きみが壊れた(問)
「すっげ……、これ一面、涙子がやったのか……?」
「私だけじゃないわ。初春が協力してくれたからできたの」
天龍さんの嘆息に、私はそう返す。
目の前には息を飲む程に広大な、氷河が広がっていた。
「近頃の女学生はこんな特殊技能まで学校で習ってるのか。大変だな」
「天龍さんたちも大概じゃないの……?」
「俺たちは仕事でやってるんだ。年端もいかない普通の子がやっていいもんじゃない」
天龍さんは、私と同年代にしか見えない年恰好を棚に上げて、そう言った。
金剛さんの遺体を埋葬して、私たちはC-4の百貨店への帰路を辿っていた。
無事帰還の連絡のために発煙筒を一本焚きながら、皇さんと私は先行していた天龍さんたちにすぐ追いついた。
ヒグマ提督という例のどうしようもないヒグマが、依然としてべそをかきながら、
天津風さんと島風さんという少女たちにずるずる引きずられていたからだ。
そいつは皇さんと私がもう金剛さんを抱えていないことを見ると、口をへの字にして、喚くのをやめた。
金剛さんは、もう帰って来ないのだと、そう解ったのだろう。
その後はただ魂の抜けたように呆然となって、脇の天津風さんに連れられるがままに歩くだけだった。
「大分溶けてるわね……。滑る……」
津波だった氷は丘のような斜面になっており、この日差しで溶けた表面から砕け、流氷のように少しづつ流れ出していた。
北岡さんが外に出た段階では、まだ引ききっていない津波の水が被る方向に流れていた場所もあるようだけど(それで北岡さんはあの小さな斑模様の動物を拾ってきたわけだ)。
今となっては、3~5メートル近く地面より高い百貨店近辺の氷の頂きから、溶け出す水が周囲1エリアへ氷上を薄く流れ落ちてゆくという、意図せぬ丘城の防衛機構のようになっている。
特にその縁であるここの急斜面は、軽く壁か塀の趣だ。
背の高さまでは無いが、流石にこんな革靴ではとても滑って登れない。
剥落するかもしれないし、手を突いてとっかかりを探るのも厳しい。
「……」
そんな私の隣で、皇さんが無言のままその氷上に四肢を突いて登り始めた。
トカゲのようなひだの付いたその掌と脚の裏が、吸い付くように濡れた氷を捉えて、彼は何の苦も無く氷の上に登って、私の前に手を差し出していた。
そう。この氷の塀も、皇さんならば楽々攻略できるのだ。
差し出される皇さんの手には、すべすべとしたひだがあるだけ。
初春とか他の人が見ても、彼がこうした壁面を移動できる理屈は、わからないかも知れない。
だがそこを覗き込んで、私にはわかった。
彼の掌の中に吸い込まれるように『自分だけの現実』の視界が動き、私の掌の中にあるものと非常に似通った構造がそこに見えてくる。
幾憶、幾兆にも上る、顕微鏡でも捉えられないほどの微細な毛。
壁の構成物質と分子レベルで接近することにより生まれる僅かな力を、億兆京那由他阿僧祇に束ねて生み出される巨大な引力の源。
『分子間力(ファンデルワールスりょく)』という物理現象を最大限に利用する機構がそれなのだと、私には理解できた。
そこを覗き込んでいた私はふと、その毛が回っているのを見る。
くるくる回って、笑っていた。
よく見たらそれは、私の掌に回っている、顕微鏡でも捉えられないほどの微細な月だった。
金剛さんの血の臭いのする、ほそほそと歪んだ月だった。
「ひっ」
「――よし、皇に続いて俺も」
私は思わず、伸ばしかけた右手を引っ込めていた。
隣で天龍さんは、私のその動きに気付くことなく、氷の上に自分の刀をピッケルのように突き立てて、靴の踵の舵板のような部分をツメのように使い、一息に斜面の上に駆け上がる。
そうして彼女も、私に向けて手を差し伸べていた。
「……ほら。これくらいさっさと登りなさい」
「なんでこんな氷張ってるんだよ……」
「そりゃ拠点防衛のためでしょうが。ほら飛び越えるつもりで行った行った。ぐずぐずしてると尻ひっぱたくわよ」
「い、痛い痛い!! もう叩いてるじゃんかぁ……!!」
「良かったわねぇ、艦娘に何度も触ってもらえて」
更に横で、氷の上をわざわざ登らなくてはならないことに愚痴をこぼしていたヒグマ提督を、天津風さんが追い立てて登らせていた。
手足の爪で必死に氷を掻いて、彼は氷をよじ登る。
「佐天さん、手ぇ怪我してるみたいだし、荷物持ってあげるわよ?」
「あ……、ありがとう天津風さん」
天津風さんは、私が皇さんの掌から退いたのを見ていたのか、私のデイパックを預かってくれた。
そして彼女は『連装砲くん』という大砲の砲身を氷に突き込み、そのまま棒高跳びのようにして、私たちよりもさらに丘の上へ高く跳び上がっていた。
そして彼女は、氷の丘の下へ振り向いて、まだ後ろに残っている一人に呼びかける。
「ほら、島風も早くしなさ――」
「天津風おっそーい」
ポヒュッ。
と、私の背後で、空気が収束するような音が聞こえた瞬間、氷の上の天津風さんの更に奥の空中に忽然と少女が出現し、靴音を立てて着地していた。
金の長髪をなびかせて振り向いたその少女、島風さんは、無邪気な笑みを浮かべていた。
「にっひっひ、ジャンプ競走も私の勝ち~!」
「強化型艦本式缶のムダ使いじゃないの島風……」
「ほらどうした涙子。早く登ろうぜ?」
瞬間移動した島風さんに天津風さんが銀髪を振って呆れていたその時、天龍さんが目の前で手を振った。
左側に天龍さんの手、右側に皇さんの手がある。
両手でそれぞれの人に、掴まろうとした。
でもその瞬間、皇さんの手から、血の臭いがした。
「――ッ」
「っとあぶねぇ。……怪我痛むのか?」
「……ご、ごめん。大丈夫」
掴んだ手が離れそうになって、慌てて二人から救い上げられる。
天龍さんは、私が皇さんから離した右手を見て、そう訊いた。
右手には、あのロボットに折られた人差し指と中指を中心に包帯が巻かれている。
確かに痛むけれど。
それが離した理由では、なかった。
氷上に引き上げられた後、皇さんと目が合って、私はすぐに彼から目を逸らす。
彼に握られていた手を、振りほどいた。
「……」
一瞬だけ見えた皇さんの顔は、いつもと全く同じ無表情だった。
私に違和感を感じているのかいないのか、それすらわからなかった。
「あっちの建物でいいんだよな皇」
「はい。6階建ての百貨店であります」
そしてもう彼は天龍さんと共に、尻尾で発煙筒を持ちながら氷上の一行の先導に戻ってしまっていた。
「――佐天さ~ん!! 皇さ~ん!! おかえりなさ~い!!」
