鼻息も荒いままに全体重をかけて勢いよくソファに座り込んだキャンディは、両者の間でおろおろしているばかりのギルド管理員に対して自分も飲み物を催促した。頼んだものは、砂糖をたっぷり溶かしたトロピカルティーだ。
そして矢継ぎ早に、キャンディはここでお昼休憩を一方的に宣言した。兎に角、一度考えを巡らせる時間が必要だと感じた為だ。
そんな彼女の傍若無人な様子に対し机の向こう側にいるラブは怒りを通り越して最早あきれ顔で、一度自分たちも昼食を取るためにと見張り役を一人入り口付近に残して会議室を後にしていった。その様子をソファからちらりと見ただけで、キャンディは管理員に対して出前のサンドウィッチを頼みながら手元の資料へと視線を落とす。
(さて・・・勢いで勝つとか言っちっけど・・・)
脇に置いていたくまちゃんを普段の癖で膝の上に抱き寄せ、くまちゃんに覆い被さるようにしながら資料へと視線を落とす。そして羅列されている数字と文章をやや遠巻きに眺めながら、キャンディは可愛く眉間にしわを寄せた。
(そもそも三億オーラムに対抗するような資金なんて、カンパニーには多分ない。うん・・・ないない。そして勿論、自社資金以外のどっからかこさえるってのも難しい)
自社の直近の決算報告から見る総資産は、先程ラブが読み上げた調書とほぼ変わっていない。無論この二週間で様々に動いた分の変動は加味されていないが、それを加えた上で更に甘めに見積もったとしても、三億等という数字に届くとは到底思えなかった。
また同盟を組んでいるフルブライトや、社内で進行している各企画グループへからの今期営業利益の緊急拠出を依頼したとしても、精々集まるのは自社資金と合わせて二億あたりが関の山だろうとキャンディはざっくり試算した。
(つかそもそもよ、仮にどうにかして三億をウチらが用意出来たとしたって、対するドフォーレの拠出金が三億で終わるわけがないんだよねー。なんせあっちの直近決算による総資産は十億オーラム相当・・・。改めて考えると、まぁ絶望的な差だよね。なわけで相手を上回る資金を詰んで勝つっていう正攻法は、今回に限っては当てはまんないわけだ。だからこそウチらの戦いは全て事前に集められた資料と情報、そしてポールがきっと今も行ってるはずの仕込みで完成してるはずなんだけど・・・)
キャンディの手元にある資料は、ドフォーレ商会とカタリナカンパニーの最新の取引帳票。そしてドフォーレの現在の総資産と主な販売商品の流通経路、及びその収益額の概算。その生産方法について等等。特に流通経路やその量、及び現在時点の収益額に関してはサラがこのヤーマスで調査したもののようなので、ほぼ間違いない正確なものが記載されている。
(ここに並んでいる数字を見る限りでは、どっからどうみても見事に数字での勝ち目は無い。そんな相手に対して勝つには・・・・・・。・・・ううん、こっちが戦える数字まで相手を引きずり落とすことが出来りゃいい・・・かな。うん、それ以外には思い当たんない・・・。よし、この線で考えを進めることにしよ。となればドフォーレみたいな規模を相手にちんたら数打っても埒あかないし、一発で最大効果ゲットできるものを狙うしかないよね。そんならドフォーレが一番失って困るのは当然・・・)
手元の資料に目を落とすと幾つもの数字や商品がそこには羅列されているが、その中でも一際目立つ品目と桁違いの数字を誇る物件がある。それは、ヤーマス塩鉱だった。
つまり現在のドフォーレにおける最大の収益源は、間違いなく塩なのである。ルーブ地方にあるヤーマス塩鉱から算出される岩塩を精製して食塩を作り、それを世界に流通させる。これが今現在、莫大な利益をドフォーレにもたらしている。
(・・・仕掛けんなら、やっぱこれだよね。ヤーマスでポール達は、対ドフォーレ用の工作を行ってるはず。多分ポールがトーマスさんに頼んで各国に向けて発送した速達も、その一環。勿論、現地にユリアンたちを連れてきたのも関係があるはず。うーん・・・ウチはてっきり商会本館に殴り込みにでも行くのかと思ったけど、そうじゃなかったみたい。じゃ、一体何のためだ・・・?)
