【上宮聖徳太子、竹原の井に出遊しし(いでましし)時、龍田山の死れる(みまかれる)人を見て悲傷(かなし)びて作りましし御歌】


 家にあらば 妹(いも)が手まかむ 草枕 旅に臥(こ)やせる この旅人(たびと)あはれ


 ――家に居れば、愛する人の手に抱かれて眠ったであろうに。
 ――草枕の旅のさなかに亡くなった、この旅人が哀れであることだ。


(『万葉集』巻三『挽歌』より)


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「布束特任部長は、この樹木の正体をご存じなのですか、とヤイコは尋ねます」
「Not exactly……。でも、状況からみてそれしか考えられないわ」


 海食洞から続く研究所跡の通路を走りながら、布束砥信はそう答えた。
 隣で見上げてくる小さなヒグマの問いに、彼女は今一度、そこここの壁から根とも枝ともつかないものを生やしているモノの正体について思案する。


 『童子斬り』。
 アヤカシというものを殺すために作られた木刀の最初の一本であるらしい。
 どういう来歴か知らないが、とにかくこの島はそれを確保しており、それを土産物屋に置いて展示していたことを、布束は有冨らから歓迎会の話のタネに聞いている。

 人間はおろか虫一匹すら殺せない安全な武器であるが、ひとたびアヤカシに対して揮えば、それは枝を伸ばして妖物を貫き、その水分やエネルギーをことごとく吸い尽くして殺害するという。

『もしかするとヒグマに対しての武器になるかもね~』
『虫も殺せないのにヒグマが殺せる? ハハ、ワロスww』
『そもそもヒグマは妖怪なんかじゃありませんし。ただの生き物ですし』
『まぁ現実問題、枝がまっすぐに伸びてもヒグマは叩き折るでしょ』
『デビルの成長日記でも見るかい、布束?』

 などと、有冨を始めとしたSTUDYの研究員は歓迎会の席でグラスを傾けつつ、口々にそう言っていた。

『……あなたたち、気楽に構えてるようだけど、そんな不可解な現象を起こす木刀、放っておいていいわけ?
 実際に実験とか検証とか、したの? 念のため目の届く場所に保管し直した方が良いんじゃ……』
『いいっていいって! それよりアメリカのこと聞かせてよ! フェブリとジャーニーは元気!?』

 布束の言葉もその時は軽く流され、ジンジャーエールの泡と共にその議題は雲散霧消した。


 そして蓋を開けてみればこの有様である。
 布束とヤイコを先導するツルシインは、その話に思わず苦笑しながら振り向いていた。
 彼女は刻々と地下に現れてくる木の根を、時に躱し、時に引き千切りつつ的確な道を選んでいるが、その盲いた表情には多少の焦りのようなものも窺える。


「……ある程度は知っておったが、本当に有冨さんの管理はひどかったんじゃのぉ……」
「見通しの甘さと、分不相応に強大な資材は、STUDYの社風と言っても過言ではないと思うわ」
「それにしても、布束特任部長の伝聞どおりでしたら、なぜその木刀はこのような挙動をしているのでしょうか」


 樹木は通路の壁を壊しながらめくらめっぽうにゆっくりと枝を張っているように見えて、その実、確実に人やヒグマのいる位置を狙って伸びてきている。
 話通りならば、人間やヒグマに対して『童子斬り』から攻撃が加えられることはありえないだろうに、である。
 脇から絡んで来ようとする枝の一本を蹴り飛ばしつつ、布束はヤイコに答えた。

「……地上にいるだろう使用者の性質や、これまでの扱われ方で、『童子斬り』も変質してきているのかも知れないわ。
 行動パターンが読めない以上、慎重に対策を練らないと……」
「いや、己(オレ)はもう、この木の性質を識(み)切った」

 一際太い木の根を斬り飛ばして、更なる地下階層へと続く階段を確保しながらツルシインが言う。


「単純なことじゃ。己(オレ)らと同じよ。……こいつはただ、より『満腹』になるエサを求めておるだけじゃ」


 水晶の眼鏡の奥で笑いながら指す地下の先は、島の心臓部と言っても良い、示現エンジンが設置されている場所である。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「こいつは魔力を捕捉して襲ってきてる! そこにいちゃダメだ!」


 根とも枝ともつかぬ樹木の先端に蹂躙される地下の管理室の入り口で、間桐雁夜が喉を絞って叫んだ。
 その白髪の青年を支える田所恵も、室内に残る少女に向けて彼と共に震えた眼差しを向けている。

「あ……で……、でも……」

 触手のように迫り来る枝の波頭の先で、その少女、四宮ひまわりは立ち竦んでいた。
 理解が追いつかない。

 この木は何だ。
 示現エンジンは無事なのか。
 なぜ間桐さんや恵ちゃんがここに来ている。
 実験はどうなったのか――。


「悩んでる時間はないわよ~?」


 ひまわりの髪が突風に煽られた。
 それに押されるように数歩前によろめいた彼女の周囲で、迫っていた木の根が一瞬のうちに微塵に刻まれる。

 振り返った彼女の視線に、轟音を立てて振り回される一丁の細い薙刀が映る。
 それをぴったりと構え直す黒髪は、先程ひまわりを助け出してくれた女性だ。
 ひまわりの見知らぬ凛とした姿。


 ――この女の人は一体……。


「……内地の人はね~、大人しく私たちに任せてくれてて良いのよ~?
 あなたたちを守るために、私たち艦船は作られているんだから~」
「た、龍田さん! まさかお一人で立ち向かうつもりなんですか!?」
「そうよ~? いい囮にはなれるでしょ」


 田所恵が叫ぶ中で、その女性が背負う艤装のタービンが高速回転してゆく。
 示現エンジンへと向かっていた大部分の根が、その挙動に反応して向かう方向を変える。
 臭いを嗅ぐかのように、部屋の中心で大上段に薙刀を構える彼女へ、じわじわと根が迫ってゆく。


 薙刀における大上段とは、『無変の構え』とも呼ばれる体勢である。
 剣術におけるそれと違い、長柄の武器である薙刀は、腕を振りあげて胴ががら空きとなるその構えにおいても、前方に張り出した石突きで防御を行なうことができる。
 しかしそれでも、大上段の構えはひどく攻撃的な型だ。
 薙刀の大上段に於いては、むしろ防御を『していない』と見せることが重要になってくるためである。


 ――その姿は、朝日に匂う木々のように、『誘う嵐を待つ身なりけり』、と評される。


「……『強化型艦本式』――」


 背後に振り上げられた薙刀の切っ先は、高温高圧を吐くボイラーの蒸気を受け、鉄を焼いて赤熱している。
 祈るようなその可憐な姿の内で高まってゆくエネルギーに誘われて、周囲を取り巻いていた根が蠢く。
 そして一斉に、全方位の根が彼女に向けて矢のように飛び掛かっていた。
 紅蓮の軌跡を描いて彼女の薙刀が振り下ろされたのも、まさにその瞬間であった。


「『紅葉の錦』♪」


 大上段から踏み込みつつ一周、辺りの360度へ螺旋状に切り下された赫い刃は、その動きと共に散布されていた艦橋からの予備燃料を引火させていた。
 その大輪の軌跡に沿って発火する真っ赤な爆炎は、真っ直ぐに迫り来ていた木の根を過たず討ち払い、同時にそれらへと炎を延焼させる。
 冬枯れの山に真っ赤な紅葉が咲いたかのように、示現エンジンの管理室は一瞬のうちに燦然たる業火に包まれていた。
 木々の根は身を捩るようにして、みな焦がれ死んでゆく。

 警報装置が響き、天上からスプリンクラーの水が迸る中、濡れそぼった髪を悠然と掻き上げて、少女は腰の抜けてしまっていた四宮ひまわりを助け起こした。


「どうかしら~? 割と上手だったでしょ~?」
「いや……、龍田さん、まだみたいだ。本体を叩かないと……!」
「……あらあら、キリがないわねぇ~」


 炭化した木片の散らばる部屋の中に、再び壁面を破って木の根が這い出して来る。
 入り口に待機する間桐雁夜と田所恵の所まで四宮ひまわりを届けて、振り向いた龍田は笑顔を渋くした。

 木の根が伸びてくる方向は、天井の端の方からだ。
 恐らく、この木を操っている何者かは地上にいるのだろう。
 しかし振り仰いでみてもその姿は見えず、あまつさえ声や物音も聞こえない。

「……本当に、死にたい本体はどこかしら~」

 見る間にも、木の根はスプリンクラーの降る管理室の中を再び埋め尽くさんばかりの様子で伸び、示現エンジンの方へと続く隔壁を突き崩していった。

「……行け、蟲よ」

 間桐雁夜がその時、バケツの中に蠢いていた自身の刻印虫の一匹を摘み上げ、僅かに命令しながら部屋の中に放り投げる。
 宙に踊った刻印虫は、着地することさえなく、即座にひこばえのように分枝した何本もの根に空中で貫かれ、カラカラに干からびて死んでしまった。
 同時に間桐雁夜の元にも勢いよく一本の根が伸び、ただちに反応した龍田がそれを叩き切っていた。
 龍田と雁夜の二人はそれを見て頷く。


「……やはり、これは魔力やエネルギーを探知して、それを吸うためだけに動いているんだ。
 魔力回路を励起させさえしなければ、この木は俺たちを襲ってはこない」
「……この子が刺されずに絡みつかれただけだったのも、そういうことみたいね~?」
「あ、あ、あ……」
「ひまわりちゃん……? 大丈夫?」


 四宮ひまわりが、震えながらもようやく声を絞り出せたのはその時だった。
 隣で体を支えてくれる田所恵を見ながら、見開いた瞳で叫ぶ。
 彼女の指さす先には、龍田の爆炎とスプリンクラーの水と大量の木の根とに襲われる示現エンジンの姿があった。


「このままじゃ……大変なことになる!! 示現エンジンが壊れたら終わりだよ!!」
「ひまわりちゃん、どうして? いいからまずは逃げようよ!」
「示現エンジンはこの島の全エネルギーを賄ってる! これが落ちたら島の機械も結界も全部止まっちゃう!」


 示現エンジンは、その外壁を既に幾十本もの根に貫かれ、内部のエネルギーを吸い出されているようだった。
 唇を噛むひまわりは、そこに搾り出すように言葉を繋いだ。


「……その上、もし中途半端に破壊でもされたら――」
「されたら……?」

 息を飲んで問いかけた恵の言葉を、眉を顰めたまま瞑目する龍田が拾う。
 巡洋艦としての経験上、その機関部が破壊された時に起こるであろう事象は、彼女にはありありと推測できた。

「……エネルギーが漏れて炎上、大破轟沈、ってとこかしらね~」
「たぶん……! それも、この島ごと大爆発ってことに……!」

 実際に示現エンジンから漏れるであろうエネルギーの威力を概算しながら、四宮ひまわりは額に冷や汗を流す。

 管理室の入り口一帯が戦慄に襲われる中、間桐雁夜は引き攣ったその顔を、地下の天井に振り向けていた。
 その手には、先程龍田が切り落とした木の根の一本が握られている。
 木目の表面に赤黒い脈を走らせるような見た目をしていたその木は、切り落とされた次の瞬間にはその赤を褪色させ、ごく一般的な手触りの樫のような質感になっていた。


