まだ陽も昇らぬ未明にに巻き起こった学術都市モウゼス中央の小島における魔術戦闘は、実に苛烈を極めた。
 西方世界でもこれまでの歴史において殆ど類を見ないほどの高度な魔術戦であったであろうとシャールが太鼓判を押す程のその戦闘は、天に向かって渦巻く玄武と朱鳥の力の奔流によって圧倒的な破壊の気配を纏いつつも、しかし次第に朝日によって照らされゆく事で実に幻想的且つ美しく彩られた。
 しかしその膨大な魔力の狂宴も終わりを迎えてみれば、その勝負の行方は誰が見ても明らかなものでもあった。
 無尽蔵にも思えた程の魔力をいよいよ出し尽くして地面に膝をつく二人の魔術師と、その目の前には微動だにせず仁王立ちをしているカタリナ。その手には武具を持っておらず、代わりに魔王の盾を構えた状態だ。
 世界に名を轟かせる魔術師二人の術は、古代の至宝たる魔王の盾の持つ無効化の力により全てカタリナに届く前に効果が消失し霧散してしまっていた。
 その様を見た時、魔術師二人にはそれ以上何かを為さんという気力は生まれてくることはなかった。

「負けたわ・・・」
「好きなようにしろ」
「二人とも、あんまり町の人を困らせないでよ?」

 力なく項垂れたウンディーネと、それとは対照的にどこか妙に潔い様子のボルカノに対し、カタリナはそう声をかけてその場は存外呆気なくお開きという流れとなった。


 そして数時間後。
 明け方までの騒動だった故か昼過ぎまで宿のベッドで倦怠感とともに微睡んでいたカタリナは、彼女等に宛てられたという一通の文が朝方に届けられていた、との知らせで漸く起き上がり、いそいそと活動を開始した。
 そのまま宿の食堂に降りて遅めの昼食をいただきながら届いていた文に目を通していると、今度は彼女らを訪ねて一人の人物がやってきた。
 態々そこに訪ねて来たのは、なんと今朝死闘を繰り広げたばかりの南の朱鳥術師ボルカノその人であった。
 懲りもせず早速魔王の盾を改めて狙いに来たのかとも思ったが、それにしては全く敵対心のない様子のボルカノに対してカタリナは内心首を傾げながら、昼過ぎで全く人気のない宿に隣接した酒場に席を移して彼の話を聞くことにした。

「先ずは、この度の騒動の謝罪をさせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう」

 互いに席に着くなり口を開いて深々と頭を下げるボルカノにいよいよカタリナたちが頭上に疑問符の乱舞をさせていると、その様子を察したボルカノはどこかバツが悪そうに頭を掻いたかと思うと、手元に用意された珈琲で口を潤してから事の次第をゆっくりと話し始めた。

