ガドルフの百合


「おぉー、すごいね、あらかた終わったっぽい?」
「はぁ、はぁ、はぁ……」

 地底湖の畔にある工廠には、戦艦ビスマルクの荒い吐息があった。
 周囲を取り囲むヒグマたちから漫然とした讃辞を浴びせられている彼女は、半ば放心したような面持ちで床にへたり込んでいる。

「流石ビスマルクちゃんの馬力だな。おかげで大助かりだよ」
「ダ、ダンケ……」

 作業歌に乗せられるがままに、死んだヒグマたちの解体作業に従事していた彼女は数百頭にも及ぶその死骸を早くも解体し尽していた。
 夕立提督ら第一かんこ連隊の面々がにこやかに拍手しているのは、彼女のそんな業績を評価してのことである。

 運び去られてゆく血と臓物の臭い。
 大鍋で煮込まれる死肉の蒸気。
 あたりに充満した空気は見るからに不快な感覚を肌に与えるようだったが、もはやビスマルクの頭はぼんやりとしてそんなことは気に止まらない。
 彼女の肉体も既に、ヒグマの返り血でどろどろに汚れていた。

 もう何が異常で、何が正常なことなのか、ビスマルクにはよくわからない。
 仕事という名目だったこの作業の是非も、彼女には判断する基準がない。
 死んでいるヒグマを引き千切り解体する血腥い単純作業が、彼女に快感をもたらしたかといえばそうでもない。
 かといって不快感がもたらされたかといえばそうでもない。
 彼女の思考と感情は、今や麻痺したかのように鈍っていた。


「そんなビスマルクちゃんにはご褒美をあげなくちゃね」
「え……、何……」
モノクマさんの作った操縦桿っぽい? これを脊髄に差し込むと……」

 そんなビスマルクの様子をよそに、第一かんこ連隊の隊員が何か先端の尖った機械を持ってくる。
 一見して何かのハンドルのようだ。
 困惑の反応すら鈍くなっているビスマルクの裏に回ると、夕立提督は一気にそれを彼女の首筋に突き立てていた。


「ぎゃぁ――!? 痛い! 痛い!」
「大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけっぽい? はい、動かないでね」

 突然の激痛に身を捩るビスマルクを数頭のヒグマが押さえつけ、彼女の首筋にごりごりと音を立てて金属管がねじ込まれてゆく。
 処置は程なく終わったものの、激痛に悶えたビスマルクは身動きもままならぬほど疲弊していた。

「げ、ふ……、ぐふぇぇ……」
「喜ぶといいっぽい? 結局これは追加装備だから。あ、あと主砲も返しておくね」

 ヒグマたちになされるがままに肉体を弄られながらも、ビスマルクは夕立提督の言葉にハッと眼を輝かせた。

「あ、つ、つまり、これは、改装……? ダ、ダンケシェーン!」
「うん、できたっぽい?」

 体を立たせられると、ビスマルクには、作業中には取り外されていた艤装がしっかりと装備し直されている。
 多少どころでなく痛みは辛かったが、彼女はようやく、自分が贖罪の作業ではなく戦艦としての任に戻れるのかと期待して、憔悴しきった顔をほころばせた。


「そ、それで、アトミラール夕立……、この首の装備には、一体どういう効果が……?」
「ああうん、試してみようか? これ、あなたの体の操縦桿だから」


 にこやかに答えた夕立提督は、ハンドルにいくつか並んでいるスイッチの一つを無造作に押す。
 するとその瞬間、ビスマルクの太腿を伝って、じょろじょろと大量の水が彼女の下腹部から溢れてきた。

「あぁ、漏れてる――!? バラスト水が漏れてる――!?」
「これでもう、あなたは考える必要すらなくお仕事ができるっぽい? 良かったね!
 後は私たちが勝手にあなたを動かすから、いっぱいお仕事楽しんでね!」

 自分の意思とは全く無関係に漏れるバラスト水に、ビスマルクは赤面した。
 そしてバラスト水の流出が止まる頃には、彼女の顔は一転して、信じがたい事実に蒼褪める。
 それはハンドルを脊髄にまで突き刺された時点で、ある程度予感できてはいた事柄だった。


「て、手足が、自分じゃ、動かせないんだけど……」
「うん。そりゃそうっぽい? だってもう自分で動く必要なんてないでしょ?
 次の仕事が来るまで、そこに転がってればいいっぽい」

 夕立提督は言うや否や、棒立ちになっているビスマルクの腹を蹴り飛ばした。
 ビスマルクの体は抵抗もなく頽れて転がり、血と体液に汚れた工廠の床に横倒しとなった。
 ビスマルクは、ヒトでも、ヒグマでもなかった。
 ましてや艦娘としても、彼らに扱われてはいなかった。

「あ、あ……」

 自分は、ただのモノだ。
 残酷で過酷な単純作業に従事させられる、ただの機械。
 使えなくなれば廃棄処分されるだけの、使い捨ての物体――。
 ビスマルクははっきりと、明示された自分の身分を、認識してしまった。

「う、うう……」

 嗚咽を漏らしても、もはやビスマルクの手足は、彼女の思いに応えて動くことはなかった。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「いよいよですね……。あそこが、艦これ勢の工廠と、地上への階段……」

 そのころ、岩の陰から眼を凝らして、工廠の概観を窺っている人影があった。
 穴持たず46・シロクマこと司波深雪、そして同行者である百合城銀子だ。
 地底湖のほぼ対岸にあるその工廠は、階段から差し込む地上の光と、コケの放つわずかな明度で何とか確認できる程度だったが、司波深雪はその薄ぼんやりした景色を舐め回すように詳細に観察してゆく。

 彼女たちの目的は、工廠近辺にいる艦これ勢のヒグマたちを掻い潜り、地上へ抜け出ることだ。
 そのためには、彼らの本拠地であろう工廠に突撃するか、最低でもすぐ傍を通り抜けねばならない。
 行動前に偵察を怠って敵勢力の要を見誤ってしまうことは、自分から死にに行くことに等しい。
 ましてや自分の兄がつい先ほどそれを原因にして死んでしまったのだから、否応なく緊張は高まる。


「階段脇に6頭、工廠周りに8頭……。中にいるのは……、見えるところに4頭。
 確かに、手薄といえば手薄……、総勢30頭程度でしょうか。それにしてもこの臭いは……」
「血生臭いな。……うん、ヒグマの肉が散らばってる」
「ひぃ!?」

 司波深雪が対岸を窺っている間、地底湖の畔を嗅ぎまわっていた百合城銀子が、何かを摘み上げていた。
 深雪の目の前に掲げられたのは、水面を流れてきたらしいヒグマのはらわただった。
 よく見れば、地底湖は大量殺戮され解体されたヒグマの血肉で赤く染まっている。
 工廠の外で動いている艦これ勢のヒグマたちは、その死骸の搬送作業に従事しているのだ。


「なんですか!? 仲間割れ……、いや、まさか、艦これ勢でないヒグマたちを皆殺しにしているんじゃ……」
「そうかもね。まぁ、食糧不足だったなら仕方ない面もあるんじゃないか?」

 鼻先にゲテモノを突き付けられて思わず跳び退った深雪の反応に微笑むと、銀子は何のためらいもなく、むしゃむしゃとその血臭にまみれた臓物を頬張り始めてしまう。
 クイーンヒグマ他、味方足り得るヒグマ帝国の面々の生存がさらに絶望的になったことに蒼褪めていた深雪は、同行者の信じがたい行動に素でたじろいだ。


「……うぇ!? よくそんなもの食べる気になれますね、こんな状況で……」
「こんな時だからこそ、万全のコンディションにしておくんだ。
 キミも頼りにしてるよ、ミズクマ」

 引き攣った深雪の声をよそに、平然と臓物を平らげた銀子は、さらに深雪の肩口に手を伸ばし、そこに乗っかっていたミズクマの娘を取り上げて口づけをしてみせる。
 深雪は見ているだけで吐きそうになった。
 巨大な甲殻類のようなヒグマであるミズクマの娘は、決して一般的な感覚で見目麗しいものではないし、そんなものが少女の口元で8本の肢を蠢かせている姿など、気持ち悪いで済めばまだいい方だ。