氷の上を踏み戻り、暫くして見えてきた百貨店の屋上からは、初春や北岡さんが身を乗り出して手を振っていた。
私は彼女たちに無理矢理笑顔を作りながら、手を振り返すので精一杯だった。
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「入り口が塞がってるから……、ここの窓から入ってね」
佐天はそこを指し示しつつ注意事項を話そうとした。
「で、入る時には――」
「私がいっちばん乗り~ぃ!」
だが彼女が一同に向き直ったその時、島風が佐天の話を聞かず、ひとっ跳びにフロアの中に上がり込んでしまっていた。
その瞬間である。
島風の顔に、腕に、露出した皮膚に、幾条もの細かい血の筋が走っていた。
「ひゃっ!? 痛ぁぁ――ッ!?」
「し、島風ちゃん!? 大丈夫かぁあッ――!?」
「わ、突入しちゃダメだって――!!」
佐天の制止を聞かず、フロア内で痛みに踊る島風に向かい、ヒグマ提督が飛び掛かっていた。
そのヒグマの巨体は島風に届く前に、窓枠を越えるか否かの場所で何かに脚を引っかけた。
彼の脚は窓の下部に張られていたテグスをぶちぶちと引き剥がしつつ、その勢いで自身をつんのめらせる。
窓全体に伸びたテグスに連なる鳴子のベルがガラガラと音を立て、フロアに激突した彼に続いて床に落ちていた。
天龍と天津風は瞠目し、佐天は目を覆う。
アニラは申し訳なさそうに鼻の頭を掻いた。
「……皇さんがトラップ仕掛けてるから、よく見てって言おうとしたのに」
佐天が呟く傍ら、天津風はすぐに、地面に倒れて呻くヒグマ提督の背中を踏みつけながらフロアに上がり込んだ。
その先で見えない何かに絡まれて痛みに踊る島風をなんとか落ち着ける。
「やぁっ……、髪っ、髪にも何かいるぅ……!!」
「じっとしてなさい島風! 今取ってあげるから……!!」
島風の肌や髪に引っかかっていた何かを慎重に外して、天津風は島風をフロアの奥に押しやった。
彼女は指に摘まんだその物体を見て唸る。
そして、倒れ伏すヒグマ提督の方に振り向き、彼女はそのあらましを理解した。
「蚊針と、細い釣り糸で作った『蚊幕』ね……! こんなの意識してなきゃ見切れない。
さらに窓際には一面、
侵入者の脚にちょうど引っかかるように鳴子が設置されていた、と。
私も偽装は得意だけど……。鉄条網代わりに忍術まがいの防御網とは。見習いたい機転だわ」
島風に絡んでいたのは、優に十数個にものぼる、大きめのホコリか、蚊やハエのように見える毛玉のようなものだった。
それは毛を持たせて小さな昆虫に見紛わせる、蚊針と呼ばれる釣り針の一種である。
天上からテグスで吊られたそれらの幕は、眼の良い者でも一瞬、蚊柱が立っているようにしか見えない。
そうして不用意に入って来た者の体を針が刺し、テグスを絡みつかせ、その動きを制限するというわけだ。
なおかつ、侵入者がまず引っかかるのは、ヒグマ提督が見事に実例を示してくれた鳴子である。
大音声を鳴らして上階までその侵入が知らされ、焦った侵入者は蚊幕に懸って動きを封じられ、待機組は悠然と掃討準備をしつつそれらを討ち果たせる、という体制だったわけだ。
「うもー! 痛かったぁ! ぷー!!」
両腕をばたつかせて怒る島風に、天津風は廊下の端にテグスを束ね、溜息を吐いた。
「……ごめんなさいね。うちの島風と提督が迷惑かけて」
「あーもういいわよ。ね、早いとこ上あがりましょ。初春たちも待ちくたびれてるはずだから」
佐天も溜息を返して、フロアの奥に上がり込んでゆく。
天龍は続けて窓を越えようとしながら、そのトラップを仕掛けていたというアニラに振り向いた。
「なぁ皇……、これ、再設置しといた方がいいよな……?」
「……」
アニラは無言のまま肩をすくめた。
先行する女子たちは、既にヒグマ提督を引き摺りながらフロアの奥に消えていっている。
天龍は首を捻りながら頷いた。
「……まぁ後でにするか。今は部隊の合流が先だよな」
外された蚊針と鳴子は、そうして放置された。
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「佐天さんも皇さんもお疲れ様でした! そして天龍さん、天津風さん、島風さん、ヒグマ提督さん、これからよろしくお願いしますね!!
皆さんのために、簡単にですけどお食事も用意しておきましたので!!」
「うおっ、すげぇな……!」
「伊太利の会食みたいね!」
「おぉ~、おいしそーう!」
エレベーターに乗って屋上へやってきた一行を、初春は満面の笑顔と食料で出迎えた。
百貨店に待機していた組と互いに軽く自己紹介を済ませた天龍たちの前に提示されたのは、発煙筒1本による帰還連絡を見てから初春が腕によりをかけて作った、テーブル一面のカナッペである。
保存の効く食材しか使用できずとも、スライスしたパンに、缶詰のパテやツナやクリームチーズを載せて、瓶詰オリーブやサラミ、フルーツカクテルなどで彩れば、途端に戦闘糧食も華やかになった。
さらに3人の艦娘の眼を釘付けにしたものは、初春が彼女たちに手渡した、カップ入りのアイスクリームである。
「こ、これ……!? なんでこんなところに『アイス』がッ……!?」
「この真昼間の日差しに汗ひとつかいてない!? 全く溶けてないわ……!!」
「う~ん、冷たくておいひい~!!」
「あ、下から持ってきた後、ずっと私が『定温保存』してたので。
最中とか羊羹とかメロンとかも取ってきてるのでお好きに召し上がってください」
初春の用意した心づくしの品に、3名はいたく心を打たれた。
戦火の只中とは思えぬ華やかな食事と、懐古の感情を揺さぶられるような甘味の様に、特に天龍はアイスを掻き込みながら涙ぐんですらいた。
天津風も洟を啜りながら、笑う。
「あはっ、天龍、何も泣くことないでしょ……」
「うるせぇ……。金剛以外にも、俺にはこの島で一緒に戦ってたヤツがいたんだぞ……?」
「そう、よね……。生かしてもらってるんだと、実感する味よね……」
「初春ちゃん、おかわりない!? おかわり!!」
「はいどうぞ、お好きなだけ……」
「おうっ、おうっ!!」
ひと匙ごとにその味を噛み締める両者に対し、疾風のようにアイスを平らげた島風はビーチパラソルの下で更なる食べ物やお菓子を次々と喫食していく。
様相は異なれど、食べ進むごとに三者の気力はみるみる充溢していき、その晴れやかな気迫が日差しにキラキラと輝いているようにすら見えた。
「……それはそうと。本当によろしくしちゃっていいわけ? こんなヒグマと」