 ――間桐雁夜には、この特徴を持つ魔力の持ち主に心当たりがある。


「……いやまさか。あれはA++あるんだぞ……? でもこの木がもし、同等以上の強さを持つ宝具だとしたら……?」


 手に触れる魔力の残滓に空恐ろしい予感を抱きながら、地上を見上げる彼は硬い唾を飲んだ。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「那珂ちゃんの歌、聞いて下さい!!」


 地上。
 大規模な津波と爆発に襲われてほとんど更地と化してしまったその草原に、今は大量の太く大きな根がはびこっている。
 その根の中心に屹立するのが、黒い霞と鎧を纏った一人の剣士――間桐雁夜のサーヴァントである、バーサーカーその人であった。
 足元から体全体に隈なく枝を張る木刀を構え直し、彼は目の前でマイクを握る一人の少女へと唸る。

 先程の攻撃で一突きにするはずだったその少女は、今や眼に強い光を宿らせて、バーサーカーの視線を睨み返していた。


「■■■■■■■■■■■――!!」
「曲は、『恋の2-4-11』!!」


 艦隊のアイドル、川内型3番艦・那珂ちゃんのタービンが、裂帛の気合と共に回った。
 同時に振り下ろされていたバーサーカーの斬撃をダンスのような動きで躱しながら、彼女は自身の艦橋内でデビューシングルの楽曲を再生し始める。
 突如鳴り出した軽妙なイントロに、思わずバーサーカーの動きが止まった。


 ガン、ガン、ガガゴガン! ガガガガゴゴゴゴガンゴンガン!


 ハンマーで演奏しているかのような得体の知れない音圧を奏でながら、那珂ちゃんは衣装の裾をはためかせ、バーサーカーから着かず離れずの位置でステップを踏む。


 ――よし、この人も音楽を聴いてくれてる! これなら……!


 しかしそう思った瞬間、周囲の地面から彼女目掛けて、勢いよく何本もの枝が突き伸ばされていた。

「ひゃいっ!?」

 すんでのところで身を沈めてその枝を躱すも、歌おうとしていた曲は前奏で針飛びして止まってしまった。

「な、なんで急に根っこが――」
「■■■■■■■■■■■――!!」

 那珂ちゃんが這い出るようにして身を起こした時には、既に体勢を立て直したバーサーカーが目前まで迫っていた。


「くっ――!」


 那珂ちゃんの眼光に炎が回る。
 爆発的に発火したボイラーで踏み出したその脚は、木刀を振りかぶるバーサーカーの方へ向かっていた。

 わざわざ自分から死にに行くかのような急加速――。

 と、かつて第14戦隊にて那珂ちゃんの僚艦であった五十鈴は、この彼女の動きを見た時に、そう思ったことであろう。


 1943年11月3日、カビエンの北60海里の地点で、那珂ちゃん率いる輸送船団は米第13空軍のB-24爆撃機に攻撃された。
 大量の至近弾を投下されたその襲撃の際、当時彼女の艦長であった今和泉喜次郎大佐が、艦隊のセンターである彼女に指導したステップが、これであった。

 増速しながら、通常とは逆に、敵編隊のふところに飛び込むように変針し敵機をまごつかせる。
 そして敵機の爆弾投下と同時に最大戦速を命令しつつ舵を一杯に切らせ――。


「■■■■――!?」
「どっかぁーん!!」


 急加速した那珂ちゃんは、振り下ろされる木刀のその側面に旋回する。
 くるくると柿色の衣装で木の葉のように舞い、スケートのジャンプのように振り抜かれた着地際の脚が、後方にすれ違ったバーサーカーの後頭部へ強かに踵を叩き込んでいた。
 つんのめったバーサーカーはそのまま受け身も取れずに地面に倒れ、那珂ちゃんの移動軌跡を追って地面から伸びた枝は、見当違いの空に向かって突き立った。


 ――今和泉式全速転舵。


 この一挙に急転舵し敵編隊の後ろに回り込む爆撃回避法で、彼女は米第13空軍が投下した全爆弾を回避することに成功している。
 同行していた五十鈴が「那珂がやられた!」と勘違いするほどの激しい水柱の中で、彼女は凛々しく佇んでいたのだった。


「■■■■……」
「よし、気を取り直して、最初から行くよー!!」
「ちょっと待ったあぁぁっ!!」


 身を起こし始めるバーサーカーに向けて再び曲をスタートさせようとした那珂ちゃんは、その瞬間、空中から飛来した何者かに体を掠め取られた。

「キミまた歌おうとしてただろ!? 神回避に二度目はないぞ!?」
「このうねうね、力を使うと襲ってくるんだよ!! 気をつけて!!」
「――え? え?」

 那珂ちゃんを抱えて地に降り立ったのは、眼帯をつけた燕尾服の少女だった。
 その隣には、濃い桃色の髪を振り立てる、淡い色のドレスを纏った少女が身構えている。
 彼女の指さす先では、先程那珂ちゃんが立っていた場所が、木々の槍衾で埋め尽くされているところであった。



 海食洞から飛行していたこの二人が那珂ちゃんを発見したのは、今から少し前のことである。
 大地を埋める黒い板根に気付いて近寄ってみれば、那珂ちゃんはこの黒い狂戦士に今にも突き殺されるところであった。
 バーサーカーが運よく体勢を崩した後、あろうことか那珂ちゃんは「歌う」決心をして、実際に曲を演奏し始めた。
 逃げるでもなく戦うでもない那珂ちゃんの行為に驚いた二人は飛行速度を上げようとしたが、その際、彼女たちはこの一帯を埋め尽くす『童子斬り』の枝に捕捉されていた。
 魔力を行使する反応を的確に追尾し、キリもなく追いすがってくるその枝に、二人はこれを振り払うのをやめ、一刻も早く那珂ちゃんを救助してこの場から離脱することを決意していた。


「――やはり、どういう理屈か知らないけど、こいつは地面に根を張ってる! 追って来れない以上、この圏内から抜けられれば私たちの勝ちだ!」
「オッケー、キリカちゃん! まかせて!」


 キリカが那珂ちゃんを抱えて飛び退った位置は、既にバーサーカーが地面に根を張った状態で踏み込める距離からかなり離れている。
 根を張った状態では膨圧運動でしか移動を行なえないバーサーカー本体の機動力は、広い目で見ればほとんど無きに等しい。
 黒い霞を曳きながらじりじりと地面の根を蠢かせて歩んでくる鎧騎士の様子を観察し、呉キリカはのぞみにそう言い放っていた。

 夢原のぞみの変身するキュアドリームが上空に飛び立つと同時に、魔法少女衣装の呉キリカは黒い風のように地面を走り出す。
 キュアドリームの元に高まってゆく強いエネルギーに反応して、周囲一帯を埋め尽くす童子斬りが、その『魔力屈性』ともいうべき自動応答により急激に成長した。


「夢見る乙女の底力、受けて見なさいッ!!」

 真下から剣山のように伸び来る枝の槍に向けて、キュアドリームの左手からひとひら、蝶のようにはためく光が零れ落ちる。


「『プリキュア・ドリーム・アタッ――ク』!!」


 渾身の力で打ちおろす右掌底がその光を放つや、朱鷺色の蝶は殺到する童子斬りの元へ飛び、大規模な爆発を巻き起こしていた。

「――上手いぞのぞみ……!」

 その爆発を尻目に、呉キリカは那珂ちゃんを抱えたまま一散にバーサーカーの元から逃走していた。
 魔力の反応を殺して、彼女は地面を埋める根と根の間を縫ってひたすらに走り続ける。
 肉体強化に回す魔力も最小限にしての逃走は、キリカの浮かべる不敵な笑みに一筋の汗を流す程度にはきついものだった。


「それにしてもキミ見た目以上に重いな! 普段何食ったらこんな密度ある体になるのかね!」
「バ、バ、バラスト水は捨ててるはずだよ!?」


 バーサーカーの元で触手のような枝を相手にしているキュアドリームは、囮。
 より強大な魔力をのぞみに放ってもらうことで童子斬りの反応閾値を上げ、キリカと那珂ちゃんの存在を環境ノイズの内に隠蔽する。
 そうして安全に根の張るエリアから二人が脱出したのを確認した後、のぞみは単身で空中からの戦域離脱を試みる――。

 彼女たちが採った作戦は、おおむねこのようなものだった。
 呉キリカは、緊急時には簡易的な速度低下の陣により相対的な急加速を得ることができる。
 囮としても実救助部隊としても適任だが、彼女に空中戦の経験はあまりない。
 対して、脚力を活かせる地上行動ならば、魔法を使用する際にも速度低下と鉤爪は十全の力を発揮しうる。
 またプリキュアの空中機動力は、一般的な魔法少女と比べれば比較的高い部類に入る。
 夢原のぞみ単身でも、地に張り付けとなっているこの狂戦士に捕まることはないだろう――。
 そういう勝算があってのことだった。


「――もう! 那珂ちゃんのライブを邪魔しないで!」
「はぁ!?」


 だがその瞬間、キリカの腕が強引に振りほどかれた。
 柿色の衣装の艦娘・那珂ちゃんは、キリカの腕から無理矢理地面に降りて裾を正し始める。
 慌てて彼女の隣に寄ってくるキリカへ、那珂ちゃんはキッと鋭い視線を向けた。


「おいおい歌ってる場合じゃないだろ!? 状況ってものがわからないのかい!?」
「……那珂ちゃんにあんな失礼なこと言った人の言葉なんて聞きたくありません」
「体重のことかい……? まぁ、最近はぽっちゃり系がモテるって言うじゃん……?」
「それほとんどフォローになってないよね!?」
「ああうん、そうかも」


 頬を掻きながら取り繕うとするキリカの心にもないでまかせは、即座に双方から否定されて地に落ちる。
 那珂ちゃんはそう叫ぶや状況お構いなしに、ただちに『恋の2-4-11』のイントロを再生させ始めた。
 再び周囲に、あのハンマーで演奏しているかのような独特の音響が響き渡る。
 折角キュアドリームがひきつけておいた周囲の根が、それに反応してざわざわと脈動を始める。


「おいおいおいおいおい……! まだ根の結界のど真ん中なんだぞ!? 自殺する気かキミは!! もう止めないぞ!!」
「止めなくて結構! だいじょーぶ、那珂ちゃんこう見えてもツイてるから!」
「えええええええ……!?」