「……それがあなたのいうユリ承認とやらに必要なんですか?」

 先程から百合城銀子の言動にはだいぶ懐疑的になっている深雪は、嫌悪感も顕わにそんな言葉を投げた。
 もしそうならこちらから願い下げだ。と彼女は言外に拒否感を満載している。

 その様子に銀子は、ミズクマの娘を返しながらニヤリと笑って見せた。
 銀子には彼女のその言葉が、自分の願いが叶うか否かの不安から出ているものだと受け止められたらしい。

「心配しなくても、今度はちゃぁんと私が守ってやるから。安心して身も心もゆだね賜え。じゅるり」
「安心できるわけないでしょう!? 自分の身は自分で守ります!!
 突入後はお互いバラバラに地上を目指す、それで決定です!!」

 すり寄ってくる銀子を、深雪は指で差し止める。
 勢いだけでない自信がありそうなその宣言に、銀子は真顔に戻って頬を掻いた。


「そういえば確かに深雪は、さっき一瞬であのクマを組み伏せ返していたな」
「ああ、人遁・玉女守門……。相手の意識と重心を逸らして体勢を崩しただけですけど。
 私だって一応、忍術を嗜んでますから、ある程度自衛はできるつもりです。
 頭脳が発達しすぎてるせいか、ヒグマ相手にも単純な技術で効果があると確認できたのは大きかったですね」

 銀子から距離を取りつつ、深雪は自分の主張を裏付ける技術を説明してゆく。


「忍術の本質は、古式魔法と身体的技術を組み合わせた虚実転換法です。
 中国の鬼門遁甲が源流の一つなので、魔法演算ができないと大きく幅が狭まるのは確かなんですが……。
 それでも、何もできない訳じゃありません。身一つでできる虚実転換は、あります」

 その視線は、地上からの光が差し行っている、工廠脇の階段へと向けられていた。


「特に、『遁(に)げる』だけならば……」


 今現在、工廠の外にいるヒグマはかなり少ないと言っていい。
 ここに、ミズクマの娘を放ちながら二人で特攻し、攪乱しつつ走り抜ければ、地上へ逃げ切れる勝算は十分あると考えられた。


「あなたには一応、感謝しています。でも、信用しきったわけでもありませんし、お兄様を甦らせるためには、最悪あなたを殺すことにもなるかも知れませんから。
 余計な借りは作りません。今はただ、忍術使いの司波深雪として、腹を括ります」

 指を突きつけて念押しする穴持たず46シロクマの語気に、百合城銀子はひるむどころか、陶然とした笑みをさらに深めるだけだ。


「ふふ、見上げた心意気だ。がうがう。そんな強気なところがますますデリシャスメルだよ、じゅるる……」
「そういうところが信用できないんですよ! 離れなさい! しっしっ!」

 舌なめずりしてくる銀子を打ち払いながら、深雪は銀子のペースから逃れるように踵を返し、湖畔に屈み込んだ。
 彼女の表情はすでに、浮ついた感情など欠片も見えない、兵卒のそれになっている。


「……ですが確かに、『万全のコンディション』のためにこれを利用するのは、悪くありません」

 穴持たず46シロクマは、湖面に浮かぶ臓物を掴みあげながら、遥か先の希望への階段を見つめた。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「第二の連中が散らした肉もこれで最後か?」
「おう、中での解体は終わったみたいだしな」

 艦これ勢が占拠した艦娘工廠の前では、2頭のヒグマが地底湖の湖畔に散らばった肉片を掃除している。
 陸地での搬送作業をしている他のヒグマたちも、粗方作業終了に入った様子であり、相変わらず湖畔の水面は血潮で赤く染まっているものの、湖畔での作業もほぼ終了と言えた。

 そんな時、地上から差し入る光に照らされて、地底湖の水面をたゆたってくる臓物の固まりが彼らの目に留まった。


「ああ、こっち流れてきてる。対岸まで行ってるやつも掃除しなきゃいけねぇかな」
「それこそ、夕立提督が今調整してるビスマルクにやらせればいいんじゃ? すぐにでも自動水面掃除機に改造されるだろあいつ」
「まぁな。だがここに漂着してるのは俺たちの仕事だから」
「確かに仕事した分だけ食い物が増えると考えれば、良いことだよな」

 彼らがそう話しながら、漂着した血肉の塊に近寄ったその瞬間だった。
 突然、その肉塊が勢いよく破裂していた。


「ぶわっ!? 肉がバクハツした!?
 いってぇ……、骨が刺さったかな、クソ……」
「ったく何だよ……、もう腐りかけてガスが出てんのかこれ? 勘弁しろよ……」
「もう良いからさっさと集めて持ってこうぜ、クソ……」
「ああ、っつうか確かに痛てぇな……」
「お前もか? どっか引っ掛けてねぇか?」
「痛い痛い痛い! もうお前やめろ! 俺が集める!」
「ぎゃぁ!? クソ、おめぇどこに爪立ててんだよ、痛てぇ――!!」
「ガァァァァ――!?」


 薄暗い湖畔で、飛び散った臓物を拾い集めようとしていた2頭のヒグマは、動く度に走る不可解な激痛に悶絶する。
 湖畔での騒ぎに、他の場所で作業していたヒグマたちの視線が集まってくる。
 そうして脂汗を流し、痛みをこらえて臓物を集めきり、2頭が向かい合ったとき、彼らはようやく気づく。

 集めた血塗れの臓物は、お互いの腹部へと繋がっていた。

「あ、あ……!? 掻き集めてたのは、お前の、内臓だった――!?」
「オレも、だ――」


 2頭のヒグマが地底湖から引き上げようと掻き出していたのは、他の死骸の血肉に紛れて飛び出した、お互いのはらわただった。
 彼らはその事実に気づくや否や、意識を遠のかせ、絶命した。

 直後、水面からゆっくりと、真っ赤な人影が現れる。
 美しい長髪に血を滴らせ、端正な制服姿の全身に臓物を塗りたくったその少女は、立ち竦む工廠前のヒグマたちに向けて、凄絶な笑みを作って見せた。


「あなたたちは、死んだことにも気づかない……」


 忍術使い司波深雪の操る、水遁・赤池纏り。
 激戦地において、敵味方の死骸の血潮に紛れて奇襲をかける隠密技法だ。
 ヒグマの血肉にまみれた一塊の赤となっている司波深雪は、突然の事態に驚くヒグマたちへと駆け寄ってゆく。


「シ、シロクマさんだ!」
「シロクマだって!? あれが!?」
「相手はただの人間だ! 構えろ!」

 ヒグマたちが慌てて臨戦態勢をとった瞬間、司波深雪は、死んだ2頭のヒグマの臓物を引きずり出し、一気に宙へそれをまき散らした。
 真っ赤な豪雨が、一瞬にして彼女の姿を覆い、そして薄暗い工廠前の空間のどこかに彼女を隠蔽した。
 辺りに漂う血臭に紛れて、全身を血肉の迷彩で覆った司波深雪をヒグマたちは一瞬見失った。

「な、どこに――!?」
「ぐあっ!?」
「ギャオォ!?」

 そうしてあたりを見回す彼らの目に、次々と鋭い物体が突き刺さり、悶絶させる。
 司波深雪が走りながら、湖畔で拾っていたヒグマの歯牙を指先で飛ばし、銃弾のように狙撃しているのだ。
 『弾き玉』と呼ばれる技法である。


「おのりゃ、シロクマぁ――!!」
「くっ――」

 しかし、10頭以上外にいたヒグマたちの目を、深雪は眩ませきることができなかった。
 走り込む彼女を逸早く捕捉したヒグマが、階段の前から猛スピードで突っ込み、彼女の前に立ちはだかる。

