「あー! アンナさん、久しぶりー!」
薄っすらと雪に覆われた大通りの先にいる女性に向け、エレンは大きく手を振りながら声を上げ、そして足早に駆け寄っていった。
「・・・エレンは、ここに住んでいたのです?」
それが一体何度目の光景であったのかはわからないが、兎に角聖都ランスに着いてからというものの矢継ぎ早にエレンと現地住人の再会イベントが数歩置きに起こるものだから、モニカはエレンがここに住んでいたのではないかという疑惑がそろそろ確信に変わりそうな面持ちで、ふと隣を歩くユリアンにそう聞いてみたのだった。
「いや・・・俺がまだ小さな頃にシノンに移り住んだ時から、ずっと一緒だった、はず・・・?」
何故かユリアンまで自信なさげにそういうものだから、モニカはいよいよ不思議な様子で首を傾げるのだった。
現在ユリアン一行はヤーマスにてピドナのトーマスと連絡を取り合った結果、世界最北の都市ユーステルムへと向かう最中であった。
彼らの目的は二つ。
先ずこのランスにて、聖王家にドフォーレの盗掘品倉庫から入手した魔術書を持ち込み解読の依頼をする事。これはモウゼスへと向かったミューズらと同じ目的だが、魔術書自体が四冊あるので解読の可能性を分担して模索しようとした結果だ。
そしてもう一つの目的は、ユーステルムにて聖王遺物「氷の剣」の手がかりを掴み、あわよくばそれを入手する事であった。
「エレンはゴドウィンの変の後、俺達と合流する前にハリードのおっさんとここに居たらしいぜ」
そんな彼らの様子とランスの景色を交互に眺めながら歩いていたポールが、不思議がるユリアンとモニカにそう付け加えてやる。
見渡す限り相変わらず長閑で牧羊的な街の風景が、彼の故郷のキドラントに似ていて柄にもなく穏やかな気分になる。
「ゴドウィンの変かぁ・・・。なんだか、あれが随分と昔のことのように思えるよ」
ポールの言葉を受けて、ユリアンは呑気な様子で両手を頭の後ろに回して組みながら、上空をゆるやかに流れる雲に目を向けつつそう言った。
そんな彼の口調は確かに呑気なものだが、ふとその声色の中にどこか慈しむような感情を聞き取り、モニカがちらりと横目でユリアンを見つめる。
ユリアンはロアーヌ東方開拓地であるシノンでエレン、サラ、トーマスと共に幼少の頃から共に育ち、これからもそうして変わらず育っていくのだと、常々そう考えていた。だが、そのような細やかな幸福に満ちた日常を瞬時に奪い去っていった出来事こそが、ゴドウィンの変だ。
件の変は彼の日常を瞬く間に崩壊させ、共に過ごしてきた四人とさえ一時の離散を招いた。それは、確かにとても悲しいことだった。しかし今となっては、自らに訪れたその変化を彼は好意的に受け止めてもいた。それは無論のこと、彼の隣を歩くモニカとの出会いも大きな要素ではある。だがそれ以上に、彼は彼に訪れたこの変化を、これこそが己の進む道であったのだと感じているからだ。
とはいえ、その気持ちには何の根拠もない。ただ彼は今、この世界に於いて圧倒的な己の無力を知り、それに僅かばかりでも抗いたいと感じている。それこそが、以前の彼が何処か日常の小さき幸福に甘んじて目を逸らしていた本当の気持ちに他ならないのだと、そう確信していた。
だからこそ、その事実に気づかせてくれた切っ掛けであるゴドウィンの変を、彼は己にとって良き転機として受け止めていた。
ユリアンがそのように思っているその横で、ポールもまた過去へと想いを馳せていた。
「ゴドウィンの変かー。なんだかんだ俺も状況激変したしなー」
ポールはといえば、件の事件の時は、まさにその事件の渦中と言えるロアーヌ宮中に身を置いていた。囚人として。
そこで彼にとってはある意味で運命とも言えるような出会いを果たし、その事件の後に恩赦による早期釈放をされ、気がつけばここまで来ているのだった。
あれからここまでの思い出は数え上げればきりがないほどだが、特にこの長閑なランスの街並みを見ていると、この長閑さとは真逆の記憶がまざまざと蘇ってくる。
「うぅん、ここでの思い出は穏やかってワケでもないな・・・」
彼には嘗て、ここで聖王の試練に挑み、それこそ死に物狂いで聖王遺物を獲得した過去がある。
