見上げれば、容赦無く天空から降り注ぐ眩い太陽の日差し。そんな太陽の恵みをたいそう邪魔に感じて顔をしかめつつ、早々にその光を柔らかに反射する水面へと視線を移す。穏やかな水面はきらきらと光を弾きながらゆっくりと波打ち、進みゆく船の舳先が当たれば、それはまるで縫製士が絹を切っているかのように滑らかに広がる波を畝らせていく。
しばしその光景の妙を楽しんだ後、前方へと視線を向ける。船上から見る景色は同じ海のはずなのに、かつて彼女が一人で何のあてもなくトリオール海を渡った時よりも、とても広大なものに見えた。
とはいえ何故そう見えるのかは、何となくわかるような気もする。きっと恐らく今の自分には、漠然としながらも大きな『目的』があるからなのだ。ただ単に目の前の現実から逃げ出し、俯いていただけのあの時とは、決定的に心のあり方が違うから。だから今の自分は外へと自発的に目を向け、今までみたであろう光景にさえ、新たな発見と新たな感動をすることができるのだと、そう思う。
そしてこれから向かう先で彼女にはきっと、これまでの人生の中で最も面白い出来事が待ち受けている。それを予感として、痛いほどに肌に感じる。
「キャンディ嬢ちゃん、ヤーマスへの入港は明日の朝一くらいになりそうですぜ。この辺りはピドナよりも潮風が冷たいから、あんまり長居しないようになー」
背後から話しかけられ、それに反応して振り返る。そこには作業中の気の良さそうな船員が荷を持ちながら、こちらを見ていた。
「あ・・・はい、ありがとうございまっす」
少し噛んでしまった。しかし船員はそんなことは特に気にもせず、にこやかに笑いながら作業に戻る。なにやら自分ほどの年の娘がいるとかいないとか、そんな話を彼とは数日前にも甲板でしたような気がする。
こうして他人と会話をするのも、思えば今まではあまりしてこなかったようにも思う。
それは喋る喋らないということではなく、相手の話に耳を傾けるという行為そのものを、自分はしていなかったように思うのだ。相手のことなど気にかけることなく、ただ単に自分の要望を通すだけ。それだけしかしてこなかったように思う。そのなんと勿体ないことであるか、今ならば彼女にもよく分かる。
思い返せば思い返すほど、今すぐ船室に駆け込み薄い布一枚だけが敷かれた硬い寝床の上で叫びながらのたうちまわりたくなるような行動を自分がしてきたことが、よくよく思い出されるのだ。
「・・・いかんいかん。考えるのやめよ」
両の米神に手を添えてわざと声に出し、思考を切り替える。兎に角、自分はこれからいろいろな経験をしていくのだ。そのための大きな一歩が、明日に待ち受けているのだ。
ふと吹き抜ける風に、すこし体が震える。確かにここの潮風は出港した時よりも冷えるように思う。ばたばたと風になびく服の裾を抑えながら、船室に向かって戻っていった。
「きっとウチの物語の本編は、ここからなんだなー」
そんな、後になればこれもまたのたうち案件になりそうな台詞を吐きつつ、船室への扉をくぐる。
狭い通路を中央に抜けて食堂に立ち寄り水を一杯貰い、足早に船室に戻る。今回の旅路はなんと個室を充てがわれての旅なので、積荷に紛れ込んでの前回の船旅とは比べ物にならないほど快適だ。
「っし、色々資料とか見返しておこう。事前準備が勝利の鍵・・・と」
一人でそう呟きながら手荷物の中から丁寧に仕分けられた書簡の束を取り出すと、キャンディは早速それに没頭し始めた。
~ヤーマス到着から1週間ほど前
「君のことだから今回の商談を見て粗方分かったとは思うけれど、トレードとは法人対法人の、言わば買収合戦だ。そして、その最終的な決着方法はいたって単純。相手に対し、資金力で勝ること」
ファルスからピドナへの帰りの馬車の中、トーマスは隣に座るキャンディに対し、そう話しかけた。
ヤーマスからポールが寄越したとんでも無い量の対応案件を早急に捌くに当たり、彼ら二人のこの一週間の奔走は実に凄まじいものだった。そして今回のスタンレーとファルスでの商談がその一連の最終局面であり、それらを無事に終えた事で二人の表情はかなり安堵した様子のものとなっていた。
