Kit techy all die.
Me techy all die.
Sad tech all on day soon good day.
Catch Catch!
道具も技師も みんな死ぬ。
俺の短慮で みんな死ぬ。
悲嘆の技師は まだ生きて(さてコール音 で選って)。
善き日を受信 受信せよ!
(中野テルヲ『Let's Go Skysensor』より。意訳)
〔VHF:89MHz(泊)〕
赤い脈と黒い靄に包まれた木の根。
落成間近だったテーマパークを瞬く間に埋め尽くしていたのは、巨大な、大量の、木の根のようなものだった。
その木の根に、建設されていた遊具やステージは見る間に破壊されてゆき、そして、その建造にあたっていたヒグマたちを次々と絡め取り、その動きを封じていってしまう。
「こ、これは一体!?立地条件が悪かったのか?」
「分からん!おい、No.96クックロビン!早く脱出して緊急事態を伝えろ!」
「し、しかし!」
「俺達は大丈夫だ!簡単には死なん!シバさんはこの企画に賭けているんだ!なんとか食い止めてみせる!」
「わ、分かった!」
向こうの方では、唯一この木の根に捕まる前に退避できたらしいクックロビンが、そんな言葉と共に走り去っていった。
「ク、クイタ(久井田)!! 本当に、無事なんですか!?」
「あ、ああ、俺やクナシリ(国後)、ニタラズ(九十八)は、まだ……! パク(泊)、お前は!? ハク(白)ちゃんは!?」
「……無事だとは、言い切れませんよ、これは……!!」
「……うぐ、そ、そうかも、知れん……」
先程までクックロビンと話していた3頭のヒグマは、瞬く間に強まってゆく根の力に、息を絞りながら悶えていた。
「パ、パク……、くる、し……」
「ハクちゃん!! 下手に動いちゃダメだ!! 余計締まる!!」
すぐ傍で、穴持たず99のハクちゃんが、僕の方に手を伸ばしながら喘いでいた。
彼女がもがく度に、その動きに合わせて膨圧のかかった根は、その体をよりきつく締めあげていってしまう。
そしてそれは、この建設現場にいる、全ての穴持たずカーペンターズに当てはまることだった。
――僕、穴持たず89・パクは、僕の弟弟子にあたる穴持たず96の奇行を確かめるべく、地上に上がっていた。
この島の地上は、STUDYに連れて来られていた人間と、そして僕らHIGUMAの先駆けである80頭近くの先輩方が、しのぎを削る生存競争の実験を繰り広げている場だった。
そこからの
侵入者との戦いで負傷していたナイトさんを診療所に送ろうとしていた僕とハクちゃんは、突如現れた穴持たず96・クックロビンから、信じられないことを聞いていた。
この場所。この地上に、彼はなぜか人間のアイドルとかいうもののテーマパークを作っているというのだった。
そして実際、それは僕らが駆けつけた時には、もうほとんど完成間近だった。
なにしろ、津波の浸水防止や通路の保守点検のために地下の帝国各地に行っていた僕ら穴持たずカーペンターズを、ほとんど全員集めて、その上、帝国内でも不足している物資を大量にせしめて作っていたというのだからさもありなん、だ。
その彼の無駄な行動力は、なんでこのような無駄な行為にばかり費やされるのか。
元々ここは、津波で浸水した土地をシバさんが得体の知れぬ魔法で無理やり吹き飛ばしただけの土地だ。
実験に介入するのはまずいと散々言われているのに、そこからまずおかしい。
そしてそこに、人間のアイドルのテーマパークを建てるのもおかしい。
仮にテーマパーク建設自体は、100億歩譲って大目に見るとしても(これだって、そんな物資や人材はもっと他に使うべき場所あるので十分おかしすぎるし有り得ないのだが)。
地固めなんか、あってないようなものだから、施設は全部、欧米の移動遊園地のような、手早く設置できるハリボテまがいのちゃちなやつだ。
日本で移動遊園地が行なわれていない理由は知っているはずだろうクックロビン。
骨組みも土台もちゃっちくて、滅茶苦茶危ないからだよ!!
それを勢いだけヒグマ向けに魔改造するとか、遅かれ早かれ倒壊の未来しかなかったんだぞ!?
そしてまた、ここに誰を呼ぶつもりだったのか。
ヒグマか? 人間なんてほとんど餌か敵にしか思わんぞ!?
人間か!? ヒグマ主催の施設に誰が歌聞きに来るんだよアホか!?
そして肝心の、
星空凛とかいうアイドルだ。
クックロビンやシバさんは、彼女の大ファンで、目下、地下に侵入してるのを捕まえて歌ってもらおうとしている最中らしい。
――お前ら本当に彼女のファンか!?
本当のファンなら、まずこんな危ない殺し合いが起きている島から、脱出させてやれよ!?
異種族である僕らヒグマの中にぶちこんで無理やり歌わせるとかどんな拷問だよ!?
彼女の身になってみろよ!? 殺す気かよ!!
「だ~れが殺した……。クックロビン……」
苦しくなってゆく息の中で、仲間のうちの誰かが、か細い声でマザーグースの歌の一節を口ずさんでいた。
崩れていくメリーゴーランドの脇で、そうして自嘲のような笑みを浮かべているのは、薄紫の体毛を持った雌ヒグマだった。
「こ、コシミズ(輿水)さん……」
「ふ、ふふ……クックロビンのせいですよ、ボクたちが死ぬのは……。
ボクは初めから、こんなテーマパークを建設するのは反対だったんです。
シバさんが取って来てくれたお仕事だっていうから、仕方なくやってあげただけなのに……」
「コシミズちゃん、諦めちゃだめにゃ!! く、クミにゃんがついてるにゃ!!」
「クミヤ(久宮)さん……」
その隣で、ネコのように尖った耳をした子がまた、彼女に向けて叫んでいた。
穴持たず93のクミヤさんと、94のコシミズさん。
彼女たちもまた、通路の補修に当たっていたはずの、カーペンターズの同胞だった。
「この際だから言っちゃいます……。ボクやクミさんたちはですね……、帝国の仕事の合間、ずっと歌とダンスの練習してたんです……。
土方仕事が、そしてこの実験さえ終われば、本格的に活動できてたはずなのに……。
こんな舞台が無くとも、みんなの心は、アイドルのボクたちが掴めていたのに……。
最初から大きなお世話だったんですよ、人間のアイドルとか……」
「そうにゃ!! だからここから生きて抜け出すにゃ!! クリコちゃんも待ってるにゃ!!
こんな根っこ……!! クミにゃんが全部砕いてやるにゃあッ!!」
クミヤさんは、全身に絡まっている木の根から前脚を引き抜き、掘削用ハンマーを手に取った。
それを起動させ、彼女は自分とコシミズさんの木の根を裂こうとした。
その瞬間、クミヤさんの体を、突如鋭く突き伸ばされた槍のような根が貫いていた。
「な……、あ……!?」
絶句するコシミズさんの前で、クミヤさんは、一瞬きょとんとしていた。
そして、続いてやってきた痛みと、自分の口から零れてくる血に、ようやく事態を理解した。
「あは、ご、めんにゃ、コシミズちゃん……。ドジっちゃった、にゃ……。
みんな、頼んだにゃ……。コシミズちゃんは、カワ、イイ……」
「クミさん!? クミさぁん――!!」
「コシミズさん、寄っちゃダメだッ!!」
次々と木の槍に体を貫かれてゆくクミヤさんへ、コシミズさんは身を乗り出していた。
そして次の瞬間には、彼女の肩にも木の根が突き刺さる。
地に落ちて転がる掘削用ハンマーを追うようにして、彼女の方に木の根が繰り出されていった。
コシミズさんが前脚で頭部を庇い、伸びた根を折っても、次々と襲い来る根は、既に彼女に致命傷を与えていた。
「ふ、ふ……。良い、プロデューサーさんが、いたら、きっと違ったんですかね、ボクらも……?」
「うおおぉ――! 死ぬな! 死ぬな、コシミズ――ッ!!」
眼を閉じたコシミズさんを見て、さらに遠くでヒグマが吠えていた。
穴持たず92の、コウカ(香火)さんだ。
「アタシの火踊りと、お前の水芸で、盛り上げるんじゃなかったのかよ――!!」
彼女はその叫びと共に、口から火炎を放射していた。
体内の代謝で生成されるケトンやメタンを集約し着火する彼女の特技、『ジェットバーナー工法』――。
水流の管理調節と操作に長けたコシミズさんと共に、カーペンターズの仲間内でも有名なものだった。
彼女の灼熱の吐息で、コシミズさんを突き刺していた根が焼け落ちる。
しかし同時に、今度は彼女の腹部が、木の根に貫かれていた。
体内でガスが引火し、コウカさんの体は見る間に丸焼きとなっていく。
「み、みな、特殊技能を使うな!! 機器類の傍にも寄るな――!!
エネルギーだ!! 一定以上の閾値を越えたら、この根が突き刺しに来る!!」
僕は必死に叫んでいた。
この謎の木の根が襲撃しているものを観察すれば、その法則性は一目瞭然だった。
これらが襲いかかり、破壊しているのは、テーマパークのアトラクションの、主に機関部。
エンジンや燃料系統へ向けて集中的に刺突が行われている。
スタジアムやコンサート会場においては、ホログラムの出力部や、ライトといった熱源。
それらをくり抜き、そのエネルギーを吸うようにして、この木の根は蔓延っていた。
向こうで穴持たず97・クナシリが、悲痛な声で叫ぶ。
「じゃ、じゃあ――、う、打つ手なしかよ――!?」
「……焦っちゃダメだ。少しずつ根の隙間を確保して、這い出るんだ――!!」
「パ、パク……、くるし、い、よ……」
ハクちゃんは、既に首筋を根に絡まれていた。
彼女の頸動脈や気管がぎりぎりと締めあげられている。
一刻の猶予もないが、それでも、焦ることは禁物だった。
「落ち着いて、ハクちゃん……。クックロビンが助けを呼んできてる。
ツルシインさんかシロクマさん、もしくはシーナーさん。最悪シバさんでもいいから彼が呼んできてくれれば、確実に僕らは助かるから……!!」
「う、ん……」
眼に涙を浮かべながら呟いたハクちゃんの背後から、その時何かが飛び発った。
ツルシインさんたちが、万が一の非常用の時に確保しておいた飛行船だった。
なぜかそれは、例の星空凛とかいう人間の姿がペイントされている、痛々しいものに変わっていた。
間違いなく、クックロビンが操縦しているものだ。
なんでそれをこんな場所に持ってきてる。
どこに行く気だ。
帝国は地下だぞ。
そして、おい――。
愕然としながらそれを見上げていた僕らカーペンターズは、その時一斉に叫んでいた。
「――馬鹿じゃないのか、クックロビン!?」
僕らがその脳裏に最悪の予感を想定した次の瞬間、それは現実のものとなった。
地上から勢いよく天空へ向けて撃ちだされた木の根が何本も、その飛行船の動力部を狙い撃ちにし、炎上させていた。
貫通した気球部分が見る間にしぼんで行き、飛行船はずるずると地上に堕ちてゆく。
「あ、あいつ――!! 観察力無さすぎだろ!!」
「ド、ドウミキ(百成)! なんで飛行船をここに持ってきてるんですか!?」
「ク、クックロビンが、シバさんのお達しだと言うので、持ってきちゃいましたぁ……」
「イワフネ(岩船)さん……!」
穴持たず103・ドウミキの絶句に、穴持たず102・イワフネさんの涙声が重なった。
飛行船の管理をしていた両名の嘆きに、穴持たず100・ハッケ(百家)が続いて泣き叫ぶ。
「も、申し訳ありません――!! 俺が、あいつの誘いを真に受けて機材を持ち出したりしなければ、こんなことには――!!」
「それについては、俺らが主犯だ……! お前の責任じゃねぇハッケ!!
あいつからにこにーとかいう、可愛くて旨そうな女子の存在を聞いてさえいなければ……!!」
「ハッケもニタラズも、喚くのはやめるんだ……!! 生き残ることを、考えるんだ……!!」
もはや助けが来るのは絶望的だ。
なんとか自力でこの根の蔓延るところから脱出しなければ。
「くっ……! ヤエサワさん達が抜けたせいだ……! やっぱ何とかならなかった……!!」
「クナシリ!! こいつは、そのヤエサワさんたちが喰いとめにいった根だッ……!!
