今日の西太洋は、実に平和そのものであった。
 空は青く晴れ渡り、海上を吹き抜ける風も穏やかそのもの。四方見渡す限りが海ばかりという景色には少々飽き飽きしてきた頃合いではあるが、まだ暫くはこのままの予定だ。
 その日、愛用の曲刀の代わりに釣竿を装備したハリードは、整備点検と休憩を兼ねて停止中のバンガードの縁から、釣り糸を海原に垂らしてぼけっとしていた。
 四魔貴族の一柱である魔海侯フォルネウスを激闘の末に打ち破ったカタリナら一行を乗せたバンガードが陸に辿り着くまで、あと一週間程度はかかるらしい。

「釣れているか?」

 特に何を考えるでもなく海を見つめていたハリードに、ふと声がかかる。
 それに気がついてハリードが声のした方を見やると、そこには彼と同じく釣竿を装着した状態のシャールがいた。
 ハリードは彼の言葉に対し、自分の脇に置かれた木製の桶を視線で指し示す。そこには、澄んだ水だけが揺蕩っているのみだった。

「ボウズか。猛将トルネードも、釣りは不得手なのだな」
「砂漠の民に釣りスキルまで求めるなんて、そりゃいくらなんでも無茶振りってもんだ」

 ハリードがそういうと、シャールはそれもそうだなと微かに笑いながら近くに腰を下ろし、彼とは違う方角へ向けて、徐に釣り針を放った。

「まぁ、そういう俺も血筋はナジュも混じっているから、釣りは得意とは言い難いがな」
「・・・だろうな。しかし食料が心許ないって話らしいから、このままボウズってわけにもいくまい。なんとか釣り上げんとな」

 流石に釣果無しでは帰れまいと、二人はしばらくそこから無言で釣りに集中することにした。
 ところで話は変わるが、ハリードはこのシャールという男に対し、どこか自分と近しいものを感じているのだった。
 名前や風体から生まれの地域が近いのだろうということは無論予測できたのだが、単にそういうことではない。どちらかと言えば姿形というよりは、その行動や生き様、とでもいうのだろうか。そういった部分に、どこか共感を覚える部分が多いように感じるのだ。
 だが、ハリード自身はこの十年は半ば世捨て人みたいな生活を送ってきた身分であるので、そんな自分に共感を覚えられるのも迷惑なものだろうなと考えて、結果一人で皮肉めいた笑みを浮かべる。

「なんだ、何か面白いことでもあったか?」

 どうやら、表情をみられていたらしい。シャールにそう問いかけられ、ハリードは肩を竦めた。

「いや、別になんでもない。気にしないでくれ」
「そうか」

 短く言葉を交わすと、また暫く二人の間には沈黙が舞い降りる。
 元がそこまで口数の多くない男であるシャールは、こうして一緒にいても静かで、面倒ではないのがいい。ハリードは昔っから、男女問わず姦しいのは苦手であった。
 だがその割にロアーヌの一件に端を発するこの一年の生活の変貌の中では、とびきり煩いエレンとの二人旅から始まり、随分と賑やかだったな、等と思い返す。そしてそんな賑やかさにも慣れてきている自分を思うと、なんだかんだ騒がしいのにも抗体が出来てきたのかもしれない。
 そんなことを考えながら、一向に反応を示してくれない釣竿を弄んでいると、またしても背後からハリードに近づくものの気配があった。

「お二人とも、釣れてますか?」

 そこに現れたのは、昼食が入っていると思しき籠を持ったミューズだった。
 籠を持つ彼女の両腕には合成術の反動の影響でまだ包帯が巻かれているが、もう傷は殆ど塞がっているらしい。
 シャールの主人である彼女もまたフォルネウス討伐を成した一人であるが、改めてこうして見る限りではとてもそうは思えないほど、清廉でお淑やかなだけの令嬢である。

「お昼、持ってきました。キリのいいところで休憩にしませんか?」
「ありがとうございます、ミューズ様」
「・・・キリもなにも、今も休憩しているようなもんだ」

 それでは、とミューズが持ってきた籠から大きめのサンドイッチを取り出して二人に差し出すと、二人はそれぞれサンドイッチを受け取って一気に頬張る。
 炙られた薄切りのベーコンを挟んだサンドイッチに舌鼓を打ちながら、三人は口数少ないながらに昼食のひとときを楽しんでいた。




