耳を擘く轟音と共に『空』へと流れ落ちる、見渡す限りの水。水。水。
それは文字通り上下左右を見渡す限り、どこまでも、全く同じ光景だった。視界の続く限りその果てまでずっと、大量の水飛沫を伴い滝となって落ち続ける水があるばかり。このように水が落ち続けてしまっては、三日もすれば世界の海はすっかり干上がってしまうのではないか、と心配になるほどだ。
そしてその滝の轟音の渦巻く中に、滝の轟音に比べたら実にわずかな音量にて、自然界には起こる筈のない異質な戦闘音が時折混じっていた。
自分たちの数倍は高さがあろうかという巨大な水竜の放つ鋭い爪撃を、しかし最前線に立つカタリナとハリードは、滑りやすい濡れた足場にも関わらず難なく飛び回って躱していく。
彼らの背後には依然として落ち続ける滝があり、その滝の合間から出っ張った岩場で彼らと対峙する巨大な水竜の背後には、ただ只管に青い空がある。
その背後の空には、大地も、海もない。只管に、青空があるだけなのだ。それは、生物に生理的な恐怖をすら抱かせる『無』とも呼べる光景だ。
動き回るカタリナとハリードに翻弄されて姿勢が崩れた水竜に向かい、シャールが己の魔力を込めた強烈な二段突きを放つ。するとその二段突きに込められた迸る気迫が、雄々しい二頭の龍の形に具現化し、衝撃波を伴って双龍が水竜を貫く。
「ギャオオオォォォォォ!!」
シャールの一撃によって胴を抉られ苦痛に喘ぐ水竜へと向かい、更に追い打ちをかけるようにミューズとフェアリーが、その手にしていた麻袋を勢いよく水竜に向かって投げつけた。
水竜が苦悶の声を上げつつもそれを打ち払うように尾を振るうが、麻袋は龍の尾に振れた瞬間、とんでもない威力で炸裂を起こす。それは、朱鳥術士ボルカノ特性の「火星の砂」と呼ばれる、特殊な岩石に朱鳥の力を内包させた魔道具であった。古くは四魔貴族であるアウナスの配下が用いたものであるとされるが、それを現代に蘇らせたボルカノが更に改良を加えた一品だ。
炸裂の衝撃によって無残にも尾が吹き飛んだ水竜は、再度雄叫びをあげながら苦しみ踠くが、尾を失ったことで姿勢制御が出来ずに大きくよろけた。そこに止めとばかりに放たれたカタリナの払い抜けをもろに喰らい、水竜は呆気なく岩場から水飛沫と共に、何処とも分からぬ空の果てまで落ちていった。
「ふぅ・・・ここが世界の最果てっていうのは本当なのね・・・。なんかもう、来るところまで来たって感じだわ・・・」
カタリナはそう呟きながら、水竜の落ちていった先を岩場の端から恐る恐る見つめる。
背後は滝。正面は空。下を覗き込めば、そこは空虚なる果てなき奈落。
そう、まさに世界のこの先には「何もない」のである。
カタリナ達は今この世界の最果てにあるらしい、通称「最果ての島」にいた。
ハーマンの示す通りに只管西太洋を西へと進んだバンガードは、人類が外海に進出してから現代に至るまで、ついぞ越えることのなかったとされる船乗り達の畏怖にして信仰の対象「玄武の怒り」を突破することに成功した。
「玄武の怒り」とは、陸を離れて外海の航海を続けると必ず遭遇すると言われる、巨大な嵐のことだ。
例えどれだけ大型の船であろうとも、この未曾有の嵐によって荒れ狂う海に弄ばれ、沈没を免れない。まるで突如として神の逆鱗に触れたかのように荒れ狂う海原を見た人々は、それまでの穏やかな海との違いに慄き、強烈な畏怖を抱き、祈りによってその災厄を免れようとしてきた。故に古来より西方諸国では、外海での長期間の航海は徹底して避けられてきたという歴史がある。
だがハーマンは、それを承知で西を目指した。彼には、それだけの確信があったのだ。
結果として大方の予測通りに玄武の怒りに触れたのだが、さしもの玄武もこのバンガードを沈めることは叶わずだったのか、無事に嵐を通過する事ができたのであった。
そして嵐を抜けた先に遂に見えたのが、この「最果ての島」だった。