「なんというか・・・抑もディー姉は、魔王の盾の能力をしっかりと理解していないんだ」
「・・・・・・ディー姉?」

 ボルカノの口から出てきた名詞の印象が強烈すぎて、カタリナはそこだけ思わず鸚鵡返しをしてしまう。因みに、その後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
 纏めるとつまり、ボルカノが語る今回の騒動とその背景はこういうことだそうだ。
 ウンディーネとボルカノはこのモウゼスにて生まれ育ち、そして共に学んだ魔術師の先輩後輩にあたる。
 自身をして、その類稀なる才覚により幼い頃から周囲より神童の扱いを受けていたボルカノ。しかしその頃からウンディーネの後をついて周り彼女を最も身近で見ていた彼は、魔術師としての才能に関しウンディーネの方が自分より格段に優れているということをこの時、既に誰よりも強く自覚していた。
 そこでボルカノは単に魔術師として彼女の劣化版になるのではなく己の専門分野を開拓しようと、錬成の基礎となる火を司る朱鳥術を修め本格的に魔道具の研究開発へと道を進める。これはまだまだこの分野が魔術ギルドにとっても開拓の余地がある分野であったというのもあるが、特段ウンディーネが簡単な魔道具を作るのも実は少々苦手であるという事を鑑みての選択でもあった。
 そしてウンディーネが十年ほど前に魔術修行に出たのを機に、彼もそれならばと世界中の様々な素材や古代魔道具についての文献を求めて若くして旅に出た。
 そしてその旅の最中、彼は遂に魔王遺物についての未発見文献と邂逅するに至ったのだ。
 聖王記の一節にある「魔王伝記」にて、魔王の斧、魔王の鎧、そして魔王の盾の三つがこの世界に残された魔王遺物であることは古来より知られていた。だが、その名称以外の事はこれまで全くの不明であったのだ。
 ナジュに程近い地方にてボルカノが発掘し解読したその文献によれば、魔王の持つ盾は魔王軍の二度目の東方遠征に於いて古代ナジュの東方連合軍が編み出した天の術の効果を悉く打ち消し、そして魔王の斧の一振りで瞬く間に連合軍を壊滅に追いやったのだという。
 この文献の解読からボルカノは魔王の盾の強力な魔術無効化能力を発見し、やがてその探求こそが自らの研究分野の発展に繋がることを確信して、魔王の盾を欲する様になった。
 それから彼は、世界中で術の無効化に関連のありそうな記述のある伝記を探して回った。
 そして今から一年程前、イスカル河という中央大陸の遥か北方より聖都ランスを通りながら南東に突き抜けファルスを尻目にヨルド海へ流れ出る河の下流沿いに点在する洞窟型寺院の遺跡にて、正に無効化能力をもつ盾型の秘宝についての文献を発見した。
 更にその文献に記された内容は彼の想像を遥かに超え、その盾は術はおろか物理的な干渉も含めた凡ゆるものを無効化する秘宝であると記述されていた。またこの文献では他にも様々な実験の記録が記されており、これにより更に幾つかの特殊な能力が盾には備わっていることも分かってきた。
 中でも特に彼が興味を惹かれたのは、この盾が特定の魔術の効果に影響を及ぼす、という記述についてだ。
 三百年の昔、聖王三傑たるヴァッサールが彼女の故郷モウゼスに魔術ギルドを作った理由は諸説あるが、その最も有力な見解は「モウゼスの地は他所に比べ特定の魔術の効用を増減する傾向があるから」という説だった。簡単にいえば、モウゼスにいるのといないのとでは、魔術の種類によって効果に差が生まれるのだ。
 特に効果が高くなるのは、他の物体への損害、つまり『破壊』を司る魔術。そして逆に効果が薄れるものは、身体能力の向上や属性防御を目的とする様な補助魔術とされる。
 ボルカノが寺院遺跡で見つけた文献の最後には、ある時代に秘宝たる盾は、その力を恐れた一人の反逆者により奪い去られたとあった。そしてその所在についての記述は終ぞ見つかる事はなかったが、しかしボルカノは既に脳裏に過ぎっていたのだ。
 己の故郷の魔術行使における特徴、そして瘴気に侵される事なく死者が安らかに眠るという伝説を持つ、死者の井戸。
 これらは、正に文献にある秘宝の特徴そのままだということに。

「成る程ね。だから貴方は、魔王の盾がここにあると踏んで帰ってきた、と」
「そうだ」

 彼の冒険譚に、カタリナたちはすっかり聞き入ってしまっていた。
 シャールとミューズはその魔術師としての知見から非常に興味深く聞いており、またハリードは故国の歴史に関わる遺物の話として耳を傾け、ハーマンは何やら魔王の盾を追い求めて世界中を旅する彼の行動に共感している様だった。
 そんな中で王家の指輪のもたらす叡智により魔王の盾の力を恐らく誰よりも理解しているカタリナは、同様に人間には無い感覚で魔王の盾を知覚しているフェアリーと共に話の続きを促す。

「でも、そうなるとそのディー姉・・・えと、それウンディーネさん・・・でいいのよね? 彼女とは何故争う事に・・・?」
「それは・・・」

 カタリナの言葉に、ボルカノは何故かここでもバツが悪そうに言葉を飲む。
 そして次に言葉を発したのは言い澱む彼ではなく、唐突に酒場の入り口に現れた人物だった。

「それは私も是非、聞きたいわね」

 現れたのはボルカノと同じく未明までカタリナ達と争いを続けていたもう一人、ディー姉こと水術師ウンディーネその人であった。

「・・・ディー姉!」
「その呼び方いい加減やめなさいよ!」

 彼女を見たボルカノの反応に腕を振り払う様な仕草をしながら心からの叫びで返すと、ウンディーネもまた彼と同じ様にすっかり敵意のない様子で、カタリナらのテーブルへと近づいていった。
 その際カタリナに視線を寄越すと、カタリナはそれに対してほんの微かに頷いてみせる。それを見たウンディーネは、テーブルの側に立ってボルカノを見下ろすように視線を落とす。

