トリオール海から運ばれてくる微かな潮風に木々が揺らめく、長閑な午後。
大都市リブロフを中心に栄えるトゥイク半島の、人通りの多いメイン街道から少し離れた、小さな宿場町。その街の、とある宿に設けられた厨房に、旅の者と思しき若い男女の姿があった。
「サラちゃんのぉ・・・三分クッキングー」
「わー」
お洒落なカウンターキッチン式の厨房の中に布陣するは、長い髪をを後ろにまとめて三角巾を結いだ、サラと名乗る少女の姿があった。
そして大仰に料理開始の宣誓を行った彼女に対して如何せん感情の乗らない様子で歓声を上げながらぱちぱちと拍手を行ったのは、異国情緒あふれる服装に身を包んだ少年だ。
「ちょっとテレーズ、反応が適当じゃない?」
「え、いや、サラに言われた通りにやったつもりだったんだけど・・・」
旅の道中、やれ無表情だの声に抑揚がないだのと日々散々に言われ続けている少年-テレーズは、今回こそは事前に示し合わせた通りに好演を果たしたと思っていた。が、その矢先のこの痛烈なバッシングに、流石の彼もこれは心外だと言わんばかりに抗議の声を上げた。
だが、その抗議の声色も彼の生来の気性を表したものなのかイマイチ迫力に欠けるもので、残念ながらその思いが目の前の少女-サラに響くことはない様子である。
「違うでしょ。そこはもっとこう、わぁぁぁぁ!みたいな感じがリアクションとしては相応しいと思うの」
「僕は・・・やっぱりサラには相応しくない・・・」
「あ、その辺の反応は面倒だからもう次に行くわ!」
「・・・それこそ僕の扱いが適当すぎない・・・?」
文句を言うだけ言って次の工程に進んでしまうサラに対しテレーズは今度も渾身の抗議を行うが、当然それでサラが聞き入れてくれるわけもなく。
まぁそんなことは、この数週間という短い期間ではあるものの彼女と一緒に旅をしてきた中で、既に分かっていることだ。その旅の道中の会話の中で、一度たりとも彼が会話の主導権を握ったことがない。
特段彼はそれに関して不満を抱くような性格ではないが、流石に今の扱いはちょっと酷いのではないかなぁ、と頭の片隅で考えては、そんな考えと真逆になぜか表情は薄く、はにかんでいる。となると実はそれほどこんな扱いも嫌じゃないのかな、と自己考察するが、その先にあるのはサラ流に言えば「ドM」というあまり喜ばしくない属性であるらしいので、彼はここで一旦、これに関する考察をやめた。
さて気を取り直し、今回彼女の目の前に並べられた食材はなんなのかとテレーズは厨房を覗き込む。
まず目に着いたのは、籠に入れられた卵、マッシュルーム、玉ねぎ、ニンニク、香草類だ。そしてその隣には、そのままかぶりついても美味しそうな、厚切りのベーコン。
脇には赤ワインと思われるものが入った壺と、汲んできた水。
「今日は何を作るの?」
「へへーん、それは、出来てからのお楽しみです」
テレーズの問いにサラはお決まりのフレーズで答えながら、足下の炉に薪を焼べる。そしてちりちりと灯った小さい火がしっかりと広がるのを一時眺めて確認し、やがて立ち上がってそのほかの食材の準備に取り掛かる。
「前から思っていたんだけれど・・・魔術で火をつけた方が早くない?」
テレーズは、ここ最近で常々疑問に思っていたことを試しに聞いてみることにした。
サラは、魔術を扱える。それも『全ての属性』を扱うことが可能なので、朱鳥術で火を付けることができるし、なんなら以外にも様々なことが魔術で行えるのだ。
テレーズは彼自身も抱える力の特異性から、それが二人の中では別に不思議なことだとは感じていない。しかし普通の人からしたらそれは有り得ない、あってはならないことであり、どうやら「普通はそういうもの」なのだ、と言うことも一応認識はしている。
だからそれを他言しようなどとは勿論露ほどにも思わないが、しかしこういう時は便利ならば使えばいいのでは、とも、単純に思うのだ。
「だめだめ。こう言うのはね、普通につけた方が美味しいの」
「・・・そういうもの?」
「そーいうもの!」
彼女のそんな言い分はテレーズには腹の底から理解ができる代物ではなかったが、とはいえ自分には彼女のように料理を作る腕がないので、そういうものなのかと納得することにする。
「大体、魔術なんて普通の人は使えないんだから、それを調理過程に組み込もうってこと自体が間違っているのよ。そうは思わない?」
「そっか、そういうものなんだね」
どうやら自分が世間常識に酷く疎いらしい、ということは流石に自覚していたテレーズだったので、こんな時は彼女の言い分に素直に従うことにしている。