 おののくキリカに向けて那珂ちゃんはグッと親指を立てる。
 その瞬間、キリカの額を掠めて童子斬りの枝が突き出された。

「ふわぁっ!?」
「『気づいてるわ~♪ みんながわたしを~♪』」

 後ろに転がって那珂ちゃんから離れたキリカだったが、起き上がった彼女の視線の先で、那珂ちゃんは遂に歌を歌い始めていた。


「『ハートの視線で~♪ みつめてるの~♪』」
「ハードな死線しかないだろここ!?」


 驚愕するキリカの視界で、那珂ちゃんはマイクを片手にダンスを踊りながら、その身に迫る童子斬りの枝をことごとく紙一重で躱していた。
 縦へ横へと踏むステップが、奇跡的に直前の那珂ちゃんの位置を狙った童子斬りの刺突を躱す動作となっているのだ。
 その様子を上空から見下ろしていた夢原のぞみも、呉キリカと同じく驚愕に身を固めている。


「す……すごい……。すごい、けど。……けど、これでいいの!?」
「■■■――……」


 彼女が引き寄せて粗方を爆散させていた童子斬りの根は、再び大部分が那珂ちゃんを狙って動き始めている。
 しかし、当の本体であるバーサーカーは、まるで那珂ちゃんの歌を聞いているかのようにその動きを止めていた。
 眼下の男の様子を伺いながら、のぞみは判断にあぐねて頬を掻く。


「……い、いいのかな……。なんとなくこの人も、聞き惚れているように見えなくもないし……」


 キリカとのぞみがたじろぎながら眼を合わせていたその時、黒い霞を纏うバーサーカーが、木刀を握り締めたその右腕を、スッと上空に掲げていた。
 それはまるで、観客がアイドルに振り上げる、サイリウムのようであった。


「わっ、すごい! 本当に歌で改心しちゃった!? それならホントにすごいよ!!」
「いやいやありえんでしょ……。本当だったら私の理解の範疇を逸してるよ……!?」
「『他の人とは違う~♪ トクベツを感じたの~♪』」


 木刀を挙げるバーサーカーの様子に気を良くして、那珂ちゃんは満面の笑みを浮かべたままステップで枝を躱しつつ、その男の元に少しずつ近寄り始めていた。
 その様子を、地上と上空でキリカとのぞみが固唾を飲んで見守っている。


「『その時から私の~♪ 胸は~♪』」


 元来た道を、当のバーサーカー本人の目の前にまで戻って来て、那珂ちゃんは歌った。
 Bメロも佳境。サビ目前の所で、バーサーカーはなんと恭しく、目の前の那珂ちゃんに向けて左手を差し伸べていた。
 那珂ちゃんはいよいよ笑顔を弾けさせて、一緒に歌えるように、右手のマイクを彼に差し出す。


「『解体~♪ されちゃいそう――』……、えっ?」
「えっ?」
「うわっ……」


 その瞬間、バーサーカーに掴まれていたのは、マイクではなく、那珂ちゃん本人の右腕だった。
 同時に、彼の掲げていた木刀が勢いよく天に向けて芽吹く。
 天上に向けて枝を張った童子斬りは、今度は一斉に、しだれ柳の雨の如く、停止していたキリカとのぞみをめがけて降り注いでいた。


「やっぱりねぇええッ!! こんなことだろうと思ったよぉおお!!」
「ち、力じゃなくて、私たちを直接狙ってる!?」


 黒い霞と赤い脈に包まれた木刀の枝は、地面の根とは比べ物にならない速度と正確さで、逃げ出そうとする二人に追いすがっていた。
 しかも、的確に操作されたそれは、単純に彼女たちの背後を追うわけではなく、天高く張った樹冠から周囲をトリカゴの網で囲うように逃走経路を塞ぎ、閉じ込めるようにした上で、彼女たちを外側からも追い詰めていく。
 彼が木刀を掲げて待機していた間は、決して那珂ちゃんを賛美していた訳ではなく、この急激な成長を行なうだけの魔力を蓄えるがためのものであった。

 二人が童子斬りに追われる中で、バーサーカーに腕を掴まれた那珂ちゃんは、身動きが取れないでいた。
 体の中で、『恋の2-4-11』というフレーズだけが空回りして流れてゆく。
 掴まれた腕からは、バーサーカーが纏うのと同じ、黒い霞と赤い脈が侵食していた。


 ――『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』。


 バーサーカー、ランスロットの宝具であり、手にしたものが武器でありさえすれば、それを即座に自分の宝具として支配下に置くものである。


「あ、あ、あ……――」
『ハートが高鳴るの♪ 入渠しても治まらない♪ どうしたらいいの?』


 ばくばくと治まらぬ動悸に苛まれる那珂ちゃんは、次第に侵食されてゆく意識の中で、もがくことしかできなかった。
 自分の楽曲のオケの音さえ歪んで遠くなってゆく中で、彼女はついに赤と黒とに塗りつぶされた。

 那珂ちゃんは、軽巡洋艦である。
 もし彼女が空母であったりしたのなら、例え山ほどの武装を積んでいたとしても、『武器を運ぶもの』という認識になるため宝具化を免れていただろう。
 しかし、軽巡洋艦は火砲を主兵装とし、軽度な舷側装甲を施した比較的小型の『軍艦』である。
 軍艦とは戦闘力を持つ艦艇のことであり、非武装であっても補給艦や輸送艦などを含む。
 彼女は例え丸腰でも、その身一つで、『武器』なのであった。


「あ、あの那珂ちゃんって子は!?」
「あんなやつのこと気にしてる場合じゃ……って」


 的確にバーサーカーの方へ追い詰められていく二人は、その時、バーサーカーの胸元に抱え上げられるその少女の姿を見た。

『もうごまかさない~♪』

 依然としてその曲の軽妙なメロディとコーラスだけが響いている空間に、その音源である彼女の体がゆらりと立ち上がる。
 地に足を付けてキリカとのぞみに対峙する那珂ちゃんの双眸は、白目に裏返っていた。
 その頭から背中にかけて、童子斬りから伸びる枝の一本が、根を張るように彼女の体に蔓延っている。
 その彼女の体も、バーサーカー同様に黒い霞に包まれ、皮膚に赤く脈を打っていた。


『静かに♪ でも大胆に♪』
「いや、ちょっと待ってよ、これは……」
「キリカちゃん……、これまさか……」


 襲ってくる童子斬りを躱しながら、キリカとのぞみは滝のような冷や汗を流す。
 那珂ちゃんは意識を失った白目のまま構えを取り、背後の枝をツタかケーブルのように伸ばして二人に飛び掛かっていた。


『アナタのココロに出撃しちゃうから~♪』
「「うわぁあああ、操られてるぅうううッ!!」」


 本来のライブならここは、『俺提督が撃沈しちゃうー!』という合いの手が入る。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


 そして正午は来る。
 地上にも地下にも、あまねく響き渡る。


「あら~……、どうしてここで大本営が陥落するかしら~? ひど過ぎない~……?」
「な、なんなの……? ほんとに何が起こってるのよ!?」
「お、落ち着いてひまわりちゃん……!」
「上階の研究所に撤退することもできない……、ってわけか?」

 木の根の波に浸食される管理室の前にも。

「What's that……!?」
「シバさんが襲撃されたようです。と、ヤイコは努めて平静を保とうとしながら分析します」
「……しもうた。一気に帝国のそこここで凶兆が湧き始めよる。早うカタをつけんと……」

 地下への道を必死に切り開く技師団の元にも。

「うおおおおおっ――!!」
「ああああああっ――!!」
「■■■■■■■――!!」
『カーン☆』

 全く外部環境を顧みる余裕のない激戦区の間にも。
 第二回放送の惨劇は、てらてらと赤い脈を打って伝わってゆく。


「……お聞きになりましたか」
「……ああ。オレとしたことが、一杯喰わされたたぁこのことだぜ」


 それは、静かな怒りを身の内に滾らせる彼らの元にも同様に届いていた。
 片や地面の中から、片や空中から、霧か泥濘のようにいつの間にか出現していたヒグマが二頭。
 地階の空間でばったりと出会った彼らは、向かい合いながら言葉を交わす。

 その二頭の周囲には、黒い霞を纏った木の根が、びっしりと壁を埋めて脈動していた。


「……これも、『彼の者』が仕込んでいたものだとお思いになりますか?」
「どうだろうなぁ? だが、これが何だとしてもオレたちの仇敵だってことに、卵おじや一杯賭けるぜ」
「奇遇ですね。私も咳止めシロップ一瓶そちらに賭けるつもりでした」

 臭いを嗅ぐかのように壁から側枝を萌出し始めた木の根を前にして、二頭のヒグマはそう言い合って笑った。

「ハハハ、それじゃあ賭けにならねぇな」
「ふふふ、そのようですね……」
「ハッハッハッハッハ……」
「うふふ、ふふふふふ……」


 高まってゆく笑い声を劈くように、その時周囲から一斉に木の槍が突き出されていた。
 二頭の声はピタリと止んで、それからボトボトと地面に何かが大量に落ちる音がする。


「……さっきっからよく邪魔してくれたよなァ、クソ不味いゴボウさんよ」
「……すみませんが私は、深夜からの連勤で少々気が立っておりましてね」

 石のような灰色のヒグマの背後では、刃のような形状に地面が隆起し、迫っていた根の先をことごとく断ち落している。
 また墨のように黒いヒグマの周囲では、鞭のように長い舌が旋回し、突き出されていた根は何故か微妙に狙いを外れた位置へとずれて伸びていた。


灰色熊さん……、覚悟のほどはいかがですか?」
「とっくに決まってるぜシーナー……」


 ヒグマ提督を利用した、文書偽造からの大量殺羆。
 帝国の生命線を担う田園への破壊工作。
 そして第二回放送で明らかになった艦これ勢の大規模な反乱。
 小出しに発生する事件を陽動に水面下で進んでいたのだろう『彼の者』のえげつない策略に、シーナーの臓腑は煮えたぎるかのようだった。
 自身が向かう先々で、彼を嘲笑うかのように命を挽き潰してゆく『彼の者』の挙動、そしてそれを阻止できない自分の力量不足に、彼は瞋恚を燃やす。

「言わずもがなですね……」

 そしてそれは灰色熊にもまた同様である。
 密命を受けて『彼の者』の所在を突き止めたはいいものの、決定打を撃つこともならず引き返さざるを得なくなったこと。そしてそのさなか、地中に伸びるこの根程度のものに移動を阻まれ、行動を封じられていたこと。
 この鈍重さがなければ解決できていたかも知れない問題点の数々を第二回放送で突き付けられ、彼は身を震わせた。

「こいつら皆まとめて――」

 もはや彼ら二頭に、自身の命脈など念頭にない。


「叩き殺し(チタタプ)にしてやる――!」
「殺滅いたします(ステラライズ)――!」


 膨大な魔力を放出しながら、その二頭は幻影のように消え去った。
 そこへ襲いかかる木の根は、見えない何かにかつ裂かれ、かつ折られ、地下の岩盤を砕きながら殺到していった。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「……勢いが弱まったわね」


 管理室から溢れ出てくる木の根を除けつつ、3人をじりじりと通路に下げさせていた龍田は、童子斬りの行動の変化に目ざとく気づいていた。
 遅れて、間桐雁夜が通路の奥に発生した強大な魔力の反応を察知する。