その道中カタリナには訓練と称して連日連夜叩きのめされ、聖王の試練では斧を構えるエレンに失敗したら背後から切り刻まれる瀬戸際で弓を射たりと、今思い返してみればどちらかというと目を背けたくなるような辛い思い出ばかりが鮮明な様子で脳裏を過る。
「俺、よく死ななかったなー・・・」
無論それらの経験が彼を強くしたのは紛うことなき事実ではあるものの、もう一度あの日々を経験するかと言われれば土下座も辞さぬ覚悟で全力お断りだろうな等と考え、その思い出と言う名の悪夢を振り払う様に眼前に広がる景色に意識を向けることにした。
彼の目の前には変わらず故郷を彷彿とさせ様な風景が広がり、その景色は悪夢によって穢された彼の心を穏やかにしてくれる。
そして左方向に目を向ければ一面の銀世界の中に浮かび上がるようにして荘厳なる聖王廟が座しており、その大変に厳かな様子は穏やかな心の中に確かな芯を持たせ、この世界が聖王によって守られているのだと言う信心深い心持ちにさせるのだ。
更に右方向を向けば、唐突なマスク姿の正義の味方。どうやら聖王の他に身近にも、世界を守るヒーローはいるようだ。
斯様に、聖都ランスという場所は視覚の賑やかさには事欠かない。
「・・・やっぱフード付きの外套を被ってても、流石に目立つなぁ」
「そうだね。確かに聖都ランスとは、謂わばこの世界の正義の象徴たる都市だ。そこに正義を司るこの怪傑ロビンが訪れれば、幾ら身を隠そうとも、自ずと周囲の興味を引いてしまうというものだろう」
「あー成る程そういう解釈に持っていくのかー。勉強になるわ」
街の中では嫌が応にも視線を集めてしまうロビンの姿だったが、それも彼自身は全く意に介していないらしい。
しかし旅の仲間にモニカを擁する以上は過度に目立つのは避けねばならないので、街の中ではこうして頭の上から踝あたりまで覆うローブを纏ってもらうことにしたのだ。だが、それでもやはりアイマスク等がどうしても目立ってしまい、奇異の視線は避けられないところであった。
一行がヤーマスを出るときに唐突に彼らに同行を申し出てきたロビンだったが、その実力は矢張り折り紙つきであり、このランスまでの道中も事実とても助かったのは間違いない。
彼がユリアンたちについてきた理由は非常に単純で、つまりは武者修行ということであった。
ヤーマスにおいて屋根の上での決闘でユリアンに敗れたロビンは、ユリアンの剣技にすっかり惚れた様なのだ。またヤーマスでのドフォーレをめぐる一連の事件の最終局面において、モニカやエレンと共闘した際に彼女らの実力にも内心舌を巻いたことを憚ることなく明かし、改めて自分を鍛え直したくなったのだとその動機を振り付け付きで明かしてくれた。
因みに彼が不在時のトーマスの正義の味方代行には何やら当てがあるそうで、また普段身分を隠して潜入している街の仕事もアルバイトを雇ったということで、抜かりはないのだそうだ。
「ねーねー、アンナさんも聖王家のお屋敷行くところだったんだって。一緒に行っていいよね!」
「話の流れでご一緒させていただくことになりまして・・・ご迷惑ではないかしら」
先を歩いていたエレンは、どうやら御使いの最中と思われる女性を一人連れてきていた。
彼女は名をアンナといい、このランスにて天文学者の兄と二人暮らしをしているのだという。御使いの行き先が一緒だということで、エレンに半ば強制的に連れてこられた様だった。
「天文学者ってことは、ヨハンネスさんとこか。まさか妹さんがこんなに美人だったなんて、以前来たときにしっかりチェックしておくんだったなぁー!」
「・・・美しい」
「まあ、そんなはずかしい・・・」
ポールとロビンの反応に顔を赤らめるアンナと、彼らを絶対零度の半眼で見つめるエレン。
当然同行についてはユリアンとモニカも何の問題もないという事で、六人で聖王家へと向かう事になった。
「アンナさんは何の用事で聖王家に行くの?」
「私は、とある仮説の実証と思われる観測が行えたので、そのご報告に。あ、今は兄が街を離れておりますので、私が星の観測のお手伝いをしておりますの」
確かに彼女の抱えている荷物は、丸められた幾つもの羊皮紙と書物という、女性のお使いというには随分と仰々しい代物とも言えた。