「いい加減、教えなさい。何故私に盾の事を教えながら、私が手に入れるのを邪魔したの」
「・・・それは、こっちの台詞だ。確かに俺はディー姉に盾のことは教えたけど、何故それで俺が先に手に入れるのを邪魔することになるんだ」

 ウンディーネの言葉に、ボルカノはこれまでの様子とは一転してどこか子供染みたような、むすっとした表情で返す。そんな二人の間に流れる空気に、その他一同はなんだなんだと思わず目を見合わせる。

「えっと・・・え、ボルカノさん、態々ウンディーネさんに魔王の盾のこと教えたの? なんで?」

 二人の様相と共にいよいよ話の行方が分からなくなってきたカタリナは、思わず素の調子でボルカノにそう聞いた。

「・・・別に、お前達には関係ないだろう」
「いやもうがっつり関係してんでしょ」

 何処か気まずそうな様子のボルカノに、カタリナは一切容赦のない鋭い突っ込みを繰り出す。
 それに対して全く反論の余地もないボルカノは黙秘の姿勢をとったが、程なくして周囲の視線に耐え切れなくなったのか、おずおずと口を開いた。

「・・・教えた理由は、この発見がディー姉の研究の・・・や、役に立つと思ったからだ」
「あ、それってつまり、ボルカノさんはシスコンという事ですか?」
「誰がシスコンだ!」

 誰からそんな単語を教わったのか、ミューズもまた情け容赦なく直球で真理を突く。するとボルカノは、たいそう慌てた様子で先ほどのウンディーネと同じ様に腕を振りながら否定を口にした。因みに当事者達以外はあまり単語の意味をわかっていない様で、疑問符を浮かべている。
つまり彼の言い分は、こうだった。
 元々ボルカノとウンディーネは旅に出て以後も己の研究の進捗について、定期的に各地の魔術ギルド支部へと報告書を飛ばしていた。しかしこの報告書には漏洩を防ぐ目的で魔術封印が施してあり、特定の解呪方法を行わなければ見ることは叶わない代物であるのだ。
 ここ迄は、魔術ギルドでは通常行われる内容である。
 しかしさらに言うと二人の報告書は互いしか解呪の方法を知らない独自の封を行なっており、事実上二人だけの連絡網の様な状態だった。
 これにより、互いに現在どこにいるのかまでは分からずとも、その行動内容はある程度共有されていたのである。
 なので、抑も数年前の時点に遡りウンディーネはボルカノの魔王の盾探索のことを知っていたのだ。
 またウンディーネも自身が故郷を離れてから旅をして行く中でモウゼスの外で己の特定の魔術が弱体化していることを再確認した事を発端とし、土地の精霊力に左右されない魔術構成の研究へと本格的に舵を切った。
 その中で現在の研究内容へと独自の実験と考察により辿り着いたのだが、ここ最近になって今一歩、彼女は行き詰まっていた。
 その理由は、彼女の提唱する陣形魔術の詠唱時に於ける土地の相克や術者への負荷を緩和する魔術媒介の研究が進まぬ事であった。
 この媒介とは所謂魔道具だが、魔術師の間で古来より常用されてきた魔道具は、この陣形魔術の媒介としては残念ながら全く役に立たなかった。陣形による魔力増幅の過程に耐えきれず、直ぐに砕けてしまうのだ。
 そうなれば取れる手段としては新たな媒介の錬成を行うしかないわけだが、しかし彼女自身は魔道具作成という点においては凡才の域を出ず、個人的には苦手な部類であった。
 そんな進捗を彼女との情報共有から把握していたボルカノは、魔王の盾の持つ魔術無効化の力が相克の無効化や負荷の軽減に通ずるのではないかと考えていた。
 そして更なる調査によって魔王の盾には魔術増幅の能力がある事を知り、より彼女の研究に役立つものであると確信したのだ。
 だが、いざ魔王の盾がモウゼスにあると当たりをつけてそれをウンディーネに共有した直後に、ボルカノは発掘した文献を読み進める中で更なる魔王の盾の特性の存在に行き当たった。
 それこそは、「防御・補助魔術の無効化」という現象だった。