むしろ俺たちは、パクの言う通り、ちゃんとしたツルシインさんからの連絡に従わなきゃいけなかったんだ――!!」
「だ、だって、シバさんからの仕事だぜ……!? シバさんの仕事に、これまで間違いなんて、なかったじゃねぇかよぉ!!」
クナシリの叫びは、逸早くこの事態に気付き声掛けをしてきたクイタの声に重なる。
彼らの悲痛な叫びは、彼の身を苛む締め付けのせいだったのか。
それとも、この一両日で、信じられないくらいの奇行を連発し始めたシバさんのせいだったのか。
おとといまでのシバさんは、ピースガーディアンのナイトさんが習得している『アクロバティック・アーツ』の創始者でもある、軍人然とした怜悧なヒグマだった。
警備班の仕事もそつなくこなし、空き時間は自他の訓練に励む、皆の信頼も篤い憧れのヒグマだった。
一昨日の夜、シロクマさんの先導で、シーナーさんと共に、脱出しそうな参加者を見回りに行くと言っていた時までは、確かに普通だったはずだ。
それが昨日、μ’sとかいうアイドルグループの話題を皆に広め始めたくらいから、彼は明らかにおかしくなった。
日がな一日、北方のカフェで豪遊し、資材を勝手に着服してはよくわからないスーツやロボットを工作し始めた。
そして極め付けがこの地上吹き飛ばしとテーマパークだ。
もうほとんど、別人になったかのような変貌ぶりだ。
明らかに乱心している。
如何に憧れのヒグマだったとしても、こんな状態の危険人物を信用してはならないはずだった。
「……まず依頼の理由が、『ニートヒグマを救う為』、課金コンテンツにハマらせるとかいうものでしょ!?
明らかにおかしいでしょうそこから!! その当のスクフェスとやらにハマった昨日今日のシバさんが一番ニートヒグマになってたじゃないか!!
働かずに、蓄えを私欲で食いつぶしてただけだろ、彼は!!」
「そう思ったさ!! 思ったけど、一昨日までのシバさんはそうじゃなかったじゃん!! 信じたかったんだよ、彼を!!」
僕の指摘に叫び返す穴持たず97・クナシリの上で、何か重い、嫌な音がした。
見上げれば、クックロビンの搭乗していた飛行船が、突き刺さっていた木の根を焼き折り、業火を上げながら落下してくるところだった。
その真下にいたクナシリ、ニタラズ、クイタの3頭は、恐怖に竦み上がった。
「う、うわああああ――!! ヤエサワさああああああ――ん!!」
「た、助けて、クリコさああああああ――ん!!」
「ああ、悔いた悔いた……。ラブライブなんか見ちまったことが、俺の人生最大の後悔だ……」
彼らは瞬く間に、轟音を上げて墜落してきた、火の玉のような飛行船に押し潰された。
そしてその火の手は、ドウミキやイワフネ、ハッケが捕えられている方面へと、アトラクションの発動機やインバータエンジンから漏れ出ている燃料を伝い、瞬く間に広がっていく。
「コウカ、クミヤ、コシミズ、クリコ、すまねぇ……!! お前らのデビューのために役立つかと思ったのに……」
「ごめんなさい、ツルシインさん、帝国の皆さん……!! 私の管理、不行き届きでした……」
「か、神様ァ――!! 殺すなら俺とクックロビンだけにしてくれぇ……!!
皆は、皆は、何も、悪くなかったんだぁ――!!」
聞こえてくる断末魔に牙を噛み締めながら、僕は、先程から必死に少しずつ押し広げていた木の根の隙間から、ようやくのことで這い出していた。
地に降り立ち振り向いた彼らの姿は、もはや一面の火の海に巻き込まれて、見えなかった。
ひとりでに溢れてくる涙を拭いながら、僕は、ハクちゃんの元に駆け寄っていた。
「ハクちゃん、ハクちゃん――!! もう大丈夫だ!! 逃げよう!! 急いで逃げるよ!!」
ハクちゃんはただ静かに、眼を閉じたまま動かなかった。
僕のいいつけを守り、身じろぎもしていなかった。
火の手が背に迫り、木の根もどんどんと焼かれてゆく。
僕は涙を零しながら前脚を構え、ハクちゃんに絡む根に爪を振るっていた。
「おおお――ッ、『カットアンドダウン工法』!!」
ハクちゃんを吊し上げる根の下部から、回旋するように一気にそれを寸断し、僕は彼女を助け出していた。
そして彼女を揺すり、起こそうとした。
「ハクちゃん。……ハクちゃん?」
だが彼女は、眼を開かなかった。
ずっと締め上げられ続けていた彼女の首には、痛々しい痕がついていた。
彼女の心音と呼吸音は、停止していた。
「あ、は、は……」
僕は、呆然となんて、しなかった。
すぐに、彼女を、地に置いた。
そうして、彼女の胸骨を、押し込み始めた。
「大丈夫。大丈夫だよハクちゃん……。僕は、心臓マッサージのやり方だって、習ってるんだ。
そこらの不勉強な奴らとは違う。な、だから、安心して。安心してくれ。なぁ……」
足元を、炎が舐め始めた。
背中の毛が燻って、熱を帯び始めた。
ハクちゃんの体にも、炎がすり寄ってくる。
やめろ。
やめろ。
彼女はまだ生きてる。
生きてるはずなんだ。
火葬なんて、早い。
来るな。
頼む。
頼むから――。
「ハクちゃん、なぁ、返事を、して、くれ……」
生木の煤を吸って煙る吐息で、僕は、ハクちゃんを守るように、彼女の上に、覆いかぶさった。
炎は、気ままな狩人のように、僕らの上を跳ねまわっていった。
〔VHF:96MHz(蔵人)〕
―――たしかめたくなる Ran ran rendezvous♪
―――たのしいな恋みたいじゃない?♪
―――こころはカラフル Ran ran rendezvous♪
―――熱くなるほっぺたが正直すぎるよ♪
「うわぁ、こりゃヒドイ」
星空凛のソロ代表曲、恋のシグナル Rin rin rin!が延々とリピート再生されている室内。
ステージ衣装を着た星空凛のデカールでコーティングされた飛行船に一人乗り込みテーマパークを
脱出したNo.96クックロビンは上空から
バーサーカーの装備した童子切りから伸びてきている黒い根によって
次々と倒壊していくアトラクション群と根が蔦の様に絡まり昔の甲子園球場のような姿になったスタジアムを
放心しながら眺めていた。
「はぁ、あの土地はもう駄目だな。あいつらも無事逃げてりゃいいんだが……」
上空から島を見渡すと島全体を襲った津波は大分引いて来ている感じだ。
「ま、テーマパークは空き地探してまた作ったらいいか……最低でもコンサート会場は居るよな……はぁ」
シバさんの奇行が生み出した孤高のドルオタは新しい空き地を求めて上空を漂いながら寂しそうに移動を開始した。
と、思った次の瞬間である。
飛行船の機関部が、真下から勢いよく伸びてきた何かに、一瞬のうちに貫かれていた。
「なっ――!?」
振り向いたクックロビンが驚く間もなく、動力部、燃料、プロペラ、伝導機構と、次々に主要機関を串刺しにされた飛行船は停止し、出火し始めていた。
「あああ!? 何だよこれ!? イワフネに頼んで折角塗装し直した凛ちゃんカスタムの痛飛行船なのに!!」
臆面もなく、公的資源の私用を大声で主張した彼は、慄きながら飛行船の内部を右往左往した。
船内放送機材にも木の根が突き刺さったか、リピートされ続けていた星空凛の甘ったるい楽曲も、ノイズを残して停止する。
巻き上がってくる炎から逃れようと彼が室内の天井を殴り破った時、飛行船はぐらりと傾いていた。
「うおっ!? 墜落!? 冗談きついって!! ……う、嘘だろぉ!?」
飛行船は、突き刺さっていた木の根を焼き折り、業火を上げながら落下していった。
『う、うわああああ――!! ヤエサワさああああああ――ん!!』
『た、助けて、クリコさああああああ――ん!!』
『ああ、悔いた悔いた……。ラブライブなんか見ちまったことが、俺の人生最大の後悔だ……』
クックロビンは、クナシリ、ニタラズ、クイタの、断末魔の叫び声を聞いたような気がしたが、炎と落下の勢いが強かったので、きっと何かの聞き間違いだろうと思った。
そう。クックロビンとアイドル談義に花を咲かせていた彼らが、よりによってラブライブを否定するような発言をするわけはないのだ。
そんな悠長なことを考えながら、クックロビンは墜落した。
地に落ちた衝撃で、彼は前後不覚になった。
『コウカ、クミヤ、コシミズ、クリコ、すまねぇ……!! お前らのデビューのために役立つかと思ったのに……』
『ごめんなさい、ツルシインさん、帝国の皆さん……!! 私の管理、不行き届きでした……』
『か、神様ァ――!! 殺すなら俺とクックロビンだけにしてくれぇ……!!
皆は、皆は、何も、悪くなかったんだぁ――!!』
夢現の中クックロビンは、ドウミキ、イワフネ、ハッケの、怨嗟に満ちた叫び声を聞いたような気がしたが、自分は飛行船で飛んでいたはずなので、きっと何かの聞き間違いだろうと思った。
そう。クックロビンと一緒に仕事をしていた彼らが、よりによって彼自身の存在を否定するような発言をするわけはないのだ。
そんな悠長なことを考えながら、クックロビンは少しの間、気を失っていた。
そして足下に這い登ってくる暑さに、彼は目を覚ます。
「うわちゃちゃちゃちゃ!! 熱ち、あっちいって!!」
彼は折り重なっている布の間を破り、外に転げ出て、引火している星空凛の着ぐるみを脇に脱ぎ捨てていた。
「……うん、オーバーボディがなければ墜落で即死だったか……。ありがとう凛ちゃん!!」
燃えていく着ぐるみに両手を合わせて、振り向いたクックロビンは炎を上げる飛行船だったものの残骸を見渡した。
「いやぁ……、それにしても、俺ってやっぱ頭良くね? 木の根が空まで来た時は驚いたけどよ、気球部分には不燃性のヘリウムが残ってるはずだもんなぁ!
天井からそこに上がり込んでおけば、自然と最後まで炎からは無事で済むってわけよ!!
さぁ、何にしても、早くシバさんのにこのことを知らせに行かな、きゃ……?」
そうして周囲を見回した彼は、その景色に、嫌な予感を覚えた。
破壊されて、燻った炎を上げている周りの物品に、やたら見覚えがある。
これは、自分たちがさっきまで作っていた、テーマパークと、スタジアムではないのか?
「……いや、そんなことないって。俺は、飛行船で飛び発ってたんだぜ……?