しかし、これで少し予定が狂ってしまったか、とポールは考えていた。
何しろ彼の予定では、このランスにてヨハンネスからも魔道書や氷の剣に関する情報を得られないかと目論んでいたからだ。
「へえー、アンナさんも星のなんとかーとか分かるの?」
そんなポールの目論見を他所にエレンがなんとも自然にアンナの荷物をひょいと肩代わりして持ちながらそう聞くと、アンナはその行動に恐縮しながらも微笑んだ。
「兄ほどでは有りませんが、多少は。ただ私は昔から本の虫ですので、兄ほど目が良くなく見落としもあるかと思いますが・・・」
エレンの実に自然なエスコートにモテの秘訣を感じて感心しつつ、ポールは今の会話内容から興味本位でアンナに尋ねてみる。
「ひょっとしてアンナさん、お兄さん位に古代の文献とかにも造詣が深かったり?」
「そうですね・・・一応兄の手伝いで調べ物などは良くしますが、造詣が深いとまでは言えないと思います。ですが多少の知識程度でしたら、ございますわ」
才色兼備とはこのことを言うんだなぁ等と宣いながら笑顔を絶やさないポールにエレンの視線が最高潮に冷えた頃合いに、一行は目的地である聖王家へと辿り着いた。
エレンが慣れた手つきで真鍮製のドアノッカーをガツガツと叩くと、程なくして老婆が扉を開いて顔を覗かせた。
「あら、元気な叩き方だからもしかしたらと思えば、やっぱりエレンさんだったのね。お久しぶりね、エレンさん」
「お婆ちゃん久しぶり! いきなりだけど、ちょっとまた用事があって来たの。当主様、今いるかな?」
他の住民たちと同様にその老婆とも快活に挨拶を交わしたエレンは、単刀直入にそう切り出した。
その様を見てモニカなどは聖王家に仕える人物に対してここまで普段通りな対応で大丈夫なのかと心配したものだが、存外その様な心配は無用の様子で、老婆はエレンに対して快く頷き返し、館の中へと招き入れてくれた。
「アンナさんも用事があるみたいだから一緒に来たの。あたしらの話は別に一緒でも構わないけど、アンナさんは?」
「あ、そうですね・・・はい、エレンさん達ならば私も問題ありません」
それならば一緒に話そうとエレンがさっさと話を進めていき、流れるままに一行は以前とは違い空間を広めに取った部屋へと案内された。
続けて促されるままに席に座って老婆が用意してくれた紅茶を皆で頂いていると、程なくして聖王家当主オウディウスが部屋を訪れる。
「当主様、久しぶり!」
「やあエレンさん、お久し振りですね。変わらずお元気そうで、何よりです。それに皆さんも、ようこそいらっしゃいました」
此処でも快活に聖王家現当主と挨拶を交わすエレンに続き、即座に反応したモニカを筆頭に皆が其々立ち上がった。
「急なご訪問となり申し訳ございません。お初に目にかかります、オウディウス様。わたくし、ロアーヌ侯国のモニカ=アウスバッハと申します」
「これはこれは、遠路遥々よくいらっしゃいました。ロアーヌの方の訪問を受けたのは、此処最近で二度目ですな」
モニカの挨拶にもオウディウスが柔和に返すと、あとは其々が思い思いに挨拶を交わす。
特に印象的だったのは、ロビンが思いの外真面目に挨拶をしていたことか。マスクこそ外さなかったものの、素顔を明かさぬ非礼を詫びながら己の事情を話すとオウディウスは気にする必要はないと快く受け入れていた。
そして一通りの挨拶が済むと、何故かエレンの仕切りによって先ずはアンナの要件から話が始まった。
「それでは・・・先ずは此方の天文図と宿星図をご覧下さい」
そういってアンナは籠から複数枚の羊皮紙を取り出し、広いテーブルの上に広げていく。その全てがモニカやエレンたちには全く見方のわからないものだったが、オウディウスとアンナは手際よく図面を展開していく。
「・・・これは・・・。やはり、知らせは本当だったようですね」
「はい、その様です」
二人が広げられた図面の一点を見ながら深刻そうな顔をしつつそう言うが、その他の面子は全くそれの意味がわからない。
「これは一体、何を示しているのですか?」
思いがけず至極普通の調子で二人に話しかけるロビンに、オウディウスとアンナは快く説明を挟んでくれる。