「トレードは、その受け手側の本店登録がある都市の商業組合を通じて双方に開催告知が成され、通常は告知から一週間後を目処にその都市の中央商館にて第三者立会いのもと開催される。この一週間という期間は所謂、受け手側の準備期間だね。ただし、双方の合意によってこの日程は早めることもできる」
ひょんな事から協力を仰ぐ形となったものの、今となってはトーマスは自分の隣に座る幼さが多分に残る少女の助け無くして、今回の案件をを捌き切ることは出来なかったのでは無いかと感じていた。
兎に角、キャンディの業務の飲み込みの早さは凄まじかった。
サラは幼い頃からトーマスの性格を知っているので様々な場面で先読みした対応をしてくれていたものだが、キャンディの場合はその代わりに持ち前の頭の回転の早さと商業に関する独学知識で補い、結果サラに負けず劣らずの業務量を熟してくれたのだ。
本案件の最大功労者が誰かと尋ねられれば、トーマスは間違いなく彼女だと断言するだろう。
「トレードの実施期間は最大で1ヶ月。その時点で、より多くの資金を積んだ方が勝ちと言うわけだ。まぁ、稀に話し合いによって明らかに資金力で劣る企業が大手を買収するなんて事もある様だけれど、余程の話術でも無ければそれは無いだろうね。或いはそう・・・世論の巻き込み、未来視にも似た予言、そんな時代の風が吹くとか・・・所謂奇跡でも起きなければ、ね」
トーマスの言葉にキャンディがお気に入りのクマの人形を両手で抱きしめながら耳を傾けていると、トーマスはその様子に微笑みながら続ける。
「とはいえ、大抵は長くても一週間もすれば決着はつく。拮抗するトレードというのは実はあまり無くて、大抵は大手が中小企業を買収するという形が殆どなんだ。そういう意味では同規模にもガツガツと手を出す我々みたいな武闘派企業は、今の既得権益塗れの経済界では、かなり異端だね」
トーマス自身が言う様に、カタリナカンパニーはキドラント、ツヴァイク、ユーステルムの企業群をほぼ買収して物件数においては世界指折りに数えられる様になった。ここまでには特にエリック社やツヴァイク商会等が大きな交渉相手として数えられるが、其れ等の一見無謀に思える様なトレードも現地でのポールの情報収集を元にした様々な仕込みと交渉の場に臨むトーマスの胆力によって、常識外れの躍進を遂げて来たのだ。
「因みに大抵の企業の場合は自社資金を元にトレードを行うけれど、これが大手になればなるほど傘下やグループ企業が増えるので、それら企業からも資金を調達して巨額の資金を扱えるようになる。大手同士が激突した例は今の所ないけれど、もし大手同士のトレードが行われれば、数千万オーラムもの資金が積み上がる大規模トレードへと発展するだろうね」
数千万オーラムなどと言う量の通貨を積み上げられる頑丈なテーブルが、果たしてこの世界に存在しているのだろうか。
キャンディはそんな素っ頓狂な疑問を頭の片隅に追いやり、トーマスに話の続きをせがんだ。
トーマスが言うには、特に最近のトレードのトレンドは傘下企業をある一定の条件で『グループ分け』し、それらの相互成長を目的とした共同資金の運用だと言う。
グループという聴きなれぬ言葉に強く興味を惹かれた様子で身を乗り出すキャンディにトーマスは期待通りの反応を得たのか、満足げに微笑みながら続きを話す。
「一例として、例えばピドナを中心とするマイカン半島南部は世界各国の人や風習が集う文化の坩堝だ。それに伴い、食文化も多種多様だね。そこでカタリナカンパニーでは『マンマ•メッサーノ』というメッサーナの食を預かる企業を中心として招集した企画グループを作り、相互発展に努めさせている。これらグループから算出される営業利益や回収資金は、トレードの現場においても大きな影響を与えるんだ」
実際にカタリナカンパニー内部では土地や事業内容等を選定基準として既に十数ものグループを作っており、これらの活動により既存事業の拡大や新商品の開発等、着々とその成果が出始めているのだという。
「・・・じゃあ、この間わざわざバンガードの織工房と聖都ランスの酒造に使者を送っていたのも、それ?」
「ははは、送り先までチェック済みとは流石にキャンディは目敏いな。まぁ、その通りだよ」