 深雪は舌打ちとともに、右手に何かを振り被った。
 ラグビーボールのような形状をした黒いその物体の正体を、ヒグマは咄嗟に見破った。

「ミズクマさんかっ!?」

 司波深雪の狙いが、ミズクマの娘を投げつけて卵を寄生させ、この場を混乱に陥れることであるのは明らかだった。
 ならば命中する前に、ミズクマの娘を叩き落とし砕くのみ――。
 ヒグマはそう考えて身構える。
 しかし司波深雪は、いつまでたっても振りかぶった右手のミズクマを、投げなかった。


「鬼遁――、蛭子流し」
「え――」


 そしてその時、深雪の前に立ちはだかっていたヒグマは、自分の体内に蠢く違和感に気づく。
 目を落とせば、そこには既に自分の脇腹に産卵管を突き刺している、ミズクマの娘があった。

「いつの間、ニヒィィィ!?」

 直後、彼の体は孵化した大量のミズクマによって食い破られ、炸裂する。
 深雪はそのまま走る速度を緩めず、溢れ出る黒い船虫たちの脇を駆け抜けた。

 彼女の用いたのは単純な視線誘導だ。
 右手を大仰に振りかぶると同時に、彼女は相手の死角となった下から、左手のスナップでもう一匹のミズクマの娘を投げていたに過ぎない。
 だがそれだけの技術で、工廠前を混乱に陥れるには十分だった。
 司波深雪は手元に残る2匹のミズクマをも投げ捨て、大量に産まれた彼女たちに檄を飛ばす。

「さぁ行ってください! 『女性を食い物にしようとしている悪辣な艦これ勢のヒグマは、もうオスメス関係なくみんな食い殺しちゃってください』!!」
「うおぁぁ――!? 孵りやがったぁ――!!」
「誰か網をォ!! 網もってこいぃ!!」
「照明弾! 照明弾早くぅ!!」

 外の喧騒を聞きつけ、工廠内からも慌ててヒグマたちが飛び出してくる。
 ミズクマの群れと第一かんこ連隊のヒグマたちの大乱闘が勃発するも、中にはその騒ぎをかいくぐり、深雪を追おうとするヒグマが出てくる。
 しかしその瞬間、彼らの耳元には例外なく、背後から甘い吐息がかかっていた。


「……目近のものに気を取られると、メヂカの鮭も見逃すよ」
「な――!?」

 百合城銀子の鋭い牙が彼らの首筋に突き立ち、ごっそりとその気道と血管を抉ってゆく。
 血飛沫を吹いて倒れた同胞の姿に振り向いた時には、もう、ドレスを纏ったその少女の姿はそこにない。


「……頸動脈を食い千切る、まさにヒトクイ的殺傷手段がお待ちかねだ。がう、がう……」
「誰だ!? シロクマさんの他に誰かいるのか――!?」
「なっ、グァ!?」
「ぺひゅふ――」


 ミズクマの娘たちで溢れかえる湖畔の中に突如現れては幻のように消え去る百合城銀子の攻撃に、ほとんどのヒグマたちが対応することもままならず、一撃で喉笛を食いちぎられ倒れてゆく。
 走り続ける司波深雪は、彼女のそんな行動を後目に見て、驚愕していた。

「なんで逃げないで――、真正面から相手取っていくんですか!?」

 百合城銀子の奇襲は、確かに絶大な被害を敵陣に与えている。
 しかし彼女はその戦闘の渦中に切り込んだまま、一向に階段の方へ逃げてこようとしない。

「……いや、追っ手を減らすのと、私を狙いから外すのが目的――?」

 どうしたって貸しを作る気なんですね……。と、深雪は百合城銀子の配慮を察して歯を噛んだ。
 事実、銀子の襲撃に気を取られ、深雪を追ってくるヒグマはいなくなっている。
 後は階段側に残っていたヒグマ数頭を抜ければ、深雪は地上に逃げられるのだ。
 だが、それは銀子の恩情ではあっても、結局、司波深雪自身の実力が信用されていないということの証に他ならない。

『安心して身も心もゆだね賜え。じゅるり』

 心の奥に踏み込んでくるような銀子の声が思い返されて、深雪は全身がささくれるような不快感と悔しさに襲われた。


「ここは、通さぁぁん!!」
「うるさいッ……!!」

 悔しさと苛立ちと共に走る深雪の前に、ヒグマが躍り掛かる。
 だが彼女は舌打ちと共にさらに加速し、ヒグマの股下をスライディングのようにくぐり抜け、そのすれ違いざまに内股を斬りつけていた。
 湖畔で拾っていた死骸の爪は、同胞の毛皮に深く突き刺さった。

「――ウガァ!?」
「フェンリルバイト……!」

 突進の速度をそのままに急激に体勢を低くして地表を滑り込み、攻撃を行いながら相手の裏に抜ける技法、土遁・犬蕨。
 彼女が自身の凍結魔法と組み合わせ、フェンリルという技法に昇華させた原形の遁術である。
 ヒグマは前へつんのめって倒れ、深雪は止まることなく体勢を立て直して階段へと走った。

 もう、その階梯は目の前だ。
 次のヒグマを切り抜ければ、脱出できる。

「グオオオオオオ――!!」

 第一かんこ連隊のそのヒグマも、重々それを承知していた。
 司波深雪の手口を学習していた彼は、今度は姿勢を低くして構えながら突進してくる。
 股下を抜けることはできない。
 投げられるものもない。

 その瞬間司波深雪は、側方の壁に向かってステップを踏んでいた。

「パドマー……!」

 彼女の体が、宙に翻る。
 三角跳びの要領で側方からヒグマの頭上へ翻転した深雪の腕が、彼の首筋にかかった。

 風遁・逆蓮。
 本来なら落下の勢いで相手の裏に回りながら頸椎を捻り折り、頭から叩き落とすことまでできるはずの遁術にして投げ技だ。
 だがヒグマ相手に、ただの少女の肉体は力不足過ぎた。

「ェアオゥ!!」
「なっ――!?」

 深雪の肉体は、体格でも体重でも圧倒的に上回るヒグマの重心を、動かせなかった。
 彼女の腕力は、ヒグマの脊柱を捻れなかった。
 首で彼女をぶら下げた形のヒグマは、逆に飛び跳ねて深雪を地面に組み伏せてしまっていた。

「ぐあぁ――!」
「――何やってるんだバカ深雪!! 『遁(に)げる』だけじゃなかったのかよ!」


 遠くの工廠前で、銀子が狼狽した。
 確かに深雪は、三角跳びでそのまま階段に着地して逃げることもできたはずだ。
 それをしなかったのは、一度忍術がうまく行ったことに味を占めたからか。
 それとも、自分を終始軽んじてくるような銀子を、見返してやりたかったからか。

 なんて幼稚だったのか――。
 ヒグマの重圧に呻きながら自省しても、もう遅すぎた。


「おいお前! 私が相手だっ――」
「――っぽい、っぽい、っぽいぽい♪」


 組み伏せられた深雪に向けて、慌てて百合城銀子が走り込んでくる。
 その姿が宙に溶けるように消えた、と見えた直後、そこに真っ白な布がかかる。
 驚愕した少女の姿が、その布に衝突して浮き出た。

「うがぁ――!? がう!? がうぅ!?」
「朝焼け小焼けだ大漁っぽい♪ ミズクマさんの大漁っぽい♪」

 百合城銀子を大きな布の中にくるんで捕獲してしまった何者かは、そのまま拍子をつけて歌いながら、工廠前に群れるミズクマの娘たちへ、投網のように巨大な白布を投げつけてゆく。


「浜はお祭りぽいっけど♪ 海の中では何万の♪ ミズクマ弔いするっぽい♪」


 そして地引き網のように数百匹のミズクマを根こそぎ捕獲したその者は、一気にそれを地面に叩きつけ、砕き殺していた。
 鮮やかなその手並みに、組み伏せられたまま深雪は息を呑んだ。

「――ハンモック使い!?」
「……いやぁ、チリヌルヲたちとの連絡が途絶えたのもわかるっぽい。
 それなりに大損害っぽいお見事な奇襲だけど、タネが割れてしまえばどうってことないっぽい。
 この第一かんこ連隊長、夕立提督のお仕事は、この程度のインシデントには乱されないよ」