もう、結構遠くまで逃げてたはずじゃ……」
そう呟いた彼の目に、折り重なるようにして焼け焦げている、真っ黒な二体のヒグマの姿が映っていた。
「え……? パクと……、ハク……?」
その、眼を見開いたまま死んでいる雄ヒグマの顔は、もしクックロビンがまんまと遠くまで逃げおおせていたならば、見るはずのない者の顔であった。
恐る恐る近寄った先のパクは、眠ったようにして死んでいるハクを守るように覆い被さり、黒焦げになって絶命していた。
「は……、え……? なんで……? なんで……!?」
彼は理解不能の恐怖に、震えながら数歩後ろへ下がった。
見回す大地に散らばる、炭、炭、炭。
焼け焦げ、燃え尽きた木々と、合成樹脂の燻る嫌な臭いと共に立ち込めるのは、明らかな生物の、死臭だった。
彼の痛飛行船が撃墜されたのは、離陸後すぐである。
逃げられているはずが、なかったのだ。
「ク、クイタ――! クナシリ、ニタラズ――!?」
つい数分か数十分前まで語らっていた仲間の名を叫びながら、クックロビンは走り出した。
死んでいるはずはない。だって、彼らはさっきまで、木に絡みつかれていただけだったのだから。
狂乱したように辺りを走り回る彼の目に飛び込んできたのは、中世の火あぶりの刑のように、空中に木で磔られたまま、燃えさしと化している3頭のヒグマだった。
「は、ハッケ……、イワフネ、ドウミキ……!?」
走り寄り、炭化しているその根元を、クックロビンは慌てて切り倒した。
しかしもう既に、肉も毛皮も焼き焦がされた彼らの命は、こと切れていた。
クックロビンは、その場所と、周りに散在する、倒壊して燻ぶっているアトラクションの位置関係を思い描いた。
そして、大粒の涙を零しながら振り向いた。
「あ、あ、嘘だ……。嘘だと言ってくれ……!!」
そうして、彼は地に崩れ落ちる。
燃えてゆく飛行船のその下――。そここそが、彼が先程、クイタたち3頭と別れ、倉庫に走った場所であった。
彼ら3頭は、自分の乗っていた飛行船の、下敷きになったのだ。
そして、その炎上に巻き込まれ、焼き尽くされた。
――自分が、そんな逃走手段を採らなければ、彼らは死なずに済んだのだ。
「……フフン。残念ですが、これが、現実ですよ。クロード(蔵人)……」
悲嘆に苛まれる彼が泣き崩れていたその時、遠くから、微かにそんな呟きが聞こえていた。
その声に、ハッと身を起こした彼は、そのまま眼を見開いて、その声がした方に駆け寄っていた。
「こ、コシミズ!! コシミズさんなんだな!! 生きて、生きていたのか!!」
「……これで、皆が、生きているように見えるなら、その目玉、挿げ替えた方が、良いですね……」
死んだ同胞たちに埋め尽くされた空間で唯一聞こえてきた、澄み通った声――、穴持たず94・コシミズの元に駆け寄ったクックロビンは、彼女の周りの光景を見て、再び絶句した。
炎と煤にまみれた他の場所とは違い、そこだけは唯一、火の手が回っていなかった。
雨の降った後のように、地面が湿っている。
そこに降り注いでいるのは、木の根に貫かれ、その上で首筋を切り裂かれた穴持たず93・クミヤと、コシミズ自身の両前脚から零れる、ふたり分の真っ赤な血液だった。
ねめ上げてくるコシミズの背後には、丸焼きになった穴持たず92・コウカの姿もあった。
コシミズはその体を何本かの木の根に貫かれていたが、その根元は、既に焼き切られたように自由になっている。
だが、彼女がその場に流し続けた血液の喪失は、如何ともしがたいものであった。
「コシミズさんの……、浸透流による『復水工法』……」
「ええ……。ボクとクミさんの血を、呼び水にして、津波の水分に、還って来てもらいました……。
これで、バカな追っかけどものせいで、顔もわからぬ焼死体になるなんていう、アイドルらしからぬ、不名誉な死に方は避けられたわけです。はぁ……」
気力と共に息を吐き尽して、コシミズは、這いつくばる地面に顎を落とした。
クックロビンは、顔面を涙と鼻水に塗れさせながら、嘆願するように彼女を抱え起こしていた。
「や、やめて、やめてくれ……! 死なないでくれ……! 俺は、こんなこと、望んでなかった……!」
「……可哀想なバカですね、クックロビンは。望んだものがどうであろうと、あなたの行動は、こういう結果に、なるものだったんですよ」
コシミズは血塗れの掌で、クックロビンの横っ面をはたいていた。
力ない彼女の指先は、ただ彼の頬に、赤く線を引くのみだった。
それでもクックロビンには、その一撃が、とても痛かった。
コシミズは、次第に光の薄れていくその眼差しで、クックロビンを真っ直ぐに見据えて言った。
「責任を取って下さい、クロード……。
無責任な放蕩野郎のクックロビンは、今ボクが殺しました。
こんな近くにいたカワイイアイドルにも気付かぬバカは、ボクが殺しました。
このボクを上回るようなアイドルを輩出できたら、草葉の陰で、許してあげます、から。
アイドルファンを名乗る気なら、死ぬ気で、プロデュース、してください……!!」
「コ、コシミズさん……! ア、アイドルだったのか!?」
「そうですねぇ……。死ぬ前に歌ってあげますよ。ボクは優しいので……。
くれぐれも……、自分の『好い』たアイドルに、こんな歌、歌わせるんじゃないですよ……」
そう言って、コシミズは驚くクックロビンの胸で、細い声で謡い始めた。
透明な雪のようなその声は、冷えていく彼女の体温と合わさって、真昼の陽光をも、辺りにくすぶる炎をも凍らせるような、清冽な響きを有していた。
その歌の名は――、『雪の進軍』。
「――焼かぬ乾物(ひもの)に 半煮え飯に♪
――なまじ生命の あるその内は♪
――こらえ切れない 寒さの焚火♪
――煙いはずだよ 生木が燻る♪」
その明るい曲調と裏腹に、身を切るような歌詞を孕んだコシミズの歌は、つい先ほどまでクックロビンが能天気に聞いていた星空凛の歌からすれば、想像を絶するような痛みに満ちていた。
慢性的な食糧難に悩むヒグマ帝国をさらに圧迫する
艦これ勢。
そこに降って湧いたシバの奇行は、蓋を開けてみれば、ヒグマ帝国の貴重な物資を、惜しみなく不必要な娯楽につぎ込み、住民を顧みない、艦これ勢よりも更に悪い、途轍もない悪行であった。
愚行に愚行を重ね、被害を大きくした、アイドルオタクたち。
寒々とした風の吹き抜けるようになったこの空間は、煙いはずだ。
燻っているのは、自分たちの同胞なのだから。
「――渋い顔して 功名談(ばなし)♪
――『すい』と言うのは 梅干し一つ……♪」
仕事を放り出して、やれスクフェスだラブライブだとアイドル談義に興じるオタクたちの顔は、傍から見ればどんなものに見えただろうか。
『粋』だ、『好き』だと言ってアイドルについて語り合うオタクたちの隣で、他の者たちが、況や参加者である星空凛が嗜好品に興じられるのは、ただ一粒の、『酸い』梅干しだけだったかも知れないのに……。
痛烈な軍部批判――、況や、クックロビンを始めとするアイドルオタク批判に満ちたその歌を終えて、コシミズはにっこりと微笑んでいた。
「謝礼は、クロードがプロデュースする子に、払ってあげて下さい。ボクは、寛大、なので……」
そのまま、彼女は雪が溶けるようにして、息を引き取っていた。
クックロビンは、コシミズの亡骸を抱えたまま、震えていた。
パチパチと生木が炎に爆ぜる音を聞きながら、彼が思い出すのは、つい昨日の、シバとシロクマとの会話だった。
『――なに、クロード(蔵人)? ははは、ツルシインさんも、命名には気を使っていると言いながら大したことはないな。
クローなんて音は、「苦労」に通じるじゃないか。そんな縁起の悪い名前はダメだ』
『そうですね……。シバさんがそう仰るなら、「クックロビン」はどうですか?
有冨さんと焼肉バイキングに行ったお店がそういう名前でした。建築においても、あなたは中身はともかく、見た目や盛り付けは良いじゃないですか』
『そうだな。「クックロビン」は「コマドリの雄」を表す英名だ。もっと気楽に人生楽しめるぞ』
『流石の博識ですねシバさん。確かに焼肉屋のロゴもコマドリでした』
『ふむ、この様子じゃ建築班の指揮も、いっそのこと俺が執った方が良いんじゃないのか?』
『うわ、流石ですシバさん!! ありがとうございます!! 是非指揮をお願いします!!
これから俺、クックロビンって名乗ります!! 皆に名乗ってくるついでに、スクフェスの宣伝もしておきますから!!』
『ああ。スクフェスに嵌ればラブライブへ移行させることは容易い……。それじゃあ頼んだぞ』
シバとシロクマからラブライブの薫陶を受けつつ、褒めているのか貶しているのかよくわからない批評と、もっともらしいのからしくないのかよくわからない由来の名前を授かり、彼は小躍りしていた。
シバお手製の星空凛の着ぐるみを纏い、ツルシインの指示をないがしろにし、『クックロビン』という名に浮かれた彼のその後の行動は、大半の者から見たら、悪いものでも食べたのかと思われるような奇行だった。
なおのこと、もし、コシミズを始め、幾ばくかでも一般的な歌謡の知識を持った者が彼の改名理由を耳にしたとしたら、名付け親両名の乱心ぶりに呆れ返っていただろう。
『Cock Robin』という名は、マザーグースの中に出てくる、あるコマドリに対する呼称だ。
況や、『Cook Robin』という名の、札幌市東区にある海鮮・焼肉バイキングのレストランも、このコマドリを原点としている。
このコマドリは、詩の中で初っ端から死んだ状態で登場し、スズメに殺され、ハエに発見され、魚にその血を取られたことが明らかになっていくというミステリーの主役だ。
そしてさらに焼肉バイキングのレストランというフィルターを通した三次創作の状態で名付けられたそれはゲン担ぎになるのか。
シバとシロクマのみぞ知ることだろう。
――Who killed Cock Robin?
――I, said the Sparrow,
――with my bow and arrow,
――I killed Cock Robin.
――誰が殺したの、クックロビン?
「……殺したのは、俺だ」
クックロビンは言った。
「……この俺の、エゴと頭の悪さで……」
クックロビンは、頭を掻きむしった。
自分の皮を、破り捨てたくなっているかのように、掻き毟った。
「……俺が! 俺がみんなを殺したんだ――!! 『クックロビン』が――!!」
空に吠えた彼の慟哭は、立ち上っていく黒い煙たちに絡んで、日差しの中に垂れ下がっていた。
【穴持たず89・パク(泊) 死亡】
【穴持たず91・クイタ(久井田) 死亡】
【穴持たず92・コウカ(香火) 死亡】
【穴持たず93・クミヤ(久宮) 死亡】
【穴持たず94・コシミズ(輿水) 死亡】
【穴持たず97・クナシリ(国後) 死亡】
【穴持たず98・ニタラズ(九十八) 死亡】
【穴持たず99・ハク(白) 死亡】
【穴持たず100・ハッケ(百家) 死亡】
【穴持たず102・イワフネ(岩船) 死亡】
【穴持たず103・ドウミキ(百成) 死亡】
※『星空スタジオ・イン・ヒグマアイランド』は、童子斬りの根に蹂躙された後に倒壊・全焼しました。
ノイズの海を掻き分けるようにして、御坂美琴はその時、眼を閉じてコンポの上に覆いかぶさっていた。
彼女はその広大な海中に浮かびながら、次々と通り過ぎてゆく、耳には聞こえない音の波を眺めていた。
低きから高きへ、高きから低きへ、オーディオコンポをサーフボードとしながら波に乗り、御坂美琴はその波形を確かめていた。
最終的に彼女が乗り付けた電波は、スーパーヘテロダインの回路を通り、オシレーターの脇を通り過ぎて、ブースターからスピーカーを叩いた。
『――H、B、C~――、RADIO――!』
「HBC……、北海道放送ね……! よしよし、来てるじゃない、電波は……」
捉えたコールサインとジングルでラジオ局を判別した美琴は、古びたコンポのダイヤルを直読しつつ、期待に満ちた表情で座席に戻っていた。
倒壊したHIGUMAアスレチックの城の半地下。
埋没しかけた小さな放送室の中で、彼女は機材の状態を確かめつつ、更なる情報を得るべく奮闘していた。
それがこの、島内放送の仕組みの把握と機材のチェックを含めた、ラジオ放送の受信実験である。
その試みは、まずまずのところ上手くいったようであった。
『――さて、北海道の午後に笑いと涙と興奮をお届けしてきましたこの番組。
今日は番組内容を変更して、気象情報やニュース速報を中心にお届けしています』
『いや本当にね。朝から、ほとんど前触れのない津波で、びっくりされた方も多いんじゃない?』
『はい。現在、関東から北海道にかけて到達した津波は収まっているようです。波浪警報も、さきほど日本全域で解除されました』
『お台場じゃ、例のサウザンドサニー号やガンダムが流されたらしいから、もしかするとどっかに漂着しているかも知れないね』