「だって、あまりに怪しいんだもん。まぁランスはカンパニー最大の生産ラインである北海の線上だからまだ分かるけど、それこそバンガードなんて周囲にも全くカンパニーの影響力が及んでいないじゃん。そんな離れ小島みたいなとこに使者を送るなんて、怪しさしかないよ」
キャンディは流石の着眼点だ。その鋭い物言いに、トーマスは両手を上げて降参の意を示した。
「ふふ、まぁ色々と思わぬ所に繋がりがあるものなのさ。それに、それらも含めてなかなか厳しい納期設定だったけれど何とか今回の要望には応えることができたと思うしね」
「ファルスので、依頼は大体終わりなんだよね?」
トーマスから発せられたその言葉にキャンディが確認するように尋ねると、トーマスはまるで誰かの真似をするように肩を竦めてみせた。
「うちの営業部長からの要望は大体、ね。各都市への速達も今頃は全て届いているだろうし、その影響はここから一週間で一気に波及していくだろう」
ポールがカンパニーの営業部長だと言うことをここで初めてキャンディは知ったのだが、まぁ妥当なポストだろうと頷いた。
今回の依頼で仕込んだ内容を元にポールがドフォーレに対し何らかの工作を行うつもりでいるのは間違いないとキャンディは踏んでいたのだが、今回の買収はそれに一体どの様に関係してくるのだろうか。
大規模な港を有する世界各都市へと大慌てでカンパニーから速達を送ったのが一週間前。しかし、その文面は全てトーマスが書いておりキャンディはその内容までは知らない。聞いてみたものの、はぐらかされてしまった。なにやら近衛軍団とも連絡を取った様で、物々しい内容であることは間違いなさそうではあったが。
そして、速達を送った直後から今度はいくつかの指定企業へのトレード攻勢。これがまたキャンディには一見纏まりの無い指定に見えたものの、トーマスの口ぶりからすると、恐らくはグループ分けの中で重要な位置を占める選択肢であったのでは無いかと推測はできる。
考え始めると止まらなくなってきたキャンディは、今回の買収帳票と扱い品目の確認をしたくなりトーマスに資料を求めた。
「見るのは構わないが、それは宿に着いてからにしよう。ほら、もう直ぐ着くよ」
そう言ってトーマスが車窓の外に視線を移すと、街道が緩やかに曲がっていく先に、木の柵に囲まれた宿泊地が見えていた。
この宿泊地で一泊の後、明日の昼過ぎにはピドナに戻る予定となっていたのだ。
ファルスとピドナを結ぶ海岸線沿いの街道に位置するこの宿泊地はメッサーナの陸路流通の主街道に位置しており、かなり規模が大きい。少なくとも、地方の小さな村を軽く超える規模であることは間違いない。
程なくして馬車は宿場町の門をくぐり抜け、到着早々に一般宿泊客とは別に用意されていた上客専用の小屋へと二人は案内された。
そして各々は湯浴みと食事を早々に済ませ、其々に過ごしやすい格好で寛ぎはじめた。
しかし二人ともが静寂の中で何枚もの紙面や帳簿と無言で向き合うだけの、はたから見れば実に奇妙な寛ぎ方である。見る人が見ればそれはとても奇妙な光景に見えることだろう。
キャンディは馬車の中でせがんだ今回の買収に関する資料と、商談資料として用意されていたカンパニー内のグループ概要書を食い入るように見つめており、一方のトーマスはピドナに着き次第各地へ向けて送付する指示書の作成を行なっていた。
(今回の買収はぱっと見、以前トーマスさんとサラが行ったっていう北部遠征とかに比べれば結構手堅い感じの取引に見えた。でも、だからこそあれって今やる意味あったのかなって思うんよね・・・。正直、この忙しさの中で手を出す意味がウチには分かんない。でもカンパニーの現行取り扱い品目と地域分布をみると、何となく関連性があるようにもみえるよねー・・・。あとは、なんか不自然にスムーズだったのも引っかかる。トレードって、もっとバチバチしてるもんだとばっかり思ってたのに)
手元の帳票類を眺めながら、キャンディはぐるぐると考えを巡らせる。
彼女が特に印象的に覚えているのは、ファルス造船との商談の席だった。
造船所ともなれば当然規模も大きく、今回のトレードの中では最もこちらの支出が多かろうとキャンディは感じていたものだった。だが驚くべきことに、この商談はなんと席に着くなり、ものの数分で終わってしまったのだ。