「報告から推察する限り、陣形魔術は膨大な威力を実現することが可能になるのは間違いない。だがその膨大な魔力量は、恐らく人の身で扱うには負荷が大きすぎる。だからディー姉は、媒介を用いて負荷を減らしつつ魔力の増幅を行うことを思いついた。で・・・いいよな?」
「・・・そうよ」

 ボルカノの言葉を存外素直に肯定したウンディーネは、軽く曲げた右の人差し指を細い顎に当てながら腕を組み、続きを促した。

「・・・ただ媒介は、あくまで媒介。陣形魔術を行使するには、負荷を減らすために恐らく自身に何らかの防御魔術を掛けなければならない筈」

 確認するようにウンディーネを見つめながら語るボルカノに、彼女は無言で頷く。それを確認したボルカノは、次にカタリナの方へと視線を向けた。

「だが魔王の盾には、どうやら補助魔術を無効化する効果があるらしい。このモウゼスに於いて補助魔術の研究が遅れていた最大要因は正に其れ等の魔術の効果がモウゼスではあまり発現されないことにあったが、それもこの能力が原因だろう。つまり、魔王の盾をそのままの状態で陣形魔術に使えば、魔力増幅と防御魔術無効が同時に発現し・・・術者は負荷に耐えきれず、その身もろとも破裂する可能性が高い」
「・・・つまり貴方はそうなるのを防ぐために、ウンディーネより先に魔王の盾の入手をしようとした、という事なのね」

 カタリナの纏めに、ボルカノは浅く頷く。

「ディー姉は・・・昔から先ず自分で試さないと気が済まない性格だった。だから魔王の盾も、先ず間違いなく自分が最初に使おうとするはずだ。だから、これを伝える前に渡すわけにはいかなかった」

 続けて発せられたその言葉を聞いても、ウンディーネは無言のままでいた。

「あの・・・ウンディーネさんはこの事を知っていたのですか?」

 数秒の間続いた沈黙を破るように、フェアリーがウンディーネに問いかけてみる。するとウンディーネは漸くそこで、あたかも金縛りが解けたかのように首から上だけを微かに動かし、フェアリーに視線を向けた。

「・・・この子の言うモウゼスの特性と紐付いているという仮説から、関連性に関しては薄々予測はしていたわ。勿論、そこまで強力なものであるなんて認識はなかったけれど」
「ならば尚のこと何故、俺に任せなかった! しかもやっと再会したと思えば出会い頭に宣戦布告した上、此方の話を全く聞こうともしない!」

 ボルカノが堪らず声を荒げて立ち上がりウンディーネを見つめると、今度は彼女が皆から視線を外すように食事中のテーブルを見つめる。

「・・・その理由、これと関係あるの?」

 再度その場に流れる気まずい沈黙を破って唐突にそう言ったのは、カタリナだった。
 先だって宿に泊まっているカタリナ宛てに届けられていた文を手にしてひらひらとさせながらウンディーネに向かって問いかけると、彼女はそれに反応するのをあからさまに拒否するように無言を貫き、ボルカノは怪訝な顔をしながらその文を見つめている。

「なんなんだ、それは」

 ボルカノがそう問うと、カタリナは文を持った手でそのまま肩を竦めてみせる。

「今朝、私宛てに届いた文よ。内容は・・・いいわね?」
「・・・勝手になさい」

 カタリナがウンディーネに視線を向けながら確認すると、ウンディーネは今度は窓の外へと視線を移しながら短く答えた。
 文は、ウンディーネからのものであった。
 冒頭には先程のボルカノと同じく此度の件に対する丁寧な謝罪があり、そして次には、切実な願い事が記されていた。