『ですが、北海道にはまだ注意報が出ていますので、むやみに海や沿岸部に近寄ることは、絶対にないよう気を付けて下さい』
二人の男女が掛け合って進んでいくラジオ放送は、午後のワイドショー番組であるようだった。
『何より皆さんが心配してるのは、ヒグマのことなんじゃないかな』
『はい。ヒグマ以外にも、天を突くような巨人の目撃情報や、実際に家屋を踏み潰され、下敷きのまま救助を待っている方などもいらっしゃいますから。引き続き中継させていただきます。
本日未明に、クルーザーを操舵するヒグマとの戦闘が勃発した釧路港周辺から、新しい情報が入り次第お伝えしますね』
「うわ、一般に知れ渡ってるじゃないヒグマのことは……。そらそうよね……。
現場の漁師さんや自衛隊から情報が入らなかったら、劉鳳さんや杉下さんだってヒグマの存在なんかわからなかったはずだもの……」
呟きながら、美琴はラジオの放送をザッピングしてゆく。
NHKを中心に、数局の電波がキャッチできたが、そのどれもが、ヒグマの存在について、ニュースで触れているものはなかった。
「……中央のメディアは報道規制か……。じゃあこの情報は北海道だけ……。
ローカルの生放送だからこそできる芸当なのね」
各地の自衛隊が出動しているのだから、もう少し大事になっていても良いのではないかと思ったが、それは難しそうだ。
政府からの更なる援軍などは期待できそうにない。
むしろ政府は、劉鳳や
相田マナといった関係者からの連絡をずっと待っているのかも知れない。
到着するか否かの段階で全員が散り散りになるなど、本来ならば考えづらいことであるし。
結局、現地住民の不安を解消するべく中継班を出しているらしい北海道放送にも、美琴が聞き知っている以外の新しい情報はほとんどなかった。
唯一、海上自衛隊の防御網を潜り抜けて上陸したヒグマを素手で仕留めたらしい、ファイナンシャルプランナーの福田さんという女性のインタビューがあったりしたが、それだけだった。
本当のことなのか眉唾だ。
『――今日の深夜から明日の朝にかけて、北海道全域で雪になる見込みです。
昨日から、この時期には珍しい暖かな日和でしたので、寒さがぶり返すことになりますね。
寒暖差が激しくなりますので、きちんと防寒対策をして過ごされて下さい』
「うげ……。夜から冷え込むの……!? これは早いとこ決着をつけなきゃ、凍死者が出るわよ……」
ラジオを消す間際に聞こえた天気予報では、『これから雪になる』という情報が流れていた。
北海道の冬の雪など、それ相応の準備をしていない者にとっては、ロマンチックなものでも何でもない。
何の装備もない人間の参加者はおろか、穴持たずと呼ばれる羆にとっても、命の危険をもたらしかねない自然現象に違いなかった。
夜を越してしまえば、恐らく外気温は軽く氷点下を下回るだろう。
凍死しなかったとしても、碌な防寒装備もない参加者は、暖房のつく家屋の中に避難するしかなく、大きく活動を制限される。
そうなってしまえば、この島は、ヒグマ帝国を制圧したというロボットたちの手に完全に落ちてしまうだろう。
何としても、その前に参加者を救出しきらねばならない。
『……アー、アー、テステス。美琴ちゃん、聞こえるかい?』
「あ、
クマーか。聞こえる聞こえる。アンプもBFO(うなり発振器)も調子はいいわ。ちゃんと可聴音になってる」
『おう。なんだかよくわからんが、チェックが上手くいったなら良かった』
「ええ、バッチリ、島内放送の周波数が空隙になってるのも確認できたわ。
ただ、夜中から雪が降るらしいの。冷え込むと参加者の救出が難しくなるから、そっちも急いでね」
『了解。……ただ、こっちは施設内の確認にもう少しかかる。
先、シャワー浴びて休んでおいてくれないか? 利用できそうな防衛機構がまとまり次第連絡するよ』
「……覗くんじゃないわよ?」
『覗きたいけどそんなヒマねぇよ!! これでも仕事はちゃんとするんだぜ俺は!?』
「はいはいそれじゃあね」
その時室内に聞こえてきた音声は、若干荒いながらも、はっきりとわかるクマーの声であった。
HIGUMAアスレチックの会場のどこかから、彼は放送機器のスピーカーに話しかけているわけだ。
スピーカーから入力された音声を、逆にマイク側から増幅して出力する即席トランシーバー。
有線ではそのまま、無線の機器からは、発信される電波をラジオ備え付けのオシレーターにより可聴音波として検出し、さらにアンプリファイヤーの入出力方向を瞬時に感知・逆転することで形成される、御坂美琴の超能力ならではの応用である。
島内放送の仕組みは、主に災害用の防災無線を転用したものだった。
通電していれば、そのスピーカーは放送の特定周波数帯域の電波をキャッチして、自動的に音声を奏でてくれるわけだ。
恐らく、先の
第二回放送で、地下の研究所の放送室は潰滅したのだろう。
今現在この空間で、その帯域の周波数に居座っている電波が存在していないことは、周波数の目盛を直読しながらラジオを検知していた美琴により、確定されていた。
つまり現在、ヒグマ帝国も、そして事態の黒幕と思われるロボットも、有効な放送設備を有してはいないことになる。
この場の機器を使えばちょっとした演算で放送を行なえる美琴が、この時点で大きくアドバンテージを取っていた。
あとはクマーと
くまモンが、安心して参加者を呼び寄せるに必要な防衛機構を組み立ててくれるのを待つだけである。
「……さてじゃあ、再三言われたし、シャワー浴びて着替えとこうかしらね。
これから放送で呼び掛けちゃったら、ぶっとおし、夜中まで休む時間なんてないだろうしね……」
汗と潮でごわごわになっている髪や制服を掻き、美琴は着替えの衣服を物色した。
何かしらロッカーの中に入っているはずだと踏んでそこを開けた彼女は、中に入っていたものを見て口元を歪ませる。
「……うわ。なにこれ……、センス悪っ」
そこに山のように積まれていたものは、『HIGUMA』とプリントされただけの、何色かの無地のTシャツだった。
マラソンやイベントのたびに量産されるような、安くロゴの入れられるペラペラの薄いやつである。
これから気温が下がってくるというのに、半袖の薄いTシャツでは寒すぎるし、ハッキリ言ってダサい。
しかし、塩だらけの自分の服をもう一度着直すというのは、選択肢として有り得ない。
「せめてジャージとか、野球着とか、有冨さん所の女子制服とか置いてあると思ったんだけど……!
こんなものが作られて大量に余ってるってことは……、ここ、STUDY外の人とかも結構来てたってわけ?」
憶測を口に出しながらシャツの山をひっくり返していた美琴は、ようやくその中から、唯一まだマシと思われる衣装を発見した。
それを抱え上げた美琴はその詳細を確かめ、誰もいない自分の左右を見回した後、今一度それに眼を落す。
「……これ布束さんのデザインよね……! 絶対そうよね……! わは……、はは……。
うん、これ以外、他にないしね。仕方ない。そう、仕方ないのよ……!」
自分に言い聞かせるように何度も頷いた彼女は、にやけた口許と、心持ち赤くなった頬を抱えて、そのままシャワールームへと走っていった。
〔AM:1197kHz(熊本放送)〕
「……なんか思い浮かんだか、くまモン」
――ちょっと待ってほしいモン。やっぱり心許ないモン。
「そうだよなぁ……。ちょっと破壊が酷過ぎるよなぁ」
――全方位を防御するには、人手も足りないモン。
御坂美琴と会話していたスピーカーから離れ、クマーとくまモンは、かつてモンスターボックスと呼ばれた巨大な跳び箱――、優に50段、5メートル76センチを誇る高さの台の上から、辺りを見回していた。
その上には剣山のように、ヒグマの毛皮をも徹す鋭い鋼の槍が設置されていたのだが、今はそれは剥がされてクマーの手に持たれている。
もう一方の手に持たれているのは、自転車のタイヤだった。
ここは、島のA-5エリア、西の崖の際に設置されている『HIGUMA』会場の、南西の一角である。
本来ならばここはその『HIGUMA』の、3rdステージとして存在しているはずの場所であった。
だが周囲には、幾つもの爆発物により破壊されたと見られるアスレチックの残骸しか残ってはいない。
1stステージの『ストラックアウト7』は、そのグラウンドこそ無事であるものの、肝心のストラックアウトのボードは、本来挑戦者を圧殺するためであった鉄球により潰されている。鉄球を吊るしていたクレーンは、これまた爆弾か何かで破壊されていた。
2ndステージの『スパイダーウォーク360』は、その特徴的かつ理不尽極まりない配置の壁面コースがことごとく爆破され、挑戦者を溶かし殺すためにその下に据えられていた硫酸の池も、爆発で吹き飛ばされている。
3rdステージの『モンスターステップ50』は、ギロチンの往復する50連続の足場を、間の槍衾に落ちないように跳び続け、その勢いで50段のモンスターボックスを越え、さらに剣山のような槍のマットに落下しても死なないよう、それを壊すか・躱すか・刺さりながら自己再生するかなどしてきり抜ける。という構成だった。
その中で原型を留めて残っているのは、このモンスターボックスの跳び箱だけである。剣山やギロチンを構成していた鋼鉄素材の幾ばくかは再利用できるのかも知れないが、現状、そんな余裕も能力も使途もない。
これらステージは、実況席のあった『城』を中心として、施設の北東から時計回りに会場を4分割するようにして設置されている。
つまり、残る北西の隅が、本来のFinalステージであった場所だ。
SASUKEであればここは大体が、数十メートルの綱登りであるのだが、このHIGUMAでは、そのステージの名は『ブレイン
ライダー』だった。
今までのステージがことごとく、純粋に肉体そのものの能力を強く試される場所であったのに対し、これはむしろ、そのヒグマたちの頭脳や適応性を試されるものであった。
開始前に、自転車、竹馬、ホッピング、スケートボード、サーフボード、擬似メルトダウナー、逆立ちなど、自分の好みの乗り物を選択し、次々と出題される難問に回答しながら、規定のコースを制限時間以内に、脚をつかず・誤答せずに走破するというものである。
このコースも例に漏れず、ほとんどが爆破され尽くしており、見つけられためぼしいものといえば、クマーの持っている自転車のタイヤくらいであった。
「……辛うじて一番使えそうなのがここの3rdステージの残骸だからなぁ……。どうしようか」
――使える使えない以前に、気にすべきは施設周囲の防衛ラインだモン。
盛り土で高くなっているHIGUMAのステージの、さらにモンスターボックスの高さが加わった位置から、くまモンは施設外の要所を見晴らして指差す。
拠点の位置、人の動線、防衛のアングルと、頭の中に地図を綴りながら彼は語る。
――東側。向こうはB-5の一帯が全て温泉になっているモン。真東から陸路で何かがやってくることは恐らく考えられないモン。
「そうだな。来るとしても、北東か南東から回り込まないと、だだっ広く湧き出している温泉に阻まれるからな」
――その南東から南、南西にかけても、有り難い天然の『堀』があるモン。
「温泉から流れてる川と、滝だな……。海食洞までにかけては、相手側の足を止めてこちらが判断時間を取れる緩衝地帯があるわけだ」
――そして西はすぐに崖。こちらからは、『空飛ぶクマ』でもない限り誰も来ないモン。
「となると、一番警戒すべきは北。特に、真北ではなく、1stステージのある北東だよな」
――そうだモン。とりあえず、無事な槍を運んで、『逆茂木』のように周りに配置しておくモン。壁を転用して『枡形』を切る余裕があればなお良いんだがモン……。
「流石は『武者返し』を誇る熊本のゆるキャラだよな。オッケー、ビジョンは見えた」
――ボクらがここを、『不落城』にしなければならないモン。
逆茂木――、敵の侵入を防ぐべく、先端を尖らせた杭を外に向けて並べた柵のことである。
宇土城址や吉野ヶ里遺跡など、熊本周辺にもこれを用いた防衛機構を敷いていた拠点は多い。
『白川・坪井川・井芹川』、『断崖』、『連続枡形虎口』、『百間石垣』、『武者返し』、『石落とし』など数々の防衛機構を擁し、完成以来無敗を誇った熊本城にも足繁く仕事に通うくまモンには、これらを用いた防衛のノウハウも把握できていた。
取り急ぎ方針が決まったところで、くまモンとクマーは、その高所から踏切板とマットの上に飛び降り、辺りに散らばる鋼鉄の槍を集めた。
そのまま彼ら二頭は、周囲と特に障壁もなく開け放たれている1st、Finalステージの方面に槍衾の逆茂木を設置に行く。
その時ふと、耳の背景に今までずっと微かに響いていた低い周波数が、突然途切れていた。
「ん……!? 交流電源のノイズが完全に消えたぞ!?」
――停電だモン。しかも……、かなり広範囲。全島停電?