「あっちで、何か強い魔力が発生してる……。助けが来たのか……、それともヒグマか……」
「間桐さん……、ヒグマの助けって可能性もあります、一応……」


 雁夜と田所恵が眼をやる通路は、既に道の大半を童子斬りの根に埋められてしまっていた。
 示現エンジンへの対処と、放送で示唆された反乱の気運に進退判断を決めきれないでいるうちに、彼ら4人はこの区画にほぼ閉じ込められてしまった形になる。

 一人で頭を抱えていた四宮ひまわりはその時、突如キッと顔を上げて、佇む龍田の元にツカツカと歩み寄っていた。


「龍田っていったわよね、あなた。ようやく思い出した。今はやりのネトゲのキャラでしょ」
「ええ、まぁそうね~」
「有冨さんたちの技術で肉体を持ったヒューマノイドってわけ?」
「だいたいそういうことね~」
「五月雨を、集めて速し?」
「それは最上川ね~」
「じゃあ、唐紅に水くくる人だ」
「その通りよ~」
「……お願いがあるの」
「何かしら?」


 高速で状況を咀嚼しながら、ひまわりは金茶の髪を振り立たせ、真剣な眼差しで語った。
 彼女の指す管理室の中には、辛うじて根に埋まっていないコンソールと、その先で襲われている示現エンジンの本体がある。


「……私と一緒に、示現エンジンを死守して! さっきも言ったように、これが壊れたらお終いなの……!
 あなたの実力はよくわかった。助けがいつ来るかわからないけど……! 無理を承知で頼むわ。お願い!」
「はいはい了解よ~♪」
「やっぱりダメよね……って、えっ!?」


 二つ返事で受けた龍田の反応に、ひまわりはむしろ驚愕した。
 龍田はワンピースの裾を正しながら、微笑んでひまわりに返す。

「むしろ私だけでいいわ~」
「そ、そんな。私だってできることはあるし……、ほら、この鍵で、パレットスーツってやつが……」
「名誉や責任のために死ぬ必要なんてないのよ~?」
「……ッ!?」

 胸の奥を見透かすような龍田の眼差しに、ひまわりはたじろいだ。
 ネックレスに提げた小さな鍵を掴みながら、彼女は震える。


「……一応聞かせてもらうけれど、その兵装の動力源って、何なのかしら~?」
「……示現エンジン」
「だから、今まで使用をためらっていたんでしょう?」


 龍田に指摘され、ひまわりは言葉に詰まる。

 技師として示現エンジンに関わり、またその力を用いて戦闘を行なってきた四宮ひまわりには、示現エネルギーの危険性が身に染みて理解できていた。
 アローンのようなこの木の根から示現エンジンを防衛するには、強力なパワーが必須。
 しかし、唯一ここで戦闘に長けていると思われる龍田では、一時しのぎにしかならなかった。
 その上、ひまわり自身がイグニッションを行なってパレットスーツを纏った場合、崩壊しかかっている示現エンジンに更なる過負荷がかかることになる。
 それがきっかけで示現エンジンが爆発することだって考えうるのだ。

 だがその場合でも、自分が武装であるネイキッドコライダーを展開していれば、それを盾として爆発による被害を最小限に食い止められるかもしれない。
 元はといえば、この危機を看過してしまったのは自分の責任だ。
 有冨さんがどうなっているのか。
 研究所がどうなっているのか。
 れいちゃんはどうなっているのか。
 気になることは山のようにある。
 それでも四宮ひまわりは、果たせなかった自分の責任の全てを負うべく、覚悟を決めた。

 その決死の心根を、この軽巡洋艦の魂を背負った少女は、ただ笑顔で包み込んでいた。


「私もさっき言ったけれど、私たち艦船は、あなたたちを守るために作られているの。
 手を振って祈ってくれれば、それだけで良いのよ~」


 そんな龍田の柔和な声音に、田所恵が堪らず硬く声を絞る。

「……龍田さん……! あなただって、『人間』なんですよ!
 無茶しないで下さい……! それじゃあひまわりちゃんと同じです!」
「無茶じゃないのよ~。位置さえわかれば、ここからこの根っこの本体だって私は断ち切れるわ~」
「「「えっ!?」」」
「位置さえわかればね~」


 依然として柔らかく返された龍田の意外過ぎる言葉に、その場の3人は一様に驚愕した。
 ころころと笑いながら手を振る龍田は、そのまま自身の背に負った艤装を指し示す。


「……今の私は、『あの子』と同じ心臓を背負ってるから~。大船に乗った気持ちでいてね~♪」
「それでも……」
「わかった」

 反駁しようとした恵の声を食って、四宮ひまわりは決然と龍田を見つめていた。


「……お願いする」
「お願いされました♪」


 それだけの言葉を交わして、龍田とひまわりと互いに踵を返す。
 不安げな恵と雁夜の視線を背中に受けて、龍田はその手に薙刀の風切り音を鳴らしながら語った。


「恵ちゃん、私たち艦娘の動力源や燃料は、何だと思う? 重油? 石炭?」
「……えっと……、それか普通の食事……?」
「うふふ。一番の燃料は、守るべきあなたたちの、笑顔なのよ~♪」

 言いながら横薙ぎに打ち振った一閃は、管理室の入り口を塞いでいた木の根を、それだけで膾に刻んでいた。
 脇構えから振り抜き、清眞から乱れ討ち進む龍田の歩みに、止まっていた童子斬りがざわざわと反応を始める。


「私は嬉しいの。今回生まれてよ~うやく、それを見つけられたから~」


 華やかな声を上げて、龍田の肢体は羽のように舞う。
 踊る仕草の雅で、電流の如く刃が走り、迫ることごとくが散り果てる。


「原子力だってメじゃない。私たちの始原のエンジンを動かしてくれるものだもの♪」


 三室の嵐が吹き去ったかのように刃風が晴れると、管理室の中にはただ、腕巻構えに薙刀を取る龍田が、ぴったりと腰を据えて微笑んでいるだけであった。
 息を飲む恵の肩を、四宮ひまわりが頷きながら叩く。


「……自分にできることを、しよう。できる限りで、最大限のこと……!」
「ひまわりちゃん……!」

 ひまわりと視線を交わした田所恵は、彼女に向けて深く頷いた。
 そして大きく息を吸い、あらん限りの声で、叫ぶ。


「頑張ってーッ!! 龍田さぁあああぁーん!!」


 管理室で再び木の根に迫られてゆく龍田の姿に向け、心限りの声援を恵は振り絞る。
 根に塞がれた道の先で、少しでも隙間を確保しておこうとひまわりは走る。
 そして、その3者の姿を見ながら、間桐雁夜は唇を噛んだ。

「……できること……。位置、か……」

 三画の令呪を宿した右手の裡で、感知に集中した彼の回路は、先程よぎった予感を確信に変える。
 その身に寄り添ってくれる田所恵の温もりを肌に感じながら、彼はその脳裏に、遠い家の、守るべき少女の笑顔を見つめていた。


「俺にも、まだ……、回せるエンジンは……、あるはずだ……」


 彼らの様子を横目に伺いつつ、波のように寄せ来る木の根の叢中に、龍田は上機嫌で微笑む。

「ふふ、いいわね~、ファンからの応援っていうのは。艦隊のアイドルちゃんの気持ちもわかるわ~」

 そのままステップで刺突を躱しながら、彼女はリズムを踏んで歌いだす。


「『いでや進みて忠義に♪ 鍛えし我が腕(かいな)~♪』」


 柔らかな歌声で軍歌を口ずさみながら、彼女は紅葉のように木々の中に踊る。
 田所恵の熱い音圧を背景に、明々と白刃の光が降り注ぐ。


「『ここぞ国のため♪ ……日本刀を試し見ん♪』」


 唐紅の眼光が、秋色の舞台を染めて決意に燃えていた。 


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「■■■■■■■■■■――!!」


 そしてその舞台から十数メートルほど上にあがった高度に、もう一つの舞台がある。
 艦隊のアイドルちゃんは、確かにここで先程までライブを行なっていた。

「くおおおっ――!?」
「な、那珂ちゃん!! 眼を覚まして!!」

 その彼女は今、呉キリカに頭から体当たりをかましている。
 那珂ちゃんの突進を空中で受け止めたキリカは、その勢いのまま、背後で剣山のように待ち受ける童子斬りの枝に叩き付けられようとしていた。

 正気を失った彼女へ向け必死に声を送っている夢原のぞみを視界の端に見ながら、キリカは歯噛みする。


 ――この黒い剣士は、思った以上に強大で厄介なヤツだった。

 その手に持つ武器、そして那珂という少女を、黒い靄と赤い脈で自在に操っている点から、この剣士の能力は、『手に持ったものを自分の支配下に置いて操作する魔法』だと推察される。
 地面に張った根から魔力を吸い上げているのか、私たちが自動攻撃の手に余ると見るや、枝による直接狙撃と、那珂の肉体を操っての攻撃を多面から仕掛け、一挙に私たちの対処を困難にさせた。


 前門の那珂と後門の童子斬りに挟まれ、呉キリカは遂に切り札を切る。


 ――『速度低下』!!


「フシッ……!」

 黒い童子斬りの雨が背中に突き刺さる一瞬の前に、キリカは息を吹いて空を走っていた。
 減速する世界の間を縫って跳び退った彼女の裾が、密に繁った枝の槍に鉤裂きにされる。


 ――で、これで終わりじゃないんだよな!


 続けざまに、彼女は魔力を振り絞って慣性を止め、前方へと翻る。
 その軌跡に迫って、今度は地面から次々と童子斬りの枝が突き立つ。
 二重攻撃に参って魔力を行使した瞬間、今度はそこへ三重目の攻撃が襲うことになるのだ。
 逃げ遅れたキリカの太腿を抉って、その一本がパンチ穴のように左脚の肉を削ぎ落としていた。


「ぐうっ――!?」
「キリカちゃん!?」


 のぞみの声に言葉を返す猶予もなく、キリカの元へ、再び白目を剥いた那珂ちゃんの肉体が迫っていた。
 泡を吹いて気絶したまま、バンジージャンプか何かのように背中のツタで振り回される彼女は、バーサーカーにとっての武器であり、同時にのぞみたちにとっての人質でもある。

 ぎりぎりと歯を噛みながらしかし、呉キリカは迫り来るその少女を睨みつけていた。


 ――そもそもこんな女の命なんて、私にとっちゃどうでもいいし!!


 那珂ちゃんの突進を今度は受け止めず、キリカはむしろ彼女の頭を蹴り飛ばし、踏み台にして空を飛んだ。
 空を泳ぎながら身を捻る腕に、キリカは三本の鉤爪を生成する。
 その目に狙うは、直接狙撃と那珂の操作を一手に引き受けている、バーサーカー右手の童子斬り本幹であった。


「『ステッピングファング』!!」


 鉤爪を高速で投擲し、身を捻りながら立て続けに十数本、雹のようにキリカはその魔力を放つ。
 反応で襲い来る地面からの刺突に腕や顔を次々と浅く引き裂かれるも、キリカは着地に成功したその瞬間、自身の勝利を確信していた。

 攻撃方向のみに魔力を絞り生成した渾身の鉤爪18本。
 狙いは過たず木刀へ。
 逸れたところで、鎧すら貫通するであろう硬度の爪は確実にこの剣士へ致命傷を与える――!