「・・・ハリードさんとシャールさんって、案外、仲いいですよね」
「あー、そういえば確かにそうね。年も近いらしいし気が合うんじゃない?」

 たまたまそんな様子を見回りで目撃しながら、フェアリーとカタリナはそんな会話を繰り広げる。

「男同士の友情モノって、胸が熱くなりますよね。どこか別の世界では彼らが親友同士だったとか・・・そんな設定だったりしたら、なおいいですね」
「そんな後だし設定あっても、こっちが困っちゃうだけなのよね・・・」

 何が困るのかはさておき、昼食を続ける彼らを遠目に見ながら、二人はそんなことをいいつつ見回りを続けるために歩き去っていったのだった。










「なぁボストンよ。お前、陸に着いたらどうすんだ?」

 海面に接する部分に設けられた船着場付近でバンガードの向かう先を見つめていたブラックは、丁度海の中から顔を出したロブスター族の戦士、ボストンに向かってそう問いかけてみた。
現在のバンガードは、直前のフォルネウス討伐の際に備蓄の術酒が完全に切れたことにより、玄武術士の力だけで動かすことが困難になっていた。そこで、ロブスター族であるボストンの持つ玄武の加護によって、動力の補助を受けている状態なのだ。
 それにより、術士の魔力回復とボストンの術力回復のために、こうして一日のうち数時間を停船しながら陸に戻っている最中であったのだ。

「まぁ、こうして島の外に出ることになったのも何かの縁だ。陸に行ってからはこのバンガードを拠点に、見聞を広めようと思っている」
「はぁん・・・しかしお前、その風体だと魔物と間違われるんじゃねぇか?」

 ブラックがそう指摘すると、ボストンはブラックの足のすぐ近くに置いてあった木の桶に、ハサミで捕らえた魚を入れながら唸った。
 このバンガードではボストンは既に住人からは歴とした「ロブスター族」として認識されており、少ないながら町民との会話や交流もできている。だがそれはカタリナらと行動を共にしていたからであって、これと同じ状況がバンガード以外でも通用するとは、彼自身も思ってはいなかった。

「そうだな・・・まぁ、ここ以外で人里に寄りつこうとは思わんよ。それに水竜には遅れを取ったが、こう見えて並大抵の海棲の妖魔風情ならば遅れを取らない程度には腕に自信もある。自衛はできるさ」

 海から上がって軽く伸びをしたボストンは、触覚部分を髭のようにハサミで弄びながらそういった。

「なるほどな。ならよ、お前、海賊やらねぇか?」

 そんなボストンを見ながら、ブラックは唐突にそういった。ボストンが首を傾げる仕草をすると、ブラックは腕を組んでボストンに向き直り、不敵に笑って見せた。

「こうして力を取り戻せた恩もあるからここの連中には暫く手を貸そうと思っているが、それが終われば俺は海賊稼業に戻る。そん時には、航海士が欲しくてな」
「海賊というのも航海士というのもどういうモノなのかよくわからないから、なんとも言えないな」

 ボストンがそう言いながらハサミをカチカチと鳴らすと、ブラックは豪快に笑い飛ばしながら腰に手を回した。

「なぁに、面白おかしく海で生きていくのが海賊さ。お前みたいに玄武の加護を持った奴がいれば、海に生きるものにとっては何よりもありがたいしな」
「成る程、海に生きるものを海賊というのか。だが、それならば私は既に海賊ではないのか?」
「はっ、そりゃロブスターとしての生き方だろうが。人間の、それもこのブラック様流の海賊生活は、スリル満点でめちゃくちゃ面白いぜ?」