島に最接近するには座礁の危険性が高いとのことで、バンガードを沖に待機させながら小舟を出して一時間ほどで辿り着いたその島には、なんと驚くべきことに何者かの住居が幾つもあった。
そしてその住居から出てきてカタリナ達を歓迎してくれたのは、なんとそこに住う先住民族「ロブスター族」であったのだ。
ロブスター族とは、西方世界の中でもその存在を知っている人間は殆ど居ないであろうと思われる、不可思議な種族だ。かく言うカタリナも、存在を知っていたと言うよりはフェアリーからその存在を示唆されていた、というだけであったし、何しろ当のフェアリーにしても実物を見たのは妖精族の歴史にて初。あとは、古代文献で僅かばかりの其れらしき記述を見ていた、ウンディーネとボルカノ位だ。
そしてもう一人、この中で誰よりも彼らロブスター族のことを知っている人物がいた。
それこそが、ハーマンだった。
因みに彼らはロブスターといっても、その姿は一般的な節足動物の様相を成しているわけではない。なんと彼らは、ロブスターと言える特徴を備えていながらも、驚くべきことに人間と同じく二足歩行であったのだ。また人間で言うところの両腕に当たる部分にはエビ科の特徴としある大きな鋏を持っており、しかし退化したのかそれ以外の複数の足は生えておらず、両足に当たる部分には、人間以上に逞しい『足』を持っている。
カタリナはその姿を見て、かつてフェアリーから「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言われた通りそのまんまだな、等と多少ずれた感想を抱いた。
そしてその容姿よりも更に一等驚くべきことに、なんと彼らは、人語を解した。
「見事だな、人の子らよ」
それは、はたして拍手のつもりなのだろうか。両手と思しき部分の巨大な鋏をカチカチと小刻みに鳴らしながら滝の裏から現れたのは、ロブスター族の戦士だと名乗るボストンというものだった。
「我々のモードは玄武の水。水竜には通じなかったからな」
「いえ、あんなものが居ては、さぞ御不安だったでしょう。手遅れになる前に我々が来て良かったです」
妙に紳士的な言葉遣いのボストンに対し、カタリナはすっかり人に接するのと同様の調子で受けあった。
そこに、ボストンの背後からハーマンも現れる。
「・・・君は参戦しなくて良かったのかね、ハーマン」
「・・・けっ、俺が出る幕じゃねえんだよ」
「フォフォフォ、そうであったか」
そして驚いた事に、ハーマンとボストンは顔見知りらしかった。なので、この最果ての島に辿り着いた折にも二人は、真っ先に声を掛け合っていた。
この滝の洞窟に、フォルネウスが差し向けた水竜が巣喰い島を脅かしている事を最初に聞いたのも、彼だ。
そして話を聞いたハーマンは間髪入れずに、何より先ずその水竜を仕留めることをカタリナに提案してきた。
「・・・ま、これであの時の借りはチャラだ。戻んぞ」
吐き捨てるようにそういったハーマンは、相変わらず義足とは思えぬ俊敏な動作で踵を返して滝を潜っていく。
「・・・義理堅い男だ。過去にここに流れ着いた彼奴を介抱したのだが、それに恩義を感じていたようだ」
「ふぅん・・・」
ボストンのその言葉に、カタリナは何だか意外なことを聞いたな、と考えながらハーマンの背中を視線で追う。
彼がこの島の存在を知っていたのは何故なのかとは考えていたが、タネを明かせばつまり、ここに来た事が既にあったからなのである。
ボストンによれば、十年ほど前に船の破片か何かに掴まり島の沖に流れ着いていたハーマンを、彼が最初に見つけて介抱してやったのだそうだ。
当時の彼は全身に夥しい傷跡があり、そして左足は膝から下を鋭利な歯か何かで食い千切られるようにして失っていた。誰の目にも洋上で魔物に襲われたのだろうという事が、その様子からすぐに分かった。
そして酷く衰弱していた彼を島で数週間に渡り介抱した後、玄武の祈りを込めた小舟に乗せて東へと送り出したのだった。
