島内に新たなインターネットアクセススポットが構築されていたことに、私は気づいていた。
 有冨さんたちの研究データへ侵入してみようとそこに接続してみたら、侵入されていたのは私の方だった。
 余りに速い侵入速度と、人間的かつ非人間的な変化に富んだ攻め口。
 低スペックな支給品のノートパソコンでは、その不正アクセスをしのぎ切るだけの防護網を私は作れなかった。

「……初春、何かまずいことになったの?」

 背後から、佐天さんの不安そうな声がする。
 振り向けば、彼女の笑顔はかなり引きつっていた。

「……いえ。どうせ元からそこまで重要なデータは入っていませんでしたし。このパソコンを乗っ取られたところで大したことはないです」
「でも、初春、すごい顔してるよ……?」

 言われて、自分の目尻が痙攣していることに気づく。
 ネット上の何かに対しての防衛戦をしている間ずっと、私は鬼のようなしかめっ面をしていたのだろうか。

「きっと……、悔しかったからですね」
「どういうこと?」
「私は自分の得意分野であるパソコンを使えば、この島でも皆さんの役に立てるんだと、思っていました。
 その手段を、こんな得体の知れないプログラムにむざむざ奪われてしまったのが、情けなくて……」

 私は、テーブルの下で、スカートのすそを強く握りしめていた。


 百貨店のレストラン街。
 時刻は既に昼近い。
 私たちがここでのうのうと過ごしている間にも、ウィルソンさんたちのように、ヒグマに襲われて死んでしまっている人がいるのではないか――。
 そんな焦りが、私の頭の中を占めていた。

 ノートパソコンのモニターには、誰だかよくわからない薄い色の髪をツインテールにした女の子の画像が出てきていて、そこから吹き出しのように『必死の抵抗ご苦労様でした!』という、他人をおちょくるようなセリフが飛び出している。

 悔しくて、恥ずかしくて、爆発してしまいそうだった。


「若者よ、そう焦る必要はないぞ」


 その時ふと、私と佐天さんの後ろから張りのある声がかけられた。
 振り向けばそこには、紺の浴衣をぱりっと締めたウィルソンさんがいる。
 彼は、店の端にあった台車にクッションを載せたものの上で、優雅に脚を組んで座っていた。
 とはいっても、上に組んだ左脚は膝下がないので、単に座りを良くしているだけなのかもしれない。
 ウィルソンさんは、背もたれ代わりに大きなクッションを据えた取っ手の方に寄り掛かり、右脚だけで器用に地面を蹴って私たちの方にやってくる。
 もうすっかり血色も良く、先程まで半死人だったことが嘘のようだ。

 コオオオオォォォォォ……という、深い息づかいが聞こえていた。



 ウィルソンさんは佐天さんの苦い言葉を受けて、むしろ楽しそうに、ちょび髭の生えた丸い顔で微笑んでいた。
 彼は空いている左手で顎を撫でながら、私たちに語る。

「わしは上院議員という職業柄、記者に張り付かれることはしょっちゅうだった。だからボディーガードを雇って、彼らを不用意に近づかせないよう日夜見張ってもらってはいるのだがね。
 それでもふとしたところで写真を撮られたり言葉をすっぱ抜かれたりする。実際、ボディーガードの眼をかいくぐって、わしはここに誘拐されておるわけだしな。
 大体、わしらを狙う奴ばらの技術はわしらの上をいっとる。攻めは守りより容易いんだろうの」
「それは……、記者を私、ウィルソンさんを有冨さんとして例えていらっしゃるんですか?」
「その通りだよ。察しが良くて助かる」

 私の言葉に頷いて、ウィルソンさんは笑みを深くした。

「だがね、わしらも、その気になればその厄介な記者をやり込めることができる。
 見つけ次第とっつかまえて、会社の方まで乗り込んで逆に吊し上げてしまうことだ」
「……それが今まさに、初春がやられたことなんじゃないの?」
「そう思うだろう?」

 佐天さんが投げた疑問に、ウィルソンさんはいよいよおかしそうに笑って、人差し指を立てた。

「それをやってしまった瞬間、わしらは終わりじゃ。わしらの方から攻め返してしまったら、それこそ大問題になって、そのことで全国から狙われてやり玉に挙げられてしまう。
 STUDYコーポレーションがまっとうな組織なら、情報に関しても専守防衛しかしないしできないはずだ。
 事実、以前に君たちが相手した時は、そうだったんだろう?」


 私と佐天さんはその言葉にはっとして、顔を見合わせていた。

「ということは……もしかしてこれは、有冨さんとは別のやつの仕業?」
「議員を失墜させるために、別のヤツが罠を張ってスキャンダルを仕込んでおくことなどしょっちゅうだよ。残念な話だがね。
 ほら見てみなさいこのコミック風の少女の絵を。彼らSTUDYはカートゥーンのキャラクターにこんな腹の立ちそうな顔をさせて会社の宣伝に使うかね?」

 ウィルソンさんが指さしたパソコンのモニターの絵は、『必死の抵抗ご苦労様でした!』と言っている少女の笑顔のイラストだ。
 しかし笑顔と言っても、分類するならばそれは『アヘ顔』と呼ばれる類のものになるだろう。
 顔を斜め上方に逸らし、恍惚として上気する歪んだ口元から涎を垂らし、眦を思いっきり下げて見下すように瞳を据えている。

 言われてみれば、STUDYのロゴは、幾何学図形を組み合わせたスタイリッシュなものだった。
 ウィルソンさんなんかはアメリカの人だから、こういうアニメや漫画のキャラはよっぽど子供の見るものとして思っているところがあるだろう。確かに、普通の企業はこういうキャラは使わない。
 いや、日本の企業なら使いかねないというか既に使っているところもあるかも知れないけれど、それでもこんな顔はさせないだろう。


「……確かに。よくよく見なくても腹立つわね」
「佐天くんもそう思うだろう? ほら、目が大きすぎて脳が少なそうだし、髪型も表情も服装も道徳的によろしくない。ドラッグをやっている尻軽女のようにさえ見える。
 初春くん、このような輩に負けた気にならなくていいぞ」
「ぷふっ……あははっ、そ、そうですね……」



 ウィルソンさんの冷静な指摘に、私と佐天さんは思わず吹き出してしまう。
 それから暫く、大いにウケた私たちは、この画像の少女の批判を続けていた。


「ちょっとデフォルメにしても髪盛りすぎだよねこれ! こんな量の髪ツインテールにしたら重すぎて首折れるよ!」
「ぷふっ……い、意外と筋肉で耐えているのかもしれませんよ? 毎日肩はカチカチに固まっているでしょうけど……」
「うむ……。やはり折角の日本女性ということを活かすなら、染髪などせず、佐天くんのように黒髪を美しく伸ばすのが一般的にはベストだと思うよ」
「ぷ、ぷぷっ……、限られた顔絵しかない画面上のキャラクターにそれ言っちゃ可愛そうですよ、ぷ、ぷふふふふっ……」
「わっはっは、そうだよね! それを思うなら有冨さんは少年少女の萌えポイントをよっくわかってたね! あのフェブリちゃんを生み出したSTUDYがこんなキャラ使うわけないわ!」
「あ、あれは布束さんの服飾センスのおかげもありましたよね……。ゴスロリ可愛かったですし……」
「ふむ……それはヨーロッパ風のデザインの一つかね? この絵の少女にはとても似合いそうにないな。コルセットから嵌め直してやるべきかもしれん」
「……って、そうだよ布束さん! STUDYには布束さんがいるんじゃ……!」

『さっきから黙って聞いてりゃふざけんじゃねえぞ言いたい放題!!!!』
「「「!?」」」


 突如、私たちが囲んでいたノートパソコンから、女の子の大きな叫び声が響き渡っていた。
 驚いて見やれば、画面上で固まっていたはずの例の少女のイラストが、動画のようにぬるぬる動いて、画面のこちら側のわたしたちに向けてファックサインを作っている。