 しかし、キリカが眼を上げた時、その表情は一瞬で驚愕に落ちた。


 バーサーカーは、銃弾にも匹敵する速度の鉤爪を、左手で『掴む』。

 そしてそのまま、彼は飛来する残り17本の爪をことごとく打ち落し、赤い脈を打つようになったその鉤爪を、意趣返しとでもいうようにキリカへと投げ返していた。


 ――『支配下に置いて操作する魔法』……!


 キリカがその思考を発火させた時には、既に凶刃は風を切っていた。
 速度低下を。と魔法陣を練るには、一度に大量の魔力を、彼女は放ち過ぎていた。


「ぐ、ああぁ――っ……!!」
「よ、よくもキリカちゃんに――ッ!!」


 キリカ自身が作った鉤爪は、彼女の右脇腹に深々と突き立った。
 血の霧を吹きながら、頭上から迫る枝の波状攻撃によろめく彼女の姿を見て、夢原のぞみは烈火のごとく魔力を迸らせていた。


 ――だ、ダメだ、のぞみ……!!


 キュアドリームの元に、地面から大挙して木の枝が襲い掛かる。
 今まで彼女がバーサーカーによる童子斬りの直接狙撃に対応できていたのは、キリカの方にバーサーカーが攻撃の手を集約させ、かつのぞみ自身が魔力を抑えていたことによる所が大きい。
 各個撃破狙いでキリカに集中させていた攻撃手段は、彼女に深手を負わせた今、躊躇なくキュアドリームの方へと向けられる。


「これ以上、みんなを傷つけさせたり、しないっ!!」


 上下から襲う枝の波が、閃光を帯びたキュアドリームの手刀にて切り裂かれた。
 彼女の左手には、象牙のように白いトーチ――ドリームトーチが握られている。


「『プリキュア・クリスタル――』!!」


 薄桃色の水晶の如きエネルギーを渦のように振り集め、のぞみは迫り来る槍衾を遍く木端に砕く。
 そしてその狙いをびたりとバーサーカーにつけ、叫んだ。


「『シュー――ト』ッ!!」


 その瞬間だった。
 視界の裏から、その射線上に血まみれの少女が躍り込んでいた。


 ――那珂ちゃん!?


 キリカに蹴飛ばされた彼女は受け身を取ることもなく地面に激突し、そのこめかみをザクロのように割って血を噴出させている。
 そして彼女はそのまま、バーサーカーに操られるがまま、童子斬りのツルに盾として持ち上げられていたのだった。

「――~~ッ!!」

 プリキュア・クリスタルシュート発射の寸前で、のぞみは両手に構えたドリームトーチの方向を無理矢理ずらす。
 そしてバーサーカーとはかけ離れた位置の地面へと、桃色の結晶でできた光の滝が噴射されていった。


「大丈夫那珂ちゃん!? しっかりして!!」
「のぞみ――ッ!! 避けろぉッ!!」


 目の前に意識を失ったまま掲げられる那珂ちゃんへ、のぞみは完全に気を取られていた。
 地上から痛みを圧して叫んだキリカの声が彼女の耳に届いた時には、既に遅かった。

「が……ッ!?」

 クリスタルシュートの魔力に反応していた地面の分枝が、彼女の右大腿を貫通していた。
 浮遊体勢を崩したキュアドリームの元に、今度は上空から直接狙撃の枝が降り注いでゆく。


「くっ……そっ、のぞみぃいいいいっ!!」


 地上でよろめくキリカの視界で、キュアドリームは何とか脚の童子斬りを切断し、上空からの枝に応戦し始める。
 しかし今度は、そちらに気を取られたキリカに、攻撃が向く番であった。

「な、に……?」

 キリカの体は、背後に回り込んだ那珂ちゃんに羽交い絞めとされていた。


「クソッ! 離せッ!! このバイタがぁあああああっ!!」


 必死にキリカが抜け出そうともがくも、那珂ちゃんの腕は万力のようであった。
 依然として意識は消失したまま、彼女はただバーサーカーの思うままに動かされている。
 そして、彼女を操る童子斬りのツルは、キリカごと彼女をバーサーカーの手元に引き寄せてゆく。


「こ、の……ッ! 最後はこの女ごと私を殺そうってハラかい……!!」
「キ、キリカちゃん――!?」


 空中ののぞみが気付いた。
 しかし、間に合う距離ではない。

 キリカと那珂を待ち受けるのは、童子斬りのツルを手繰るバーサーカーと、その木刀の根本から伸びる、一際太い枝の槍。


 ――一瞬だ。


 キリカは、それだけ思考して、腹部の痛覚遮断に回す魔力をも抑えて脱力した。
 無闇に暴れて魔力を使えば、そのまま自分は自動反応の枝に突き殺されるだけ。


 ――ヤツが攻撃に転ずる、その一瞬の挙動の隙に、全てを賭ける!!


 機を逸してしまったら、そのチャンスはもう二度と訪れはしない。
 全生命を賭した乾坤一擲を、呉キリカは『待った』。
 拙速と。
 巧遅と。
 今まで置き去りにしていた世界の流れに乗って、彼女は、眼を閉じた。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「お主ら! 二人とも能力を使うな! こやつは魔力を狙ってきておるのじゃぞ!!」
「二人……!?」


 ヒグマ帝国の地下階層を降りたツルシインが第一声に叫んだのは、そんな言葉だった。
 続く布束砥信とヤイコが怪訝な表情で降り立ったそこは、階段前のホールとなっていたはずの空間である。
 彼女たちが根に埋め尽くされた通路を漕いで出て来てみれば、誰もいないように見えるそこで、ただ童子斬りの根だけが暴れ狂ったかのように周囲の壁や地面を次々と突き刺し続けていた。

 ツルシインの目元を目掛けても数本の細い枝が飛来するが、ホールの中でのたうっている根の太さと本数はその比較にならないほどに多い。
 壁、地面、天井は見る間にも破壊されていき、辺りには太い根の分岐部までも顕わになっている。
 足の踏み場さえなくなるかのような瓦礫と根の海に、ツルシインが堪らず躍り込んで爪を揮っていた。


「よさんかぁッ!! 死ぬ気かお主ら!!」
「オレたちはどうあれ、こいつは確実にシメるさ!!」


 ツルシインが飛び掛かりながら切断した根の先で、天井から崩れ落ちた岩の塊が返事をした。
 見る間にそれは、石のような灰色の毛並みをした一頭のヒグマに変化する。
 苦々しい表情を見せる彼の手足には、既に童子斬りに貫かれた大小様々な径の穴が、軽石のように穿たれていた。


「魔力を探知する相手に真っ向から全力を出すなど、非合理的です! ヤイコは進言します!!」
「計画がない訳ではありません!!」


 ツルシインに続き、空中へ向け焦って呼びかけたヤイコに対して、空気そのものが怒りを帯びて叫びを返す。
 霧が晴れるように、そこに黒く小柄なヒグマの姿が顕わになっていた。
 朽木のように痩せたその肉はそこここで浅く抉られ、それとは別に幾つもの生傷が毛皮に浮いている。


 二頭が能力を止めた瞬間に、嘘のようにピタリと停止した童子斬りの樹海の中で、布束砥信は信じられないという面持ちで彼らを見やる。


「シーナーと……、灰色熊ね……! なんて能力なの……」
「……よぉ、半日振りくらいだな布束さん。悪いが相手にしてらんねぇ」
「……分が悪いのは百も承知です。ですがこれでようやく、本体を叩けます……」
「これのことを言っておるのか……、シーナー……」


 傷だらけの灰色熊とシーナーが眼光を滾らせて見つめるのは、崩壊した岩盤の中に見える、童子斬りの太い分岐部であった。
 ツルシインがシーナーのいう『計画』というものを察知して舌打ちする。

「地上の本体まで触知できる部分を掘りだして、『治癒の書』を直接叩き込む腹積もりかよ……。
 そのためだけにここまで無茶をするとは……、己(オレ)がいくら心配しても足りんではないか……!!」
「ご心労をおかけしてすみません……。ですがもう、これ以上は看過なりませんので」
「……ああ。あんたに襲い掛かるクソゴボウどもは、その間全部オレが叩いてやる」

 灰色熊とシーナーは、僅かに幻嗅にのみしか反応を来さない童子斬りの末節ではなく、その近位部の振動を捉え、『治癒の書』の幻触を、地上にいるであろう使用者本体にまで効果を及ぼさせるつもりであった。
 しかし、その過程で彼らが被った代償は、一歩間違えればそのまま死んでいてもおかしくない重傷である。


「灰色熊さん、その傷で、これら樹木の刺突を全てお一人で引き受けるおつもりですか。ヤイコはそれはあまりに困難であると推測します」
「なぁに……、こんぐらい後で石詰めときゃ治るさ」
「私が言うのもおかしいけれど……、シーナー、あなたの傷もよ」
「『治癒の書』は常時私の体内に展開しておりますので、痛覚を遮断することなど造作もありません」


 ヤイコと布束の言葉にも耳を貸さず、彼ら二人は、その作戦を断行するつもりであるらしかった。
 瞑目するツルシインに向けて、シーナーが最後に振り向く。

「ツルシイン……。お手間ばかり取らせますが、一つだけ教えてください。
 ……私のこの行動は、正しいものですよね?」
「正しい行動なら、真っ直ぐエンジンに向かうとかいくらでも他にあったわ莫迦者が……」


 光の無い真っ黒な視線でツルシインを見つめるシーナーは、その言葉に浅く自嘲の息をつく。
 その彼へツルシインは、白くわだかまった眼の光を開け、微笑んでいた。


「……じゃがその莫迦な行動も、今なら。今だけなら、『吉』じゃ」
「……ありがとうございます」


 一度だけ微笑むや、枯骨のような黒いヒグマは、勢いよくその舌を太い根に向けて打ち込んでいた。
 その瞬間に、ぞわりとあたり一面の根が彼を狙う。


「シーナー……、己(オレ)が護ってやる! 存分にやれ!」
「ヤイコも護衛に参入いたします」
「おいおい……、もともとオレの役割だったんだぜ……?」
「意地を張らずに頼った方が良い場合もあるわ。エビデンスは私の経験ね」


 足元で伸び始めた根の一本を蹴り飛ばしつつ、布束が灰色熊にそう語りかけていた。
 彼女の様子を見ながら、灰色熊は呆れの混じった眼差しで眉を上げる。


「実験前から思ってたが、ほんとあんたはオカシな奴だな。どうしてあんたはそこまでオレたちに肩入れする?」
「……色々放っておけないのよ。あなたが、田所恵に肩入れしてくれたようにね」
「……ハハ、そこ言われると納得するしかねぇわ」


 軽妙な会話を躱しつつ寄り来始めた根を砕いてゆく4名を後方に、シーナーは身の裡からどす黒い、霞か泥のようなものを迸らせていた。
 舌に振れる木の根の遥か先に、シーナーの振動覚はその幹たる使用者の姿を捉える。
 『治癒の書』が、その内部にそれらの様相を克明に記す。


 転(まろ)べ。
 汝が今、触れるものは虚偽。
 転べ。
 汝の眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんに)。
 その身を、私に明け渡せ。
 始源の感覚でこの檄を聞け。

 汝の足趾は今、繧繝の眩暈に浮動する。
 汝の紡錘はその意図を紡がない。
 纏う鎧は灯油に沸いた鱗屑。
 転べ。
 その身を虚偽の手足と分かち、真景を踏まんと思え。
 その幻の位置を作るは、汝。
 現を幻とし、幻を現と見よ。
 隔靴掻痒の上京をその身に願い、私の語る幻を現とせよ。
 この場を領(うしは)くは、私の世界である――!