彼らロブスター族は玄武の力を司る種族であり、彼らの祈りは「玄武の怒り」を鎮める事ができる。そして祈りは船の周囲にのみ、その向かう先への流れを生み出し、ハーマンはガーター半島の西岸へと漂着することに成功したのだそうだ。
「戻ってきたということは、矢張り彼奴は、フォルネウスに挑むつもりなのだな」
ボストンのその言葉に、カタリナは浅く頷いて返す。
そう、彼は間違いなく、四魔貴族が一柱である魔海侯フォルネウスに挑むつもりなのだ。
その為にこそ彼はカタリナの要請に応じ、ここまで同行をしてくれたのに他ならない。
そして彼がこの「最果ての島」に戻ってきたのは、何も彼らに恩を返しにきただけと言うわけではないらしい。それ以外にも、しっかりとした理由があるようだった。
「かつてここに流れ着いた時、彼奴は満身創痍にも関わらず自分の足と仲間の仇を討つと言い、直ぐにでもフォルネウスと相見えるつもりでいた。だが、フォルネウスは余りに強大だ。あの時の彼奴では、何の抵抗も出来ずに、ただ無駄に死に行くだけだった。我々はフォルネウスの住処である『海底宮』のあるポイントを知っているが、あれでは教えるだけ無駄。だから、フォルネウスに挑むに相応しい状態でまたここに戻ってこられたらポイントを教えてやると、あの時はそういって彼奴の世界へと返したのだ。まさか、本当に戻ってくるとは思いも寄らなかったがな・・・」
あぁ、だからか。と、カタリナはここまでのボストンの話を聞きながら、この最果ての島に至るまでの船旅を思い返していた。
ウンディーネが集めた玄武術士は、三十六人を三交代制でバンガードの動力確保を行なっていた。
自らの担当時間帯でバンガードを動かした術士達は、魔力量がほぼ枯渇した状態で解放され、その後は食事など各々の時間を過ごし、最後にボルカノの調整した擬似霊酒を飲んで魔力回復を行い休息をとる。
つまり一日に三回、バンガード内では業務内容としての酒盛りが開かれていたのだ。
そしてその間カタリナ達は特にやる事もなく、食料確保を目的に釣りをしたり、剣の稽古をしたり、バンガード内部にある資料庫と思しき場所で調査をしたり、若しくは酒盛りに合流したりと、各々の自由に過ごしていた。
そんな中でもハーマンは、カタリナ達の輪にも混じらず、また一番好みそうな酒盛りにも参加せず、ただただバンガードの船首にて自らの向かう先を眺め続けていた。
彼女が特に印象深く思っているのは、航海が始まって一週間経った辺りの頃だ。それは、船首から海にラム酒を流しているハーマンの姿を見た時だった。
まるでそれは誰かへの弔いのようにも思えたが、彼独特のどこか人を寄せ付けようとしない空気に、彼女もそこで声をかける気にはなれなかったのだ。
つまりあれは、フォルネウスとの戦いの中で犠牲になった仲間への弔いだったのだろう。
「あれからあの男は、たったの十年で伝説のバンガードを引き連れてやって来て、そして今、この島の危機をも救った。あの男の覚悟に、我々も応えなければなるまい」
滝へと繋がっていた洞窟を戻って島の表層へと出てきたところで、ボストンは外で何時もの様に煙をふかしながらこちらを待っていたらしいハーマンを見据え、そう言った。
「ハーマンよ。約束通り、海底宮のポイントを教えよう。だが、ポイントを教えたところでそこに先導するものが居なければ、海底宮へと辿り着くことは叶わないだろう。故に、わたしもバンガードに乗せてくれないかな?」
「・・・あん?」
ボストンのその申し出に、ハーマンは煙を吐き出しながらそう呟いた。そして何を思ったのか、カタリナへと視線を投げかける。
「バンガードの主人は俺じゃねえ。其奴に聞け」
いやいや、別に私も主人ってわけではないし。なんなら、ちゃんとバンガードにはキャプテンがいるし。とは言えず。
カタリナは急に話を振られて、意味もなく勿体ぶって腕を組んでみた。
とは言え、無論彼女にはこの申し出を断る理由など微塵も思いつくわけはないのであった。
「オーケー、一緒に行きましょう」