「これは死星の軌道を観測した結果を記しているものです。実は一ヶ月ほど前、聖王家と兄のヨハンネス宛に、とある情報が届けられまして・・・」
「そりゃひょっとして、四魔貴族の魔炎長アウナスに関係してる事かい?」
アンナの言葉に被せる様に、ポールは事前にピドナとの連絡で知り得ていた情報を元に聞いてみる。
するとアンナは多少驚いたような表情をしながらオウディウスに目配せをしたが、オウディウスが顔色を変えずに浅く頷いたのを見てポールへと視線を戻した。
「はい、その通りです。よくご存知ですね」
「ま、身内が絡んでいるからな。その情報元も、恐らくはカタリナさんだろ?」
「そこまでご存知でしたか。では、話も早いですね」
カタリナの名前がポールから出てきた事で、アンナは星図が示す事と彼女らが知りうることに関して、説明を始めた。
遡る事一月ほど前、ヨハンネス兄妹の元にロアーヌの使者から一通の書簡が届けられた。
その内容は実に衝撃的なもので、冒頭にて魔炎長アウナスが何者かに滅ぼされ密林の火術要塞にあるアビスゲートが閉じられたという内容が語られていた。そして次に、もぬけの殻となった火術要塞の調査をヨハンネスに依頼したいという要請が認められていたのだ。
差出人は、ロアーヌ貴族にして騎士の称号を持つカタリナ。半年ほど前にこのランスを奇怪な鉄馬車に乗って訪れ、聖王廟に眠っていた聖王遺物を試練を越えて入手したという女性だとアンナは聞き及んでいる。
アンナ自身は直接の面識はないものの、兄ヨハンネスが言うには、そのカタリナという人物は聖王記に記されたパウルスの予言に依るところの、八つの光とされる人物であろうとのことだった。
「あれ、俺もその時めっちゃ活躍したんだけど、聞いてない? ねぇ、聞いてないかな?」
ポールの懸命な注釈はいとも軽く流され、話は続いていく。
ヨハンネスはその書簡が届けられると、直ぐさま現地に向かう準備を始めた。この時既に、ヨハンネスは微細な星の位置のブレを観測から予見していたのだという。それは日々注意深く観測を行っている彼にしか分からないような、ほんの些細な軌道の誤差。しかしそれを感知した矢先のこの知らせに、ヨハンネスは居ても立ってもいられなかったのだ。
そこでヨハンネスは妹のアンナに調査期間中の観測の代役を頼み、聖王家に事情を話すと間も無く南へと旅立った。
それからアンナは兄の代わりに観測を続け、いよいよ彼女でもわかる程度に星の位置の変位が認められたので聖王家へと報告に来たという次第だった。
「ただ私の観測が甘いのか、兄が示した予測とは若干ズレの幅が異なるようなのです。これは正直、兄が帰ってきてからでないと詳細は分かりかねるところですが・・・」
アンナがそう言って締めくくると、ポールと視線を合わせたモニカが荷物を取り出しながら口を開く。
「では、次にわたくし達からお話をさせていただきます。何点かあったのですがそのうちの一点はアンナさんが話された魔炎長アウナスの事ですので、そのほかの内容を」
モニカがまず話し始めたのは、彼女らがヤーマスの一連の騒動の中で入手した魔術書についてだった。
ドフォーレ商会が隠し倉庫に保管していた魔術書は全部で四冊。そのうちモニカたちが持っているのは、二冊だ。残りの二冊は、別行動のミューズたちによってモウゼスの魔術ギルドへ持ち込まれる算段となっている。
「実はこれの解読について、古来の様々な知識にも詳しいという天文学者ヨハンネスさんの意見を聞きたかったのですが・・・」
卓上に魔術書を置きながらモニカがそういうと、アンナは随分と興味津々の様子でその魔術書を覗き込んだ。
「あの・・・少し、中を見てみてもよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
モニカに許可を得てからアンナは魔術書が痛まぬように慎重な手つきで魔術書に触れ、扉絵を捲っていく。そんな彼女の挙動にその場の全員が密かに注目する中、瞬く間に数枚捲ったかと思うと、そっと魔術書を閉じてモニカに向かい合った。
「恐らくこれでしたら私でも、少々お時間頂ければ解読できるかと思います」
「まぁ、それは頼もしいですわ!」