50Hzという周波数の北海道の交流電源。
その帯域の基底にあった波長が、その瞬間から完全に消えてしまっていた。
つまりそれは、地下の研究所で一括管理されている電源が、落とされてしまった事を意味している。
――これは、ひょっとするとまずいことになったかも知れんモン。
「え……? ……あ!! そうだよ!! まずいよ!! どうしよう!?」
くまモンが眉を寄せて絞り出した唸りに、クマーが慌てて、にわかに浮上してきた問題に気づく。
「――美琴ちゃんの放送が、島内に伝わらなくなっちまう!!」
全島が停電したということは当然、その電源で動いていた防災無線を始めとする放送機器の類も、使えなくなってしまうということだ。
二頭は顔を見合わせて頷くと、設置途中だった残りの槍衾を手に、中央の『城』に向けて走った。
〔THz:3510GHz(御坂美琴)〕
「……んぇ!? て、停電!?」
その時、御坂美琴は鼻歌を歌いながら、暖かなボディーソープの泡に包まれていた。
シャワールームで束の間の安楽を得ていた美琴の上で、照明がふっつりとその明かりを落としていた。
同時に彼女のパーソナルリアリティには、周辺設備の交流電源が停止したことが描き出される。
一部の故障などではなく、間違いなく停電。
それも、範囲は恐らく全島に及ぶもの。
「わ、わ、どうしよ、どうしよ!? 水道ってまだ出る!?」
スレンダーなラインを描くその体で、腋の下や膝下など、美琴は洗い残していた部分を焦りながらこする。
彼女の脳裏に第一に浮かんだ恐怖は、『停電により水道が止まる』ことだった。
水道の給水方式の中には、受水槽や上水道の本幹から、ポンプで水圧をかけて送っているものも多い。
そういった方式が採用されていた場合、停電時には水道も止まってしまうのだ。
こんな泡だらけの裸のまま、洗い流すこともできないとなれば、待っているのは地獄だ。
美琴は祈るようにして、そのシャワーのノブを回した。
――お湯が、出た。
「ちょ、直結直圧方式……! 温泉地なだけあるわ……、よ、良かったぁ~」
温泉にもなっているその豊富な湧水は、ポンプで加圧せずとも十分、各家庭に供給できるもののようだった。
なおかつ、お湯の方は源泉から直接引いてあるようでもあり、このライフラインが途切れることはそうそう考えられないだろう。
感激に涙を浮かべながら泡を洗い流し、美琴は再び上機嫌に鼻歌を歌いながら、さっぱりとした体をタオルで拭きつつ、シャワールームから上がった。
そうして脱衣所のマットを踏んだその時、彼女はようやく、停電で思い浮かべなければならなかった本当の恐怖に気付いた。
ドドドドドド……。と、地響きのような効果音が、眼を見開いた美琴の周囲に渦巻く。
「――計画してた放送が、できなくなるッ!?」
「美琴ちゃん!! 大丈夫か!?」
「覗くなっつったでしょうがぁぁッ!!」
「へばらっ!?」
次の瞬間、勢いよく脱衣所の扉を開け放って来たクマーに対し、その地響きのような足音で到来を予知していた美琴が、見事な脚線美を描く回し蹴りを見舞っていた。
地に転がり、通路の反対側の壁にぶつかったクマーは、口から血を吐きながら、震える前脚で親指を立てた。
「う、美しいキックだったぜ……、美琴ちゃん」
「いいから早く出ていきなさいよ……!!」
「そのウエストからヒップにかけてのラインがたまら」
「黙れぇええええぇ――ッ!! さっさと消えろ変態ぃ――ッ!!」
顔面を真っ赤にしてタオルを身に寄せた美琴は、シャンプーボトルや風呂桶など、そこらじゅうのものを手あたり次第にクマーに投げつけた。
そこにやってきたくまモンが、顔を伏せたまま静かにクマーを引きずってゆき、そっと脱衣所の扉を閉めてやっていた。
――クマー、心配は分かるけれど、節度を持つモン。
「あ、ああ……。み、美琴ちゃん、着替え終わったら作戦の立て直しな……!」
「解ってるわよ! いちいち変態行動するのだけは、やめてちょうだいよ本当に!!」
「ああ……! 努力してる……ッ!!」
努力してこれかよ。
と、美琴は入念に髪の水分を拭いながら呆れる。
そうして次に手に取った衣服を今一度ながめ、美琴はゴクリと唾を呑みこんでいた。
「……お待たせ」
――うん、それじゃあ一度放送室で……って。
「う、うをぉおおおぉあ!? 美琴ちゃん、どうしたんだその衣装!?」
程なく、美琴が脱衣所から出てくる。
メロン熊との戦闘から溢れっぱなしになっている血を再び腹に飲み下していたクマーは、その美琴を見た瞬間、興奮のあまりそれを鼻血にして再び溢れさせていた。
くまモンも、表情の変わらぬままに、着替えた美琴の姿を見たまま硬直している。
彼女は照れた頬のまま、恥ずかしさを隠すようにふんぞり返って見せた。
「い、いやぁ、長袖の服がこれしかなかったもんだから、仕方なくねー。
これしか着る物なかったのよー。いやー、仕方ない仕方ない」
「うっわ、めっちゃくちゃカワイイじゃん美琴ちゃん……。マジ似合ってるよ。
それ布束さんのやつだろ? 写真撮りたいなぁー、カメラあったら良かったのに……」
「う、ふふ、ふっへっへっへ……」
べた褒めの嵐の中、羞恥心と嬉しさと照れ隠しが綯い交ぜになった美琴は、引き結んだ口元から、こらえきれない変な笑い声を漏らしていた。
いまいち事態を理解できないくまモンは、そんな美琴の姿を指さしてクマーに尋ねる。
――これは……、メイド服かモン?
「違うッ!! これはエプロンドレスじゃないぞ!! これとメイド服を混同するようじゃ、少女ファッションに物申すことなんか許されないぜくまモン!!」
――お、おう……。
くまモンをもたじろがせるような剣幕で振り返ったクマーは、照れ隠しのポーズを取り続ける美琴を指しながら、力説した。
「これは――、布束さん謹製の、『ゴシックロリータ』だ!!」
――ああ、ゴスロリ……。
黒を基調にし、退廃的でシックな雰囲気を醸し出しつつも、抑えに入る純白のフリルが、袖口、胸元、パニエのそこここに遊び、ふんだんにあしらわれた黒いリボンと共に、少女趣味の心をくすぐる絶妙なバランスで仕立てられている。
常日頃、子供っぽく少女趣味の嗜好を持っていながら、人前でそれを明らかにすることを躊躇い続けていた美琴にとっては、大人びたシックさと少女趣味を両立した服を着ざるを得なくなるという状況は、実のところ願ってもないことだったのだ。
美琴の周囲を、機敏な身のこなしで這い回りながら、クマーは感動したようにその衣装を検分していく。
「スカート丈は短いが、パニエの厚みでパンチラをガード!
肩周りの余裕をとったパフスリーブと合わせて、激しい運動も妨げない機能的な服になっている!
だがニーハイソックスとの合わせ技で絶対領域は外さない! ヘッドドレスもイカしてる!
――なるほど、イベントコンパニオン用の服だな!」
もともと『HIGUMA』は、
STUDY研究員の酔狂で作り出されたと思われる施設だ。
実際のところ
古館伊知郎すら呼び寄せていたので、コンパニオンの一人二人呼んで、大々的なイベントをする予定を計画していたとしても不思議ではない。
つき合わされた
布束砥信はいい迷惑である。
――うん、確かにカワイイモン。でも早く次の行動を考えるモン。
「……そうね。一応考えているわ。こいつが心配してくれたおかげで、ちょっとはリフレッシュできたしね」
「うんうん……、この未発達で慎ましやかな胸がマジ尊い……」
「ありがとう、死ね」
くまモンが床に書きつけた言葉に頷き、美琴は一度、クマーに向けて笑顔を見せた。
しかしその直後、やはり最終的にクマーの鼻っ柱に叩き付けられたのは、彼女の鉄拳だった。
床で悶えるクマーを無視して、御坂美琴は息を整え、自分だけの現実に目を落とす。
その万事の空に浮かぶ電離層の厚みを測り、彼女は自身の限界を破るように、集中を始めた。
――こちらは、日本政府より派遣された救援部隊の、御坂美琴です。
――私たちは今、A-5エリアのアスレチックに居ります。
――近くの参加者の方は、是非とも集まってきて下さい。
――人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります。
――返り討ちにしてやるからそう思っとけ。
――こちらは、日本政府より派遣された救援部隊の、御坂美琴です。
――私たちは今、A-5エリアのアスレチックに居ります。
――近くの参加者の方は、是非とも集まってきて下さい。
――人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります。
――返り討ちにしてやるからそう思っとけ!
――こちらは、日本政府より派遣された救援部隊の、御坂美琴です。
――私たちは今、A-5エリアのアスレチックに居ります。
――近くの参加者の方は、是非とも集まってきて下さい。
――人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります。
――返り討ちにしてやるからそう思っとけ――!!
「……キリカちゃん、那珂ちゃん……。ね、聞こえる……?」
耳を澄ませた街の先から、女の子の澄んだ声が聞こえた。
朝昼の放送の時と同じ、何だか間延びした、遠い音だったけど。
今度は聞き逃さなかった。
防災の連絡と同じ。
きちんとした3回繰り返し。
彼女が紡ぐ希望をきっちり耳に刻み付けてくれる、強い声の重なりだった。
「あはは、あそこ、さっき戦いの前に通り過ぎちゃったとこだね……。
でも良かったよキリカちゃん……。今度は、那珂ちゃんも、連れていけるから……!」
青紫色の宝石が、指輪の上で輝く。
確かな息遣いが、耳元を撫でる。
私の指にともる光は、託してもらった魂の光だ。
私の肩にかかる重みは、助けられた命の重みだ。
脚の痛みも、へっちゃら。
疲れなんて、吹き飛んだ。
歩き続けて、歩き続けて。
諦めなかった希望は私たちの目の前に、もう、降り立っていたんだから。
「いくよみんな……! あの川の向こうに……! けって~い!!」
夢原のぞみ、中学2年生。
そのガーリーな私服とは裏腹に、彼女の体は傷だらけだった。
スカートの裾からは、大腿に大穴を開けて貫通した痛々しい傷口が覗いている。
しかしその満身創痍の様相にも関わらず、彼女の双眸に浮かぶ眼光は爛々として曇らなかった。
自らも片脚を引き摺りながら、その肩に彼女は、気を失っているもう一人の少女――軽巡洋艦の艦娘・那珂をも支えていた。
そうして彼女は直射日光の照り付ける真昼の草原を、次なる参加者を助けるため、一分のたゆみもなく街へと歩き通して来たのだ。
一度夢を見据え、決断した彼女の意志を折れるものなど、この地には存在しなかった。
※A-5の周囲1エリアに、御坂美琴の放送の音声が聞こえています。
〔VHF:96MHz(蔵人)〕
一度見据え、実現まで漕ぎつけようとしていたクックロビンの夢は、灰燼に帰した。
ヒグマ帝国のシバと彼が、共に形作ろうとしていたスタジアムとテーマパークは、シバと彼自身の失策のせいで、完膚なきまでに破壊され尽くしていた。
生き残った友もなく。
再利用できる物資もなく。
徐々に萎れ、退いて行った謎の根と共に、ついさっきまで彼の周りを埋めていた幸せは、跡形もなく消え去っていた。
最後に残った穴持たず94・コシミズの死を看取ったあと、彼はふらふらと幽鬼のように立ち上がり、歩み始めていた。
携帯電話などはない。
シバにも、ツルシインにも、誰にも連絡など取れない。
クレイとモモイという、唯一クックロビンが声を掛けそびれた同輩にも、連絡することはできない。
なぜかといえば、物資の足りていないヒグマ帝国では元々、携帯電話やスマートフォンなどはほとんど存在しないものだったからだ。
カーペンターズ以外にもクックロビンがアイドルオタクに引き込んだ者として、穴持たず402というビームを放つことのできるヒグマがいた。
彼は予定通りならば、もう地下から出て、完成したテーマパークのお客第一号になり、ライブの演出を手伝ってくれるはずだったのだが、結局来なかった。
彼が一体なぜ来れていないのか、それを知るための連絡手段もないことは、言わずもがなである。
クックロビンに残された道しるべは、唯一居場所のはっきりしている同胞――ヤエサワ、ハチロウガタ、クリコたちがいるはずの海食洞へ早急に向かうこと。それだけだった。
泣き続ける気力もなかった。
もう、半ば無意識に踏み出されてゆくその歩みが止まったなら、そのまま自分は腐って死ぬのではないかとすら、彼には思えた。
北に途を辿るにつれ、地面は、戦闘か開墾か何かがあったかのように、大きく太い根にほじくり返された様相を呈していく。
その根自体は枯れてしまったのか、もうほとんどが縮れて萎びてしまっていた。
――ああ、地固めしなきゃ駄目だな。
その光景を見て、クックロビンは無意識にそんなことを考えていた。
建築家として、この空き地の上に良い建物を建てるには、荒れている分、地固めをしっかりしなければならないだろうということが、彼には自然に思い浮かべられていた。
そうしてぼんやりと進んでいきながら、はたと彼は気づいた。
――ああ、あんなに急造でスタジアムとかアトラクションとか建てたら、崩れるわ。
この根が何なのかわからない。
何かヤエサワさんが話していたような気がしなくもないが、正直その連絡は話半分に聞き流していたので、やはりわからない。
だが、あのテーマパークを襲った木の根を抜きにしても、この島は、ついさっき津波に襲われたりした危険地帯だ。
そして、地固めもなく、上モノを置いただけの急造で、なおかつ足りない物資で無理やり組んだ粗製の建物では、耐震性も耐火性も何もない。
その脆さは、彼が直前に身に染みて感じたばかりだ。
それこそコントか何かのように、風が吹いただけで倒壊していた可能性すらある。
こんな危ない場所に、そんな危ない建て方で、あんな危ない建物を建てては、ならなかったのだ。
シバさんが、アイドルによる帝国の席巻に賭けていたのは事実だ。
だがそれにしても、わざわざ地上に馬鹿でかいスタジアムを建てる必要なんて全くなかった。
当の星空凛が地下に侵入していて、席巻するべき住民は全員地下にいるんだから、建てるなら地下で造成中の区画の端にでも建てればよかったのだ。
地上は、もう一度津波が来たりしたら一巻の終わりなのだ。
建築には本来うといシバに代り、本当なら自分がその危険性に気づき、進言しなくてはならなかったはずだ。
――浮かれていた。俺が浮かれてみんなを巻き込んだせいで、パクたちは……!