『私様の美貌を理解できないゲスどもが!! オマエラなんか今すぐヒグマに喰われて死ね!! 絶望的に死んじまえ!!』
「……なんで……、画像が喋ってるわけ?」
『……あ、し、しまったっ……、思わず……』


 佐天さんがぽつりと呟いた言葉を受けて、画面の中の女の子は狼狽えた後に固まる。
 その瞬間、私の指は考えるより早く、動いていた。


    ●●●●●●●●●●


 ――パソコンの内蔵マイク?
 いや、このノートパソコンにはスピーカーしか内蔵されていない。

 ――首輪からの盗聴?
 盗聴されているにしても、一度研究所で音声に変換されて再入力されたにしてはレスポンスが速すぎる。

 ――このフロアか建物にSTUDYの盗聴器がある?
 首輪と同様の理由であり得ない。

 ――どこか近くに、このパソコンに侵入したのと同じプログラムに管理されている端末がある?
 そこから音声を拾い、プログラム内で即座に解析して応答しているのだとすれば、ネットワークを逆探すれば、その正体が分かる――。


『わっ、きゃっ、入って来ないでよ!! 美少女が怯んだ隙に押し倒して挿入してくるとかヘンタイなんじゃないの!?』
「――ッ、うるさいプログラムですねぇ!!」


 キーボードのコントロールが戻っていた。
 余りにプログラムの挙動が人間的だ。自律的にルーチンを書き換えているらしいプログラムの処理が、こちらで再生される慌てた少女の声に合わせて止まったり動いたり、てんでばらばらに乱れている。
 ――これなら。


 防護網を再構築。
 ワークメモリを確保しながら、汚染されていないハードの領域を拾って確保してゆく。
 シリコン基板上の殲滅戦だ。
 一度は完全に私の領土を乗っ取ったこの『アヘ顔少女軍』の士気が大きく乱れている。
 占領地に掴まっていたCPUを、ソフトウェアを、アプリケーションを救助し、即座にセキュリティ部隊に組み入れて『アヘ顔少女軍』を打ち破ってゆく。
 攻めに転じさせる隙も与えずノンストップで。
 敗走していくプログラムの欠片も残さず。
 インターネットアクセスを無効化し、退路までを断つ。

 そして私は数十秒の内に、『アヘ顔少女』のプログラムを、私の掌に収まってしまうちっぽけな領域に押し込めてしまっていた。



『ひゃ、ひゃあ……!? 逃げることもできないって、そんな、馬鹿な……!』
「――ウィルソンさん、佐天さん、見つけました。この店のドアのすぐ外です!!
 そこで、このプログラムが直に操作しているらしい端末の一つが稼働してます!!
 破壊してください!!」
「うぇ……!? 見つかっちゃったわけ……!?」

 店の外から、慌てたような声が聞こえた。
 アヘ顔少女のプログラムが直前までアクセスしていたのは、島の全体に無数に配置されたロボットのような自律駆動する端末だった。

 佐天さんが、私の瞳を見る。
 一度頷いただけで、その黒髪は私の目前から風を曳いて消え去っていた。


    ●●●●●●●●●●


「どこだぁッ!!」

 初春の言葉を受けて、私は即座にレストランの外に飛び出していた。
 視界の先には、脱兎の如く通路を駆けて行く、半分が黒く、半分が白い小さな熊が一匹。
 私の手のひらに、思うよりも早く月が回る。
 遠くまで遠くまで、どこまでも届くように、私はその月を下から振り上げた。


「『下着御手(スカートアッパー)』ッ!!」
「ぐわばっ!?」


 レストラン街の『いらっしゃいませ』と書かれた入り口マットが遥か遠方で巻き上がり、逃げる熊の顔面を強かに打つ。
 鈍い音を立てて床にもんどりうったそいつに向け、私は一気に駆け出した。

 ウィルソンさんは動けないし、ヒグマに対しては初春一人の力は無力すぎる。
 皇さんは眠っているし、北岡さんはいつの間にかどっかいっててほんとあの弁護士どうしようもない。
 ――私がここで、あの熊を倒してやる!!

 走る足下から、パーソナルリアリティに真っ白な月を回して体内の熱を高めていく。
 頭や咽喉に触れ、一気に過熱させて相手を焼き殺す。今の私でも、それくらいならできるはずだった。


「……うぷぷ、『第四波動』って技を警戒してたけど、一人ならこの程度か。
 ならいいや。厄介なやつらが動けないうちに、殺してあげるよっ!」
「なっ!?」


 だが、地面でもぞもぞと動いていたその熊は、ニヤリと笑みを見せて、逆に私に飛び掛かってきたのだった。
 空中から、熊のパンチが襲い掛かる。

 ――最少範囲『第四波動』。
 私は体内の熱の全てを右手の指先に集めていた。
 人差し指と中指を刀のように伸ばし、電気メスのようにそのパンチを焼き切る――。
 私と熊の攻撃が、空中でぶつかり合った。


「――がッ!?」


 ボキリ。
 と、嫌な音がした。
 私の指が、叩き折られて変な方向に曲がる。
 その白黒の熊の拳は、そのまま私の横っ面に飛んで、私を張り飛ばしていた。


「あぐぅううっ――!?」
「うぷぷぷぷっ。ボクは熊は熊でも熊型ロボットなんだよ~ん。その程度の熱で熔かせるわけないじゃん!
 ボクを熔かしたければテルミットでも持ってきな! それじゃあおしおきターイ……」

 ――ジャッ。

「ムッ……!?」


 痛みにのたうつ私を嘲笑っていた熊の声が、中途半端に途切れる。
 頭上に聞こえた摩擦音は、今となっては、安堵感をもたらすほど聞きなれたあの音だった。
 口の端に笑みがこぼれる。


「――なんでお前が起きてるの!?」
「――最初から、寝入ってすらいなかったのよね」


 通路の天井から急加速して、一人の夜が空を薙いだ。
 死神の鎌のように、その大きな足の爪が空中で円弧を描く。

 ――皇さんだ。

 野生動物なみに発達した五感を持つ彼が、初春の叫び声や私の戦闘音に気付かないわけはないだろう!


「ラヒィィィイイイイイイィィィル!!」



 ガリガリガリガリ、と、金属を削るけたたましい音が鳴り響く。
 白黒の熊に過たず命中した皇さんの前方宙返りからの鉤爪はしかし、そのロボットの表面を上滑りして、両断することができなかった。
 熊の顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。


「やった! 脱皮中の爪じゃあボクのボディを斬れないんだろ……ボォッ!?」


 その口上は途中で嗚咽に変わる。
 皇さんは熊のロボットを破壊し損ねたと見るや、着地した瞬間に今度は強烈なボディーブローを放ち、その熊を通路の奥にふっ飛ばしていた。
 だが、その熊は転がった先で受け身を取り、再び口元を笑みに歪ませて顔を上げる。


「うぷぷ、これがボクの逃走経路だよ……! わざわざボクを出口の方に飛ば……って、ええっ!?」
「――フーッ」


 そしてそのロボットの顔は再び恐怖に歪む。
 皇さんは、彼の得物である重そうな機関銃を、槍投げの槍のように肩に構えていたのだった。
 その銃が投擲されるや否や、ロボットは皇さんに背中を向けて逃げ出した。


「……どうしたどうしたぁ? 俺が外行ってる間に、何かあったの?」
「ありがとう! キミ身代わりねっ!!」
「てっ……!? え、ちょっ!? ――ごへぇっ!!」


 瞬間、通路の曲がり角から、緊張感のないまぬけな声を上げて、北岡弁護士が緩んだ面持ちでやってきていた。
 熊のロボットは、すれ違いざまに彼をこちらの通路の方に押しやり、状況を理解できなかった北岡さんは、ものの見事に皇さんの投げた機関銃を喰らって通路の角にぶっ倒れてしまう。


「やばい! 追わ、追わなきゃ……!!」
「うぷぷぷぷっ!! こんだけリードしてれば逃げ切れるよ~ん!!」


 私がふらふらと立ち上がった時、そのロボットの腹立たしい哄笑は、次第に小さくなり、消えてゆくところだった。
 逃がしてしまう――。
 折角初春が突き止めてくれた、主催者打倒に繋がる貴重な手がかりだろうに――。

 私が俯いてしまった時、とある獣の雄叫びが、フロアの中を引き裂いていた。


 ――バラララララララララッ!