「うむ。本当に大丈夫なのかね。こんなヒグマを連れ込んで」
「は……はが……」
対して、やってきた一行の中のヒグマ提督には、屋上のど真ん中で先程から北岡秀一とウィルソン・フィリップスがずっと自身の得物を突き付けたままである。
口の中にギガランチャーの砲口を突き込まれ、心臓の脇にガブリカリバーを添わされ、ヒグマ提督は二名の男性陣からじっとりと睨みつけられていた。
更にはその横にひっそりとアニラが佇んでいたりするので、ヒグマ提督はほとんど身動きも取れない。
初春は隣で軽くカナッペをつまんでいる佐天に尋ねかける。
「……どうなんですか佐天さん?」
「ん? 暴れる心配はないと思うんだけど。……そうよね天津風さん」
「ああごめんなさい、つい美味しくて夢中になって……。はつはる……、いや、『ういはる』さんだったわよね」
「ええそうですけど。どうしてまた?」
「いや、知り合いにあなたと同じ漢字の子がいるのよ。……まあそれは置いといて」
洟を啜り上げた天津風は、初春と佐天からの疑問の視線に顔を上げた。
上げながら、自身の食べているアイスに手を伸ばしてくる島風をはたいた。
「提督は私たち艦娘がしっかり見張っとくから安心してもらっていいわ。
それにもし人間に手を出すなんてことがあったら、私が責任を持って提督を『締め殺す』から」
「えぇえぇ――!?」
天津風がさらっと言い切ったその言葉に、ヒグマ提督は口の中からキガランチャーを外してもらいながら呻いた。
島風が初春からアイスをもう一つもらっている間、天津風はある種慈しむように、彼の方に目をやって呟く。
「……大丈夫よ。もしそんなことになったら、私もすぐに自沈してあげる。
この島で、私に進む風をくれるのは提督だけ。
上司の失態は、いつだって部下が解消しなきゃいけないものね……」
彼女の言葉を聞いた周囲は、驚愕した。
天津風の思考は、一見正常に見えて、相変わらずとんでもない方向に常軌を逸脱していた。
彼女はその周りの者たちを見回して肩をすくめる。
「何よ。元々ヒグマの肉で作られてるんだから、良くて3割、悪くて10割狂ってるわよ純正の私達からしたら。
たまたま私はそれに自分で思い至る程度には普段の意識を保ててるだけ。なので天龍、そこらへんは割り切った上で私達と付き合ってね」
「ど、どういう意味だよ……!?」
「天龍が鎮守府に帰れば、きっと『本当の私達』が、今もそこにいるでしょう。
だから『この島の私』はただ、提督の性根を叩き直し、あなたたち人間を無事に送り返すことまででお役御免。
どうせ生きては帰らぬつもり、よ……」
隣で会話の雰囲気に全く頓着することなく、満面の笑顔で料理を頬張っている島風を見つめ、天津風は少しだけ悲しそうに、そう言った。
ヒグマ提督が焦った表情で、パラソルの一同の元へ走り寄ってくる。
「あ、天津風ちゃん……!? 死ぬ気か!? 死んじゃうつもりなのかよ!?」
「別に今すぐじゃないわよ? それに、結局最終的な身の振り方はこの島の人間の安全を確保してから決めればいいだけのことだわ」
「だって私は……? 後に遺される私は……!?」
ヒグマ提督の悲痛な表情に、天津風は苦笑しながら彼に身を乗り出した。
「……あのねぇ提督。私たち艦娘の仕事って、なんだか解ってる?」
「え……、えと……そりゃあ提督の――」
「提督のお世話を焼いて日がな一日執務室でイチャつくことじゃないからね?」
「うぐ――!?」
皆まで言わさず、天津風はヒグマ提督の言葉を喰った。
多大な皮肉を込めた彼女の発言であるが、ヒグマ提督が詰まったということは、実際彼の考えから大きくは外れていなかったということだ。
硬直するヒグマ提督に、島風がアイスクリームのカップとスプーンを持って走り寄る。
「ねぇねぇ提督もお料理食べなよ! おいしいよ!」
「あ、ああ……、そうか。うん、ありがとう……」
彼女はヒグマ提督の毛皮を引き、パラソルの方に寄せる。
目の前で跳ねまわる島風の言葉に釣られ、彼は口を開けた。
ちょうど島風が、アイスを掬って口に入れようとしていたところだった。
島風は、ヒグマ提督の開いた口と、自分の持つスプーンを交互に見る。
そして、提督の意図を察すると笑みを深ませた。
彼女は掬ったアイスを、そのまま自分の口に入れて食べてしまう。
「提督には一口もあげない♪」
「あっ、ああっ……!? あぁあっ!?」
アイスを食べきって、彼女はヒグマ提督を振り返ることなく、屋上に走り出していってしまった。
島風から『あーん』して貰えるものだとばかり思い込んでいた彼は、絶句しながら彼女の姿を見送るばかりだ。
「……人間を守るために敵と戦うのが、艦娘の仕事よ。提督。
私達を作ってくれたヒグマにも同情はするけど。それとこれとは別」
天津風の低い声で振り向く。
ヒグマ提督に突き刺さっていたのは、佐天、初春、天龍、天津風という、4人の女子からの冷め切った眼差しだった。
「……何より、現状は江ノ島盾子の巻き起こした暴風で、人間ヒグマ入り乱れての大混戦でしょう? この島は。
本当なら提督みたいな初級士官に構ってる暇もないんだから。早く自立してちょうだいね?」
テーブル越しにヒグマ提督を見下ろし、天津風は一体どちらが上の立場なのか分らないような調子でそう言い放った。
屋上の向こう側で島風が、アニラと一緒にかけっこをして、遊んでいた。
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「……まぁ堅苦しいことは抜きにしておこう。敵意が無いのなら、わしは同行してくれて一向に構わんよ。
ほら、オードブルでもつまみながら話そうじゃあないか提督くん。地下の状態でも聞かせてくれ」
「皇さんのトラップをおしゃかにしたって言うから不安だったけど。
案外しっかりしてる子たちで安心したよ。その見た目で海軍勤めなんだものな。
改めまして俺は弁護士の北岡秀一ね。よろしく天津風ちゃん、天龍ちゃん」
「よろしく」
「ああ……、よろしく」
ヒグマ提督の脇から、着流しのウィルソン・フィリップス上院議員が台車を蹴り寄り、硬直するヒグマ提督を飲みュニケーションに誘う(と言ってもソフトドリンクしかないが)。
北岡も、マスクを外して体だけ仮面ライダーゾルダのスーツに身を包んだ状態で、天龍と天津風に握手をしていた。
ウィルソンはこう言った時の気味合いも心得ているのか、身の置き所の無いヒグマ提督の巨体を無理矢理座らせ、その前脚に適当にカナッペやペットボトルを握らせてしまう。