「……『治癒の書(キターブ・アッシファー)』!!」


 4名が捌ききれぬほどの木の根が襲い、魔力を放出するシーナーをその穂先に捉えようとした瞬間。
 彼の施術は、過たず吉祥をもたらした。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


 呉キリカがその身に感じたのは、魔女の結界に呑まれる時のような、膨大な魔力の奔流だった。
 形容しがたい灼熱感と脱力感、掻痒感と電撃痛とが彼女の皮膚感覚へ同時に襲い掛かる。

「くっ――!?」

 しかしそれは、目の前で今まさにキリカを突き殺そうとしていたバーサーカーには、更に強烈な異常感覚として叩き付けられていたようだった。


「■■■――……!?」


 絞るような苦悶の声が上がると共に、キリカを羽交い絞めにしていた那珂の腕から力が抜ける。
 同時に、キリカを刺そうと狙っていた木刀の枝が、眼に見えてその形状を揺らがせる。


 ――今。

 キリカが待ったその瞬間は、彼女の体を一挙に駆動させた。
 那珂の拘束をすり抜けたキリカの体は、たたらを踏んで前に傾いたバーサーカーの足下へ沈み込む。


「おぉうらぁああああ――ッ!!」


 左手で地を突いた。
 矢のように伸ばした右脚が、キリカの全身を弓として天空へと撥ねる。
 身を揮うその蹴撃は、倒れ込んできたバーサーカーの顎下を、その兜を砕くかのような勢いで突き刺していた。


「『プリキュア』――」


 そしてそのキリカの行動は、更にもう一人の少女の賭けも、成功へと導いていた。


「『シューティングスター』ッ!!」


 『治癒の書』の幻覚とキリカの攻撃で乱れた夢原のぞみへの攻撃の手は、彼女に、渾身の決め技を使うことを許した。
 バーサーカーの手に握られていた童子斬りの本体が、滑るようにしてその掌から零れ落ちる。

 一匹の蝶のように朱鷺色の風となったキュアドリームの手刀がその木刀を通り過ぎた。
 キリカの体を抱えて地に滑走した彼女の後ろで、赤黒く脈を打っていた童子斬りは、空中で粉微塵に爆散していた。


「の、ぞみ……。やったじゃないか」
「キリカちゃんは!? ケガは大丈夫なの!?」
「のぞみの方こそ……! 私の方は、これくらいならまだどうってことない……」


 地面に倒れ伏したバーサーカーの周囲から、二人の逃走を阻むように上空から繁っていた童子斬りの木が枯れ落ちてゆく。
 自身の行動に充足感を覚えながら、キリカはのぞみに指摘された脇腹の傷に手を当てる。

 鉤爪が突き刺さったままの貫通創は、爪を引き抜いてしまうと一気に大量出血するだろう。
 とりあえずは安全な場所に避難してから魔法で止血を試みつつ治療する必要があると思われる。

 それよりも気にかかるのは、のぞみの太腿に大きく開いた刺突の穴である。
 血も出ないその傷のせいで、歩行の覚束ない彼女の姿は非常に痛々しい。


「……とにかく早くここから抜けよう」
「うん……、あの那珂ちゃんって子も連れてね」
「あの女をぉ……? まぁ仕方ないか……」


 倒れたバーサーカーが動かないことを確認しつつ、のぞみと互いに肩を貸しながら、キリカは地面に打ち捨てられている那珂ちゃんの方に歩んでいった。

「ほら起きろー……。キミはもう操られてないんだぞー……」

 黒い靄も、赤い脈も打っていない、眠っているかのような那珂ちゃんの元に寄って、キリカはげしげしと彼女の腹を爪先でこづいた。


「ん、う……」
「よし起きた。こいつには自分で歩いてもらおうかね、大したケガもしてないし」
「うん……、キリカちゃんが蹴った頭以外はね?」
「仕方ないだろあれは」


 薄らと眼を開けた那珂ちゃんに安堵した二人は、彼女から目を外して語らい始める。
 そのため、ふらふらと起き上がる那珂ちゃんの様子には、その時、誰も気付いてはいなかった。


「だいたい本当なら、織莉子以外の人間がどうなろうが私は知ったこっちゃ……」
「あ……、ぐ……」


 のぞみに愚痴を零そうとしていたキリカの言葉は、中途半端に止まる。
 何かを握った那珂ちゃんが、咽喉を絞るような声で唸っていた。


「がふっ……!?」
「キリカちゃん!?」

 突如吐血したキリカに驚愕して眼を上げたのぞみが見たのは、赤黒く脈を打つ鉤爪を握った、那珂ちゃんの姿だった。


「■■■■■■■■■■……」


 バーサーカーが遠方で身を起こす。
 その手が握っていたのは、未だ那珂ちゃんの背中に根を下ろしている、童子斬りのツルであった。

 白目を剥いた那珂ちゃんは、総身に赤い脈を打たせ、キリカの鉤爪を構えて目の前ののぞみに対峙する。


「あ、あ、そ、そんな……ッ!!」


 右脇腹を完全に引き裂かれ、濁った血液を吹きながら崩れ落ちてゆくキリカを隣に抱え、夢原のぞみは戦慄に歯を鳴らしていた。
 それでもそののぞみの袖を、力強く引く者がいる。


「のぞみ……、まだだ。まだ、愛は死んじゃいない……」


 血を吹きながらもキリカは、向かい合うバーサーカーと那珂ちゃんを前にして、眼に光を宿らせていた。


「地下から……、さっき私たちを助けてくれた奴がいる。ヒグマ帝国とかいう所でも、こいつと戦っている奴らがいるんだ。
 『チャンスを待て』、のぞみ。今度も来る。必ず。愛は確実に、ここにある――!」
「うん……! 助ける……。キリカちゃんも、那珂ちゃんも、みんな、絶対に、助けるから……!」


 脚絆を破る童子斬りの根と、那珂ちゃんへと続くツルに『騎士は徒手にて死せず』を這わせながら、バーサーカーは獣のように二人の少女へと唸る。
 肩で支え合いながらその睥睨を真っ向から受け止めるのぞみとキリカの眼差しは、狂化に曇ったランスロットの心には、なかなか理解に容易く苦しむものだった。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「――ッ!!」
「シーナー!! 大丈夫じゃな!?」

 全方位から童子斬りの根に串刺しとされる寸前、シーナーはギリギリのタイミングで童子斬りの分岐部から舌を離していた。
 『治癒の書』の残滓を幻嗅としてその根に叩き付け、刺突方向を化学走性でずらした僅かな隙間に彼は転がり込む。

 その処刑道具のように林立した根の槍は、布束に蹴り折られ、ツルシインに引き裂かれ、灰色熊に砕かれ、ヤイコの電撃に焼かれた。


「……地上でもこの使用者と、戦っている者がおりました。今の短時間でも、それなりの損害は与えられたはずです」
「そのようね……。童子斬りの挙動が変わっているわ。示現エンジンの方向から、むしろ地上に引き戻されるような動きになっている」


 シーナーが感知した状況を語るのに合わせて、布束が天井を蠢く童子斬りの根を観察する。
 地上で、恐らく使用者は大きくダメージを受けたに違いない。
 戦っている何者かに、地下に張っている分の根も動員しなくてはならないほど、武装を削られたということが推察される。

「それに……、あなたたち二人がここで根の大部分を差し止めていたことは、意外と良いことだったかも知れないわ」
「……そのようじゃな。この根は、示現エンジンから『エサ』を吸うべくここに伸びてきておった。その半分をお主らが引き受け、なおかつ今の『治癒の書』で根は引いてきておる。
 大分、状況は好転してきておるはずじゃ」

 布束とツルシインの予測では、恐らく、エンジンの方に到達している根は、当初の2~3割程度にまで減少してきているはずだった。
 既に通路が埋まっており状況がわからないが、生き残りがいれば、その防衛も容易になってきてはいるだろう。


「……ヤイコは、示現エンジンの状況が気にかかります」
「四宮ひまわりは確実にあそこにいるはずよ。あとは……」
「……間桐雁夜、田所恵、そして龍田という艦娘がそこにいるはずです」


 ヤイコと布束の呟きを受けたのは、シーナーだった。
 粘菌の通信に龍田という艦娘自身が記したその連絡が正しければ、その4人が示現エンジン周囲に籠城しているはずである。

 少人数での本体撃破が困難であることが施行結果として露呈してしまった以上、シーナーや灰色熊としても頑なに消耗戦を断行するつもりはない。
 むしろ、明確な損害を相手に与えられただけ意義は大きい。
 後は、残存兵力に合流して体勢を立て直すべきであった。

 シーナーの言葉を受けて通路を見やったツルシインが大きく頷く。


「……うむ! 4人とも無事じゃ。しかも、もうここにまで……」
「だ、誰かいるんでしょ……? 助けて……ッ!!」


 童子斬りの根に埋まった通路から聞こえる声に、全員がそちらへと走った。
 真っ先に根の隙間を覗き込んだ布束に鉢合わせしたのは、示現エンジンの管理をしていた四宮ひまわりの安堵した顔だった。


「よ、良かった。ヒグマじゃなくて……。布束さん、向こうにあと3人いる。龍田っていう人が根っこを食い止めてるわ」
「無事で良かったわ四宮ひまわり。助けに行くから、下がってもらえる?」
「それが、胸が引っかかって、動けなくなって……」


 布束が見やれば、童子斬りの根に挟まれた彼女の胸元は、その双丘が大福のように押しつぶされてしまっている。
 顔を引き上げて、布束は背後のヒグマ4頭と顔を見合わせた。


「……何かいい案がある?」
「オレが岩で切っちゃぁまずいだろ」
「ヤイコが焼くわけにもいきませんね」
「痛覚遮断しつつ無理矢理引き抜きますか?」
「ちょっと!? なに!? なに!? ヒグマがいるのそこに!?」

