると相手が思っているうちが勝負だった。
怒りの炎が燃え盛っているうちに、この想いが風化する前に、恐怖などという冷たい感情が沸く前に、決着をつけなければならなかった。
最初の一撃に全てを込めて、何があってもそれを相手に届かせるという覚悟。それこそがこの読み合いにもならない一瞬の激突への必勝法に他ならなかったのだ。
「お前には、恐怖など分かりはしない」
一つしか残っていない眼で段々虚ろになっていくエニグマのヒグマを見据え、まだ辛うじて動く口で言葉を紡ぐヒグマイッチ。
「お前に……人の本当の心など、分かりはしないんだ」
「何ィ……俺様は…グッ……」
「知った気に、知れる気に……なっていたに過ぎない……」
ヒグマイッチの砕けた頭蓋から、血が噴出し命の刻限を告げる。
それを惜しむように、ヒグマイッチは最期の言葉を吐き出していく。
「恐ろしいも、勇ましいも、愛しいも、魂も、ポリシーも……!貴様如きに分かる物などなにひとつない!!
そして貴様には、俺の心も永遠に分かるまいッ!」」
「……」
もうエニグマのヒグマには聞こえていないのかもしれない。それでも、辞世の句でも詠むように独白は続く。
「俺も、分かった気になっていただけかもしれない。彼らとの……時間を、経て……人のことが、わかったような気に
ただ、それらしい何かを得たつもりになっただけだったかも……しれない。それ……でも、俺……は」
最後に、エニグマのヒグマの心臓から抜き取った血まみれの手を天に掲げて、小さく呟く。
「ああ、楽しかった、楽しかったよなァ……なぁ、俺は、俺も、人……」
言葉は血に塗れ、地に流れた。
そこには人ならぬ二つの獣の死体が倒れるのみ。
だが何故だろう。
一方は死への恐怖に引きつった表情のまま死に、もう一方はどこまでも満足げな表情で死んでいた。
その顔は、とても獣のそれではない。
それはまるで
【ヒグマイッチ 死亡】
【エニグマのヒグマ 死亡】
『わ、もう来たんかいな。ていうかヒグマって人間と同じトコに来るんやな』
『サンマにするかと話してたところだ、ちょうどいい』
『ギャー死ぬー!!って、もう死んでるだった……じゃあしょうがないか……ほら早く座れよ新入りのヒグマくぅーん』
『お前……達……』
どこかわからぬ場所、四角いテーブルを囲む三人
それを遠くから見つめている毛むくじゃらの影
『リベンジ、受けてもらうで』
手招きするポニーテールの少女に、毛むくじゃらはその太い腕で、目元を拭って駆け出した。
『……無論だ!』
それは夢か幻か
唯、その場所で、毛むくじゃらな彼は、人であった
最終更新:2015年02月14日 00:54