「まぁ何、女性にソデにされるなどよくあることだ。そういう時はヒグマだの人間だの気にせず男を上げるのみ。
わしの友人には『Beard Bear(ヒゲクマ)』と揶揄された醜男などもいたが、彼はみごとその漢気で美女を射止めたりしたからな」
「は、はぁ……」
「そうですよね。ウィルソンさんは格好いいですよ!」
「はっはっは、ありがとう初春くん。だがそのセリフは自分の好きになる人に取っておきたまえ」
困惑して畏まるヒグマ提督に、ウィルソンは磊落に笑った。
彼の言葉に応じる初春に向かい、天津風が視線を落とす。
「……そうよね。ヒグマだの人間だの、あなたたちはもう既に気にしてなかったみたいだものね」
「……ぱ~……」
「あ、そうそう……。そいつも、正体がわかんないままなんだよ。天津風ちゃん知ってる?」
「いいえ……。でもあなた……、『ヒグマ語はわかる?』」
天津風は、初春の胸元で今までずっと抱きかかえられていた、
パッチールという斑模様の小動物へ語り掛けていた。
北岡の問い掛けに天津風は、発言の後半で牙を剥いた。
ヒグマの発音だった。
北岡と、初春や天龍が覗き込む中で天津風が唸りかけると、パッチールは驚いたように耳を立てる。
『……泣いてたみたいじゃない。私で良かったら話を聞くわよ?』
『いえ……、それは。他人に言えるようなことじゃ、ないんです……』
「あっ……、おまっ……!? もしかしてあの時の……!?」
その時、天津風とパッチールの唸り合いを聞いていた天龍が、はっと思い出したように眼を見開いていた。
聞き覚えのある声質。オレンジ色の斑模様。渦巻のような眼。
体こそ小さくなっているがこいつは――。
頭蓋を圧し折られて飛んでゆく、戦友でもあった犬の姿を思い出しながら、天龍はパッチールの姿を指さして震える。
間違いなくその小動物はあの時、水上で銀を殴り殺し、マスターボールを弾き、島風に殺されたと思われた、ステロイドの怪物の成れの果てであった。
天龍にとっては、敵対し、そして戦友を殺した相手が、それである。
だが彼女は確かにあの時、パッチールさえをも救おうとしていた。
「……お前、良かったな……。生きてたんだな。助かったんだな……」
だから今の彼女に浮かんだのは、『こいつも助かっていて良かった』という、そんな感情だった。
捨てられていた身の上から。
ステロイドを打たれ、人殺しのために動かされていた状況から。
島風の突進を受けて死んだかと思われた負傷から。
パッチールは助かったのだ。
「あ……なんだ。パッチール君かよ。ぜかましちゃんの攻撃受けたのになんで沈んでないんだか……」
その時天龍の耳は、ヒグマ提督が口の中でぼそりと呟いた言葉を、確かに捉えてしまっていた。
瞬間、彼女の奥底から噴火のように湧き出してきた記憶がある。
奥歯を噛み締めた天龍は、隻眼の瞳を爛々と光らせて、ヒグマ提督を睨みつけていた。
それに気づき、ヒグマ提督は怯えたように身を縮める。
「……『増えすぎた参加者の殺害』。『パッチール君に全部任せてるけどねぇ』。
『そこで捨てられていた所にステロイド投与したんだから』、『別にアレが死のうが私には関係ないしね』。
……このパッチールって奴と出会った私たちに向けて、お前はそう言ってきたよなぁ……」
怒りに燃えたような瞳のまま、天龍はギリギリと歯を鳴らした。
初めてそんなパッチールの正体を聞き知った初春、北岡、ウィルソンたちは瞠目した。
ヒグマ提督は彼女の剣幕に慄きながら言葉を漏らす。
「だっ、だっ、だって、こいつにステロイド打ったのは本当に私じゃないから! 関係ないんだって!!」
「……そうだな。『ヒグマであっても助けようとして』死んだ、馬鹿みたいな男に感銘受けて奔る、馬鹿みたいな俺のことなんざ、お前には関係ないんだろうな。
さっきもさっきだ。天津風の決心やその背景を想うことなく、口に出した言葉と言えば『後に遺される私は……!?』だ。
お前が心配してるのは天津風じゃなくて自分だってわけだ。金剛の死には駄々を捏ね、球磨の心配なんて端からしてない。
……なぁおい。どうせ艦娘が死のうと、お前には関係なくなるのと、違うか?」
静かな青い炎のように、天龍の言葉と眼差しは、ヒグマ提督の総身を焼く。
彼女は目を逸らして俯き、両手を強く握りしめながら言葉を絞った。
「……こんなこと言いたくもねぇ。考えたくもねぇ。が。
正直お前のことはな、『深海棲艦にでも喰われちまえ』。と、俺はそう、思ったよ」
震えて立ち尽くす天龍と、初春の胸元のパッチールを、天津風が素早く見やった。
そして風のような手捌きで、パッチールを抱えた初春を引き寄せると、天龍の手を引いて踵を返す。
「……悪いわね。ちょっと席を外させてもらうわ。……天龍!」
静まり返ったパラソルの陰を後にして、三人と一匹は屋上の外れに立ち去ってゆく。
屋上の反対側で島風は、アニラの上にサーフボードでまたがり、ごっこ遊びをしていた。
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その時ウィルソン・フィリップスは隣から、焦げ臭いにおいが漂っていることに気付く。
それは、佐天涙子がつまんでいる、食べかけのカナッペの臭いだった。
天津風に話を振った直後の姿勢のままずっと、佐天は眼を見開き、歯型のついたカナッペを左手に持ったまま立ち尽くしていた。
握り込んだ右手の包帯に霜が降り、カナッペは指に触れているところから、ぶすぶすと焦げて炭になっている。
――激怒している。
ヒグマ提督というヒグマの発言に、挙動に、抑えきれない怒りを覚えていることの、表れだった。
「て、天龍殿の考えすぎだし……。それに、し、深海棲艦とか……、この島にいるわけないし……」
ぶるぶると首を振りながら、怯えたように身を退く彼を見て、佐天はついに手元のカナッペを消し炭にして指先で砕いていた。
佐天くんを止めねばまずい――!!
そう直感的に判断したウィルソンは、勢いよく振り向こうとする佐天の肩に手を伸ばしかけた。
「……いやまぁ実際、俺たちみんな、関係ないんじゃないか? 他人がどうなろうがさ」
その瞬間、言葉を発していたのは北岡秀一だった。
会話の雰囲気に頓着することなく、彼は優雅にカナッペをもう一つつまんで頬張る。
「むしろ『部下』であるお嬢ちゃんたちが反抗的なんなら、きちんと立場をわからせてやればいいんだよ。
あんたらがどんな雇用形態なのか知らないけど。海軍の提督と軍艦っつうなら、言い含めるなり調教するなりして言うこと聞かせればいいんじゃない?