 工廠内から出てきたその細身のヒグマのメス、夕立提督は、ハンモックの白布にくるまれたまま暴れる百合城銀子をしっかりと押さえつけていた。

「モノクマさんとの戦いはばっちりビデオチェックさせてもらったっぽい。
 あなたは体のサイズを変えられるっぽい? それで暗がりに紛れて攻撃するっぽい?
 でも、大きかろうと小さかろうと、私がその都度ぴったり押さえてあげればそれまでっぽい」
「がう、がうぅぅ――!!」

 両手の爪は押さえられ、顔の上でピンと張り詰めた布は牙に噛むこともできない。
 クマモードとウィニングモードを切り替えても、銀子は布の中に捕らえられたまま脱出ができない。
 外からは、中でもぞもぞと暴れる彼女の様子が窺えるだけだ。

「香取提督もシロクマさんの鹵獲、ご苦労様っぽい」
「ええ、所詮人間は、仕事もできない身の程知らずの馬鹿であると、証明されましたね」
「あ、あ……」

 圧倒的なヒグマの腕力で四肢を捻り上げられた司波深雪は、眼前で百合城銀子を捕らえたまま微笑む夕立提督の視線に、震えた。


「……大丈夫大丈夫。これからシロクマさんは、ちゃんと仕事のできる有能で幸せっぽい馬鹿にしてあげるっぽい」


 一瞬の気の迷いが招いた結末に、司波深雪の思考は絶望と恐怖で塗り潰されていた。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「本当に大丈夫だから安心して欲しいっぽい。私たちはちゃんとシロクマさんのしてきたお仕事は評価してるの。
 私たちの住処の下地を作ってくれたのはあなたたちっぽいもんね。
 他の連中がなんて言うか知らないけど、少なくとも私の下にいる限り殺させはしないっぽい」
「……そのぽいぽい言う語尾をとってくれたら、多少は信用しますけどね」
「何言ってるっぽい? 私はシロクマさんと違って嘘なんかつかないっぽい?」
「……」

 第一かんこ連隊に捕獲されてしまった司波深雪たちは、そのまま工廠の中へと連行されていた。
 ミズクマと百合城銀子に殺されたヒグマは8頭にのぼったが、それでもまだ第一かんこ連隊には22頭のヒグマが残っていた。
 未だハンモックの中で暴れている百合城銀子を担いだまま、夕立提督と名乗るヒグマは、苦い表情の深雪に微笑んでみせる。


「私たちはただ、シロクマさんたちに心を入れ替えて、有能だったあの頃のようにお仕事してもらえればそれで良いっぽい!
 ほら、ここがあなたたちの新しい仕事場っぽい!」


 入った瞬間に、鼻を突くような臭気と熱気が深雪の顔を打つ。
 そこは煮えたぎる灼熱の釜から溢れる蒸気と、あたりにまき散らされた何かの血肉や体液で満ち、むせかえるようだった。
 一瞬で額に汗が浮かぶ。
 温度も湿度も、散らばった体液や臓物から漂う異臭も、半端ではない。
 あたかも地獄が顕現したかのようにすら思えるその労働環境は、劣悪の一言に尽きた。

「ほら、シロクマさんの先輩にあたる作業員っぽい? ご挨拶して」
「は……!?」

 あまりの光景に言葉を失っていた深雪は、その奥から出てきた人影に、さらに驚愕した。
 それは虚ろな表情でふらふらと歩いてくる、ビスマルクだった。


「……グーテンモルゲン(おはようございます)、ビスマルク型戦艦一番艦のビスマルクです。本日も喜んでご奉仕させていただきます」

 そして彼女は光のない目で明後日の方向を見やったまま、顔と体が全く連動していない恭しい動作で、ぎこちなくお辞儀をする。
 彼女の全身は血肉と体液で薄汚れてどろどろになっており、その表情は憔悴しきっていた。
 絶句する深雪の前で、夕立提督はそんなビスマルクの腹部を、にこやかに蹴り飛ばす。

「げふぅ――!?」
「違うよね? 奉仕なんてしなくていいから。あなたは何だっけ?」
「ごめんなさい……、ごめんなさい……!
 私はただの作業機械一号機です。ご命令に従って作業を遂行いたします……」

 腹を蹴られても、ビスマルクの体は不自然なほどに直立不同だった。
 よく見れば、彼女の首筋には艤装の他に、何か見慣れぬ操縦桿のようなものが突き刺さっている。
 先ほどのお辞儀の動作は、彼女の後ろに立っているヒグマがそのハンドルを操ってさせていたものだ。
 彼女はもう、そのハンドルを操作されなければ、微動だにできないもののようだった。


「うんうん、よく言えたっぽい。それじゃあここでの作業を後輩のシロクマさんに教えてあげて?」
「……はい。これはヒグマの死体を一切の無駄がないように解体し、HIGUMA細胞の他各部位を分別して再利用するだけの簡単な作業です……」

 司波深雪にはもう、理解が追いつかなかった。
 虚ろな眼差しで説明するビスマルクの額には、また新しい汗が浮かんできている。
 この過酷な環境での労働は、一体彼女にどれだけの苦痛を強いているのか。
 想像もできぬ苦役が彼女に、そして今後自分にも降りかかってくるのかと思うと、深雪の体は言い表せぬ感情に震えた。


「この作業は楽しいっぽい?」
「はい。この作業は素晴らしく幸福で楽しいお仕事です。
 何も考えずお仕事ができる快感に私は感謝と幸福を抑えられません」

 ヒグマたちの死骸を見過ぎて、ビスマルクの心はもはや麻痺してしまったかのようだった。
 抑揚もなく言葉を紡ぐ彼女のその顔は、亡き兄の表情にも、似ていた。
 司波深雪の中で、何かが堰を破った。


「こんな凄惨な……、地獄のような環境の、心を殺す作業が、楽し、い……!?」

 怒濤のように、彼女は夕立提督へ叫びをぶつける。


「仕事とは、感情を殺して体を動かし続けるものじゃありません!!
 そんな作業で楽しみが得られるなんて、まやかしです!!
 自分の内から溢れる原動力を発露させてこそ、仕事は、良い結果に至るんです!!」
「モチベーションの話をしているっぽいけど、そんなもの、どうとだって作れるっぽい?」

 その怒気に溢れた言葉を、夕立提督は苦笑で受け流した。
 そのまま夕立提督は大釜の脇の栓を抜き、そこから何かを注射器に吸い出して持ってくる。


「ほら、できたっぽい。マレーシア料理である骨肉茶(バクテー)をアレンジし、何百ものヒグマの脳から抽出したモノアミン神経伝達物質にMAO阻害薬その他もろもろを配合したお料理っぽいおくすり……。
 言うなればとっても気持ちよくなれるっぽい、お仕事用麻薬っぽい?
 お兄様が亡くなってお仕事もできないほど疲れちゃったシロクマさんも、これを血管から食べれば元気ハツラツのファイト一発っぽい?」


 ヒグマたちに押さえつけられる司波深雪の目の前に、針先に滴る澄んだ液体が突きつけられる。
 モノアミン神経伝達物質と言えば、脳内麻薬の一種だ。
 そのほかに何が入っているのか定かではないが、これを打たれてしまえば恐らく正気を保つことは不可能なのだろうことは容易に推測できた。
 深雪は身を固くして唸る。


「その知識と技術……、もっとマシなことに使う気はないんですか!」
「その言葉はシロクマさんにそっくりそのまま返すっぽい。
 私たちのモチベーションを、『マシじゃない』方に向けてしまったのは、元はといえばシロクマさんたちの行いっぽい!」

 夕立提督は彼女を見下ろしてせせら笑うが、その目は全く笑っていない。
 むしろ恨みと怒りを以て見下している、そんな眼差しだ。
 シロクマとしての自分が、いかにヒグマたちの反感を買ってしまっていたのか――。
 剥き出しにぶつけられる負の感情に、深雪はその事実を深く思い知る。