「・・・おいおいまじかよ」
アンナのその発言にモニカが両手を合わせて喜ぶ後ろで、ポールは目を丸くしながら驚いた。
まず最初にこの魔術書に関してミューズに解読を試みてもらった際、彼女はお手上げだという様子でこう言っていたのだ。
「一見すると古代魔術文字のようですが、現代に伝わる魔術文字とは一文字一文字が異なる意味を持つようで、文字列からの推察も難しいですね・・・。少なくとも私はまるで見たことのない配列なので、これは余程古代文字や文献に精通した方でなければ解読は難しいように感じます」
この見解には同じく術戦士として高度な見識も併せ持つシャールも全く同意であり、ピドナ宮の学者でも解読できるかどうかは怪しいとのことだったのだ。
それが、こうもいきなり道が開けてしまうとは、全く驚きなのである。
「・・・いやぁ、これなんだろうなー。俺が『持ってる』ってことでいいのかなー」
「いやそれはない」
顎に手を当てながら独り言のように小さめに呟いたにも関わらず、エレンから半眼で言い切られる。
「さいですか・・・手厳しいことで」
肩を竦めてみせながらエレンにそう応えるが、何はともあれこれで要件の一つは目処が立った。となると、もう一つの用事について話を進めるのみだ。どの程度の期間なのかはわからないが、少なくとも彼らにはこの後の要件に関してはある程度の時間をかける用意がある。その間に解読してもらえたら丁度良いといったところだろう。
そのもう一つの案件とは、聖王遺物「氷の剣」の所在についてだった。
氷の剣は、数ある聖王遺物の中でも一際特殊な存在だとされている。
抑も聖王遺物とは三百年の昔に聖王の祝福を受けた品々のことを指すのだが、この氷の剣に限っては聖王に祝福されたものではなく、この世界に元から存在する秘宝なのだという。つまり、正確には氷の剣は純粋な聖王遺物ではないのだ。ただ聖王が所持したという理由から、現在は他の聖王遺物と同列に扱われているというだけなのだという。
その正体は文字通り「氷」で生成された剣であり、それは伝説によればアビスの獄炎に曝されようとも決して溶けることはない永久結晶なのだとされる。
更には聖王遺物の中でも群を抜く威力を誇るとされる七星剣にすら匹敵する程の力を秘めているとも言われており、四魔貴族討伐を成し遂げる上では是非とも手に入れたい代物だとカタリナやトーマスらで話し合っていたのだ。
ただ、この氷の剣については厄介なことにその所在に関する伝承が殆ど存在しない。一般的に手に入る唯一の手がかりといえば、聖王記に僅かに記されている「氷の銀河にて白竜が守護せし氷の剣を入手せん」という一節のみなのだ。
これについて、一行は是非とも聖王家の知見を伺いたいと考えていた。
しかし、この問いに答えるオウディウスの表情は残念ながら明るいものではなかった。
「氷の剣ですか・・・。残念ながら、当家にも聖王記以上の手掛かりはないのです」
「うーん、やっぱそうっすよねぇ・・・」
元よりあまり期待はしていなかったのか、ポールはオウディウスの言葉を受けて肩を竦めながらそう応えた。
抑もここでもっと具体的な手がかりが出てくるなら、すでに世間に知れ渡っているだろうことは彼にもわかっていたのだ。なので、予想通りといえば予想通りなのである。
「しかし、そうなると氷の剣は何処にあるんでしょうね・・・」
同じような予測を持っていたらしいモニカが彼女らしい可憐な仕草で顎に指を当てながら呟くが、しかしそこに明確な答えはどこからも返ってこない。
氷の銀河、という記述が一体何を指しているのかは皆目見当もつかないが、兎に角氷に覆われていているのならば寒冷地に手がかりがありそうだというのは恐らく間違いない。だからこそ一行はこのランスの後に世界地図で最も寒冷地に位置する都市国家ユーステルムを目指しているわけだが、この分だと矢張り現地での地道な調査しかないのかも知れない。
だがモニカやポールがそのように考え次の話題に移ろうとしたその時、おずおずと控えめに片手をあげるものがあった。
「あの、あまりあてにならないかも知れませんが、それっぽい情報程度なら心当たりがあります・・・」