キャンディは用意されたトロピカルティーを一気に半分まで飲み干し、そして徐に資料の束の中から一冊のスクラップブックを引っ張り出した。これはポールがピドナで収集した新聞の切り抜きを纏めたと思われる手製のものだ。ピドナにあった他の数値資料関係より何より、キャンディはポールが態々集めたこのスクラップブックを選んで荷物に入れて持ってきていた。
それを資料の一番上に乗せ、ペラペラとめくっていく。
(この間はよく見てなかった記事の切り抜きが、まだいくつかあるはず・・・このスクラップブックに、無駄な切り抜きは多分無い。だから、この問題を解決する糸口はこの中にきっとあるはず・・・)
とはいえ海洋における商業流通関連や魔物被害は、ドフォーレ海運における不審点を導き出す上で大体読み込んでいる。となると、それに関わらない記事は自然と限られてきていた。
(あと目立つのは、ドフォーレの取引禁止品目に関する噂を纏めたものと、ヤーマス都市警護団の出動記録に関する記事か・・・。前者はまあ、昔っからあるやつだ。ドフォーレは昔から盗品の取り扱いや聖王様によって禁止された麻薬の取り扱いに関する噂が絶えなかった。でも、実のところ未だそのしっぽを捕まれたことはないんだよね・・・)
この噂自体は、商業に関わるものの間ではわりかし有名な話であった。世界各地の港では未だ散発的に麻薬に関する摘発が行われるが、その度に流通経路を摘発した都市国家の軍団が捜査すると、最終的にはこのヤーマスにたどり着く。だがこれまで、ドフォーレに強制捜査が入ったことは一度たりとて無い。それはドフォーレが拒否するどころか寧ろ麻薬に関する調査に非常に協力的で、自社の倉庫の開放は愚かドフォーレの呼びかけによってヤーマス港に倉庫を持つ全ての企業が捜査に応じるように仕向けたりといった行動があったからだ。
無論これを所謂「ポーズ」であると批判する意見はあるが、事実としてヤーマス港では未だ麻薬そのものが発見されたことが無いことから、ドフォーレを含むヤーマス港を利用する企業には疑いを向ける余地が無いと軍団は判断せざるを得ないのだ。
(でもこの記事を集めたということは・・・ポールはドフォーレと麻薬にはやっぱり繋がりがあると疑った・・・いや、ほぼ確証に近い情報をどっからか手に入れたってことだ。多分現地での工作は、これに関係してるはず。でも・・・単に違法取引をしょっ引くだけならメッサーナ王国軍への情報提供で十分じゃんね・・・。強制捜査が入れば、それで一件落着・・・にはなんないのかな。うん・・・多分、なんないんだ。それで済むなら、ポールはハナからそうしてる。そうしてないって事は、これは軍団による捜査ではなく自分たちで仕留める必要がある。だからポールは手元に戦力が欲しかった・・・ってことかな。うん、確かに海運時代からドフォーレが魔物とグルっていうウチの予測が当たりなら、今回も魔物との戦闘はあり得る。魔物相手ならそりゃ戦力は欲しい。でも・・・あとはこっから塩にどう繋がるか、だよなぁ・・・。ポールがこの情報を集めた上で戦力を揃えたってことは、取りあえず麻薬と魔物までは間違いないと思うけど・・・)
集中していて見過ごしたか、いつの間にか机に運ばれてきていたサンドウィッチに気がつき有り難くそれを頬張る。分厚く切られたライ麦パンの間に挟まれた良く燻された香ばしいベーコンに、新鮮なレタスとトマトがよく合う。食欲をそそるベーコンの油としゃきしゃきとしたレタスの歯ごたえを楽しみながら、キャンディは行儀悪くスクラップブックに視線を落とし続けた。
(ええっとあとは、都市警護団の出動記録か・・・。これは海洋関係じゃなくて、陸地・・・ルーブ山脈周りや街道とかの魔物発生に対しての掃討作戦が主な記事みたい。竜種みたいな強さが半端ない存在の周りには自然と魔物が集まるっていうし、そりゃ竜峰を仰ぐ地方ともなれば都市警護団もしょっちゅう出動するってわけだ。ご苦労様なことだよ・・・。ってか、記事の頻度だけみると出動めちゃくちゃ多いな・・・年間でかなりの数の出番がある。ルーブ山の麓の周りとかって、結構危ないんだなぁ。この辺の木こりさんとかハンターは大変そうだ・・・。・・・・・・・・麓?)