 だが、だからこそ、司波深雪はここで諦めるわけにはいかなかった。


「――ビスマルク! あなたの言う規律とは、こんなものだったんですか!?
 殺すべき戦闘員と守るべき非戦闘員の区別も付かないんですかあなたは!」


 深雪は目の前の夕立提督にではなく、その奥のビスマルクに向けて声を投げた。
 もはや何をしたところで、自分に向けられる恨み辛みは解消しようがない。
 いくら諦めて償おうとしたところで、それは空費されるだけの賽の河原の苦行にしかならないのだろう。
 ならば足掻かなければならない。
 絶望に押し潰されてはならない。

 兄が、自分が、隣人が。
 心の死んだ傀儡になってしまうのは、もう御免だった。


「勝った方が正しいのなら、まず自分の弱さに勝ちなさい!
 戦艦なんでしょうあなたは!! ――しゃんとしなさいッッ!!」
「あ――」

 涙ながらに叫んだ司波深雪の言葉は、自分自身にも向けられていた。
 虚ろだったビスマルクの目が、一度まばたきをした。


「無駄無駄無駄っぽい!! 仲間たちを何頭も殺したあなたは、その命を代償するの。当然のことでしょ――?」
「うぐ――」

 叫ぶ深雪の体が、さらにきつく組み伏せられる。
 そして彼女へ、夕立提督は怨嗟を込めて注射器を突き立てようとした。


「さぁ悔いて、償うっぽい! あなたのお仕事でね!」

 司波深雪の首筋に、まさにその薬剤が投与されようとした瞬間。
 自分の体が背中から階段を転落するかのように、下へ下へと落ちてゆくようなめまいを、彼女は感じていた。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「ショ――ォック……♪」

 夕立提督の首筋に、何の前触れもなく少女の吐息がかかっていたのは、まさにその時だった。
 彼女が掴んでいたハンモックの袋が、軽くなっていた。


「なぁ――!?」
「クマショック!!」

 夕立提督が咄嗟に背後を薙ぎ払うよりも、百合城銀子の回し蹴りが彼女の延髄に決まる方が早かった。
 衝撃に仰け反りながら、夕立提督は白目を剥いて倒れる。
 突然出現したそのドレスの少女の存在に、あたりのヒグマたちが一斉に驚きでどよめいた。


「夕立提督――!?」
「貴様、どうやって抜け出した!?」
「くっはっはっは、驚いたかい? よく思い出したね深雪。
 ……万物の根源(アルケー)はクマである。
 クマは全ての始まり(アルケー)であり終わり(テロス)である!」

 驚くヒグマたちをよそに高らかに笑った百合城銀子は、まるで舞台上から観客を睥睨するように、大きく見得を切りながら朗々と語った。


「キミたちは自分の見たいものしか見ようとしない。たとえそれが仮初の世界でもね」
「何言ってやがる! 網だ! ハンモック出せ! 捕らえろ!」
「さぁさぁさぁ、キミたちは曖昧なクマのいた場所を覚えているか?
 クマジョ直伝の境界の溶解。キミたちが見るのは一体何だ?」


 百合城銀子の口が、カパッと異様なまでに開いた。
 その直後、開け放たれた彼女の喉の奥からは、大量の黒い甲虫のようなものが溢れ出てきていた。
 そして銀子の体はまるで風船の空気が抜けるようにしぼんで、船虫のような生物の怒濤の中に消えてしまう。
 再び彼女を捕らえようとしていたヒグマたちが、一気に恐慌に陥った。


「ぎゃぁ――!?」
「なんでまだミズクマさんがいるんだよぉ!?」
「あいつはどこに行った――!?」
「や、やばいぃ――、夕立提督、夕立提督!!」


 それは突然大量発生したミズクマの娘たちで作られた津波だった。
 百合城銀子を食い破ってそれらが出てきたのか。そもそもどのようにして百合城銀子がハンモックの束縛を脱出したのか。
 目の前で見ていた彼らにもまったくわからない。
 一体なぜ、どこから、どのようにして数百匹にものぼるミズクマが出現したのか、いくら考えても理解不能であり、そうして思考が埋まっている間に、逃げ遅れたヒグマたちは次々とミズクマの娘たちに集られてゆく。

 そしてその狼狽したヒグマたちがさらに突然、数頭まとめて塵のように消し飛んだ。
 逃げるヒグマに取り押さえられたままの司波深雪が、その光景に息を呑む。

 それは信じられないことに、今は亡き彼女の愛する人物の攻撃に見えた。


「あれは、お兄様!? お兄様の『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』――!?」


 司波達也の分解魔法が、その場に展開されたようにしか、思えなかった。
 それくらい一瞬で、集っているミズクマの娘ごと音もなく、もがき苦しむヒグマたちが消え去ったのだ。
 深雪の表情は、彼女の心を溢れさせて一気に明るくなる。

「お前の仕業かシロクマぁ!? 今すぐ、攻撃をやめさせろぉ!!」
「ぐぅ――」

 彼女の言葉に、咄嗟にヒグマが反応して髪を掴んだ。

「……無駄だよ、ここのユリはどんな嵐にも折れない」

 しかしその時、深雪を捕らえるヒグマの首には、虚空から出現した百合城銀子の跳び蹴りが突き刺さっていた。
 ミズクマに食い破られたようにも見えた彼女は、五体満足で地に降り立ち、伸びたヒグマの脇から司波深雪を助け起こす。


「……テロスを変革するのはユリである。さぁ、行こう深雪」
「え――!? あなた、無事――、なんで!?」

 深雪は度重なる驚きの連続に、眼を白黒させるのみだ。
 そんな彼女に、百合城銀子は軽く肩を竦める。

「まぁ、カレのおかげ、とでも言っておこうか」
「彼――!? やっぱりお兄様が、ここにいるんですね!? 司波、達也が!!」


 大きく張り上げた深雪の声に、ヒグマたちの狂乱はさらに強まった。


「シバさんだと!? シバさんがいるのか!?」
「なんで――、死んだはずじゃぁ――!?」
「夕立提督、目を開けてください夕立提督!!」

 なおも氾濫しているミズクマたちから逃げ惑うヒグマ。
 その間に音もなく粉微塵に消し飛ばされるヒグマ。

「……キミがこの場所に何を見ようと自由さ。とりあえず逃げよう」
「待ってください! お兄様が、お兄様は一体どこに――」
「逃がすかよぉ――!!」

 しかし連隊長が倒れ統制が取れなくなった第一かんこ連隊でも、まだ、ひっそりと逃亡を試みる司波深雪と百合城銀子の前に立ちはだかるヒグマはいた。
 勢いよく振り降ろされる前脚を、深雪と銀子は左右に分かれて躱す。
 そのまま深雪は、横の壁から再び三角跳びのようにヒグマの頭上をとった。

 だが今度の深雪の行動は既に学習されていた。
 ヒグマは上を跳ぶ深雪に向けて先読みのアッパーを繰り出している。


「グオォ――!!」
「ヴェズルフェルニル!」


 だがその瞬間、上空で腕をクロスさせていた深雪は、片手でヒグマの腕を弾きながら、片手で何かを真下へ投げ降ろした。
 それはついさっき彼女に刺されようとしていた、お仕事用麻薬の注射器だった。
 ――金遁・翆。
 本来は上空から真下の相手をひっそりと突き殺すためのその技法が、ヒグマの目玉に深々と注射針を突き刺す。

「えい」
「ぎゃぁ――、ぁふ……ん……」

 そして間髪入れず、サイドからステップを踏み戻った百合城銀子が、手を伸ばしてその薬液を眼の中へ押し込む。
 ヒグマはがくがくと四肢を痙攣させて倒れた。
 恍惚とした表情で涎を零しているそのヒグマを見て司波深雪は、『打たれなくて本当に良かった――』と、心からそう思った。


「ぐああああぁ――、ぽいぽいぽぽいのぽい!!」


 その時、運ばれながら気付けを施されていた夕立提督が、呻きながらその艤装の砲を撃ち出していた。
 彼女の12.7cm連装砲B型改二――、夕立砲から連射されたのは、真っ白な布の塊、ハンモックだった。
 四方に重りがつけられたそのハンモックは、射出の勢いで回転しながら広がり、一帯に溢れかえるミズクマたちを上からどんどんと覆い、封じ込めてゆく。