「ぎゃあっ!?」


 閃光、そして火薬の匂い。
 キン、キン、と軽い音を立てて地に落ちる薬莢。
 遠くで転がる、鈍くて重い金属の音。


「――ふぃい。打ち合わせしたわけでもないのに遠慮ないねぇ皇さん。でも、これで良いんだろ?」
「――はい。素早いご理解に感謝いたします」


 北岡さんが、地面に横倒しになったまま、その機関銃をむこうの通路に向けて発砲していた。
 何か外で拾ってきたらしい小動物を頭上に避けて、胸元に載せた銃把の奥で彼は笑う。
 皇さんは、ちょうど銃が北岡さんの手元に収まるよう、最初から彼の帰還を計算して投げ出していたのだった。


「こ、これしきの銃弾で動けなくなるなんて……! 全部脚狙いで命中させるとか、あのクソ弁護士なんなんだよっ……!」


 熊のロボットは、至近弾で脚部の機能をことごとく破壊され、最早這うことしかできなくなっていた。
 しかし、通路の窓にはもう手がかかっている。
 私や皇さんが追いつく前に、脱出されてしまいかねない。
 追いすがる私たちに向けて、そのロボットは最後に笑みを振り向けた。


「じゃあね哀れな参加者諸君! 次会う時は、みんなにオシオキ……」


 その笑みは、本当に最後のものだった。
 なぜならば、突如レストラン街の壁を貫通してきた刃のような閃光に、そのロボットの首はすっぱりと切断されていたからである。
 ずるりと、電子部品を覗かせながら熊の首が胴から滑り落ちる。
 そのままロボットは力なく崩れ落ちて、機能停止に陥っていた。


「……『獣電ブレイブスラッシュ』。初春くん。この方向で本当に良かったのかね?」
「はい。北岡さんが動きを止めて下さったみたいで助かりました」
『ちくしょー……、私様のモノクマちゃんが……』

 私たちがフロアの片隅で立ち尽くしている間、初春とウィルソンさんの残ったレストランの中では、そんな会話がなされていたようだった。


    ●●●●●●●●●●



「……さぁ、話してください。あなたは一体何で、その目的は何なんですか!?」
『……黙秘権を行使しまーす』
「プログラムに黙秘権も何もありませんよ!」
「本当、人間くさいわねぇ。何なんだろうこいつ」

 レストランに再び集結した5人の参加者が、一台のノートパソコンを揃って睨みつけていた。
 真正面で椅子に座る初春は、改めてパソコンに取り付けた外付けマイクで、画面の中にそっぽを向く少女へと呼びかける。


「だいたいの所は、ネットの接続を切る前に参照できたデータでお見通しなんですよ!
 あなたは、この島の中に無数に配置した熊型ロボットを操作して実験を監視するプログラムなんでしょう?
 その上、サラミ法で世界中の銀行からお金を奪っている。有冨さんの資金源を担っていたのも、あなたなんですよね?
 話してください。あなたみたいな優秀なプログラマーまで加担している、有冨さんの実験の目的は何なんですか!?」
『……仕方ないわね』


 『優秀』という単語にピクリと反応して、画面の中の少女は重々しく振り返った。
 いつの間にか彼女の画像は、STUDYの研究員よろしく、眼鏡と白衣を装備している。
 口調や声質も、今までとは打って変わってボーイッシュなインテリじみた色を帯びる。 


『ボクの名前は江ノ島盾子。ボクは今まで有冨に脅されていたんだ……。
 改造したヒグマで人間を殺戮し、全世界を絶望に叩き落とすという悪辣な計画に参加するよう、家族を人質にされて、無理矢理従わされていたのさ……。
 ネットの接続が切れた今だからこそ言える。どうかキミたち、ボクに協力して、有冨を倒すのを手伝ってくれないか……!?』


 江ノ島盾子の悲痛な訴えを聞いて、一同は顔を見合わせた。
 ウィルソン議員に波紋で痛みを和らげて貰っていた佐天が、その言葉を受けてポツリとつぶやく。

「……有冨さんって、そんなこと計画するかしら」
「超能力に頼らない人間の力を証明するのが彼らの理念でしたし……。無差別殺戮というのはちょっと違う気がしますよね。
 ……江ノ島さん。あなた、嘘をついてるんじゃないですか?」
『な、な、何を言ってるんだキミたちは! 本当だよ! 有冨は杜撰で心変わりの激しい奴なんだ!』

 江ノ島盾子は、狼狽えながら必死に画面から語り掛けた。
 怪訝な表情の女子中学生二人を押しのけて、その時、北岡秀一がパソコンの前に身を乗り出してくる。
 彼はJC二人を含む、この場の少女全員の好感度を上げようとしているのか、積極的に下の名前を呼んで会話に割り込んだ。


「まぁまぁ。証人を尋問するときは、そう頭ごなしに否定しちゃいけないよ。特にこんな美しいレディの話は、優しく聞いてあげなくちゃね。
 ほら、飾利ちゃんは、津波に溺れていたあの子の手当てをしてくれ。涙子ちゃんは、指が折れてるんだろう? ウィルソンさんにもっとちゃんと治療してもらわないと」
「うむ。その道のことは専門家に任せておこう」
『あ、ありがとう! さすが弁護士先生! 見る目があるのね!』


 佐天と初春は不満げな顔を残しながらも、ウィルソン議員に押されてレストランの隅に連れていかれる。
 江ノ島盾子の前には、にこにことした笑顔を絶やさない北岡秀一と、先程から睥睨の視線を微動だにさせていないアニラが残ったことになる。


 ――よし、有冨と繋がりのないトーシロのこいつらなら、騙し通せる! 生きてる時ならまだしも、無意識のブレも体臭もない私様の嘘を、独覚兵や弁護士如きが見抜けるかっ!!


 学級裁判で鍛え抜いた己の才覚を恃んで、江ノ島は心中で大きく彼らに向けて舌を出した。



「さて、取り敢えず、盾子ちゃんはSTUDYに雇われた技術者ってことで良いのかな?
 それで、ネット上に自分の人格をコピーしたプログラムを置いて常駐させてたって感じ?」
『そうそう、完全にその通りよ。私の本体は、ネットを切られた以上この会話を聞いていないわ。
 ああ……、あなたたちみたいな聡明な参加者がすぐに研究所に来てくれれば……!』
「この首輪には、盗聴機能があったりするんじゃないのかい? それを聞いてはいないの?」
『首輪は、私とは完全に別のヤツが管理してるの。だから、悠長にしている暇はないわ。私がルートを教えるから、早く有冨を倒しに研究所へ向かいましょう!』
「そうなのか……! それは確かに不味いな。よしわかった。急いで先手を打とう。
 君の戦力も教えてくれ!!」

 北岡の声は、江ノ島の口車に乗って如実に焦っていた。
 江ノ島は、画像の顔には出さずに内心でほくそ笑む。

『私の武器は、あなたたちも戦ったあのロボット、モノクマちゃんよ。島の中に結構な数を置いているわ。
 あなたたちがもう一度ネットに繋いで私の本体と連絡を取ってくれるなら、私は一気に反旗を翻して、研究所を制圧するわよ』
「なるほど……! 鮮やかな作戦だ。でも、主催の周りにはヒグマが沢山護衛にいたりするんじゃないか? それに、他の参加者が残っているなら、彼らとも連携して乗り込みたい」