二度三度瞬きをしてから何かが引っかかったキャンディは、サラが用意していたヤーマスとルーブ地方の周辺地図を資料の合間から引っ張り出した。これには、先に確認したとおりドフォーレの扱う商材の主な生産地や流通ルートが記載されている。
(・・・ビンゴ。ヤーマス塩鉱って、位置がまんまルーブの麓じゃん・・・。そっか、世界中に流通するほどの産出量を誇る塩鉱だってのにこれまで発見されてなかったのは、魔物に阻まれていたからか。でもドフォーレは魔物と裏で繋がっているから、楽勝でそこに到達できた・・・。よし、繋がる繋がる。ん、でも待てよ・・・それはそれとして、仮に魔物を一時的にどうにかしたって塩鉱そのものは消えるわけでもないんだから、別にポールが魔物を蹴散らしてまで塩鉱にいく意味あんまなくない? となると、じゃあ一体・・・)
一つ目のサンドウィッチを食べきったキャンディは、間髪入れずに二つ目のサンドウィッチに手を伸ばす。もう一つは北海特産のサーモンをたっぷりと挟み込んだフィッシュサンドだ。脂ののったサーモンに舌鼓を打ちつつ、キャンディは頭を捻る。
(魔物はルーブ山脈の麓・・・あとは塩鉱の辺りにもごろごろ居る。ポールは魔物と相対する為に戦力を揃えた。んで、魔物と麻薬は関わりが・・・ある・・・)
そこまで考えたところで、キャンディは止まった。
それはつまり、彼女の中で一つの推論に辿り着いたことを意味していた。
(・・・ドフォーレは麻薬と関わりがあるとポールは踏んでる。でも麻薬は、流通の要である港ではいつも見つかんない。だから保管場所は・・・別にある。簡単には見付からないような、人目に触れない場所・・・例えばヤーマス塩鉱のように魔物が多くて、うっかり近づけないとこに麻薬の保管場所があったらグレート・・・。サラの資料に寄れば、採掘された岩塩の精製は塩鉱の近くで行ってる。もしそこで一緒に麻薬の精製もしてれば、そこから運ばれてくる塩と共に麻薬も移送出来る・・・。あとは港で保管なんてしないでちゃちゃっと速攻船に積み込んで出航しちゃえば、捜査で見つかることも無いんだ・・・)
額を、嫌な汗が一筋下る。これが単なる妄想であるならいいものの、しかしここに至っては手元に様々な情報や記事が、そしてこれまで見聞きしてきた全てが、キャンディが辿り着いた推測をより真実味のある推測足らしめている。
(そしてポールは主要各国の港に近衛軍団を巻き込む形で速達を送った。ウチが港に持ってったから、送り先は全部覚えてる。確かに大規模港宛てだったけど、その中には何故かツヴァイクは入ってなかった。理由はそう・・・ツヴァイクは、自分らの分くらいは確保できる塩鉱を持っているからだ。そっか、あの送り先は単に大規模港を持ってる都市国家ってわけじゃなく、ドフォーレが塩の流通を行っている港に宛てた速達だったんだ・・・。そこへ近衛軍団を巻き込んでの物々しい速達・・・。単純に考えるならそれは強制捜査の執行令状・・・か。それってつまり、塩と共に麻薬が流通しているってこと・・・!)