「シバさんなんているわけないっぽい!! みんな、労働歌斉唱ォ――!!」
「げ、あいつが目を覚ましたぞ深雪」
「くっ――、こっちです!」

 苛立ちも顕わに、ハンモックの上から床のミズクマたちを踏み潰し始めた夕立提督が檄を飛ばす。
 歌と動作にて飛び交う彼女の指示に、第一かんこ連隊の残党は一挙に統制を取り戻した。


「っぽい、っぽい、っぽいぽい!」
「暴虐の雲、光を覆い、敵の嵐は荒れくるう、っぽい!」
「ひるまず進め我等の友よ、敵の鉄鎖を打ち砕く、っぽい!」
「自由の火柱輝かしく、頭上高く燃え立ちぬ、っぽい!」
「いまや最後の戦いに、勝利の旗はひらめかん、っぽい!」
「立てはらからよ、行け戦いに、聖なる血にまみれようっぽい!」
「砦の上に我等の世界、築き固めよ勇ましく、っぽい――!!」


 ハンモックが投げられ、上から覆われたミズクマたちが潰されてゆく。
 走り出した司波深雪は百合城銀子の手を引き、工廠の外へ向かわずに、内へ内へと入って行った。
 第一かんこ連隊のヒグマたちがそこへ急速に追いすがってくる。
 出ようと思えば初めから外に向かえたはずなのに、銀子は深雪の行動を図りかねて慌てた。


「深雪!? 追いつめられてるぞ!?」
「こっちでいいんです!!」
「バカっぽい! そっちは行き止まり――」


 夕立提督が、そんな二人の後ろ姿に嘲笑を向けたその直後だった。
 彼女たちが逃げていった一室が、突然大爆発を起こす。
 部屋の中に突入しようとしていたヒグマたちが、その爆炎に焼かれて吹き飛ばされる。


「香取提督! 鹿島提督――!?」


 爆風の衝撃で尻餅をついた夕立提督の前に、焼け焦げて絶命した隊員の死体が転がる。
 呆然と見上げた彼女の目の前で、吹き飛んだ屋根から上へもうもうと黒煙が上がり、赤い炎が工廠の間取りを舐めるように焼き始めていた。


「――ま、まさか、始めから逃げる気なんてなかったっぽい……!?
 身を賭してもお兄様の仇を討ち、工廠の機能を止めるのが目的だったっぽい……?」


 司波深雪も百合城銀子も、部屋ごと木端微塵に吹き飛んだとしか、思えなかった。
 彼女たちが吹き飛ばして行ったのは、艦これ勢の装備が集約されていた、武器の保管庫だった。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「……すごいな深雪は。追撃の可能性を消し去ったぞ」
「火遁・微塵隠れの術……。あたかも彼女たちには自爆テロのように見えたでしょうね」

 炎上する湖畔の工廠を後にして、素早い忍び足で地上への階段を駆け上がっている少女たちがいた。
 言うまでもなく、司波深雪と百合城銀子である。

 拿捕されている間に、司波深雪は工廠内の構造を把握していた。
 武器の保管場所を見抜いた彼女は、内部に追いつめられているように見せかけながら、保管庫にて酸素魚雷の爆薬を炸裂させていた。
 大爆発に紛れて、ダクトを伝って外部に抜けていた彼女たちは、艦これ勢の注目が炎上した工廠に向いている間に、誰もいなくなった地上への階段からまんまと逃走を成功させていたのだった。


「……結局、お兄様は見つかったのか、深雪」
「……いいえ。見回してみましたけど、影も形もありませんでした。
 それはそうですよね……、あのメスヒグマの言う通り、生きてるわけないんですから。
 何かの見間違いだったのか……」


 二人が出た階段の上は、盛り土をされた何の変哲もない家屋の一室になっていた。
 津波の被害を免れたらしいその建物からは、ガラス窓越しの夕日が見える。
 日差しの明るさが、深雪にはとても久しぶりに感じられた。

 溜息をついている司波深雪に、銀子は優しく声をかける。


「そうかな? だが確かに深雪は、お兄様に助けられたんだよ?
 『死せる司波達也、生ける妹を逃がす』、とでもいうのか」
「『死せる孔明、生ける仲達を走らす』ですか?
 ……確かにあの状況と、私の勘違いとで、彼らの隙はだいぶ大きくなりましたけれど」

 銀子は有名な三国志の故事を引いて喩えた。
 それは既に亡き人物が生きている人物に大きな影響を与えることであり、即ち、深雪の兄が生きている訳ではないことをはっきりと再認識させる言葉だった。
 だが銀子は、落胆する深雪へ得意げに語り始める。


「キミが見たものが、キミにとっての真実だが、別に真実は一つじゃないよ」
「え?」
「例えば深雪は、本当に私が、肩に乗れるほど小さなクマに一瞬で変化できると思うか?
 質量保存の法則は一体どこに行った?
 変わっているのは私の姿じゃなくて、キミたちの視点と感覚だとは思わないのか?」

 深雪には彼女が、唐突にわけのわからないことを言い始めたようにしか思えなかったが、続く彼女の所作に驚愕してしまう。
 おもむろに顔に手をやった彼女は、次の瞬間には、その手のひらに巨大な船虫のような生物を乗せていた。


「ほら、ミズクマだ」
「えぇ!?」


 すべてあの工廠で潰されたと思ったミズクマが一体どこから出現したのか、深雪にはわからない。
 蠢くミズクマの娘を手渡されながら、深雪は怪訝に問う。
 思い返せば、銀子がハンモックから脱出し、反撃のきっかけを作った変わり身の術のような何かの正体も、掴めないのだ。

「そう、あの時も……、一体、あなたはどこにミズクマを隠し持っていたんですか!?
 突入前の、『万全のコンディション』というのが関係あったんですか!?」
「まぁなんでもいいだろう。そんなものの境界は、とっくに曖昧になっている。
 あそこがさっき曖昧なクマのいた処だ。あそこが少しキミの頼りになるだけだ」

 銀子は話をはぐらかしている。
 おそらくそこに、彼女の用いる技術のタネが隠されているのだ。
 そして同時にそこに、彼女が終始深雪に伝えようとしている、兄を蘇らせるための心構えのようなものが存在しているのだろう。

 夕日を背に語る百合城銀子の姿は、古の哲学者のようだった。


「キミの使う忍術だって似たようなものだろう?
 私たちはクマだと思っている人間ではなく、人間だと思っているクマかもしれない。
 私は『クマリア様にしてクマジョ』たる泉乃純花が棲家に住める者。
 方法的懐疑から出発し、主観と客観の一致をもたらす、我が母にして『クマの森の女王』たる百合城カレの技法をあそこまで帰納することも、不可能じゃないのさ」

 方法的懐疑。
 それは哲学の領域から発生した虚実転換法だ。
 忍術とはまた発祥を異にすれど、おそらく百合城銀子の用いている技術も、古式魔法と哲学や演劇を組み合わせて高められた虚実転換なのだろう。
 常に思わせぶりで、妙に芝居がかった彼女の言動も、恐らくその技術の効果を維持するための技法の一巻だ。
 もしかすると彼女にとっては、この戦いもすべては舞台上の劇のようなものであり、役者たる自分に相対する敵は全て観客なのかもしれない。

 生死をかけた戦いに巻き込まれている非力な少女は、本当はそんな劇を演じているだけの女優なのかも知れない。
 劇の中では、自分はクマの力と冷徹な思考を有した超人なのかも知れない。

 その場の環境を操作して自他をトランス状態に落とし、自分の弱さを押さえ込み、現実をできる限り自分の妄想に近づけている――。
 感覚的に、深雪は銀子の行動がそのように捉えられた。


「……でもそれは、ただの思い込みじゃないですか」
「そうだ。だが事実、世界は私たちのスキで目覚め、変わってゆく。そういうものなんだ」

 階段の際に自分たちの臭気や痕跡が残っていないことを確認しつつ、二人は地上と地下の境界だった家屋を後にしようとする。
 その間にも、ソクラテス式問答法のような二人の対話は続いていく。