やっすい感情にほだされまくってたら『仕事』にならないっての。なぁ?」
「へ、へへ……、そ、そうだよ……。うん、そうだよね……」
「北岡さん――ッ!!」
佐天の叫び声は、薄笑いのようにも見える表情を浮かべて嘯く北岡に向けられていた。
間に挟まれているヒグマ提督を押しのけて、佐天はテーブルの先の北岡へ身を乗り出した。
「どうしてそんなことが言えるの……!? みんな参加者を助けようとしてるのに、あんたたちは――!!」
「どうしてって、言葉通りだよ涙子ちゃん。やっすい感情にほだされまくってたら『仕事』にならないって。
ヒーローにでもなるつもりかい? ほとほと女ってのは感情で動く生き物だよなぁ。まぁ糖分でも入れて落ち着きなよ涙子ちゃん」
北岡は、依然としておちょくるような薄笑いを浮かべたまま、コーラのペットボトルを佐天に差し出した。
佐天はそれを、眼を怒らせたまま左手ではたく。
瞬間、彼女の指先の帯びていた熱量が、そのボトルの樹脂を融解させた。
鉤爪で抉られたように、弾き飛ばされたコーラのボトルが、勢いよくその黒い中身を北岡の顔面にぶちまけていた。
ボトルは北岡の顔に直撃し、テーブルに落ち、床に転がって止まる。
カナッペは一面、噴き出した黒褐色の水に沈んだ。
北岡は暫くボトルを差し出したままの姿勢で、ずぶ濡れになって顔へ張り付いてくる髪の毛の先に、黒い液体を滴らせていた。
左手でゆっくりと顔を拭い、彼は眼を開ける。
心底憮然とした、真顔だった。
「……この仕打ちの理由がさっぱりわからないんだが。……やっぱり涙子ちゃんもガキか。相手にしてられん」
「なんでわからないのよ……ッ!! おいちょっと!! 待ちなさい!!」
「島風ちゃんレーダー持ってんだっけ? 見回り頼むわー」
「持ってるよー、了解ー」
北岡は溜息を吐いてボトルを拾い、佐天の方を振り向くこともなく、アニラたちのいる屋上のひなたへ歩き出してしまう。
「ふっ、ふふん……。なんだ。やっぱりそうだよね。艦娘たちには、きちんとしてもらわないと……」
ヒグマ提督は北岡に支持を貰ったかのように思い、その口角を心持ち上げた。
そのヒグマ提督に向け、彼の隣のウィルソンは何か考え込んだ後、静かに頷く。
「……そうだな。『キミが北岡くんの言う通りなら』、そうなのだろうな」
「ウィルソンさんまで……ッ!?」
「ときに――」
佐天は、その壮年男性の口から出た言葉に耳を疑った。
まともな大人だと思っていたウィルソン・フィリップス上院議員までもが、まさかこんな性格のヒグマ提督を認めるような北岡の言葉に賛同するとは、佐天にはとても信じられない。
ウィルソンは眼を閉じながら、佐天の怒声を切るようにしてヒグマ提督へ話しかけていた。
「――バトルシップの魂を有した少女が艦娘であることは把握したが。『深海棲艦』とは、一体何のことかね」
「ああ、ハハ。まぁ気にするようなことでもないんだけどぶっちゃけて言えば艦娘の――」
『敵』。
と、ヒグマ提督はそう言おうとした。
だがその瞬間、彼の言葉尻は極限の速さで捕食される。
「艦娘の――、怨みが形になった子だよ。沈んじゃった後の、私たちの生まれ変わった姿」
言葉の内容とは裏腹に、非常に朗らかな少女の声がパラソルの陰に響く。
佐天とヒグマ提督の間から、テーブルにその少女が顔を出す。
遊び終えて戻って来た金髪の少女。島風。
「――だからあの子たちは、自分たちの寂しさを晴らしにくるんだ♪」
彼女は一切の邪気もない笑顔で、ヒグマ提督に向けそう言ってのけた。
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「天龍、抑えて……。今の提督には口で言い聞かせても無駄よ」
「金剛が死んでんだぞ……!? 何も学んでないのかあいつは……!?」
「違うわ。それは違うわ天龍。提督は痛いほど身に染みてるはず」
屋上の片隅に連れられた天龍は、天津風の言葉に苦々しく言い捨てる。
天龍の袖を掴み、天津風は真剣な表情で語った。
「……提督は、怖いのよ。自分の知っている『艦隊これくしょん』が、崩れていくのが。
容赦ない戦闘と轟沈、部隊外の状況把握の必要、艦娘の予期しない返答……。
そういった、ゲームとの違い全てが、生まれてから『艦隊これくしょん』しか無かった彼の認識を脅かしていく。
だから彼は怖くて、頑なにそれを認めるのを拒絶しているのよ」
「……じゃあそもそも艦娘なんて建造するなよ。よりによってこんな殺し合いの場で」
「それは確かにそうかもしれない。でももう今更しょうがないじゃない」
天龍が苛立ち交じりに吐いた言葉へ、天津風は神妙に頷く。
そして視線を落して、初春の手元で震えるパッチールを撫でた。
「……だからね。割り切って、天龍。ただで沈むつもりはないけど、私が轟沈しても、あなたには『関係ない』わ。
旗艦なんだから、あなたが救うべき者は、ちゃんと見極めて、ね?」
「天津風……!」
歯噛みする天龍と、既に心を決めているような天津風の姿を見て、初春は困惑した。
「あの……、そんなに業の深いものなんですか……!?
元がどうあれ、今、あなたたちは、こうして確かにここで生きているんですよ!?」
「ぱ~……」
パッチールを抱えて、初春は叫ぶ。
大きな苦しみを背負っていたのだろうパッチールの来歴は、あまりにも意外な接点で、明かされた。
彼を抱きしめる初春には、天龍と島風の姿を目の当たりにしてから、その心中に去来する後悔の念のようなものが、痛々しいほどに感じられていた。
『ごめんなさい……。ごめんなさいお姉さん……! 謝って許されることじゃないのはわかってます……。
あの時本気で、ボクはお姉さんたちを殺そうとした……。あの犬のかたも……。本当に、ごめんなさい……!!』
「天龍……、謝ってるわ、彼。許されないことだけど、って」
「いや、もう過ぎたことだ……。お前がクスリから離脱できて、この部隊に救われたってんなら、それで、いい」
『……でも! ボクの罪は、決して消えません!! ボクは何とかして、償わなきゃ……!!』
「……ねぇ、パッチール。そして他のみんなも」
喉を引き攣らせて天龍へ叫ぶパッチールに、天津風は静かに唸った。
天龍と初春が視線を向けると、天津風は、銀髪のツインテールの吹き流しを調整しながら語り始めた。
「……確かに、私たちは今ここに、海図の上の同じ場所に集い、生きている。
どんな風に乗って来たのか、どんな来歴の船なのか関係なく、数奇な運命でここにいるわ。
そしてまた、これから吹く風で、ある船は東に進み、また他の船は同じ風で西に進むでしょう」
「……何言ってんだ天津風。俺たちはこれから一緒の部隊で、行動するんだろ……?」
「例え話よ。同じ場所、同じ境遇においても、個々人の目指す港は変わっていくわ」
天津風はその髪を風に遊ばせ、二人と一匹に向けて、言った。
「行くべき道を決めるのは、疾風ではなく、帆の掛け方……。
生涯という海路を辿るとき、ゴールを決めるのは、凪か嵐かではなく、『魂の構え』よ」
運命の風の言葉を口ずさみ、彼女は拳を握り締める。
「くしゃみだろうと屁だろうと、風さえ吹かせれば私たちは進める。
ゴールを見極めて、その信念、魂のコンパスさえ構えれば、どんな船だろうと目的地まで辿り着ける……。
天龍、パッチール、初春さん。この部隊は必ずしも全艦が『脱出』という目的地に行くわけじゃないと思うわ。
……だからどんな風が吹こうが、あなたたち自身で考え、見極め……、その風を『いい風』にしてね。
そうすればきっと。部隊としてもきっと。皆の望む地へ、辿り着けるはずだから」
二水戦の魂を構えるジェット気流の少女が、吹き降ろされる屋上の風の中に、そう確信を帆に張り屹立していた。
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「寂しさを……晴らす?」
「そうそう。みんな怨みでどろどろになってるから、私たちは一緒にびゅーんってして、ガガガッてやって、ちゅどーんってするんだ。
やつあたりでまた深海棲艦が増えるなんて、許すマジだもんね!」
アニラと共にパラソルの陰へ戻って来た島風に、ウィルソンがそう尋ねていた。
大きな身振りと擬音で説明される『深海棲艦』というものの存在を聞いて、佐天は静かに、ヒグマ提督へ視線を向ける。
彼女の眼差しでヒグマ提督は、北岡の言葉を受けて僅かに復調した気分など吹き飛び、再び恐怖に震えはじめた。
「……あんたが今までに、この『艦娘』たちから怨みを買ってないとは、到底思えないんだけど」
「い、いや、だって……! 金剛は私を守ってくれたんだぞ!! 怨みなんて……!