「盾は諦めるが、しかし絶対にそれをボルカノには触れさせないで欲しい・・・?」

 文に記された最後の部分をカタリナが読み上げると、ボルカノはそれを繰り返しながらウンディーネへと視線を移した。
 ウンディーネは、それでも無言のままだ。

「・・・なんで。なんで、そこまで俺が魔王の盾を手に入れる事を嫌がるんだ。頼むから・・・教えてくれ」

 今日の未明まで啀み合っていたのが嘘のように、ボルカノが落ち着いた声でそう聞く。
 するとどうした事か、ウンディーネは突然その切れ長の目尻に大粒の涙を溜め始めた。

「な・・・ど、どうしたんだ!」

 その様子に驚いたボルカノが大層慌てふためいて彼女の両肩を掴むと、ウンディーネは顔を見られたくないのか皆と反対側に顔を向けながら、小さく呟いた。

「だってあんた・・・死の呪いを・・・受けてるじゃない」
「死の・・・呪い・・・俺が・・・?」

 ウンディーネの掠れ声を聞いたボルカノはまるで身に覚えがないようで、なんのことだとでも言いたげに眉を顰める。
 そして次にその場で声をあげたのはなんと、事態をここまで只管静観していたハリードとシャールであった。

「ほう・・・死の呪い、か。成る程、此奴から腐臭がすんのはその為か。なあシャールよ」
「あぁ、どうやらその様だな。私やハーマンが抱いた違和感の正体は、それだったようだ。ミューズ様も、お感じになられますか?」

 シャールに問いかけられると、ミューズも矢張り違和感を感じていたのか、小さく頷いた。

「あぁ、これハリードの匂いじゃなかったの」
「カタリナさん・・・加齢臭ならまだしも、腐臭は流石のハリードさんでも傷つくと思います」
「いや加齢臭も十分傷つくんだが?」

 いけしゃあしゃあとそう宣うカタリナに、フェアリーの切れ味抜群の合いの手。そこにハリードは米神の血管をひくつかせながらも、流石に大人の対応で接する。

「・・・ウンディーネ殿。その死の呪いと言うのは、どの様なものなのですか」

 カタリナ達の掛け合いを無視しながらシャールが落ち着いた様子で問いかけると、それに合わせて若干冷静さを取り戻した様子のウンディーネはボルカノが差し出してきた手拭いで目元を軽く拭いつつ、しかし視線を落としたままで口を開いた。

「死の呪いは・・・生きながらにして性質がアンデッド化する呪いよ。私も呪術の研究過程で存在を知っていただけで、実物を見たのは初めてだけど・・・」

 アビスの瘴気を媒介とする古代呪法の一つである「死の呪い」とは、現代には既にその儀式の方法自体が消失している呪術の一つとされる。
 その効果は対象に不死者の属性を付与する、というものである。効果自体は非常に単純な呪いであるものの解呪に関する知識もすでに失われている為、根本的な解呪方法は現代において存在していない。

「不死者・・・そうか。それでディー姉、俺に魔王の盾を触れさせない様にしていたのか・・・」

 ボルカノがハッと気がついた様にそう言うと、ウンディーネは肯定するように僅かに頷いた。

「・・・死者の井戸は封印者によってアンデッドを無効化するように仕向けられており、その根元こそが魔王の盾の力。つまり、その根元に不死者化した存在が触れれば・・・魔王の盾の力に、その存在ごと消されるかもしれなかった」

 カタリナが珈琲を啜ってからそう言うと、ウンディーネはその言葉を肯定するでもなく押し黙って応えた。ボルカノはそんな様子のウンディーネを見ながら、居たたまれない様子で震えている。

「・・・変だとは、ずっと思っていた。戻ってきて久々に会ったと思ったら突然驚いた様子だったし、その後いきなり『魔王の盾はあんたに渡さない』なんて激昂して。それからずっと会ってもくれず、死者の井戸に近づこうとすれば妨害してきて・・・。意味が分からなかったが、俺もディー姉が魔王の盾を先に使ってはいけないと考えていたから妨害せざるを得ず・・・」

 そう言って打ち震えているボルカノに対し、ウンディーネもまだ掠れ気味の声で絞り出すように声を上げた。

「・・・久しぶりに会って、見て直ぐに呪いに気付いて、なんて馬鹿な呪いを受けてしまったのって思った。なんとかして解呪の方法を見つけなきゃって、私それしかもう考えられなくて・・・。兎に角それが分かるまでは、あんたを死者の井戸に近づけてはいけないと思って・・・」

