暗く、暗く、暗く。唯只管に、暗い。
 暗闇に覆われているその場所は、果たしてその場所が地続きで何処まで広がっているのかすら、全く不明瞭に思えるような不可思議な空間だった。上も下も前も後ろも右も左も。何もかも全てが暗闇の中でぼんやりとしていて、一向に見通すことが適わない。
 そしてその暗い空間には、重苦しくてどす黒く、その場に訪れたもの全てに執拗に絡みつかんとする陰鬱なる闇が、まるで我が物顔で横たわっていた。またその中心には、一転して淡く揺らめく純白の光もある。しかし、その純白の光は周囲の闇のそれすら比にならない程に醜悪で汚らわしい瘴気を無際限に生み出し、世界に向けて吐き出し続けている。
 そんな闇と純白の渦中に、唐突に灼熱の炎が舞った。
 アビスの瘴気を纏った炎は、まるでそれ自体が生きているかのように法則性なく自在に動き回っている。そしてその炎に照らされて浮かび上がったのは、巨大な鎌を携えた巨人の如き身の丈の騎士だった。
 まるで伝説にある騎士のような荘厳なる鎧を身に纏ったその騎士は、しかし神々しさとは真逆の、悍ましき呪詛に満ち満ちたアビスの瘴気と共にあった。

『・・・よもや、このようなことが起ころうとは』

 騎士は、まるで独り言のようにそう呟く。
 騎士の視線の先には、二つの人影が在った。その影はどちらも小柄で、線も細い。アビスの炎によって照らされたその姿は、一人は弓を携えた少女だった。そしてもう一人は、太刀を携えた少年。
 そして炎に照らされる周囲の床や壁には、壮絶を思わせる戦闘痕跡が幾つも刻まれている。それは、彼らがこの場で今まさに死闘を繰り広げているということに他ならなかった。
 だがその壮絶を思わせる痕跡に反して、騎士も二人の少年少女も、一切の傷を負っている気配はない。
 その巨体からは信じられないほどの身軽さで騎士は高らかに跳躍し、宛ら死神の如くに少年の首を刈り取らんとして急降下とともに鎌を振り下ろす。
 だが少年はその一撃を見切っているかのようにほんの紙一重で避け、しかしその隙を突いて太刀を振るうことなくすんなりと後退した。すると少年の陰から飛び出した少女が、間髪を入れずに数本の矢を放つ。
 その弓は少女の体躯と同じく小振りの弓であったが、放たれた矢は大気の加護を受けているのか、通常では考えられない程の強矢だ。
 しかし鋭く騎士へと突き立つはずだった弓矢は、瞬く間に騎士の纏う炎によって消し炭にされていく。少年が自らの太刀で斬りつけに行かなかったのも、この炎が原因だったのであろう。
 次いで騎士は鎌を両手に持ち直し、大きく振りかぶる。そして間を置かずに振り抜かれた鎌を起点として、その場の全てを切り裂くような風の刃が巻き起こった。
 しかし、周囲の壁や柱を容易く抉り削る程の恐ろしい威力を持った烈風の斬撃は、なんと真正面から構えた少年の太刀の一閃によって完全に相殺されてしまった。
 両者が決め手に欠き、戦況は膠着しているように思える。だが、騎士は再度両手に鎌を構え、今度は大きく力を溜め込むように姿勢を低くした。それは、先の攻撃を上回る斬撃で少年達を仕留めるべくの行動に他ならない。
 それに呼応するように、弓を携えた少女が少年の前に出る。
 今一度弓を構え直し、少女はまるで弓に語りかけるように小さく囁く。すると忽ち構えた弓に森と風の加護が宿り、それはまるで成長する樹木のように周囲の瘴気を取り込み力へと変換しながら、大きく広がっていく。

『・・・見事なものよ』

 騎士は目の前に広がる光景に、ただただ感嘆とした様子でそう呟いた。だがそれ以上は口を開くこともなく、己の渾身の力を込めた一撃を繰り出さんとして強烈な一歩を踏み出した。構えた鎌はアビスの炎を纏い、凶悪なる竜巻となって二人に襲いかかる。

「幾百万の矢を以て邪悪なる者を滅す・・・さようなら、幻影」

 そんな騎士の動きに対し、その場から微動だにしない少女は言葉と共に矢を放つ。その瞬間、少女の周囲に展開された渦巻く森と風の力によって生み出された無数の矢が、一斉に騎士へと降り注いだ。
 騎士が生み出した強大な炎の烈風も騎士の纏う炎も、流星のごとく降り注ぐ百万の矢の前には全くの無力だった。
 降り注ぐ矢が今まさに自らを射抜かんとする最中に、騎士はまるで嘲笑うかのようにふっと息を漏らす。

『定めじゃ・・・』

 それは自らに対しての言葉か、はたまた少年達に向けての言葉なのか。その真意は明かされること無く、轟音とともに織り成す百万の矢の衝撃によって霧散していった。






最終更新:2018年05月04日 00:58