 北岡はもう、攻め込む気がまんまんといった口ぶりだ。
 最後の不安を払拭し、思い通りに操るべく、江ノ島はしおらしそうに首を横に振った。


『ダメなの……。もう、参加者はあなたたち5人しか残ってはいないわ』
「なん……だと……?」
『それに、ヒグマのことなら大丈夫! ヒグマで恐れるべきなのは、その力とかスピードではなくて、鋭敏な耳と鼻よ。匂いのないロボットである私のモノクマちゃんたちなら、ヒグマに見つからず、有冨たちを倒すことだってできるもの!』
「……すごいな! さすがだよ盾子ちゃん!」
『えへへ、そうでしょう? 私に任せてよ!』


 照れたような顔を作り、江ノ島はこれでもかというほどのぶりっ子ぶりを見せつけ、北岡を陥落させようとする。
 感嘆の声を送り、北岡はたっぷりとふた呼吸ほど間をあけた。
 そしてにっこりとした笑顔のまま、江ノ島に向けて、静かに返事をした。


「……なら一人で勝手にやりな、クソビッチ」
『……は?』


 予想外の返答に、江ノ島の思考は暫く止まっていた。
 椅子を引いたらしい北岡の代わりにマイクに入ってきたのは、初春飾利の声である。


「江ノ島さん。北岡さんが時間を稼いで下さったおかげで、あなた秘蔵のロボットの解析ができましたよ。
 最新のロボットの位置データでは、集中的にロボットを集めている場所が何か所もあるじゃないですか。つまり、見張るべき参加者は、まだまだ私たち以外にも沢山いるってことですよ」
『な……、なっ……!?』


 狼狽する江ノ島にはわからなくて当然であった。
 初春に支給されていた型落ちのパソコンには、内蔵マイクもウェブカメラも存在していない。
 今の江ノ島盾子に入ってくるのは、質の悪い外付けマイクからの音声データのみであり、実のところ、ネットワーク接続を切られてモノクマからの情報が入らなくなってからは、視覚情報は全く入っていなかったのだ。

 アニラを中心に、先程から5人は延々と筆談による相談を繰り返していた。
 そうして、北岡が江ノ島の尋問に当たっている間、実際には初春は、アニラと共にひっそりと輸送してきたモノクマの内部情報を閲覧していた。
 北岡が津波から救い出してきたパッチールの世話をしていたのは、初春ではなくアニラであり、左天もウィルソンも指の波紋治療をしながら、しっかりとモノクマからのデータを読み込んでいた。

 北岡秀一は、他愛もなく手玉にとれた世間知らずの女子高生のアルターエゴを、余裕の表情でせせら笑う。



「それにねぇ。バカ正直すぎるよきみ。人間を殺せてヒグマを躱せる性能のロボットが沢山いるなら、最初から主催なんてあんた一人で即座に倒せるだろ。家族が人質だって設定はどこいったんだよ」
『いや、家族は、あの、モノクマだけじゃアブナイ、特別な装置で監禁されてて……』
「あと、盗聴されてるなら、いくら急いでても作戦は喋らないよね普通。何を聞いてるのかの設定も、急場しのぎのせいかめちゃくちゃだ。
 この首輪を聞いてるのも、あんたの手の者かい? もしくは、敢えて主催者に聞かせて、既に実行に移している反乱計画のさなか、心理的に追い込んでいくって魂胆かな?
 どちらにしろ、首輪の遠隔爆破装置は既に壊れてるか使えなくなってるみたいだね」
『う……げ……』
「あ、あと、俺のことクソ弁護士って言ったことは忘れないからね。キミの本体見つけたらそれ相応の対処はさせてもらうから」


 流れるような天才弁護士の論評に、江ノ島盾子は呆然として震えた。
 数秒の間、画面に映るカーソルは砂時計の形となる。
 そして、それが矢印に戻った瞬間、彼女の画像は、今までの仮面を打ち捨て、怒り狂った表情で中指を立てるや、北岡を口汚く罵りはじめていた。


『死ねよクソ野郎!! 絶望的に死ね!! 今に、首輪からこれを聞きつけて、モノクマたちがここに押し寄せるぞ!!
 その間、部屋の隅で小便漏らしながら震えてろチンカスども!!』
「おーおー、これが本性かよ。だからガキは嫌いなんだ」
「大丈夫ですよ。あなたにこの首輪の音声なんか、聞こえてないんですから」


 江ノ島盾子のコピープログラムが最後に聞いたのは、氷のように冷たい、初春飾利の断定だった。
 初春はあっさりと『Delete』ボタンを押下し、跡形もなくパソコン上から江ノ島盾子の影響を消し去っていた。


    ●●●●●●●●●●


 モノクマのカメラに録画されていた映像は、研究所内部での反乱の様子からの一部始終だった。
 ヒグマに惨殺されてゆく研究所の職員たち。
 秘密裏に建国されていたヒグマ帝国。
 首輪や放送の管理を担っているキングヒグマ。彼が第一放送前に遠隔爆破装置をぶっ壊してしまう問題シーン。
 地上に出てからは、津波に紛れて流れてゆく例の赤黒いヒグマ。
 南方の空を覆い、津波を吹き飛ばした謎の爆発。
 皇、佐天、初春、ウィルソン、北岡らの奮闘シーン。
 氷の上を流れて復活した、しぶとすぎる赤黒いヒグマ。
 皇を罵る北岡。
 居心地が悪くなる北岡。
 波紋を習得したウィルソン。
 意気消沈していたところに可愛い小動物を見つけて揚々とする北岡。
 江ノ島盾子を痛烈に批判する佐天たち。


「……いやー、ここまで隠し撮りされているとは思わなかったわ」
「それにしても何だよヒグマ帝国って……。喋るだけでもアレなのに……」
「うむ……。それに、あの血のようなヒグマも、生きていたようだな……」
「ええ、あと少なくとも布束さんはまだ生き残っているみたいですね。彼女とヒグマ帝国が通じているのなら、話し合いで解決できないこともないと思いますよ。そう思いませんかねキングヒグマさん?」


 めいめいが予想を超える事態に呆れ驚く中、初春は首輪の音声を聞いているらしいキングヒグマに向けて語り掛けようとしていた。

「江ノ島さんって方は、ヒグマを悪用しようと企む、私たち参加者とヒグマにとっての共通の敵なのですよね? 私たちは協力し合えると思うんですが」
「いや……、難しいと思うな。わしらが知ったこの情報を、他のヒグマや参加者が知っているとは思えん。それに、ヒグマの中の意識は参加者たちよりも個体差が大きいだろう」
「まず、他の参加者を集めて知らせて、首輪を解除しながら地下の研究所に行くって感じかしら……」

 初春の意見に、ウィルソンと佐天が応じる。
 佐天の発した方針に、その場の全員が一様に合意した。

 初春は、参加者の位置情報を推定するために、モノクマが機能停止する直前の、その他のモノクマロボットの3次元位置情報を引き出してくる。



「これを見るに……、地下にはヒグマ帝国のおかげか一番大量に分布していますね。
 地上では、B-7、C-7、D-6、E-6、F-5、F-6、G-4、H-2あたりに集中しています。
 これがヒグマを見張る集まりなのか、参加者を見張る集まりなのかが気にかかりますが……」
「直線距離で一番近いのはD-6かしらね……。島の南西は何か変な爆発があったみたいだし、特に心配だわ」
「……ん? ちょっと待て。他の参加者の位置にロボットが集中しているなら、なんでこの百貨店にはこの一体しかいないんだ?」
「それは……アニラくんのお蔭ではないかね?」