 ボルカノの言葉に呼応するようにウンディーネが心の内を吐き出すと、二人はやがてどちらからとも無く、頭を下げていた。

「そうなると気になるのはボルカノ殿の死の呪いだが・・・抑も何者に呪いをかけられたか、心当たりはあるのですか?」

 事ここに至り二人が互いの行き違いの解消によって何処か晴れ晴れとした表情になったのを見届けてから、シャールが再度問いかける。
 それに対しボルカノは数秒考えた後、力なく首を横に振った。

「いや・・・思い当たる節はない。昔ならばまだ才能の差を妬むものも居たが、この十年は世界中を回っていたからな・・・」

 何か他に思い出せることはないかと記憶を探るように押し黙るボルカノと、それを無言で見つめる一同。
 そこに、すらりとした細腕をまっすぐ上げて意見を述べる意思を示すものがいた。
 フェアリーだった。

「なぁに、フェアリー」
「はい、あの、少し気になることがありまして・・・。ボルカノさん、ちょっといいですか?」

 カタリナに促されてそう言ったフェアリーは、その場に自分達以外いないということを確認するとフラワースカーフを脱いでふわりと浮かび上がり、ボルカノの首の後ろに回り込んだ。

「な・・・え、な、なんだ!?」

 突然羽が生えて飛んだフェアリーにボルカノは驚愕しつつも、その神秘的な現象に暴れようという気も全く起きず成されるままに様子を伺った。
 するとボルカノの後ろに回り込んだフェアリーは、彼が首から下げていたらしい飾りの紐を解き、紐ごとその先端を服の下から引っ張り出した。
 果たしてそこから出てきたのは、小さく、そして只管に黒い塊であった。
 その塊にはおよそ立体感というものがなく、触ってみて初めてその形がわかる程だ。正に、光すら反射しない程の純粋な黒である。

「多分、これが原因だと思います・・・」
「・・・それは!」

 フェアリーが取り出した『それ』を見て、ミューズが珍しくとても驚いたように声をあげる。
 その様子に皆が彼女に視線を向けると、ミューズは椅子から立ち上がってボルカノのすぐそばまで近寄り、フェアリーが浮かせているその物体をまじまじと見つめる。

「・・・ちょっと、なに意識してんのよ色ガキ」
「べ、別にしてない!」

 至近距離に近づいているミューズから顔を背けるようにしているところにウンディーネから半眼で突っ込まれ、ボルカノが必要以上に声を上げて否定する。地味にシャールも睨んでいたりする。
 そして周囲のそんな様子を微塵も気にする事なくその小さな塊をいろんな角度から観察していたミューズは、距離が近すぎたことに今更気がついて漸く一歩離れ、コホンと態とらしく咳をした。

「あの、ボルカノさん。これは一体、何処で入手したものなのですか・・・?」

 フェアリーから首飾り状にしていたその塊を受け取りつつ、ミューズの問いかけにボルカノは思い出すような仕草をしながら応える。

「これは・・・そう、魔王の盾で様々な実験を行なった記録があった洞窟型寺院跡の奥深くで見つけたものだ。探索のために明かりを灯していたら、あまりに不自然に黒い箇所に目が留まってな。手を伸ばしたら、これがあったのだ」

 そしてそのあまりの異様さと物珍しさに持ち帰って研究しようと思い手に取ったが、モウゼスに帰ってきた途端の今回の騒動によって完全に忘れていた、とボルカノが説明する。するとミューズは、その説明で合点がいったように浅く頷いた。

「成る程・・・。フェアリーさんのいうように、恐らくそれが原因で間違い無いです。それは・・・『死のかけら』と呼ばれるものです」

 聴きなれぬ単語に皆が疑問符を浮かべていると、ミューズは自分も伝聞ではあるが、との前置きの後に説明を始めた。
 魔王が姿を消してから約三百年もの間、四魔貴族が世界を支配した時代があった。人が想像しうる限りの悪虐が尽くされたとされるこの暗黒の時代は、宗教歴史的には所謂、魔王信仰の全盛期でもあったという。
 世の中には凡ゆる救いがなく、祈る神もいなくなった。そうして神に見捨てられた人類は、力あるもの・・・つまり諸悪の根源たる魔王にさえ、心の拠り所を求めてしまったのだった。
 中でも特段、魔王信仰が非常に盛んだったのが時の魔王城を擁する旧ピドナ周辺地域であり、魔都ピドナの北に位置するイスカル河の下流地域周辺には、上流から河を下って様々な人々が集まり集落を築き、それが長じて寺院となった。
 アビスの瘴気が溜まりやすい暗くて湿った場所が寺院の建築場所として好まれ、主に洞窟内部に多くの寺院が作られたという。
 そしてその魔王信仰の中心地では、アビスの呪いを集積し結晶化する儀式が、秘密裏に行われていたのだ。