 ブラックのその自信たっぷりの言いように、ボストンは暫し考える仕草をする。
 ボストンが知っているこのブラックという男は、海底宮でのフォルネウス討伐を終えてこのバンガードに戻ってきた時からの、極々短い間だけの付き合いだ。討伐に向かった際の、彼が知っていたハーマンという男は、ブラック曰く、死んだらしい。その代わりに、このブラックという男が現れたのだ。
 つまりは左足と共に生命力を取り戻したハーマンの本当の姿がこのブラックなのだが、ただやはり、この男に関してボストンは殆ど何も知らないと言っていい。
 ハーマンというのは、失った己の左足や仲間の仇を取ることしか考えていない、復讐心に駆られた男だった。それが、ボストンの知るハーマンの全てだった。
 だがこのブラックという男は、そうではない。もう彼には復讐する相手もいないし、取り戻すべき左足などもない。だから、そういう意味ではハーマンとは全くの別人なのだ。
 このブラックという男がハーマンの願いを成就した存在であるならば、ではこの男は、一体何をしようというのだろうか。

「ブラックは、その海賊というものになって何をするつもりなのだ?」

 知らないのならば、聞くのが手っ取り早い。だからボストンは、そのまま聞いてみた。
 するとブラックは待ってましたとばかりにニヤリと笑うと、いつものように懐から取り出した煙草に火をつけ、美味そうに吸い込んだ煙を長く細く吐き出しながら海へと視線を移す。

「そりゃあお前、やることは一つよ」




「・・・やっぱり、海賊王になるんですかね?」
「え、うーん・・・でも麦わら帽子が似合う感じじゃないし・・・」

 見回り途中に今度はブラックとボストンを見かけたフェアリーとカタリナは、彼らの会話の一部始終を小耳に挟みながらそんな会話を繰り広げていた。

「しかし不思議です。どうして人間の海賊というのは、相棒に人間以外を選びたがるんでしょうね」
「あー、それゲッコ族的な話? まぁ別に好んで選んでいるわけじゃないと思うけれど・・・確かにボストンもやたら紳士な感じだし、キャラ的にもバッチリよね」

 残念ながらブラックがその後に何をいったのかは波の音でかき消されてしまったので聞こえなかったが、故に二人は無責任に色々と憶測を交えながら話しつつ、巡回を続けていくのであった。








「・・・入るぞ」

 ノックの後にガチャリと扉を開けてボルカノが部屋に入ると、その中にいたのは、ベッドの上で上半身だけ起き上がり、包帯でぐるぐる巻きにされた両腕で不便そうに本を捲っているウンディーネだった。
 彼女の両腕の怪我は今回のフォルネウス討伐における被害の中で最も酷く、また魔術士としての活動にも大きく制限がかかるほどに、魔力の一時的な減少も見て取れていた。なので他の面子がある程度回復している今も、彼女だけは両腕をほとんど自由に動かせずにいる日々が続いている。

「ディー姉、また本を読んでいるのか・・・。あまり無理はしないでくれよ」
「・・・仕方ないじゃない。ベッドの上ばかりでは、やることもないんだもの」

 彼女の両腕は肘から先が骨までズタズタになっている状態だったらしく、ミューズらの懸命の治療の結果、なんとか後遺症の心配がなさそうな程度までは治すことができた。だがそれでも、医者の見立てでは回復まであと二ヶ月近くは費やすだろうとのことで、その間は思うように両腕を使えない状態が続くのだそうだ。

「それは、自業自得だ。ぶっつけ本番で解明しきっていない古代の合成術を試すなんて、無謀にも程がある。大体ディー姉は・・・」
「その説教なら、何度も聞いたわ。いい加減にして頂戴よ」

 数日に一回は、ボルカノからこの説教を耳にする。それがとても鬱陶しく感じられて、ウンディーネは心底嫌そうな顔をしながら彼の言葉を遮った。
 無論自分が軽率な行動をしたことは十分解っているのだが、それでも彼にここまで執拗に言われる筋合いはないと思うのだ。というかあれがなければ今ここに生きて帰ることもなかったと思えば、それが最善の選択であったとも言える。だからこそ、ここまで彼に言われるのもおかしな話ではないかとウンディーネは不満に思っていた。

「とういか、なんで毎度毎度貴方が食事を運んでくるのよ。貴方あれでしょ、魔導技師・・・だっけ、あれなんでしょう。ならこんなところに来てないで、ちゃんと艦橋で仕事していなさいよ」