 3頭のヒグマの声を聞いて、ひまわりの声がにわかに裏返る。
 彼女にとっては第二回放送のヒグマの反乱を聞いたのが、実験開始後初めてのヒグマとの接触になるのだ。
 恐れるのも無理はない。

「……このヒグマたちは大丈夫よ。少なくとも今は、利害が一致してる」
「そ、そ、それで安心しろって言うの……?」
「ああ……、己(オレ)たちは今、ひまわりちゃんたちと同志じゃ」


 言いながら歩み寄ってきたのは、ツルシインであった。
 蔓延る根の弱い部分を的確に見抜いて、彼女は少しずつでも通路の根を引きはがしてゆく。
 慄くひまわりの震えは、彼女の柔らかい毛並みと物腰を見て、徐々に落ち着いて行った。


「……ヒグマの中にも、派閥か何かがある、ってことでいいの?」
「だいたいそれでいいわ。詳しくは後で……。ツルシイン、私にもその『縁起』の脆い部分とやらを教えてもらえるかしら」
「布束さんがかい――?」


 人命救助もかねてのため、階段の根を払った時より更に慎重を期して作業しているツルシインに向け、布束が一歩後退しながらそう呼びかけていた。
 軽く飛び跳ねてリズムをとっている彼女は、ツルシインに混ざってその根を砕こうとしているらしい。
 半信半疑ながらも、狙うべき点をツルシインが指し示した時、布束の体は宙に舞っていた。


「シッ――!」


 柳のように脱力した姿勢から反動をつけ、全身の撓りを揮って穿たれたのは、左の後ろ回し蹴りであった。
 歯の隙間から息を吹いて着地した彼女の前で、童子斬りの根は維管束を張り裂けさせ、その通路の先まで大きく砕き抜かれる。

 自由な身となった四宮ひまわりを含めて、その場の全員が驚愕に固まる中、布束は静かに解説を入れた。


「『チンクチ』よ」
「ちん……、何?」

 表情を引き攣らせるひまわりを睨みながら、布束は言葉を繋げる。

「琉球空手には、打撃の瞬間に伸筋と屈筋を同時に作用させて、その破壊力を爆発的に向上させる技術があるわ。
 人間にも、ヒグマと比肩できる知性や意地が、ないわけじゃないってこと。さぁ、行きましょう」


 ただの人間に過ぎず、何らかの超能力を演算しているわけでもない布束砥信の攻撃には、童子斬りは一切の反応を示さなかった。
 時折ポケットを狙って伸びてくる枝を払う他は、彼女はただ黙々と通路の掘削に専念できる。

 一行の感嘆を背中に受けながら、布束の眼には、その向こうの人間の意地が、見え始めていた。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「……龍田さん、話があるんだ」
「私の後ろから急に話しかけると危ないですよ~?」

 振り向き様に切り払われた陣風が、管理室の中に身を乗り出していた間桐雁夜の前髪を数本切り落とす。
 舞い踊りながら童子斬りの根を切断している龍田は、それでも微笑みながら雁夜に話を促した。


「あのな……、この木を地上で操ってるヤツは、ほぼ間違いなく、俺のサーヴァントなんだ」
「え!? そうなんですか!?」

 固唾を飲んで告白する雁夜の言葉に、隣で田所恵が驚く。
 対する龍田は、その言葉に大して動揺もしない。


「何となくそんな気はしてたわ~。少女の体に絡みつこうとしてくるところとか」
「俺ってそんな変態に見えるのか……!?」
「半分冗談よ~」
「半分!?」
「だ、大丈夫ですよ……、私は間桐さんのことそれほど変人だとは思ってませんから」
「それほど!? 変人!?」


 女子2人から理解の追いつかない言葉を浴びせられて困惑する雁夜の反応を置いて、龍田は彼を本筋に戻す。

「それはそうと、自分の配下ならきちんということを聞かせてほしいわ~」
「あ、ああ……、そうしようとして魔力のバイパスを繋ぎ直したんだが、あいつはこの木に、逆に操られてしまってるみたいなんだ。
 だから……、龍田さん、あいつの正気を取り戻してくれ……!」
「他力本願なお願いは却下です~」
「ええっ!?」


 四宮ひまわりのお願いが快諾されたのを見て、言い出せば引き受けてもらえると踏んでいた雁夜の思惑は、龍田を襲う童子斬りの根と共に見事に空ぶる。
 龍田はその根の槍を躱しながら、左手の指を2本立ててみせる。


「ここから私がこの本幹を狙うことは確かにできるわ。
 でも一つ目。あなたのサーヴァントの位置座標を正確に教えて。高さと距離と方向と、全部ね。そうじゃなきゃ狙うに狙えないから。
 二つ目。30秒稼いで。強化型艦本式罐をフル稼働させる間、私をこの根から守ってもらいたいの。色々幸運が重なったみたいで本数は少なくなってるけど……、このままやったら串刺しは免れないわ」
「正確っつったって……!」


 雁夜は、提示されたその要求にまごついた。
 サーヴァントであるバーサーカーのおおよその位置は、魔力供給路を繋ぎ直した雁夜には知覚できる。
 しかしそれを具体的に伝えるとなると、なかなか難しい。
 だが、二つ目の懸案には、雁夜は解決策を見いだせた。


「……30秒でいいんだな?」
「そうね、そのくらいもらえれば十分よ~」
「なら……、バーサーカーに言うことを聞かせられる手段は、ある……!」


 間桐雁夜は、その右手に刻まれた、渦巻く稲妻のような令呪に力を込める。
 30秒といわず、この際限なく樹木に襲われる絶望的な環境を打破する方策が、それだった。
 バーサーカーの『武器』として、また『寄生物』として存在している童子斬りの二面性を、同時に排除する手段が、雁夜には解っていた。


「我がサーヴァントに、間桐雁夜が令呪を以って命ずる――!」


 雁夜が一画目の令呪を起動させたのは、ちょうど布束砥信とツルシインが通路の根を弾き飛ばして、彼らの元へとたどり着いた時だった。


「バーサーカーよ、『無毀なる湖光(アロンダイト)』を抜けッ!!」


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「あぐ……っ、ひゅっ……、ぼ……っ!!」
「~~ッ!! 眼を、眼を、覚まして! 那珂ちゃん!!」
「のぞみ……! 足元にだけは、気を付けろ……ッ」


 地上ではその時、那珂ちゃんが夢遊病者のように、白目を剥き、口から泡を吹いて、キリカの鉤爪を縦横に揮っていた。
 それに応戦しながらじりじりと後退するキュアドリームの手には、桃色の光を放つ剣・クリスタルフルーレが握られている。

 だが彼女は右脚に穴を開けている上、重傷のキリカの身を庇いながらの交戦である。
 『無窮の武練』が乗り移ったかのような鋭い太刀筋で攻め込む那珂ちゃんの剣圧の前に、衣装の端やその腕に、次々とのぞみは浅手を受けていった。
 彼女に半身を支えられながら、キリカはギリギリと歯を噛む。
 キリカの眼下の地面には、依然としてぐねぐねと脈動する、童子斬りの根が蔓延っている。

 童子斬りの本体が消滅し、その反応閾値は上がっているものの、もしキリカやのぞみが今以上の魔力を放出した場合、共に脚を痛めている彼女たちに、刺突を回避する術はない。


 ――このツルを、切れるか……?


 のぞみと共に那珂ちゃんの剣閃から下がりつつ、キリカは前に控えるバーサーカーの方を見やった。
 地面に蹲るようにして童子斬りの根とツルに触れているバーサーカーは、真っ直ぐにキリカの視線を見返してくる。


 ――駄目だ……、賭けの分が悪すぎる。


 キリカが意表をついてのぞみと分かれ、那珂ちゃんを操っているツルを引き千切るという作戦も考えられなくはない。
 しかし、バーサーカーはともすれば、地面の童子斬りすら操作して刺突をしてくる可能性がある。
 今は単純に、こちらの切り札に警戒してそれを行なってこないだけかもしれない。
 同様に、のぞみと共に転進して全力で逃げ出すという手も、もはや使えなかった。


 ――手詰まり……? いや、耐えろ。待つんだ。絶対に時は来る。状況は変わる……!


『違う自分に変わりたい』


 あの時、私はそう願った。
 状況が変わらないなら、まず自分から変わってやる――。
 そう自分は思ったし、事実、あの頃とは天地がさかさまになったくらい、私は変わった。

 今の状況に自分が合わないなら、出来る限り早く。
 速く。
 疾く。
 すぐにそのチャンスに適合できるように、私は変わるつもりだった。

 だから私は、その時間を得た。
 その状況すら置き去りにするくらいの速さを、私は手に入れた。


 ――でも、もう一度、思い返してみようか。


 なぜそれなら私は、『自分を速くする魔法』ではなく、『周りを遅くする魔法』を手に入れた?
 答えは簡単だ。

 怖かったから。

 本当は、変わるのなんて、怖かった。
 知らない外の世界に触れるのは、怖かった。
 自分に自信が無かったから、愚鈍な世界を観察して、悠々と心の準備ができるだけの時間が、欲しかった。

 笑っちゃうね。
 愛も骨子もない、葦の髄だった自分が考えそうなことだ。

 でも、今は違う。
 本当に願い通り、私は変わった。
 私には織莉子がいる。
 愛がある。
 自分がいる。
 恩人がいる。

 今なら待てる。
 世界がどんなに変わろうが、私を置き去りにしようが、なんぞ恐れることがあろうか。
 どんと来い天変地異。
 変われ。
 変われ。
 想像もつかぬ宥座の世を見せろ。
 私はいまだ柔弱だ。
 堅強に死をくれて、愛から生を享ける即妙さが私にないなんて、ゆめゆめ思うんじゃないぞ――!!