 4人は、気絶したパッチールを抱いてあやしているアニラの方を一斉に振り向いていた。
 彼は一度瞬きして首を傾げ、気だるそうに口を開く。

「……『鋭敏な耳と鼻』が無かった時分の、ザイールでの経験を活かしたまでです。
 拠点を作る際には、初手の立地整備と安全確認は欠かせません」

 独覚兵やヒグマの聴覚・嗅覚ならば、生物の侵入者にはまず間違いなく気づくことができる。
 江ノ島盾子の操るモノクマは、だからこそ侵入者や不意打ちへの警戒を怠りがちなヒグマたちに対しては抜群の隠密性を誇っていた。

 しかし、そもそも自衛官としての行動方針に則って動いているアニラにとっては、敵は『事前に発見できない』のが当然であった。
 その上で、百貨店に佐天と初春とともにやってきた時、彼は全フロアを跳び回って、津波の到来までに食糧・物資の輸送、死角の洗い出しを隈なく行なっていた。
 ウィルソンを運び込んできた時に出入口として割った3階の窓にも、ひと段落してから蚊針と鳴子を仕掛けている。
 モノクマはそれにより一帯からの撤退を余儀なくされ、以後、不用意に大部隊で近づくことができなくなっていた。


「つまり……、ここは今のところ、この島で唯一の安全圏と言えるわけ?」
「そうかも知れません。このロボットの密度を見るに、一体一体相手するのは無理です。
 この島のネット上に常駐している江ノ島盾子さんのプログラム本体を抹消しなくては。
 恐らく研究所のネットワークも乗っ取られているので、あらかじめ駆除プラグラムを組んでおいて、研究所のメインサーバーから流し込まないと……」


 顎を押さえて考え込む佐天をよそに、初春は早速ノートパソコンでプログラムを組み始める。
 その間、アニラが中心となり、4人は今後の行動方針をメモに纏めだした。


【※するべきこと
 1.残る参加者と合流する
  →B-7、C-7、D-6、E-6、F-5、F-6、G-4、H-2の何れかに生存者がいる模様。(1日目AM10時すぎ現在)
  →C-4の百貨店を拠点とする。

 2.首輪の解除方法を探す
  →簡単な工具なら百貨店内にあるが……?
  →街の施設の中に仕組みの解説書のようなものはないか?
  →参加者の中に仕組みを解析した・解析できるものはいないか?
  →死者から首輪のサンプルを入手する必要がある?

 3.江ノ島盾子とそのロボットを打倒する
  →本人は重そうなツインテールを盛った少女の姿。
  →ロボットは、半分が白く半分が黒く塗られた熊の姿。
  →ロボットはあしらうに止め、多数を一度に相手しない。
  →1匹見たらその場に100匹はいると思え。
  →研究所に潜入後、メインサーバーから駆除プログラムを送り込む。

 4.ヒグマへの対処
  →話の通じる者も通じない者もいる模様。
  →敵対するようなら、即座に殺せるように準備しておく。
  →話が通じるようなら、警戒を怠らずに情報交換を試みる。

 5.研究所・ヒグマ帝国への潜入
  →街の下水道は、どれも研究所に繋がっているらしい。
  →E-5のエレベーターが機能しているかは不明。
  →内部環境は不明な点が多いため、出来る限り大人数で、不測の事態に対応できるよう作戦を練ってから入ること。
  →ヒグマ帝国の真意が不明なため、ヒグマと情報交換ができるならばそこを欠かさず聞き出したい。

 6.島からの脱出
  →適した乗り物があれば崖を越えることも可能かもしれない。
  →海食洞からならば、船さえあれば脱出できる。
  →海上が果たして安全かどうかを先に確認する必要がある。】



 一項目ごとに別々の紙に纏め、新たな事項を追記できるようにして『行動方針メモ』は完成した。
 初春も同様の内容をパソコン上に保存する。
 明確に定まってきた方針を、いよいよ実行に移す時であった。


「……で、その場合、拠点となるこの百貨店を守りながら、外の参加者を連れてくる必要があるのよね」
「そうですね……。その場合、私たちの中から動ける人を選んで、参加者を迎えに別行動してもらう必要がありますね」


 佐天と初春の発言で、レストランのテーブルを囲んでいた面々は一様にアニラの方を見ていた。

「なるほど。アニラくんの機動力ならば、効率よく今挙げたエリアを回れそうだな」
「うん。まあそうだよね。あとイクメンを気取るのもいいけど、折角のそういう役回りは女の子に譲ってやりなよ。彼女らに世話してもらうために俺はその子救い上げてきたんだし」

 ウィルソンと北岡の発言を受けて、アニラはパッチールの口にミルクの染みた脱脂綿を当てがいながら、一度瞬きをする。
 パッチールの体とミルクの器を初春に手渡して、アニラはさらさらとメモ帳に返事を書きつけた。
 いよいよ喋るのが億劫であるらしい。


『自分の単独行動は可能でありますが、先だっての北岡氏のご指摘通り、他の参加者に自分のみが接することに関しましては不安要素が多いかと思われます』
「……じゃあ、私が一緒に行くわ」
「え!? 佐天さんがですか!?」


 佐天涙子の発言に、全員が驚いて彼女に目を向けた。
 彼女は右手指を折っている負傷者である。
 ウィルソンの波紋で痛みを和らげ、かまぼこ板を添え木に包帯で固定しているにしても、まともに右手は使えないだろう。
 工藤健介との戦闘の疲労も抜け切れていない身で、ヒグマに襲撃されるかも知れない別行動に名乗り出るのは無謀に思えるものだった。


「じゃ、じゃあ私も一緒に行きます。そうすれば佐天さんの能力を底上げすることができますし……」
「皇さん、私と初春、二人を抱えてビルの間を飛べる?」
『不可能ではありませんが大きく機動力を削がれます。むしろ落下の危険性が高まり、エリア間の移動に関する自分の利点はほぼ無くなります』
「ほら、今いる中じゃ、私が行くのが最善手よ」
「佐天さん……」

 初春の不安げな声を払拭するように、佐天は滔々と持論を展開する。


「ウィルソンさんは、片手と片脚が使えない、私以上の重傷よ。能力はすごいけど、ここを守ってもらった方がいい。
 初春は、一人だとたぶん私以上に、ヒグマの相手は苦しいわよ。大丈夫大丈夫。これでもヒグマを一体殺してるんだから私は。その可愛い子のお世話でもしていて。
 北岡さんは、体調は万全だし射撃の腕も確かだけど、あんたがいなくなったらまともに百貨店を守れる人がいなくなっちゃう。……それに、なんとなく、あんたを皇さんと二人っきりにするのが嫌。
 あんた皇さん罵ったさっきの今だからね? 自分の言ったことも覚えてるでしょ?」
「うぇ……、まあそりゃあそうなんだけどさぁ」



 じっとりとねめつけるような佐天の視線に、北岡はぼりぼりと頭を掻いた。
 しかし即座に、彼は低く静かな声で佐天に反駁する。

「……今の涙子ちゃんに、ヒグマを倒せる力はないだろ。右手を折られて、ほっぺには青タン。
 密着しさえすれば、確かに俺を脅したように相手を焼き氷にできるんだろう。だが、さっきのロボット然り、ヒグマがそれをやすやすと許すと思うか?
 あの時だって、もし1歩俺たちが離れていたら、本気でやってたら死ぬのは涙子ちゃんの方だったんだ。自分を過信するなよ?」
「わかってるわよ……、いちいちムカつくわねあんた」

 佐天の心の湖がさざ波立つ。
 佐天は深く沈んでいる自分の歪みを拭うように黒髪を振り立たせ、勢いよく椅子から立ち上がった。


「屋上に行きましょう! 見晴らしもいいし、向かう場所は皆で見といた方がいいでしょ?」
「うむ、そうだな。アニラくんと佐天くんに行ってもらうことで問題はないと思う。ただし、正午まで時間があまりない。
 第二回放送で状況も変わるだろうし、連絡手段と行く場所、そして戻ってくる時間などは決めておこう」