私は彼女を信じてる……! ……深海棲艦になんてならないよっ!!」
ヒグマ提督は、現状で唯一轟沈している金剛のことを思い浮かべ、佐天の睥睨に必死に叫び返した。
その言葉を聞いて、佐天の脳裏には真っ赤な光と共に、ある光景がフラッシュバックする。
――脳の無くなった、金剛の生首。
佐天は思わず、瞬きと共に後ろへ一歩よろけた。
頭痛のようなその突然の光景に、佐天は眉根を押さえる。
「……ち、地下ではあんたのお仲間みたいなやつが、山ほど艦娘を弄んでるんじゃ、ないの……ッ!?」
「し、知らないよ! あいつらがそんな大それたことするわけない……! みんな『艦隊これくしょん』が好きなんだぞ!?」
眼を閉じて呻く佐天の様子に気づかず、ヒグマ提督はなおも捲し立てた。
佐天は眼を開け、静かに、その心の中から湧きあがってくる怒りを言葉に紡ぎ出す。
「その『
艦これ勢』の筆頭があんたなんでしょうが……! 自分で気付いてないのかどうなのか知らないけど……!
彼女たちにこんな因果な定めを負わせて、自分のいいように使いたがってたのと、違うの!?」
言いながら、佐天の眼は、既にヒグマ提督の姿など、見てはいなかった。
その視線は、ヒグマ提督の後ろに佇む、ある一人に向けられていた。
「本当に好きなのなら、『愛は伝わる』ものよ……!? あんたは、本当に怨みなんてないと言えるの!?
本当にそう、『信じてる』の!? ねぇ、今でも、あんたは愛してるの――!?」
その言葉はかつて、佐天自身が
有冨春樹と
布束砥信に向けて言い放ったものだった。
そして今、その言葉はなぜか自分の胸にも、深々と突き刺さるような凶器だった。
口に出すそのたびに、自分の体の深いところで、ガラスの砕ける音がするのを、佐天は聞いた。
「愛――」
ヒグマ提督は、答えに窮した。
艦娘が『好き』かと問われれば、間違いなく、迷いなく、彼は『好き』だと答えられただろう。
だが『愛してる』か、と。より深い、表層的でない次元で問いかけられた時、彼はその答えを知らなかった。
天龍から突き付けられた自分の意識せぬ行動原理を省みた時、それを果たして艦娘への愛と言い切れるのか、彼にはわからなかった。
佐天はこの時も、ヒグマ提督を見てはいなかった。
「……金剛さんだって生前どんな扱いされてたか、何を考えてたか。わかったもんじゃないわよね、やっぱり」
佐天は溜息を吐いた。
その言葉を流しながら、佐天は自分の背中に、黒焦げになった男の腕と、血塗れになった女の腕が這い登ってくるような肌寒さを感じていた。
ヒグマ提督は、堤防が決壊したように姿勢を崩し、すがるように佐天へ眼を上げる。
その怯えたような眼と、佐天は目が合った。
「な、なぁ……!? おい、埋めてくれたんだろ!? 金剛が安らかに眠って、起き上がったりしてこないように、ちゃんと埋葬してくれたんだろ!?
彼女は深海棲艦になんてならないよな!? そうだよな!? おい!?」
ヒグマ提督は、『金剛が自分を恨んでいない』とは、断言できなくなってしまっていた。
次々と砕けてゆく自分の心の、ガラスのような脆い地盤の上にふらついて彼は慌てふためく。
そのヒグマ提督の言葉を耳にして、佐天は立ち竦んだ。
佐天は、自分の真下の大地の中に、誰かの足音を聞いたような気がした。
アニラの眼を、見上げていた。
その表情は、いつもと全く同じ無表情だった。
何の感情も見えない、爬虫類のように冷たい赤い眼が、佐天涙子をまっすぐに見つめていた。
剥き出しの牙を覆う唇さえない、透き通った殺意の塊のような視線が、佐天の視界に染み渡っていた。
「それは――……」
「ちょっといいかしら」
佐天が震えながら言葉を発そうとした瞬間、銀色の風がその前を吹き閉ざした。
「話し込むのも良いけど、生きている者の助け方や、これからの戦い方で話し込みましょう。
初級士官の妄言なんかいちいち真面目に相手しなくて大丈夫だから。適当に馬耳東風しなさいな」
剣呑な空気を裂いて、天津風が佐天の肩に手を置いていた。
何かを言い返そうとした佐天の体は、天津風の思わぬ強い力で押し留められる。
佐天の見下ろした天津風の眼は、『とにかく落ち着いて』と言っていた。
眼を上げると屋上の端で、ギガランチャーを構えて粛々と見回りに当たっていた北岡が佐天を見ていて、『これだからガキは嫌いなんだよ』と、唇の形だけで呟いていた。
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「……うわ、天龍、あんたこれ何撃ったの……!? 砲身の中ボロボロじゃない!?」
「いや……、喋る魚雷とか、手足の生えたつけものとか……」
「つけも……、つけもの!? え、つけもの!? なんでそんなもの撃ったの!?
魚雷もよ!? なんで魚雷を主砲で撃つって状態になるの!?」
「俺の魚雷発射管には合わなくてさ……。それに、あの時もう俺には、つけものくらいしか撃つものが無かった。
そんな馬鹿なと思うだろうが、マジでだ。笑い事じゃないんだ。マジでそれしか物資が無いんだ」
「地下で聞き知ったのより遥かに壮絶な戦況ね……。これは確かに球磨の身も心配しなきゃ不味いわ……」
屋上の床に降ろされた天龍の艤装を確認しながら、天津風は唸った。
彼女が佐天とヒグマ提督を差し止めた後、一行は装備品の確認に入っていた。
と言っても、主だって話し合っているのは、屋上の南側のひなたで車座になっている天龍と天津風とアニラだ。
北寄りのエレベーター建屋脇のパラソルの陰では、重い空気を纏う佐天に初春とウィルソンが話しかけている。
北岡は黙々と屋上の輪郭を辿って見回り、島風は方々を気ままにうろちょろしている。
ヒグマ提督はと言えば一人でエレベーター建屋の裏に背を向けて座り込んでいるのみだ。
「……何にしても、これじゃあ一度廃棄して部品に戻さないと。もう使えないわよこの主砲」
「……やっぱりダメか。……副砲は?」
「『8cm単装高角砲』とか、装備にも書けない大正時代の遺産でしょ……? せめて『長8cm高角砲』じゃないと……」
「それにしたって、合う弾薬はなし、と……。天津風たちと合流できたんだから補給できることを期待してたんだが……」
「連装砲くん用の12.7cmしか無いわ。悪いわね……」
天龍は胡坐に腕組みをして、天津風の嘆息に口角を下げた。
アニラと彼女たちの目の前には、現段階で存在する有用そうな所持品が大きく広げられている。
天龍の現在の主な所持品は、
- 14cm単装砲(砲身摩耗・弾薬なし)
- 四〇口径三年式八糎高角砲(弾薬なし。艦これ内の『8cm高角砲』とは異なる旧型)
- 投げナイフ
- 日本刀型固定兵装
- ポイントアップ
- ピーピーリカバー
といったものである。
ここで彼女たちが頭を捻っているのは天龍が、艦娘であるのに自衛できるほどの弾薬すら有していないという問題点だった。
投げナイフに関しては、これも主砲に込めてぶっ放そうとしていたものだ。
口径が合っていないとかそういう次元ですらない。
今までのつけもの撃ちや魚雷撃ちやマスターボール撃ちにしても、一歩間違えれば腔発して砲が破裂していてもおかしくなかったのだ。砲身の摩耗だけで済んだのはむしろ幸運だったと言えよう。
カツラという参加者から譲り受けた
支給品には、見慣れない薬瓶のようなものもあったが、添付文書を読むにどうやら弾薬でないことは確実である。
北岡及びウィルソンの武装は、他の者が予備知識もなしに使いこなせるほどの一般性はほとんど無いようなので、ここにはない。