普段の謙虚さが滲み出たような遠慮がちのその声は、またしてもアンナのものだった。
その発言にその場の全員が再び彼女へと視線を向けると、あまり目立つことに慣れていないのかアンナは余計に恐縮しながら、小さな声で話し出した。
「あ、その、本当に、あまり期待しないでくださいましね。えっと・・・ユーステルム周辺地域にはいくつか村がありまして、その村々には非常に似通った内容の古い童話や伝記が個々に伝わっているのです。そして、これらの共通項にですね・・・」
アンナが言うには、その童話や伝記たちはいつから伝わっているのかもわからないほど昔から伝わるものだという事だった。少なくとも、聖王歴制定前から存在しているであろうことは間違いなさそうだとのことであった。
そして、村によって語られる内容は多少の違いがあるものの、その童話たちの大筋はその全てが、北の地に住まう精霊との不可思議な交流を描いたものなのだという。
そしてその童話たちには、決まって必ず出てくる文言があった。それは「オーロラ」「ゆき」「せいれい」という表現だった。
また、その中でもいくつかの童話では直接的に「ゆきのせいれい」という記述があり、他の童話も雪と精霊については同意で表現しているものだと思われた。
更にいくつかの童話には登場人物が精霊の住処へ赴く描写があり、そこには「ゆきの町」「こおりのうみ」「こおりのみずうみ」という表現が用いられているそうだ。
雪の精霊の住まい、又はその近くにこの描写と思われる場所があるということが伺える。
そしてその中の童話の一つに「ほしがうかんだこおりのうみ」という単語があり、これは恐らく前述の「こおりのうみ」「こおりのみずうみ」に夜空の星が写り込んだ様子を表しているのではと読み取ることが出来る。
これは、子供向けではなく大人向けに言うならば「氷の銀河」と名付けても良いのではないか。
アンナが語った内容は、以上のことであった。
「雪の精霊、ねぇ。キドラントでもガキの頃に耳にしたことはあるけど、そんなに色んなバリエーションがあったんだなぁ」
ポールがほのぼのと感想を述べると、横からエレンが手を挙げた。
「要するにアンナさんが言いたいのは、雪の精霊を探せば氷の銀河に行けるかも知れないよ、そこに氷の剣があるかもよ、ってこと?」
「あ、はい。そんな所です。やっぱり、童話の精霊を探すなんて、馬鹿げてますよね・・・」
アンナが心底申し訳なさそうな様子でそう言うと、エレンはとんでもないという気持ちを全身で表すように勢いよく首を横に振った。
「そんなことないよ! 一番可能性が高い情報だと思う! ねぇユリアン!」
「え、あ、おう」
相変わらずこの手の話にはすっかり空気と同化した様子でいた所に急に話を振られ、ユリアンが答える。しかも聞いたくせに彼の答えなどまるで届いていないかのようにエレンがアンナへと視線を戻すのを確認し、ユリアンはなんらその扱いに動揺することなく再び空気と化すことにした。
「ところで、オーロラってなに?」
「空に現れる、巨大な光の帯の事です。ここランスよりも更に北方、最北の地域の空に冬の時期だけ起こる不思議な現象なんですよ。私も一度だけ見たことがありますが、とても幻想的な光景でした」
エレンが首を傾げながら聞くと、アンナは己の経験も交えながらそう教えてくれた。
しかしそれでもいまいちオーロラというものの想像が浮かない様子のエレンの決断は、実に早かった。
「よし、オーロラ観に行こう!」
「そうしましょう!」
そして、エレンの提案に思いの外上機嫌な様子で両手を合わせながら即座に同意するモニカに、残された男衆は反論の余地もなかった。
「童話にも必ずでてくるキーワードであるオーロラですが、大抵出てくるのは物語の序盤です。つまり、オーロラが雪の精霊に会うための鍵となる可能性が高いのではないかと思いますわ。今の時期は、オーロラは出るはずです。とは言え、あとの手掛かりはユーステルム周辺で口伝等を頼るしかないかと思いますが・・・」
「わかったわ、ありがとうアンナさん!」
こうして一行は、「雪の精霊の童話」を手掛かりにユーステルムへと旅立つこととなった。
最終更新:2019年05月03日 21:05