(トーマスさんは『ねまわし済みだからね』って言ってた。クラウディウスの封蝋がされた便箋を渡していたから、多分あの企業は旧クラウディウス商会所縁のところなんだろうな)
以前にユリアンとモニカが各地に散らばった旧クラウディウス所縁の関係者筋へと走り回っていたという事もキャンディは聞き及んでおり、つまりはその時から既に準備は出来ていたのだろう。
都市では企業的に最大手となる造船所が傘下に下ったことにより、ファルスの企業群は早々にトレードが締結された。
またその手前に訪れたスタンレーに関しては、更に速攻で街全体と話がついてしまったのも彼女には非常に異様な光景に映ったものだ。しかし、これに関しても一応の理屈は分かる。
(都市の顔であるスタンレー軍が、なんでか凄く『カタリナカンパニー』という言葉に好意的に反応していた。前にエレンさんがスタンレーでどんぱちやらかしたとか言っていたけど、それが原因っぽいよね。やけにカタリナ社長の近況を聞きたがる部隊がいたけど、あれは社長の追っかけか何か・・・? まぁ兎に角、軍がキモいくらい好意的に接してきたおかげでスタンレーは瞬殺だった。これも『ねまわし』なのかな。だとしたらトレードの真髄ってつまり、始まる前に決着している、ということなのかもしれないね。お、ウチこれちょっと名言じゃん?)
来客用ソファーにだらし無く寝そべりつつ資料を眺めながら、今回の一連の商談について色々憶測を重ねつつ一人でにんまりとキャンディは笑った。
すると、ふと視線の端で明かりに照らされた影が揺れる。キャンディが寝転がった姿勢のまま首だけ捻ってそちらに視線を向けると、トーマスが作業を終えて机の片付けをし、席を立ち上がったところだった。
「キャンディ、明日は日の出と共に出発だ。少し早いが、そろそろ寝ようか」
「はーい」
トーマスの言葉にすかさず返事を返したキャンディは、そのまま燭台の火を消して寝室へと向かうトーマスの背中を、月明かり越しに見送った。
キャンディはこの小屋に最初に入った際にリビングに用意されていたハンモックを見つけており、自分はここで寝るのだとはなから決めていたのだ。
意気揚々とハンモックによじ登ったキャンディは、頭の中にぐるぐると渦巻く資料の内容を反芻しながらも心地よい揺れに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。
(・・・寝れない)
どの程度時間が経ったのだろうか。時折小屋の外を夜警が巡回する様を数回程目撃したあたりで、キャンディはいよいよ即座の就寝を諦め上半身を起き上がらせた。
やけに明るい月明かりが窓から差し込んでおり、ちょうどハンモックのあたりを照らしている。
きっと、この明かりのせいで眠れないのだ。これでは仕方がないと自分に言い聞かせたキャンディは、どうせなら月明かりを目いっぱい浴びてやろうとハンモックからそっと身を下ろし、窓際に歩み寄った。
(・・・これから、世界はどうなっていくんだろうな)
優しく小屋全体を照らす月明かりに身を委ねながら漠然と、そんなことを思う。
とはいえ、別に彼女は世界の何かに対して憂いているわけでもない。つまりここでいう彼女の思う世界とは、彼女のまわりのごくごく狭い世界のことなのだ。
目紛しく変わる周囲の環境に、毎日がとんでもなく面白い。実のところ彼女は今、この世界を今までで一番好ましく感じている。
今は一頻り、この目紛しさを感じるままに享受していたい。ただし、いつまでもそのままでいるわけにもいかないのだということも、薄々感じてはいる。いずれは、自分のことにしっかりと向き合わなくてはならない時が来る。
だがそれがいつなのかは、全く今の自分には想像がつかない。
ただ漠然と、彼女はそう考えた。
(・・・ま、そんなセンチになるようなことでもないよね。みんながいるから、大丈夫。今回のことも、早く帰ってみんなに話したいな。親方と、ついでにケーンにも話してあげよう。あとはミューズ様。サラにも話したいな。サラは元々トーマスさんの秘書やってるから、今なら色々面白い話が聞けそう・・・あれ、なんか人影・・・?)