魔術とは本来は貴族階級でもなければ学ぶこともない高等学問であり、農民、平民が簡単に扱えるようなものではない。
無論、遺伝や突発性の適正で魔術の扱いに優れるものは貴族以外からでも一定数排出されるのだろうが、それらも魔術を学んだり感じたりする機会さえなければ、その才を開花させることなく一生を終えるのだ。
ちなみに現在のように才があれば金銭を払うことで魔術を扱えるようになったのも聖王の時代以降のここ数十年の話であり、それまでは本当に極々限られた存在のみが魔術を継承させていたのだという。
「っていうか、トゥイクって本当に土地が豊か。綺麗な水源も豊富だし、農作物もこんなにあるし」
「普通はないの?」
「ないない。シノンじゃ水なんて貴重品だから、みんな普段はビール飲んでたし」
「そ、そういうものなんだね」
リゾート地としても栄えるトゥイク半島は、水源に恵まれた豊かな土地だ。気候も温暖で農業も盛んであるので、冬を越すことにも食糧事情で大きな苦労もない。
それに比べてサラが育ったロアーヌ東方、シノンの開拓村は、生きるには厳しい環境だった。土地は貧しく、腐りやすい飲み水は酒より希少価値があり高い上に、作物の育ちも悪いので穀物で冬を越すことはできない。なので畜産の中心は繁殖力に優れる豚であり、冬を迎える時には村総出で豚を屠畜し塩漬けして冬を越す。
「小麦なんて中々育たないないからライ麦ばかりで、パンも硬いしね。それでも、食べるものがそもそもなかった小さな頃に比べれば、最近は随分とよくなってきたほうだけれど」
「そういう経験がないから、僕にはあんまり想像がつかないな」
物心ついた時から旅を続けていたテレーズは、自分とは違う世界に住んでいたサラの言葉に、そんな漠然とした感想を抱く。
「私は逆。こんなふうに旅をしたことがあんまりないから、いろんな土地を見てきたテレーズの話のほうが、面白いけどね」
「・・・そうかな」
自分の話に、楽しいことなんてひとつもない。テレーズは本気でそう思う。どこに行っても、彼の目の前には常に死が首をもたげるのだ。
だからこうして君といることも、本当は不安で不安で、仕方がないんだ。そんな表情が、すぐに彼は顔に出る。
そんなときは、サラが調理の手を止め、手招きをするのだ。
「・・・?」
彼女の手招きに応じて厨房へカウンター越しに身を乗り出したテレーズに、サラは何かが付着した人差し指を突き出し、そのまま彼の口に咥えさせる。
「!?・・・・かっら!!?」
「ふふ、唐辛子」
丁度手元で唐辛子を刻んでいたようで、それをテレーズの口に突っ込んだサラは、予測通りの反応を得たとばかりに笑う。
「これから美味しい料理を食べるってのに、辛気臭い顔しないの。ほらこれ混ぜて、パンを切って塗ってちょうだい」
そういってサラから差し出されたのは、オリーブオイルとすり下ろされたニンニク、そして今朝買ったばかりのバゲットだ。この二つを掛け合わせたら出来上がるであろう香ばしいガーリックバゲットを想像したテレーズは一気に食欲を刺激され、いそいそとそれらを手に取ってオイルとニンニクを混ぜ始める。
その間にサラは切り分けたマッシュルームとベーコンを順番に炒め、香ばしい匂いが厨房に漂い始めた。
「サラは、料理をいっぱい知っているんだね」
「うーん、いっぱいって言うわけじゃないけどね。トムが料理できるから、トムから教わったものが一番おおいかな」
「あぁ、トムさんね」
トムというのは、サラの口からよく出てくる同郷の幼なじみの中の一人だ。トムさんは料理もできるのか、なんか何でもできる人だなぁ、とテレーズは平々凡々な感想を抱く。
何でもそのトムさん、サラが言うには今は会社を運営しているらしい。兎に角物知りで会社も運営していて更には料理まで出来るなんて、テレーズには全く想像のつかないほど雲の上の人物のようだ。
因みにそのトムさんの仕事をサラも手伝っていたらしく、彼女もまた自分と同年代とは思えないような知識を披露することがある。その片鱗はこの旅を始めてからの短い期間でも、如実に実感できている。なにしろ彼ら二人の旅の路銀は、サラが別地域から運んできた特産物の売買や物々交換によってその大凡が成り立っているからだ。
色んな地域の特産物や物価のレート(この辺りがテレーズにはイマイチ理解できていないが)をサラは把握しており、それが大いにこの旅のクオリティを引き上げている。一人で貧しい旅をしていた頃とは、大違いだ。