「世界の情報体(エイドス)を、思い込みだけで変化させる……。
 それはあなたたちの一族に伝わる古式魔法だと思っていいのですか?」
「確かにあの場に展開されたのは、初めからある忘れられたスキが見える魔法だ。
 だが、本物のスキは星になる。地上に落ちた星は約束のキスになる。
 魔法が使えなくても、魔法は使えるのさ。今の深雪にもね」

 しかし、二人の対話は空の境界線の反対側にいて交わることがない。
 二人の使う言葉は、同じ言語であるはずなのに全く異なっている。
 司波深雪は、百合城銀子の問答を理解しようとすればするほど、またも煙に巻かれていくように感じて混乱した。


「魔法演算領域が壊れてるんですよ、私は……!
 あなたの言う魔法の定義は、私たちと違うんですか?」
「お兄様は確かに死んでいる。だがあの時、お兄様は確かに生きてあの場にいた。
 さて、その時のお兄様は、果たしてどこから来たのか?
 それがわかった時、きっとキミのスキも星になる。キミのホシガリは、そのとき初めて約束のキスに届く」

 その矛盾に満ちた問いかけは、あの曖昧なクマ――、ヒグマ帝国の長である穴持たず50イソマの言葉にも似ていた。
 深雪はアポリア(命題について回答不能)に陥った。
 彼女はばさばさと髪をふるって気を取り直し、ヒグマの血にまみれた額を押さえる。

 ようやく地上に脱出できたのだ。
 こんなところで、どこの馬の骨ともわからぬ少女と曖昧な問答を続けている暇はない。


「もういいです。とにかく、誰かと合流を……。
 シーナーさんは生き埋めとか言われてましたっけ……」


 あの時のヒグマ帝国の状態ならば、シーナーが埋まってしまったという位置は、恐らく示現エンジンの付近だろうか。
 現段階で助けに向かうのはかなり厳しいかもしれない。
 最悪、せめて生き残っている参加者でもいいから、早急に江ノ島盾子を打倒できる人員を確保したいところだった。

 その時、虚空へ鼻をひくつかせていた百合城銀子が、パッと表情を明るくする。


「月の娘だ……! 月の娘がいるぞ、深雪! さあ、こっちだ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! いったいどうしたんですか!?」


 突然そう声をあげた銀子は、驚く司波深雪の手を引いて、北東の森に向けて駆け出して行く。
 また百合の花の匂いでもするのか、と深雪は深く息を吸ってみたが、あたりからは、ただ血の臭いが漂ってくるだけだった。


【E-4 街 夕方】


【穴持たず46(シロクマさん)@魔法科高校の劣等生】
状態:ヒグマ化、魔法演算領域破壊、疲労(大)、全身打撲、ヒグマの血にまみれている
装備:ミズクマの娘×1体
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:兄を復活させる
0:諦めない。
1:一体どうしたんですか、月の娘って!?
2:江ノ島盾子には屈しない。
3:私はヒグマたちに対して、どう接すれば良かったのでしょうか……。
4:残念ですが、私はまだ、あなたが思うほど一人ぼっちではないようです。有り難いことに……。
5:私はイソマさんに、何と答えれば、良かったのでしょうか……。
[備考]
※ヒグマ帝国で喫茶店を経営していました
※突然変異と思われたシロクマさんの正体はヒグマ化した司波深雪でした
※オーバーボディは筋力強化機能と魔法無効化コーティングが施された特注品でしたが、剥がれ落ちました。
※「不明領域」で司馬達也を殺しかけた気がしますが、あれは兄である司波達也の
 絶対的な実力を信頼した上で行われた激しい愛情表現の一種です
※シロクマの手によって、しろくまカフェを襲撃していた約50体の艦これ勢が殺害されました。
※モノクマは本当に魔法演算領域を破壊する技術を有していました。


【百合城銀子@ユリ熊嵐】
状態:殴られた顔が腫れている
装備:自分の身体
道具:自分の身体
[思考・状況]
基本思考:女の子を食べる
0:月の娘だ! 月の娘の匂いがするぞ!
1:まずは司波深雪を助け、食べる
2:ピンチの女の子を助け、食べる
3:数々の女の子と信頼関係を築き、食べる
4:ゆくゆくはユリの園を築き、女の子を食べる
5:『私はあらゆる透明な人間の敵として存在する』
[備考]
※シバに異世界から召還されていた人物です。
※ベアマックスはベイマックスの偽物のようなロボットでシバさんが趣味で造っていました
※ベアマックスはオーバーボディでした。
※性格・設定などはコミック版メインにアニメ版が混ざった程度のようですが、クロスゲート・パラダイム・システムに召還されたキャラクターであるため、大きく原作世界からぶれる・ぶれている可能性があります。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「……で、あなたは、何してくれちゃったっぽい?」

 ようやく火災が鎮火した地下の艦娘工廠で、ハンモックの白布に覆われ、簀巻きのように拘束された人物がいた。
 夕立提督が静かな怒りを込めて、その顔の部分の布をまくる。

 それは、目に爛々と光を灯した、ビスマルクだった。


「あなたの主砲、ブラックホールクラスター……。静かなはずっぽい。ブラックホールだもの。
 私たちの注意がシロクマさんに向いてる間、後ろでいつから溜めてたの?
 というか、艤装を操作する神経回路まで、操縦桿が届いてなかったっぽい?」
「私の信じた規律は……、決してこんなものではなかった……!」


 もはや咎めるでもない冷え切った口調で呟く夕立提督に、ビスマルクは簀巻きにされたまま歯を剥いて唸る。
 彼女は百合城銀子とミズクマによる突然の逆襲に混乱した第一かんこ連隊を、後ろから狙い撃ちにしていた。
 自分の手足は動かせなくとも、まだ彼女の思いは、装着された矜持である自分の砲には、届いたのだった。


「うちのヒトラーも真っ青だわ、こんな虐殺の強制収容所……!
 武装もない、筋肉の発達もない、私が解体してきたのはみんな一般のヒグマでしょ!?
 シロクマさんに言われて目が覚めたわ……! あんたたちアトミラールはみんな間違ってる!
 私の仕事は、人を守り戦うことよ! こんな悪逆無道に加担することじゃ、ない!!」
「……あなたのお仕事は、要求されたことに応えること。それだけ。
 うちの隊員を虐殺したのは、他でもないあなた。よく言えたものっぽい」

 夕立提督には、ビスマルクの叫びは、自分の行ないを棚に上げたたわごとにしか聞こえなかった。
 ――しょうがない、所詮非常食っぽい。
 と、彼女は呆れ交じりに溜息をつく。


「仲間殺しは、あなたたちの方でしょう!? 無抵抗の相手をよくも――」
「機械のくせにうるさいよあなた。ちょっと黙ろうか」
「もが――!?」

 なおも吠えるビスマルクの口に、夕立提督が何か太くて長いものを突き込んだ。
 冷めた表情で彼女がぐりぐりとビスマルクの咽喉にまで押し込んでいるのは、ビスマルク自身の装備であった38cm連装砲改の砲塔である。

「ぐぅ~~――!! うむぅ~~――!!」

 そのまま第一かんこ連隊は、呻いてもがくビスマルクを押さえつけ、彼女の口元で連装砲の砲台を組み直してゆく。
 彼女の口はまるで猿轡かギャグボールを嵌められてしまったかのように最大限まで開かれ、吐き気を催すような奥まで砲の尻が突き込まれた状態で固定されてしまう。


「……あなたの信じるものなんて、初めから何もなかったっぽい。
 はい、今度連装砲撃つときは、その衝撃を全部自分の歯と首で受け止めてね」
「うぐぅぅぅ~~――!?」


 ビスマルクはその有無を言わさぬ行為に、ようやく寒気と共に自分の立場を思い知った。
 彼女はもう、口答えなどできる立場ではなかった。
 既に彼女の全身は、指一本さえ自由にならない囚われの身だ。