そう快諾して、改めて握手をしようと手を差し伸べかけたが、ここで彼の鋏と握手したら自分の右手は恐らく無くなってしまうな、という事に思い至ったカタリナは、ボストンの肩の部分と思しき頑強な甲殻を軽く叩きながらそう告げた。
ボストンの情報提供によって西太洋の、とある地点の海の奥深くに海底宮があるということが分かった。
そしてそこに進軍するに向けて文字通りバンガード中を奔走することになったのは、実質的にバンガードの航海士的な立場にあるボルカノであった。
最果ての島へと送り込んだ水龍が屠られたことがフォルネウスに伝わるのは、無論時間の問題であろうと考えられる。バンガード襲撃失敗、最果ての島の侵略失敗から時間が経てば経つほどに警戒度は上昇し、海底宮への侵攻は難易度を増していくだろうことが予測された。
故に一行は海底宮のあるポイントがわかった以上は一刻も早く向かうべきという方針で一同意見は一致したのだが、ここで問題が一つ浮かび上がった。
つまりは、「どうやって海の底にいくのか」ということである。
「聖王記のフォルネウス討伐の章には、『海底宮に攻め込んでフォルネウスを討った』っていう記述しかないのよね・・・相手を海上におびき出すのではなく、こちらが海底に攻め入る。魚にでもなれ、というのかしら・・・?」
集合会議の場でカタリナがそう疑問を呈すると、その場に集まった一同はそれに対する回答を持ち合わせずに、一様に首を捻った。ボストンにその辺りの知恵がないかも当然聞いたのだが、彼らロブスター族の間でもそれに関する伝聞は特にないのだという。彼らは妖精族とは違い、特段長命種というわけではないようだ。なので聖王の時代に生きたものも、もう数世代前に遡るらしい。つまり彼らが知るのは、海底宮の場所のみ、なのだ。
「海底宮に着いてからは、まだ何とも言えないが・・・恐らく、海底宮まで向かうには天術の障壁と同様に、玄武の術を応用した何らかの仕掛けでこのバンガードを覆う、と考えられる」
ボルカノがそう言うと、それに続けるようにウンディーネが口を開いた。
「私も同意見よ。このバンガードは、水を通さないほど各接続部に遮断性はない。つまり、そのまま水に浸かりながら海に潜れるような構造にはなっていないから、何らかの術式を用いてバンガード全体を水から守りつつ潜る、と考える方が自然なのよ。若しくは人だけを覆う限定的な術式の可能性も考えたけれど、それが可能なら抑もこんな馬鹿でかいバンガードなんてものを作る必要性がないわ。だから、このバンガードごと海底宮に突っ込む、と考える方が自然なわけね。まぁ、だからこそ海水に満たされているであろう海底宮に着いてからの探索方法が、いまいち想像つかないわけなのだけれど・・・」
彼女の言葉にボルカノが全くの同意を示すように何度も深く頷きながら、やがて皆が黙ったところを見計らって素早く立ち上がった。
「俺はもう一度、艦橋でその起動術式がどこにあるのかを探してくる。一応、既に粗方の調査は終えているが、そのような仕掛けは現段階では見当たらなかった。となると隠されているか・・・若しくは、壊れている可能性がある」
「・・・それって、壊れていたらどうすんだ?」
ハリードがそう言いながら首を傾げると、ボルカノは腰に手を当てながらハリードへ振り返り、啖呵を切った。
「直すしかあるまい。自慢じゃあないが、恐らくこの世界でそれができるとすれば俺か、あとは魔導器研究の分野で名高い、ツヴァイクのプロフェッサーくらいのものだろう」
「・・・大した自信だな。何か手伝えることがあれば言ってくれ。それまで俺は酒でも飲んでいることにする」
「言っておくが、霊酒は飲むなよ」
なんでもボルカノがハリードに対してどこかツンケンした雰囲気なのは、出会い頭にハリードからモウゼスの一件の際に「護衛費」の名目で大金を巻き上げられたから、らしい。結局は双方の和解に一役買った、ということで納得の上その金額はそのまま彼らの懐に入ったわけだが、その時のハリードの態度があんまりにも悪役めいていたので、まだまだ年若いボルカノとしてはどこか腑に落ちない部分があるようだ。対するハリードも、どこかそれを分かった上で若人を揶揄っている節があり、カタリナからしてみればどちらもどちらだなぁと思うところではあった。そういうカタリナ自身も年齢的にはボルカノに近いはずだが、どうにも最近の彼女の考え方が老成しているのは、これも指輪の影響なのか何なのか。