「その結晶こそが、『死のかけら』です。アビスの呪いをその身に宿し、死の祈りを祭壇に捧げ、アビスの深淵に居るとされる魔王に近づく。それが救いになるのだと、死が救いであるのだと・・・そう信じられていた、悲劇の時代の産物なのだそうです」

 ミューズの言葉を聞いていたボルカノは、探索当時の様子を思い出すようにしながら頷いていた。

「そうか・・・魔王信仰の中心地ならば魔王遺物が宝具として祀られたのも頷けるし、こいつが転がっているのも道理というわけか・・・。って事は、これを手放せばその『死の呪い』とやらは解けるのか?」
「・・・はい、その筈です」

 ミューズの返答を聞いたボルカノは、研究者らしく名残惜しそうな視線を死のかけらに対して送ったものの、解呪には変えられまいとして手放すことを決意した。

「なら、それも私に預けてもらえないかしら」

 ボルカノの身に起きた異変の解決目処が立ち皆が安堵の表情に変わってきたところで、カタリナが死のかけらを指し示しながらそういった。

「多分私なら聖王遺物の力で死の呪いは相殺できると思うから、その辺に捨てるより確実に二次被害も抑えられると思うわ。それに・・・呪いを発せられなくする当ても、少しあるから」
「そうか、それは助かる。正直、処分するにしてもどうしようかとは思っていたところだ」

 処理方法に困っていたのは正直なところのようで、ボルカノは素直に感謝を述べながらカタリナに死のかけらを手渡した。

「あと一応禍根が無いように教えておくとね、この魔王の盾も、がっつり呪われているのよ。こっちは力が強すぎて、私でも呪われないのが精々。使用するだけで、とんでもない疲労感に襲われるわ・・・。明け方の戦闘だって私は動かなかったのではなくて、動けなかったっていうのが正解。それでも、昼まで疲労困憊で寝ていたくらいだもの」

 だから二人のうち何方かが手に入れたとしても望むような結果は得られなかっただろう、とカタリナは断じた。
 その話を聞いているモウゼスの術師二人は残念がってはいるものの、しかしどこか晴れやかな表情をしている。結局はお互いのためを思うが故の壮大な空回り劇であったことに対して、照れ隠しをするのに終始していた。

「・・・ディー姉の研究に役立つ媒介探しはまた振り出しに戻ったけれど、この十年の研鑽は無駄にはならないし、心機一転出直す事にするさ」
「・・・おう、それなんだがな、小僧」

 ボルカノの前向きな言葉でこの場が締められるかと思いきや、最後の最後にここで言葉を発したのは、テーブルの一番奥で一人無関心を装って煙草をふかしていたハーマンだった。
 思わぬところから小僧呼ばわりされたボルカノが多少眉間に皺を寄せながらハーマンへと視線を向けると、ハーマンはそんな態度のボルカノに対してニヤリと笑いながら自分の腰袋に手を伸ばした。

「はっ、そうツンケンすんなって。悪い話をしようってんじゃねえんだ」

 そう言いながらハーマンが取り出したのは、イルカを模した金色の像だった。

「・・・なんだ、それは」

 ボルカノがその像を見ながら怪訝な表情をすると、ハーマンは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、天井に向かって一気に吐き出してから口を開いた。

「こいつは、オリハルコンだ。他の属性は知らねーがな、これは玄武様の力をとんでもなく大きくしてくれるっつう代物さ。お宅らが欲しがってる媒介ってのは、こういう奴のことじゃねえのか?」
「それは・・・本当なのか!?」