「・・・因みに、冒頭に宣言していた三分はとうに過ぎているけれど、これって元々三分で終わる料理なの?」
「え、終わるわけないよ、見てわかるでしょ」
なにを意味のわからないことを言っているの、という感じに怪訝な顔のサラに対し、テレーズは世の理不尽を垣間見た気持ちになって憮然とした表情をする。
「三分クッキングっていうのは、言葉の綾というか、料理を主軸にした展開の際によく用いられる常套句みたいなものよ」
「そ、そういうものなんだ」
「うん、そういうものなの。色んな媒体や物語でもよく使われる表現ね。テレーズも覚えておくといいよ」
彼女がそういうなら、きっと多分そうなのだろう。テレーズはここも、納得することにした。
なにせ、これでも多少は文字を理解して本を読めるテレーズから見ても、彼女は大変な読書家だ。旅の最中も、暇を見つけては本を読んでいることが多い。本の趣向は雑食気味で大体なんでも読み漁っている印象だが、最も好きなジャンルはフィクションの物語なのだとか。きっと「三分クッキング」とは、そんな物語によく出てくるのだろう。
「そもそも実際の三分クッキングだって、事前に材料の仕込みもしていれば調理過程もすっとばして『そしてこちらが完成したものです』とか何食わぬ顔でやっているわけで、何が三分なのかってそりゃ放送時間でしょって話なのよね。あれは言うなれば、放送時間の兼ね合いで三分で掻い摘んで紹介するクッキング、だと思うわけ。テレーズもそう思わない?」
「あ、うん。そうだね」
彼女が言っていることは大半テレーズにはわからないことばかりだったが、こう言う時のサラには突っ込んだところで何の意味もないのだ、ということだけはテレーズにも既にわかってきた。なので、無難な提携文での返事をすることにしている。
だよねーそうだよねーと、彼の同意に気を良くしながらふんふんと鼻歌を歌いつつ卵を沸騰するかしないかといったあたりの湯の中に割り入れるサラ。
ちなみに彼女が歌う幾つかの鼻歌の中で最も回数が多いのは、アーバロン、アーバロン、うーるわしのー、というフレーズである。なんでも、彼女のお気に入りの物語のテーマソング(?)らしい。
そんなふうにご機嫌な様子で、湯が沸騰し切らないように卵を割り入れた鍋を持ち上げて火加減を絶妙に調節しながら卵を温めていく。ここまでくれば、やっとテレーズにもこの料理の全体像がわかってきた。
「これは・・・わかった。ポーチドエッグだね」
「せいかーい。あ、パン焼いちゃってー」
サラに促されるままに、テレーズはガーリックオイルをたっぷり塗ったパンを窯に入れて焼く。その間にサラは別で炒めていた各材料にワインを足して煮詰めていたものを塩胡椒で整え、先ほどのベーコンらと合わせていく。
そしてそれらを皿に盛ったものの中央に形よく仕上がったポーチドエッグを乗せ、丁度ガーリックが香ばしく焦げ始めたパンを取り出して、添える。
「じゃーん、ポーチドエッグとベーコンの赤ワインソース仕立てでーす」
「おぉー、美味しそう」
出来上がった料理を並べて食卓についた二人は、食前の挨拶もそこそこに早速と料理の制覇に取り掛かる。
様々な香草と共に炒めた具材に絡むソースが実に香ばしく、これが肉厚なベーコンとよく合う。それを中央に鎮座するポーチドエッグに崩して絡めると、また風味が変わってまろやかになり、再び香ばしいソースを身体中が求めて食欲が大きく刺激されるのだ。
スプーンで掬ったそれをしばし堪能した後、口いっぱいにガーリックトーストを頬張る。バゲットはいい具合に外はパリパリで中が柔らかく、その断面にはたっぷりのガーリックオイルが良く染みていて、これもいくらでも食べられてしまいそうだ。
「・・・んんん、美味しい」
「ふふん、当然」
何しろトムに教えてもらったレシピなのだから、とサラが自慢げに言うのを聞きながら、テレーズは年頃の男子よろしく、どんどんと皿の中身を平らげていく。
「ま、地元ではもっと質素に作ったものだけどね。ここは作物も多いから色々手が加えられるし、料理も楽しいわ。香草はまだまだ色々試してみたいくらい」
「これは、シノン料理なの?」
「うーん・・・別にシノンだけの料理ってわけじゃないと思うけれど。特にベーコンとかソーセージなんかは、痩せた土地の定番食材だからね、よく食べたよ。こう言うふうにアレンジするようになったのは、卵が安定して取れるようになってからかな」