話が逸れたが、カタリナと同じくそれを雰囲気で理解しながらも、さっさと立ち去っていくボルカノを追うウンディーネの優しそうな視線から推し量る限りでは、彼のそう言った若気に満ちた行動も満更悪い影響ばかりではなさそうかな、という気もするが。
「私たちも、できる限り手伝いましょう。術が扱える人は付いてきて。今は推進力に術力を割いていない状態だから天術障壁のみの稼働状態だけれど、霊酒の残数がこの作戦の実行可能期間だと思った方がいいもの」
ウンディーネのその言葉により、その場に集まっていた各々が動き出した。術に関して殆ど知識がないカタリナとハリード、フェアリーは決戦に備えた自主訓練に励むこととし、その間にボルカノを中心としてバンガード解析班が動き出した。
とはいえ、その作業は非常に地道なものであった。
何しろ、この時点で艦橋から起動が確認できた仕掛けはボルカノが全て把握しており、そしてそのどれもが玄武の術式を展開するものではなかった。
また『幾つかの仕掛けの組み合わせにより起動するものなのかどうか』を想定し、考えうる限りの組み合わせや順番で各機能の起動実験を行ってみたが、これも矢張り望む成果は得られなかった。
そこで残された可能性はボルカノの予測通り、隠されたか壊れた機能であるという結論に早々に辿り着き、この巨大なバンガードの内部構造を隅々まで虱潰しに調査していくという方針がとられた。
この捜索には通常起動に関わる玄武術士を割くわけにはいかないので、ボルカノとウンディーネの他にカタリナ一行の中でも術の心得があるシャール、ミューズ、ハーマン、ボストンが協力して捜査に当たった。
即ちその捜査方法とは、バンガードの通路を只管歩きながら魔力の流れを肌身で確認し、その流れが不自然に途切れていたり留まっている場所がないかを見極める、と言う作業だ。
船長室から下ったバンガード内部は単純に艦橋のみがあるわけではなく、実に細かく多くの細い道が内部に存在している。そしてそれらの壁には艦橋と同様に、各部に魔力を伝える回路と思しき道筋が描かれている。なので、それらを辿ることで何れかのポイントを探り当てることができる、とボルカノは踏んだわけなのだ。
ボルカノはこれを行うにあたり、巨大なバンガード内部をただ闇雲に探しても効率が悪いと考え、捜索範囲を一区画に定めて集中的にそこを全員で調べていく手法を取って捜査に当たった。
しかしそこから瞬く間に一週間が過ぎ、一向に成果が得られず霊酒のストックが間も無く帰りに支障を来す危険域に達しようかという状況まで、あっという間に一行は追い込まれることとなった。
「・・・歩いて行ける区画は全て探索したというのに、本丸どころか小さな違和感の一つも見つからないとは・・・。まさか、バンガードで海底宮に向かうわけではないというのか・・・?」
ここにきてまさかの基本仮説を根底から見直す必要性にまで迫られているが、しかし彼らに残された時間は殆どない。それこそ霊酒の備蓄状況から考えるに、今日中にでも答えが導き出されなければならないという状況なのであった。
朝の定例会議で疲労感に包まれたボルカノその他が沈痛な面持ちで項垂れているのを見ながら、かといって特に出来ることがないカタリナは、当然そこに居た堪れなくなり、ひっそりとその場を後にして居住区へと向かった。
「・・・皆さん、かなり憔悴しておられるようです。私たちにもなにか出来ればいいんですが・・・」
「そうは言っても、術がからっきしの俺らにゃ捜査も何もできねーわけだし、下手に協力を申し出ても却って邪魔になるだけだろう。こう言う時は、信じて待つしかないのさ」