 事も無げに発せられたハーマンの言葉に、ボルカノが驚愕の表情を見せながらイルカ像に近づく。
 手を伸ばしてもハーマンが何も言わないのを許可と取ったのかボルカノはその像をそのまま手にして、上下左右色々な角度から観察し、触り、己の魔力を通してみる。
 しかし多少の反応はあるものの思うような反応が返ってこないイルカ像に対しボルカノが訝しんでいると、その様子にハーマンはやれやれといってイルカ像をひょいとボルカノから取り上げ、ついてこいと指で示しながらゆっくりとした足取りで店の外へと移動した。
 ウンディーネとボルカノが半信半疑の様子でその後に続くと、ハーマンは宿の目の前の通りの真ん中に立ち、彼らに振り返る。そして続いてカタリナ達も出てきてギャラリーが揃ったことに満足すると、徐に咥えていた煙草を指で弾いて空中に飛ばした。

「玄武様ならとびきりだが、こいつは蒼龍様でも多少は効くんでな」

 ハーマンがそう言いながらイルカ像を通じて風の渦を作り出すと、それは瞬時にとんでもない風圧を伴う竜巻となって上空へ渦巻き、彼の飛ばした煙草を空の遥か彼方へと吹き飛ばした。

「なんと・・・!?」
「無詠唱でこの威力・・・十分に宮廷魔術師で通じるレベルじゃない・・・」
「はっはっは、俺が魔術師様になれるわきゃあねえだろうが!」

 そう言ってハーマンは、手にしていたイルカ像をウンディーネに向かって放り投げた。
 ウンディーネが慌てた様子でそれを抱きかかえるように取ると、途端に上空に渦巻いた竜巻は穏やかな風へと変貌する。そして、ゆっくり落ちてきた煙草を見事に右手の人差し指と中指で挟み取ったハーマンが再びそれに火をつける。

「ネエちゃんもやってみな。但し、そいつを無理矢理に制しようとすんじゃねえ。祈るんだよ。精霊なんて、人間にいっつも御されるようなもんじゃねえんだ。海に生きる奴ならそんな事、鼻ったれのガキだって知ってんだぜ?」

 そう言って揶揄うように笑うハーマンからは、先程感じたような魔力は全く感じられない。
 ウンディーネはそんなハーマンと手元のイルカ像を交互に見比べると、意を決したように像を胸の前に翳し、そっと目を閉じて魔力を込めていく。
 すると最初こそ感覚が掴めず揺らいでいただけの魔力が、次第にイルカ像の中で拡散を繰り返すように畝り始め、そしてある瞬間を機に爆発的に増幅していく。
 大気はあっと言う間に玄武の力で満たされ、今の今まで晴れていた空には瞬時に暗雲が立ち込める。あとはウンディーネが願えば、三日三晩の豪雨をあたり一帯に降らせることも容易いほどの魔力が一瞬でこの場に生成されたのだ。

「な、なんなのこれ・・・凄まじいまでの増幅器だわ・・・。しかも、身体への負担が殆ど感じられないなんて・・・」
「あたりめぇだ。つーか普通に考えてみろ。大体、自分より偉大なものを抑えつけようとすりゃ、そりゃ滅法疲れちまうさ。だから昔っから人は祈り、頼り、その大きな流れに身を任せてきた。そうすりゃ、疲れるもなんもねえからさ」

 あまりの展開に驚愕の表情を浮かべるしか術のない二人の術者を前に、ハーマンはなんでもないという様子で肩を竦めた。
 彼にとってそれは、本当に常識を語っているだけなのだろう。魔術師二人が驚きの中でそう考えながらハーマンを見ていると、彼はウンディーネの元に近づいていき、彼女の手にあったイルカ像を掴み取った。

「あんたら魔術師様は『自然を操れる』なんて思い上がってっから、こんな簡単なことに気がつかねえ。頼るとこは頼ってよ、人間は人間の範疇で擦った揉んだしてりゃあいいんだよ、本来はな」

 そう言いながらイルカ像を空中に放り投げつつ弄んでいたが、ふとハーマンの顔つきから笑みが消え、突如として強烈な眼光を湛えた瞳が二人の魔術師をじっと見据えた。

「此奴を譲ってやってもいい」
「な、本当か!?」

 突然のハーマンの言葉にボルカノが声を上げるが、しかし表情の変わらないハーマンに対して何かを察したウンディーネは、無言で先を促した。

「察しがいいじゃねえか。そっちのネエちゃんには、是非協力してもらいてえ事がある。それが無事に終われば、此奴は譲ってやってもいいぜ」

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを作るハーマンを、カタリナは無言で遠巻きに眺めていた。








最終更新:2019年01月22日 18:16