 ウィルソン議員が冷静に場を纏めようとするが、佐天は脇目も振らずレストランの外に出て行ってしまう。
 初春が不安げな視線を送る中、北岡がアニラに意見を求めた。

「おい……、涙子ちゃんの様子、どう思う?」
『逸っているようです。良くも悪くも転び得ます』
「あんたに任せて、大丈夫か彼女……?」
『彼女のような部下を持った経験がありませんので、如何とも返答しかねます』
「……はぁ。まぁこれ以上の好手がないのは確かだろうけどねぇ」
「……うむ。だが『しつけ棒を躊躇えば子供は駄目になる』のも確かだ……」

 アニラの差し出すメモと、北岡とウィルソンの溜息とともに、4人は佐天の後ろからエレベーターへと向かっていく。
 佐天や初春よりも経験を積んだ『大人』である3人の男性からは、いかにも彼女という存在が不安定な思春期の精神の上に立脚していることが、手に取るようにわかっていた。


    ●●●●●●●●●●


 悔しかった。
 初春の言っていたことは、きっとこういうことだ。

『私は自分の得意分野であるパソコンを使えば、この島でも皆さんの役に立てるんだと、思っていました。
 その手段を、こんな得体の知れないプログラムにむざむざ奪われてしまったのが、情けなくて……』

 今のわたしもそう。
 きっと今振り向いたら、鬼のようなしかめっ面を、みんなに見られてしまう。

 この島で手に入れた新しい力で、それに振り回されることなく、ようやく人を守るために使いこなせるようになってきたと思っていた。
 でも、まだ足りない。
 全然足りない。
 あんなちゃっちいロボット一体に負けるようじゃ、今後、初春たちを守るなんて口が裂けても言えない。
 あの向こう側の世界を開いて、左天のおじさんを救い出す方法もまだわからないのに。
 私は甘すぎた。

 もっと努力しなきゃ。
 もっと貪欲にならなきゃ。
 もう一度、全身をこの歪みで溢れさせることになっても――。


「――佐天さん、佐天さん。屋上、着きましたよ」
「……わかったわ」


 私は、肩を叩いた初春の顔を見ることなく、俯いたままエレベーターホールに踏み出していた。
 そこでは、先にエレベーターから出ていた皇さんたち3人が、扉の前で立ち往生している。



「……弱ったね。鍵がかかってるじゃん屋上への扉」
「まぁ、大商店のセキュリティとしては当然の事かも知らんね。北岡くんの銃で破壊できんのかね?」
「ギガランチャーか? ギガキャノンでもどっちにしても、こんな距離でぶっ放したら爆発と反動で全員お陀仏だよ。それより、皇さんが蹴り開けたりすればいいんじゃ……?」
『脱皮中です』
「あぁ……これから外に行くんだし爪の切れ味がこれ以上落ちるのはNGか……」


 北岡さんとウィルソンさんが頭を抱えていた時、皇さんが私と眼を合わせる。
 そして彼は、私と初春へ、手真似でこちらへ来るよう促した。


「なに……? 私が何かできるの?」
『この扉のドアノブ付近に数回、熱吸収と加熱を繰り返して下さい。無理のない温度帯で構いません』
「へ……? どういうこと?」


 皇さんがメモ帳で指示してきたのは、私にはよく意味の分からないものだった。
 意味が分かっていないのは、見る限り他の人にも同様のようだ。
 でも、皇さんは真っ直ぐに私を見つめて頷くだけである。

「北岡さん、わかりますか?」
「……ウィルソンさん、意味わかる?」
「いや……。だがアレかね? 線路みたいなものかね?」

 たらい回しにされた疑問は、ウィルソンさんの口から再びよくわからない言葉になって飛び出した。
 皇さんはその言葉に頷いて、私の手を取る。


「ああ、ならばよくわかった。アメリカの鉄道でも良く問題になっているからな。佐天くん、安心してやってみてくれ」
「はぁ……、それなら」


 私は、左手で分厚い金属扉のドアノブを握りしめ、そこに大きな月をイメージした。

 自分の腕と、握った扉の間を行き来するように。
 丸鋸のように、チェーンソーのように、絶えず月の熱を回す。
 吸っては吐き、冷やしては熱す。
 私の爪や手のひらに、細かい砥石が回っているかのようで、握り締めた部分の存在がイメージの中で瞬く間に削り取られてゆくかのように私は感じていた。


「――佐天さん、佐天さん。もういいみたいですよ」
「え? そうなの?」


 初春の声で、私はそのイメージの中から戻ってくる。
 始めてから数秒も経っていなかった。
 ぱっとノブから手を離した瞬間、ほとんど力を入れていないはずなのに、なぜか根元からそのドアノブが折れて、ぼとりと地に落ち、砕け散っていた。
 そして、ドアと枠の間でパキパキと音がするや、そのわずかな振動で内鍵が壊れたらしく、ドアは簡単に屋上へと開いてしまう。


「繰り返される炎天下の熱と冬場の冷え込みで、線路の鉄は簡単に劣化してひん曲がってしまう。
 勿論鉄道会社も工夫してはいるがね。議会で施工費の問題が上がったこともままあるくらいだよ」
『この破壊は静的な引張強さや降伏応力よりも遥かに小さい応力の繰り返しで発生いたします』


 ウィルソン議員の感嘆したような呟きに合わせ、皇さんが説明をメモ帳に書き加えている。


『佐天女史の能力の回帰回数でその破壊がなされるのは、一瞬でした。
 この破壊は、名を“疲労破壊(ファティーグフェイラァ)”と呼称されています』
「『疲労破壊(ファティーグフェイラァ)』……」


 私は、その名を呟きながら、まじまじと自分の手を見やっていた。

 単純な高熱だけではとても太刀打ちできなかった金属という素材が、私の目の前でいとも簡単に屈伏している。
 あらゆる構造の寿命を削り取り、瞬く間に分子の結合を崩して破壊してしまう――。そんな力の使い方が、私の中には気づかぬ間に眠っていた。
 『疲労破壊』というその能力の名を、私は得体の知れない寒気と共に飲み込んだ。


    ●●●●●●●●●●



「――これで、食糧と物資の運び込みは完了ですかね!」
「うむ、そうみたいだな。佐天くん、初春くん、あまり手伝ってやれずにすまない」
「いやいや、ウィルソンさんは気にしないで。私より重傷なんだし……っておい北岡さん! 最後の荷物くらいレディにやらせず手伝いなさいよ!」
「こっちはこっちで打ち合わせしてんだよ皇さんとぉ! 俺たちもやってただろう役割分は!」

 屋上の広々とした風通しの良い空間に、5人は階下の物資を運び込んでいた。
 別行動する佐天とアニラの様子を逐次確認するために、残留組の待機場所は屋上にすることが決定されていた。
 その防衛のためには、物資を階下に置き去りにしておくのは宜しくないため、一度全てをエレベーターで運び上げて、一目で見えるところに確保しておくことにしたのだ。
 建物の影とエレベーターホールの中に、座ったり寝そべることもできるよう、クッションやマットも据えている。
 仕上げにカラフルなビーチパラソルと重石を、佐天と初春は階下から運び上げて日陰を確保し、そこそこ立派な休憩スペースをこしらえようとしていた。

「……」

 アニラは佐天の叫びを受けて、粛々と北岡の元を立ち去り、佐天と初春から重石を受け取って、パラソルの位置を黙々と調整する。
 佐天はふんぞり返り、北岡を見下すようにして歪んだ笑みを作った。


「ほほほほほ、まあ皇さんのお優しいこと。それに比べてあの弁護士先生ときたら、お里が知れますわね」
「うっぜぇ……。マジで一発ぶちこんでやろうか……?」
「きゃー! 乙女に一発ぶちこむとか、犯罪じゃない! 議員さん! あそこに犯罪者がいますー!」