カタリナと同じく場を後にしてきたフェアリーとハリードがそう語り合うのを他所に、カタリナも直ぐにはいつも通りの修練へと移る気が起きずに、気分転換に歩いた先に辿り着いた町の中央の噴水の淵に腰を下ろして空を見上げた。
「ううん、水に潜る、か。水、水、水・・・」
そう呟きながら、カタリナはぐるりと自分の周囲を何気なく見渡す。その行動で何か解決策が見つかるとは流石に彼女も思わないが、それでも何かしらの気づきがないものかと、淡い期待を抱いての行動だ。
それに倣うようにフェアリーとハリードも、特に当ても無く周囲を見渡した。
そしてハリードがぽつりと、背後にある自分の腰掛けていた噴水を見ながら呟く。
「そう言えばこの噴水、水が枯れてるな」
彼らがいたのは、街の中央に配置されている噴水広場である。
治水のされた比較的大きな都市には大抵都市の中央付近にこういった噴水があり、現地住民の憩いの場として機能しているものだ。
だがハリードが指摘する通り、このバンガードの噴水は故障故なのか、それとも陸から離れたからなのか、噴水に水が全く無いのであった。
「・・・それは、元々じゃよ」
「あ、キャプテンさんこんにちはです」
声のした方向にいち早くフェアリーが振り返ると、其処にはこのバンガードの市長兼キャプテンが立っていた。
彼は日中、こうして海上要塞となったバンガードを自分の足で見て回るのが最近の日課なのだ。
「この噴水は、わしが生まれる前から、街中で現在活きている水路の何処とも繋がっておらんでの。だから、そもそも水は出ないんじゃ」
「へぇ・・・じゃあ、一体なんのためにあるんだ?」
ハリードが実に尤もな疑問を呈すると、キャプテンはお茶目に肩を竦めてみせた。
「さぁ、分からん。一応その天辺のところが外れて下のほうに続く穴は有るんじゃが、暗くてよく分からなくての」
キャプテンは噴水の先端に視線を向けながら、笑い混じりにそう言った。
それを聞いたカタリナは、じっと噴水の先端を見つめる。
そこまで背の高く無い噴水の先端は、精々がカタリナの腰の高さ程度のものだ。だがカタリナは、そうしてじっくり噴水を見つめているうちに、ふとその光景に強烈な違和感を覚えた。
「・・・うーん。何か、足りない気がするわ」
「あん?」
カタリナの唐突なその呟きに、ハリードが反応する。だがそんな反応を他所に、カタリナは枯れた噴水の中に足を踏み入れ、徐に噴水の天辺を掴み、持ち上げた。
すると、特段固定されていなかった様子の天辺部分は思いの外すんなりと外れた。そしてそこには、キャプテンの言う通り確かに人の頭ひとつ入る程度の穴がぽっかりと空いていたのだ。
カタリナが上からその穴を覗き込むと、穴の奥深くからはなんと、薄らと淡く青い光が漏れ出しているではないか。
「・・・何か、下の方で光っているわ」
「お、なんかお宝か?」
皆が必死にバンガードの動かし方を探しているときに随分と不謹慎だなこの守銭奴は、とカタリナが思うのを他所にハリードがカタリナの横から穴を覗き込むと、確かに奥底から淡く青い光が漏れ出している。だが、その光についてハリードには即座に予測がついてしまった。
「・・・あれ、艦橋じゃねーか?」
「あぁ・・・位置的には、確かにそうかも」
「そうすると、これは通気口かなにか・・・でしょうか?」
ハリードの予測に、カタリナとフェアリーが其々感想を述べる。
「で、何が足りないってんだ?」
一頻り穴を眺めた後に、ハリードはカタリナの発言を振り返って尋ねる。すると、問われたカタリナは腕を組みつつ片手を顎に当てながら、数秒悩んだ。
「・・・何かが引っかかるんだけど、はっきりしないわ。ちょっと、艦橋に行ってみましょう」
「それも、指輪の『記憶』なのかねえ。案外それが問題解決の糸口なのかもな」
ハリードの言葉は、満更でもない線を突いているのではないか、とカタリナも感じていた。
抑も彼女はこれまでの人生で当然バンガードに足を踏み入れたこともないので、ここの光景に違和感を覚えることなど、あるはずも無いのだ。