 気づくのが、実に半日近く遅かった。
 初めからあったはずの忘れられた誇りを、彼女は自分が作られてすぐに、思い出しておくべきだったのだ。

 抵抗できぬ彼女の目の前が、覆われる。
 ステレオスコープが取り付けられた目隠しが、彼女の顔面に固定されたのだ。
 着弾観測用のそのスコープは、ビスマルクの視界ではなく、彼女の背部に取り付けられたモニターに接続される。
 腕が、脚が、奇妙な機械の装甲と装備に覆われてゆく。
 それらは全て、ビスマルクが今まで解体してきたヒグマの骨皮で、第一かんこ連隊が製作してきたものだ。


「ああ、それと仕事の邪魔をする、あなたの邪悪な思考なんていらないっぽいよね。
 あなたは幸せだよ。あとは清らかな心で、お仕事に気持ちよくなってればいいんだから……」
「ふぶぅ~~――!!」

 そしてビスマルクの耳には、何かの液体が針に吸い上げられてゆく微かな音が響く。
 ビスマルクは、目隠しの下に涙を流した。
 しかしもう、少しも逃げることは叶わない。


「さぁ、月月火水木金金♪ 幸せな24時間労働があなたを待ってるっぽい♪」


 ビスマルクの首筋に、精製された大量のお仕事用麻薬が注射されていた。
 彼女の全身が痙攣し、艦尾の方からバラスト水が溢れ出す。
 その甘い間代発作が収まった後、その体は、首の後ろのハンドルに操作されるまま立ち上がっていた。


「『正しいかどうかは誰かが決めることじゃない』。『勝った方が正しい』。
 ビスマルクちゃんが言ったことだろ? さぁ、行こうか。改造はとっても上手く行ったぞ。
 これでビスマルクちゃんは完璧に幸福な作業用機械になったんだ! 良かったなぁ!!」
「うー――……」


 そうして人型の機動兵器と化した彼女は、粛々と工廠の戦闘の後始末に従事する。
 目隠しをされ、操縦桿に操られるがままのビスマルクは、そのハンドルやスイッチが作動する度に快感で痙攣した。
 主砲を突き込まれて開かれたままの口からは、よだれが止めどなくこぼれ落ちた。
 それでも彼女の体は、その意志とは関係なく、淀みなく解体作業に従事し続けていた。

 夕立提督はそんな彼女から踵を返し、無事だった工廠の奥へと歩を進める。
 そこでは穴持たず677が、今までの襲撃などなかったかのように、相変わらず平然とした態度でモニターに向かっているだけだった。

 彼に向けて、夕立提督は考えを整理するかのように呟き始める。


「ロッチナ……、チリヌルヲたちは、モノクマさんの監視がないところで全滅したんだよね。
 これは、今までたまたまっぽいと思ってきたけれど……」
「皆まで言うな。今回の戦いを見ても、彼女らは少々攪乱に長けているだけだった。
 あれで第三かんこ連隊のやつらが全滅するなど、最初からあり得ないと気づく」
「あのドレスの子は、胃の中にミズクマさんを隠し持ってたっぽい。たぶん、食べた肉に卵を産み付けさせて、培養してた……。
 その場では見破れないほど周到な手口と覚悟だったけど……、確かにそれだけっぽい」


 夕立提督は、百合城銀子を包んでいたハンモックを掲げた。
 ハンモックの端には円形の小さな噛み跡がいくつも付き、そこから穴を広げられて破られている。
 ミズクマの歯型だった。

 夕立提督の見立てでは、百合城銀子の逆襲は、そんな狂気じみた大道芸によって成し遂げられたものに過ぎず、司波達也の復活にも思えた謎の攻撃は、ビスマルクの反逆に過ぎなかった。
 それが仕事第一主義の、彼女が見た真実だった。

 そんな相手に、第三かんこ連隊が全滅するようなことは、有り得ない。
 そこから導かれる結論は、ただ一つだった。


「モノクマさんには、俺たちをも殺そうとしている伏兵がいる。……だが、やることは変わらん」
「……了解っぽい」


 ロッチナも夕立提督も、その考えは同じだった。
 そのためには、ビスマルクなどという些細な手駒にかかずらっている暇などないのだ。
 ロッチナと別れて、夕立提督は残った連隊の面々に声をかける。


「さぁ、じゃあ仕事するよ! 本当、この職場を地獄だなんて失礼しちゃうっぽい。
 私たちだってビスマルクと一緒にずっと働いてたってのにね!」
「やっぱりシロクマさんはぬるま湯に浸かった恥曝しでしたね。いったい今までどれだけ甘やかされてたんだか」
「言っても仕方ないっぽい。骨肉茶(バクテー)食べて再建頑張ろぉー!」
「おー!!」
「あ、ビスマルクちゃんにも鼻から骨肉茶(バクテー)食べさせてあげるからな」
「うぶぐぶむぶぅ~~――!!??」
「やっぱり夕立提督の料理は最高ですってよ!」
「そりゃ嬉しい限りっぽい。きっといい燃費を叩きだしてくれるっぽい?」


【E-4の地下 ヒグマ帝国:艦娘工廠 夕方】


【穴持たず677(ロッチナ)@ヒグマ帝国】
状態:健康
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:艦娘のために、ヒグマ帝国を乗っ取り、ゆくゆくは秋葉原を巡礼する
0:他のヒグマの間に紛れて潜伏し、反乱から支配を広げ、口減らしをしてゆく。
1:艦隊これくしょんと艦娘の素晴らしさを布教する。
2:邪魔な初期ナンバーのヒグマや実効支配者を、一体一体切り崩してゆく。
3:暫くの間はモノクマに同調する。
※『ヒグマ提督と話していたヒグマ』が彼です。
※ゲームの中の艦娘こそ本物であり、生身の艦娘は非常食だとしか思っていません。


【夕立提督@ヒグマ帝国】
状態:『第一かんこ連隊』連隊長(作業勢)、駆逐艦夕立改二のコスプレ
装備:駆逐艦夕立改二のコスプレ衣装、61cm四連装(酸素)魚雷、12.7cm連装砲B型改二(夕立砲)、ハンモック、ヒグマ製お仕事用麻薬
道具:単純作業、作業歌、楽しい価値と意味付け
[思考・状況]
基本思考:ゲームとしてヒグマ帝国を乗っ取り、楽しく効率を求める
0:ロッチナの下で楽しく効率よくステキに作業する。
1:艦隊これくしょんと艦娘を使った作業の素晴らしさを布教する。
2:邪魔なヒグマや人間を、楽しく効率よく処分する。
3:暫くの間はモノクマに同調する。
※ゲームは楽しく効率を求めるものであり、艦娘はそのための道具だとしか思っていません。
※ことによると自身や同胞のヒグマも道具だとしか思っていません。
※『第一かんこ連隊』の残り人員は10名です。


【Schlachtschiffe der Bismarck-Klasse H“ビスマルクドッグ”@艦隊これくしょん?】
状態:Bismarck drei(意味深)、ヒグマ製お仕事用麻薬中毒、自分の犯した罪による絶望、全身に改造装備が突き刺さっている
装備:38cm連装砲改(ブラックホールクラスター改)、8cm単装高角拳×2(アームパンチ)、骨釘(ターンピック)
道具:ステレオスコープ、猿轡、操縦桿
[思考・状況]
基本思考:ごめんなさいごめんなさいごめんなさい許して下さい許して下さい許して下さい
0:ああ、痛い、辛い、苦しい、気持ちいい……
1:これが仕事……? これが戦争……? これが正義……?
2:私の信じていたものは、一体なんだったの……
[備考]
※ヒグマ提督が建造した艦むすです
※ヒグマ帝国側へ寝返りました。
※寝返った先が本当にヒグマ帝国だったのか彼女にはもうワカリマセン。
※アーマードトルーパー風の改造を施されました。
※ベースになったのは接近戦と立体視、偵察・着弾観測用にカスタマイズされたATM-09-SSC“パープルベアー”のようです。
※艦橋に刺された操縦桿で直接艦体を操作されます。搭乗者は彼女におんぶされるような形になります。

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最終更新:2016年10月09日 22:36