こうして彼女の話を聞いていると、テレーズにも世界のなんたるか、というものが何となく分かったような気になってくる。世界には、いろいろな場所にいろいろな人が住み、その土地柄に添った色々な生活があるのだ。
これまでも確かに旅をしてきたものの、そんな当たり前のものに意識を向ける余裕すら全くなかった彼には、サラとの旅は毎日が発見の連続だ。
世界とは、こんなにも色々なものが溢れていたのか、と思う。
そして、そんな色々なものが等しく彼の前では消えてしまうことも、痛いほど分かっている。なにより今は、それが恐ろしい。
「テレーズ」
名前を呼ばれて顔を上げる。このテレーズという名前も、サラが付けてくれたものだ。だから、サラがいなくなったら、そう呼ぶ人は居なくなるのだろう。
ふとそんなことを思いながら揚げた顔を、サラのデコピンが急襲する。
パチン、と小気味良い音が鳴り、指が弾かれた。
「・・・いたい」
「テレーズは何を考えているのか、ほんと言葉より顔の方が分かりやすいよね」
「・・・・・・」
いつも、こうだ。自分がその時のことを考えると、サラは何かしらでその思考を中断させてくる。
だから、彼はいつもここで考えるのをやめる。
本当は、考えておかなくてはならないのに。
覚悟をしておかなければならないのに。
だってそうしなければ、今度こそ自分は耐えられないかもしれないから。
それでも、彼女が望むなら、今は考えないことにするのだ。
「さぁ、食べたら出立の支度をしてしまいましょう。世界はいちいち、私たちを待っていてはくれないわ」
「あぁ、わかったよ」
次の宿場町では何を作ろうかな、と今から考えを巡らせ始めるサラに薄らと微笑み返しながら、テレーズはもう一度ガーリックトーストに齧り付く。
今は、考えない。
なぜなら、彼女がそう望むから。
いや、彼女が望む以上に、自分がそう、心から望んでしまっているから。
でもそんなことは、絶対に思ってはいけないことだ。
だって自分には、そんな望みを抱く資格はないのだから。
ただ、同じくして彼女の望みを拒否する資格もまた、彼にはないのだ。
だから、今暫くこのままでいることは、仕方のないことなのである。
彼はそう心に言い聞かせて、最後の一欠片となったガーリックトーストを口の中に放り込んだ。
サラさんの作ったポーチドエッグの赤ワインソースかけ(二人分)
卵・・・二個(市販の温泉卵とかで代用してもOKだよ)
マッシュルーム・・・二個(石附をとって、どちらも薄くスライスしてね)
ベーコン・・・1パック(5mm角or1cmスライス。できればブロックベーコン推奨)
玉ねぎ・・・1/4カットをみじん切り
ニンニク・・・1片みじん切りorチューブ2~3cm
香草・・・ローリエ1枚、タイム1枝or小さじ1
グラニュー糖・・・小さじ1
バター・・・15g(半分にして、調理用と仕上げ用に)
塩胡椒・・・ソースの仕上げ用にお好みで適量
唐辛子・・・お好みでどうぞ
赤ワイン、水・・・各100cc
オリーブオイル・・・適量(適量ってわかりづらいよね。ひょいってくらいでいいよ)
ガーリックトースト・・・市販でも。バゲットにガーリックオイルを塗って焼いても。焼き立てが断然おすすめ
①フライパンにバターを引き、マッシュルームを炒めて取り出しておき、そのままベーコンも炒め、これも取り出しておく。これがメインの具材。
②ソース作り。そのままフライパンにオリーブオイル、ニンニク、唐辛子(入れる人だけ)を炒め、ニンニクの香りが立ってきたら玉ねぎをいれて炒める。玉ねぎがしんなりしてきたら、香草、石附を入れて更に炒める。
③薄力粉(分量外)を軽く振り入れて軽く合わせたのち、赤ワインと水を投入。半分程度まで煮詰める。あく取りをしながら、焦げないように火加減に気をつけて。
④別の鍋にフライパンの中身を漉す。絞るようにしっかりと漉してね。弱火にかけながらグラニュー糖、バター、塩胡椒で味を整えたら、ソース完成。まぁ、漉し器なかったり面倒だったらそのまま入れちゃってもいいんだけどね。
⑤鍋に湯を沸かし、沸騰する前に卵を割り入れます。鍋底にくっ付いたりしないように、平皿をお湯の底に沈めておくと形が整いやすいよ。お湯は沸騰させず、鍋底から泡が出てくる程度を維持してね。沸騰してると卵が硬くなっちゃうよ。五分ほど待ってね。形崩れるから混ぜないで。入れるときや取り出す時に網杓子があると便利だよ。
⑥ベーコン、マッシュルームにポーチドエッグを乗せ、ソースをかけて完成。ガーリックトーストと共にどうぞ。
最終更新:2020年05月25日 21:22