初春と佐天も、武器と言える道具はアニラから渡されたナイフ一本のみであり、わざわざ並べてもらうような必要もなかった。
彼ら四名から提出してもらえた支給品は、
のみである。
天津風の装備は、
- 連装砲くん(天津風専用12.7cm連装砲)
- 61cm四連装魚雷
- 強化型艦本式缶(代わりの缶が無い状態で外すと機関部が止まるので装備中)
というものであり、天龍に渡せるものとしては魚雷くらいしかない。
だが魚雷にしても、水上での戦闘のないこの島では、それこそ無理矢理主砲に据えてぶっ放すか何かといった用途しか思いつかない。
金剛からアニラが持ち帰って来た装備は、
という、ほとんど戦艦専用の装備であり、天龍や天津風は全く利用できなかった。
水上観測機は、本当ならば軽巡洋艦も装備できるのだが、天龍は装備しても艦載機を飛ばすことができないという、驚愕の拡張性の無さであるため、全く意味がない。
それ以外にアニラが保有しているのは、
- MG34機関銃(ドラムマガジンに40/50発)
- 予備弾薬の箱(50発×5)
といったものだ。
口径7.92mmの機銃であるこの『マウザー・ヴェルケMG34』ならば、『7.7mm機銃』を日常的に活用している艦娘にも比較的扱いやすいものだと言える。
艦娘の装備と互換性は無いとはいえ、それなりに予備の弾薬が確保されているのも大きい。
「皇、ちょっとこの機銃装備させてもらってもいいか?」
「……」
どうぞどうぞ、と言うようにアニラが差し出した機関銃を、天龍は自分の艤装にマウントしようとしてみる。
「あ……? 7.92mm機銃だろ……? くそ、銃架にはまらねぇぞ……!?」
「天龍、天龍、ダメよ。私たちの艤装は軍艦時代から数十分の一スケールに縮んでるんだから。手持ちしなきゃ」
だが実物大の機関銃は、どうあがいても天龍の艤装には装着できなかった。
天津風が手本を見せるように、その銃を取って片手で軽々と構えてみせる。
天龍は切歯扼腕した。
「あ、ま、つ、か、ぜぇ……! それはお前がヒグマ製で強化型艦本式缶持ちだからできる芸当だろ!?」
「何も片手でとは言わないわよ。普通の歩兵みたいにしっかり両手で構えたら?」
「7.92mm程度の弾薬に全精神を傾注しても、ヒグマ相手には牽制にしかならんだろ!?」
「む……、確かにそれはそうね……」
呟いた天津風は、『それならもう……』と言いながら、自分の魚雷を取り外して天龍へ渡した。
「もう、腹を括って近接格闘に持ち込むしかないんじゃない? 魚雷の手投げとか、夕立よくやってるわよ?」
「ああ……、やっぱりもう最終的にそれしか道はねぇのか……」
「でも、天龍は結構得意でしょう、格闘」
「まぁな……」
天龍は諦観を得たような薄笑いを浮かべて、天津風の言葉に応じた。
アニラが興味深げに前へ身を乗り出す。
「……大井とかこの前、ついにあの『32文人間噴進砲』をマスターしたみたいで。
北上に襲い掛かってた駆逐ハ級へ、速さ・角度ともに完璧な側面攻撃食らわせてから『払腰』かけて撃沈してやがった。
一体いつ練習したんだか……、マジでアメージングだったよ。俺の想像の遥か先を行ってやがった」
「近接格闘の得意な軽巡といったら、天龍型か球磨型かだものね。
各艦ごとに秘匿してる技法も多いし、いざ開帳を目の当たりにしたらそりゃあ興奮するわ」
艦娘は基本的に洋上での遠距離戦闘を行なっているため、深海棲艦と肉弾戦にもつれ込むことはほとんどない。
しかし史実においても、彼女たちは超超至近距離での『殴り合い』と称される『零距離射撃』合戦になることはままあった。
「……夕立が、敵艦13隻の複縦陣に単艦カチコミに行って滅茶苦茶に殴り倒してた時はそれはまぁ凄かったわよ。もっと良く見ておきたかったわ」
「ああ……、第三次のソロモンか。あの時はお前も大変だったんじゃねぇか」
「通信傍受されて待ち伏せされてた絶望的状況をひっくり返す彼女は、正に颶風だったのよ。
自分の損傷はさておき、詳しい戦闘技術まで見学しておきたかった」
「いや……、お前はお前であの距離で殴り合って、その上で『あの状態』で生還してきたんだからすげぇよ……」
第三次ソロモン海戦において『狂犬』と呼ばれた駆逐艦夕立の突貫攻撃などは、同海戦に随伴していた天津風にとっては非常に記憶に新しいものである。
闇夜のガダルカナルにて夕立は、敵艦隊が彼女たちを発見するよりも優に1時間半も早くそれらを発見し、敵艦隊先頭を航走する艦へ距離2700という近さにまで走り込み、敵陣を混乱せしめた。
『当時敵は全然我に気付きたる模様なく主砲は勿論機銃すら発砲するものなかりき。っぽい』
とは夕立の弁である。
実際のところ、敵艦は夕立の姿を捉えていたのだ。
だが艦隊戦において、ちっぽけな駆逐艦一隻が、大部隊の目の前に突っ込んでくるとは誰が予想できようか。
彼女の奇襲じみた突撃により、敵艦隊は状況把握の間もなく日本艦隊のど真ん中に入り込んでしまうこととなった。
夕立はこの時、ガダルカナル島ルンガ泊地に幾度も侵入しており、同海域の『地の利』を相当に把握していたのである。
乱舞する三式弾や探照灯や照明弾の光彩がより戦況の把握を困難にさせ、敵艦は誤射し合い轟沈した。
天津風たち僚艦が10cm連装高角砲を数百発も叩き込んで敵陣を殴っている間、夕立はそのまま敵艦隊の鼻先を掠めて単艦で側面に回り込んだ。
そしてその部隊のどてっぱらへ、飛び蹴りを喰らわせるかのように急転回から突入し、魚雷8本を至近距離から投げつけ、相当数の艦を大破乃至轟沈せしめた。
だがなにぶん暗闇の中であり、同行していた天津風でさえ、彼女の実際の戦いの詳細を確認する事はできなかった。
この戦いにおいて、夕立の行動は『駆逐艦ノ本領』、『大膽沈着』などと大絶賛されていたので、同海戦から最終的に撤退していた天津風は、夕立のその戦闘を見れなかったことは大いに心残りだったわけだ。
「……本当、ああいう窮地にこそ、普段鎮守府でやってる走り込みとか、武道の訓練とかが活きてくるのよねぇ」
「ああ、そこは同感だ。普通なら砲雷撃戦の戦闘距離じゃ絶対に使わねぇから格闘訓練おろそかにしてるやつも多いが。
……ソロモンでは加古の例もあるし。俺や龍田は以前から至近距離戦闘の重要性は視野に入れてたんだ。
艦娘になってからは特にな」
天津風の嘆息に、天龍は大きく頷いた。
実のところ、人間の肉体を持つ艦娘は、毎週水曜日の三時限目は鎮守府できちんと武道の授業を行なっていたりするのだ。
天龍の言う通り、週に一時間のことでもあり、大半の艦娘はこの科目を重要視しているとは言い難かったが、それでも何人かの艦娘は独自の技法を編み出すレベルにまでその格闘技術を高めている。
軽巡洋艦那珂独自の操艦術である『今和泉式高速転舵』を始め、金剛型高速戦艦の操艦術である『隠密偵察用高速前転』や徒手による『榴弾弾き』などはかなり有名だ。
ヒグマ提督を庇おうとした金剛も、何の目算も無しに彼を庇いに行ったわけではなかったのだ。
彼女の反応速度で行われる『榴弾弾き』ならば、戦艦ル級の16inch三連装砲さえも捌き切ることができた。
実弾ならば、いかな大口径主砲が相手であろうとも、金剛は無傷でその砲弾を弾き飛ばせる自信と能力があったわけである。
彼女の死の原因は、
メロン熊の砲撃の性質を事前に知り得なかったという、ただその一点に尽きた。
「叢雲とか子日からよく話は聞いてたわ。あなたや龍田は『ボイラーの熱量を固有兵装に回して揮う』んでしょ?