窓の外をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていると、視界の先に月明かりの中ぼんやりと、いつの間にか人影が浮かび上がっているのが見えた。
その人影は明かりを手に持っていないので、夜警の兵士では無いようだ。キャンディが目を凝らして見続けていると、その人影はどうやらこちらへと向かって歩いて来るようだった。
姿形は小柄。何処と無く女性のように見える。
徐々に近づいて来る人影に対し、しかしキャンディは不思議と危機感を募らせることはなかった。こんなに優しい月明かりの下、清んだ空気の中において、危険なんてあるわけがない。何故か彼女は、そう確信していた。
そうしているうちにやっと全体が見えてきた人影は、なんと驚くべきことに彼女の知っている人物だったのだ。
「・・・サラ?」
月明かりに照らされたその人物はなんと、ヤーマスにいるはずのサラだった。
「・・・お待たせしました。豆スープとフィッシュボールです」
日中の仕事を終えた人々が日々の疲れを癒すため、思い思いに集まり大いに飲んで歌う時分。どの国でも等しくそうである様に、商業都市ヤーマスは表通りも裏通りも例に漏れず、この時間は大いに混み合う。そしてその喧騒こそが、ここがピドナやツヴァイクに負けず劣らずの活気に満ち溢れた都市であることの証明なのだ。
其々の目的を果たして再度シーホークにて一堂に会したポール達は、彼らもその喧騒に飛び込むようにして先ずは腹拵えをと言わんばかりにテーブルに所狭しと料理を並べ、その征服にかかっていた。
「あーサンキュー、ライム。ちょいまって、今これ空けちまうわー」
「あ、んじゃあたしもこっち空けるー」
ポール特製のオーダーで運ばれてきたらしい通常の数倍の量を盛り付けたであろうその皿を置くために、エレンとポールが先に来ていた大皿のサラダとカポナータを平らげた。
ライムは、素直に彼等の食べっぷりに感服していた。エレンとポールという二人の食欲は群を抜くが、しかしユリアンとモニカもかなりの量を食べている。
特にモニカのシルバー捌きは見事なもので、先に出てきていた小骨の多いニジマスのムニエルを実に綺麗に食べ分けている。
見た目は非常に高貴な生まれと見受けられる美しさだが、その容姿に反して意外にも食べられる大きさの小骨は躊躇なく食べているのも、むしろ港町に住む人間としては好感が持てる。隣で真似をしようとナイフに四苦八苦しているユリアンとは大違いだ。
そうこうしているうちに先ほど出した大皿の料理たちも次々と消費されていき、一気にテーブルの上は片付いていった。
「・・・さて、そんじゃあ打ち合わせと行きますか」
専用グラスに注がれたアクアヴィットと地ビールを交互に飲みながらポールが口を開くと、各々がテーブルへと身を乗り出した。
夕食のメインタイムも過ぎ去りオーダーが落ち着いていたのか、カウンターでグラスを磨いていたライムも何気なく其方に耳を傾ける。
「出発は四日後の日の出前。面子はここの全員と、あとは助っ人が一人だ」
「おぉー。あたし偽物しか見たことないからなー楽しみだなー」
ポールの言葉にエレンがビールジョッキを傾けながらユリアンを尻目にそう応えると、ユリアンはバツが悪そうに口を尖らせた。助っ人を獲得した最大功労者に対して遠慮ない物言いのエレンにモニカが笑っていると、そこで一緒に笑っていたポールもそういえばと口を挟む。