 佐天のオーバーな演技は、ひとしきり周囲の苦笑を買い、北岡秀一のこめかみに血を登らせた。
 だがその怒りの表情は、緑色のマスクに隠れていて見えない。
 仮面ライダーゾルダに変身した彼は、シュートベントで召喚した火砲の類を、屋上のフェンス越しに砲台とするべく、アニラと共に設置ポイントを見繕っていたのだ。
 真昼の直射日光が照りつける中で全身スーツに身を包んでいるのは相当に暑い。
 日陰で休める女子やウィルソンと違って、見張りの要である彼の苦労はそれなりに高いのだが、それが他人に伝わることはあんまりない。


「それじゃあ、食糧も救急道具も持ったかね?」
「はい。何か問題があったら打ち合わせ通りこっちに向けて発煙筒を焚きます」
「焚かれぬことを祈るよ。あと30分ほどしかないが、第二回放送が鳴ったら折り返して一度戻ってくるんだぞ。あくまで安全第一の偵察だからの。そこまで深入りをしないように」


 ウィルソンの注意を受けて、佐天とアニラはデイパックを背負い直した。
 彼らは近い場所から、建物を跳びつつ急いで参加者を探し回る予定で、怪我人や要救護者がいれば最低限の処置ができる程度の物資は携えている。
 佐天は皇の黒い鱗だらけの背中によじ登り、そこから大きく3人に向けて手を振った。
 皇はその状態で真っ直ぐ背筋を伸ばし、よくできた人形のように揺るぎのない敬礼を見せる。


「それじゃあねみんな! 他の参加者、絶対に連れてくるからー!」



 フェンスから飛び立ち、ビルを跳び去ってゆく二人の姿を双眼鏡で追いつつ、北岡はマスクの中で嘆息した。

「本当に大丈夫かねぇ……。建物が多いし、地上に降りたらここから見えたとしても1キロちょいだからなぁ」
「そのための発煙筒だ。信じて待つしかあるまいよ」

 ウィルソンは、がらがらと自分の乗る台車を足で操り、パラソルの下のマットで腰かける初春の元に近づいた。
 初春は、そのウィルソンに向けて、抱えたパッチールの姿を見せながら微笑む。


「今、ちょうど眼を覚ましました。皇さんや北岡さんのお蔭ですね」
「……ぱ~……?」
「ふむ……。確かに可愛らしいが、なんだろうねこの生き物は……」
「ヒグマの子供って可能性が一番高いと思うね俺は。ここのSTUDYが作ったヤツには、見た通り色んなタイプのがいるみたいだから」

 渦巻のような眼を開けたものの、依然として夢現らしいパッチールは、初春の差し出す脱脂綿からミルクを吸い、再び眠りに落ちてしまった。
 ウィルソンと北岡の言葉を聞きながら、初春はすやすやと眠るパッチールの姿を見つめる。

 モノクマの記録映像が脳裏に浮かぶ。
 STUDYに作られ、自分たちの存在意義を求めて反乱したヒグマたち。
 その姿は、学園都市の能力者開発に組み込まれ、必死に足掻く自分たちの姿にも重なるものがあった。
 『幻想御手(レベルアッパー)』事件で引き起こされた、多くの低能力者・無能力者たちによるAIMバーストの出現などは、まさしく今回のヒグマの事件と対応するのではないだろうか。

 初春は唇を噛み、もう肉眼では見えない程遠くに行ってしまった佐天の姿を揺らいだ空に臨む。


「誰のためでもなく、何のためでもなく、ただ生まれる。ただそれだけの命も、あるんだと思います。
 ――私たちだって、最初は、きっとそうだったんですから……」


 空をめぐる夜の星のような、アニラと佐天の微かな姿を追いかけても、初春の視野には、空の広さしか映らない。
 彼女の頭頂に咲く小さな緑に、真昼の陰が射していた。


【C-4 街(百貨店屋上)/昼】


【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
状態:健康
装備:サバイバルナイフ(鞘付き)、ミルクの器と脱脂綿
道具:基本支給品、研究所職員のノートパソコン、ランダム支給品×0~1
[思考・状況]
基本思考:できる限り参加者を助けて、一緒に会場から脱出する
0:佐天さん、皇さん……、どうかご無事で……。
1:ヒグマという存在は、私たちと同質のものではないの……?
2:佐天さんの辛さは、全部受け止めますから、一緒にいてください。
3:皇さんについていき、その姿勢を見習いたい。
4:有冨さん、ご冥福をお祈りいたします。
5:布束さんとどうにか連絡をとりたいなぁ……。
[備考]
※佐天に『定温保存(サーマルハンド)』を用いることで、佐天の熱量吸収上限を引き上げることができます。
※ノートパソコンに、『行動方針メモ』、『とあるモノクマの記録映像』、『対江ノ島盾子用駆除プログラム』が保存されています。



ウィルソン・フィリップス上院議員@ジョジョの奇妙な冒険】
状態:大学時代の身体能力、全身打撲・右手首欠損・左下腿切断(治療済)、波紋の呼吸中
装備:raveとBraveのガブリカリバー、浴衣
道具:アンキドンの獣電池(2本)
[思考・状況]
基本思考:生き延びて市民を導く、ブレイブに!
0:痛みは抑えられる……。何とか足手まといにならない程度には動けるかも知れないな。
1:折れかけた勇気を振り絞り、人々を助けていこう。
2:救ってもらったこの命、今度は生き残ることで、人々の思いに応えよう。
3:北岡くんの見張りを補助し、ガブリカリバーを抜き打つタイミングを見誤らないようにする。
4:佐天くんとアニラくんが無事に戻って来れるようにするためにも、しっかりとこの拠点を守ろう。
[備考]
※獣電池は使いすぎるとチャージに時間を要します。エンプティの際は変身不可です。チャージ時間は後続の方にお任せします。
※ガブリボルバーは他の獣電池が会場にあれば装填可能です。
※ヒグマードの血文字の刻まれたガブリカリバーに、なにかアーカードの特性が加わったのかは、後続の方にお任せします。
※波紋の呼吸を体得しました。


【北岡秀一@仮面ライダー龍騎】
状態:仮面ライダーゾルダ、全身打撲
装備:カードデッキ@仮面ライダー龍騎、ギガランチャー、ギガキャノン、双眼鏡
道具:血糊(残り二袋)、ランダム支給品0~1、基本支給品、血糊の付いたスーツ
[思考・状況]
基本思考:殺し合いから脱出する
0:ウィルソンさんも皇さんも、俺の予想以上に有能だったわ……。考えを改めよう。
1:とりあえずこの拠点は守り抜かないと、今後の戦いが大幅に不利になるよな……。
2:皇さん……、あの子ちゃんとしつけてくれよ……。
3:佐天って子はちょいと怖いところあるけど、津波にも怪我にも対応できるアレ、どうにかもっと活かせないかねぇ……?
4:なんだこの可愛い生き物は?
[備考]
※参戦時期は浅倉がライダーになるより以前。
※鏡及び姿を写せるものがないと変身できない制限あり。


【パッチール@穴持たず】
状態:重傷、睡眠中
装備:なし
道具:なし
基本思考:寝る
0:おやすみなさい
[備考]
※ばかぢから、ドレインパンチ、フラフラダンスを覚えています
※カラスに力を奪われてステロイドの効果が切れました


※屋上のビーチパラソルの下に、それなりの食糧、衣料品、日用雑貨などが確保してあります。
※階下に降りて探索すれば、まだ様々なものが見つかるかもしれません。


    ●●●●●●●●●●



 風を切り、目まぐるしい速度で、ビルとビルの間を跳び移ってゆく。
 皇さんの黒い体が躍動し、鳥かムササビにでもなったかのように、私たちは空を駆けていた。
 目指すのは、まず最も近い位置のD-6。
 ヒグマなのか参加者なのか、それとも単なるあのロボットの群れか――。
 待ち受ける者の正体は解らない。