咥えたままだったサンドウィッチをゆっくりと噛みちぎり、碌に噛みもせずにごくりと飲み下す。先ほどまで瑞々しい素材の味わいに舌鼓を打っていたはずなのに、今は全く味がしない。キャンディはサンドウィッチの残りを無理矢理口の中に突っ込み、残りのトロピカルティーで胃に流し込んだ。
(・・・うぉ、ゲロ甘・・・。っと、多分各国の港に速達が届いたのは、ざっくり一週間前。そこで現地での強制捜査が入ったはず・・・。てことはその捜査がビンゴなら、結構時間経ってるしもう間もなく各国から向かってくる捜査団のヤーマス全面調査が入るはず。でも今回のキモとなる塩鉱近くにあるはずの麻薬保管及び精製工場へのアクションは、ぎりぎりまで伏せておかなきゃならない。これが事前にドフォーレに察知されたら、ドフォーレは全力で証拠隠滅に走るに決まっている・・・。いつもと同じく、港の倉庫解放のパフォーマンスで撒かれる・・・。だから塩鉱にだけは、動けば目立つ軍団は初手に使えない。隠密に少数精鋭でそこを叩き、ドフォーレを出し抜いて現場の動かぬ証拠を抑えた上で各国の捜査に合流する・・・そっか、これなら情報提供のタイミング次第じゃ、こっちが各方面の動向を操る事も可能だ・・・流石エグいじゃんね、ポール。よし、大体読めたかな・・・。そうなると・・・)
そこで何を思ったのかキャンディはバッグの中から十露盤を取り出すと、手元の資料を参照しながらとんでもない速度で数字をはじき出し始めた。ドフォーレの総資産と塩の流通による利益、各国への直近の流通量、自社の資金とサラが纏めてくれていた自社内のグループ各個が排出する利益額。それらを加味しながら、キャンディは黙々と計算を続けていった。
(・・・これらが全て上手くいけば、現在成立している取引が可能な限り全て巻き返される。サラが集めてくれたデータは正確無比。ここに書いてある流通履歴と貯蔵量まで加味するなら、賠償総額は・・・・)
一頻り珠を弾く音だけが部屋の中に響き渡っていたが、やがてそれはペースを落としていく。入り口に立っているギルド管理員とラブの部下が興味の薄い様子でそれを見ている中、やがて最後にぱちりと音を立てて彼女の手が止まった。それはつまり、計算を終えたということに他ならない。
(ざっくりは出た・・・。これでも結構際どいとは思うけど、きっとポールが勝負に出たということは大丈夫なはず。よし、こうなりゃあとは時間との戦いだ・・・。恐らくは調査に数日。そして各国での処遇等確認なんかでざっくり往復二週間ってとこか・・・。怖いのは、その後。軍団が、余計な欲を出す可能性があるってとこやね。そんなのウチにだって分かる・・・。基本トレードはいかなる事があっても締結をさせるって規定のはずだけど、この規模の事件ともなれば流石にトレードどころじゃなくなっちゃうよね、それは絶対に避けなきゃ。だからその前に準備し、決着をつける・・・一応これも確認しとくか。あとは誤差修正もしなきゃだから、かき集められるだけ最近の取引記録も漁らないと。そういう意味ではここが商業ギルド中央会館なのは渡りに船ってとこか。っしゃ、気合い一発。よーし・・・)
最後の方は小声に出しながら小さく気合いを入れてむくりと顔を上げたキャンディは、会議室の入り口でキャンディを不審な目で見ながら待機していたギルド管理員のほうを向いた。その視線に気がついた管理員が首を傾げると、キャンディは立ち上がって管理員につかつかと詰め寄っていく。
そして管理員の目の前で仁王立ちをすると、まるでお菓子を欲しがる子供のように管理員に向かって両手を突き出した。
「紙とペンとインクと蝋、あとトレードのルールブックも頂戴。それと、ここ一ヶ月間のヤーマスの取引記録が全部見たいんだけど」
唖然とする、という言葉は、正に今この瞬間の彼のために用意された言葉であったのだろう。
そう、ラブ=ドフォーレは正に今、唖然としていた。
どうやら彼はここ数日の間睡眠不足だったのか、その目の下には色濃く隈ができている。また急激な憔悴の影響なのかこの二週間あまりで頭髪には白髪が多く交じり、かなり窶れたようにも見受けられる。
そのような状態でヤーマス中央市場の大通りに力なくへたり込んだ彼の目の前では、今正に巨大にして醜悪なる形相の悪魔が七人の戦士の手によって屠られたところであった。
商業都市ヤーマスに突如訪れたこの極限の状況の中、次の瞬間には彼の目の前に七人の戦士とは別の人物が忽然と立ちはだかった。そして地べたに座り込んでいる彼を、勝気な瞳で見下ろしている。