「そうそう、そういえばそっちも今回の宣戦布告を余程派手にやったようだな? 奴さん表向きは平然としているようだが、裏じゃ荒れまくりらしいぞ。商館じゃあ既に噂で持ちきりだったぜ。どこの馬鹿が天下のドフォーレ相手にトレード仕掛けてくるのか、ってな」
事実、ポールが情報収集の為に寄ったヤーマスの商業会館は既に、ドフォーレを相手取ったトレードの噂で持ちきりだった。既にトレードの行く末を賭けた博打が始まっており、流石商都というべきか、まだ公開されていないにも関わらずトレード相手の予想にはカタリナカンパニーの名前が既に上がっていた。当然ポールは行き掛けの駄賃に相手方に賭けて来たことは、最早言うまでもないだろう。
「あはは、まぁねー。てかほんと凄かったのよーモニカったら。あたし、もう笑い堪えるのに必死でさぁ」
「もう、エレン様ったら。でも、わたくし意外とああいうのは得意なので全く苦ではありませんでしたわ」
王侯貴族とは、演じるもの。モニカの言葉には彼女の経験からくる、確かな重みがある。ポールはそんな彼女の苦労は欠けらも理解することはできないが、しかしその気質は分かっていたからこそ彼女にドフォーレへの宣戦布告を任せたのだ。事前に用意していた仕込みもモニカたちは上手く使ってくれたようで、文句のつけようがない結果と言えた。
「ま、なんにせよ経過は上々だ。本番はいよいよこっからだが、事前準備はこれ以上ないぐらいに完璧に運べたと言っていいな」
「・・・しかし、当初聞いていた仕事とは随分違って大掛かりなことになったなぁ」
エレンとは対照的にジョッキをちびちびと傾けながらユリアンがぼやくようにそう言うと、エレンとモニカはそれに同意する。なにしろ初期はドフォーレの情報蒐集とあわよくば弱体化という話だったのが、いつの間にやらドフォーレに真っ向から勝負を挑む事態となっていたのだ。ユリアンらがそうぼやくのも無理はない。
ポールはそんな三人の反応に肩を竦めて応えると、塩っ気の利いたナッツを口に放り込んだ。
「まぁ、元々このつもりではあったのさ。今回の件、ここに至るまでの確証はほぼあったからな。事前にサラには知らせた・・・っていうか疑われて白状していたが、皆んなに知らせなかったのは悪かったと思っているよ。最終、仕掛けるに足る確証がなかったもんでな。それが掴めなけりゃ、当初伝えた程度で終わるつもりだった。だが確証の最後の一欠片を現地で確認できたから、実行に移すことにしたってわけだ」
ポールの言葉に、エレンが思い出したように口を挟む。
「そういえば、サラは待たなくて良かったの?」
「あぁ、サラは元々、事前の作戦には同行してもらう予定はなかったからな」
計画は情報は全て伝えてあるから、トレードを挑む一週間後までに帰って来てくれていればいい。そう言ったポールは、ジョッキの中身を一気に喉に流し込んだ。
「四日後までにより確実な情勢を確保するための仕込みも、まだまだ大量にある。みんな、この一週間が勝負だから、頼むぜ。つーわけで、まずは活力の補充だな。ライム、全員分おかわり!」
「はい喜んでー」
ポールの一言にライムが応えると、テーブルの宴は一層盛り上がりを迎える。結局途中で寝てしまったユリアンを除き、宴は夜更けまで続いた。
最終更新:2018年02月10日 03:01