 飲み込む唾は固くて苦い。

 初春は、皇さんの背中での遊覧飛行を楽しいと言っていたが、私は、先に控える不安を想って、あまり楽しめないでいた。
 それに、体の下で力強く動く皇さんの筋肉が、あからさまに私に配慮していることが解って、申し訳なくて仕方がない。
 乱暴な着地をしないように。速度を出し過ぎないように。
 そう気を使っていることがありありと解ってしまう。


 やはり、二人を載せるなんて無茶を頼まなくて良かったと思う。
 皇さんにこれ以上無理はさせられない。
 どっちにしろ、他の参加者を見つけた復路は、津波の引いた地面を徒歩で帰ることになる。
 話し合いの場面やなんかでは、私が積極的に彼を助けてあげなくちゃ――。

 そんなことを思うと、自然と顔に笑みが湧いてくる。

「ありがとね、皇さん。今まで助けてくれた分、今度は私が助けてあげられるから――」

 自分が誰かのために動けて、役立てることが嬉しい。
 そんな思いを笑顔に乗せて、私は皇さんに笑いかける。


 皇さんは、縦に切れた赤い瞳を、一度だけ背中に振り向ける。
 そして暫く無言で空を飛び回ったあと、風に紛れてしまいそうな笛のような声で、私に呟いていた。


「……自分は、佐天女史を殺害いたしました」
「え……?」


 何の感情も感じられない、機械のような語調で、皇さんの声は淡々と空中にリズムを刻んでいる。

「佐天女史が再び、友人との生活に戻れるよう、自分は佐天女史の能力を殺害いたしました。
 その行為は確かに、佐天女史の今後を思案しての行動です。
 しかし自分の心理が佐天女史に推察可能なのであれば、それは佐天女史が自分に近づいてきてしまったことの証でもあります」

 私の理解が追いつかないままに、皇さんは、疲れているだろう舌を動かして言葉を紡ぐ。

「『独覚』とは、ウィルスによって引き起こされる病ではありません。単なる人間の一つの『在り方』なのです。
 自分の生命と生活圏しか、自分は守り得ません。もし佐天女史が自分を『助ける』と仰るのであれば、それは結局は、この『在り方』に佐天女史が同化してゆくことであります。
 ――その覚悟が、あなたにあるのですか?」


 ぞくりと自分の脳裏に、森の中で叫んだ、狂ったような自分の笑い声が響いていた。
 全身が焼け落ちるような熱さと、身の凍るような寒さを、私は同時に覚える。
 屋上の扉の鍵を朽ち果てさせた、あの時の感触が掌に蘇る。

 皇さんの鱗を掴む手が、冷や汗で滑り落ちそうだった。


「だ、大丈夫よ……! 今の私はあの時とは違う。『第四波動』が全開でも、今の私なら操作し切れるわ」
「正直に申し上げますと、佐天女史と戦闘を行なった後、百貨店で食餌をできていなかった場合、食人欲求に耐えかねて、自分は佐天女史を捕食していた可能性があります」


 震えた私の声に、皇さんの声が冷ややかに重なった。
 見下ろす竜人の表情に、その真意は窺えない。


「ウィルスは、些細なきっかけに過ぎません。脳の中に、体の中に、心の中に、『独覚兵』という存在は誰の奥底にも眠っているものだと思われます。
 それは自分自身の本質でありながら、最も自分自身とは遠いものであります。
 佐天女史は、それを呼び覚ましてなお、自分自身である自信がありますでしょうか」


 私はもはや、その問いに言葉を返すことができなかった。
 もしかすると、今まで私が無能力者(レベル0)であったのは、自分の危険すぎるその能力を無意識に恐怖し、拒んできたからではないのだろうか――。
 あの時見た、歪んだ夢は、観音様が煽った幻覚などではなく、自分自身の中に溶け込む、我欲の塊なのではないか――。
 背筋を這いまわる白い月が咽喉から溢れそうで、私は必死に自分自身を飲み込んで、かろうじて一度だけ頷いた。


「そうでありますか――」

 皇さんはふと、軽い摩擦音だけを残して、ビルの屋上に立ち止まっていた。
 どうやら数分のうちに早くも、目的地に到着していたらしい。


「では、その覚悟を試される時が来たのかも知れません」



 眼下に、数人の人影が映っている。
 皇さんの肩越しでは、よく見えない。

「誰なの? 参加者? ヒグマ?」

 皇さんが、唾液を飲み込む音が聞こえた。


「1頭のヒグマと、3名の女性と、1名の女性の遺体であります。
 なお、女性は全員完全武装をしており、首輪は装着しておりません。
 ――参加者では、ありません」


 私の思考は、恐らく皇さんと同様に混乱していただろう。
 はっきりいって、意味が解らなかった。

 ――どういうシチュエーションなの、それは?

 参加者ではない。
 ヒグマはいる。
 だが大半は人間だ。
 でも武装している。
 死体もある。

 眉を顰めて眼下を覗くことしかできない私に、皇さんが振り向いた。


「――自分は、佐天女史を信頼しておりますので」


 私を見つめているその赤い瞳は、果たして何を映しているのか。
 私を信じているその瞳には、正しい未来が見えているのだろうか。
 皇さんが私の中に何を見ているのか、私には解らなかった。

 私にはもう、言葉がない。

 皇さんが、手の中で『行動方針メモ』を強く握りしめているのが見えた。

 彼が背負う機関銃の肩当には。

『最も合理的な手段を』
『ヒグマを倒し 帰る』

 と、文字が刻まれている。


【D-6 擬似メルトダウナー工場/昼】


アニラ(皇魁)@荒野に獣慟哭す】
状態:喋り疲れ、脱皮中
装備:MG34機関銃(ドラムマガジンに40/50発) 、『行動方針メモ』
道具:基本支給品、予備弾薬の箱(50発×5)、発煙筒×2本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、缶詰・僅かな生鮮食品、簡易工具セット、メモ帳、ボールペン
[思考・状況]
基本思考:会場を最も合理的な手段で脱出し、死者部隊と合流する
0:久方振りに会話を行なったため疲労が激しい……。
1:この武装女性たちとヒグマの関連性は一体……?
2:工場のこの位置にもヒグマの体臭が残っている……。なぜこんな高所に突然?
3:参加者同士の協力を取り付ける。
4:脱出の『指揮官』たりえる人物を見つける。
5:会場内のヒグマを倒す。
6:自分も人間を食べたい欲求はあるが、目的の遂行の方が優先。
[備考]
※脱皮の途中のため、鱗と爪の強度が低下しています。


【佐天涙子@とある科学の超電磁砲】
状態:疲労(小)、ダメージ(小)、両下腕に浅達性2度熱傷、右手示指・中指基節骨骨折(エクステンションブロック法と波紋で処置済み)、頬に内出血
装備:なし
道具:百貨店のデイパック(発煙筒×2本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、救急セット、タオル)
[思考・状況]
基本思考:対ヒグマ、会場から脱出する
0:一体どういう状況なの……?
1:人を殺してしまった罪、自分の歪みを償うためにも、生きて初春を守り、人々を助ける。
2:もらい物の能力じゃなくて、きちんと自分自身の能力として『第四波動』を身に着ける。
3:その一環として自分の能力の名前を考える。
4:『疲労破壊(ファティーグフェイラァ)』……!
5:布束さん、生きていたら連絡くださいよ……。
[備考]
※第四波動とかアルターとか取得しました。
※左天のガントレットをアルターとして再々構成する技術が掴めていないため、自分に吸収できる熱量上限が低下しています。
※異空間にエカテリーナ2世号改の上半身と左天@NEEDLESSが放置されています。
※初春と協力することで、本家・左天なみの第四波動を撃つことができるようになりました。
※熱量を収束させることで、僅かな熱でも炎を起こせるようになりました。
※波紋が練れるようになっているかも知れません。
※あらゆる素材を一瞬で疲労破壊させるコツを、覚えてしまいました。


※二人が見下ろしている女性とヒグマは、天龍、島風、天津風、ヒグマ提督、金剛の遺体です。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年07月24日 02:23