似たような景色との類似性から来る既視感かとも考えてみるものの、ロアーヌからあまり出たことのなかった彼女にしてみれば、他の街の景色に関する記憶はここ一年以内のものばかりなので、まだ忘れるにも早すぎる。
だからこそこの感覚は、王家の指輪が持っている感覚なのではないかと考えるのも、そう破天荒な話ではないはずだ。
そんなことを考えている間に、カタリナ達三人は早々に艦橋へと辿り着いた。
其処には稼働を最小限に抑えるべく少数の玄武術士と、顔を突き合わせて相談をしている様子のウンディーネとボルカノが佇んでいた。
彼女らの表情は矢張り疲労感も合わせ、明るくはない。
「・・・どうしたのだ」
初めにカタリナ達に気がついたボルカノの呼びかけにカタリナが片手を上げて応えようとしたその矢先、ハリードがそれを遮るように艦橋の天井の一部を指差して声を上げた。
「お、あったぞ。あれだろう」
ハリードの言葉にその場の全員が視線を彼の指の先に向けると、艦橋の天井には確かに、穴が開いていた。
「・・・通気口が、どうかしたのか」
確かにそれは、誰がどう見ても通気口のようだ。
だが、ボルカノがつまらなそうに穴を一瞥しながら吐き捨てるようにそう言う合間に、カタリナはその穴の真下に移動した。
穴は、丁度イルカ像の直上に位置していた。
「あ、これよ、これ」
カタリナは漸く胸の痞えが取れたような面持ちで、イルカ像と真上の穴を交互に見つめた。
そして背後へと振り返り、ウンディーネとボルカノへ視線を向ける。
「これ、念じたら上に動いたりしないかしら」
イルカ像の乗った台座を指差しながらの唐突なカタリナの申し出に二人は当然困惑の表情を見せたが、しかし彼女の目が真剣そのものであることを察して、試しに水晶にそのように意識を向けるよう近くの玄武術士に指示を出してみた。
ギギギ・・・
すると驚くべきことに、程なくして台座がゆっくり上に上にと伸び始めたではないか。
驚くウンディーネらを前に、そのまま台座はぴったりのサイズであった穴へと嵌り、しかしまだ上へと伸びていく。
「噴水に戻りましょう」
カタリナがそう言うのを機に、ウンディーネらも共に市街区の噴水へと移動していった。
そして彼女らが早足で噴水広場に舞い戻ったときには、艦橋から押し上げられたイルカ像がぴたりと噴水の天辺に収まっていた。
「・・・おい、何か可笑しいぞ」
そのイルカ像を注意深く見ていたボルカノがそう指摘した正にその瞬間、なんとイルカ像が微細に振動しながら輝きを増し始め、その姿を変形させていく。
「翼が・・・」
「・・・生えましたね」
カタリナの呟きに、フェアリーがそう答えながら自分の羽をぴくりと震わせる。
なんと噴水の上に鎮座したイルカ像は、その背の部分から鳥の翼のようなものが生えた形に変形したのだ。
そして更に、イルカ像の台座から見る見るうちに水が溢れ出し、枯れていた噴水に見る見るうちに水が満たされた。
その様子を歩み寄って覗き込んだウンディーネは、はっとして背後のボルカノを呼んだ。
「ボルカノ、これを見て」
「・・・これは!」
ウンディーネに続いてボルカノが噴水を覗き込むと、水で満たされた噴水にははっきりと、新たな魔力の流れを示す紋様が浮かび上がっていたのだ。
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出し、艦橋へと戻っていった。
そんな彼女達の様子を眺めながら、カタリナは腰に手を当てて一息つく。
「どうやら、これで何とかなりそうね」
「そうなんですか?」
今一流れの掴めていないフェアリーがそう尋ねると、カタリナは確信めいた様子で小さく頷いた。
「まぁ、少し待ってみましょう」
カタリナがそう言ってから暫しののち、恐らくはウンディーネとボルカノの指示によって輝き出した翼の生えたイルカ像から放たれた青い光がバンガード全体を覆い、やがてバンガードが海中へと沈み出したのであった。
最終更新:2020年01月15日 21:01