いいじゃない。それなら新しい装備が手に入るまでは十分それで戦えるわよ」
「駆逐艦程度なら十分相手取れる自信はあるんだが、ヒグマって言ったら最低でも戦艦くらいの装甲持ちだろ?
俺は午前中に何匹もヒグマの相手してきたが……、お前、通じると思うか……?」
戦力差でいえば一人でソロモン海戦に臨むようなもの――。
奇しくも、第三次と第一次という違いはあるものの、ソロモン海戦になぞらえた戦闘の比喩は、明け方に天龍がこの島で初めて死者を看取った時に抱いた感想と同じだった。
天龍はこの島で、ヒグマのオーバーボディを纏った烈海王に向けて抜刀したのがその格闘技術の初披露である。
その際も、相対速度で優に時速100キロを超えていただろう天龍のすれ違いざまの攻撃は、彼の腹部に浅手を負わせたのみだった。
ヒグマード、ヒグマドン、ステロイドパッチールなどの例を思い返すに、天龍がそのまま肉弾戦でまともにヒグマたちと勝負できるかどうかははなはだ怪しい。
というより、まともに勝負など、できるわけがない。
「戦艦は確かにねぇ……。長門なんかただの『八糎単装高角拳』や『九一式徹甲脚』で背筋が寒くなるようなコンビネーションを見せるものね。
ビッグセブンの一撃をもろに喰らえば、私たちの骨肉なんて簡単に吹き飛ぶでしょうし……」
天津風は眼を細めた。
八糎単装高角拳とは、直径8センチの単発式の上段への拳。つまりただの正拳突きである。
九一式徹甲脚というのもまた、戦艦特有の雄大な脚線美から放たれるハイキックである。
だが戦艦長門は実際に雷巡チ級くらいの相手であれば、そんな徒手空拳で撃滅させられるほどの格闘能力を有していた。
戦艦と、巡洋艦や駆逐艦との戦闘力には、本来そのくらいの開きがある。
夕立と共に第三次ソロモン海戦で数隻の巡洋艦をぶん殴って痛めつけた経験のある天津風も、流石に相手を『戦艦』と想定すると首を捻らざるを得なくなる。
天津風が申し訳なさそうにこめかみを掻いた時、アニラが今まで手にとって検分していた天龍の投げナイフを地に置いた。
「……オーストラリアのダウンアンダー社製、投擲ボウイナイフ『クッカバラ』であります。
刃渡り17.4cm、刃厚5.28mmと、大型かつ刃持ちの良いハンティングナイフたりえます。
天龍女史の戦闘法は存じ上げませんが、『クッカバラ』のSUS440C鋼は、熱処理でさらに硬度を上げる特性を有していたはずであります。
彼の地で、ヒグマ以上に強大な生命体となりうるクロコダイルに対抗するために発展してきた刃物でありますため、単に投げナイフという使途に限定するべきではないと思われます。
初春女史に譲渡いたしました西根正剛作、叉鬼山刀『フクロナガサ8寸』と共に、ヒグマの攻撃を退ける『爪』としては、大いに活用できるかと考えられます」
「む、皇さん詳しいわね。天龍たちの刃と似た特性じゃない? 『戦艦』も徹せるかもよ?」
「……そうさな。まぁ一撃もらう覚悟もあれば、俺の技でも相打ち以上にはできるのかね……」
天龍は自分の日本刀と、そのナイフを刀の大小のように取り上げ、嘆息した。
結局はさっさと戦い方を決めて決断しないと、今後どうしようもなくなるのだ。
彼女が自分の荷物を纏め、天津風から譲り受けた魚雷を発射管にストックしていたその時、エレベーター建屋の脇で、佐天が爆音のような叫び声を上げた。
一体何事かとアニラたちが顔を振り向けた時、ふと頭上を何か小さな影が通り過ぎた。
「……あれ? 鳥……じゃなくて、艦娘の偵察機じゃねぇか?」
「そうね……。陰になって良く見えないけど、そうかも。島風! あなた、どうなの?」
「おうっ? どうなのって、何がどうなの?」
「いや……、電探持ってるでしょうがあなた。見回りしてて、あれ気付かなかったの?」
天津風が、屋上を駆け回っていた島風に声をかける。
指さされた上空を見上げて、島風はきょとんとして言った。
「えー? 私は確かに電探持ってるけど、持ってるだけだもん。わっかんなーい」
「は……?」
「だって、ここに来る前、提督が『ダメコンつけてね』って言ってたじゃん。だから替わりにつけた」
島風の現在の所持品は、
- 連装砲ちゃん×3(島風専用12.7cm連装砲)
- 5連装魚雷発射管
- 応急修理要員
- 強化型艦本式缶(備品)
- 13号対空電探
- サーフボード
である。
そのうち、『装備品』として現在彼女が身に着けているのは、上から3つである。
ダメコン――、『応急修理要員』を装備するためには、島風は何か装備を外さなければいけなかった。
そこで彼女が外す候補に選んだのは、アニラたちと戦闘していた時には確かにつけていた『13号対空電探』一択だった。
武器でもなく、速さも上がらないから、である。
それを聞いた天龍と天津風は、言葉にできないような不安を覚え、アニラと共に顔を見合わせる。
屋上の端からは、北岡秀一さえ瞠目した眼差しを向けていた。
佐天とヒグマ提督が、何かを叫びあっているのが聞こえた。
北岡の目視以外に、島風のレーダーによる防空が機能しているものだと、今の今まで彼ら一同は、全員がそう思っていた。
気ままに遊んでいるようでも、締めるところはしっかり締める機転を島風は持っているはずだと、知己である艦娘たちは特にそう、信じていた。
そう。
『本当の島風』ならば、実際に、そんな感覚特化した機転を、彼女は有していたであろう。
――良くて3割、悪くて10割、狂ってさえいなければ。
「……しまっ――!?」
屋上に次の瞬間、そんな危機迫った叫び声が、天津風のものだけでなく、複数響いた。
そしてほとんど同時にその声は、続けざまに響いた巨大な爆轟の音響に、吹き飛ばされていた。
最終更新:2015年04月14日 16:16