その人物こそは、彼が二週間前に商業ギルド会館で初めて会ったキャンディという名の年若い少女だった。
この時になってラブは、この少女を見誤ったことが己の敗因である事を、漸く確信した。
(・・・このガキ、一体なんなんだ・・・こいつら一体、いつから、どこまで仕込んでやがったんだっていうんだ・・・)
彼のここに至るまでの地獄のような二週間は、この少女と出会った日の翌日に幕を開ける。
初手の三億オーラムという金額の提示で即座にこのトレードの片は付くだろうとラブは殆ど確信していたものだったが、目の前で焦りの表情を浮かべていただけのはずのキャンディという少女は予測に反して折れなかった。寧ろ、それにより焦りが消え奮起をしたかのように猛り、動き出したのだった。
とはいえ、それは単なる悪足掻きでしかないとラブは考えた。いくら動いたところで、相手企業の資金規模など知れたもの。だからこそ目の前の下らない足掻きに対してなど何も気にすることなく、直ぐに万策尽きてこの少女が諦めるのを座して待つだけ。そう考えていたし、それ以外の結末など予測のしようもなかったのだ。この時点では。
かくして異変は、その翌日に起こった。
まだ陽も顔を出さぬ未明の時分に、ヤーマス港は俄かに慌ただしくなった。緊急の寄港要請を出している船舶がヤーマス港沖に突如として複数隻現れたかと思えば、なんとそれらは全てがメッサーナ王国の各都市国家の軍団に所属している軍船であったのだ。
ラブがその一報を聞いて急ぎ港に駆けつけた頃には、既にヤーマス港に半ば強引に入港した各国軍船から降り立った捜査官による現場倉庫の強制調査が始まっていた。
だが、ラブはそれを見ても焦らなかった。
なにしろ強制捜査程度はこれまでに何度も受けているし、所詮彼らの捜査ではここから何も出てきやしないのだ。それを彼は知っていたので、この事態に対しても特に焦ることはしなかったのだ。寧ろいつも通りに倉庫解放を協力してやり、さっさと事態収拾を図ろうとした。
だが、その認識は間違いであることを彼は直ぐ様思い知らされることとなった。
騒動の最中でラブの前に現れた捜査官が明かした強制捜査の対象は、麻薬ではなく『塩』だったのだ。そのあと続々と各国の捜査官からも塩の在庫の所在を問われたラブは、さも平静を装いながら『確認をする』とだけ応えた。
この後の彼の行動は、迅速だったと言えるだろう。万が一の場合に於ける対処を予め決めていたからこその即断で、彼はヤーマス塩鉱近くにある麻薬生成工場の廃止を決めた。そして同時にヤーマス塩鉱周辺の魔物を暴れさせ現場確認を一定期間困難にするよう、早馬を走らせるように指示をした。こうして時間を稼ぎ、その間に生成工場から麻薬生成に関わる部分を根こそぎ消し去ることでこの騒動を落ち着かせようと考えたのだ。
ヤーマスから塩鉱までは通常なら馬でも二日、徒歩なら四日近くははかかる距離だが、早馬ならば一日で指示が届く。
何故捜査官が『塩』に着目したのかはこの時点では分からなかった。果たして彼らがどこからどこまでを嗅ぎつけているのかも、定かではない。だが何れにせよ彼の目的を達するためには、ここで全てが露見することは許されないのだ。
その後日が昇るまでたっぷり捜査官を焦らした後に、ラブは塩の在庫がここにはないことを伝えた。それを聞いた捜査官が慌てて塩鉱へと編成隊を組むのを内心でせせら嗤いながら、これからの計画の再建にどう手を付けたものかと考えを巡らせ始める。
この時点でラブは、すっかり現在のトレードのことを頭の隅に追いやってしまっていた。完全に忘れたわけでは無かったが、それよりも調査の件の収束を優先させるのが当然と判断したのだ。だから自分は直接ギルド会館に赴かず、配下の者を通じてトレード管理員にトレード早期終了の圧力をかけることしかしなかった。それで十分だと判断したのだ。
だが彼の計画は、その更に数日後に破綻することとなった。
各国連合の調査団による、ヤーマス塩鉱に隣接する巨大麻薬精製工場の発見。
その第一報がヤーマス中を駆け巡ったのは、はたして調査団入港から五日後のことであった。
全く以て予想だにしなかったこの展開に、ラブは大いに焦りを見せた。これは彼が今まで生きて経験してきた中で考えられる限り、最悪の事態であった。麻薬精製工場は彼の目的を果たす上での本丸だ。ここが見付かってしまったとあっては、彼の計画は、いや、彼らの計画は台無しになってしまうのだ。