 繰り返すが両腕が使えないウンディーネは、食事をするのも一苦労なのだ。なので毎度の食事は運んできてくれた人に食べさせてもらうことになるわけだが、なぜか毎日の昼食に関しては、必ずボルカノが運んでくるのである。彼自身はこのバンガードを動かす要の役割を果たしているので、その身は忙しいはずだ。なのに一々こうしてここに来ることが非常に不可解なのである。

「今は停船中だ。やることはない」
「だったら・・・休んでいなさいよ。動いている間、忙しいんでしょう?」

 ウンディーネがそういうと、ボルカノはそれにはすぐには答えず、手元の野菜スープをスプーンで掬った。

「ちゃんと休んでいる。俺よりも、実際に魔力供給を行ってくれている術士たちの方が大変さ。この時間は彼らを休ませてやりたい。はい、あーん」
「・・・・・・・」

 なにやら不機嫌そうな顔でボルカノを睨み付けるウンディーネに、ボルカノは困ったように笑みを浮かべる。

「給仕をしてくれる女性もいるんだが、他の皆の昼食を作るのに忙しい。俺では嫌かもしれないが、勘弁してくれディー姉」
「べ・・・別に、嫌だとは言っていないわよ」

 差し出されたスプーンに口をつけると、ボルカノは慣れた手つきでウンディーネにスープを飲ませ、パンを千切っては食べさせていく。

「そうか、てっきり嫌がられているのかと思っていたけれど」
「・・・違うわよ。ただ、なんか悔しいだけ」

 そういってそっぽを向くウンディーネに、ボルカノはうっすらと微笑んだ。

「そう言えば昔、俺が風邪ひいた時にこうしてディー姉に食べさせてもらったことがあったな。あの時と、逆だな」
「・・・そんな昔のこと、もう覚えていないわ」

 嘘だ。しっかりと覚えている。
 まだ自分も十代だった頃だ。生意気盛りだったボルカノが風邪をひいて寝込んだというので揶揄いがてらに見舞いに行ったのだが、思ったより熱があって苦しそうだったので、内心とても心配したのを今もはっきりと覚えている。
 結局心配でその場をすぐに離れることができず、術で氷枕を作ってやって額にも冷たい水を滞留させ、熱が落ち着くまでそばにいたのだ。その途中で、彼の親が作った食事を引き受け、彼に食べさせてやった。

「・・・あの時は可愛いものだったのにね」
「・・・何か言ったか?」

 ふと口に出たことに対し、ボルカノがパンを差し出しながら首を傾げる。

「・・・なんでもないわよ」

 それをパクリと咥えながら、ウンディーネは話をはぐらかす。ボルカノも何度か聞き直してみたが結局教えてくれず、そのまま食事は終了となった。

「じゃあ、俺は戻るよ」
「・・・」

 すっかり平らげられたお皿を重ねると、ボルカノはベッド脇の椅子から立ち上がった。そしてベッド脇に置いてあったウンディーネの読みかけの本を、また彼女の足の上あたりに戻してやる。

「本を読むなとも言わないが・・・あまり無理はしないでくれよ、ディー姉」

 そう言って部屋を去ろうとするボルカノに、ウンディーネは視線を投げかける。

「・・・ありがと」

 そして短くそれだけいうと、聞き取れなかったのかボルカノが振り返って首を傾げる。

「何かいったか?」
「・・・なんでもないわよ!早く貴方も休憩しなさい!」

 相変わらずの調子のウンディーネに苦笑しながら、ボルカノは了解と返して部屋を後にしていったのだった。





「・・・あれでは、ツンディーネさんですね」
「あ、上手いじゃないフェアリー」

 彼らの様子を丁度見かけていた見回り中のフェアリーとカタリナは、去っていくボルカノの背中を見送りながらそんなことを話していた。

「というかウンディーネさん、もう液体くらいなら操れるから水とかスープとかは自分で摂れちゃうんですよね」
「へー、術って便利なのね。でも、なら何故大人しく食べさせられているのかしら・・・って、その手の疑問は野暮ってものよね」

 そうですね、と言って微笑むフェアリーにカタリナも笑みを返しながら、二人は見回りを続けるためにその場を後にした。

 間も無く、バンガードは再始動して大陸へと再度進行を開始する予定だ。






最終更新:2020年05月06日 10:37