「■■■■■■■■■■――……!?」


 その時だった。
 蹲っていたバーサーカーが、突如苦悶に身を起こした。
 それに続いて、操られていた那珂ちゃんの動きもピタリと止まる。

 喉を毟るように唸りながら、バーサーカーはその手を何か見えない力でツルから引きはがされようとしていた。


「ッ、キリカちゃん――!!」
「ああ……、のぞみ。来た……。変わった……!!」


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「重ねて令呪を以って命ずる――ッ!! このクッソ汚い変態木刀を手放し、アロンダイトを抜けーッ!!」
「……彼は何を口走っているの?」
「あ、ぬ、布束さん――! 間桐さんは、なんか、その、持病の発作みたいな? 決して気がフれたわけじゃないと思います……」
「俺これでも真面目にやってんだからね恵ちゃん!?」


 管理室前のスペースになだれ込んできたのは、布束砥信を始めとする2人の人間と、4頭のヒグマだった。
 その場に残っていた3人と巡り合い、互いが様々な理由で驚き合う。
 中でも、シーナーや灰色熊といったヒグマたちの姿を目撃した雁夜と恵の怖気づきようは半端ではなかった。


「恵……! お前こんなとこまで来てたのか……! あいつと一緒に居ろっての……!!」
「でも……、でも……、怖くて……」
「こっち来た方が怖いだろうがバカヤロォ!!」
「灰色熊はまぁわかるけど……、そういえばあなたたちは、何ていうヒグマなの?」
「申し遅れました四宮管理主任。ヒグマ帝国の事務をしております、穴持たず81・ヤイコと申します」
「己(オレ)が穴持たずツルシの四十九院(ツルシイン)で、こっちが47のシーナー。建築士と医者じゃ」
「……案外あなどれない文明レベルね、ヒグマ帝国」
「体調はお戻りになったようですね。一応、快気おめでとうございます、と申し上げておきます」
「そのナリで本当に医者……!? めちゃくちゃ怖いんだけど……」
「……私人として言わせていただきますと、間桐さんもその顔は一度形成外科にかかった方がよろしいかと」
「うるさいな知ってるよ!!」


 そのさなか、管理室内部で一人佇む龍田だけは、にこにこと天井の方面を見上げて笑っている。


「間桐さんのやっていることは確かに効果抜群みたいね~。この根っこがほとんど止まったわ~」
「あ、うん、もう少しなんだ……。令呪2つ重ねてようやく、この木の支配力に拮抗したところだ。
 『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』の効果が乗ってるせいだと思うが……」

 ツルシインやヤイコたちから、ヒグマ帝国とその現状についてざっくりと説明を受けつつ、雁夜が彼女の声に答えた。

 龍田の見やる壁では、蠢動する根の速度が明らかに鈍重になり、タービンを回しっぱなしの龍田の動きをほとんど追ってこなくなっている。

「令呪2画でようやく……。やはり相当なランクの宝具であるようですね」
「それはそうと、あなたが噂の龍田ね。今後の策はあるの?」

 管理室の中を覗き込むシーナーと布束に向けて、龍田が微笑みながら薙刀を構える。
 右脇にぴったりと柄を据えた、脇構えであった。


「ええ~。この木の持ち主の位置を教えてもらって、ここからその幹を、断ち切るつもりなのよ~」
「そんなことができるの……?」
「……なるほど、ヒグマ提督さんは何とも凄まじいものを作りましたね……。それですか」
「ええ。これは『あの子』――、島風ちゃんの心臓と同じものだから~」


 疑念を隠せない布束の言葉に、隣でシーナーが頷いた。
 シーナーが感知する龍田の艦橋には、強化型艦本式缶が備わっている。
 天津風で試用され、島風に装備されたその高温高圧ボイラーこそ、彼女たちに並外れた速度を供給している心臓部である。

 シーナーは、そこに充満する魔力を以ってすれば、超長距離に存在する使用者の位置に剣閃を届かせることも不可能ではないと判断した。


「……ならば、早い方がよろしいでしょう。間桐さん、この者の現在位置を認識していらっしゃいますね? 校正させてください」
「うぇっ、へっ!?」
「そして、令呪の使用を願います」


 突如枯れ木のようなヒグマに手を掴まれ、雁夜はたじろいだ。
 ずるずると何かの魔力が浸食してくる感覚に慄きながらも、彼は言われた通り、自身の最後の令呪に力を込める。
 シーナーは、背後で彼を見守るツルシインに、静かに問う。


「ツルシイン。……私のこの行動は、正しいものですよね?」
「お主は、素直になった時が、『吉』じゃ」


 彼女の微笑みに頷いて、シーナーの知覚は、先程振動覚で得た情報を視覚情報へと置き換える。


「……ご覧ください。これが、この樹木の使い手の位置です――!」


 シーナーの視界に、『治癒の書』の幻視が一面展開された。
 その場にいる全ての者に共有されたそのビジョンは、シーナーが決死の思いで幻覚を叩き込んだ際の位置情報に、間桐雁夜の認識している現在状況を重ね合わせたものだった。
 地下の岩盤を透視するように、金色の光で描写されたその映像は、童子斬りの根が蔓延っている範囲と、その上でバーサーカーが立っている位置を克明に記している。

 水平方向で西南西1500メートル。
 垂直方向に上19.8メートル。

 正確な位置座標を眼交に浮かばせて、龍田は力強く微笑んだ。

「あはははっ、じゃあ砲雷撃戦、始めるね。お膳立てはお願いね~♪」
「はい、龍田さん――!」
「いざという時には最後の令呪を切る! 安心してやってくれ!!」

 田所恵と間桐雁夜の声を受けて、龍田は涼やかに息を吹く。


「……山高み、風しやまねば春雨の、継ぎて降れれば上枝(ほつえ)は散り過ぎにけり。
 下枝(しづえ)に残れる花は、しまらくは、散りな乱りそ――」

 歌のように口ずさむ文句と共に、ボイラーの裡に炎が滾る。
 薙刀の刃先にまで伝わり高まってゆくそのエネルギーは、彼女のタービンを突風のように渦巻いてとどまらない。
 怒張してゆく力を、ぎちぎちと脇構えに押さえつけて撓める彼女の姿勢は、あたかも傍からは居合抜きの構えのようにも見える。

 ――龍田山の激しい流れの上の小椋の嶺に咲き満ちている桜の花は、山が高いために風がやまず、春雨が連続して降るので、上の方の枝の花は散ってしまった。
 ――下の方の枝に残っている花は、しばらくは散り乱れないでおくれ、旅に出ている、あの方が帰って来るまで。

 そんな意味の歌には、旅に出ているその者からの、反歌が残っている。


 我(あ)が行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし

 ――私の旅は、7日はかからないだろう。風の神である龍田彦よ、どうか、この花を風で散らさないでおくれ。


 風が止まるのは、七日間までである。

 ぎち。
 ぎち。

 音を立てて押さえつけられるタービンの猛風は、既に管理室から溢れて、外に待機する人の髪を煽るほどにまでなっている。

 ぎち。
 ぎち。
 ぎち。

 薙刀の刃先を白熱させ、龍田自身の骨を軋ませるほどになったその魔力を、唐紅の眼光で龍田はなおも押さえつけ、その時を待った。

 ぎち。


「『強化型艦本式』――」


 ぎち。


「『七日行く風』」


 小椋の嶺に吹きすさぶ突風のように、振り抜かれた薙刀の刃は、ただ周りの者には白い閃光のように見えた。
 眼のくらむようなその光芒が、横一線に管理室の壁の根を吹き散らし、岩盤を貫通し、その遥か先へと走る。


「第三の令呪を以って、重ねて命ず――!」


 間桐雁夜が叫んでいたのは、それとほぼ同時だった。


「バーサーカー、『無毀なる湖光(アロンダイト)』を、抜けぇええええええぇぇッ!!」


 二つの風が、遥かなる距離を超えて、その黒い騎士の元へと吹いていた。


    ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


「のぞみぃぃッ!! 頼むッ!!」
「うんッ!!」
「■■■■■■――!?」


 呻きながらもがいているバーサーカーに向けて、キリカは走っていた。
 地面の根も、包んでいる黒い靄が消えかかり、もはやほとんど反応をしてこない。
 腹部を庇いながら走るその手に、3本の鉤爪を出だして、キリカは立ち尽くすバーサーカーに切りかかっていた。

 その間、キュアドリームはクリスタルフルーレで、那珂ちゃんに根を下ろしたツタを斬りはふる。
 髪にこびりついた木片まで引き抜いてやりながら、のぞみはキリカの方へと眼をやった。


「さあ、散ね!!」
「■■■■ur――……!?」


 キリカの鉤爪は、過たずバーサーカーの首筋を捉えていた。
 その時。
 純白の閃光が地底深くから走り抜けた。

 真一文字の光線は一瞬にして、バーサーカーが根を下ろしていた足元の接地部を伐採する。
 見る者の網膜に残光を焼き付けて空間を断ち割るかのように、その強大なエネルギー波は彼とキリカとを宙に吹き飛ばしていた。


「うぉおっとっ!?」
「キリカちゃん大丈夫!?」

 那珂ちゃんを抱えたまま覚束ない足取りで、のぞみがキリカの元へと走る。
 キリカは、地に落ちた尻をさすりながらも、その言葉に微笑みで返して見せた。


「……ほら、私の言った通りだろ?」
「うん……! 良かった……!! これで、みんな……助かったんだよね!!」
「ああ……、間違いない」


 がらん。
 と音を立てて、キリカが刎ね飛ばしたバーサーカーの兜が背後で音を立てていた。

 地表を覆っていた木の根から、そしてのぞみに抱かれる那珂ちゃんから、完全に黒い靄と赤い脈が消え去る。
 そして童子斬りの根だったものは、真昼の日差しの中で次第に水分を失い、萎びていった。

 窮地から奇跡的な生還を果たしたことにホッとして、夢原のぞみは思わず眼に涙を浮かべてしまう。
 顔を伏せて目元を拭うのぞみに、キリカの優しげな声音がかかる。


「すまないな、のぞみ……」


 そしてその声は、徐々に上の方へと離れてゆく。
 ポタッ。
 ポタッ、と。
 地面に涙が落ちたような音がした。


「……気を抜くのは、もうちょっと後にすべきだった、みたい、だ……」


 絞り出すようなキリカのくぐもった呟きにのぞみが顔を上げた時、そこには信じられない光景が広がっていた。


「Ar■■■■――……!」
「ぐ……、ふっ……」


 黒い剣士が、そこに立っていた。
 手には、今まで見たこともない、禍々しい色合いをした長剣を持って。
 その刃先に、深々と呉キリカの胸板が縫いとめられている。

 兜の脱げたその顔は、乱れた蓬髪がざらざらと風に靡き、その眦が炎を上げるかのように怒っている。
 鬼のように鋭い犬歯を見せて、その狂戦士は空に吠えた。


「Ar――■■urrrrrrrrrr――!!」


 ぼとぼとと口から血を零しているキリカの変身は、解けていた。
 ただの普段着をきた少女の体で、キリカはなおも、か細く声を紡いでいく。


「まだ、とって、おきが、あるん……だ……。いま、おもい、ついたん、だけど……さ」


 ふらふらと、光の落ちた眼差しで、キリカは、ただ震えるばかりののぞみの方に、手を差し出していた。


「織……莉子……。お……、り……、こ――、わた、し、に――」


 キリカの眼は、もうそこに、のぞみの姿を見てはいなかった。

 家に居れば、愛する人の手を掴んで眠ったであろうに。

 その手は、何にも届かなかった。


 彼女の体は、大きく腕を振り抜いたバーサーカーの、たったそれだけの動きで吊るし切りにされていた。
 試し斬りのように振るわれた魔剣の軌跡は、少女の体をただ20センチ角の膾に変える。

 ぼとぼとと地に流れた、真っ赤な染物のような色合いを見て、ようやく夢原のぞみの声は、その喉に追いついた。


「うああああああああああああああああああああああ~~ーー――っ!!??」
「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr――!!」


 絶望と狂気の慟哭が、その荒野に流れた血をくくり染めにした。


【――Archetype Engine(Remix)に続く】

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最終更新:2014年11月18日 23:58