ラブは大いに荒れた。何故魔物の暴走が起きておらず、調査団が帰ってきたのか。自分の指示が届いていないことにラブは怒気を露わにし、商館会議室の家具をなぎ払った。
そして彼はその様子に怯える部下をその場に置き去りにし、ドフォーレ商会本館に併設する自宅に籠もって体調不良と称し兎に角外部との直接接触を断った。
この間に都市警備兵や商業ギルドからの使者が幾人もラブの元を訪れたが、その全てを彼は門前払いとした。だが、それは全くの一時凌ぎに過ぎない。状況はあまりに絶望的だ。
彼が表に引きずり出されるのは最早、時間の問題であった。現時点でさえ、ヤーマス塩鉱と隣接する麻薬精製工場の関係性やその流通経路に関して、塩鉱を所有するドフォーレ商会の社長である彼は本件の最重要参考人という立場だ。
既に彼を逃がすまいとしてドフォーレ本館及び自宅の周囲には多くの憲兵が日夜を問わず手厚く布陣されており、蟻一匹すら通さないという様相である。これでは、夜闇に紛れて逃げ出す等とことも不可能だろう。また本館から繋がる地下通路は港へと繋がっているが、港もまた全域にわたって一日中厳戒態勢が敷かれているので手詰まりとなる。
正に、今の彼は八方塞がりだった。
何故こちらが指示したように魔物の暴走が起こらなかったのかは、こうなってしまってはもう分からない。そして今はもうそれどころでは無く、最悪の場合を考えなければならない段階だった。
仮に現場で何の隠匿も為されていないと考えたら、程なくして工場に残る資料からドフォーレと麻薬の関連性は暴かれるだろう。そうなれば、その時点でラブの身柄は強制拘束の対象となるのは間違いない。事実、各国の軍団は現地調査団を残して既に祖国へ向けて一度戻り始めており、それはドフォーレが黒幕であった場合の罪状を突きつける場合も加味した処遇を当然に検討するためだろう。
正に刻一刻と断頭台を待つばかりのような状況で、ラブは何か打開策が無いものかと焦る頭で必死に考えた。
いっそ全てを、壊してしまおうか。しかし、それは本当に最後の手段だ。いや、最早それは手段でもなんでもないといってもいい。それをしても、なにも事態は好転しないのだから。彼はその選択肢を、頭の片隅に残った最後の理性で否定した。
だが、矢張りなにも打開策など思い浮かぶことは無く。
そしてそのまま、一週間が過ぎた。
この時、これまでずっと部屋に引き篭もっていたラブはすっかり絶望に彩られていた頭の片隅で、ふと疑問に思った。つまりは、『なぜ自分はまだ捕まっていないのか』ということを、だ。
麻薬工場は確かに天然の洞窟も一部利用した大きな施設だが、とはいえ数十人からなる調査団ならばものの数時間で証拠を見つけることは容易いはずだ。だが既に調査団が工場発見の第一報を持ち帰ってから、一週間が経っている。つまり現時点で自分が拘束されずにいるということは、決して低くない確率で調査団が証拠を発見できていない可能性があるということなのだ。
指示が実行され魔物が暴れ出したか、現地の部下が異変に気付き上手く証拠隠滅したか、はたまた自分の理解の外にある別の何かか。
何れにせよ彼は今この瞬間を、この事態を脱する最大の好機と捉えた。何しろ想定されるどの条件の場合にせよ、時間は有限だ。いつ状況が変わるか、全く彼にも分からない。
ラブはこの一週間絶望に取り憑かれ時間を無駄にしたことを悔やみつつ、しかし行動を起こした。
彼は父である先代ドフォーレ商会社長、モンテロ=ドフォーレの元を尋ねることにした。
父モンテロはドフォーレ商会に於いてラブの真なる目的を知る唯一の人物であり、『ある筋』への連絡役を担って貰っている。ラブは、その繋がりを少々使うことにしたのだ。それに元々は彼が商会の実行支配権を引き継いだのはドフォーレが死蝕の後に海運事業を始めた直後であり、それまではモンテロが『土台』を用意し、ラブは彼に付いていく形で共通の目的へ向けて動いていたのだ。だがモンテロはラブに事業を引き継いでからは一切商会としての仕事に関わる事なく、この十数年は半隠居を続けていた。それでも特定の相手への連絡のみはモンテロが担っていたが、それも塩鉱を基盤とした事業計画が軌道に乗ってからは殆ど頼ることも無かった。モンテロに頼らずとも、簡単な指示であればラブから出すことも可能であったからだ。