見開かれた眼、真っ黒に焼けた顔の、兄弟子の姿がフラッシュバックする。
あの時、彼や妹弟子が止めようとしてくれた話を真面目に聞いていれば。
あの時、ツルシインさんの連絡通り素直に通路の点検をしていれば。
あの時、シバさんの注文を丸受けしたりせず、せめて実験終了まで待つか、地下での建造を進言していれば。
こんなことには、ならなかったのだ――!!
「うう、ううう――……!!」
呻くように、吐き気を催しながらふらふらと彼は地に崩れ落ちる。
ああ、死ぬ――。
俺は、腐って死ぬ――。
そう思いながら倒れこんだ地面に、何かが置かれていた。
体の下敷きになっていたのは、この島の実験の参加者に与えられているデイパックと、首輪だった。
本来なら、首輪はこんな風に外れたりはしないはずだ。
荷物も放置されているということは、この参加者は、例えばこの木の根から出てきた溶解液に溶かしつくされて、死んでしまったりしたのだろうか。
ひとりでに、涙が溢れてきた。
――こんな危ない場所で、凛ちゃんを歌わせちゃ駄目だろ……。
ここは本当に、殺し合いが行われている場所だったのだ。
今までそんな実感なんて湧かなかったから、星空凛を呼びつけて歌わせるなんてシバさんの案にも平気で賛同できた。
だが、同輩や参加者の死を間近に見てしまったら、もう、そんなことは、できなかった。
『謝礼は、クロードがプロデュースする子に、払ってあげて下さい。ボクは、寛大、なので……』
「どうすればいいんだよ、どうすればプロデュースになるんだよ、コシミズさん……!! 俺はただのファンだぞ……!」
『アイドルファンを名乗る気なら、死ぬ気で、プロデュース、してください……!!』
「ファンとプロデューサーって、別モノなんじゃないのかよ……!? 俺はただ、凛ちゃんの歌が聞けてダンスが見れればそれでいいのに……」
『くれぐれも……、自分の「好い」たアイドルに、こんな歌、歌わせるんじゃないですよ……』
「頼むよコシミズさん……。そんな、謎めいた言葉だけ残して、死なないでくれよ……!」
すぐ傍にいながら自分が気づくことのできなかった、ステルスメジャーな存在からの言葉に、クックロビンは身を起こしながら激しく首を振った。
頬に引かれた彼女の血の線が、クックロビンの体を、呪いのように引っ張った。
昨日の先に捨て去った名前で自分を呼んだ、彼女の呪い。
心を縛り、諦めの沼から体を引き上げてくるその祈りが、彼女の言葉だった。
デイパックと首輪を掴み、彼は呪いを解く祈りを求めるように、またふらふらと歩き始める。
「アイドルって……、アイドルって……。一体、何なんだよ……」
涙を零しながら、同輩から最後に突き付けられた答えの見えぬ難問の正解を求め、彼は途を辿った。
――こちらは、日本政府より派遣された救援部隊の、御坂美琴です。
――私たちは今、A-5エリアのアスレチックに居ります。
――近くの参加者の方は、是非とも集まってきて下さい。
――人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります。
――返り討ちにしてやるからそう思っとけ。
遠くから微かな音の帯が彼の耳に届いたのは、そんな時のことであった。
※A-5の周囲1エリアに、御坂美琴の放送の音声が聞こえています。
〔AM:1197kHz(熊本放送)〕
「……ッハァ! ハァッ、ハァッ……!」
ゴシックロリータの衣装にヘッドセットを装着した格好で、息を荒げた御坂美琴が椅子の背もたれに倒れ込んでいた。
のぼせたような顔で脱力する彼女の部屋のドアが、その時開け放たれる。
「大丈夫だ……! 聞こえたぞ美琴ちゃん……!」
「ああ、良かったわ……。でも、これで、今の私には、精一杯……」
――起動できていたスピーカーは、アスレチック内のものだけだったモン。音が届いた距離はたかが知れてるモン。
「そうだな……。これじゃあ完全に美琴ちゃんが回復したとしても、島内全部のスピーカーに通電して放送するのは無理だろうな……」
半地下の放送室内に戻って来たくまモンとクマーの反応を受けて、美琴は額に浮いた汗の玉を拭う。
全島停電が起きてしまったことを受けて、彼女は全演算能力を振り絞って、通電できる範囲内全てのスピーカーを自身の電力で起動し、放送することを試みていた。
本当ならば、もっと放送する内容を吟味したり、防衛機構が納得のいく状態まで機能することを確かめてからやりたかったのだが、これ以上後手に回るわけにはいかなかった。
とりあえず、周囲の参加者やヒグマたちに自分たちの存在をアピールするに留まってしまったわけだが、やらないよりはマシのはずだ。
美琴は頬を叩いて気合を入れ直し、背後のくまモンとクマーに呼びかけた。
「……電波を送るだけなら少しの電力でできるのよ。何か他に手がないか考えるわ……。
一応、周りには知れ渡ったわけだから、あなたたちは想定通り、避難者や襲撃者が来ないか見張ってね。頼むわ」
――わかったモン。美琴ちゃんは少し休むモン。
「了解。くまモンも言ってるが、無理するなよ」
「ありがと」
疲労感の濃い笑顔で水のペットボトルを取りながら、美琴は二頭にひらひらと手を振った。
城の屋外に立ち去ったくまモンとクマーは、見張り台として設置し直したモンスターボックスへ、踏切板から一気に跳び上がる。
「……で、どう思う、くまモン?」
――島内全てのスピーカーを起ち上げて音声を行きわたらせるには、それこそ発電所並みの電力が必要になると思うモン。手を考えると言っても、何があるか……。
「何人かのグループに分かれて島の各地で、街宣みたいな感じで知らせるとか?」
――それをするにしてもまず、分けられる程度の人手が最低限必要だモン。
「……だよなぁ」
呟きながら二頭が見晴らすのは、半径200メートル程度の境界で、一面に鋼鉄の槍による3,4重の逆茂木・乱杭を施したアスレチック周囲の景色だ。
東は温泉までの際。
西は崖までの際。
南は川と滝までの際。
北はA-4エリアとの境付近までの際。
ヒグマを始めとする敵の侵入を完全に防ぐには心許ないが、最低でも進行妨害の役には立つはずだった。
人が通れるように逆茂木を設置していない道は、1stステージのある北東側に一本、2ndステージから、湯の川に飛び石のように渡れる場所がある南東側に一本だ。
急場しのぎに構築したありあわせの防衛ラインとしては、それなりに形にはなっている。
「……攻められた時にも、あそこの道を塞げば、取り敢えず防衛できるわけだよな」
――地上戦なら。だモン。問題は、『空飛ぶクマ』みたいな、空中から逆茂木を越えて襲撃できる者も一応存在するということだモン。
「……対空防御か……。槍投げくらいしかできないよな、今の段階だと」
3rdステージから剥ぎ取って来た槍を携えて、クマーは唸った。
出会い頭の遭遇戦になるよりは、敵と距離を置いた段階で戦闘準備ができる分いくらかマシであるものの、やはり、実際の戦闘シュミレーションをすると、戦いへの不安は強い。
だがその時クマーの鼻には、嗅ぎ覚えのある匂いが漂ってきていた。
「――あっ、南! 南から、女の子が来るぞ!! あの、海食洞の上で嗅いだ匂いの子だ!!」
――クマーはそういうところでだけは、冴えわたるのかモン……。
「そうだよ!! 伊達にペドベアーしてねぇって!!」
目視するより、くまモンが嗅ぎつけるより遥かに早く、クマーはその人物の微かな匂いを嗅ぎ分け、日差しの中へ走り出していった。
そしてくまモンが2ndステージの端まで追いすがり、温泉から堀のように流れる川の先を見た時、果たしてそこにはクマーの予感通りに、女の子がやってきていた。
〔MF:0.33MHz(夢原のぞみ)〕
私がそこまで辿り着くと、そこは海食洞から出て通り過ぎた時とは、だいぶ印象が違って見えた。
爆発で燃えたような瓦礫がくすぶっているのは同じだけれど、そこと温泉や川の境には、何重にも槍が仕掛けられていて、簡単には入り込めなくなっている。
きっとあの後に、人が来たのだ。
「うおっ、大丈夫かそのケガ!? 待ってろ、今行くから!!」
私が那珂ちゃんを支えたまま川の岸に着くか着かないかという時、早くも向こうから、私に声がかけられていた。
その声と一緒に、川の飛び石を越えて走り寄って来たのは、頭からアンテナを生やして、面白い顔をしたクマさんだった。
そのクマさんは、私の傍に立つや、耳の中から丸めた写真を何枚も取り出して来て、私の顔と照らし合わせ始めた。
「あっ、あっ……! きみ、夢原のぞみちゃんだな!? 放送で呼ばれてた!!
やっぱりあの放送はガセじゃねぇかよ~……!! 本当良かった!! さぁ、こっちだ!!」
「あ、あの……、あなたは……?」
「俺はクマーだ!! 安心してくれ!! 俺は小さな女の子を助けるために来てる!!」
胸を誇らしげに叩き、クマーさんは朗らかな声でそう言った。
彼の言っていることはきっと本当だ。参加してる女の子の写真(キリカちゃんのもあった)を大切に持っているなんて、助けに来てくれた人だとしか思えない。
(いやいやいや、どう考えても変質者にしか思えないだろ!! 頼むから気を付けてのぞみ!!)
なんか頭の中で、キリカちゃんがものすごい勢いで首を横に振っているような気がしたけど、きっと気のせいだ。
そうこうしている内に、私の傍にはもう一人、真っ黒でまるまるとした体のクマさんがやってくる。
あ、このクマさんは知ってる――。
「わぁ……、くまモンだ……! すっごい、くまモンも助けに来てくれたの……!?」
「おお、流石にすごい知名度だよな……。そうだ、こいつも俺らと一緒に、みんなを助けようと動いてる」
着ぐるみのような姿のくまモンは、大きく頷いて、私の体をおぶってくれた。
那珂ちゃんの方は、クマーさんが担ぎ上げてくれる。
「本当、こんな傷だらけでよくここまで頑張って辿り着いたな……!
すぐ手当てしてやるから……! 一体何があったんだ!?」
「木を操る黒い剣士の……、ランスロットさんって人と戦いになって……。
この那珂ちゃんも、あとキリカちゃんも……。何とか、逃げてきたんです」
「……あのバーサーカーから!?」
くまモンとクマーさんは、驚いたような顔を二人して見合わせた。
この二人も、あの人を知っているのだろうか。
気絶している那珂ちゃんや、私が『キリカちゃん』として差し伸べた指輪などを見やり、クマーさんは焦った様子で尋ねる。
「……やつは、きみたちを追っているのか!?」
私は、首を横に振った。
「ううん……。私があの人の木刀を壊した後、ランスロットさんは、消えちゃいました……」
「消えた……」
彼が消えてしまった事よりもクマーさんは、私が彼との戦いで一矢報いていたことに驚いているようだった。
くまモンとクマーさんは今一度顔を見合わせ、歩きながら、私に言った。
「……その話も、落ち着いたら詳しく聞かせてくれ」
「……うん」
「そして、今はようこそ、俺たちの『一夜城』へ」
――『一夜城』。
攻め落とし、燃え尽きたようかのように見えた敵の城を、わずか一晩のうちに味方の城として修復してのけ、敵方の戦意を喪失させ、降伏させたお城だ。
本当はそれは、村人と協力してかがり火を焚き、敵からはあたかも城が焼き落とされたかのように見せたという、知恵のたまものだ。
崩落し、焼けたアスレチックの中心の、やはり瓦礫のような建物の下で、まるで秘密の通路みたいに、半地下への扉が開いていた。
〔THz:3510GHz(御坂美琴)〕
「……すごい戦いの、連続だったのね……。私の喰らった煽りなんてあまいもんだったわ……」
「でも、日本の国から助けが来てるなら、もう安心だよね! 布束さんにも協力してもらえるし! そうでしょ?」
「う゛っ……。うん……」
夜間からの、
浅倉威との戦闘、布束砥信との出会い、ミズクマとの邂逅、バーサーカーとの戦闘などを、夢原のぞみは、手当てを受ける傍ら、御坂美琴たちにざっくりと語っていた。
美琴は、大量のTシャツを裂いて包帯代わりにのぞみの脚の傷を巻き閉じてやりながら、彼女のあまりに純朴な微笑みに呻く。
政府は、美琴たちの派遣以来、静観に徹しているのだ。
なおかつ、黒子達の一行と相田マナがどうなったのかに関しても、美琴に知るすべはない。
「……ごめんなさい。派遣された救援部隊は、私含めて、みんなはぐれちゃったわ……。
クマーとくまモンは、この島で出会った協力者なだけだし。
近海をそんなヒグマが埋めているなら、以降の増援はなおさら期待できないかも……」
――ミズクマが本格的に動いてるなら、外から近寄るのは無理だモン。保証できるモン。
「そうなると、ガンダム、空飛ぶクマ、サーファーあたりのやつも警邏に動いている可能性があるな。空からも介入は厳しいだろ」
「ヒグマ7とか名乗るやつらは、平気でヘリコプターに突っ込んで来たしね……」
のぞみは、美琴とくまモンとクマーの語るその話に面食らった顔を見せるが、すぐに気を取り直して身を乗り出した。
「大丈夫、なんとかなるなる! 美琴ちゃんがさっきやってくれた放送をもーっと広げて、島中に流しちゃえば良いんだよ! 美琴ちゃんの可愛くて綺麗な声、しっかり聞こえたよ!!」
「あ、あはは……、ありがとう……。頑張るわ……」
そのほとんど唯一と思われる解決策を全力でやった結果がアレなのだとは、美琴はとても言い出せなかった。
輝くような期待の視線が、痛かった。
良い手を考えようと思って、美琴は先程からずっと、その代替となる情報伝達手段が無いものかと模索をしていたのだ。
演算能力は休息で徐々に回復しつつあるとはいえ、レベル5の万全の状態になっても、最遠7キロ以上の島の端まで、スピーカーを起動させられるほどの電力が美琴だけで賄えることは考えられない。
こわばった笑顔の裏で美琴の心に渦巻くのは、ずっとその問題一点だった。
のぞみは両手を打ち合わせて、力強く希望に満ちた展望を語り続ける。
「はぐれちゃった皆さんだって、みんな美琴ちゃんみたいにしっかりした人なんでしょ?
きっと島の各地で、みんなを助けるために頑張ってるんだよ!!」
「そうねぇ……。警察の杉下さん。特殊部隊の劉鳳さん。マタギの山岡さん。テレポーターの黒子。
あと、プリキュアの相田マナってメンバーだったんだけどね……」
「え!? プリキュア!? マナちゃん!? 知ってる知ってる!! キュアハートだよね!?」
マナちゃんが来てるなら安心だ~!!
と、のぞみはうきうきとした調子で声を華やげた。
「あー……、そっか、夢原さんもプリキュアなのよね。相田さんとは交流があったの?」
「住んでるところが違うから、そう何回も会ったことはないけど、マナちゃんの堂々とした名乗りとか大立ち回りとかは、ほとんど伝説級だよ!
私も、夢の中で一緒に戦った時とかは、結構ほれぼれしちゃったな~」
「夢の中……?」
記憶に思いを馳せるのぞみの言葉にはよくわからないところもあったが、美琴としては、ヘリコプターをヒグマごと宇宙空間に蹴り上げたり、その環境で平然と殺陣をこなしたりしていたキュアハートを見ているので、その感想には大いに納得できた。
果たして彼女は地上に戻ってきているのか、その時点から疑問が生じはするのだが、夢原のぞみにも認知されているほどの武勇があるのなら、きっとその信頼は確かなものなのだろう。
「マナちゃんは『みなぎる愛』だもん! 私たちもヒグマさんも、両方助けてくれる、すごい力になってくれるよ!!」
夢原のぞみは、切り傷や擦り傷の目立つ顔を、満面の笑みに綻ばせ、力強く言い切った。
その笑顔は、美琴やくまモン、クマーにすら、底知れぬ安心感を抱かせるものだった。
「……わかった。そうよね。彼女たちも信じるわ。そこのシャワーお湯が出るから、今のうちに一度体洗って、ちゃんと休んでおいたら?」
「うん、ありがとう……! 那珂ちゃんのことも、よろしくね……!」
――まだ、その他に外に動きはないモン。大丈夫だモン。
「おう、俺とくまモンが見張っておくから、ゆっくり入ってくれ、のぞみちゃん」
「……おいクマー。見張りにかこつけてまた覗くつもりじゃないでしょうね……」
「ちげーよ!! 見張るのは中じゃなくて外!! 公私混同はしないって!!」
「私事だったら覗くんじゃない……! 信用できないなぁ……」
開け放したドアから外の様子を伺い続けていたくまモンに連れられ、のぞみは負傷した右脚をかばいながらも、シャワールームへと向かって行った。
それを見送り、美琴は、室内に残された、気絶した少女に目を落とす。
裂創の入った額を、シャツの包帯で簡易的に処置されている彼女が、那珂ちゃんである。
「……さて、呉さんが魔法少女で、宝石に入った魂だけで生き残ってるっていうのも驚きだけど。
この、那珂ちゃんって子は、結局……、その、なんだっけ?」
「『艦娘』だろう。放送で、地下で反乱したヒグマたちが言っていたヤツだ。この足回りとか、身に着けてる艦橋みたいなのとかから見て間違いないだろう。
だけど……、ふむ。ふとももの肉感、乳房の弾力……、ちゃんと脈拍もわかるし、やはり体は普通の女の子と変わらんな」
クマーは冷静な考察を呟きながら、柿色のスカートをめくって堂々と下着の付近や胸元を触り始めた。
その余りに自然な動きに、美琴は怒りを通り越して半笑いになりながら彼の頭をはたいた。
耳を掴んで那珂ちゃんから引き剥がし、呆れ交じりに叱責を飛ばす。
「あんた……ッ、あんたねぇ! なに堂々とセクハラしてるわけ!? 頭おかしいの!?」
「何を言ってる美琴ちゃん! 俺は医学的に、彼女が人間の少女であることを確かめてただけだぞ!
やましい気持ちなんて3割しかない!! それも十分、役得の範囲に収まる事柄だ!!」
「あるんじゃないやましい気持ち!! しかも割と多いし!!」
「そこは雄である以上ある程度仕方ないことさ。俺って正直だろう?」
「あぁもう……。その正直さは別のところに活かして……!!」
美琴とクマーが騒ぎ立てていたその時、目の前に横たわる少女は、うっすらとその眼を開け始めていた。
〔MF:2411kHz(那珂)〕
アイドル。
それは那珂ちゃんの、夢だった。
みんなを喜ばせて、みんなに応援してもらい、みんなと一体となる。
艦隊の旗艦、センターのような、一番目立つ、華としての役目。
それが那珂ちゃんの、夢であり。
生まれであり。
仕事であり。
憧れであり。
帰路であり。
行き先だった。
そのはずだ。
でも、私の前には今、誰もいない。
私は、がらんとした、明りの落ちた観客席を前にして、ただ一人立ち尽くしていた。
ついさっきまで、そこには一人、観客がいた。
黒い甲冑を着た、髪の長い、美しい男の人だった。
でもその人は、那珂ちゃんの歌なんて聞いてなかった。
ただの時間潰しか待ち合わせか。別の女の人が会場の外を通り過ぎたら、さっさとそっちに出て行ってしまった。
舞台袖を見る。
そこにも人はいない。
ついさっきまで、そこには一人、スタッフがついていてくれた。
那珂ちゃんと同じくらいの背格好の、ちょっとキツめの女の子だった。
なんだかんだ脇から那珂ちゃんのパフォーマンスに難癖をつけてきたんだけれど、結局その子は、那珂ちゃんの手取り足取り、さっきの男の人の気を惹くために、一緒に演舞してくれた。
それでも那珂ちゃんは、そのたった一人の観客の心すら、掴めなかった。
ただ歌えばいい、踊ればいい、それを真っ直ぐ見てもらえばいい――。
そう思っていた那珂ちゃんの行いは、全く、通用しなかった。
どうすれば良かったのか。
何があれば変わったのか。
それすら、那珂ちゃんにはわからない。
ただ真っ暗な、照明も落ちた人生の舞台の上で、那珂ちゃんは、蹲るだけだった。
『……キリカちゃん、那珂ちゃん……。ね、聞こえる……?』
その時、那珂ちゃんの肩を、誰かが暖かい声と一緒に、支えてくれた。
桃色の髪をした、力強い眼差しの女の子だった。
その子は、自分も脚を怪我しているのに、那珂ちゃんの体を連れて、一緒に舞台の脇へと向かっていく。
舞台を降りて、ホールの分厚いカーテンに近寄ってみれば、外から確かに、女の人の澄んだ声が聞こえた。
よく通る声だ。
最後列のお客さんまで、真っ直ぐに届くような声だ。
すごい。と、素直に思う。
見習いたい。と思う。
一緒に、ステージに立ちたい。と思う。
そうだ。
今まで那珂ちゃんは、自分のことしか考えて来なかった。
独り善がりなソロライブで、十分、お客さんを湧かせられるのだと。
甘い。甘い。
低レベルな考え方だ。
前世じゃ、長い下積みと、地方巡業の連続だったじゃあないか。
生まれ変わったらさぁメジャーデビュー、なんて上手く、世の中行きはしない。
低レベルなら低レベルなりに、しっかり先輩の後について、鍛えていかなきゃいけないんだ。
気づけば手には、マイクがあった。
元帥閣下から下賜された、探照灯のマイクだ。
期待だけは十分すぎるほど受けてる。
装備するのはとびっきりの笑顔。
もう一度頑張るんだ――!
那珂ちゃんは、勢いよく、その黒いカーテンを開けた。
「……お、起きたぞ。大丈夫かー?」
そうして眼を開けた那珂ちゃんの視界に真っ先に飛び込んできたのは、電探を装備したヒグマだった。
間違いない。
頭からアンテナが生えている。
「……13号対空電探だ。しかも本物の」
「ん? 対空電探……?」
そのひょうきんな顔のヒグマは、そう言って首を傾げたので、那珂ちゃんは起き上がって、それを説明してあげた。
那珂ちゃんたち日本海軍は、このアンテナを世界に先駆けて発明した国でありながら、お恥ずかしいことに、イギリス軍が使用している『Yagi』の正体を、向こうの捕虜から聞き出すまで知らなかったという歴史がある。
このヒグマさんが知らないのも当然だろう。
「これ、『八木・宇田アンテナ』だよ。私たちの使うようなミニチュアじゃないから、メートル波の送受信で、単独でも50キロ先までの機影は確認できるかな……?