だからこそこの十年、ラブはモンテロという存在を殆ど忘れていたと言ってもいい。彼は最早、ただただ静かに自宅の離れで老いさらばえていく、それだけの存在だった。
だが今は、彼の力が必要だ。
そう考えたラブは、自宅から続く通路を渡り、離れへと入っていった。
ヤーマスの中央市場大通りに、数体の魔物が突如として出現。
翌日から暫く各国の紙面トップを飾ることになるこの衝撃的な事件は、ヤーマスへの調査団入港から十三日目、即ちドフォーレとカタリナカンパニーのトレードが始まってから丁度二週間たった時に発生した。
都市防壁の上、空から飛来した醜悪なる魔物達は、周囲の憲兵をなぎ倒して大通り中を震え上がらせた。
ラブは、この混乱に乗じて兎に角一度、ヤーマスからの脱出を図ろうとしていた。
この時点までは、依然として麻薬精製工場とドフォーレを繋げる直接的な証拠は出てきていないと見て間違いない。何しろ自分が今捕まっていないことが、その何よりの証拠だ。だからこそラブは、兎に角急ぎ麻薬工場へと自らが赴き、状況の確認をする必要があった。再度魔物を用いて現場にいる調査団を駆逐し、自分の目で状況を確かめる。そして麻薬工場とドフォーレの関連性さえ見付からないのならば、あとはなんとでも言い逃れをすればいい。その後は時間をかけて別の手段で計画を進めることは出来るだろう。
何にせよ彼は状況を確認しなければならない。この騒動は、そのために彼が引き起こしたものだった。
彼の目論見通りに都市警備の憲兵が幾人相手であっても魔物は全く意に介さず周囲をなぎ払っていき、程なくして狙い通りドフォーレ商会の周囲と港の警備が手薄になるのは時間の問題に思われた。その隙を突いて兎に角街の外へ出ることさえ出来れば、彼は晴れて次の手を打つことが出来るというわけだ。
だが結果としてこの作戦は、失敗に終わってしまった。
憲兵では太刀打ちできずに被害が更に中央市場以外へ拡大するかと思われた矢先、依然として暴れまわる魔物のいる広場に颯爽と現れたのは、豊かな長く美しい金髪を携えた軽やかな衣装を身に纏った美女と、パンツスタイルで髪を後ろに纏め上げた勝気な印象の、こちらも目を見張る美女。そしてもう一人はなんと、ヤーマスの巷を賑わすあの怪傑ロビンという三人であった。
そして金髪の女性とロビンは小剣を操りもう一人の女性は手斧を用いて、瞬く間に魔物を殲滅せしめたという。そのあまりに鮮やかな手際に、中央市場大通りに集まった憲兵と市民からは大歓声が沸き起こり、彼女らはその歓声に軽く手を振って応えたかと思うと、荒れた現場の後片付けへと取り掛かり始めたという。
結局のところは彼女らの活躍により憲兵の配置の崩れも殆ど起きること無く、ラブが街の外へと逃れることは適わなかった。
ラブは未だ騒動の熱気が冷めやらぬ街の景色を背にこの報告を聞いて、女二人が間違いなくマクシムスガードであろうと確信した。
そう、彼はここまで失念していたことを漸く思い出したのだ。
抑も今回の騒動の切っ掛けは一体なんであったのか。それは決して、調査団の入港などではなかったのだ。
では、その前日に開始されたトレードなのか。いや、これも違う。
そのもっと前に、明らかに普段と全く異なる出来事があったのだ。
それこそが、唐突にドフォーレ商会本館に訪れ港の隠し倉庫で彼らに宣戦布告をした、マクシムスガードと思われる謎の女二人の出現だった。
宣戦布告をしたにも関わらずトレード会場に現れなかったこと、そしてその翌日から調査団の出現による慌ただしさで完全に忘れていたが、そうなると彼女らの存在こそが、この事態を引き起こした最初の予兆と考えられる。
今回の魔物騒動を難なく片付けた手腕から見ても、彼女らは矢張り戦闘能力が相当な物であることは分かった。つまり、生半可な事では此方の意図する混乱を引き起こすことすら叶わないということだ。
だがここまできてもラブは、まだ絶望に染まりはしなかった。
確かにこの騒動に於いては、残念ながら状況が改善されることは無かった。しかし、自分はまだここからでも挽回出来る力を持っている。そうラブは確信していたのだ。
そしてその力を存分に振るうためには、ラブは再度モンテロの元を尋ねる必要があった。ドフォーレ商会を引き継いだ頃のように、今こそ父モンテロが持ち自分が持っていないもの全てを受け継がねばならない時が来たのだと、ラブは考えた。
そして彼はモンテロの全てを受け継ぐため、もう一度彼の元を訪れた。
最終更新:2018年05月04日 09:32