でも110キロあるから、本物サイズだと重いよね。どこに本体……。あれ? アンテナ刺してるだけ?」
那珂ちゃんたち艦娘は、前世で積んでた装備を小型化しているからそれほど重くならなくて済むが、このアンテナは実際に軍艦時代に積んでいたサイズだ。
いくら小型電探とはいえ、さぞ重いだろうと心配になって、そのヒグマさんの肩に手を置いて背中を覗き込んだりしてみたのだが、アンテナ以外の部品は見当たらなかった。
「う、うわあああああっ!! そうよ、『アンテナ』よ!! 今のあんた『アナログマ』状態だったんじゃない!! 灯台もと暗しだったわ!!」
「ほぎょぉおおおぉおぉ!? み、美琴ちゃん、い、痛い! 痛いって! 何かでちゃう! アンテナでちゃうぅうぅうっ!!」
その瞬間、まごついていたヒグマさんに、後ろから狂ったように興奮した声を上げて、黒装束の女の人が飛び掛かっていた。
ヒグマさんの頭蓋骨から脊髄にかけて刺さっていたらしい八木・宇田アンテナを、その子は容赦なくずるずると引き抜いていく。
フリフリとした装飾の多い黒装束の子は、けいれんして倒れたヒグマさんを捨て置いて、アンテナを手に、爛々と見開いた眼を光らせた。
「ふ、ふふ……。これで、ピースが一つ揃った……! まだ完全じゃないけど、これで『次の手』に届くわ……!!」
なんか怪しい表情で笑っている。
ざんぎりの茶髪に黒い服、駆逐艦の子たちがよくやってるような、下着の見えそうな短いスカート。
手に持ったアンテナは、呪術師の持つ杖のように、滴る脳脊髄液でてらてらと光っている。
その衣装や佇まいを合わせて考えるに、この子はきっと西洋黒魔術の儀式とかをしようと考えているのに違いない。
怖い。
絶対にアブナイ子だ。
「……あんた」
「ヒィッ!?」
そしてその子は眼光をそのままに、たじろいで壁に張り付く那珂ちゃんに向けて鋭く振り返っていた。
つかつかと歩み寄られ、肩に手が置かれる。
恐怖に竦んで声も出ない那珂ちゃんに、その子は一気に声を柔らかくして、穏やかな微笑みを向けていた。
「……やっぱり、海軍の軍艦だったってだけあるわね。
あんたのおかげで、みんなを助けられるわ。ありがとう、那珂ちゃん……」
「ほえ!? はえ!?」
何か、身に覚えのない感謝をされているが、正直、状況がよくわからない。
そして何より驚くべきことに、那珂ちゃんはそのよく通る彼女の声に、聞き覚えがあった。
「おでこの傷以外は……、うん、見た感じ大丈夫そうね。お水でも飲んで落ち着いたら、あんたもシャワー浴びてきたら?」
「あ、あの、あなたってもしかして……。さっき、放送で喋ってた人!?」
「ええそうよ。聞こえてた?」
彼女はにっこりと笑みを深め、夢うつつの中で聞いた澄んだ声で答える。
那珂ちゃんは手を掴まれ、その子に激しく握手をされていた。
「私は御坂美琴。あんたの話も後で聞かせてちょうだいね」
「は、はひぃ……」
那珂ちゃんが見習いたいと一瞬でも思ってしまったのは、こんな魔女みたいな様相の子だった。
果たしてこの先、自分の人生は大丈夫なのだろうかと、我ながら那珂ちゃんはそう思った。
〔VHF:96MHz(蔵人)〕
「うっ……、マジだ……。なんかものものしい警戒をされている……」
彼が、海食洞に向かうことを考えてその場に辿り着いた時、目に映ったのは、明らかに戦火に包まれたと思しき『HIGUMA』アスレチックの残骸である。
しかし、温泉から流れる川を挟んだその領域には、はっきりと抗戦の意志を示すように外へ向けて据えられている、槍衾の叢があった。
『人間に殺意を持ったヒグマは、迎撃する用意もあります』と、人間の少女が流しているらしい放送が聞こえていたが、どうやらそれは事実のようだった。
「これは……、海食洞降りれるかなぁ……。アスレチックにあんまり近づかないようにしとかないと……」
もともと彼は、ヤエサワたち同胞に合流することを目的にここまで来ていたのである。
流石にこれ以上近づくのは危険だと判断して、彼はそのまま西の崖を直に、滝の裏まで降りて海食洞に行くことを決断していた。
その時である。
何かが、『HIGUMA』の中心部付近で日差しにキラリと光った。
熊だ。
一頭の真っ黒なヒグマが、何かを彼に向けて、空中へと投擲していた。
「ヒッ――!?」
即座に、恐怖を感じた彼が崖の方に逃げ出そうとすると、その逃げようとした目の前に、一本の鋼鉄の槍が突き刺さる。
続けざまに、彼の横、背後と、次々に投げ槍が突き立っていき、彼の行動を封じた。
――西の天草。
風に紛れるような押し殺した発音が、その時彼の耳に届いた。
振り向けば、真っ黒な毛並みのヒグマが、川に張り出した槍衾の上から、こちらに向けて踏み切ろうとしているところだった。
――『天門橋』。
次の瞬間そのヒグマは、一足飛びに彼の真横まで降り立っていた。
それは鋼鉄の槍の一本を彼の心臓に突き付け、一切の感情を見せぬ無表情のまま、押し殺した低い声で詰問してくる。
――お前は、何者だモン。
彼は、背の毛を粟立てた。
答える名に、窮した。
〔LF:1000hHz(H)〕
「パワーミックス工法及びルーツストップ、全工程完了です。お疲れ様でした!!」
「お疲れさまッした!!」
「お疲れ様でした!!」
ヤエサワ(八重沢)、ハチロウガタ(八郎潟)、クリコ(九里香)という名の穴持たずカーペンターズは、揃って作業完了の挨拶を交わしていた。
島の地下に蔓延っていた童子斬りの根へ、彼ら3頭はひたすらに誘導と裁断を繰り返していた。
樹木の根上がりを阻止するために、意図的に地下へ空隙を確保して誘導するパワーミックス工法。
そして、根の進行を食い止めるために一定領域に防根忌避剤の被膜を張るルーツストップ。
相反する工法を同時に活用し、彼らは見事に、地上への根の進行を防ぎ、地下での根の被害を軽減しきった。
A-5エリア近郊の地上が無事で済んだのは、確実に彼ら3頭の功績である。
彼らは作業完了を喜ぶのも束の間、工事資材の後片付けをして、海食洞から研究所方面への道を戻り始めた。
「さて……、この樹の本幹の枯死は確認できたから、一度ツルシインさんのところに降りて指示を仰ごう」
「私、作業完了報告だけ通信打っときますね」
「多分、通路の再点検と防水・保守工事ってことになるよなぁ。俺たちが全力で当たってこれだから、島の南西部は相当土地が荒れたと思うぜ?」
「そうだね……。クロードは大丈夫だろうか。昨日からぼくに対してアイドルがどうとか、わけのわからないことを口走っていたんだが」
「ああー……、南西部はあいつの担当範囲も入ってたな。なんか突然改名したしなぁ、あいつ」
一行を先導するヤエサワが口にした不安に対して、ハチロウガタが宙を仰ぎながら応える。
クリコは、キングヒグマの粘菌通信に報告を打ち込んだ後、彼らに明るく語り掛ける。
「いやいや、みんな心配し過ぎよ彼のこと。クロード改めクックロビンも、流石にそんな馬鹿なことしないって。シバさんと一緒で、ただのお茶目なジョークよ」
「そうだよなぁ。殺し合い真っ最中の地上に、人間のアイドルのスタジアムを建てて、ヒグマ帝国の住民を全部呼び寄せるとか、流石にあいつでも、ただの冗談だよな」
「絶対そうよぉ。そんなこと、本当だって言われても信じられるわけないじゃない。
私は個人的には、結構彼のこと応援してるけど。真のアイドルファンなら、そんなこと絶対にしないって、わかるわ」
その心配を杞憂だと笑い飛ばすクリコに、ヤエサワはふと思い至ったように問いかけた。
「……そういえばクリコは、コウカとクミヤとコシミズと一緒に、アイドルを目指してるんだったっけ?」
「わ!? 何で知ってるのヤエサワさん。結構ひっそりと特訓してたのに」
「ドウミキから聞いたんだよ。仕事にもトレーニングにも熱心だって、彼、応援してたよ~」
「ああ、さすがにドウミキの観察力はすごいわ……。グループ名は、『四元素工芸楽団』っていうのを考えてるの。
各々特化した技能を、パフォーマンスにも活かそうと思っててね」
「それはすごい。実験が終わって平和になったら、是非ぼくも見てみたい。
艦これとかいうものと一緒に、全員で楽しめるようになるといいね」
「ええ、楽しみにしてて下さい。それまでの間はお仕事一筋、頑張るわ」
ヤエサワとクリコの会話に、ハチロウガタは首を捻った。
「クリコ。お前がアイドル目指そうとしてるのはまぁええやな。だがそうしたら、なんであいつの、勝手に資材使ってアイドルスタジアム建てるとかいう計画が、冗談だと言い切れる?
そんくらいあいつはやらかしそうな危うさも感じてるんだが」
「だって、そんな不当なことで応援されても、アイドルとしては嬉しくないから。
それに、クックロビンが好きなのは、実験の参加者なんでしょ? だったらまず、彼女の安全を確保して脱出させてあげる方法を考えるのがファンだと思うわよ。
多分、こうやってカーペンターズじゅうに計画を言いふらしてるのは、彼の高度な目くらまし。
そうやって地上に『彼の者』の注目を集めてるうちに、地下からこっそり彼女を脱出させようとしてるんだと思うわ」
「ああ! なるほど。それなら、同じく禁止された実験への介入でも、だいぶ応援したくなる度が違うわ。
あいつ意外と頭良かったんだな。そうかそうか」
「なるほどねぇ。じゃあ、もう一度クックロビンに会ったら、今度は相談に乗ってあげよう」
クリコの返答に、ヤエサワとハチロウガタは揃って納得する。
その瞬間、フッと彼らの周りの背景を形作っていた周波数の一部が消え去った。
50Hzの交流のノイズ。
全島が、停電に陥っていたのだ。
「おお、これは、示現エンジンが落ちたな」
「そうね。たぶんツルシインさんが止めたんだわ。あの木の根は、エンジン目的に入って行ってたみたいだから」
「うん。安全対策上必要な処置だね。とりあえず想定した最悪の結果は防止できたわけだ。安心安心」
苔の明かりだけが頼りの暗がりの中を、彼らは安堵した様子で、通路の破損状況をチェックしながら戻っていく。
そうして、彼らが研究所の中央部にまで辿り着こうとしていた、その時である。
突如、自分たちに向けて高速で接近してくる、人間と機械の入り混じったような臭いが感じられた。
「ん……、人間!?」
「布束特任部長じゃ、ない。あと、四宮さんでも、捕虜の人たちでも、無いな」
「あ、『カンムス・タツタ』って人じゃないかしら。艦娘とかいうのは、船の装備を持ってるらしいし、新たに協力してくれるらしいことが通信にあったから」
「ああ、なるほど」
先頭のヤエサワが、クリコの閃きに納得して微笑んだ瞬間、彼の頭部は風切音と共に首から落ちていた。
「は……?」
「え……?」
カツ、カツ、と。
自分たちの背後にまで一気に通り過ぎた陣風が、天井でそんな爪音を立てた。
振り向いたハチロウガタの眼には、天井の暗がりにわだかまる、赤い髪と黒い体をした、人間の少女のようなものの姿が映っていた。
「闖入者……ッ!?」
担いでいた砂礫の袋を構えて彼がその者の攻撃を防御しようとした時、その少女は、口を大きく開いていた。
クリコの眼に焼き付いたのは、そこから一瞬にして射出される薄紅色の巨大な光線と、それに飲み込まれるハチロウガタの姿だった。
そして次の瞬間彼女は、ヤエサワとハチロウガタを一瞬にして殺害した、少女の姿をした何かと目が合う。
光の無いその瞳孔が、真っ赤な髪を垂れ下げて、天井から自身の爪でぶら下がっていた。
再びそれの口が、カパッと音を立てて開いた。
「――『縦の風工法』ッ!!」
咄嗟にクリコは、自身の足元を踏みつけていた。
童子斬りの這い回った床面に亀裂が走る。
同時に、彼女は勢いよく後方に跳び退る。
瞬間、突風が天井から床に向けてに吹き下ろされた。
その強風により、天井から少女の姿は叩き落とされ、同時に、彼女の口から放たれていた光線もクリコの着地点の手前に落ちるに留まった。
地上と地下の温度差を利用して風圧を起こす、換気用の工法がこれである。
だが、地面に衝突した少女は、一瞬たりとも停止しなかった。
腕だけの力で跳ね飛び、一回転しながら、それはクリコに再び躍りかかった。
「くっ――!?」
横に倒れるようにしてその爪を避けたクリコがいた場所で、深々と壁が三本爪の形に抉れ返る。
翻った少女は、地に倒れたクリコに向けて、連続して爪を振り下ろしてゆく。
通路の床面が次々と砕かれる。
転がって躱すクリコは、一瞬だけ息を吹いて、その前脚を床に叩き付けていた。
「『エア・デス工法』!!」
瞬間、振り下ろされた少女の爪は、地を砕くことなく、床に弾かれた。
地層に微細な空気を注入し、土の強度や剛性を損なうことなくそのクッション性を高める工法がこれである。
その隙をクリコは逃さなかった。
「シャアッ!!」
振り下ろしの反動で跳ね上がった少女の体を狙い、彼女は勢いよくその前脚を振るった。
過たず捉えられた少女の首は、バキリ、と音を立てながら明後日の方向に捻じ曲げられた。
「やった――」
と、思ったその瞬間である。
少女の腕が、首の折れた状態のまま、手刀を作って振り下ろされていた。
そしてそれは、クリコの前脚を、豆腐でも切るかのようにすっぱりと断ち落す。
そしてそのまま、たたらを踏んで下がるクリコの体を、その少女は両手で掴み取っていた。
「あ――」
クリコが喉を鳴らした瞬間、折れたはずの少女の首が、ごりん、と音を立てて元に戻り、その口から綺麗な牙を覗かせる。
クリコが最期に見たものは、その少女の、あまりにも虚ろな双眸だけであった。
『H』――。
そう呼称される、少女だったはずの何者かは、何の感慨もなく3頭のヒグマを殺滅した。
『H』はそのまま、穴持たず95・クリコのボイストレーニングで鍛えられた喉に食らいつき、その血液を啜り尽くす。
そのさなか、研究所の先、北の方で、落盤が発生するような轟音が立ち鳴っていた。
『H』はその音に、濃いピンクの髪を振り立たせて顔を上げる。
辺りを見回した『H』は、自分のいる海食洞への道に、外へと向かって続いている体臭があることを捉える。
真っ黒なボディースーツを身に纏った彼女は、犬のように四つん這いとなってその臭跡を辿り、ついには海食洞へと出ていた。
鼻をひくつかせる『H』の思考回路には、そこから宙を飛んで地上へと出てゆく、二人の少女の匂いがはっきりと浮かび上がる。
その内の片方の匂いを、かつて『H』は嗅いだことのあるような、そんな気がした。
夢の中での出来事のような、全く輪郭の無いおぼろげな感覚。
そのため、『H』のその後の行動に、この感覚は一切の感慨を与えはしなかった。
【穴持たず83・ヤエサワ(八重沢) 死亡】
【穴持たず86・ハチロウガタ(八郎潟) 死亡】
【穴持たず95・クリコ(九里香) 死亡】
※穴持たずカーペンターズ(ヒグマ帝国建築班)は、穴持たず96を残し、全滅しました。
最終更新:2015年03月16日 17:22